● 視界は無機質な灰色に覆われていた。 明滅する明かりは無数の機器の放つもので、それは谷町浩司とって良く見覚えがあるものだ。 見る者が見れば、そこはアークのブリーフィングルームを思わせる見てくれであるが、谷町はそのことをまるで知らない。たらればに意味はないが、仮に何らかの理由で知っていたとするならば、ブリーフィングルームとの違いも明白であった。 部屋の隅に並んだ金属のラックにはホルマリンに漬けられた胎児の死体や切り取られた人間の部品が多数納められている。 さらには点在する巨大な硝子柱群の中は薄緑の液体に満たされており、どれもこれも得体の知れない怪物が浮かんでいた。 怪物の口につながれたチューブを通して呼吸する様子は、それらが生きていることを示している。 キマイラだ。見慣れた光景だ。 なぜならここは谷町の職場であり、彼はこれまで長く研究に携わってきたのだから。 彼は六道に所属するキマイラの研究員であった。 「お目覚めの気分はどうかね?」 これもやはり、何度も耳にしてきたはずの声音がやけに忌々しい。しわがれた声が妙に耳に障る。 谷町を覗き込む中年の男の顔はあまりに無個性で、特徴のない無貌としか表現しようがない。 「ぁ……」 その中年は彼の上司である。なのに谷町の脳髄は霞掛かったように、上手い反応を返せない。 「ぅ、ぁ……」 彼は何か質問を投げかけたつもりだったが、口をついた言葉は文字にならぬうめき声のようなものだった。 そもそも、こんな場所に己が仰向けに横たえられている理由が、彼には良く分からない。 「お待ちかね。それじゃあ始めるとしよう」 等喚受苦処は苛々と嗤う。 首元に迫るメスと、回転する歯のついた器具が不気味な唸りを上げていた。 だんだん思い出してきた。あの戦いの後、彼等が研究を続けていると、ある日突然吹き上がったガスが彼の意識を奪った。唯一人マスクをつけた等喚受苦処のけたたましい笑い声が脳裏に蘇ってくる。 「や、め……ろ」 振り絞った声が伝えたのは唯の一言。自分達は実験材料にされたのだ。 迫るメスの前に、急激な眠気が襲ってくる。もう、耐え切れない。谷町の意識は再び闇に閉ざされた。 ―― ―――― 「おいおい等喚、やりすぎじゃあないの」 「黙れ」 中年のすげないあしらいに、白衣の下に英国ブランドの地味なカーディガンを纏う若い男が肩をすくめる。褐色のチェック柄が胸元で歪んだ。 リノニウムの床に横たわっている人体の群れは、いずれも等喚受苦処の部下だったはずだ。 「全部いじったのかい?」 誰も彼も身体には多様な器官が植えつけられ、縛り付けられ、苦悶している。 「全然ダメだ、なってない。献体だってもうないよ!」 「大荒れ。ひどい有様だね」 「黙れと言っている!」 「はーいはい」 「おい旃荼処。あの女共はどうした」 これまで数々の作戦を共にした黒ドレスの少女達の姿は室内に見えない。献体として提供され、キマイラに改造された哀れな少女の二体が居るだけだ。哀れな呻きが癪に障る。 「契約切れだよ等喚。君が結んだんだろう。僕の御薬持って、今頃ストックホルムにでも到着した頃じゃないか?」 旃荼処はそう言いながら鼻で笑った。目の下隈を貼り付けた年上の同僚は、きっとアルコールでも切れているに違いない。そもそも同僚の精神状態など、彼が気にする所ではなかった。 「薬(ウィード)の在庫が切れてしまった所だったし、調度よかったじゃないか」 渇いた靴音に、割れた硝子を踏みにじる音が混ざる。 「他所の連中に、ほいほいココを見せる訳にもいかないんだしさ」 舌打ち一つ、等喚受苦処は柱のような水槽の一つを蹴りつける。割れた硝子、液体と共に何かの影が湿った音を立てて床に転げる。 