●ある猫の気持ち ひまわりという名前の猫が居た。 名付けてくれたのは飼い主の陸彦。陸彦は自分の事をいつも「ひまちゃん」と呼んでくれる。 子猫の時から育ててくれて、甘え、可愛がられて、ひまの中は陸彦で一杯だった。 人間のように難しい事は解らないけれど、『好き』という感情だけは理解していた。 「それって素敵な事だわ。誰より『好き』なんでしょう? その気持ち、伝えたくなぁい?」 ある日ひまに、変わった色の猫が話しかけた。その猫は白い服を着た男に寄り添って、とても幸せそうに喉を鳴らしている。 「アタシもそうなの。彼が好き。誰より大好き。だから気持ちが解るわ。ねえ、貴方に魔法をかけてあげる」 猫が男を見遣ると、男が手を伸ばしてきた。 嫌悪感が勝ってフウっと唸るも、遅い。 「…… にぁ!!」 暴れて爪を出して引っ掻いてやろうとしたのだが、温室育ちの自分ではうまく引っ掛けなかった。悔しい。 「暴れないでよ、ほぉらもう終わり。ね、自分の姿を見てみなさいな」 猫が言う。 男が鏡を持ち出すと、そこに映っていたのは――向日葵の花飾りを付けたひとりの女の子。 「嘘……あ、あれ?」 言葉も出た。今迄知らなかった感情までも一気に流れ込んで、理解出来てくる。そう、私は『好き』なんだ。陸彦が。だったらチャンスじゃない。 それに陸彦と同じ姿。これなら今まで羨ましかった事も、陸彦としたかった事も、なんだって出来そう。 「そうよ、理解したみたいね。……いってらっしゃい、大好きな人に、大好きって伝えに」 「にゃあ!」 女の子になったひまは嬉しそうに走り出す。猫と男もにこにこと見送って、そして、呟いた。 「今回は成功するかしら。そしたらアタシも早く人間になりたいわ」 「僕は君のその姿も好きだよ。けれど、君が望むなら、セレン」 そうして二人名前を呼び合えば、愛おしそうに頬をすり寄せた。 ●一時の魔法 「愛がどうこうっていうのは如何も苦手だなぁ」 『あにまるまいすたー』ハル・U・柳木(nBNE000230)は困ったように苦笑した。リベリスタ達に気がついて、今日も宜しくと挨拶をしてから、椅子に深く腰掛ける。 「今回のお仕事は、恋に走る女の子を捕まえる事と、愛に突っ走ってる恋人同士を止める事」 なんだなんだ。えらく抽象的な説明だとモニターを見れば、『小さな女の子』と『小さな猫』が、そして『恋人同士』の代わりに『大型の猫科動物と男』が映し出されていた。 その猫科動物は紫に黒のグラデーション掛かった毛皮を持つ。――この世界で見ない色をしていた。 「またまた、アザーバイド。猫様のお出ましだよ。でも今回は笑って送り返してって訳には行かない。悪さも色々――運命の加護は、受けてるけど」 ハルは肩を竦めた。 「彼女はこの世界の人間に恋をした。ずっと居たいと願った。自分は猫だから、人間になりたいと思った。 そして男も彼女を愛した。彼女の為に、彼女の技術を教わって不完全なアーティファクト作りに没頭する。 作ったものは試さなきゃいけない。誰で? ――彼女以外の誰かで」 その対象が今回捕まえるべき少女、――そう、『元・小さな猫』なのだろう。 「アーティファクトは花飾り。四足動物に知能を与えて、人間の姿を与えるもの。けど、不完全なそれをつけ続けていれば、いずれは代償が来る。エリューションになり、存在自体が崩壊する」 もうね、何匹か試された後なんだ。 此れまでの事は如何しようもない。割り切らなければならない失敗作。 しかし彼等二人の手にはまだ大量の花飾り。 「此れからの事なら止められる。愛に突っ走ってる恋人同士を止める事と言ったけど、具体的には彼らの持つ不完全なアーティファクトを全て奪還する事。ああスキル当てて壊しても良い。それから、どちらか一方に痛手を負わせる事」 「……それだけ?」 