●Limited Life 加藤直樹は山梨県小淵沢町に生まれた。 小学校時代は活発な子供だった。 中学校では羽目を外したらしいが、丁度その頃に恩師と出逢い、やがて彼は教員になる決意をした。 猛勉強の末に合格した国立大学を卒業し、熱心に教鞭を振るう傍ら、大学時代の彼女と七年に及ぶ恋愛をした。 それから夫婦生活三年目の冬――この日に死んだ。 三上康子は神奈川県横浜市の保土ヶ谷区に生まれた。 山梨県北杜市を観光がてらに死んだ。 加藤直樹の妻、歩美は変わり果てた夫の姿を信じられぬまま死んだ。 本木亮子は二十七歳で死んだ。 小林高志は死んだ。 佐藤は死んだ。 池田死んだ。 死んだ。 死んだ死んだ死んだ死んだしんだしんだ―― ―――― ――――――殺された。 儚い人生が塗りつぶされて行く。なぎ倒されるように崩れて行く。 その人生も、人柄も、思い出も。総てが何一つ省みられることなく消えて逝く。 幼子の足が霜を踏みにじるように―― 「これで四十七人ね」 うずたかく積みあがった死体の只中で調子はずれのフィドルをかき鳴らす少女が胸を張った。 「そう。私は四十八」 燕尾服の少女が手にしたリュートを爪弾く。奏でられたのは物憂げなアルペジオ。 二人の少女の一挙手一投足が、人々の命を奪って行く。 惨劇が始まって僅か数分のうちに、寒風吹きすさぶリゾートホテルの石畳は鮮血に彩られていた。 眼前の人型に拳銃を押し当て、日下部は引き金を引いた。大口径の拳銃から放たれるマグナム弾に、腹腔を背まで引き裂かれた人型は宙を舞う。普通であれば、これで終わりだ。 だが中空に跳ね跳んだ人型が地に落ちる前に、桔梗はその腕を、首を、斬り飛ばした。 なにせ相手は切り刻まれ、粉微塵になるまで襲い掛かってくる死体の化け物なのだから。 耳の奥に人々の悲鳴が聞こえる。今、この時も死者の数は増え続けて居る。 倒せど倒せどきりがない。このままでは日下部達は力尽きるのを待つばかりだ。 一か八かの賭けをするならば、死者達を操る二人のフィクサードを狙うという事も考えられる。だが、いかにしてたどり着くのか。 それにたとえたどり着いたとしても少女二人はかなりのやり手なのだろう。一見無防備に演奏を続けているように見えるが、まるで隙がない。 「ねえ、なんのつもり?」 演奏の邪魔だと言わんばかりに少女が吐き捨てる。 「家族が――世話になりまして」 それ以上の返答はなく。影主は指で鍔広帽を持ち上げ、サーベルを抜き放つ。 闇を凝固させたかのような外套をはためかせ、跳躍。斬撃。 「ねえ、あの公園で手に入れたのはゴミみたいなものばかりだったけど」 だが―― 「……一つだけ」 剣を弾いたのは一振りの太刀。死者達の呻きと狂乱の叫びを切り裂くように、鋼の悲鳴が大気を劈く。 切れ長の瞳を茜色に染めて、女の身体は透けている。おそらくこれも死者なのだろうが、恐ろしい程の技量だ。 その背に亡者達を引き連れて、笑う、哂う。嗤う。 死者達の歌声に合わせ、死者達の頭を足蹴に二人の少女は舞い踊る。 その影にリベリスタ達の牙は届かない。 ●Ark Antebellum. ブリーフィングルームに置かれた携帯型加湿器から、小さな沸騰の音が聞こえる。 桃色の髪の少女は押し黙ったまま、モニタを注視している。 「この。一般人を襲うケイオスの楽団と、このリベリスタの連中が戦っている。と」 リベリスタの言葉に『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)は、やはり無言のまま頷いた。 同様の状況が日本各地で同時多発的に発生しているという。いよいよ第二波という訳だ。 一般人の犠牲者の数など、最早数える気にもなれない。 この戦域におけるアークの課題そのものは、言ってしまえばそれほど複雑ではない。要はケイオスの楽団を撃退すれば良いわけである。 それにこの野良リベリスタ達『ダムナティオメモリアエ』は明確な友軍だ。かつては逆凪に属するフィクサードとして、仁蝮組と共にアークとの交戦記録こそあるが、現在はリベリスタとして活動しているという話だ。 組織の長はエスターテの育ての父だとも言う。 亡者達の一部は、この組織が楽団に襲われた際の犠牲者らしい。完全な共闘体制の構築も容易だろう。 また資料によれば、組織と対峙していた太刀を振るう亡霊は、ジャックとの決戦で三ツ池公園で戦死したフィクサードのはずである。 そのフィクサード宮部茜は、狂犬のようにリベリスタやフィクサード達に刃を向け、決戦の時に後宮シンヤとの戦いで死んだ。 報告書によれば、その死に様は満足しながら散った言う。 憶測でしかないが、恐らく未練などあるはずがない。死してなお、力を利用されているだけなのだろう。 兎も角、どうであるにせよ胸糞の良い話ではない。 「まあ。共通の敵に対するリベリスタに助っ人しろって感じかね」 「その……」 リベリスタの結論に、エスターテは言葉を濁す。どうしたと言うのか。 「敵が……多すぎます」 冬の大気のように渇いた声音。 確かに。死者の群れ、特に一般人を素体としたものは雑兵とは言え、並のフィクサードとは比べ物にならない程タフだと知られている。 全て撃破するのは、恐らく物理的に不可能だ。あまりに数が多すぎるだろう。 敵陣に深入りして、数に飲まれてしまえば脱出は困難を極めるだろう。