飛び散る薬液が革靴を濡らした途端、等喚受苦処は床で蠢く胎児の身体を踏みにじった。頭部が爆ぜ、床を転げる眼球らしき器官も踏みつける。 「等喚、疲れているんじゃないかい」 「いささかな」 若い男――旃荼処は何かを思いついたように、カバンの中から瓶を取り出す。 それは小さなショットグラスに、緑のボトルだ。 「まあ、ここはやっとこうよ」 「……下衆な国産かね」 思えば等喚受苦処はここ三日程、飲酒はおろかロクに食事もとっていなかった。 ブロック菓子を齧り、ゼリー飲料を飲んだのは何時間前のことだろうか。ふと白衣のポケットを探るが、出てきたのはくしゃくしゃになった栄養調整菓子の袋だけだ。わざとらしく甘いチーズの臭いに吐き気がする。 酷く喉が渇く。ペットボトルの水は、先ほど吹き飛ばしてしまった。蓋は閉じているが、あんな薬液に浸かってしまえば、もう飲む気にはなれない。 「ちょっと山梨の北杜市に足を伸ばしてね」 答えも待たず、旃荼処はシングルモルトをグラスに注ぐ。友人がそれを望んでいるのは知っていた。 等喚受苦処はそれを一息に飲み干す。クリーミーだが力強い味わいが喉を転げて行く。二十五年物だろう。 「悪くない」 しゃがれた声でせせら哂って見せる。孕むのは自嘲。 「兵隊はこれだけ居るんだし、どうにかなるんじゃないの」 旃荼処の言葉は気楽なものだ。酷薄さを人の形に捏ねたような男に向けて返す言葉はない。 そこばかりは確約できない。 「どうだろうねえ」 等喚受苦処は惚けるように天井を仰ぎ見る。分かってはいる。分かってはいても意地はある。 「ま。僕はこれで帰るよ」 せいぜい上手くやってくれと、旃荼処はひらひらと手を振った。 再び室内には静けさだけが満ちる。もうキマイラ達の呻きも気にはならない。 旃荼処の手土産は、このボトルといくらかの神秘の薬品だけらしい。 二度目の舌打ち。これ以上の援軍は、最早充てには出来なかった。これだけでどうにかせねばならない。 等喚受苦処はボトルごとウィスキーを煽った。喉を妬くアルコールの戦果か、指の震えが漸く収まってきた。 六道の情報によれば、もういくらも時間はない筈だ。 振り返れば有象無象。烏合の群れの中。等喚受苦処は来るべき事態を待たねばならないのだ。 ● 「今度は――」 攻めます。と、桃色の髪の少女は呟いた。 アークのブリーフィングルームでモニタに映し出されるのは、とある研究所の情景である。 『六道の兇姫』こと六道紫杏が、キマイラを率いて三ッ池公園の『閉じ無い穴』を狙い攻め込んで来た事は、リベリスタ達の記憶に新しい。この施設は彼女の研究所という訳だ。 「なるほどな」 これまで防戦一方を強いられてきたリベリスタ達は、彼女の研究所を突き止めることが出来ないでいた。 だが、保護された『兇姫の懐刀』スタンリー・マツダの精神を完全でないまでも癒すことに成功したアークは、彼からの情報でその研究施設の場所を特定することが出来たのである。 「漸く――」 その大前提が崩れたということだ。 リベリスタ達に情報を提供したスタンリーは『必ず奴等を潰してくれ』と述べたらしい。 その瞳は暗い情念に燃えていたと言うが、無理もないだろう。 一族をキマイラにされ、自身も狂気の犠牲となりかけた彼はアークへの協力を惜しむ様子はないようだ。 彼を救出するにあたっての情報をリークした元こそ不明だが、スタンリー自身の言動や各種の情報、万華鏡の観測すら伴えば信頼性はきわめて高い。 密告者についてはさておき、大きく状況は変化したのだから、アークには課題も生まれる。 アークが迎撃戦に勝利した以上、次に何をすべきかは明白な事だ。 一方で六道紫杏の戦力は、三ッ池公園の戦闘からというもの枯渇する様子さえ見せている。 