●Yggdrasill(ユグドラシル) 壁一面に開いた窓硝子。その向こうに広がる光景に目をやれば、何本かの川を挟んだ先に優美な『城』が聳えていた。 「木と紙と土で出来た城など、欧州のそれに比べれば玩具のようなものだろうがね」 だが、その美しさは認めざるを得ない。そう呟いて、モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン――『福音の指揮者』ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ率いる『楽団』の木管パートリーダー――は視線を室内へと戻す。 その背後のテーブルには、腕一抱えほどもある『音叉』が据えられていた。 ここは大阪。OBP――大阪ビジネスパーク、その中心たるU字型のツインタワー。 その中央部の大会議室で、このビルと奇妙に符合した大降りの音叉を見やり、モーゼスは皮肉げな笑みを口元に浮かべた。 「しかしこの光景も今日で終わる。ふむ、これが日本人の言う侘び寂びの精神か」 怨霊の支配者たるコールアングレ・トップは、さらりとこの街の終焉を予告する。 「この音叉が吸い上げた魔力が、『より大きな音叉』を揺り動かす。ふ、この塔を造った日本人を、私は讃えるべきなのだろうか、それとも嘲るべきなのだろうかね」 傍らに控えた少女人形は常と変わらず、何一つ答えはしなかった。 ●『万華鏡』 「緊急事態。悪いけど、みんなには今すぐヘリで大阪に飛んでもらう」 召集の労すら労わず、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は端的に用件を切り出した。 その口調から誤解されることも多いが、そもそも彼女は表面上の素振りほどには冷たい性格ではないし、もちろんアークのフォーチュナの常として、リベリスタ達に必要もなく無理を要求することもない。 だから、切迫した彼女の様子は、それだけで事態の深刻さを示していた。 「OBPツインタワー。大阪城に程近いそこで、楽団と裏野部が激突するの。それも、とんでもないビッグネーム同士が」 塔に篭り裏野部を迎え撃つのは、ケイオスの『見えざる手』にして怨霊の支配者。『楽団』木管パートリーダー、モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン。そして、いずれ油断できぬ実力の楽団員達と、溢れんばかりの怨霊と死体だ。 対するは主流七派が一、『最凶』の名を冠するに相応しい過激派『裏野部』が首領、裏野部一二三。その露払いを務めるは、一人ひとりが軍団の長を務めるに相応しい、最強クラスのフィクサード達である。 「モーゼスは、形が似ているツインタワーと音叉のアーティファクトを儀式によってリンクさせ、ツインタワーを巨大な音叉に見立てて周囲に超振動を撒き散らそうとしているの。もちろん、そんなことになれば周囲は文字通り灰燼に帰してしまうよ」 ケイオス率いる楽団は、一般人やフィクサード、果てはリベリスタの死体を集め、着々とその戦力を強化していた。 もちろん、先にモーゼスの一派によって成された三ッ池公園の襲撃事件も、その動きの一環だ。 「もう手駒は十分、ってことなんだろうね。全国各地で派手な事件を起こし始めた楽団を、主流七派も黙って見ているつもりはないの。事実上、アークと彼らとの間は休戦状態よ――あの京介率いる黄泉ヶ辻と、裏野部以外はね」 裏野部一二三。 普段は軽々に出張ることのない彼が、なぜモーゼスに狙いをつけ自ら出陣を決めたのかは判らない。 「けれど一つだけ、推測できることがある。裏野部一二三は、モーゼスの儀式そのものを止めるためにここに来たんじゃない」 大阪の一角が吹き飛んだところで、裏野部は別に痛くも痒くもない。逆に、伝え聞く裏野部一二三の刺青『凶鬼の相』の性質――ありとあらゆる負の想念を蓄え、力と化す――を思えば、一目見て儀式の意味を看破した彼らはそれを放置しかねないのだ。 「けれど、裏野部と楽団は激突する。その結末がどうなるかは、万華鏡でも窺い知れなかったけれど――」 そこまで言って、小さく首を振るイヴ。身体に纏わりつく怯えを振り払うような仕草を見せ、すう、と息を吸って。彼女は、一息に告げた。 「ビルの中に潜入して、儀式を止めて欲しい。それが、今回の作戦の目的」 リベリスタが現場に到着する頃、ビルの外周には、既に楽団と裏野部が衝突を始めている。全国で楽団が暴れている現在、この作戦に動員される部隊は僅かに二つ、二十人。その半分は、外周に降下して両者の戦いに介入し、状況をコントロールする役目を帯びている。 「みんなは、ビルの屋上に降下して、中央部七階の大会議室に居るモーゼスを襲撃するチームだよ。裏野部の襲撃を知ったモーゼスが低層階に戦力を集めた隙に、手薄な上層階を踏破して欲しい」 モーゼスの手中に齎された無数の怨霊は、今、ツインタワーというコンクリートの棺桶に満ち満ちて、新たなる獲物を待ち受けている。手薄とはいえ、上層階にも少なからぬ数の怨霊が徘徊しているだろう。 既に戦ったリベリスタの報告を信じるならば、モーゼス自身の実力も相当に高い。倒すどころか撤退に追い込むことさえ、簡単な仕事ではないのだ。 「それと、裏野部一二三はほぼ間違いなく儀式の場に現れるよ。早いか遅いか、無傷か消耗しているかはわからないけれど……」 裏野部一二三をどう扱うべきだろうか。交渉か。迎撃か。足止めか。あるいは漁夫の利を狙うのか。取り得る策は無数にあるが、しかし確実な道は何一つない。 「全ての判断をみんなに委ねる。最善と思われる方法を選んで、そして儀式を止めて。それと……」 長い逡巡。そして、思いあぐねた末に、彼女は告げる。 「もう、タワー内に居た人は殆どが殺されて、モーゼスの支配下にあるよ。けれど、みんなが降下する北側のビルの十六階に、二十人ほどの生き残りが立て篭っているの」 偶然居合わせた一人のリベリスタが、強固な扉を持つ機械室へと人々を導き、扉を封鎖しているらしい。だが、動く死体ならともかく、怨霊が集まってくれば一溜りもないだろう。 「……ごめん。今のは忘れて。作戦とは、何の関係もないから」 そう俯く少女は、生きて帰ってきて、と小さく呟いた。 助けるどころか、リベリスタ自身の命すら危険な作戦だと判っていたから。 ●リベリスタ 「な、なぁ! あんた、あの化け物と戦えるんだろ……? 何とかしてくれよ!」 「大丈夫よ、もうすぐ助けが来るから。ここに居れば大丈夫」 ほとんど押し倒すように縋り付いてくるスーツ姿の男性を宥め、葉山・伊織は努力して笑顔を作ってみせた。この父親ほどの男がうろたえて我を忘れたように、自分もただ怯えていられたらどれほど楽だろう、とふと考える。 (早く来て、アーク。扉より早く、この人たちの精神が限界に達しそうよ……) 細身のナイフを握り締め、唇を噛む。破滅の時は、もう間近に迫っていた。 ●Instigator 「『極東の空白地帯』の割には、アーク以外の日本のフィクサードもやるものだ」 死体の群れを蹴散らしていく数人の人影。その様子を七階から見下ろし、モーゼスは嘲笑含みに嘯いてみせる。 それでも、彼は余裕を失ってはいなかった。木管メンバーはエリオとエルモを除いて全国に散らしたが、代わりに加わった楽団員も決して劣るものではない。