● Scabiosa――『私は全てを失った』『不幸な愛情』 ● 兇姫への復讐が叶うのであれば。己はどうなっても構わないと懐刀は言った。 八つ裂きにするなり、火に焼べるなり、実験動物にするなり、心臓を杭で打つなり。 「私はフィクサードです。それもあの女の手先です。リベリスタの貴人方からしたら顔を顰めたくなる様な悪事もやってきました。 盗みをしました。殺しをしました。あの生物兵器を作る片棒を担ぎました。 私は、貴人方に裁かれて当然といえる存在でしょう」 故に、そうなっても構わない。だから、だから。 「……何としてでも、あの気狂いを」 安定剤で正気を保つ男は目の奥にどす黒い執念を燃やし、リベリスタへと打ち明ける。彼の知る限りありとあらゆる情報を―― ● 「――えぇ、分かりましたわ。問題ありませんの。Bye」 通話を終えた六道紫杏の声は常と変わらないものだった。だが、その表情に余裕は無く。通話を終えた後に紡ぐ言葉も無く。 受話器の向こうに居たのは愛する教授――ではなく、その配下。『倫敦の蜘蛛の巣』。そして伝えられた内容は、自分の撤退の支援。 「……」 唇を噛み締める。この歳若い天才は認めなければならなかった――敗北し、力を使い果たし、疲弊し、そこを狙われているという事実、『自分自身が窮地に瀕しているという状態』を。 そんな時、まるで傍で見守っていたかの様な最良のタイミングで垂らされた『蜘蛛の糸』。地獄から脱出できる一縷の望み。 箱舟から逃げるのは悔しいが、屈辱極まりないが、それを掴む他に手段は無く。 ――大好きな教授が自分を救おうとしてくれているのは本当に嬉しい。だが、それを上回るほどに悔しかった。これ程までに無い屈辱だった。耐え難いほどの怒りだった。 「スタンリー! スタンリー! スタンリィーー!」 わきあがる感情のままに名前を読んだ。されど返事はない、何処からも。 「……嘘よ。嘘よ。あれがアタクシに背くなんてありえませんわ。喜んでいたはずよ。だって、あの時、笑っていましたもの。信じませんわ!!」 紫杏の気は荒れていた。駄々っ子の様にかぶりを振るが、事実は無情なまでに事実――自らの下僕が最敵であるアークへ下り、恐らくはこちらの情報をリークしたという事。 「そうよ、きっと箱舟に洗脳されているんだわ。脅されてるの。きっと。あぁ、箱舟、箱舟、箱舟!! 忌々しい、忌々しい! 嫌いよ、あんな奴ら、大嫌い! 大嫌い! アタクシをぶつの、邪魔をするの、意地悪をするの!!」 六道紫杏は天才である。だが蝶よ花よと甘やかされて育ったその精神はあまりにも未熟で、歪で。 だが、震えるその肩を抱き締めてくれる者は、背中を頭を優しく撫でてくれる者は、大丈夫だよと優しく囁いてくれる者は、ここに居ない。 「……どうして誰も来てくれないのよぉぉ……! 聖四郎さん、プロフェッサぁあ……!」 最愛の恋人である聖四郎は来てくれない。最愛の師であるジェームス・モリアーティもここには居ない。最高の道具だったスタンリーも、最早アークの犬となった。 目を真っ赤に潤ませる兇姫。その背後では警報音がけたたましく鳴り響いていた――それは敵の来襲を知らせる音。敵とは? 一つしかない。箱舟だ。 死んでしまえば良いのに。あんな奴ら、死んでしまえば良いのに。ありったけの呪詛を口から吐きつつ紫杏はキマイラを呼び付ける。 創造主の命令に従って寄って来た悍ましい生物兵器共に彼女はギュッと抱き付いた。その装甲に爪を立て、混ざりものの肉に顔を埋めて。 「……みんなしんじゃえ」 ● 「さて。用意は宜しいですかリベリスタ様方」 ブリーフィングルームにて一同を出迎えたのは、スタンリー・マツダその人であった。 「如何なさいました、斯様な顔をなされて。……あぁ、ご挨拶が未だでしたね。 私は『兇姫の懐刀』スタンリー・マツダと申します。主流七派が一『六道』のフィクサードとして六道羅刹大旦那様の妹君である六道紫杏お嬢様にお仕えしておりまし『た』」 た。静かに言い放たれたそれは過去形であり、彼がもう『そちら側』ではない事を示していた。 