何せ彼女自身は知らない事柄ではあるが、『倫敦の蜘蛛の巣』が大迎撃戦の戦火に紛れ、紫杏派のフィクサードを暗殺していた経緯もある。紫杏にとって、その状況は絶望的に等しい。 「なので……」 そっと『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)は静謐を湛えるエメラルドの視線を上げる。 「大きなチャンスです」 奇しくも、今度は『迎撃』せねばならないのは、六道紫杏の方である。 アークにとっては、これまで大いに手を焼いてきた相手を叩きのめす絶好の機会という訳だ。 とはいえ、いつもながら危険は大きい。 「気をつけて下さい」 気に入らないこと、隠された謎こそ消えないが、兎も角ここは大きな打撃を与えるべき場面だろう。 「分かってるさ」 最早戦いなど手馴れたものである。リベリスタ達は静かに頷いた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月27日(日)23:20 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 分厚い鋼鉄に覆われた通路を抜け、『朔ノ月』風宮 紫月(BNE003411)は足を止める。 「ここでしょうね」 六道キマイラ研究の本拠地としては随分セキュリティが甘い。道すがらに撃破した哀れな研究員の認証カードを使えば、まるで冗談のように通貨行く。 突如モーター音と共に壁面が開き、幾本もの筒が姿を現す。だが現れた砲台がその仕事を開始する前に、『紅炎の瞳』飛鳥 零児(BNE003014)はそれを斬って捨てる。 その甘さはあくまで、リベリスタ達にとっては、という事でもあるのだった。 辺りから漏れてくる振動音は、いずれかの戦場から響いてきているのだろう。 アークは、先の戦闘で戦力の過半以上を失った六道紫杏にとどめの一撃を加えんが為、ここへ大規模な仕掛けにきていた。 アーク本部の情報によれば、ここに集った八名の戦場はこの扉の向こうらしい。 キマイラ―― 拳を握り締める『炎髪灼眼』片霧 焔(BNE004174)が想い返すのは、ひと月前の、あの日。 作戦を崩されて尚、仲間を守る盾となり、消えぬ炎を決意に変えて命さえ賭そうとした、あの日―― 三ツ池公園で期した手痛い敗北の味だった。 初めて彼等と相対し、退かざるを得なかった苦い記憶が蘇る。 だが。二度は許さない。踏み越える為に今がある。 今度こそ―― 絶対に負けない。 恐らく。敵に待ち構えられているという状況だが、壁の向こう側を視透す紫月の報告によれば、等喚受苦処はウィスキーのボトルを握り締めて床にへたり込んでいた。 己々が限界の力を身に纏い、リベリスタ達は鋼鉄の扉を破る。 「来ますぞッ!」 急速に膨れ上がる熱量を感じた『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)の警告は、しかし間に合わない。 扉が開くと同時に室内の床にへたり込む貫頭衣の少女が、その背に負う長大な戦車砲を放った。 爆音は、耳を圧迫する大気圧に掻き消える。 爆炎が視界を塞ぎ、振動は脳髄さえ揺さぶる。 前衛のリベリスタ達の中で、これを逃れることが出来たのは『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)一人だ。 降り注ぐコンクリートと鋼鉄の中、仲間達に一歩先んじたルアは二振りの刃を振るう。 切り裂かれた迎撃システムが纏う紫電と爆発を避け、飛び込んだのは等喚受苦処の眼前。逃げようと立ち上がった男はよろけ、周囲の機器に腰を打ち付ける。男の瞳に宿るのは憎悪の光。 「どうしても許せない――!」 