状況はともすれば命さえ失いかねない危険を孕んでいる。 ならばどうするべきなのか。 死者や霊魂を操るメカニズムは定かではないが、おそらくこのフィクサードの場合は所持する楽器に鍵があるのではないかというのがアーク本部の分析らしい。 ならば最善なのは、フィクサードを殺す、楽器を破壊するなりして、その演奏を完全に止めさせてしまう事なのだろうか。それすらも確実とは言えない訳だが―― ブリーフィングルームに重い沈黙が落ちる。 「どうすりゃいいんだよ」 静寂を破ったのは、再びリベリスタだった。 そこには巨大すぎる問題があったのだ。 つまり。たとえばこうすれば勝てるだとか。これを満たせばいいだとか。そういった明確な回答が用意出来ないのである。全てが仮定の領域を脱出出来ていない。大体、一つ、また一つと、推測というものは重ねれば重ねる程、信頼性は低くなるのが常だろう。 それでもアークがしくじれば、被害はこの場所に留まらず一気に拡大する筈だ。ホテルひとつから町ひとつ。町ひとつから都市ひとつ。それからどうなるかなど考えたくもない。 リベリスタ達は是が非でも、この被害、悲劇に終止符を打たねばならないのだろう。 エスターテの静謐を湛えるエメラルドの瞳に影が落ちる。 少女の言葉数が少ない、その理由は。 彼女には分かっているのだ。 この状況は彼女の家族であるダムナティオメモリアエの危機でもあると。 そしてアークにとっても危険すぎる状況では、共闘相手の安全など後回しにせざるを得ない事も―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月07日(木)00:08 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●Symphonie:Die Unvollendete. 一組の男女がコンクリートの小さな門から走り出してくる。 その背後には人、人――人の群れ。 次に、もみ合いながら四人。 狭い門なのだから一人ずつ潜り抜ければいいのに。我先に飛び出そうとする浅ましい動物的本能が、彼等の目的達成を遅らせている。 二十台後半の男が、段差に足を取られ転倒する。走り去る仲間達は気が付かない。 吐瀉物がフランス製のダウンジャケットを汚す。 男は奇声を上げながら仲間達の背を追った。 山梨県北杜市小淵沢にある冬のリゾートホテルは、例年であれば幸せそうなスキー客、観光客で賑わっている。 より正確に記すならば、この冬もそうであった。 今日、この時までは。 それから聞こえた一際大きな悲鳴の主は一人の女だ。 門を潜り抜ければ視界に飛び込むのは単純明快な修羅場。男が女の首を締め付けているのだ。 悲鳴を途切れさせたのは、灌木を圧し折る音だった。女の首があらぬ方向を向いている。 男が腕を放す。女が崩れ落ちる。たった今まで首を絞めていた男は、その足元を省みることもなく次の得物をゆっくりと探す。程なく立ち上がる女も男と同じ顔をしていた。 どちらも蝋人形のように青白い。二人は――死者だ。 何を勘違いしたのかスマートフォンを取り出し、惨劇の撮影を試みる若者が死んだ。 屋外に設置された薪ストーブに突っ込んだ子供が死んだ。 スキーウェアに身を包んだ団塊世代の夫婦が死んだ。 自然派食品の購入を終えた途端に主婦が死んだ。 老婆が石畳に躓いたまま死んだ。 壮年が死んだ。初老が死んだ。 死んだ。死んだ。死んだ。 しんだ。 ――殺された。 山間のリゾートホテルを包み込む集団真理は、誰にも否応無く空気を読ませている。 人々の心を狂気が埋め尽くして往く。 あたかも―― (逃げ場なき恐怖演出な) B級パニックホラー映画そのままの情景に、『ダブルエッジマスター』神城・涼(BNE001343)は舌を打つ。 あるいはゲームの世界だろうか。どちらにせよ反吐が出る。 それならばグロテスクな3D映像に向けておもちゃの拳銃を構えればいいのだが、それで済まぬことをアークの面々は誰よりも良く知っている。そしてそれを止められるのは自分達しか居ないのだということも。 左右に聳える集合住宅様のテナントと客室が一本の道を構成している。 通りの中心部手前で、死者達の襲来をせきとめているのは数名の黒服達である。 この通りの名の由来でもある右壁からせり出したピーマンのような下細り円柱の建物をボトルネックにしている。 アークからの情報によれば、ダムナティオメモリアエと名乗るリベリスタの集団である筈だ。 「影主、桔梗、日下部!」 そうでなくとも知っている。叫ぶ『red fang』レン・カークランド(BNE002194)の声音には独特の感情が篭っている。 「大丈夫か、無理はするな。俺も手伝う」 「レン殿――心強い」 かつては命を奪い合い、それから彼等の姫君を仲間に迎え、最近は死者を操る楽団と肩を並べて戦った相手だったから。彼等ダムアンティオメモリアエの面々はアークのリベリスタとは既知であるのだった。 「アークだ、手助けに来た」 背に投げかけられた鈴の声音に、イタリア製の黒コートを纏う長身の男が笑う。 「いやオレ達を助けてはくれないか」 友軍の到来を凛と告げたのは『刃の猫』梶・リュクターン・五月(BNE000267)。 「ご好意、痛み入ります」 言葉を噛み含めるようなバリトンで影主は言葉を返す。共闘の盟約は成った。 