●喪失のラブ すべてなくなってしまったから、ラブと名付けたの――。 この家は、一人にはあんまり広すぎる。 がらんどうの部屋。なにもかもからっぽだ。 四人分の食器を並べて、宙を仰ぐ。 ああ、そうだ―― もうここには誰もいないんだ。 もうここにはなにもないんだ。 私はひとり。あなたが来るまでは、ひとりだった。 ●ある孤独な娘のお話 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)が指し示したのは、大型犬のアザーバイドだった。傍目には飼い主の女性と、彼女に寄り添い歩くその犬との睦まじい光景に見えた。しかし、口の淵からのぞくその異常に発達した牙を、リベリスタ達は見逃さなかった。この犬が、と問うリベリスタ達に、和泉は小さく首を縦に振る。 「この女性は、元は四人家族でした」 自分を除いた三人が、たちまちのうちに不慮の死を遂げた。 「……ええ。皆さんの予想通りでしょう」 どうやって命を奪ったのかは定かでないが、恐らくはこの犬の姿をしたアザーバイドが原因だろう。何故残された娘だけを殺さないのかは定かでないが、いつまでもその状態が続くとは限らない。ディメンションホールも閉じてしまっている今、アザーバイドを倒すより他に道はないのだろう。たとえ、その犬が娘の心の拠り所となっていたとしても。 「こちらも既に想像に難くないでしょうが……問題点がいくつか」 真剣な表情で、和泉が示す。家族が皆急死し、ただ一人残された娘。彼女は悲嘆にくれるあまり、眼前に現れたその存在をただの犬として認識し、それに依存し切ってしまっている。家の前に捨てられていた格好だったその子犬が、あっという間に成犬になってしまったことに疑問すら抱かないほどに、彼女の心身は摩耗し、弱り切っていた。今となっては犬の世話をすることが彼女の生き甲斐だった。 「彼女から力ずくで犬を取り上げることは不可能ではありません」 しかし、リベリスタ達が知り得た範疇では、犬の方も彼女の傍らで、ごく普通の犬として振る舞っているように見えた。 「無理に取り上げようとすれば、彼女が追い縋る可能性があること」 それから、これはあくまで可能性ですが、と和泉が言い添える。 「アザーバイドの方も、彼女と引き離されることを拒み、何らかの妨害を試みてくる、とも考えられます」 家族の死以来、彼女が人前に姿を見せることはめっきり減ってしまった。室内飼いのその犬を連れて、普段は家の中で生活している。夜中にアザーバイドと散歩に出るのが日課になっているようで、そのときが人目もなく、好機だろう。 「彼女は人通りのほとんどない場所を選んで散歩しています。明かりも多少の街灯がありますし、皆さんが十分注意していればその辺りは問題ないかと」 もう一度情報の確認を促して、和泉はリベリスタ達を送り出した。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:綺麗 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月23日(土)23:00 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●0 「今晩は 話があるんだ」 呼び止められた娘は、少し身構える。夜目の利く『0』氏名 姓(BNE002967)を筆頭に、『リング・ア・ベル』ベルカ・ヤーコヴレヴナ・パブロヴァ(BNE003829)、『デンジャラス・ラビット』ヘキサ・ティリテス(BNE003891)がそっと娘を取り囲むように立つ。 (ねーちゃんにとって家族でも、未来で絶対ェ不幸の元になる) ヘキサが悩んで、考えて、出した結論。 (だから殺さねェといけねー……そう思わねーと、進めねェ) 奇しくも、異界からの来訪者は娘にとっての心の支え。どんな過程を辿ったところで、結局彼らは唯一の支えを殺めて奪うことしかできないから。 「今回、ハッピーエンドは有り得ねェ ならせめて……嘘でも希望あるベターエンドにすンだ」 そうして自らを奮い立たせる。手を下せるのも、自分達だけだから。怯えたように愛犬のリードを握りしめる娘に、『不屈』神谷 要(BNE002861)が応じる。 「私達はさる特殊な組織の者で、普通ではない危険な生物による事件等に対処しています」 場が動けば即座に動けるような心構えをしつつ、そうアプローチを仕掛ける。 「その子は感染症を持ってて、人にうつれば命に関わるんだ」 人を守るのが私達の仕事だと、姓が続ける。 