● 滑り込んできた電車のブレーキ音が、普段よりも大きく耳障りだったのに顔を顰めたのは幾人か。 だが、それ以上を気にするものはいない。 開く扉。 いつものように乗り込もうとした人々が一歩進み出して、止まる。 そこから漏れ出たのは、溢れんばかりの血の臭い。 長い髪を掴まれて暴れる少女の体を、別の腕が掴んだ。ぶちぶちべりりりり。取り合いになった体はその力に耐え切れず、髪どころか頭皮ごと引き剥がされる。だが、少女は叫ばない。別の腕に引かれた時点で、既に首があらぬ方向へと曲がっていた。ごちゅり。舌を下げた体が地に落とされ、重いものが落ちて潰れる音を立てる。明らかに死んだ少女の沈黙も、長くは続かない。眼球を反転させ、黄色い脂肪層と頭蓋骨を露出しながら立ち上がった。 隣では背後から抱きついた死者が、皮膚を突き破り飛び出した指の骨で生者の腹を割く。溢れ零れた内臓を掬い上げようとして、後から後から続く足に踏み潰され、絶叫。 母の手から弾き飛ばされ額を強かに打った、赤子と言っていい年頃の幼子も、四つん這いで動き出す。頭の内容物を垂れ流しながら這う小さな体を別の足が踏み、蹴り飛ばしていくが、赤子は泣き叫ぶこともない。癇癪を起こしたような叫びは上げているが、悲哀はない。もしかしたら、今彼、もしくは彼女を蹴飛ばした足こそ母親だったのかも知れないが――それは最早、意味もないことだ。 高校生が手にしていたコンビニ袋が踏みつけられ、スナック菓子が弾ける。老年に差し掛かったサラリーマンの男性の、引き千切られたコートのポケットから鍵が落ちた。孫であろう少年の写真を入れたキーホルダーが、蹂躙され割り砕けて行く。 ガタガタと、何事もなかったかのように殆ど空になった電車が走っていく。 使い物にならなかった肉片を乗せて。操られる運転手の死体を、ギリギリで逃げ込んだ生存者を乗せて。何れ操り糸の範囲を超えた死体はただの死体に戻るだろう。そうなった時に、操縦者を失った高速の鉄箱がどうなるかなど、目に見えている。ほんの少しの細い糸を掴んだはずの、生存者の結末も。 ホームに出た男は――そんなものなど開幕の合図にもならぬと、笑っていた。 この駅から続く行き先は、死だけである。 ● 「……ケイオス・"コンダクター"・カントーリオと、彼の率いる『楽団』が先日から事件を起こしているのはご存知の通り。その演奏が次の段階に入った様子です」 笑みはいつものまま、顔色は若干悪く『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)がそう告げた。 頻発した蘇り事件。高い隠密能力を誇る彼らの起こす事件を全て食い止める事は不可能だった。今や多数の死体が彼らの戦力となっている。 全ては隠し切れない。ジャック・ザ・リッパーの時と同じ様に、世間に満ちているのは恐怖。更にケイオスは自らの『楽団』に直接都市部を襲わせる気だ。行われれば一般の生活には致命的な打撃となる上に、死者を増やした楽団が更に手を付けられない存在となる事は間違いない。 当然これはアークだけの問題ではなく、恐山の『バランス感覚の男』千堂遼一によって齎された、『黄泉ヶ辻』と『裏野部』以外は当面敵対しない、という要請を時村沙織は了承した。彼らと争う事で死者が増えればそれだけ楽団は力を増す。互いの利害を考えた場合、これは好都合という他ない。 「……ですが。今回絡んでいるのは、その『黄泉ヶ辻』の首領、黄泉ヶ辻京介です」 溜息と共に吐き出された名前。閉鎖主義の支配者、悪名高い黄泉の狂介。 彼を死者の群れに加えるべく、動く楽団員がいるのだと。 「狙っているのは、バレット・"パフォーマー"・バレンティーノ。彼は死者を詰めた電車で、千葉駅へと現れ、該当駅からやや離れた場所に存在する京介を襲撃するつもりです」 悲鳴を背に、改札から出てくる男と付き添う少女。 死者の大群を背に、"パフォーマー"は先頭を歩んでくる。 誰かの脳裏にちらと浮かんだ事を察したのだろう。ギロチンは小さく首を振った。 潰し合ってくれるのは万々歳だが、見過ごすわけにはいかないのだと。 「京介が簡単に殺されるか。あり得ません。彼は降りかかる火の粉を払うでしょう。そんな彼を仕留める為に、バレットは更なる戦力を投下します。……結果として、どれだけの犠牲が出ると思いますか」 暗澹とした口調。楽団にとって現地調達の可能な死体などいくら使い捨てても痛くない。 そして京介が一般人の犠牲を厭うはずもない。 「今回の目的はこの二者を接触させない事。京介への対応は、別のチームが当たります。……皆さんに行って頂くのは、京介が付近から離脱するまでの足止めです」 気紛れな京介の興味を惹くか、別の事で逸らすか、はたまた説得を試みるか。 