ここで見えることになるとは思わなかったと『蒼銀』リセリア・フォルン(BNE002511)は瞳を細める。 ダムナティオメモリアエ。そして影主達は、彼女が所属する境界最終防衛機構-Borderline-の面々とはいくらかの因縁があるという。 対して、眼前の状況は深刻だ。辛うじて防ぎとめているものの、最早後が無いのは明々白々だ。 ブリーフィングルームで目にした影主達の判断に寄らずとも、中枢たる奏者達へ向けて一点突破し、撃破する他ない所まで来てしまっている。どうにかそれを嗅ぎ付け、襲撃直後に到着出来たリベリスタ達ではあったが、僅かな時間の内にこれほどまでに動く死者を増やすとは厄介極まる相手だ。 この状況で犠牲を出さずに死者の中枢である二名の楽団員を撃破することは容易なことではない。そんなことは怜悧な彼女でなくとも分かる。 それでも。 「――望まずして、得られるもの等ありません」 彼女自身も、アークの仲間達も、そして桃色の髪の少女の家族達すらも、全員を必ず生還させる。 たとえアーク本部が、そしてフォーチュナの少女自身が口に出さなかったとしても。リセリア等であれば成し遂げられなければならない至上目標に出来る筈だ。 兎も角、事情は互いに察して余りある。ダムナティオメモリアエの影主とて、アークの到着を期待していなかったと言えば嘘になる。当時フォーチュナを擁していた彼等を遥かに上回る万華鏡の恐るべき精度、アークの作戦遂行能力の高さは身をもって知っていた。 万華鏡の観測でも、当人等の実感においても、この地点で迎え撃つには無理がある。 だから『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)は声を張り上げる。 「焦燥院フツだ。斬風やツァインもいる」 かけられた言葉に黒服の拳銃が死者を穿つ。 「オレ達と一緒に行動してくれ!」 影主達は襲い来る死者を切り裂きながら頷く。 「退きましょう!」 あたかも、彼等を救う事そのものがアークの目的であるかのように『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)は叫ぶ。 遠くこちらを注視しながらも続けられる演奏を、かき消すような大声で。 殺到する死者は自律型のEアンデッドとは違う。あくまで操っているのは、視線の先に踊る二人の少女である筈だ。 ならば彼女等を僅か一瞬でも欺くことが出来れば、亘等は行動を次へと移すことが出来ると考えたのである。 何かを察したのか徐々に身を退き始めるダムナティオメモリアエの面々も含め、『青い目のヤマトナデシコ』リサリサ・J・マルター(BNE002558)は翼の加護を授ける。機動力そしてこの後の策の鍵を担う飛行能力は、大きな助けとなる筈だ。 唯一人の癒し手である彼女の精神は、気負う程に高まっている。 故に、鉄壁を誇る彼女はこの日あえてその身の護りをいくぶか削ってでも神秘の力を高める杖を握り締めていた。 状況が危険であることは分かっている。だがそれ以上に彼女は為さねばならぬ事を強く意識していた。 「屋根伝いにホテルまで行って、フィクサードを強襲する」 フツの説明は単純明快だ。 「協力してくれ!」 頭上を覆う冬の青空よりも透明で快活な笑み。 「なるほど」 ダムナティオメモリアエの面々が頷く。伝えられた作戦は分かりやすく、良いと思える。 後は。いかにしてそれを為すか。 リベリスタ達は説明も手短に、左右に聳え立つ集合住宅様の建物に手を当て、一気に跳んだ。 全員が右側に飛ぶ。ダムナティオメモリアエの面々を含めた一団は、そこで前後左右と中央に分かれた陣を組み、対処する算段なのである。突破力に優れた前衛、防衛力に優れた後衛、そして左右から前衛をカヴァーし、中央部を護る陣形だ。 ――――ニ ガ サ ナ イ。 演奏を続ける二人の少女の唇だけが告げる。 一団となり舞い上がるリベリスタ達へ向けて、空中の悪霊達が、地上の屍鬼達が殺到した。 舞い上がりながら亘は嘆息する。 僅か一瞬、二人の楽団員が地上に注意を向けなければ、相手の動作はより速かっただろう。そうすればリベリスタ達は死者の群に空中で完全に取り囲まれていた筈だ。逃すまいと考える敵の心理を突いたからこそ作り出すことの出来た一瞬の隙だった。 だが。 眼下に僅か一人。ダムナティオメモリアエに所属する日下部の足を、眼下の死者が掴む。 目標地点まで、あと六十七メートル。 ●Carry On. 「日下部ッ!」 桔梗が叫ぶ。屋根の到達までは僅かニ秒半。距離にして七メートルの筈である。それが、届かない。 日下部の舌打ちが聞こえる。 「楽団……やり過ぎだよ、お前等ッ……!」 怒りに震えるツァイン・ウォーレス(BNE001520)は、部隊の殿を務める算段だ。 こんな所で誰一人とて、脱落を許す訳には行かない。 だがツァインが剣を握り締めると同時に、日下部は自身の足首を切り落とす。 「飛んでいくなら、なくてもいいだろう」 涼しげな声音だが額に滲む汗は隠せない。想像を絶する激痛を伴っている筈だ。 日下部とてアークのやり口はよく知っている。恐らく、誰一人欠けさせるつもりなど無いに違いない。 必ずや日下部を救おうとする筈だ。だがそれではこの策は間に合わなくなるだろう。だから迷いは無かった。 こうして――リベリスタ達は誰一人欠けることなく屋根まで到達することが出来た。 