「この子が……」 「異常なまでの急成長を遂げたとお聞きしています」 「その牙……風貌もそう、普通じゃないよね」 「ねーちゃん。これは老化を異常に早める感染症なんだ」 非常に感染力が強く危険であること、極めて珍しく、普通の病院では治療が困難であるために治療したいという旨を交え、さらにヘキサも説得に加わる。 「ですから……私達に引き渡していただけませんか」 娘はただ、口をつぐんでいた。 「そうですか……」 『破壊の魔女』シェリー・D・モーガン(BNE003862)の知らせに、雪待 辜月(BNE003382)は目を伏せる。シェリーは件の娘の遠い親戚と偽り、娘を心配している者達に、娘への思いを聞きにいったのだ。小柄な背丈はヒールでごまかして、スーツ姿という気合の入れようだった。 (記憶と思い出を失い、身寄りもなく世界に放り出された妾も、胸に穴が空いたような孤独感を感じることがある) 共感も何もかも、今は娘に響かないと知っていたが、どうしても伝えたいことがあった。 (だが、今はその穴が大きければ大きい程、そこに新しく思い出をたくさん詰め込める。雪待のおかげで、そう思えるようになった) きっと彼女にも、その人が現れ、その時が訪れるから。 (妾の言葉だけではきっと届かない) だから、彼女を想う親しい者達の言葉を届ける、絶対に。 「まるで探偵じゃな」 快活にそう笑ってみせるシェリーだったが、収穫としては今ひとつ。得られた言葉は世知辛さを感じさせるものが少なくなかったのだ。それでも、入念な人払いを終えた辜月を見て、シェリーは改めて決意を固める。 「巻き込まれる人が出ては嫌ですから」 (もはや帰る術が無く、倒さないといけないのが悲しいです) それすらも運命の悪戯だというのだろうか。 (たとえ痛みしかなくても、最後に僅かでも救いがあればいいのですが……) (孤独、か……) 『人生博徒』坂東・仁太(BNE002354)は、娘の境遇を思う。 (時間が経てば慣れる事もあるけんど、立て続けに拠り所がなくなったら、 寂しさのあまり自身も後を追いかねんのよな) そうならなかったのはせめてもの救いではあったが、娘を支えている存在が皮肉にも倒すべき存在なのだ。 「時間が経ってある程度心が回復してから戦えたらよかったんやけど放置するわけにはいかん」 残酷なようだけれど、傷が癒えるのを待っている時間はない。彼らにも、彼女にも、世界にも。 「他に孤独になる奴を増やさんためにも、な」 仁太の一言が、すべてを物語っていた。 「ラブってテニス用語でゼロのことだっけ」 新垣・杏里(BNE004256)は、犬につけられた名の由来をそう推察した。 「家族が居なくなったからって、ゼロって名前をつけるのは何というかー。仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど、後ろ向きで嫌だなー」 悲しみに暮れる心中を慮りつつも、ポジティブな杏里が辿り着くのは、シンプルで明るい答え。 「どう言ったらこの人、前向きになってくれるかなー?」 ただ説得するだけなら、実力行使だけなら、簡単だけれど。きっとこの子にも、前を向いて歩んで欲しいから。けれど、思いを届けるのは今じゃないと、杏里はそっと陰に身を隠す。 (どう説得するのであれ、あたしみたいな若いのが混ざってたら信憑性に欠ける気がするしね) 「大型犬の姿をしたアザーバイド、か。見慣れた姿とは言え、異界の存在だ」 同じく犬のビーストハーフであるベルカにとっては尚更のことだろう。 「ラブには目的や理由等不明瞭な点が多いですね」 要の言葉通り、そのためにリベリスタ達も入念な準備と警戒を強いられていた。 ベルカの推察する可能性はふたつ。 「あくまでも冷酷に利用しようとした末の現状なのか、あるいは己の生態からやむなくそうなってしまったのか……」 「どうあれ私達が為すべきは変わりはしないのですが……」 後味が悪くなるのだとしても、行きつく先はもう、決まっているから。 「前者ならば容赦はせん。我が同胞たる犬の姿形でその様な所業、断じて滅あるのみ!」 (だが、後者であるならば……いや、よそう) 「さあ、気を引き締めてかかろう!」 ●Ⅰ (こんばんはーん、ちょいとお話しようや。返事は頭の中で考えてくれればええでー) 娘を引き止めつつ話を切り出した傍ら、娘からは見えない影に隠れながら、仁太がラブに問いかけていた。うるんだ瞳と目が合う。話が進むにつれ、仁太は自分達が警戒されている、と感じていた。娘の家族を殺したのか?なぜ娘と共にいるのか? その問いかけに答えはない。