● ふわりふわりと、茶色の髪が靡いた。 車と車のぶつかる音。ブレーキ音。絶叫。鼓膜を叩く音は沢山で。けれどその中の一つも、男の心を動かさない。 「雑音、雑音。同じ声なのにどうしてこんなにも違うのか。……嗚呼。シアー、君の声が聞きたいよ」 口ずさむ音律は僅かにさえもその音色をずらさない。完璧で完全な、けれど人としての揺らぎに欠ける声。 つまらない、と思った。自分の出す音さえも。あの至高の音色には届かない。楽団の歌姫。美しき純白の。 早く始末しよう。橋で転がる一般人の頭を蹴り飛ばして命を絶って。男は進む。もっともっと、たくさん集めねばなるまい。 他でもないシアーの――否、『恋敵』とでも呼べばいいのか。我らがコンダクターの、指揮棒は振るわれたのだから。 ざり、と。砕けた硝子を踏んでもう一歩。進みかけた足を止めるような、殺意の気配。 「……だめ。ケイの相手をしてちょうだい」 金属が擦れ合う音。叩き付けられたナイフを受け止めて。目の前の少女と視線を合わせた。 ひょろり、と背ばかり高くて細い身体。少女とも少年とも言えないそれは、漆黒の瞳に怒りにも似た揺らぎを乗せて、立っていた。 「勝ち目がないのが分からないのかい? 嗚呼、喋らなくていい、君の声が――」 「関係ないわ。ケイのお仕事は、あなたをここからすすませないこと」 さあ遊びましょう。じわり、と。地面に零れていた夥しい量の血が蠢く。この身に宿る二律背反。愛と殺意。温もりと死体の温度。 紅の雨が降り注ぐ。瞬きもせずに、此方を見つめる少女に男は笑う。悪くはなかった。 「仕方がないね。まぁせいぜい、素敵な歌を聞かせてくれ」 彼女には遠く及ばないのだろうけど。くすくすくす。笑う声まで一定に。鋼鉄の喉を持つ男は、酷く平坦な愛を謳う。 ● 『……どーも。時間がないんでこういう形式だけど、今日の『運命』よ。良く聞いて。資料は狩生サンから貰って頂戴』 ノイズ交じりの声。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は、少しだけ早口に言葉を紡いだ。 『あの『コンダクター』率いる『楽団』が暗躍してるのはもう知っての通りだと思うんだけどさ。……彼らが、動いた。 ほんと、やになっちゃうけどまさにオーケストラね。ケイオスの振るう指揮棒が激しさを増したのかしら。一般人でもリベリスタでもフィクサードでも構わずに、只管に戦力を集め、恐怖と社会不安を振りまく、って言う序曲はもう十分だったんでしょうね。 視えたの。あれだけ密かに動いてた奴らが、一気に動くのが。……どれだけ重大か分かるでしょう。あいつらは、この日本自体に壊滅的なダメージを与えようとしてるのよ』 かの『白い鎧盾』がそうであった様に。無償かつ際限ない兵隊を持つ楽団員が牙を向けば、被害は避けられない。避けようもない。深々と、溜息の漏れる音。 それを聞きながら『常闇の端倪』竜牙 狩生 (nBNE000016)は静かに資料を差し出し、その眉を寄せる。 「狙いは全国各地の中規模程度の都市ですね。……死体が増えれば増えただけ、状況は不味くなる、と言う事ですか」 『その通り。まぁ、そんなのあたしらは勿論、主流七派みたいなフィクサード集団も黙って見てる訳無くてさ。……あの、恐山の千堂だっけ、あの人が言うには、『裏野部』『黄泉ヶ辻』以外はあたしらと遭遇しても敵とは判断しないそうで。 あたしらにも同じ対応を求めてきたみたいだけど、沙織サンがそれを呑んだみたいね。だからまぁ、事実上の友軍って事。今回の戦場には居ないと思うけど、覚えておいて。 ……状況は最悪ね。正直、ケイオスは最悪の相手って言って間違いないと思う。