「どうも、お久しぶりね」 屋根の上から眼下を睨む『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)の銀髪が揺れる。 挨拶代わりと鼻を鳴らす日下部に、返答する余裕はない。 糾華にとって、日下部、桔梗とは先の楽団戦を共にした仲でもある。思い返せば夏の終わり、桃色の髪の友人と食事をした時、あの黒塗りの車を運転していたのは日下部だったろうか。 今、この足はあのアクセルは踏めるのだろうか。 遠い日の昔――身体と心に深い傷を負った少女は、ごく身近なものを大切な宝物として生きて来た。その理念はこの戦いでも揺るがない。楽団が許せぬのは当然のこと、彼女はそれ以上に友人エスターテの家族を、そして友人自身の心を救いに来ているのである。 眼下に広がるのは絶望の色彩。死体、死体、死体、蠢く死体の群れ達。 こうして思考を巡らせている間にも、リベリスタ達は一丸となって壁によじ登る死体を叩き落し、悪霊を切り伏せている。 ここへ来る前に、友人はブリーフィングルームで、家族について何も述べていなかった。 リベリスタの常識であるならば、とてもではないが全員を護りきれるものではないことが理解出来る。それどころか己が身すら危ない。だから口を噤んで言おうとしなかった。言えなかったのだ。 「貴方達が死んじゃうと泣いちゃう子がいるのよ」 だから糾華も何も言わなかった。必ず守るつもりだ。 だって、それが友人というものではないか。それは日常という、糾華の一番守りたいものではないか。 僅かに浮遊しながら屋根を駆けるリベリスタ達。糾華と日下部。言葉は交わせども視線は合わせなかった。追いすがる悪霊と切り結んでいるから。それ以上に、口元だけで笑みを浮かべたであろうことが互いに分かるから。 にじり寄るように、死者達はリベリスタ達が集う屋根上を目指している。 壁に手をかけ、人ならざる握力で這い登る様は地獄のような光景だ。 フツが掌で頭を撫で付ける。 寺で修行中に聞かされたか読んだかしたどこかに、こんな光景もあったような気がしていた。それはどんな話だったか―― 奏者の少女も他の動く死者達も、死体を更に増やさんとする為に、人々を殺し続けている。 今も――『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)は唇をかみ締める。 振り上げた剣から放たれたのは癒しの力。日下部の体力をそぎ落とす足の出血を完治させるには十分とは言えないが、リサリサが与えた翼と共に、彼を死地から引き上げる役割は完璧に果たしている筈である。 全てを救う事が出来ないとしても。 この手で護れる命が限られているとしても―― そんな事は分かっているのだ。 だが。心が冷える。氷刃に貫かれたように痛い。 勇者は―― かつて長い時を病床に臥せ、夢見た物語の主人公達は、英雄達は、こんな時どうしていただろう。 彼等も、あるいはこんな感情を持ったのだろうか。 ディスクや携帯型カセットロム、書物の中の勇者達は人々を救い、やがては世界さえも救っていた。 可能な限りの生者を護り、かつて剣を交えた茜を始め、あらゆる死者を解放すること。 その程度のことは成し遂げてきたのではないのか。 出来る筈だ。やらなければならない。 目標地点まで、あと四十五メートル。 ●Lachryma "Lutenist" Lucrezia. 少女は嘆く。 生ある限り果て無き痛みを―― 燕尾服の少女達は濃密な死の波動を纏い、死者の上で舞い踊る。 「ねえ、見てアレ」 上目遣いに『死を踊る』フェネラル・”フィドラー”・フォルテは屋根上のリベリスタを見遣った。 「逃げるんじゃなかったの」 フィドルが踊る。次の曲目は名もなきスリップジグ。 死者達の頭上でステップを踏む様は羽根の様に軽い。そんな彼女を支える無数の掌は、ただその為だけに殺された青年達のものだ。 調子はずれも甚だしいフィドルのリズムを整えるように、『生を悼む』ラクリマ・”リューテニスト”・ルクレツィアはリュートを刻む。 「哀れね。生きているコトって」 左目の下を飾る偽者の涙は、小さなティアドロップのタトゥー。 「やりあうつもりなんでしょう」 いまこの時も犠牲者は、死者の数は増え続けている。 倒すことが出来たのは、おそらく僅か数体であろうが、増えた数は早くも二倍に届こうとしていた。 「やばくなったら撤退してくれ」 生死をあざ笑う二人の少女を見据え、ツァインは苦々しく吐き捨てる。 彼等が無茶をすれば悲しむ家族、桃色の髪の少女がアークに居ることをツァインは知っている。 寂しげな視線を漂わせたまま多くを語らない少女に、彼は面白おかしいあだ名をつけてやったりもした。 格別親しいという程ではないのかもしれないが、機会があれば飲食を共にすることもある。お茶友といった所だろうか。 だから、人と人との関係があるのはダムナティオメモリアエの面々だけには限らない。彼等アークの面々にとっても同じことなのだ。命を失った時に悲しむ友や仲間を持たぬ者は、この場に誰一人居ない。 だからこそ。どうしても伝えなければならないことが、もう一つだけあった。 それは―― 「死んだ場合は、操られる前に放り出す」 言葉と口調に孕まれた深い想いに、誰しも押し黙る。 最悪の事態も想定しなければならぬという事実。 