楽勝ではなくとも、無様に負けはしないだろう。 「――、アレは」 その彼の視線が、眼下の一点に釘付けになる。 「アレを手中に収めれば、回収し損ねた大物の代用にはなりそうだが……」 鼻を鳴らす。この作戦、存外に面倒なものになるかもしれない。しかし――そこまで思考を巡らせた彼の唇が、く、と吊り上がった。 「……はてさてケイオス殿。貴方の指揮は、第何楽章まで続くのでしょうね」 死の旋律と止まることなき暴力。 ――二つの力が、大阪の地で咆哮する。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月12日(火)00:07 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 大阪を頼んだぜ、と。 緊張の中に信頼の篭った笑みを見せ、パイロットはホバリングさせていた愛機を勢いよく上昇させた。 だが数秒後、リベリスタ達をここまで送り届けたヘリコプターは、彼らの頭上で爆発四散した。ツインタワー北棟の屋上へリポートを、爆風と引火したガソリンが嘗め尽くす。 「野郎……!」 爆発の炎に照らされて常よりもその赤さを増す『墓掘』ランディ・益母(BNE001403)が、ぎり、と奥歯を鳴らした。得物を握りめる掌に、力が篭る。 「フィクサードではないようですが」 「……なら死体か」 最も危険な空中戦力である裏野部の爆撃機は、どうやら地上に意識を向けているらしい。でなければ、窓から身を乗り出した怨霊か、それとも能力者のリビング・デッドか。 周囲を注意深く見回していた『銀騎士』ノエル・ファイニング(BNE003301)の報告に、ランディは声を絞り出すように呻く。 勇気あるパイロットだった。彼はリベリスタではない。それでも、作戦の重大さを理解してこの死地に赴くことを志願する程度には。 「――行きましょう。この作戦を成功させ、多くの人を助ける事が、あの人に報いる道です」 「っ……判っている。行くぞ」 ノエルの凛とした声が、真っ直ぐに過ぎる視線が、そして感傷を許さない『正義』が、ランディの精神を刺激する。 だが、その言わんとすることが理屈と感情の両面で正しいことを、正しすぎることを、彼は理解していた。 屋上のドアを開く。途端、むせ返るほどの生臭い空気が新たなる換気口から吐き出されて。 その時、遠く爆音が轟き、勇気あるパイロットが命を散らした。――また一人。 「流石に、数が多いですね」 雪白 桐(BNE000185)お馴染みの巨大なる凶器をぶんと振るえば、幾度かの攻撃でその存在をすり減らされていた怨霊のヒトガタが、扇で吹き散らされるように消滅した。 ともすれば、武器の遠心力に身体のバランスを持っていかれそうな感さえある、小柄で華奢な身体。だが、彼が経験を積んだ熟練の戦士であることは、この場の面々にとっては周知の事実である。 「それに、とても丈夫。話には聞いていたけれど」 うんざりした様子の『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)が答えると同時に彼女の手甲のグリーンランプが明滅し、その五指から不可視の糸が飛ぶ。 楽団とは初の顔合わせとなる彼女は、その気糸の直撃を食らっても進んでくる怨霊と死体とに、一層疲れた声を漏らした。 最上階での戦いは、早くも出し惜しみ無しの総力戦の様相を呈していた。おそらく距離だけで最短ルートを選ぶならば、地上から屋上までを繋ぐ階段を駆け下りるのが最短だ。 だが、容易に想定可能なそのルートは、つまりはモーゼス・マカライネンも対策可能であるということを意味している。これほどにタフな障害物を大量に浴びせられれば、狭い階段で立ち往生することにもなりかねない。だからこそ、彼らはそれ以外の方法を模索していた。 「これで、とどめ」 たた、と彩歌の耳元を足音が駆け抜けた。次いで、視界に翻る黒と赤のフリル。 壁を蹴って駆け寄る『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)がその大鎌を一閃すれば、存在をすり減らした霊体は耐えられる訳も無く掻き消えていく。 「こんなところで、足止めされているわけにはいかない」 ホールに屯していた最後の怨霊を討ち取った彼女は、そう言い切って周囲を見回した。円形を象られた部屋、その壁に開く六つの扉。 ――そう、ここはエレベーターホール。階段でなければエレベーター、というのは常ならば不思議ではない発想だったが……。 「……やっぱり駄目ね。いい的にしかならないわ」 判りきっていた結果を追確認する『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)。まだ電源は生きてはいたが、無人で降下した鉄の檻は三層下の二十五階でその位置を止めていた。今頃、その内側は怨念と呪詛とで陵辱されていることだろう。 「それでは、箱を落としますか」 その艶やかな髪には蛇神の化身と桜の花。柔和な雰囲気に果断なる戦意を潜ませて、『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273)が問うた。ちょっとお茶でも、と言わんばかりの口調に、幾人かが苦笑を漏らす。 「うーん、かえって危なくないかなぁ?」 それに異を唱えたのは、年少の大和よりも幼い少女――『尽きせぬ想い』アリステア・ショーゼット(BNE000313)。生来の真白き翼を広げながらも、そのあどけない表情ははっきりとした不安を訴えていた。 しかし、髪に飾った真紅のコサージュを僅かに傾ける彼女は、決して待ち受ける敵に脅えているわけではない。 「だって、こんな狭い穴で挟み撃ちにされたら、突破するのも大変だよね?」 その指摘に、はっ、と気づいた様子の一同。エレベーターが行き来する縦穴を通る速攻は、だが同時に封鎖の危険を帯びている。戦うには一人が限界の広さである以上、力任せの突破も出来はしない。 「いや、それならばわらわに策があるぞ」 歩み出た『巻き戻りし残像』レイライン・エレアニック(BNE002137)は、そのルビーの瞳をいっぱいに見開き、自身ありげに唇を吊り上げる。 「いずれにせよ、悠長なことはしておれんのじゃ。この最低の計画を叩き潰し、今度こそモーゼスを止めるためにはのう!」 ● 轟、と。 ランディの広刃斧が、鉄の扉を一撃でひしゃげさせ、粉砕した。仮初の翼を広げた桐が中へと飛び込み、上部から伸びた八本のワイヤーを一閃で断つ。 ギターの弦が切れた様な音。数瞬遅れて、巨大な質量が叩きつけられる轟音と爆発の熱気が細く伸びた煙突を走り抜ける。 「資材用エレベーターね、確かにここなら広いから大丈夫そう」 照明を階下に向けた彩歌が、下にもっと明るい灯があったわ、と肩を竦めた。 フロアの隅に設けられた資材搬入用のエレベーターは人間用のそれよりもかなり広く、その穴は翼を広げた数人が同時に前に立てるほどだ。 「なるべく邪魔がいないほうが俺様ちゃんも嬉しいんだけどね」 レイラインに並んで真っ先に飛び降りたのは、『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)。魔力の翼を灼きながら、熱風を掻き分けるようにしてラブ・マーダーは階下を目指す。 二十五階。二十二階。二十階。十八階。