迎撃システムの残りは皆に任せればいい。ルアは――あの泣き虫の少女は、等喚受苦処の射抜くような視線にも物怖じしない。 彼女はこの男を絶対に止めるつもりだった。逃がしはしない。 多くの犠牲の上に成り立っているという意味では、リベリスタ達もこの男も同じなのかもしれない。 多くを救い多くを殺したルアの道と言えど、この男の道と変わらないのかもしれない。 だが許せないのは―― この男は何も救わない事だ。胸元のStella Alpinaが揺れる。 ひしゃげたリノニウムの床と、盛り上がる金属のフロアタイルを尾で打ち払い、男を守るように這い寄るのはラミアだ。 奪うだけなら。 「私が倒す!」 だから絶対に負けられない。 迫る爪牙をかわし、尾の一撃を耐え切る。 「開幕、と」 だがリベリスタは少女に敵二体を相手させることなど許さない。 「……少々派手に行きましょう。炎獄……舞いなさい!」 爆炎の只中から放たれたカムロミの矢は、燃え盛る報復の業火を纏い、敵陣を多い尽くす。 続くのは雷撃。炎と雷は嵐となって荒れ狂い、迎撃用の機器達は火花をあげ機能不全に陥る。 雷撃の主は肩を並べる紫月の姉『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)だ。 リベリスタ達にとって迎撃システムの動向など些細なものであるが、放置する訳にもいかない。 ともかく、最早そんなものを案ずることはない。僅か数秒の内、敵陣の蹂躪ついでに全て破壊し終えてしまっていたから。 未だ爆風渦巻く最中リベリスタ達の猛反撃は留まる所を知らない。 吹き荒れる九十九が放つ銃弾の嵐に、続くのは赤い赤い大きな苺。 元々フィクサードとはいえこんな姿にされたなんて本当に哀れなのです―― 僅かな俯き。 燃え盛る室内に踏み込み苺を放った『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)が唇をかみ締める。 ならば。瞳を細め決意する。 その魂に必ず安らぎを与えると。 六道の玩具にされた全ての人々、生き物の為にも、この施設を二度とは使わせないのだと。 きな臭さを覆い尽くす甘酸っぱい香りに、騒然としていた黒服、研究員達が一様に頭を上げる。 即席のキマイラとされてしまったフィクサード達の知性や自我は乏しいらしい。 思い思い、味方へと向かい合う。今の彼等には仲間達の身体が甘い苺に見えているのだ。 そして―― ● 「キマイラだかマライヤだか知らないけど……」 緋色に燃える業火の中に影が揺らめく。 現れたのは――モルぐるみ。 煌く小さな翼を背負い『三高平の肝っ玉母さん』丸田 富子(BNE001946)が敵陣へと突進する。 「アンタごときが、アタシの相手が出来ると思ってるのかい?」 朗々と嘯く。おかんは戦車砲と融合した白人の小娘に力いっぱいぶちかます。 圧倒的肉感。豊麗線が震える。 ――この体力! ――――この心! 「折れるもんなら折ってみなっ!」 矢張り敵は理性を失っている。 知性が低下したプリムローズとラミアの二体に加え、即席キマイラ達は言うに及ばず、等喚受苦処さえ憎悪の視線を彷徨わせているばかりだ。敵はリベリスタ達の襲撃に備えていた筈だが、明らかに反応が遅すぎる。 それでも敵は流石にこれ以上を許すまい。稼げる時間は十秒といった所か。それでもこの十秒は零児等のほうが効果的に使える筈だ。 罠は既に全て破壊されている。後は邪魔な敵同士を引き剥がし各個撃破するだけ。 零児はその身の丈程もある大剣を横薙ぎに払う。暴風と共にプリムローズの身体は円柱型の水槽を突き破り壁面に叩きつけられた。 血飛沫が舞い、機器が火花を飛ばす。今だ。 「こいつはアタシだけで十分だっ!」 