それに伴うある種の非礼さと、対する謝罪の心。 死して尚、魂を冒涜させまいという強い意志――決意。 ツァインの抜き放たれた長剣が燦然と煌き、後背から迫る屍鬼を両断する。盾で叩き落す。蹴り落とす。 屍鬼は壁をよじ登る動く死体もろとも落下して行く。何かがひしゃげた音がした。 つまり簡単に述べるならば、こうなるということだ。 「どうぞ、仰せのままに」 影主の返答も苦く短い。理解も覚悟も出来ている故に。 誰しも。 死ぬつもりなどない。 それでもとにかく前に進まねば埒が明かない。 二体の幽鬼をレンは不吉の月で照らす。歪夜を偲ばせる禍々しい波動は、しかしこの時レン等に味方している。 「ボク達は絶対に負けない!!」 存在の根源を破滅させられながらも迫り来る幽鬼は、死の川のように密集する眼下の死体もろとも、光の雷撃を浴びる。イオン臭が埃っぽい冬の大気を焼く。 それでも死者は次から次へと現れる。眼下の死者達は同族達を足蹴にし、リベリスタ達が立つ屋根まで我先にとよじ登り続けている。そもそもコンクリートの壁面に爪を立てるなど、人の腕力では為しえるはずがないというのに。 レジデンス棟の二階へと続く階段も深刻な事態に陥っていた。大量の死者が犇めき合っているのだ。 障害物をものともしない幽鬼達はいわずもがな、敵は次々とリベリスタの前に姿を現していた。 死者達ははっきりと言えば弱い。能力者を素体とした物以外は、一体一体の実力など、たかが知れたものだ。 だがいかんせん数が多すぎる。こうしている間にもリベリスタ達の傷は増え続けている。 幾度も避け、弾き返し、それを続けているうちに生まれた僅かな隙を死者達は見逃さない。 いや、見逃さないなどという高度な芸当ではないのだろう。 矢張り問題は数なのだ。とてもではないが倒しきれる量ではないのだ。 ともあれ、そんな事は分かりきっていた。 既に魔力を活性、循環させる術陣を身に纏うリサリサはリベリスタ達を癒し続けている。 死者が道を塞げばその身に引き付け、僅かな進路を作り出す。 持ち味の頑健さを幾部かかなぐり捨ててまで癒しを優先させていると言えど、その身を持って仲間を護ることに何を戸惑うことがあろう。仲間を楽団の手先になどさせるわけにはいかない。断じて。 額に、背に、冷たい汗が滲む。どうにか気力を持たせなければならない。 物量に圧倒されてはならないから、だからリベリスタ達はこんな屋根の上に居るのだ。 その利点を生かしきらねば勝機は掴めない。 進軍は遅々として進まないが、それでも眼下の死の川を泳ぐより、はるかにマシなのだろう。 だから現状は覚悟の上のこと。作戦は順調だった。順調なはずだった。 少なくとも想定の範囲から崩れてはいない。 心境、順調などとは呼びたくはない想いではあったのだが。それでも。 攻略目標とする二人の少女へ、リベリスタ達の攻撃は未だ届いていない。 二人は哀れな死者を盾にして己が身を守ったままだ。 「急ぎましょう」 道は開かれつつある。リサリサの言葉に誰もが頷き、屋根上の宙を駆ける。 「ねえ、ルクレツィア?」 「ええ、そろそろ……」 演奏を続ける眼下の少女達が囁き微笑み合う。 リベリスタ達の眼前に現れたのは一糸纏わぬ上半身だけの女。 その体は白く透けている。亡霊だ。茜色に染めた瞳を細め、大きく太刀を振りかぶる。 「来やがったみてえだな」 『魎鬼』マダーレッド・ファントム――宮部茜。 目標地点まで、あと二十メートル。 ●Funeral "Fiddler" Forte 涼の背筋を、心臓を氷刃が撫で付けているようだ。それは濃密な死の臭い。 目の前の亡霊は、恐らく相当に強い。 だが涼はそれを鼻で笑う。 これからやろうとしている事に比べれば、屁でもないだろうから。 神速の刃がリベリスタ達を貫く。雷の様な波動が身が焼き焦がす。 戦の華となり散り逝けたのならば良かったのに―― 一人ごちるのは糾華。 こんな戦いに使われるのは、さぞ無念なことだろう。 かつて剣を交え、共に歪夜に立ち向かい、そして一人逸脱者シンヤと戦い散っていった彼女を想う。 彼女はナイトメアダウンを生き残り、無力さに震え、フィクサードとして数十年を、ただ戦い、殺すことだけを求め、生きてきたのだと言う。 それは、本当は己が力を磨く為だったのかもしれない。 あの日、あの時。 赤い月が照らすあの晩に―― 彼女は血で穢れきったその腕を未来の為に振るい、リベリスタ達に道を譲り、死んでいったのだと言う。 この世への未練など、あろう筈がないのだ。 だから。 貴女の戦いはもう終わったのよ。 「――宮部茜」 リセリアがセインディールに力を篭める。 ここで一丸となって対処していては、死者達に追いつかれてしまう。そうなれば全てが終わりだ。 下手をすれば離脱すら出来ないかもしれない。 ならば。 リセリアが放つ蒼銀の軌跡が、茜を貫く刹那、止められた。弾かれる。火花が散る。剣を握る腕が痺れる。 太刀筋、膂力はあの時のままだ。否、それ以上か。 越えましょう、この死線を――今一度。 身に迫る神速の太刀を、リセリアは間一髪かわし切る。 数本の髪が舞う。 あの時は。かつて生前の茜と剣を交えた時には捌く事で手一杯だった様に想う。 だが―― リセリアの剣が茜の肩を斬り裂いた。薄らいだ思念の一部が宙へと溶けて逝く。 ――今は違う。 次々に重ねあわされる刃と刃。