――十六階。 「今そこを動く方が危険だよ、待っててすぐに助けるから」 普段のふざけた物言いよりもほんの少しだけ誠意を込めて、葬識は十六階の扉へと声を張り上げた。扉の前まで行ってやりたかったが、今はその時間すら惜しい。 非情なる殺人鬼は、一片の痛みを込めて駆け抜ける。後に続く氷璃もまた、どうかフロアに響けと鋭く叫んだ。 「外はまだ危険だから、もう暫く持ち堪えて頂戴」 そこが一番安全なのよ、と言い残し、彼女はその速度を上げる。長い人生の果て、感情を切り捨てるべき時があるのだと、知っていたから。 十四階。十二階。十一階。――十階。 突如、鋼鉄の扉が弾け飛び、正面の壁にぶつかって埋まる。思わず急ブレーキをかけて減速する葬識の鼻先を、巨大なる質量がぶんとかすめた。 それは斧。肉を斬り骨を断つことだけに使われる、命を食らう大斧。 「あはっ、やっぱり出てきたねっ」 にぃ、と三日月を唇に刻み、彼は歪なる『鋏』を振り抜いた。扉を突き破って壁に半ば身を埋める、鋼鉄のロッカー。それを足場にして待ち受ける巨漢――フィクサードのものらしき死体――の肩が避け、血か何か判らない液体を撒き散らす。 「無念は判るよ。だからお願い、邪魔しないで」 アンジェリカの振るう黒鎌が、縦坑の半ばを薙ぎ払った。刃に刻むは黄泉の女王、なれどそれは春の女神の姿でもあったから、彼女は安息を得た魂に再生の時が来るようにと願う。 「――上ですっ!」 「きゃあっ!」 後背――天頂方向も安全ではない。リベリスタたちの頭上に開いた扉から射掛けられた炎の矢が薄暗い縦坑を照らし、後方に控えたアリステアを襲う。 「……送り届けてみせましょう。我が身を盾にしても」 頭を抱えた銀髪の少女。だが、火球は彼女には届かない。盾を翳し、身を挺してアリステアを庇ったのは、真っ先に敵の気配に気づき警告を発した大和だった。 「派手に暴れるなら、もうちょっと目立つところがいいんだけど」 手を伸ばす彩歌。此度伸びた気の糸は一本きり、けれど人差し指から一直線に続く細く縒られたストリングは、射手に突き刺さりその敵意の行く先を変えさせる。 「後ろがつかえてるわ、押し通って!」 「言われずともっ!」 行く手を阻む斧使い。対峙するのもまた斧の戦鬼。身体を一杯に捻って得物を振りかぶったランディが、殆ど体当たりするようにして刃を打ちつけた。 「てめぇの斧には魂が篭ってないんだよ!」 轟音、そして崩落。動く死体ごと叩き斬られたロッカーが足下の奈落へ落ちていき、甲高い衝突音を響かせる。 「ここです、飛び込みますよ」 ノエルが構えたのは、何物をも貫くという無骨なる白銀の槍。気合の声一つ、突き入れた穂先は厚いドアを貫いただけでなく、力任せに引きちぎり、無理やりに出入り口を空けた。 だが。 「く、うっ!」 その隙間に殺到する、呪力の塊。七階に溢れた怨霊が、闖入者へと苛烈なる挨拶を敢行する。集中砲火をまともに浴びる形になったノエルが、苦しげな呻きを漏らした。 「ノエルおねえちゃん……!」 そんな彼女を包む涼やかな風。エレベーターピットに吹くには場違いなその風は、アリステアが祈りを捧げ分け与えられた力だ。 「私も、私たちも頑張るから、お願い……!」 だが、銀髪の少女が捧げる祈りは、ただ癒しの力を得るための儀礼ではない。それはまさしく、十六階に立て篭もる同胞達へのたおやかで力強いエールなのだ。 「後に続いてくださいっ」 呪弾の切れ目を見計らい、桐が突っ込む。闘気を纏う大剣で胴を断つように薙げば、ドアの隙間を塞ぐように立っていた怨霊が煽りを受けたように後退した。 「桐お兄ちゃん、無理しないで」 「無理だってしますよ」 七階に降り立ち剣を構えた桐が一人ごちる。 (儀式が発動すれば街一つ灰塵ですか――) モーゼスが引き起こした事態は余りにも重く、巻き込まれる人の数も余りにも多い。何をしても止めなければならないと、判っていた。 「ふふん、会議室はこっちだね」 一帯を透視してみせた葬識が、うっそりと笑ってみせる。その笑みに、戦いを好む性が――命を奪うことをタブーとしない心が見え隠れして。 「さて、ここからが正念場だよ」 何体か固まった怨霊へと、その凶器を向けた。 そして、何度かの遭遇戦を、出し惜しみ無く全力疾走で踏破して。 「待たせたの、モーゼス!」 レイラインの声と共に、大会議室の観音扉が開く。彼女らの視界に飛び込んできたのは、部屋の奥に据えられた水晶の大音叉、二人の少女と怨霊ども、そして。 「ここまで辿りついたか。ごきげんよう、リベリスタの諸君」 「今度は逃がさんのじゃ!」 リベンジに燃えるレイラインの敵意を受け流し、音叉の前に立つ紳士――モーゼス・マカライネンは鷹揚に笑んでみせた。 動くリベリスタ。迎え撃つ死霊の戦士。だが、その時。 『――裏野部一二三が動いた。以降、自分達は援護に徹する――』 『――ちくしょー、悔しい!――』 氷璃と葬識、二人の持つ通信機能付きのアクセス・ファンタズムが、聞きたくはなかった報告を受け取っていた。 だが、止まらない。止まれない。不利など、危険など、はじめから承知の上。 倒すべき総大将を前にして、引き返すことはおろか逡巡するという選択肢すら、もはや存在していなかったのだ。 ● 「さて」 タワー一階、ロビーに陣取った革醒者達の死体。 リベリスタとフィクサード、もはやそんな区別すらなくなった哀れな木偶人形は、しかし皮肉にも一つの美点を有することとなった。 恐れを知らない、ということ。 強き者に怯えない、ということ。 「ちぃとは楽しめた、と言いたいところだが――」 凶相の刺青をつまらなそうに歪ませ、裏野部一二三ははっきりと落胆してみせた。ぎっしりとフロアを埋めていたモーゼスの『虎の子』は、今やその数を半数にまで減らしている。 「きばがあるとかないとかじゃねぇな。こいつらは『けもの』ですらねぇ」 飛び掛ってきた少女。腐乱の始まった腕が繰り出すレイピアの鋭い突きをこともなげに避け、拳を一撃。大きく跳ねて壁に叩きつけられた小さな身体が四散した。 「外の奴等の方がよっぽど面白かったじゃねぇか――」 この世全てを食らう獣の王は、掃討を手下どもに任せ、天井を見上げる。 モーゼス・マカライネン。それにアーク。 オマエ等はどうなんだ? えぇ? ● 「許されることではありません――死を弄ぶなどということは」 悪意と危険との坩堝、その最奥部。 真っ先にドアを潜り会議室に押し入ったのは、常は優しげな眼を凛とした風情に細め、全身に戦意を漲らせた大和だった。 握った太刀を下げ、左手に固定した軽甲を前面に出して接近。ほとんど体当たりのように怨霊の一体に迫ったかと思うと、全身から闘志を霊糸に変えて解き放つ。 「全霊を賭けて、道を切り開きます」 ぎちり、ぼんやりと人の形をとるそれを意思の縛鎖で縛り上げ、蛇神の巫女はきりとネクロマンサーを睨み付けた。 彼女は『失う』ということの意味を知っている。 彼女は『失う』ということの痛みを知っている。 覚悟を備え、家族と友と明日のために散っていった者はもちろんのこと。明日も明後日も変わりなく巡ると信じていた善良な人々であれば尚更だ。 「ええ、まったくですね」 華やかな戦装束に身を包み、大和の脇を駆け抜けて斬り込まんとする白皙の剣士。特徴的な姿の大剣を殴りつける鈍器と割り切って、彼は細身の身体に似合わぬ膂力を存分に見せ付ける。 