でも、だからこそ片付けなきゃいけないのよ。……こんなの安っぽい映画みたいだけど、あんたらに日本の命運がかかってる』 上手くやってね。其処まで言い切って、微かに息を吐いたフォーチュナは静かに、資料を開いて、と口を開き直した。 『向かって貰うのは岩手県奥州市。其処にある橋で、あんたらは戦う事になるわ。比較的人が良く通る橋で、既に車とか人とかが散乱して大混乱。人払いも出来てない。 現場に居る楽団員はフラミーニアと言う男。……彼の楽器はその喉。メタルフレームで、喉と腕が金属みたいね。 調律師らしくて、その声が武器になる。死体操作以外に、声による共振であんたらに攻撃してくるみたい。……死体を増やしたり、事故を起こさせたのもその力のお陰みたいね。 敵は死体と彼のみ。対策を打たないと、現場以外の民間人も巻き込まれて、死体が増えるわ。そうなればどんどん不利になるから、気を付けて頂戴』 此処まで大丈夫? 確認の声と紙の擦れる音。もうひとつ、話がある、と吐き出された声は重かった。 『先遣隊が向かってる。……、……あんたらが来るまでの足止めと、一般人対策だったんだけどね。たった今、2人かな。死体の仲間入りしたみたい。 ……全員アーク所属のリベリスタ。本人たっての希望で、相沢・慧斗って言う女の子が、隊を指揮してそっちに向かったの。彼女と、2人はまだ無事だけど疲弊してる。 恐らく足止めは出来てる筈よ。すぐに向かえば、3人ともまだ無事の筈。……慧斗チャンが、自分の持ってたアーティファクトで仲間を守ってるから。 まぁ、知ってる人も居るだろうけど、彼女は元フィクサード。詳細は資料にあるから、確認しておいて。……信頼のおける子ではあるから大丈夫、裏切ったりしないわ』 幾度目かの、溜息の音。どうか無事で、と漏らされた声と共に切れた通信。それを確認して、青年は静かに目を伏せる。 「今回は、私が同行します。出来る限りの手を尽くしましょう。……どうか、宜しくお願い致します」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月12日(火)00:00 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 砕けた硝子を踏みしめた、不快感を伴う軋む音。それを、気にも留めないまま。『忠義の瞳』アルバート・ディーツェル(BNE003460)の手首が鋭く振られる。投げられた無数の刃が引く呪縛の気糸が、的確に蠢く死者の一つ、魔術師だったものの足を縫い付ける。 誰よりも速く。遠い頂を目指すのはあの日味わった悔しさ故に。作戦の邪魔になるものを、迅速かつ確実に。排除を狙う彼の動きを支えたのは無論、その目と直観ではあったが。 「……11時方向の元デュランダルは捕縛出来たッス。もう片方は反対、およそ1時から2時の間辺りに」 何処までも正確な状況把握。作戦を遂行する上で、変動し続ける状況と言うのはある意味最も、その成功を揺らがせる要因のひとつである。しかし、それを手中に収める事が出来ているなら。 遂行率は、一気に跳ね上がる。しゃらり、と。握られたタンバリンが立てる澄んだ音。『小さな侵食者』リル・リトル・リトル(BNE001146)の瞳は、些細な戦場の変化も見逃さない。生者と死者を見極めて。指先からタンバリンまで伝う冷気。 音も立てずに踏み込んで、纏う薄絹がひらりと揺れる。仕込み刃と、触れた先から凍てつく傷口。とにかく、脅威を縫い止める事だけにその力を裂く二人の背後では、警官に扮した『闘争アップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)と『絹嵐天女』銀咲 嶺(BNE002104)が一般人へと避難を呼びかけていた。 