フィドルとリュートに彩られた鋼の歌声。 それでも茜は身じろぎ一つしない。 擦れた剣と剣から火花が飛び散る。リセリアさえ凌ぐ圧倒的膂力に腕の筋が悲鳴を上げる。 「あれから一年」 リセリアはそのまま僅かに力を緩め、力を流して即座に打ち込む。 「腕を磨きました」 冥土の土産に、存分にお見せしましょう―― 放たれたのは幻影を纏う不可視の刃。返される驟雨の刃。 リセリアの体に無数の赤が走る。それでもリセリアは一太刀一太刀、着実にその存在に打撃を加えることが出来ている。 こんな一騎打ちにも確かな狙いはある。茜の霊が闘争本能に支配されていると言うのであれば、激しく攻撃を加えればその注意は自身に傾けられる筈だ。 そうすればリベリスタ達は目的である楽団員に注力することが出来る。 そして。 「――貴女の残滓を縛る鎖、解き放って差し上げます」 もう死者の群など相手にしていられない。 「嫌いよ」 眼下で踊る楽団員達に、糾華は瞳を細める。 「命を扱うにしては粗雑で、死を冒涜するにしては大仰すぎる」 死の川。 絶望と呻き。 耳障りなクラシックの不協和音。 それ以上に。 「これだから悪辣で嫌らしい。私は貴方達が大嫌いよ」 僅かに言葉を切る。 「貴方達の死が彼岸の手向け」 仲間達に視線を送る。 ――故に私が貴方達の死を告げるわ。 目標地点まで、――――到達。 糾華が放つ無数の蝶と共に、五月、亘、涼が跳んだ。 自由落下より早く落ちる三人に襲い来る魍魎達を、告死の常夜蝶が次々に切り裂いて行く。 「……ウソ」 フォルテの目が見開かれる。 「ふふ……」 亘の頬を彩るのは凄絶な笑み。 「哀れな冗談、ね」 ルクレツィアはあざ笑う。どうせやぶれかぶれ、決死の特攻ではないのか。 否――違う。 勝機があるからこそ、賭ける勝負だ。 「回復はお任せください……」 孤立はしている。されど無援ではない。 「皆様は全力で敵の撃破を……ッ!」 リサリサの叫びが三名の背に暖かな手の平を添えている。 無数の刃光が屍弦ネクロヴァリウスを手に踊るフォルテに降り注ぐ。 亘等が降り立ったのは死者達の頭上。楽団員の眼前。 「無駄よ、無駄、無駄、無駄無駄!」 亘が切り裂いたのはフォルテではなく、盾となる死者だ。 だがそれでも。亘は強気な笑みを崩さない。仲間が居るから。負ける気など毛頭ないから。 背を合わせた涼が拳を握り締める。 こんなことを引き起こしたヤツのツラには、是が否でも一撃見舞わねば気がすまない。 まっすぐ行ってぶっ飛ばす。 この上なく分かり易く真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす。 この上なく分かり易く断固として真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす。 涼の拳が真正面から叩き込まれる。速い。かわせる筈もない。 「絶対にぶん殴るッ!」 宣言通りの一撃。だが、顔面がひしゃげたのは壁となった死者の物。 それでも何でも、何がどうであろうが力は緩めない。 涼の優美な細面に血管が浮き上がる。断固として突破する。目一杯に振りぬく。 急回転した死者の首が吹き飛び、遅れて胴が倒れる。死肉が、腐血がフォルテの燕尾服を汚す。 屍鬼は崩れ落ち、死の川に流されて行く。 フォルテは今、がら空きだ。 だから続けざまにもう一発、黒コートを閃かせ涼の拳が唸りを上げる。 捉えたのは顎。 「言っただろ」 フォルテの顔が跳ね上がり、宙を仰ぐ。脳髄が揺れ、意識が明滅する。 「絶対ぶん殴るってな!」 呆然と天空を見上げたまま、隙だらけのフォルテに貪欲な獣が牙をむく。 その細い腕には透き通る紫水晶の刃が握り締められている。 その銘は、紫花石(たがために)―― 五月の剣は護の剣だ。 護るのは操られた者達の誇り――これだろう。 家族の為か。 仲間の為か。 オレは誇りを守る為。 何かを想って闘う奴は強いと決まっているんだ。 救いとなるなら―― フォルテが視線を落とす。眼前の獣へ向けるのはむき出しの憎悪。 そんなものに構いやしない。裂帛の闘気が大気を振るわせ、五月は全身のバネを弾けさせるように、一閃。 生と死を分かつ刃が煌き、フィドルの弓を切り裂きながら胸に吸い込まれる。 「……さない」 途切れる言葉。喀血。フォルテは震える手で、胸にもぐりこむ刃を掴む。 「よくも――!」 刃に篭る力に五月の腕が止められる。 「あらあら」 弦をに指を添える。涙のタトゥーに金髪がかかる。口元を覆うのはいやらしい微笑み。 「だめよ、おいたは」 ルクレツィアは冥弦グレイヴキャスターをそっとトレモロに爪弾いた。 禍々しい波動が、死の臭いを集結させる。 生を貶め、死を汚し、魂を玩ぶ―― 「謳いなさい。亡者達」 無数の亡霊が五月達の眼前ではじけた。 生前、その生命を支えていたであろう魂のエネルギーが砕け散る波動がリベリスタ達を引き裂く。 「どーしようもねぇハナシだ」 魂の破滅。次の輪廻に逝く先さえ破壊され、流れ落ちるのは餓鬼か畜生、あるいは地獄か。 「それじゃあ救いがねえよな!」 フツが叫び、氷雨が死者達をズタズタに穿つ。 「どうにかしようぜ、なあ深緋!!」 死者達が殺到する。今にも飲まれそうだ。意識が遠のく。それでも五月は手を離さない。 両手で握り締め、振りぬく。 フォルテの胴が切り裂かれ、血飛沫が溢れる。