「……っ、やはり簡単には行かせてくれませんか……!」 狙うはロングヘアーの少女人形。だが、ぬるりと姿を現したヒトガタが、割って入るようにしてその凶器を受け止める。 「ですがっ!」 だが、桐も伊達にアークの精鋭に数えられているわけではない。伊達に戦闘狂(フリークス)の名を冠されているわけではないのだ。ぐ、と力任せに振り切った大剣、震えるほどに満ち溢れた闘気の爆発が哀れなる亡霊を打ちのめす。 「待てよ、そういう渋い役回りは年上に置いとくもんだ」 もう一人の怪物(フリークス)、ランディもまた動く。幻影を残すような高速は望むべくも無かったが、ストイックに鍛え続けた肉体は、その魁偉なる肉体を持ち主の思い通りに動かす瞬発力を彼に与えていた。 「待ってろよお姫様、俺が終わりを見せてやる!」 握り締めた骨断ち斧の柄。ぐ、と二の腕の筋肉が盛り上がる。うおおお、と吼え、彼はその重すぎる相棒を振り回した。自身の重みと遠心力を乗せた刃、そして吹き荒れる突風が、二体の怨霊を巻き込んで暴れ狂う。 孤独と喧騒、この場を支配する二つのメロディ。その制約を打ち砕くため、リベリスタは死者の陣へと殺到する。だが、もちろんモーゼスとその手駒は、ただやられるだけの三度バッグではない。 「ふむ、樵にはちょうど良かろうが――この場では無粋に過ぎる」 ――アアァァァァァアアアアァィィィァアアアァァァ――。 モーゼスが差し出した左手、その掌が捧げ持つどす黒い球体。どろりと柔らかくも見えるそれは、死者たちの無念と苦痛とがかたちを成した呪詛の塊。 ぐしゃり、と潰せば、爆ぜた怨念が四方に散って喰らいつく。ランディが、ノエルが、あるいは葬識が、瘴気に肌を灼かれ苦痛に顔を歪めた。 「ランディおじさま! 葬識おにぃちゃんも……!」 息を呑むアリステア。だが、心奪われたのは一瞬。銀髪の少女は、幼くとも自分がここに居る理由を知っている。 「皆で一緒に、アークに帰るために……!」 早口気味の詠唱が疾走する。それでも癒しを願う心は変わることなく、エレベーターの縦坑で喚んだ涼風よりも遥かに強く清冽な息吹が会議室に満ち満ちた。 「ありがとよ、アリステア。けどな」 「え、あ、うん?」 傷を癒された一人であるランディは、背中の少女にく、と喉を鳴らして。 「おじさまはまだ早ぇ。そういうのはレイラインおばあちゃんや氷璃おばあちゃんに――」 瞬間。 彼の顔の右横三センチを、どす黒い血の色に染まった概念の鎖が勢いよく通過し、怨霊の一体に突き刺さる。 「……余計なことを言うと死ぬわよ、貴方」 「……お、おぅ」 現世のバイデンを一瞬で黙らせ、氷璃は足元にとぐろを巻く黒鎖を溢れさせる。 瞬く間に部屋の床を埋め尽くした血の奔流。さしもの怨霊もリベリスタの攻勢の前に屈したか、六体の内の二体が溶けるように消えていった。 「そういえば、挨拶がまだだったわね。私は宵咲。宵咲 氷璃」 スカートの裾を摘んで優雅に挨拶する姿は、ビスク・ドールのように可愛らしい。だが、その鈴のような声が紡ぐ言霊は、どうにも鋭い棘と凍りつく冷笑とを纏っていた。 「その顔で人形遊びだなんて、趣味が悪過ぎるわ」 「まったくじゃ、黙っていれば少しは見れようものを、残念な男じゃのぅ」 軽口を叩きながらも、既にトップギアまでスピードを高めたレイラインが怨霊の壁を乗り越える。両手の扇が万色を映し、鮮やかなる色彩とともに氷結の霧を生み出して、ロングヘアーの少女人形ごと死霊を切り刻んだ。 「思い通りになんて、させないよ」 黒い渦が荒れ狂う。いや、それは死を齎す大鎌。舞うように軽快なアンジェリカのステップが、全てを刈り取る死の腕を大きく広げて抱きしめる。 「道を開けて。ボクは、その鈴に用がある」 輝く金髪と艶やかな黒髪、二人の『少女』は勢いを増す暴風のよう。 「ほれモーゼス、すかした余裕など無いと思い知るが良いのじゃ!」 確かにモーゼスの攻撃は苛烈。怨霊もそう簡単に消え去るわけではない。だが、三ッ池公園の仇を討つことに燃えるレイラインが勝ち誇るまでも無く、状況はリベリスタの優位に見えていた。 二体の少女のメロディは、大量の死霊を伴ってこそ活きる。大量の死体が沸いていた前回の戦いならばいざ知らず、リベリスタよりも少ない現状ならば、殆ど無視しても問題ないとすら言えよう。 そして、数が少ないということは、集中攻撃を受けやすいということと等価だ。僅か数十秒の間に、怨霊の壁はその数を半減させ、彼らの刃は少女人形を捉えていた。 だが、しかし。 ――がたり。 「……後ろ!」 アリステアを守るべく気を張っていた彩歌が、鋭い警告を発する。モーゼスを前にして身体ごと向き直る愚は冒せないが、出入り口の近くに居たアリステアを部屋の隅へと引っ張り込んだ。 現れたのは、スーツを纏った勤め人。 いや、かつて勤め人だった、動く死体の一団だ。 「あまり調子に調子に乗るものではないよ、極東の諸君」 モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン、アンデッドの扇動者は、薄く唇を歪めて呟くのだ――。 ● 十六階、機械室。 「う、うわぁあ、もう嫌だあっ!」 「っ! 待ちなさいっ!」 それは一瞬の隙だった。怯える女性を抱き寄せて宥める葉山・伊織の隙を衝くようにして、恐慌状態に陥った男がバリケード代わりの木箱を動かし、鉄扉の鍵を開けようとしたのだ。 「だめ、今外には出られない! 大丈夫、きっと助けが来るから!」 「誰が、誰が助けに来るって言うんだよ!」 火事場の何とやらというべきか、恐るべき膂力で重い箱を放り投げ、震える手で不器用につまみを開き、ハンドルに食らいつく。飛び掛る伊織。だが、間に合わない。 「アークが来るわ。正義の味方よ。必ず助けに来る!」 叫ぶ声は、だが白々しく響いた。先ほどから聞こえる爆発音はリベリスタ達の攻撃だろうということは、彼女にも予測できる。 だが、リベリスタの声はついぞ彼女には届いてはいなかった。彼女に異能の聴覚は無く、救出を後回しにしたリベリスタ達にも彼女に声を届ける手段はない。 そして何より、『神秘は秘匿されるもの』。何も知らない、ただアンデッドに圧倒されるだけの一般人達に、彼女の希望的な励ましは何処まで響いていたというのか――。 扉が開く。現れたのは、生還の道ではなく、死体の群れが待つ惨劇の幕。 「……やるしかないのね」 隠し持っていたナイフを構える伊織。 もう、一般人を守りきる自信は、何処にもなかったけれど。 ● 「何も関係の無い人を、こんなに巻き込んで……!」 アリステアを背に庇う彩歌。現れた死体の中に娘ほどの若い女性をみとめ、彼は――彼女は唇を噛んだ。こんなスコアに意味があるのかしら、と口走り、しかしこれこそが楽団の狙いだったと思い出す。 「――オルガノン、Mode-Assault起動」 彩歌の怒りに同調するように、全身に散りばめた九つの補助演算機構が、音も無く高速回転を始める。せわしなく明滅する両手のLED。 「こんなのが芸術だなんて、欺瞞よ」 彼女の手甲から、いやそれだけでなく全身から、オーラの糸が無数に撃ちだされ、死体を怨霊を貫き縫い留める。例え腕がもげても、足が断たれても『動かされる』死体どもを、それだけで止める事はできないが――。 「――――!」 素養の無い者には聞き取ることも難しい、圧縮された呪式。常の落ち着いた氷璃の声とは少し違う、奔り急かす詠唱。