「皆さん、こちらの方向は通行止めです! 大変危険です!」 拡声器を通し張り上げた声も怯え逃げ惑う人々には届かない。寧ろ、此方を向いたいくつかの瞳が抱くのは恐怖と、ある種の憎悪にも似た色だった。何をやっているんだ、警察なら早く何とかしろ。罵声と悲鳴が入り混じる。 集団心理とは時に最も恐ろしいものだ。一人が声を上げた程度では止まらない。我先にと押し合いへし合い、泣き叫ぶ子供さえ足蹴にする人間の醜さが、露呈する。嶺の表情が微かに歪んだ。 「大丈夫だから、ほら、立って!」 転がり泣き叫ぶ子供を何とか引き上げて。『トゥモローネバーダイ』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)は声を張る。少しでも多くを救う。それは彼女の役目であり、騎士である為の決意でもあった。 目の前で自由になんかさせてやらない。敵のブロックを行いながらも、その手は潰えそうな命を引き上げる。逃げなさい、と言えば走っていく小さな背。あの背を護る為に、此処に来たのだ。 死を穢す楽団の全国ツアーだなんて、こんな笑えない冗談も無いだろう。肩を竦めて前を見た。その横で、少しでもこれ以上の流入を防ぐように車を弾いた義衛郎も、収集のつかぬ状況に眉を寄せた。状況は全く持って良く無い。まあ好き勝手にやってくれた事だと、深いため息が漏れる。 「……全く以って度し難い連中だな」 微かな、溜息。先遣隊を含めても、此方はたった11名。その内の2名が、避難誘導に、そして障害物の移動に手を裂き続ける。それは、想像以上に戦況には『悪影響』だった。 倍以上の敵の手が、リベリスタへ、そして、一般人へと伸びていく。ぐじゅり、と水の詰まった袋が押しつぶされるような音がした。死の行軍は止まらない。数は暴力を体現するような敵に、傾きかけた戦場に、ひとひら。 落ちたのは美しい蝶の翅。続け様に幾重にも。境界線に舞い踊る、艶やかなそれが降り注ぐ。『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)はつい、とその指先を伸ばした。舞い降りる、燐光帯びた黒揚羽。紅の瞳が緩やかに細められる。 楽団の、臭いがした。染み付いた胸の悪くなる死臭。死を穢し、命を躙り、他者の尊厳を食い荒らす。性根の腐れた彼らにぴったりなそれが。厭わしい、と囁く程の声で呟いた。 死を被るのは自分達とて同じだ。けれど決定的に違うのは。やはりその心なのだろう。夥しい鉄錆のにおい。それを纏ってでも、死に抗い守らんとする手がある。無力故に逃げ惑う姿がある。だから。 「私は私の出来る事をやり通すわ。……よそ見しないで、貴方達の相手はこっちよ」 さらり、と流れるゆきのいろ。数に負けるのならば、手数で勝つより他無い。徹底的に撃ち込まれた刃は少なからず戦況と言う名の天秤を此方に引き戻したようだった。 その様子を横目で見ながら。淡く色付く唇から零れ落ちる神聖なまじない。招かれるのは、遥か高位の癒しの一端。激しくも優しい風が、傷付いた先遣隊の傷を一気に癒す。ひょろり、と高い背が振り向いた。目が合う。 「慧斗! 下がりなさい、3人とも」 必ず護ると誓った、小さな背だった。『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064) の表情に浮かぶのは、安堵と優しい怒り。療養中だと聞いていたのに、こんな無茶をして。もしもこの命が失われたら自分は如何したのだろうか。 背筋の冷える感覚に、首を振った。間に合ったのだ。ならば、後は共に帰るだけ。