富子は燃え盛る室内を猛然と駆け抜け、がぶりとよつに決め込んだ。 「アンタ達は他を頼むよっ」 汗がおかんの頬を伝う。 アタシは―― 両足に力を込める。豊満な脂b……もとい。むちむちとした身体の内側に秘められた筋肉を一気に張り詰める。 いつでもアタシは笑うんだ―― 匂いに惹かれ、暖簾の外からいつもの食道に顔を出す。 立ち上る湯気――炊けた米の香り、揚げ物の音。 その日の業を終え、日常に疲れ切った大人達の奥底に潜む子供の心をそっと抱きしめるような母の笑顔。 今だってそうして皆を送り出すのだ。 崩れる鉄柱を掻い潜り、燃え盛る床を踏み越えて。焔はその可憐な白い指先に炎を灯す。 狙うのはラミアだ。 ルアは強力なリベリスタだが、相手取るのが怪物と六道幹部では危険が大きすぎる。引き離さねばならない。 一気に燃え上がる炎が、彼女の腕を焼き焦がすことはない。それは彼女の燃え盛る魂そのものだから。 焔が腕をなぎ払う。等喚受苦処とラミアは業炎に飲まれ、もがきのたうつ。 悲鳴か雄たけびか。ラミアの絶叫と共に振るわれる爪牙を受けても焔、ルアが倒れることはない。 絶対に。 「負けてたまるか――ッ!!」 怪物共がその身を焦がす炎を打ち払うことが出来たとしても。その根源、魂の焔を消すことは誰にも出来ない。 大切な恋人から贈られた二刀――光り輝く花蜜色の刃と八つの真実が等喚受苦処の薄い胸板を引き裂く。 「いいだろう……小娘」 口元から鮮血が溢れる。 「これが――」 地獄だ。 指先から放たれる一筋の鈍色が、爪牙に傷ついたルアを貫く。 それでも恋人が、親友が必ず守ってくれる。降りかかる嵐のような宿命から守ってくれる。 誰もが必死に戦っている状況の中で、己一人が弱音など吐ける訳がない。 想いを心に言い聞かせるように念じても、本当はもう決まっている。 刀身に込められた想いと共に、少女はその信念を貫く。 私は負けない―― 「絶対に諦めないッ!!」 明滅する意識の中で。痛みさえ感じる間のない冷厳な死の予感を、少女は運命と共に支配する。絶対に倒れない。 「何処を向いてるの?」 尚もルアを狙うラミアの射抜くような憎悪の念を一身に浴びて、焔は燃え盛る床から突き出す鉄筋を踏みしめる。 「アンタの相手は此処に居るわよ!」 ――あの時とは違う。 眼前の相手が完成形だから、どうしたと言うのだ。 これまでの戦いの経験がたとえ僅かな期間であったとしても、その密度は誰にも負けはしない。 揺らめく炎の様な無形の構えから、脚を引く。狙うのはラミア、そしてその向こうに位置するプリムローズだ。 たとえどんなに強い相手であっても知ったことではない。全て貫いて見せる。 今度こそ――その戦場に立つ全ての存在が逃げ出すことなど赦しはしない。 故に。焔の蹴撃は二体のキマイラと共に、脳裏に過ぎる苦い記憶さえも貫き通す。 ● 崩れかけた研究室の中、同士討ちを逃れた僅かニ体の即席キマイラさえも、風宮姉妹の炎雷から逃れることは出来ない。その全てが瞬く間の内に焼き尽くされた。 敵が誇る圧倒的火力にも、リベリスタ達は揺るがない。僅か一度膝を折りかけた焔と風宮姉妹も、それ以上を赦しはしなかった。覚悟の邪魔などさせはしない。 「……オマエにもわかるだろう?」 プリムローズを前にして眉を吊り上げた富子は大きく息を吐き出す。 鬼の形相。モルぐるみの拳が唸りをあげ、プリムローズの頬を打ち据えた。 「アタシはコブシ系武闘派ホリメなんだよっ!!」 「……ぃす」 拳と拳のガチンコ勝負。殴る。殴る。殴りつける。 「あいす」 床に崩れ落ち唾液を撒き散らしながら、うわ言のように何事かを唱え続けるプリムローズがその姿勢のまま剣を振りかぶる。富子の胸を覆う着ぐるみが切り裂かれる。赤い血が溢れる。 