その効果はいささかも損なわれること無く、彼女の流れる血と引き換えに、再び無数の黒鎖を齎した。 「楽団の手により日本が混沌へと沈む。ソレが運命だと言うのなら」 ただ、救いを求める者だけを救う為ではなく。 立ち塞がる敵を打ち倒す為だけでもなく。 「抗いましょう。より多くを救う為に」 死者を飲み込む黒の汚濁。彩歌にしろ氷璃にしろ、敵全てを巻き込む大技を連打するのは骨が折れるが、この際は贅沢は言えなかった。 おそらく、これからモーゼスの操るアンデッドは増えるばかり。ならば、少女人形の二重唱の下ででも、一気に削っていくより他に道は無い。 「ええ。こんなことを許容するわけにはいきません」 後方の死体へと加えられる苛烈なる攻撃。前方には数を大きく減らし、その役目をもはや果たさない怨霊の壁。生まれたこの一瞬のチャンスに、ノエルが動く。 世界への影響を考えれば、必ず止めなければならない。 それは彼女の『正義』。怒りでも悲しみでも惧れでもなく、ただただ自身の正義とトン念とに基づいて、白銀の騎士は跳躍する。 「そのためには、どんな犠牲でも払ってみせる――」 それは防御を考えない捨て身の一撃。全身を銀の槍と化して、彼女は敵陣へと討ち入った。唯一色彩を加えるのは、柄を握る掌を包む燃えるような炎の緋色。 全身を巡る闘気、いや彼女の清冽にして凄惨なる覚悟が燃え上がり、穂先を通してロングヘアーの少女に雪崩れ込む。 「――必ず、仕留める!」 少女の華奢な胸に、華麗なる凶器が穴を穿った。殆ど体当たりのノエルに押し倒されるようにして、人形はたたらを踏む。 だが、ひゅう、という呼吸音と共に、か細い歌声は途切れず続いていた。しとめ損ねたか。 いや、違う。 「楽団の雑な騒音の中では、ましな方だったけどね☆」 リベリスタの攻め手は、まだ止まってはいない。モーゼスの呪弾を潜り抜け、生粋の殺人鬼が少女の背後に回りこんでいた。 生きてはいないものを、完膚なきまでに殺すために。 「人形ちゃんのこの前壊したところは直したみたいだけど、これはどうかな?」 漆黒のオーラを纏う熾喜多の裔は、手の内の凶器を嬉しげに鳴らす。 ああ、他の戦士達の得物を凶器と呼ぶならば、それは『人を殺すことが出来る武器』という意味だろう。だが、コレは別だ。葬識が両手で握る二振り――いや、一対の『鋏』だけは別だ。 コレは、その精神において正しく『人を殺すための武器』なのだから。 「命は大事。だから、一度きりにしたいよね☆」 血に錆び付いた刃がためらいも無く振り下ろされ、少女のか細い首を跳ね飛ばした。巻き込んで切った美しいロングヘアーの断片が、ふわり宙に舞う。 「! ……今か!」 次の瞬間。 誰よりも早く動いたのは、その大斧を縦横に振るい、狂戦士のように暴力と破壊を垂れ流していたはずのランディだった。怨霊を僚友に任せて飛び退り、長く戦場を駆け抜けた相棒をぶんと頭上で振り回す。 「気合入れろよお前ら――ここからが本番だ」 数々の墓標を打ち立ててきた厚い刃。その威圧感ある表面を、ほとんど視覚化された闘気の渦が包む。それは戦鬼の全力。持てる力の全て。戦闘服が張り裂けるほどに膨張した二の腕が、捧げ持つエネルギーの圧倒的な量を示していた。 「――行けぇっ!」 ぶん、と振り抜いた。それは全てを打ち砕く砲弾。破壊的な闘気に彼の膂力を乗せ、巨大なるエネルギー弾が放たれる。 「……ほう!」 思わず声を漏らしたモーゼス。これまで流れ弾など意にも介していなかった彼が、コールアングレを構え何か吹くそぶりをとった。 だが。 「お前じゃねぇよ」 にやりとランディが笑った。 そして、衝撃。エネルギー球が炸裂する。それはモーゼスでももう一体の少女人形でも『鈴』ですらもなく。 破壊の砲弾を直撃させた天井が、上階の構造物を巻き込んで爆ぜ、崩落する。瓦礫が雨の如く室内に降り注ぐ。 それが、合図だった。 「さあ、勝負じゃ!」 アリステアの齎した翼を背に広げたレイラインが、残像を残して掻き消えた。瞬きほどの刹那、モーゼスの眼前に『現れた』金髪の猫は、いささかのためらいも無く気取った顔へと鉄扇を叩きつけた。 閉じた扇は鮮やかな色彩を描かない。それが残念だと、場違いに彼女は感じ――それを振り払い、むしゃぶりつくようにしてモーゼスの視界を覆う。 その影を走る黒衣の少女。レースのドレスの裾をふわりと翻し、けれど可憐な仕草を真剣な表情で打ち消して。 (必ず、必ず止めるんだ) アンジェリカ・ミスティオラは疾る。 姿を消した彼の人は、三高平で出会った皆は、自分に愛することと愛されることを教えてくれた。だからこそ今なら判る。 (それは、楽団に利用されている人々の無念を晴らすことでもあるから) 一般人、犠牲者、人々。 言い方は様々でも、それが数字だけの存在でなかったと言えば嘘になる。だが彼女は知った。そうやって死んでいく人々にも、生活と夢と過去と未来があり、愛するものがいて、そして愛されているのだと。 「そんなことのために――」 レイラインに続いて、桐がモーゼスを止めていた。 怨霊には大和が齎した赤い月の光が降り注ぐ。 仲間が拓いた道を、愛を教えられた幼女は一直線に駆け抜ける。 「そんなことのために、ボクの誇りである音楽を穢すなんて許さない!」 手を伸ばす。青白く輝く巨大な音叉。オーズの鈴。 だが。 「ああっ!」 掴んだ手に走る衝撃。両腕を血に染めたアンジェリカが愕然として立ちすくむ。武器を握ることすら難しいその惨状に、アリステアが息を呑んで祈りを捧げ始める。 「アンジェリカおねぇちゃん! 待っててね、今すぐ治すよ」 たちまち吹き込む癒しの風。黒衣の少女の流血はたちまち止まったが、とはいえ彼女は信じられないとばかりに自失したままだった。 「……そういうことね」 大阪を吹き飛ばすほどの魔力を集める儀式。定められた手順に拠らずその中に手を突っ込み掻き乱そうとすれば、煮え立つように凝縮された魔力に身体を灼かれるだけだ。 魔術師の直感か、それに気づいたのは氷璃。そしてそれは最悪の未来予想図を彼女らに示している。 儀式を止める条件は、一定時間――十秒そこらではないだろう――手を当ててゆっくりと念じること。 つまりは、この場でモーゼスと、やがて来るであろう裏野部一二三を抑えながら、それを達成しなければならないのだ。 「それでも」 だが、アンジェリカはルビーの瞳に輝きを取り戻す。 「それでも、やってみせる」 捨てるものか。諦めるものか。 戦う意思を。駆け抜ける希望を。――人々の未来を。 「難題も難題、ですね」 大和が応える。その目は爛と輝き、その唇は美しく自信に溢れた弧を描いていた。 「ですが、やらねばなりません」 跋扈する楽団、乱入する裏野部。 悪夢の儀式を阻止するための関門は、高く、険しいけれど。 「――例えそれが、死地に飛び込む事だとしても――!」 はい、応、ええ、そうじゃ、はぁい、任せなさい。 唱和する声は様々ではあったが、十人の誰一人として諦めてはいなかったのだ。 だが次の瞬間。 突如、爆風が室内に吹き荒れる。 全ての窓硝子が完膚なきまでに割れ飛び、室内に僅かに残っていた調度も木屑となって砕けて消えた。 轟音。炎熱。――僅か十数秒の破壊の嵐。壁の構造が残っていたことが奇跡と思える爆撃が晴れた後。 「裏野部……!」 ノエルが絞り出すような声を漏らす。 窓の外には、男女のフライエンジェ。裏野部航空部隊。 そして。 