伸ばされた手は何時かと同じで、けれど、少女は嫌々と首を振った。 「だめ、戦わないといけないの。ケイは、リベリスタのお仕事をするの」 言う事は聞けない。嫌がる少女に眉を寄せた。触れた鮮血が舞い上がり、敵を痛めつける豪雨に変わる。此の侭此処で戦う、と駄々をこねる少女を、見つめたのは数瞬。少しだけ近付いて、ぱしん、と。少し高い音が響いた。 「貴女一人で戦っているわけではないのよ。……勝手に居なくならないで、ね?」 少しだけ紅くなった頬。驚いた様に此方を見上げる身体を、確りと抱き締める。この細い身体を愛して守ると決めたのだから。何をしてでも、後ろに下げる。例えそれが、彼女の痛みを伴うとしても。 少女が、僅かに身じろいだ。小さく、わかった、と聞こえた声に安堵する。『常闇の端倪』竜牙 狩生 (nBNE000016)と視線を交わして後衛に位置取った。ざわり、と蠢く紅の壁が、リベリスタの周囲で蠢く。 巻き返しは此処からだ。各々の武器を握り締めて。リベリスタは目前の敵を見据えた。 ● 橋上と言うのは、トリックが実行しやすい場所である、と。『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)は言う。戦場の特性を生かし罠を張る。それは戦略を立てるにおいて当然のことだ。 けれど。もしもそれを考えていないと言うのなら。翻る漆黒のコートと共に、顕現するのは物理的圧力を持った思考の奔流。極限まで集中し高められた思考能力が齎す威力は凄まじい。 振り抜かれた足と共に吹き飛ぶ死体と水の音。誘う様に橋の縁に立つ彼の意のままに、死体は水底へと落ちていく。からん、と落ちる薬莢。 「無策は無知より尚救えないな。我が手によって水底に沈め」 数が多いのなら、戻れぬ位置まで落とせばいい。倒すばかりが策ではない。すう、と細められた目に、楽団員は嫌そうに眉を寄せた。続け様、舞い飛ぶ気糸はもう一人の帰らぬ仲間を狙う。ぎりぎりの所で捉え切れなかったそれを見遣りながら。 アルバートは僅かに、下がった少女の姿を見遣った。顔色は酷く青ざめ決して良く無い。集中しているのか此方の視線に気づく気配を見せぬ少女の力は、以前ほど底なしには見えなかった。 「……相沢様、ご無理をなさらないでください」 主が彼女を愛するのならば。彼女は自分の守るべき対象だ。彼女が求め続けたが故の技を己も得る事が出来たなら、きっとずっと、この状況を良くする事が出来るのだろうけれど。 覚悟があっても、その心への理解は届かない。だからせめてと身を案じる声に、少女は緩やかに首を振る。まだやれる、とその瞳は言っていた。ならば、その力は頼るべきなのだろう。澄んだタンバリンの音色が響いた。 踏み鳴らす地面に散るのは硝子と鮮血。けれど、その姿は何処までも艶やかに。死体の只中に飛び込んだ姿が、ふわりゆらり。踊り子の衣装が舞う度に散る鮮血。ぴん、と背を伸ばす。 「死線で踊るのも悪く無いッスよ。……まぁ、もう踏み越えた後ッスけど」 命のやり取りをするには、敵はあまりに冷たすぎる。倒れた、もう戻らぬ仲間だったものを見据えた。仮初の生は何処までも歪んで、冷たいのだ。気付けばもう、一般人の姿は見えなかった。美しい羽衣も、気付けば色の変わり始めた赤褐色。避難誘導は、一般人だけではなく敵の注目だって集めてしまう。 既に一度飛んだ運命を感じながらも、嶺は浅くなる呼吸を整える様に、その視線を前方に投げる。仲間の精神力を補う事に手を裂かねばならなかった彼女に漸く回ってきた好機。此方を未だ何も言わぬまま、歌声だけを奏でて見つめる男と、視線を合わせた。 お姫様になれなかった女の子は魔女になる。ならば。王子様になれなかった男の子は悪魔になるのだろうか。