彼は主人である紫杏本人に一族を全て生物兵器に変えられ、彼もまたキマイラに改造されそうになり気の狂うような実験を繰り返されたのだ。 特に、凪聖四郎より六道紫杏へ齎されたアザーバイド『混沌』のデータ。それを付与せんとした影響による狂気は想像を絶するものであり、アークの技術による治療を施しても彼の精神を未だ黒く黒く蝕んでいる。 「……『調子』の方ですか? えぇ、良くないですよ、医者に止められる程度には」 表情一つ変えずに皮肉を一つ、彼に促されるまま座ったリベリスタ達に次いで声をかけたのは『歪曲芸師』名古屋・T・メルクリィ(nBNE000209)だった。 「はいそういう訳でメルクリィですぞ。……先日の『三ッ池公園事件』は覚えてらっしゃいますね?」 「紫杏お嬢様が『閉じない穴』を狙い攻め入ったという話ですね。私は情報のみでしか知りませんが、見事撃退なされたようで。流石の箱舟ですね」 で、とスタンリーは諸手を後ろに組んだ姿勢にて続ける。 「貴人方は、『その次』への足がかりが無かった。兇姫(あの女)の本拠地、内部事情、etc―― ですが、件の『事件』で研究所内が手薄になった切欠と、とあるキマイラが暴走したという偶然と、研究所から私が逃げ出せたという奇跡と、私にも分からない『何者か』による箱舟へのリークという謎と……」 ――『とあるキマイラ』はきっと殺されたのだろう。己の事を語りながら酷く客観的な物言いをしつつ、懐刀は思う。されど表には一つも出さず、淡々と言葉を続けた。 「……諸々の因果が重なって、今、私が、『六道紫杏を世界で三番目に良く知る男』が、ここに居ます」 それはアークが『足がかり』を得たという事実。紫杏に並々ならぬ憎悪を抱くスタンリーはアークへの協力を惜しまず、箱舟が未だ足取りが掴めていなかった紫杏の『本拠地』についての情報をもリークしたのだ。 「そして今、紫杏派勢力は先の事件に総火力を用いた為に疲弊枯渇しとります。 そう――彼女の牙城に攻め入るなら『今』しかないのです」 言いながらメルクリィが背後モニターを展開させる。画面に映るは広大な荒野、そこに建つのは――何と形容しようか。無秩序に様々な建物を寄り集め乱立させた一塊の大建造物。宛ら城塞。 「こちらが紫杏様の研究所『本拠地』ですぞ。彼女はこの中央深淵におられます。 どうやら『倫敦の蜘蛛の巣』が撤退の支援を行うそうで。 皆々様が紫杏様と接触してから少し経つと、蜘蛛の巣のメンバーが出現します」 彼らの目的は紫杏の確保だ。故に途中で彼女が戦線離脱する可能性は相当高いだろう。 スタンリーが口を開く。 「申し訳ございませんが、私は『倫敦の蜘蛛の巣』の詳細を存じ上げません。 一つ言える事は、彼等は『あの』モリアーティ様の兵士。課された任務の達成を何よりとし、その為には手段を選ばぬ者達。一筋縄ではいかない曲者揃いでしょう」 「どのようにコンタクトするかはお任せしますぞ。 さて、次にこの研究所についてですが――」 と、メルクリィはスタンリーを見遣り、頷いた丸眼鏡の男が続きを請け負った。 「ラボ群は広く、複雑で、おまけに迎撃システムと呼ばれる言葉通りの兵器アーティファクトが至る所に存在しています。 ……『目的地』までのご案内はこの私にお任せを。皆様お察しかと思いますが此度の作戦においては私も同行致します。道案内から斥候から肉の盾まで、この私めに何なりとお申し付け下さいませ」 一礼するスタンリーであるが――「尤も」と付け加える。その『精神状態』故に常時100%の力を出す事は少々難しい、と。状況によれば足を引っ張ってしまうかもしれない、と。 「皆様の作戦には従います。しかし、自分から申し上げておいてなんですが、あまり私を重要な役割に置く事はお勧めしかねます。申し訳ございません」 あまりご無理はなさらず、とメルクリィの言葉に「ここで無理をせねばいつするのです」と返し。スタンリーはリベリスタ達を見遣る。真っ直ぐと。 「――さて、疲弊しているとはいえ語るも悍ましきあの『兇姫』。一筋縄でいかない事は確かでしょう。 嗚呼、フィクサードがリベリスタにこんな事を言うのもなんですが。