「チッ、佐里か? 派手な出迎えしやがって、廊下まで届いたじゃねェか」 ああ。 吹き飛んだ扉、その向こうから聞こえる声を、大和は『知っていた』。 二体の死体が、纏めて吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられて四散する。 その後からのっそりと入ってきたのは、魁偉なる男。 その貌に刻まれるのは、怒りと恐怖と妬みと憎しみと、何よりも狂気に満ちた鬼の烙印。 「さァ、少しは楽しませてくれるんだろうな?」 裏野部一二三。 暴力と破壊の象徴が、実に楽しげに唇を歪めた。 ● 「素晴らしい。これほどのモノとは――これならば、あの殺人鬼にも比肩する戦力になる」 一二三のプレッシャーにも動揺しない胆力か、或いはただの虚仮脅しか。例え後者であったとしても、この場で見栄を張るモーゼスもまた、只者ではない。 そして、言うまでも無く――彼が見栄を必要としない程度の実力者であることを、少なくともリベリスタは知っていた。 「私と私の兵団の全力でお相手しなければ、失礼というものだろうね」 岩めいたコール・アングレに唇をつけ、高めの音を響かせる。モーゼスの周囲がゆらり歪んだかと思うと、六つのぼんやりとした光が現れ、急速にヒトガタを象っていった。 ――けけけけけけけ――。 壁の向こうが騒がしくなる。それは戦闘音。モーゼスの呼び声はただ怨霊を喚ぶだけではなく、ビル内のアンデッドどもをこのフロアに集める合図でもあったのだろう。 それを迎え撃つのは、一二三に従う精鋭達。壁一つ向こうでは一足先に、斬撃と殴打と爆炎と氷雪とが動く死体を動かない死体に戻す地獄絵図が展開されていた。 下品なほどにけたたましく嗤う声を、『嗤笑』露原 ルイのその声を聞き、ノエルの瞳に鋭い光が走る。 だが、もはや壁向こうの数人のフィクサードに気を取られている状況ではなかった。モーゼスとリベリスタとを値踏みするように眺めていた一二三の視線が、アンジェリカと『オーズの鈴』に向けられたからだ。 「――へぇ、いいじゃねぇか。直球でぶっ壊しに来るなんざ、実に裏野部らしい」 言外に彼は言っている。 楽団はぶっ殺す。リベリスタも排除する。 その上で、この儀式はこの俺が完遂させてやろう、と。 「はいはい☆ 殺人鬼ラブコールだよ☆」 来たよ御大、と無線機越しに囁いて、稀代の殺人鬼はぬるりと駆ける。潰し合ってくれたら助かるのにね、と冗談めかして呟く彼は、しかし実際のところ、そんな希望的観測は欠片も持っては居なかった。 楽団の『量』と裏野部の『質』。座して両者に挟まれれば、十人のリベリスタなど磨り潰されて消えるだけの存在だ。 「裏野部も楽団も、相変わらず殺り方が雑なんだよね」 派手に、過激に、或いは効率的に。殺し方の差異は多々あれど、両者に欠けているのは『死を楽しむことへの敬意』だ、と彼は思う。大量虐殺などはその際たるものだ。 「命は大事、だから丁寧に殺さないといけないんだよ☆」 狙うはボブカットの少女。だが、怨霊が邪魔に入ることは判っていたから、彼は慌てずにその刃を振るった。一閃、返す刀で『その隣の怨霊に』二撃目。くるり歪なる鋏を回せば、精神を食らう暗黒の刃が怨霊の胴を割いて貪った。 「さあ、みんなでお祈りしようよ☆ このせかい全てに愛が届きますように、ハレルヤ!」 戯言を垂れ流しながらも、殺人鬼は自らの役目をほぼ正確に理解していた。全てを倒すなどいうのは幻想であり妄想だ。 走り抜けるべき道は唯一つ、モーゼスと裏野部とを相手に少しでも時間を稼ぎ、儀式解除を成功させること。ならばこそ、彼の美意識には反したが――一体でも多く自分にひきつけるための手段を、自然彼は選んでいた。 「裏野部が現れたとしても、私達の目的は変わらない」 閉じたアンブレラをモーゼスへと向ける氷璃。青白く輝く積層立体魔方陣が、宙に無数の呪文字を撒き散らして彼女を取り巻いていた。 「私達が諦めたら、誰が皆を救えるというの」 もうしばらく持ちこたえて頂戴、と呼びかけたことを思い出す。 あの声が届いたかは知らない。もっと言えば、長く敵を惹き付ける囮として利用する心算ですらあった。けれど。 ここで諦めれば、伊織達が救われる可能性も潰えるのだ。傷だらけになった左手の掌を爪で裂き、彼女は新たなる血を魔陣に注いで術式を起動する。 「何より、貴方達の演奏は酷く耳障りだわ」 今日幾度目かの血鎖陣が勢いよく床を這う。視界にはモーゼスの手駒。背後で時間を稼ぐ仲間達を信じ、氷璃はこの油断ならない相手を留めることに全力を注いでいた。 そしてそれは、裏野部に対する者達も同じこと。 己が危険を憚ることなく。 ただ只管に敵を、世界の敵を打ち滅ぼすべし。 我が身はその為に在り――。 ノエルを衝き動かすのは自身への誓約。何者にも染まらない彼女が唯一つ自身に課した、尊き思い。 それは融通の利かない、或いは他者との共有が難しいほどに強固で。 (――例え、この身がどうなろうとも) だからこそ彼女の槍は何処までも鋭く、敵を貫く。この一撃に全てを賭けて。それを陳腐と感じさせない裂帛の気合が、白銀の閃光となって一二三に迫る。 「私を無視だなんてあんまりじゃない?」 だが、ノエルの前に立ちはだかるゴシックドレスの少女。貫く槍をいなすは、刀匠刃金の七つ武器が一振り、魂を砕く魔剣。 「きれいな顔。オトコノコじゃないのが――残念ね」 恋に恋する実力者、『コイバナ』八米 刀花。かの砂蛇と同格の強さを誇るフィクサード。魂を砕き操ることを得手とするこの少女とは初対面だったが、ノエルもその名前は聞き及んでいる。 だが、彼女は恐れない。貫く者は止まらない。 「無視されたくないならば、貴方を殺して進みましょう――このわたくしの全力で!」 退却を知らぬ槍が、フリルに包まれた少女を襲う。そして、その脇を乱れ飛ぶ気糸。不可視のはずの細く縒られたオーラが、緑の燐光を帯びて輝いていた。 「あなた達は、私の一番守りたいものに手をかけようとしたわ」 硝子の翠眼が輝いた。彩歌の手甲で高速演算を続ける演算デバイスを、焼き付けとばかりにフル稼働させる。 手加減などする気も無かった。愛しき妻と娘が象徴するもの。人々の無垢なる幸せ。それらを守ることこそ、彩歌が戦い続ける理由なのだから。 「人の生きられる世界を壊すというのなら――」 本当はモーゼスへとその矛先を向けたかったが、この状況では贅沢を言っては居られない。それに、航空機爆弾事件や都市爆破事件を挙げるまでもなく、目の前の破壊儀式を続けようとしているという意味では裏野部も楽団と大差ないのだ。 「――オルガノン、私の運命すら使って、勝利を導きなさい」 既に幾人ものリベリスタが、運命を盾にし、使い潰して傷ついた身体を再び戦いに投じている。 だが彼女の覚悟は、それ以上の意味を持っていた。例え、その願いは届かなかったとしても。それは、他の者達も同じ事。 (力が、欲しい) 何度思ったか判らない願望。何度繰り返したか判らない祈り。アリステアという少女を知る者にとって、この可憐な彼女がそんな思いを抱いていることは、意外だろうか。 それとも、あの病院での寸劇を知る者ならば、不思議ではないのだろうか。 「この前、全てを分け隔てなく癒す、天使さまと会ったの」 託された願い。人を癒し、支えていくということ。光の粒子へと還っていった、御使いの双翼。 「そんな存在になりたい。