死者達の青白い顔を染め上げる。 燕尾服が黒く染まって行く。 「驚かせないでよ――」 ねえ、それだけ? 姦しく。フォルテが笑う。哂う。嗤う。 そういう嫌がらせ、やめてよね。痛いものは痛いんだから。 力いっぱい刃を振りぬき、僅かに刹那うな垂れる五月。 「生きてるのね、スゴクいい匂い」 フォルテはゆっくりと顔を近づける。 「ねえ、今までに――」 穢れた死の臭いが五月の鼻を付く。 「何人斬ったの、貴女」 それでも五月の瞳は、彼女が振るう刃の様に凛と輝いたままフォルテを見返す。 動揺を誘おうとも、絶望させたかろうとも。 どこまでも強気な瞳が煌きを失うことはない。 そんな欺瞞は、五月には通用しないから―― ●Pacta sunt servanda. 「来たれ――」 戦いが終わったわけではない。屋根から飛び降りながらツァインは剣を掲げる。 「黄金の騎士フィンよ!」 三名に死者が殺到している。このままでは命を失うのは明白だ。 「我が同胞に癒し水の加護を!」 故郷の神話に燦然と輝くその名を叫ぶ。 その姿は伝説のフィアナ騎士団が首領『黄金の騎士』フィン・マックールそのものであるかの様に。 英霊の加護に五月の深い傷が瞬く間の内に癒されて行く。 誰もが目指すのは死の只中。 死者の渦中に舞い降りたツァインはすぐさま盾を構え、襲い来る亡者を切り伏せる。 「まだだ! 俺が前に立つ限りやらせはしない!!」 「彼らさえ撃退すれば、これ以上の犠牲は防げます」 後を追うようにリセリアが死の川へと飛び降りる。この日その背に浴びた茜の太刀は、勇気の証明に他ならない。 このまま茜の亡霊と剣を結び合うのが惜しくないわけではない。 いかなる術法が用いられているのか、茜は剣圧、剣速、膂力において、生前さえ上回っているのだろう。 だが当時拮抗していた技量は――切り結べば分かる。衰えてこそいないが、今やリセリアのほうが上だった。 そんな想いは兎も角、それ以上に。 彼らを撃退せねば、この戦場は終わらない――! 「私達も、参りましょう――」 リセリアに続き影が揺らめく。手にした騎兵刀を抜き放ち、影主が飛ぶ。日下部が飛ぶ。桔梗が飛ぶ。 降り立つそこは、死者達の大河。溺れもがくように死者達を切り裂く。建物を、柱を背に押しのける。 首を飛ばし、腕を飛ばし、もがきながら、それでも死者はリベリスタに這い寄り襲い来る。 「この死の河を、我等の光の行軍で攻め上るッ!」 誰もが頷く。 「押し返すぞぉーッ!」 鬨の声。リベリスタの闘志にフォルテが、ルクレツィアが僅かにたじろぐ。 「これ以上、楽団の思い通りになんてさせない!!」 フツの極縛の結界が死者達を縛り上げる。光の雷撃が焼き焦がす。 地獄の戦場で、誰が何人斬ったのだろう。最早それすら定かではない。 「手前等の――」 涼は死者を蹴り付け、跳ぶ。 左腕の感触がない。肋骨がいかれている。されどリサリサの翼はまだ、失ってはいない。 「手前等の好き勝手にさせるかよッ!!」 拳がフォルテの頬にめり込む。奥歯が砕ける確かな感触。 フォルテが放つ憎悪の視線はどこまでも無力で―― なのに。 あと一押しなのに。 死者が涼の足を掴む。死の川へと引きずり込む。 血が、肉が、骨が、ひしゃげ、ずたずたに引き裂かれて往く。 「神城さん!」 桔梗が涼の腕を掴む。川の中の大岡裁きの真似事を、しかし離せば終わり。結果は間逆。 涼は腕がひしゃげても、懸命に桔梗の手をつかみ続ける。わき腹ががら空きの桔梗を、死者の腕が抉れども、離れれば死ぬから。絶対に離さない。 力を篭める。生死を分かつ裂帛の気合で二人は死者の渦から脱出しおおせる。 そうして迫り来る死者の波は、楽団員とリベリスタ達を引き剥がして行く。 「飲まれてたまるか!」 悔しい。喉を掻き毟る程に悔しい。 無力だ。今すぐにでもこの刃を突き立てたいのに、届かない。 亘が吼える。 煌く風の刃が死者達を切り刻む。 「止まれ、止まれ、止まれッ――!!」 こんな想いで、こんな言葉で終わらせたくはない。 亘は遠のく意識を従え、運命さえ燃やしながら残された僅かな体力をつま先にこめ、一気に飛び上がる。 「亘さん!!」 今、光が放つ天使の息だけが、その背を支えている。暖かく包み込んでいる。 鮮血が舞う。死者達に足を、羽根を掴まれる。 蹴りつける。殴られる。切り裂く。引き裂かれ、もがく。引き裂かれながら飲まれてゆく。 それでも瞳を細め、引き裂かれる己が血肉をものともせず、亘は一点をにらむ。 許せるか? ――否。 帰れるか? ――否。 このままおめおめと逃げられるのか? ―――― ――――――絶対に否! 散った命、救えない命と共に。 背負う命の全てを刃に乗せて。 このまま死者の御輿に運ばれるササゲモノと成り果てる前に。決死の一太刀浴びせてみせる。 「どう」 フォルテの額が割れる。そのまま、まっすぐに胸元まで斬り下げる。 「ですかッ――――!」 血飛沫が舞い上がる。確かな手ごたえを感じた。引き抜き、突きたて、払い、そのまま風のように切り刻む。 「……っ」 やった。 斬った。 殺した筈だ。 「たぁぃ」 殺した筈だ。 絶対に殺した筈だ殺めた筈だ命を奪った筈だ。 なのに。 割れた額を押さえ、全身から血を流し、フォルテが低く呻く。 集う霊魂が彼女の頭を左右から懸命に押さえつけている。薄れ往く意識の中で垣間見た眼前のソレは冗談のような光景だった。 