……貴人方なら、きっと出来ます。私は貴方々を、箱舟を、信頼しております」 どうか、宜しくお願い致します。懐刀『だった』男は、静かに頭を垂れた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ガンマ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月31日(木)00:10 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●和蘭石竹 ――されど彼女は首を振った。 盲目的に、狂信的に、差し伸べられた手を振り払い。 拒絶する。 ●侵攻者 真っ赤に鳴り響くアラート音が鼓膜を不快に振るわせる。 まるでキマイラを思わせる無秩序な要塞をリベリスタ達は駆けていた。彼方此方から戦闘音が鳴り響き、キマイラの咆哮が響き、怒声が、鬨の声が、断末魔が、聞こえる。 三ッ池公園以来の、六道紫杏との戦い。 果たして彼女は自分を覚えているかどうか――どちらであろうと『三高平の悪戯姫』白雪 陽菜(BNE002652)の成す事は決まっている。『閃拳』義桜 葛葉(BNE003637)にとっても同様だ、気を研ぎ澄ませ深呼吸一つ。 「望む結末掴む為に俺は拳を振るう、それだけだ」 それ以外は何も要らぬと無欲な強欲は道破する。 気合十分。寧ろ気合ややる気がなければ出来っこない。表情を引き締める『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は姉より受け継いだ運命の得物、霊刀東雲をぎゅっと握り締める。 この先に居るのであろう、『六道の兇姫』こと六道紫杏――キマイラなどという狂った玩具の為に、あまりにも多くの命を犠牲にしたフィクサード。 彼女をこの場で逃がしてしまう事とは即ち、更なる血が流れる事を明らかに示していた。 だからこそ。 「絶対に倒すよ。世界を守るために……そして、殺された人々の仇を討つために!」 士気を高めるリベリスタ。 その様子に、「若いねぇ」と『√3』一条・玄弥(BNE003422)はからから笑う――絶対に紫杏を逃がさない、と意気込む仲間達とは対照的に彼の思考はドライだった。現実的、とも言えるか。 ……この研究所が制圧できれば御の字、紫杏を何とかできれば金星か。 「どちらにしてもあっしはいつも通りの仕事しまっさ」 未来なんて誰にも分からないのだから。 「さて」 と、リベリスタ達にかけられた声。それは先頭、元は『懐刀』として紫杏の使用人であったスタンリー・マツダ。今はアークの協力者。僅かに振り返った赤い眼が皆を見据える。彼の案内によって、リベリスタ達は安全な道を進む事が出来ていた。 「……間も無く到着です。準備はよろしいですか?」 頷きを返すリベリスタ。左様で、と顔を戻すフィクサード。 その握り締めた手が小さく震えているのを、『おかしけいさぽーとにょてい!』テテロ ミーノ(BNE000011)は見逃さなかった。努めて澄ました顔をしているが、『怖い』のだ。恐怖とトラウマの象徴であるあの兇姫と対峙する事が。キマイラと戦う事が。狂気に飲まれるかもしれない事が。 そして、死ぬ事が。 「スタンリーちゃん!」 「スタンリー」 その手をぎゅっと、2人の少女が握り。 「たいへんなじょうきょうだけど、『みんなで』がんばろーねっ!」 「そうだぞ、ボクは約束したのだ。君を必ず連れて帰ると」 振り向いた男へ向けるのは、じっと見上げる『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の翠瞳とミーノのとびっきりの笑顔だった。僅かに瞠目する懐刀の手をぶんぶん振り、ミーノは一生懸命続ける。 「スタンリーちゃんのきもちはわかるけど、いまはみんなで、みんなでがんばらないとだめなんだよっ! わかった?」 「そそ。とりあえず無茶しないようにね、せっかく助かった命なんだから大事にしないと!」 「ヘルマンさんが貴方の無事を願ってるよ。