私には、まだ力が足りないかもしれない。――けれど」 理想には遠いけれど、今できる全力で。 だから一心に祈った。力を貸してと願った。 天使さま。 「皆が無事に帰れるのなら、私の力を全て使ってもいい。お願い……!」 その祈りを聞き届けたのが本当は誰なのか、アリステアは知らない。けれど、その誰かは割れた窓を通して、腐臭と血の臭いを掃う一陣の清冽なる風を送り込んでくれた。 だから、ありがとう、天使さま――。 ● すえた臭いのこもった地下コロシアム。 『……ええ? 人死に、人殺しが一切許されないってンなら、散々殺してるオマエ等は一体何なんだろうねェ?』 「元より、それは承知の上」 ニタニタと笑む声に立ち向かったのは、いつのことだったか。 「獣とて誇りはありましょう。顧みて、貴方達はどうですか?」 静かに、しかし敢然と言い放ったのは、いつのことだったか。 『俺は獣、爪も牙もある獣。オマエ等はどっちだろうな? きばのないけものか、爪も牙もある獣か』 あの嘲笑を、大和はひと時たりとも忘れたことは無い。 『俺はオマエ等と直接会えるその時が、今から楽しみで仕方ないぜ。はははははははははははははははははは――!』 その時は、来た。 ● ――うらのべ、うらのべ! いっちにっのさーん! ―― 底抜けに明るい声が誰かの通信機から響いている。 まさに乱戦。少女人形が欠けた音を奏でる大会議室。百人は余裕で入るそこに、三陣営の猛者が入り乱れていた。 巨大なる氷の戦像が、崩れた天井よりも高いところから死体の群れへと拳を打ち下ろし、しかし革醒者の死体が握る槌にその脚を砕かれる。 その氷像の主である『雪女郎』氷雌は、ルイや『マンドラゴラ』歪螺・屡と共に会議室外のホールで死体の波を食い止めていた。しかし、有象無象とはいえ圧倒的な数の前には、多少どころではない討ち漏らしが発生している。物量で圧倒するという楽団の基本戦術が、まさにこの場で実演されていた。 だがそれは、裏野部の崩壊を意味するものではない。 「舐めないでもらいたいな、アーク。僕らが、僕らこそが『過激派』裏野部だ」 最も年若いであろう齢十二・三の少年が、奮戦ついに力尽きたノエルの肉から刃を引き抜き、突き飛ばして転がした。 彩歌のバックアップを受けながらとはいえ、ノエルが決して相性がいいとは言えない刀花に深い傷を負わせたのは、間違いなく殊勲と言っていい。命懸けの突貫、その穂先には天佑が宿ったとすら評していいだろう。 しかし、そこまでだ。ノエルはこうして『裏野部の忌み子』裏野部・重、過激派を体現する御曹司に討ち取られ、助けに入ろうとした桐もまた、爆炎を操る男を突破できないでいる。 モーゼスの攻撃も苛烈だ。死者たちの意識は粗方が裏野部に――一二三に向けられていたが、間に挟まれた形のアークがその圧力から逃れられるわけではない。ことに、陣の中央で攻守の要となっていた氷璃が呪弾に倒れたのは、痛恨の事態であった。 「まだか! まだ終わらねぇのかよ!」 怒鳴るランディも、それが完全な八つ当たりであると知っている。心中の焦りを押し隠し、一心に祈るアンジェリカ。 その可憐な唇がかすかに口ずさむのは、誰かに手向ける鎮魂歌。 (必ず止めるよ。ボクが、どんなことをしても) 想い半ばで世を去った全ての人々に捧げる葬送の歌が。 その歌こそが、彼女の誇りであり、神聖なる『音楽』であった。つまり楽団は二つながらにアンジェリカの大切なものを汚していた。 音楽と、安息の死とを。 (ボクの誇りを懸ける。魂も運命も、なにもかも燃やしてみせるよ) 我知らず歌うレクイエムは、今この瞬間にも無念を嘆く使者たちへ。少女の歌声に力はない。少女の願いに力はない。 けれど今ならば、彼女の祈りは破壊儀式を止めるための無限の力になる! (だからお願い、届いて――) 「邪魔はさせられねぇなぁ、アーク」 はっ、と振り返る。 気がつけば、守りに就いていたレイラインも引き剥がされていた。代わりに彼女の傍らに侍らんと死体の海を掻き分けるのは、異形なる面相の男。 裏野部一二三が、アンジェリカを止めるべく動いていた。その威圧に凍りつく黒衣の少女。 「俺はソイツを止めるつもりはねぇ――渡してもらおうか」 「――させません」 そして。 一匹の蛇が、牙を誇る猛獣へと挑む。 三輪 大和。 「この先には行かせません。例え、我が身を挺してでも」 「……オマエもあの露助とおなじ口かよ」 ニィ、と魔王の唇が歪む。 その胆力で彼の前に立ちふさがった外周部のウラジミール。彼と対峙した時とは違い、一二三はその歩みを止める事はなかった。だが、その印象は強烈だったのだろう。障害物を排除して先に進まんとする彼の目と声色には、幾許かの期待が表れている。 「御託は聞かねぇぜ。実力で止めてみな」 ぶん、と振り下ろされる太い腕。何も得物を持たない拳は、しかしどす黒い靄のようなものに覆われていた。ちら、と目に入れただけで、大和の全身に怖気が走る。 「アンジェリカ! 大和! おのれ小僧、わらわが相手じゃ!」 動く死体の包囲を脱したレイラインが、残像を残す駿足で――いや、もはや分身を生みかねないほどの超高速で一二三へと迫る。時間の流れすら遡行するほどのスピードを生んだ、彼女の脚と鉄扇の軌跡。凍りつく時の亀裂を、最凶の怨敵へと叩き付ける。 「これで、どうじゃ!」 だが、生み出された氷刃の霧は、一二三に触れようとした瞬間、湯気が立つような音を発して消え去った。彼が放つ圧倒的な威圧は、底知れぬ怨念の力は、宿主の全身を包み生半可な攻撃を通さない。 「なん、じゃと……!」 「――――」 驚愕の表情を見せるレイライン、その背後から聞こえた僅かな息遣い。思わず床を蹴って横飛びに避ける。一瞬前まで彼女の居た空間を横切ったのは至近距離から放たれた破滅のカード。 覆面で顔を半ばまで隠した『夜駆け』ウィウがそこに居た。言葉を発しない暗殺者は、もはや姿を見られたことに頓着することなく、その影から黒いオーラを伸ばしてレイラインを追う。ターゲットが大和でなかったのは、自らの主君に敬意を表してのことだろう。 「……っ、止まれ……儀式よ、止まって――!」 レイラインの叫び空しく、一二三の拳は振り下ろされ。 その後の数十秒の出来事は。 自らの手で掴み取った奇跡と、運命に導かれた奇跡との競演であった。 怨念の甲を纏った豪腕が、宙を薙ぐ。 「避けた、だと?」 何事が起こったかを信じられない様子の一二三が、その凶相に満面の笑みを浮かべる。今度こそ隠し切れない興味が、大和へと向けられていた。 「面白ェ、なら踊ってみろよ、リベリスタ!」 轟、と風を捲きながら、再び一二三はその拳を突き入れる。徒手空拳がどうというレベルではない。 そこに在るのは、ただただ圧倒的なプレッシャー、底知れぬ負の思念、そして――明確な殺意。 大和はその拳を愛刀で受け止める。たちまち体全体にのしかかる重量と威圧感。並みの剣士なら身体を硬直させ、刀ごと潰されて終わりだったろう。 (――蛇神様) だが、彼女は蛇巫の守り刀を傾け、その勢いを受け流す。暗殺者の業を修めた彼女は、決して剣術そのものに秀でているわけではない。それでも自然と体が動いたのは、或いはその由来が運命の一端を招いたか。 もしかしたら、この瞬間が引き返す最後のチャンスだったのかもしれない。今この時ならば、一目散に逃げれば命は助かったのかもしれない。 