野放しにするには危険な二人。リベリスタの一人が怪訝に問えば、ハルも肩を竦めた。 「女の子――『ひま』も捕まえないといけない。けど、二人は当然邪魔をする。今までの失敗個体、エリューション達も引き連れて、ひまを言葉巧みに信じ込ませて逃がしてしまう。……最悪、ひまもエリューションになれば、討伐対象だよ」 そしてにゃあにゃあと聞こえるモニターを見れば、二人を守るように猫達が傅いていた。 「アザーバイド猫、セレンは猫も操ってる。とことん邪魔をして、危なくなったら二人で逃げる。いっぺんに全てを為すのは難しいと思うんだ」 だから、今回は彼らを止めて、暫くそんな不完全なアーティファクトを作れなくする事。 どちらか一方が傷付けば彼らは怪我を癒す方を第一にするだろうし、出来損ないとはいえアーティファクトをそうも量産できないだろう。 愛故にと猫は言うけれど、アーティファクトを狙われていると気付けば最悪操った猫に花飾りを付けて、その隙に逃げもするだろうとハルは憶測を口にした。 走り出した小さな猫にどんな言葉をかけるのか、愛故の猫にどんな声をかけるのか。 ――そして、どうしようもなくなってしまったエリューション達の事。 「僕には頼む事しか出来ないけど、……頼んだよ。リベリスタ諸君。いってらっしゃい」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:琉木 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月12日(火)23:07 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●向日葵 人間の感情はなんて複雑。 『好き』だけじゃ収まらない。したい事が一杯思い浮かぶ。わくわくする。 「陸彦!」 小さな猫だった少女は走り出す。 後ろには花をくれた猫と人が見送ってくれる。陸彦に会いたい。追い付きたい。 けれどそれは一時の夢だと知らないまま。 「ひまさん!」 そんな走る少女、ひまを呼ぶ声が響く。『放浪天使』伊吹 千里(BNE004252)の声。 「ひまさん、待って。その花は危険なの!」 一瞬足を止めて振り返るひまを向かわせるように、家の前に立ち続けていたセレンが足を踏み出した。 「人聞きの悪い事を言うわね。あの子はこれから、好きって伝えに行くのよ。行きなさい」 「にぁ!」 「ひまさん!」 立ち塞がるセレン達、そして千里に背を向けてひまは走り出す。それなら翼を広げ、千里は追う。 「邪魔ね。……皆!」 セレンが喉を鳴らす。その声と同時に塀の上の猫達が追いかけようとその背を追った。セレンも―― 「なぁ、待ちなよ」 『機械鹿』腕押 暖簾(BNE003400)が行く手を遮るように立ちはだかった。鹿角鉄パイプを立てて、くるりと辺りを見渡す。鉄パイプで集音するように“誰か”の感情の強い箇所を、暖簾は探る。 「誰よ、貴方」 セレンは不愉快げに鼻を鳴らす。暖簾の隣には苛々とした心情を隠そうともしない『いとうさん』伊藤 サン(BNE004012)に、その後ろは対照的に、控えめに大きな本を抱く『贖いの仔羊』綿谷 光介(BNE003658)。 「……邪魔者って訳ね」 「そういう事さ」 暖簾はそう言うとAFにそっと連絡を入れた。強い感情――恐らくエリューション達――を感じるのはセレン達の両隣の細路地から。そう離れては居ない、挟撃可能と。 「愛は盲目状態なのダ? 全く迷惑な奴らだナ~」 振り向けば挟み撃ちの形で距離を詰める『夢に見る鳥』カイ・ル・リース(BNE002059)、『人生博徒』坂東・仁太(BNE002354)、そして風向きを気にする『レディースメイド』リコル・ツァーネ(BNE004260)。 