どれだけ時間が掛かるかも分からない、功を奏すかも分からない。 だけれど、京介への対応に当たった仲間を信じ、成功を信じ、それまで食い止めなければならない。 「ここ暫くの活躍により、アーク精鋭の多くはその名を、実力を知らしめています。……ですから、楽団にとっては良い『餌』に違いない。……バレットも釣りに来ている事は悟るでしょう。けれど、彼はその上で喰い散らかしに来ると思います」 彼の本命はあくまで京介だ。 だが、貪欲な楽団が、わざわざ自分の前に現れた餌を逃す必要もない。 「死者の殲滅は不可能です。打ち倒すよりも増える方が早い。救出も不可能です。そんな余裕はない。皆さんの最優先事項は、どれだけ長く自らの命を持たせるか、という事です」 最低限の数であるのは、各地で事件が頻発する以上、極端な人数は割けないから。 半端な人数を差し向けて、多くを失う訳にはいかないから。 本当に一握りの人数で、無数の死者に挑まねばならない。 諸刃の剣。名が知れているという事は、実力も比例して高い。失うのは、アークにとっては多大なる損失で、楽団にとっては降ってわいた益となる。死した仲間の体を持ち帰るだけの余裕があるかも分からない。そうなれば、待っているのは――。 処刑道具を名乗るフォーチュナは死刑宣告を前にした囚人の如く、乞う。 「お願いします。ぼくは皆さんが死者の群に加わるのを視るのは嫌です。とてもとても嫌です。……全部は嘘にできないけれど、ほんの少しでも嘘になるようにして、必ず帰ってきて下さい。……お願いします」 他の多数の命の為に自らの命を捨てる事は、許されない。 ● 冷たい風に流されて、通りすがりの少女らの会話が聞こえてきた。 そろそろ世界が終わるのではないかと。 なるほど詩的で楽しい推測だ。だがこんな事で世界は終わりはしない。 確かにその少女らの人生は終わったが、世界にはまだまだ楽しい音楽が溢れている。 「ウィルモフ・ペリーシュ。まー、今更何を言う事もねぇよな。あの悪辣の作るアーティファクトの癖は知ってんだろ?」 「……絶大なる力と、絶対なる破滅。主に悪趣味」 問いを口にすれば、今まで黙っていた少女が答えた。 今まで目的も聞かなかったのは、どうせ聞いても無駄だと思われているからか。構わない。 粘っこい音と悲鳴、すすり泣き、怒声、筋肉の千切れる音、母を呼ぶ声、途中で途切れる誰かの名、断末魔。血が、臓物がぶちまけられる悪臭が鼻につく。どこかで機械類に引火したのだろうか、微かに焦げ臭い。 「その通り。奴さんの作るモンは強力だが、相棒にするにゃちょっと具合が悪い。『マトモに』使えるのなんて本人除いてどんだけいるよ」 厳かな歪夜十三使徒第一位。自分は大将の知己である第五位のキース・ソロモン――我らが指揮者殿の音楽論をシアー以外で最も熱心に聴き理解を示す稀有な人物――以外とは面識はないし、その人となりなど知るよしもないが、事この『黒い太陽』に関しては神秘界隈に住まうものなら多かれ少なかれ耳にする名である。主に轟くのは、最高峰の付与魔術の腕と、それを最大限の悪意で引き伸ばした『作品』の悪名。 「ただ、この島国には『マトモに』使える例外がいる」 悲鳴と泣き声は、散発的に起こってはすぐに収まっていく。泣く必要のなくなった者達が、ぴちゃぴちゃと血溜まりを踏み締めながら起き上がる産声が聞こえた。ああ。ああ。ようやく曲が盛り上がりを見せてくる。 「……黄泉ヶ辻京介」 構えた愛器を時に弓で撫でつける合間に、声。 七つに分かれているという勢力を持ったグループの一つ、『黄泉ヶ辻』の首魁。 「なあ、天才か狂人か、どっちだと思うよゾーエ!」 金属の冷たい指をこめかみに当てて笑う。話を聞く限り、後者にしか思えないが――大将が興味を持った箱舟という対象以外にも、日本には存外面白いものが転がっているらしい。 天才だとしても狂人だとしても、数は暴力である。この街は人口も多い。材料には事欠かない。 楽団のスタンダード、知っていても避けられない災厄。常識を外れた奇才はこれにどうやって対処するのか。そしてそれは、どれだけの血と死を撒き散らしてくれるかと思えば笑いも止まらない。 世界は生と死に満ちていて楽しい事だ、アレルヤ! |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月12日(火)00:12 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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