混沌に負けないで、憎悪に負けないで」 無邪気なウインクを向ける陽菜、真っ直ぐな眼差しで言う霧香も加わり激励する。 「……承知致しました。仰せのままに、お嬢様方」 答えたスタンリーが見せたのは、極々僅かだが――微笑。少女の手を少しだけ握り返して。 しかしそれも一瞬、前に戻す顔を引き締めて。 「あの先です」――見えた扉。 さて。 往こう。 もう後戻りは出来ない。 「ハローハロー。ご機嫌麗し? ぐるぐさんですよー!」 ドアを蹴破りご挨拶。最初から景気良くいかねば、と『Trompe-l'œil』歪 ぐるぐ(BNE000001)は両手に花束を溢れさせた。 「あしょぼー」 「貴方が仲間を皆殺しにするなら考えてあげてもよくってよ」 友好の欠片もない紫杏の声。毎度ながらつれない返事だとぐるぐは口を尖らせつつも、諸手の花束の中からL・ドッペルガンナー(EX)とR・コラージュ(EX)を取り出した。 「六道紫杏……」 他のリベリスタ同様、『禍を斬る剣の道』絢堂・霧香(BNE000618)の目に映ったのは広い空間と、壁従にずらりと並んだ迎撃システムと、展開した禍々しいキマイラと、その奥に――六道の兇姫。 その目にあるは底のない憎悪、嫌悪、憤怒。露骨なまでの敵意。 「いずれ来る事は想定しておりましたわ、アーク。それから……スタンリー」 忌々しい、と歯噛みする。もうあんな道具要らない。要らない。全部死んでしまえ。 彼女の姿を、殺意を、霧香は初めて直接体感する。 紫杏が造り出した凶悪なキマイラと戦っている自分の姿を、彼女は見ただろうか――しかし覚えてないだろう、きっと。 それでも、いい。そんなの些細な事。 「大切なのは、今、あたしが此処で……あたしの道を示す、って事!」 地を蹴ると同時に靡かせる白無垢の羽織。蒼銀の髪。疾風の様に駆け、見据える先にはデス谷さん改。彼女のやや後方に続くのは葛葉、ぐるぐだ。 だが、それを通すまいとジャンクソルジャーが押し寄せる――9体の壁を速度を持って突破し、デス谷さん改への間合いを詰める! 「あなたの相手はあたし達。往くよ――!」 「お前は壁だ。俺達にとって、その道を阻む障害。故に、立ち塞がるならば打ち砕くのみ!」 霧香が抜き放つ妖刀・櫻嵐が白銀に煌き、桜吹雪が如く剣舞を舞い魅せる。葛葉の氷爪が鋭く振るわれ、ぐるぐは改造銃から毒の魔弾を打ち出して追い縋るジャンクソルジャーを穿った。 さすがに初撃では微動だにせぬか。それらの攻撃を装甲で受け止め、デス谷さん改は基盤の電気盾を展開させる。 一方で、立ちはだかる生体機械の壁。それを躱さず、寧ろ真正面から速度を緩めず吶喊する男が一人。 「さぁーて……焼却処分されてぇゴミは何処だ?」 ドスの利いた低い声と共に、振り上げられたのは『消せない炎』宮部乃宮 火車(BNE001845)の左拳。揺らめく陽炎に火が浮かび上がり、爆の文字が睥睨した。 「雑魚共ぁすっこんでろぉッ!!」 薙ぎ払う腕。それは彼がいつも使用する業炎撃ではなく――とっておきの『裏技』、鬼業紅蓮。幾つもの火柱が立て続けに立ち上り、悉くを焼き尽くす地獄の劫火が彼を中心に生み出される。 ふーっ、と歯列から吐息。火焔地獄の中、睨め付ける先には六道紫杏。 「売ったケンカ途中で終わるか? 笑わせんじゃねぇよ、高くついたなキチ姫風情が」 いいか、と火車は歯を剥いて。 「その機械の耳の回路かっぽじってよぉーく聴け! 世の中はテメェ以外で大いに回る! テメェ自分が世界の中心と勘違いしてただろ? 身の程知ってグズってろ!」 「マスターになんと無礼な……育ちが知れますね」 紫杏の傍に控えるベルンハルトが振り向き主人を見遣った。彼女は反論をしない。だが、その代わりに指を鳴らし――The Room。アーク陣営の神秘能力と物理能力を入れ替える。 「この星が回っているのは、アタクシの力ではありませんわ。星が出来たときの回転エネルギーがそのまま自転に引き継がれただけでしてよ」 素か、それともありったけの皮肉か。何にしても彼女なりの宣戦布告だろう。 「……なんだ、ちゃぁんと言い返せるんじゃねーか虫女様よぉ、元気ねぇから心配したぜ!? どっかのボキャ貧たぁ大違いだな! で、そのボキャ貧で愉快な包帯面ぁ何処行ったぁ?」 