「なぁに、随分大勢じゃない」 毛を逆立てるセレンに、リコルが歩み出た。 「セレン様、お初にお目に掛かります。恋する乙女の皆様は愛らしゅうございますが、やって良い事と悪い事がございます。――我々はつまり、そういう者でございます」 止める者。リコル側からも宣言した。 名を呼んで首を撫でるヒサゴを見て、仁太はゴリゴリと後頭部を掻く。 「自分の幸せを望むのは別に構わんのやけど、それのために誰かを犠牲にするっちゅうのはいただけんなぁ」 そう言ってからセレンを見た。遠くを見る目は、ひまをも考える。 「人の姿になることが幸せとは限らんけどな。今の姿やからこそ気に入られとる場合もある。そこんとこ、どうなんや」 ひまにも聞きたかった問いをぽつりと零した。今はまだ潜むエリューション達。元は只の猫だったろう、犬だったろうに。 「些細な事だわ」 セレンは笑った。 「君は相手が人だから愛するのかい。違うだろう。僕はセレンだから好きなんだ。只、セレンが人になりたいと言うから、叶えてあげたい」 ヒサゴが言う。つまる所彼らの行動原理はセレンの夢、それに集約されていた。 「自分達さえ良けれバ、他者はどうでも良いというのカ?」 カイも口を挟む。 「人間になっテ、ヒサゴと何をしたいのダ? 彼はそのままの君を受け入れてはくれないのカ?」 「それは……」 「言う必要は無いわ。――おしゃべりの時間は終わりよ、そこをどいて!」 ヒサゴの言葉を打ち切るセレン。猫が人になる事。それが今度こそ成功するかもしれない。他人に成果を求める猫が吠えた。光介が顔を上げる。 「皆さん、あの影です!」 暖簾が猫の爪を受け止めた。 リコルが犬の拳を受け止めた。 リベリスタ達が邪魔者と解った今、セレンは半端なイキモノになってしまった彼らを呼ぶ事に躊躇はしない。 そんなセレンとヒサゴにカチン、カチンと音が響く。 伊藤が機械と化した両掌で拳を作っては掌に重ねる。音の一定リズム。沸き上がる激情を一人暴走しないように押さえつける。 「僕、こーゆー誰かの気持ちを蔑にして自分だけ楽しむ奴が一番カチンとくるのよね」 セレンが猫の柔らかい動きでヒサゴに触れながら視線を向ける。 「根暗にドラ猫、君達。今から懇切丁寧に焼き潰すから命乞いの文句でも考えといて」 聞き入れるつもりが無いその怒気に、ヒレゴはセレンの耳をそっと撫でた。 ●月の猫 翼を広げて目の前に降りてきた人間、千里にひまは目を丸くする。 「凄い。貴方は鳥だったの?」 猫が人になる奇跡を見たから。そう無邪気に話しかけてくるひまに、千里はきゅっと唇を噛む。 こんな純粋な猫を騙すなんて。他の猫の事も、戦いにだって利用するなんて許せない。 「聞いて、ひまさん。それは危険なものなの。あなたがあなたでいられなくなって、陸彦さんを傷つけてしまう。――彼と一緒にいられなくなるのよ!」 「何……言って」 たじろぐ遣り取りを『刹那の刻』浅葱 琥珀(BNE004276)は聞いていた。しかし姿は無い。それはひまの足下、地面の中に潜み隠れている。聞こえるのは後ずさるようなひまの足の音。琥珀はいつでも出られる様にと待機する。 「セレンがそれをくれたのは、あなたのためじゃなくて自分の実験のため」 「………」 それでも人になった、今。猫には無かった我侭がひまを突き動かす。 「会いたいの。陸彦と同じ姿で!」 ひまが駆け出そうとしたその瞬間、その足が誰かに掴まれた。驚いて足下を見る。今まで誰も居なかったはずのそこに琥珀が居た。 「だめだ。告白できてもその後不幸になっちゃ意味がない。折角この場に居合わせたんだ。俺は、君を必ず救うんだよ」 ひまが必死に叩いても、琥珀はその手を離さない。 「陸彦に会わせてよぉ!」 涙すら浮かべるひまに小さな罪悪感が無い訳では無い。それでも琥珀の視線を受けて千里はヒマワリの花飾りに手を伸ばす。