「何か、厄介なコトしてるみたいね……」 突き立つのは二枚のカード。描かれた道化の帽にフォルテの頬が引きつる。 レンと糾華の一撃に、フォルテを包み込む死の臭いが霧散する。漸く――されど明らかな焦燥の表情。 聞こえたのはゆったりとしたアルペジオ――冥弦の音色。 「あらあら、追い詰められちゃって――哀れね」 ルクレツィアがリベリスタへ向けて無数の悪霊を放つ。 死した魂魄の炸裂。霊体の群――生命の残滓はリベリスタ達に次々と喰らい付き血肉を貪り精神を冒す。 させて、なるものですか――! リサリサの杖が翻る。赦しておける光景ではないから。 記憶のない己に居場所をくれたアークの皆を絶対に護り抜くことこそ、彼女の存在意義(raison d'e^tre)そのものなのだから。 戦場に光が満ちる。神なる息吹が悪霊を打ち払い、リベリスタに最後の活力を蘇らせる。 だが。フォルテとルクレツィアを眼前にするリベリスタに立ちはだかるように、茜が、死者達が割り込んで来た。 弓を失い哀れなフィドルのピチカートに、フォルテの体が再び死者の波動に包まれる。 リベリスタ達の攻勢はここまでだった。 天空から降り注ぐ茜の斬撃が、死者達の爪が、腕が、歯が、足が。リベリスタ達を次々に傷付けていく。 目指す敵は。たった今まで眼前にいたフィクサードは遠い。 このまま突出して死の群に飲まれることだけは絶対に避けねばならない。 ツァインが亘の襟首を掴み、引きずり抱え上げる。苦しげだが息はある。大丈夫。生きている。 リベリスタ達は一丸となり、ゆっくりと後退してゆく。 敵もリベリスタから離れる為に、徐々に退こうとしている。 今、持ちうる遠距離攻撃だけでは、盾となる死者を払いのけてフィクサードに攻撃を加え続けるのは困難だ。 それに、この状況で敵が逃げるのであれば、いくらでも方法はあるはずだ。 つまりそれは、この後の反転攻勢を暗示している。 怒涛の前の静けさなのだろう。次に死者の渦に飲まれれば絶体絶命だ。 癒し続ける光やツァインに反撃の暇は残されていない。 涼しい表情を崩さぬながらも腹部を押さえ続けている影主が指先を伸ばす。圧倒的思念の奔流が迫り来る死者を辛うじて吹き飛ばす。日下部に桔梗は立っているだけで精一杯。ギリギリの状況だ。 この翼でもう一度飛び込めばどうなるか。 低空飛行であれば、死者達に足を引かれ、たどり着くことさえ困難だろう。 もう一度屋根に登るのはどうか。仮に同じことをしたとして、神秘の技を放ち続ける余裕はない。 それに同じ手が二度も通用するのか。 ならば天高く舞い上がればどうか。まかり間違って落とされればそれで終わりだ。確実に死ぬだろう。 万事休す。 「命を落として誇りを守る。それは素晴らしいが――」 死んだら、元も子もない。 命が惜しいのではない。命を賭けなければ成らないこともあるだろう。 だが、ここで死ねば。 最後の気力。五月は震える指先をいなし、迫る死者を斬り捨て、そのまま倒れこむ。 それは最悪の結末を意味するから。 楽団の戦力を増やしてしまうことを意味するから。 けれど死に場所というものは、必ず適した場所がある筈だ。 第一に、生きたいと手を伸ばすことは、絶対に間違いではない。 楽団を許すことは出来はしない。 けれど、生きているから次があるのだから―― レンはその手に力を篭める。納得出来ているわけではない。方便なのかもしれない。 「兄も会いたいと言っていた」 影主へ向けてふと口をついたのは、そんな言葉だった。 「退くぞ」 かみ締めた奥歯が軋む。口中に鉄の味がする。救えない。助けられない。 「ダメなのか」 誰かが呟く。 「限界――でしょう」 ダムナティオメモリアエの面々にも、もう戦う力は残されていない。 へたり込み、放心したままの親子連れが飲まれる。 柱に捕まったままの老人が飲まれる。 死んで逝く。 ――殺されて逝く。 一般人達は何人が逃げ、何人がこの場に留まり、何人が殺されたのだろうか。 この混乱の中では、それももう、まるで分かりはしない。 死者達のゆっくりとした後退が止まった。 いつしか軍勢は交戦開始から二倍以上に膨れ上がっている。 老人と老人が手を繋ぐ。子供が大きく背伸びする。青年が腕を振り上げる。 人々は首をかしげ、口を開ける。その形は笑みなれど、どこかぎこちなく滑稽で―― それは人の振りをさせられた、形だけのものだから。 屋外に設置されたストーブの中で、薪が爆ぜていた。 隊列は再び整いつつあるようだ。死者達の首がリベリスタへ向けて一斉に振り返る。 いよいよ、潮時である。 撤退は、負けではない。 負けではない。 敗北は、死だ。 死して傘下に組み込まれること。操られること。それこそが敗北なのだ、と。 「帰りましょ」 吐き捨てるように。どこまでも涼やかな声音で。 「エスターテさんが待ってるわ」 桃色の髪の少女は、この結末をどこかで見ているのだろうか。 だとしたら、彼女は、どんな顔をしたのだろう。 労い、礼を述べ、後はきっと何も言わないのだろうか。 それでも。 望むならその指を離す事はしない。 だから――わらって? |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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