「包帯面? だぁれそれ。貴方のお友達?」 「っだはははははははははは! ほんっと……なんだ! あれだなぁオイお前らはどいつもこいつもよぉ!」 死んでまで笑わせてくれる、と腹を抱えて大爆笑。まぁマトモに教える義理もなかったんだが。 「ぎゃはははは! はー、っはは、げほっげほぁごほっ、っかーマジ腹痛ぇ!! そりゃこんな状況追い込まれるわなぁ凡才!」 「……愉快な人ね」 噛み合わない話の、一方で。 「あちちちち……無茶苦茶しまっせ、ホンマ」 着物の袖に燃え移った火を叩いて消し、玄弥は漆黒の武具をその身に纏い備える。視線の先には駆動音を立てる迎撃システム、次の瞬間に大量のレーザー光線を発射した。 飛び交う破壊の光の中。 抑える者が居ない絶対完全のウェルギリウスが猛然と突撃を仕掛けてきた。狙いは――中後陣! 「っ……スタンリー、頼む!」 「お任せを」 雷音の声にスタンリーが飛び出し、それ以上の進行を食い止めると同時に擬似的な崩界の紅月を召喚し、赤い光で周囲を焼いた。 「さぽーとは、ミーノにおまかせっ!」 「來来氷雨!」 その間、仲間を支援する為にミーノが皆へ施すは翼の加護を。雷音は遍く全てを凍らせる魔の雨を。 衝撃に足を止めたウェルギリウス。だったが、ならばと身構える。そして放たれるのは収束された巨大な闇――中衛を、後衛を巻き込む強烈な光線。叩きつけられる。 「……これしき、なんだっていうんです……!」 硝煙の中、決然とした声。 黒に染まった景色を切り裂くように、高らかな詠唱。 「痛くもかゆくもないです!」 破壊を否定する聖なる風が吹き抜ける――苺があしらわれた洒落た杖:とちおとめEXを音を立てて突き、全身を切り裂かれながらも耐えた『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)が顕現させた聖神の息吹である。 それは遍く平等に仲間達へ吹き渡り、痛みと傷を癒してゆく。紫杏の厄介な『発明品』の所為でその回復力は常よりも大きく劣ってしまうも、彼女の成すべき事は一つ。ヒーラーとして、チームの生命線として、皆へ癒しを届ける事。 ――大丈夫。何も恐れる事はない。 大切な友人が、すぐ傍にいる。 大切なひとが、ここにいる。 「どんな状況でもあたしは戦場を支えるのです」 右手に輝くシルバーリング。ピンクサファイアの煌き。それは愛する時村沙織からの贈り物。 彼がここにいるんだから――みっともない姿は見せられない。愛しい人の前では、女の子はいつだって最高の状態で居たいのだ。 歯車は回り始めたばかり―― 「……ちえ、やっぱダメか」 電子操作の能力によって迎撃システムのハッキングを試みた陽菜だが、相手は『システム』という名こそ付いているがアーティファクト。残念ながら利用できないようだ。 ならば仕方ない、とインビジブルアーチェリー を虚空へ向ける。バチバチバチ、と迸る神秘のエナジーが赤白く光ったかと思えば、戦場へ降り注ぐのは焔の雨。 その雨の中を走るのは、身体のギアを強力に高め終えたセラフィーナだ。 「『それ』は、私にお任せを!」 自分の代わりにウェルギリウスの足止めをしていたスタンリーに声をかけ、バトンタッチ。踏み込むと同時に霊刀東雲が切り裂いたのは――『時』だ。時間の速度すら越える刃は氷霧となってキマイラに刻み込まれる。 ……戦いは始まったばかり。 だがフォーチュナの予言によれば、『タイムリミット』――倫敦の蜘蛛の巣が現れるまで、はあと30秒ほどか。 さて。 それまでにこの恐ろしいキマイラ共を『どうにか』して、紫杏を『どうにか』できるか? そんなもの、やってみなければ分からない。 やらねば確率は永久に零なのだ。 「六道の姫よ、前回の蜘蛛たちは君の持ち駒を多く殺した。 それは教授の差し金ではないのかな? 懐刀も無くし哀れなものだ」 陣地作成へ向けて魔力を練り上げる雷音が紫杏へ声をかける。彼女はベルンハルトが庇っている為に現在も無傷だ。そして雷音の声に耳を傾けようともしない。 