魔法が解ける、その瞬間に千里は言った。 「あなたはあなたのままでいい。彼はきっと、そのままのあなたが大好きです。彼といつもどんな関係だったか思い出して。思いを伝える方法は言葉だけじゃないから……ね?」 優しくひまを撫でて、そのまま落ちるヒマワリの花。 魔法は叶わず、小さな猫がぽんと現れた。 「――っとと、伊吹。ひまを戦場とは反対の方向へ、もしくは頼む」 琥珀が小さなひまを抱き留める。千里は偽りのヒマワリを握りしめて、その花びらを散らした。途端、、辺りの猫がフゥゥと鳴く。セレンに言われその足を止めに来たのだろう。 「少し我慢してくれ、ごめんな」 琥珀は手に構えていたものを迷わず噴射した。猫には刺激が強すぎる、唐辛子スプレー。ただの猫には一溜まりも無い。 「……30、20、」 伊藤はカウントダウンをしていた。待つのは40秒のみ。 ただの猫が相手でも、もし『敵』となり支障が出るのなら、伊藤は焼き尽くすつもりで居る。 研ぎ澄ます感覚と共にセレン達から決して視線を逸らさなかった。しかしセレン達が見ているのは別方向。足下でぐったりと横たわる猫達と、両手を広げたリコルの事。 「またたびでございます。本日の風向きはようございます故。セレン様に効かなかったのは残念ですが」 「……フン」 飛散するまたたびを嗅いだ猫はなぁぁと心地よさげに腹を向けている。全く、使い物にならない。 一匹の首根っこをセレンが咥えようとしたその時、 「痛っ!」 直ぐ傍でヒサゴの呻き声。セレンが見上げれば弾丸がヒサゴを撃ち据えていた。正確には胸ポケットを。 暖簾が踏み込もうにも、半端なイキモノ達が邪魔をする。だから撃ち据えたのは銃指、ブラックマリア。 「ヒサゴ!」 「なァ、お前さん達。俺はお前達が羨ましくて羨ましくて仕方無ェ。俺なンてずっと居たいと願った奴に二度と会えねェンだぜ」 ――ガゥン! 二度目の銃声は狙いに気付いたヒサゴの手の甲に鈍い音と激痛をもたらした。 仁太の巨銃を防御しても、次がある。三度目、カイの十字の光。左ポケットのコチョウランを。 「うっとおしいわね。皆、コイツ達、敵よ!」 セレンが吠えればおどおどとしていたイキモノ達がびくっと耳を立てる。 “敵” とても解りやすい言葉に犬が、猫が牙を剥いた。 「お前達は自分の平穏な日常を奪った相手に利用されてそれでええんか?」 仁太が問う。 「そんな姿になって本当によかったんか!? わし等へやない、そいつらに一矢報いてみんか?」 グ……と唸る猫達に、それでも銃身がヒサゴに向いているのなら。――その前に立つイキモノ達に向いている事。 「惑わされないで、コイツ達はアタシ達を殺そうとしているわ。貴方達を虐げた人間と同じよ!」 「ァァゴ!」 口先達者なセレンに仁太は舌打ちをする。確かに、殺してやる事しか出来ない現実がのし掛かる。 「なら、――すべてを終わらせるだけぜよ」 「0! 僕の炎は一切合財を許さないッ、塵も残さず燃えて無くなれ!」 同時、伊藤が放ったのは業火に燃えた矢の嵐。全てを―――それでも、またたびに転がる“敵ではない”猫を避けて全てに降り注ぐ。 「――ッ!」 その炎を縫ってまたもヒサゴの部位――花を持つ手を狙って掠める魔法の矢。 「ずるい人達、ですね」 群れからはぐれた仔羊が、荒野の果てで祈りを捧ぐお噺を胸に抱いて、光介は言う。 「愛しいって気持ちは素敵。でも貴方達は、自分達で何一つ失うことなく、愛だけを手に入れようとしてる。そんなの……」 「そうね、確かにアタシは何も失っていないわ。でもアタシ達は“次”を作れるのよ。これが完成したらとても素晴らしい事になる――アタシも、この子達だって、願いが叶うわ」 「それでも! 罪もない猫さん達を騙すのは悪いことです」 ひまを守り、ヒマワリを砕いた千里がふわりと光介の横に並んだ。 