何が出るか。それは、今この瞳で捉えよう。限界まで高めた脳がフル稼働する感覚を感じた。 「……解析、させて頂きます」 流れ込む情報は多くは無い。未知数過ぎて理解が及ばない。ネクロマンシー。死霊遣い。既に知り得ている情報以上のものは其処には無かった。歌う喉が、特別である事以外には。 死霊を操る術は総て其処に。ならば喉さえ潰せば、と、口を開きかけた彼女へと。撃ち込まれたのは、死霊の弾丸。怨念が寒気のするような呪詛が身を巡った。ぐらり、と、その膝が崩れる。 「リベリスタ、と言うものは随分と余裕があるようですね。この程度では物足りませんか」 一定の音律を保った、声がした。能面の様に、表情が変わらぬ男が此方を見つめる。死体に群がられ危険に晒されかけていたアルバートの前に立つレナーテが、その眉を寄せる。彼女が如何に優れた庇い手であろうと、その手は一つしかない。 護り切れないものがある。嗚呼。それは恐らく誰かがもう幾度も味わう感覚で。それでも、レナーテはその手を伸ばす事を止めようとは思わない。 「楽団っていうからどんな声かと思ったけど、大した事ないわね!」 嗚呼、なんてつまらない声。嘲る声にも動かない表情。その間にも、義衛郎の姿が掻き消えた。足音も、舞い散る鮮血も、何もかもを置き去りにして。千年血戦は汚れない。残像が、彼自身が、敵を裂く。 とにかく数を減らす為に。動くのは彼ばかりではない。幾度目か、美しい蝶が、群れをなして降り注いだ。糾華の瞳が微かに背後を振り向く。見知った顔だった。出会いとは随分と異なる表情をする少女を見据えて、僅かに笑った。 「頑張ったわね。貴方達の奮闘がなければ、私達が間に合わなかった」 必ず共に敵を討とう。そう告げれば応える様に降り注ぐ鮮血の雨。味方であるリベリスタの肌を濡らす事無く落ちるそれが、戦況をさらに、引き寄せる。歌声が、少しだけ力を増したのを感じて。レナーテはもう一度だけ、口を開く。 「――こんなんじゃ歌姫さんの方もたかが知れてるんじゃなくて!」 空気を裂いた声。ぴたり、と。その歌声が止んだ。僅かに動きを止める死体が、一斉にレナーテに向き直る。狙い通りだと、微かに笑いそうになるのを何とか抑えた。震える肩が見える。其処にある感情は怒りだ。間違いなかった。 「シアーの歌は、この世のどんなものより美しい! もっとも、君に理解出来るとは思わないがね!」 「理解したくも無いわ、お生憎様」 動き出す。迫りくる死体と苛烈すぎる程の歌声。度重なる攻撃にしかし、レナーテの身体は揺らがない。未だ動いていた、仲間だったものと目が合った気がした。解放してやらなくては。咳き込めば血が混じって、けれど。それでも。 騎士は倒れない。否。燃え立つ運命の残滓が、その瞳で微かに揺らいだ。庇い守る為ならば、その程度惜しくもなんともない。彼女の声に応える様に、齎されたのはもう幾度目かの癒しの息吹。 回復を続けるティアリアも、決して無事では無かった。後衛を狙う攻撃に、その運命はもう一度燃えている。それでも彼女は、癒しの力を振るい続けた。負ける訳にはいかないから。 「ティアリア、無理しないで。……だめだよ」 「ええ。大丈夫よ、心配しないの」 この子が居る限り。ティアリアは死ぬ訳にはいかなかった。そして、死なせる訳にもいかない。何時か、家族となると約束したあの子の代わりに。今度こそ、確りと繋いだ手は、離さない。 此処で死ねば、先は無いのだ。それを裏付ける様に、オーウェンの手によってリベリスタだったものの遺体が地面へと崩れ落ちた。 ● 戦況は、リベリスタ優位に傾いていた。即座に革醒者の死体を始末した事が幸いしたのだろう。気付けば、死体の数も減り始めている。 