だが…… 「ひとつ、朗報を教えよう。凪聖四郎が今こちらに向かってきている」 「……!」 聖四郎。その言葉に、紫杏の紫瞳が雷音へ向いた。今だ、とばかりに雷音は声を張る。 「君を助ける王子様は彼だ。倫敦に向かうと二度と会えなくなるぞ、それでもいいのか?」 「これだけ人様に迷惑をかけておいて悲劇のヒロインを気取っているのではないのです。 でもそんなワガママ姫を助けようとしている王子様がいるのです」 ちょっと羨ましいとか思ってはいないですけれど、なんて思いつつ、そあらも続けて紫杏へ言葉を投げかける。 「その王子様を妨害するのは教授の蜘蛛達なのです。 頭いいんでしょ? よく考えて……教授は本当に味方なのか。教授の蜘蛛達は今頃貴方の王子様の邪魔をしてるです」 「きっとアタシ達相当恨まれてるだろうから言っても信じてもらえるか分からないけど。 自分のもとに向かってる恋人と、それを邪魔してる師のどっちを選ぶつもりなの!? アタシだったら絶対恋人を選ぶよ。好きな人と心が通じ合ってて一緒にいられるなら、迷うことなんてなにもないじゃない!」 「紫杏さん、貴方と教授は同じタイプでしょうね。目的のためなら手段を選ばない。身近な人でも躊躇わずキマイラへと堕とす。 紫杏派の研究員を殺し、聖四郎がここへ来るのを阻む……教授とやらは貴方を手に入れてどうするのでしょうね。もしかしたら、キマイラに改造するのかも? ……貴方が、スタンリーさんにしたようにね」 陽菜、セラフィーナが紫杏をじっと見据えて言い、 「ジェームス・モリアーティ……お前は奴の計画の歯車の一つに過ぎない。凪聖四郎が助けに来ない? 当然だ、聖四郎は奴の計画には邪魔なのだ。 お前もまた奴の掌の上だ。もし、貴様が信じても良い物があるとするならば……貴様の恋人であろうよ」 「教え子を助ける優しい教授、ペアリングの王子様もこっちに向かってるらしいよ。愛されてるね。 でもね、その蜘蛛さん達はちょっと動きが変みたい。援軍では負けを仕向け、聖四郎さんの進行さえも妨げてる……この状況って紫杏さんにはどう見える?」 葛葉に続いて、ぐるぐは『鳥篭に入った紫鳥、案山子群と白馬の前に立ち塞がる蜘蛛』の人形劇を詠うかの様に語りかける。 「信頼もいいけど思考停止は天才殺しよね。 ねぇ世間知らずのお姫様、いつまで蜘蛛巣の籠で数式通りの歌を囀ってるつもりだい? そんな糸振り解いて自由気侭に飛んどくれよ。今この場にだって教授が教えてくれない色んなものが揃ってるのに」 「罠にはめたのは誰かねぇ。アークか。教授か。はたまた、恋人か。よー考えた方がええんちゃうかぁ~」 「紫杏さんはどうしたい?」 玄弥の溜息交じり声と、ぐるぐの眼差し。彼女にとって兇姫は『お気に入り』なのだ。だから、きっと、魅力的な輝きを見せてくれる筈だと―― アークリベリスタの言う事を信じてくれる筈だと―― 凪聖四郎がこの場に駆け付けてくれる筈だと―― きっと上手くいく筈だと―― ――誰も彼も、信じていた。 「…… はぁ?」 紫杏が見せたのは、不快感。 「何言ってるの。何言ってるの?」 それから、苛立ち。 「あんなにアタクシの邪魔を散々しておいて、アタクシのスタンリーを盗んで、アタクシを殴って、アタクシの研究所を滅茶苦茶にして。 ……どうして、証拠も根拠もないのにアタクシが貴方達を信じる理由があるのかしら? 何? アタクシは貴方達の都合のいいお人形なの? 殴っておいて邪魔をしておいて意地悪をしておいて『信じて』って手を差し伸ばすの? 何様のおつもり?」 肩を戦慄かせる。この時ほど彼女が怒りを覚えた瞬間はなかった。 「このアタクシを愚弄しないで!! 聖四郎さんだってどうせ貴方達が邪魔をしているんでしょう! ……えぇ、きっと、きっとそうだわ!! プロフェッサーがアタクシを裏切る事もありえない!! 絶対にない! プロフェッサーはアタクシを大事にして下さるのよ、小さな小さな頃からアタクシを教え導いて下さってるのよ、頑張ったら『えらいね』って褒めて下さるのよ!! 騙されないわ! 全部、全部全部全部全部!! 箱舟!! 