道化のカードが伊藤を横切ってアヤメの花飾りを付けた子猫に当てられる。 「ずっと傍に居られる事、それが一番の幸せなんだよ」 だからそれは間違っている。琥珀はもう取り返しのつかない大きな子猫に、ごめんなと小さく呟いて。 馬鹿げた茶番はお終いに――伊藤が再びその手に炎を編み出した。 ●砕け散る 業火。 イキモノ達を巻き込んで、セレンもヒサゴも炎に燃える。 右手を痛めたら左手がある。手が使えないなら背中がある。ヒサゴは執拗に狙われる花を守っていた。 それでも暖簾が駄目なら仁太が。仁太が駄目ならカイが。ひたバラを狙えばその手が花咲くように花弁が散る。 「嗚呼――」 彼女の夢が、僕の夢なのに。 ヒサゴの言葉は、リコルの巨大鉄扇の音にかき消される。 リコル、カイ、仁太に対するのは飼い猫にハスキー。甲高く猫に叩き付けられた双鉄扇に負けじと吠え掛かるその声を、カイが受け止めた。 「花飾りはもうないのダ! 後は――」 「わかっとる!」 やるしかない。幾度業火に焼かれれば、セレンが何を言わずともイキモノは牙を剥く。ただ、自分の命を守る為。 それはセレン達も同じだった。ただ違う点は、誰かを利用してでも、何を言われても生き延びる、その意思がある事。 幾度花を守ったヒサゴはその傷は全て自分で背負っていた。セレンは庇わない。ヒサゴが止めた。 リベリスタ達の拳は届かなくとも、なり損ないのイキモノはギャンと吠えて地に伏せる。セレンが指示を出してもその傷は癒されてしまう。 冷たい雨に穿たれて、かじかむ手足で動かない子猫を抱える母猫をセレンは見た。現状に勝ち目は無い。 さっと逃走経路を測るその様子に気付いた暖簾は唇を開いた。 「気持ちは分かるが派手な動きはよしときな?」 赦さない。その気持ちに捕らわれた伊藤は暖簾を見る。暖簾は只瞳を細めて二人を見続けた。 「好き合ってンなら二度と会えなくなる気持ちだって想像出来るはずだろ。俺達はな、『俺達』みてェな奴らを生み出してほしくねェのさ」 「じーじ!」 伊藤が咎めるように声を荒げる。 暖簾とヒサゴが視線を交わし合う。ヒサゴが何かを言い掛けたが、先に口を出したのはセレンの方。 「潮時ね。ヒサゴ、もういいわ」 ひまを追いかけた者達が戻ってきたと言う事は、ひまの実験は失敗したと言う事。 この者達は自分達の命を奪うよりも花を優先した事。 なり損ないのイキモノでは時間稼ぎにもなりそうもない事。 そして、――これ以上ヒサゴを傷つける訳にはいかない事。 セレンは早々に決断した――この場から逃げ出す、と。 辺りを伺う視線に伊藤が気付けば、セレンはリコル達の方向へ走り出した。 「セレン」 「良いから逃げるわよ。貴女どきなさい!」 「きゃあ!」 まだなり損ないの猫も犬も過半数いる段階で走り出したセレン達。 挟み討つ前線を担うリコルとカイをセレンは吹き飛ばすまま、ヒサゴを連れて保身を謀る。 「ッ、の、逃がすかよォ!!」 「伊藤!?」 暖簾の横を走り抜け、エリューション達の傍を走り抜けて、伊藤は一人その背を追った。 逃がさない。殴ってやる。 その為に燃えて走ってきた。伊藤は止まらない。 「ゴラァア!!」 「ヒサゴ!」 伊藤の怒声とセレンの焦燥が重なった。 燃えさかる伊藤の拳が振り向いたヒサゴの横っ面を殴り抜ける。それでも足りない。よろめいたヒサゴの胸ぐらを掴んでもう一発。 「あな……」 一匹逃げる事は無く、伊藤に向き直ったセレンははっと自分の姿を見た。それは鏡だった。立ち直ったリコルが見せた自分の姿。 夜の帳の如き美しい毛並み。満月のような双眸。リコルは言う。 「貴女様は今のままでも十分麗しゅうございます。何よりも貴女の愛する方が貴女の全てを愛おしいと言って下さる。これ以上欲しいものがございますか……?」 リベリスタ達が光に包まれる。