だが倒れる訳にはいかない。その強烈な生存欲は彼女を大地に踏みとどまらせ続ける。 ここは女の土俵だ。富子は四股を踏む。 そしてこれは人間とキマイラ。老いと若さ。嫁と姑。 その魂を賭け、生物としてどちらが上なのかを決める闘争なのである。 閑話休題―― 敵の得意とする所は圧倒的な火力だ。 襲撃したリベリスタ達の体力も大きく削れている。 だが―― 「さすが三高平のおかんなのです」 富子に送り出され、その背に守られるそあらは大粒のいちごを高く掲げる。 おかんは頼れる。けれど、だからこそ孝行だって必要なのである。 眩い神なる息吹が戦場を覆い、リベリスタ達を癒して行く。 これだけの思いなら、視線の先で傷だらけのまま踏ん張っている皆の母にも絶対に届くだろう。 それに――ピンクサファイヤのリングが煌く。彼女にはさおりんだってついているのだ。 期待に答える為にも、絶対に勝つのだ。 体力を大きく失ったルアに代わりフィクサードを引き付けていたのは悠月であったが、敵の圧倒的な攻撃の前に限界は近かった。 「貴方の友達は何で先に帰ったの?」 雪風の様な声音に等喚受苦処の顔色が変わる。立ち上る怒りと憎しみ。 「何で助けに来ないの?」 平素のルアの口から放たれ得る言葉ではない。 それでも。たとえ恐怖に震えても、心のどこかが冷え切っていても。 やらなければならないことは、ずっと分かっている。 そあらの癒しでルアは再び敵の前に立つことが出来た。完治等とは到底言えないが十分だ。 「小娘が……ッ!」 等喚受苦処の瞳が再びルアを射抜く。 だが。そんなものでは、最早ルアを退かせることは出来ない。 我武者羅に食らいつく。その身に何が降りかかろうと、絶対に諦めはしない。 敵の得手が火力に過ぎないと言うなら。零児は思案する、速攻こそが戦いの鍵なのだと。 ならば話は単純に、このまま全力で叩きのめせばいいだけだ。 苛烈な攻撃を一身に受けることを富子に委ねていたとしても、リベリスタ達が一刻も早く倒さねばならないのは、恐らく火力に最も優れ、キマイラとしての耐久力も有するプリムローズである事に変わりない。 アーク本部の情報に寄ればプリムローズはラミアと違い『絶対者』と呼ばれる能力を模した『アブソリュートシステム』とやらは搭載していないらしい。 ならば―― 瞬く間のうちに叩き込まれる鋼の暴風はプリムローズを打ち据え、その腕や脚に融合した鉄板を次々に打ち砕いて行く。 だがそれでもプリムローズは倒れない。キマイラの圧倒的な生命力は彼女を現世から解き放つことを赦しはしなかった。 強気に投げつけられ続けるルアの言葉に、酒に冒された男の顔がドス黒く染まっている。 「それって任せられたんじゃなくて、見捨てられたんだよね」 「小娘ぇ――!」 ルアの刃と等喚受苦処の震える指先が交差する。ボロボロの白衣は既に赤黒く染まり、見る影もない。 「もう要らないって事。かわいそうね」 だが研究者を研究者たらしめる最後の理性が、足止めに徹するルアばかりに囚われる事を思いとどまらせた。 総合火力なら己よりキマイラのほうが上であるならば。 「今から逃げる? ほら、逃げていいよ?」 再び頭に上りかけた血を冷やしつける。これまで幾度となく投げかけられた小娘の挑発に、男はどれだけの時間を無駄にしたろうか。 リベリスタ達を極縛の陣が覆い尽くす―― ● 等喚受苦処の変心に戦いは僅か三手の膠着を迎えた。 硝煙たなびく銃口を持ち上げ、九十九の脳裏に過ぎるのは何時かの記憶。 思えば敵との縁も長く続いているものだ。 今度はあの『名も亡き棘』ネームレスソーンの姿こそ見えないが、その片割れにケリをつける絶好のチャンスだ。 今後の犠牲を減らす意味でも、ここで一度片付けておかなければならないだろう。 