しばらく合っていた視線は、ふいっと逸らされた。答えるつもりはない、と。娘と引き離されたくない、邪魔をするな。穏やかな接触の甲斐も空しく、ラブから感じ取れるのは強まっていく敵意だった。ラブの動きを警戒しながら、仁太は最後の説得を試みる。 (……なあ、おまえさん自ら離れてくれる気はないかのう) 外された視線が、再び噛み合う。 (彼女に迷惑を掛けたくなかったら引いて欲しい、できれば傷ついてほしくないしな) 今のところ、娘に対する明確な悪意は感じ取れない。寧ろ引き離されることを拒んでさえいるのなら。ラブは黙ってこちらを見ていた。 「……それなら、私も一緒に行きます!」 沈黙を破ったのは、娘自らだった。 「感染症なら、ずっと一緒にいた私にだってうつってるかも知れない……」 ぎゅっとラブを抱きしめる娘に、敢えて姓が指摘する。 「本当は気付いてる筈だ ラブを人目から隠すのは 何かが起きない様にする為でしょ?」 「やめてください、私とこの子を引き離すのは……」 「ラブと別れない限り、人に頼る事も、人と暮らしたいと望む事すら出来ない」 「そんなの……私にはもう、この子しか……」 「ラブが君を孤独にしている それじゃ駄目だ」 躍起になってラブにしがみつく女性に、姓は続ける。 「人を拒み続ける人生を君は望むの?」 低く、唸り声が響く。これ以上の交渉は、難しいだろう。 (……すまない!) 一人と一匹に悟られるより早く、ベルカがスタンガンを手に全速力で踏み込む。気を失った娘を抱きかかえると、疾風のごとく走り去る。精神面では正直自分の手に負えない。今回ばかりは淡々と任務に徹する他はない。 ——ウゥゥゥゥ…… 娘と引き離したリベリスタ達に今にも襲いかからんとするラブの前に、仁太から咄嗟の伝達を受けたヘキサが立ちはだかる。小柄な体であったが、秘めたる意志は滾るほどに。 「ラブは治療の為に連れて行かなきゃいけなかったんだ。ラブはねーちゃんを慰めて、自分からオレたちに着いてった」 先程娘の記憶をそう改変したのも、苦渋の選択だった。 (寂しかったのでしょうか? たった一人で見知らぬ世界に来て……) 生きるために、誰かと寄り添うために。隠されることなく放たれる闘志を見て尚、辜月は悪性には見えない、と思う。 (そう思いたいだけなのだとしても、善意ある存在だと信じたいのです) 自分達を轢き殺して彼女の許へ向かえば良いと、眼前の敵はそう思っているかも知れないけれど。 (拠り所から引き離す怒りは正当な物です。彼女とは違い、あなたにとっての唯一ですから……) 彼女に家族の最期を見せたくないと思うのは、傲慢かも知れない。だが、自分達がやるしかない。 戦いの予兆は、後ろで静かに集中を重ねて控えていたシェリーにもひしひしと伝わってきていた。娘を利用しているだけとあらば容赦はしない、彼の犬を憎まずにはいられないが……。 (願わくば経緯はどうであれ、今は彼女の為に傍にいるのであって欲しい) 妾は外道に成り下がろう。互いに支え合う絆を引き裂く外道に。竜の顎門を模した死神の名を冠する術杖から、術式を施さなければ力が溢れ壊れてしまうそれ自身のように、次々と魔術の奔流が組み上がり、カルテットとなってラブに襲いかかる。くぅん、と子犬さながらの声が耳に入ったとき、彼女は呟いた。 「妾は外道だな。されど救われた思いだ」 口の端から血をこぼしながら、ぐううと唸り、こちらを睨みつける。強引にリベリスタ達を突破せんとして、ラブは体を捻ると全身をぶつけにかかった。 「……悪いねラブ。本当に独りぼっちなのは君の方だもんね」 辜月を庇って立つ姓の姿勢は、ラブの意志を受け止めるようにも見えた。しかしそれは、一方的な受容ではない。己が名も已にそこに埋もれた。幾多もの名に塗り潰されて黒い卒塔婆『氏屍』からなのか、あるいは姓自身からなのか、気糸が不気味なほど精密にラブの泣き所を搦め撃つ。護るための力に特化した要もまた、可憐な一人の女性でありながら、鉄壁の不沈艦の如くその場に立っていた。共に戦う者には敵を滅する戦いの意志を高める神聖なる加護を与え、自らはあらゆる攻勢をも跳ね返す構えを取る。怒りに燃える瞳と目が合った時、要は問うた。 「家族の死の要因は確かに貴方でしたが、それは不慮に依るところで、その責任を感じて女性と共に在る事を選んだのではありませんか」 元より、答えが返るとも思っていないが――。尋ねたところで、為すべきは何も変わらない。ラブの体を押し返す刹那、その瞳にゆらぎを見たような気がした。後に控える辜月も戦場を油断なく観察し、適切な指示を飛ばしていた。