貴様等が悪いのよぉおおおおおおおッッ!!!」 叫んだ紫杏が怒りのままに修羅戦風を放つ。それは迎撃システムの光と相俟って暴力的なまでにリベリスタへと襲い掛かった――まるで八つ当たりの様に。 ――頼みの綱は切れた。 否、端から綱なんて無かったのだ。 紫杏はアークを、リベリスタを心の底から憎んでいた。殺したいと思っていた。 生まれて始めて認識した、『敵』。 それが「信じろ」と言ってきても、どれだけ言葉を並べても、紫杏の耳には届かない。 きっと通信機で聖四郎本人の声を聞かせても「アークに脅されている」「変装しているだけかも」と信じなかっただろう。 紫杏にとって、アークは『絶対悪』。 そして、聖四郎とモリアーティは『絶対正義』なのだ。 例えるならば。もし、裏野部一二三が「今日から裏野部はリベリスタになってアークの仲間になります」と言ってきてもアークはそれを信じないだろう。あれだけの鬼畜外道な行いをしてきた連中だ。信じようがない。 それと、同じ事。 そしてもう一つ、リベリスタには致命的なミスがあった。 彼等は、『凪聖四郎がこの場にやって来る』と思っていた。 だが――アークのブリーフィングルームにて、月鍵世恋が担当する任務にて、明かされていた筈だ。 聖四郎は今、六道紫杏の研究所から300~500m程度離れた市街地に居る。しかもそれは『直線距離』であり、この迷宮の様な研究所のことを考えればそれ以上はあるだろう。 50秒――倫敦の蜘蛛の巣が現れるまでに聖四郎がここへ至るには、あまりにも時間が足りなさ過ぎる。 認識のズレが、重なって、重なって。 瓦解しきったそれを修復する術は、何処にも無い。 「都合良い話なんざぁ何処にもありゃしねぇんだよ」 紫杏が放った刃の圧力、ジャンクソルジャーのチェーンソーに肌の至る所から血を流しつつ、火車が吐き捨てる言葉。睨め付ける先の兇姫へ。 「……テメェが何を信じようが! 疑おうが! もうテメェしか見えちゃいねぇぞ……テメェだきゃ逃がす気更々ねぇ!」 怒声を張り上げ、焼き払ったキマイラの燃えカスを踏み躙り、蹴り飛ばし、只管に前へ。前へ、進む。 「駄作諸共燃え朽ちろぉ!!」 振り上げて、薙ぎ払い、怒り狂う鬼が吐くかの如く大火の波が周囲を焼いた。 だがそれは紫杏の前に立ちはだかる『盾』が、ベルンハルトが主人を庇った為に兇姫には届かない。なら潰す。燃やして潰してぶっ殺す。それだけだ。視線はぶれずに紫杏を見たまま。 「おい……例えばオメェがガキだった時。死にそうな奴を助けた事があるとしよう」 潰す前に教えてやろう、両手から炎を立ち上らせて火車は語る。 「カス共がどうはしゃいでようと、バカ共のアホ頭脳同士OKだ。だが相手によっちゃ誰か解らなくなる程ぶん殴られるんだ。 もし生きてたら悔い改めるんだな。そんで拳見るたび思い出せ。 ……今からこの業炎撃で! テメェの顔面ぶん殴ってやっからよぉお!!」 咆哮、吶喊――衝撃音。 「ぐっ――」 独裁テレジア。その能力によって意識を混乱させられていた霧香、葛葉へ容赦なく振るわれたのはデス谷さん改の巨大なチェーンソー。回る刃が肉を喰らい、彼らの鮮血を迸らせる。 「だいじょーぶ! ミーノがどんどんかいふくするのっ! しんぱいむようっ!」 キリッ、と表情を引き締めて、ミーノが放つブレイクフィアーが仲間の危機を払拭する。 マスターファイブ。五感をフル活用し、ミーノは戦闘を指揮し仲間を強力にサポートする。その支援力は流石自ら『サポーター』と名乗るに値するものであった。 体勢を立て直し、葛葉は拳に魔氷を作る。 「義桜葛葉、推して参る!」 「お前を自由にはさせない……!」 一閃が煌めく。白無垢の羽織を自らの血で赤く染めた霧香が華麗な剣技を魅せ付ける。物理能力と神秘能力が入れ替わるこの戦場でもやる事は変わらない――斬禍の少女の強さは、『疾さ』。 野を駆る疾風の如く、空を奔る雷光の如く。 その剣筋に、迷いは無い。 それが彼女の『戦い』だった。 しかし、無情にもキマイラの動きは止まらない。このキマイラはそこいらのエリューションとは段違いに強く――そして、『完封』ほど難易度の高い作戦は無かった。 