けれど、ここは既に死地で。 彼女の背には無数の命が背負われていて。 何より、彼女自身が、やらねばならないと知っていた。 だから。 「私も獣となりましょう。誇り高く、鋭い牙と猛毒を持つ蛇に――!」 体勢を崩した一二三。 懐に潜り込んだ大和。 影のオーラを纏った明鏡の剣が、美しい所作で振り抜かれ――一二三の胸に、大輪の花を咲かせた。 「俺を斬った、だと……?」 それは、日本最強の一人であり、また滅多に前線に出ることのない彼にとって、久方ぶりに味わう屈辱であり、また喜びだった。 もちろん、如何に七派首領といえども、精鋭による気力に満ちた一撃であれば攻撃を通すことはできよう。アーク総出で指一本触れることすら敵わないような、埒外の化け物ではないのだ。 だが、この際は。 運否天賦か実力か、彼の圧倒的なプレッシャーに立ち向かった小娘が、二度も拳をかわした上に一太刀を報いた、その奇跡こそを湛えるべきだろう。 「そうか、オマエは――」 一二三が満足げに拳を振り上げる。もう一度。最後の一度。 ――オマエは、きばのあるけものなんだな。 先ほどよりも黒々とした負の精髄を纏った鉄拳が、大和の腹を穿ち、貫いた。 ぶん、と腕を振れば、すっぽ抜けた彼女の体が床に叩きつけられる。 そして、驚いたことに。 「――は、あ――」 魂を燃やして。 大和は立ち上がった。腹の大穴は塞がらず血を垂れ流している。全身を苛む痛みは消えることはないが、歯を噛み締めて堪えていた。その口元からも、吐血が漏れる。 そして。 「そろそろしつこいよ。父さんはお前とは格が違うんだ」 ぞぶり、と胸に生える刃。 背後から突き入れられた凶器。それは御曹司・重が持つ七つ武器が一。あの賢者の石を柄に埋めた、全てを切り裂く死の刃。 ああ、彼が放った剣技こそは、名を『蛇の心臓』。転生を重ねる蛇をも殺すという、必殺致命の殺人剣。 (――、母さん) それが、蛇神に仕えた穏やかな少女の、声にならない最期の言葉。 世界と人々と、後に残す母を案じながら、彼女の意識は暗いところに落ちていく。 「……ちっ、水を差しやがって」 息子を睨み付け、一転して不機嫌な声色の一二三。興が削げたからさっさと片付けるぞ、と号令する。しかしその声は、アンジェリカには聞こえていなかった。 (止まって……早く、ボクはどうなってもいいから……!) 一心不乱に祈り続ける彼女。しかし、無常にも儀式は止まらない。アーティファクトは呼びかけに応えない。 「どうして……!」 フィクサードと剣を交え、傷つけ傷ついた桐が叫ぶ。思い起こされるのはあの冬の夜。三ッ池公園を赤い月が照らしたバロック・ナイト。 あの夜、一人の少女が彼の目の前で死んだ。 大いなる運命の寵愛に頼ることなく、ただ一人の人間として。 魔人の刃を身体を張って止め、そして散っていった。 「どうして私は、貴方達は、こんなにも……!」 彼女ごと魔人を討ち果たした親友も、既にこの世には亡い。理屈では判る。彼女らの犠牲は、結果として自分を含めた多くの仲間と罪なき人々を守ったのだ。 だが、それで納得が出来るかといえば別の話。そしてまた一人の仲間が散った。僅かな、けれど値千金の三十秒を稼ぐための代償として。 それを美談になど出来るものか。納得など出来るものか! けれど。けれど――。 「いつだって人間は、自分の足で未来へ行くものです!」 それは、あの時少女が伝えたかった言葉。感情を表さないはずの桐が、ぼろぼろと涙を流し、叫んでいた。 「裏野部も楽団も、邪魔なんてさせない! 禍の音色なんて、人は望まないのです!」 ――そして、気まぐれな運命は加速する。 桐とアンジェリカ、二人の体が眩く輝いた。彼の体内で『何か』が閃光のように弾け、一瞬のうちに燃え尽きる。それが何かを彼は知らない。知らないなりに、彼らが『運命の力』と呼ぶものだろうと漠然と感じていた。 桐の中で巻き起こった熱量はアンジェリカへと受け渡され、彼女の手を伝ってオーズの鈴へと流れ込む。容量を超えた負荷に、アンジェリカの全身が悲鳴を上げた。 「ありがとう……次は、ボクが頑張るよ……!」 永遠にして刹那の時間が経過する。 目を奪われていた一二三が、重が、ウィウが動こうとしたその時。 光は消え、そして、アーティファクトに一筋の亀裂が走った。 次の瞬間、膨大な魔力の奔流が室内へ、そしてビルの外へと流れ出す。 「不完全なまま儀式が暴走したか……! だが、制御は可能だ!」 苦い顔をするモーゼス。コールアングレを奏でようとした彼は、しかし危険を感じて飛び退る。大きく跳躍し、振りかぶった凶器をモーゼスが踏んでいた床に叩きつける赤い戦鬼。オフィスらしいシステムフロアがやすやすと砕け散る。 「お前ともずっと駆けてきた、だが駆け抜けるにはまだ早ぇ!」 ちら、と倒れこんだ桐に視線を流すランディ。その胸がかすかに上下しているのを見とめ、彼は小さく頷いた。 「いいか、玉砕なんてクソだ」 彼も傷を負っていた。だからどうした。これ以上の犠牲を出さないために、この身を燃やしてでも戦い抜いてみせる。 「俺達は絶対に勝って、生きて帰るぞ!」 戦士は咆哮する。 それは最早果たされることのない願いだと知っていて、なお――。 ● アーティファクトを破壊し、しかし半数が脱落したリベリスタは、この直後に割れた壁一面の窓から――一二三の足元に転がっていた大和の遺体を除いて――脱出した。 アリステアが事前に仮初の翼を付与していたこと、裏野部航空部隊が地上の残存勢力に気を取られていたこと。いくつかの偶然が、この脱出劇を可能としたのだ。 だから、これ以降は裏野部から恐山、そして『バランス感覚の男』千堂遼一を通してアークに齎された情報を加味したものである。 アンジェリカと桐の祈りにより、アーティファクト『オーズの鈴』を破壊することに成功した。だが、莫大な人命を消費して起動された儀式は、既に完全には止められないところまで進行していたのだ。 漏出する魔力をコントロールしようとするモーゼスを一二三が襲い、一度は首魁同士の直接戦闘となり――しかし、もはやこれまでと判断したモーゼスは、旗下の戦力の一部を足止めとして逃走した。 もちろん裏野部にコントロールなど出来ようはずもなく、暴走した魔力は不完全に儀式を発動させる。ツインタワーを巨大なる音叉とした破壊の音色は、ツインタワーそれ自体を除いて、大阪市中央区の一部を完膚なきまでに破壊した。 楽団や裏野部の凶行と合わせ、死者推定数千人。だが、それは儀式が完全に成功した場合の数百分の一の規模に過ぎなかった。もしも鈴の破壊に成功していなければ、大都市大阪はただ一人の、一棟の例外もなく消え去っていたのだから。 故に、リベリスタたちは英雄であった。困難な任務に挑み、数百万の人々の命を守った英雄であると、胸を張って誇るべき快挙だった。 例え、数百万の命を救ったことよりも、千人の命を、一人の仲間を救えなかったことを悼むのが、アークのリベリスタなのだとしても――。 なお、事件後ツインタワーを調査したアークの部隊は、ぼろぼろに傷つきながらも生き残っていた伊織を保護した。しかし、大和の遺体はとうとう発見されなかったという。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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