しかし。その代償も少なくはない。先遣隊に目を配り続けたアルバートが、前線を駆け続ける義衛郎が、既にその運命を燃やしている。けれど、漸く手が届くのだ。忌まわしき、歌い手に。 ゆらり、と。車両の窓の影が揺れる。奇襲だ、と視線が流れた一瞬を突く様に。横合いから叩き付けられる思考の奔流。跳ね飛んだ死体が車に叩き付けられずるりと落ちた。音も立てずに、地を踏んだ足。 戦場と言うものを誰より理解し思案し続けるオーウェンだからこそ開く事の出来た突破口。驚きを浮かべた歌い手と視線を交えて、薄く笑ってやる。 「戦場は不動だ。しかし、戦況は生き物だ。常に動き続けるのだよ。尤も――死しか見られぬお前さんには理解出来ないかもしれないがね」 リベリスタの猛攻は終わらない。刃が結ぶ捕縛の気糸が、歌い手の足を縫い止めんとする。それを交わそうとも、飛び込む小さな影。澄んだ音色と、舞の美しさとは対象的に。その手が持つ刃の威力は恐るべきものだ。 脇腹を抉る。けれど、それでもリルの動きは止まらない。視線を交えて、死線で踊るのだ。高揚する。何処までも危うい生と死の狭間の綱渡り。血が冷える感覚は好ましくは無いけれど。この、何処までも高鳴る感覚は、嫌いではなかった。 「死んだらお先真っ暗ッスよ。そこには何も無いんス。……だから」 その先を無理やり作るなんて事は、許さない。もう一度、確かな傷を与えた彼の背後から、死体を切り裂いた義衛郎が倒れ伏す嶺を引き寄せる。倒れ伏すだけで危険なのだから、無理をしてでも助けねば。それが、彼女であるならば尚の事。 抱え上げた身体は未だ、確かな熱を持っていた。生者が持つのは、熱と意志だ。それを失った、仮初の生など何の意味も持たない。差し出される白い手と、舞い降りる黒揚羽。音も無く振られたそこから飛び出したカードが、歌い手へと不吉を告げる。 それは、嘲笑う様に歌い手を見つめる。ぐらり、とよろめいた膝。それを見つめながら、糾華は薄ら笑う。 「そんなに悲鳴が聞きたければ、己の悲鳴の点数を付けなさい」 聞くに値もしない雑音に過ぎないけれど。その瞳は何処までも冷やかだ。生を奪い死を穢すものに、与える慈悲なんて持ち合わせてはいなかった。 ぽたぽたと。真っ赤な血が零れ落ちる。失われた幾つもの命と、零れた自分達のそれと。そして、今こうして与えた傷から流れ落ちる真っ赤な色。酸化し黒ずんでいく筈のそれも、即座にリベリスタの戦力へと変わる。 「嗚呼、嗚呼、この血はシアーの為にならない! 死体一つ持ち帰れぬなんて、彼女はどんな顔をするのか!」 悲嘆にくれる声も、何処までも一定で。けれど、その傷は深い。じりじりと、後退る。僅かに残った死体を盾にして、逃げようとするその背へと。 叩き込まれたのは、レナーテの盾。全力を込めたそれが、鈍い音を立てて胸骨をへし折る。ぐらり、と傾いだ身体は、そのまま橋の外へと倒れ込んで。 ばしゃり、と。響いた水音は一つ。死体が、力を失い地面へと崩れる。死んだのか、それとも流されたのか。確認こそ出来なかったが、間違いなくその脅威はその場を去っていた。 安堵の溜息を漏らしたのは誰だっただろうか。濃い血のにおいと一緒に、微かに、腐臭は残るけれど。敵はもう、その指先さえ動かさない。 後始末の準備を整えながら、リベリスタはそれぞれに、他の戦場へ、誰かへ、思いを馳せる。 同じ様に。たった一人の為に歪んだ愛をうたいつづけたこえは、やはりどこにも届かなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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