光介が、不完全な犬に呪われた仲間達を、その光で浄化する。 「人魚姫なんて、自らの身を削って「人」になったのに、王子様と結ばれず泡になったんですよ。……乗り越えるのに一切痛みを伴わない愛なんて、ずるいですよ!」 「………」 「穢さないでよ……自分の愛しさを。お願いだからもっと道を探してよ」 遠くからでもその声は不思議と響く。それでも、ヒサゴが殴られ続ける事にセレンは耐えられない。 「いい加減にして!」 「ぐッ!」 セレンが尻尾を薙ぐと、自分の傍に居る伊藤を、リコルをも再び吹き飛ばした。ヒサゴはその顔面を押さえたままだが、その鼻っ柱がどうなっているかは誰にだって想像が付く。ぼたぼたと血を零すヒサゴに、巫山戯るなと立ち上がる伊藤に、セレンは決してその喧嘩を買わない。 逃げ道に此方を選んだのも、血気盛んな伊藤を避けての事。決して逃がさないと伊藤が言う事はその態度から想像出来ていた。 セレンはカイを見た。 「この人を包める腕があればと思うの。ザラついた自分の舌も大嫌い。アタシはね、この人と喫茶店に行きたいわ。買い物を楽しんで、腕だって組んで歩きたい。――それがアタシの夢よ」 たったそれだけ。 幾匹もの命を唆した、それがこの猫の本音。 「ドラ猫、逃がすかッ!」 「逃がしません!」 伊藤が、リコルが追おうと体勢を立て直す。仁太が巨銃を構え、二人を吹き飛ばすか逡巡するが、目の前にはまだなり損ない達が使い捨てのように残されて、牙を剥いている。 「去るなら追わねェよ。こいつ等がまだだ。早く終わらせてやろう」 「ええ、私は……リベリスタだから」 暖簾の言葉に千里が続く。花飾りを壊し、残る役割はなり損ない達を眠らせる事。世界の崩壊を食い止める事が優先事項。 暖簾が残る犬へと歩み寄った。どう唆されたのか。多分セレンが言った“偽善”或いは“言い訳”或いは“正当な理由”。 『人間になれば、お腹が空く事も無い』 そう言われたのかも知れない。痩せた姿はそれを思わせた。だから暖簾は抱き締めた。咬み付かれても離さない。 「痛いのは、辛いのは、怖いのは、お前さん達だしな。だからお休み。『俺達』が幸せな夢を贈ってやるよ」 甘い夢を――死を告げる黒紫の銃指が側頭部を撃ち抜いた。『リベリスタ』の仕事は完遂される。 花びらが寂しく舞う風に、千里は告げた。 「次は必ず」 ●『私の目は貴方だけを見つめる』 カイは一目散に駆けてひまを探した。 ひまは夢見心地でぼんやりと路地に座ったままだった。そんな猫を抱き抱える。 「ひまちゃん、あんなものに頼らなくてモ、君の気持ちは伝えられるのダ」 陸彦の近くまで隠れて近付けば、ひまも陸彦に気がついた。カイの手を離れて一直線に陸彦へと走って行く。 「にゃあ!」 「ひま?」 飛びついた猫に驚く飼い主。カイはひまの言葉を聞き取る。 もう人間のように複雑な感情は解らないけれど、気持ちは単純。大事なこの気持ち一つだけ。 『大好き、陸彦』 そう告げる猫と、 『知ってるよ。ずっと居ようね、ひまわり』 そう告げる飼い主の気持ちを、カイはそっとその思念を彼らに送る。それはまるで互いに心で会話をしているようで、陸彦が照れたように笑ったのがカイに見えた。 「……アイツ等が幸せなら、それでいいさ。伝え方なンて其々だしな」 カイはもふっと頬の毛を膨らませて見守るふたりへ、暖簾と琥珀もそっと見送っていた。琥珀は曖昧に小さく笑みを浮かべ、それでも小さな結果に願いを掛ける。 記憶を失って全部無くした自分には、今のままの彼らが一番だと、漠然と解ったから。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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