逃がすことなど論外だ。 プリムローズの刃が耳を劈く叫びをあげ、富子の大きな身体に突き立っても、彼女は殴るのを止めない。 悠月の魔弾が、紫月の火矢が、零児の刃が、装甲を失ったプリムローズの身体を次々と引き裂いて行く。 傷つき倒れながらも、リベリスタ達の連撃はキマイラ達を着実に追い詰めてゆく。 「ぁ……ぃ、す」 「プリムローズ……」 ついに崩れ落ちるプリムローズの最後を見届け、富子は膝を付く。 力尽きた訳ではない。 「アンタ……アイスが食べたかったのかい……」 覗き込んだ口の中はがらんどう。金属の板が微かに振動している。声はそこから発していたのか―― 破れた腹腔の中身は全て取り去られ、身体の軽量化が図られているらしい。 頭脳は薬物で完全に破壊され、舌も胃袋も取り去られ――氷菓子等、例え生きていたとしても二度と味わうことは出来なかったのだ。 「さぁ!」 富子は立ち上がる。失われる命の前に流れる涙も汗と共に振り払い、おかんは力強い笑顔で振り返る。 「まだまだここからだよっ! 気合いれなっ!!」 満身創痍のリベリスタを富子が癒して行く。ここからの癒し手はそあらと彼女の二人となる。 戦いの安定度はぐんと上がったはずだ。 九十九は飄々と呟き狙いを定める。 「こちらもそろそろ救ってあげましょうかのう」 頭蓋が爆ぜ、ラミアもゆっくりと崩れ落ちた。床に血が広がり、薬液に混じる。 「さて……」 そろそろこんなキマイラを生み出した本当の外道を本当の地獄へ突き落とさねばならない。 「あなたは此処で負けます」 リベリスタ達はついに一人の男を囲んでいる。 男の指先が震えている。 「嘘だと思うなら、貴方の地獄に私を落としてみれば良い」 凛とした妹、紫月の声音。 彼女は話に聞いたことがある。 等喚受苦処―― それは邪見や、嘘を吐いた者が落ちて行く十六小地獄の一つであると言う。 燃える黒縄などに縛られながら崖に落とされたりと、熱や炎などを伴った何かに責められるのだと言う。 「……一度、堕ちてみますか、等喚受苦処」 きっと似合うだろうとカムロミの弓を引き絞る。 その名を示す地獄へ向けて。その名を顕す地獄へと落とす為に。 矢が放たれ、男の胸に突き刺さり、男は運命を従える。 だが直後に放たれた二刀の刃に、裂帛の一撃に、炎を纏う拳に、弾丸に、男は再び膝を折る。 運命を歪めることなど出来はしない。 等喚受苦処―― それは黒縄地獄は小地獄の一つ。 仏法においては、偽りの法を説き邪を成した者が行き着くのだと言う。 姉、悠月から静かに舞い落ちる言の葉。 「叫喚、阿鼻……あの男達といい、この男といい」 何故その所業に相応しい地獄の名を名乗っているのだろうか。 或いは――それが、逃れたいと想起する死の形だからなのか。 思い起こせば、仏法における罪の基準で言えば、私達も他人の事は言えない同類なのかもしれない。 それでも。この男は倒されねばならない。 だからこの業はこの先、彼女等が背負う物なのかもしれない。 鼻を突くアルコールの臭いを漂わせ、等喚受苦処が何事かを喚いている。 「――邪見の徒、等喚受苦処」 悠月が手の平を差し伸べる。 「あなた達は些かやりすぎました」 細く冷たい指が、男の顔をそっと覆う。 あなたに相応しい地獄に。 等喚受苦処に―― 男は最後の力を振り絞り、地獄の名を冠した力を発現させようとする――間に合わない。 ――先に落ちて待っていなさい。 それは男が、現世で聞いた最後の言葉だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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