聖なる存在の御言に触れた息吹が、癒しとなって戦場を駆ける。 戦いが始まるや否や飛び出してきた杏里は、光源を携え仲間達の動きを補佐していた。ラブの牙が出血を齎し麻痺毒を備えたものだということは交戦するうちに分かってきていた。 「まだまだっ! これくらいなんくるないさー」 時に光を放って纏わりつく邪毒を振り払い、時に冬の雨よりも冷たい魔雨を降らせ、決して折れることなく杏里は戦い続ける。仁太の射手としての、狙撃手としての勘が研ぎ澄まされる。それは獲物を狩る獣のように、爆発せんばかりの一瞬にすべてを賭けて。 「生き残りたいなら、力で打ち勝つしかないんや」 禍々しい巨銃『パンツァーテュラン』から、恐るべき勢いと質量を持った弾丸が雨霰と降り注ぎ、轟音と爆煙を以て容赦なくラブの急所を撃つ。暴君の通り過ぎた後には、塵ひとつ残らぬと示さんばかりに。 「……ラブよ、もう終わりだ!」 戦線にベルカが加わる。獅子心を持つ猟犬は、【家】の実験体達の遺品である『один/два』を携えて立つ。ベルカだからこそ心をめぐる思いは様々にあれど、せめてこの者に引導を渡してやろう。背筋が凍るような殺意の視線に射抜かれて動きを止めたラブに、ヘキサが駆けた。『HEXA-DRIVE』の軌跡に沿って舞い散る炎は、送り火のようでもあって。 「何でねーちゃんの家族を殺したかは知らねェ……」 それは、結局わからなかったけれど。 「けどお前、ねーちゃんのことが好きだったンだろ? 自分が化物だって知ってながらさ」 半ば閉じかかった瞳に浮かんだ微かな悲哀の色に、ヘキサは語りかける。 「心配すんな、殺したことはバラしゃしねーよ。お前はそのまま、ねーちゃんの家族だったってことでいいンだぜ……後のことはオレたちに任せな」 死出の餞に、今の自分ができることを。 「喰い千切れ! ウサギの牙ァッ!!」 蹴り下ろされた無数の刺突からは、手向けられるように光の飛沫が飛び散る。濁った感情の色を宿した顔が、最後に少しだけ和らいで、微笑んだような気がした。 みんな元気にやってるし、動物たちだって、飼い主を犠牲にしてまで一緒に居たいとは思ってないよ、と。さしもの杏里も用意していた言葉を飲み込んだ。つくられた記憶の下とは言え、甘くない仕事を終えたリベリスタ達を待っていたのは、取り乱した娘からの罵倒だった。 「君は失うものなんてもう無いと思ってるかもしれないけど、今ここに君を見ている人達がいるよ。助けたいって思ってる、君は今独りじゃない」 囈言のように同じことを繰り返す娘に、姓が言う。 「あなたたちにはわかりませんっ、どうせ他人でしょう!?」 「ああ、誰だって最初は他人だ。けど知り合いになる位なら案外簡単だよ 私は姓 君の名前も教えてよ」 一瞬驚いたように姓を見上げた娘は、すぐにまたお断りしますっ、と声を張った。 「……あは 私なんか嫌いかな 君を沢山傷つけてしまったものね」 返って来たのは、再び意外な答えだった。 「罵っていいよ 辛いなら吐き出せばいいんだ 君が心を人に開ける様になるなら、憎しみも悲しみも全部受け入れるよ」 「……あかり。あかり、です」 娘は俯いたまま、震える声でそれだけ絞り出すように答えた。 「お怪我を、されてますね」 娘の手首の傷跡に目を留めた辜月が、せめて体の傷くらいはと手当てを申し出る。彼もまた、娘が吐き出したいことがあるならば、恨み言でも全て聞くつもりだった。 (償いにすら成りませんが、ただ受け止めるために) そして、自ら手にかけたラブにも、祈り捧ぐ。 (どうか安らかに……) ひたすら泣き続ける娘に、シェリーが言葉をかける。 「大切な者を失うことを恐れてはいけない。一人になったとしても、大切な者との思い出を胸に、強く生きていかなくては、勿体無いではないか、その思い出が……」 貴女を待っている人がいるのだ、と。シェリーの言葉に、娘はわっと声をあげて泣いた。 * 最後まで、嘘をつき通すと決めた。 『ラブはこっちで元気でやってるぜ!ねーちゃんは心配すんなよなッ!』 ヘキサの送った手紙に、返事が来たことは一度もない。最後にラブが亡くなったと伝えてから、どれくらい経っただろうか。久しくしてヘキサのもとに届いたのは、愛犬の写真を肌身離さず持って歩く娘と、そのまわりに立つたくさんの人々の写真だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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