一方で雷音は深淵を覗き込み、紫杏が作る『部屋』の正体が彼女の首元を飾るチョーカーである事を知る。しかし彼女に攻撃を届かせる為には先ず、主人を忠実に守り庇って悦んで痛みをその身に引き受けるベルンハルトを何とかせねばならない。そして、防衛戦こそクロスイージスである彼の得意分野であった。そう簡単には突き崩せそうにない。 戦場とは遍く期待通りにはいかぬものである――改めて思い知る。痛い程に。 それでも希望は潰えない。 「例え、どんなに強い相手であろうと倒れるわけには行きません。今、私の後ろには皆がいるんですから!」 紫杏の最高傑作。恐らくはこの研究所の中で最も強力な存在。それを単身で相手取るセラフィーナの疲弊は尋常ではなかった。 咳き込む様に息をして、滴る血で濡れた指で得物を握り直し。 姉さん、力を貸して――黎明の刃に映るは覚悟の横顔。 が、その肩をぽんと掴む手が一つ。 「チェンジで」 振り向いた先には指で交代のジェスチャーを行う玄弥。頷いたセラフィーナが飛び下がり、代わりに玄弥が前に出る。凶悪極まりないキマイラの視線が男を捉える。 「あっしと遊んでくださいせぇ」 さてさて自分はどれだけ『保つ』か。禍々しい閃光を放ち、男は哂う。 「お姫様がいないとハッピーエンドは訪れないですよ。聴いて! 貴方の王子様はきっと来るんだから……ワガママ姫が悪い蜘蛛に連れ去られないように!」 そあらは紫杏へと声を張り上げ、休みなく回復の祝詞を唱え続ける。それでも、歯車は、澱みなく時を刻み続けて。 閃いた。陽菜の矢が、スタンリーが放つ赤い月光が、迎撃システムの閃光が、紫杏の修羅戦風が。 時間が進む。 一刻と進む。 そして遂に――砂時計の砂は一粒残らず底へと落ちた。 「ろんどんのくものすが、くるよっ! しあんちゃんのほうから!!」 仲間へインスタントチャージを行っていたミーノの耳がピンと立ち、幼い声による警戒が戦場に響く。 「くっ……効いてくれると良いのだが……!」 雷音が魔法の陣地を作り出した、その直後。 壁をすり抜け現れたのは、6つの人影。倫敦の蜘蛛の糸。 「ごめんよ、ちょっと失礼するよ」 帽子をちょいと持ち上げて、『グッドランナー』ウィルト・ブルームフィールドがニコリと笑う。 ついに来たか――戦闘態勢に入るリベリスタ。或いは掴み止めるべく走り出さんとしたリベリスタ。しかしその誰よりも速くウィルトは動いた。ジェットスタート。全力移動する時の彼を止められる存在は、居ない。 「ごめんなさいね、お待たせしたかなミス紫杏」 彼女の手を取り余力で下がり。駆け付けた部下のプロアデプトがセラフィーナのフラッシュバンと葛葉の暗黒とぐるぐのピンポイントから紫杏達を庇いその身に引き受ける。 蜘蛛に、紫杏は渡さない。何が何でもと思っていたリベリスタ達だったが―― 「些か手荒くしてすみませんが、急ぎますよ。モリアーティ様がお待ちです」 「えぇ、早く連れてって。一秒でも早く」 ウィルトの手を握り返す紫杏は、アークへ、部下へ、作品へ、元側近へ、最後まで視線を向ける事無く。 頷き笑んだ蜘蛛と共に、遥か下へと、落ちる様に消えていった。 最後にキラリと、薬指のペアリングが――あの日、あの丘で会おうと睦言を躱した時にも着けていた指輪が、効果を発揮しないそれが、煌めいた。それだけだった。 教授の協力があったとは言え、一度は無限回廊すら破った女だ。この陣地も破られてしまう事だろう。 その証拠に、紫杏達が再び現れる事は二度と無かった―― ●信仰者 「……テメェはミラーミスにでも守られてんのか? それとも、楽園にでも住んでんのか……?」 憎々しげな火車の舌打ちは、キマイラ達の悍ましい咆哮に掻き消される。 ウィルトの部下達は、其々が全体攻撃・或いは全体回復技を一発放つとウィルトに続いて床の下に消えて行った。彼等は陣地から出られぬだろうが、『その時』までこのフロア以外でのんびり待てばいいだけの話である。 そしてその部屋に残されたのは、リベリスタと、六道だった男と、二体のキマイラと、六道の男。 残されたフィクサード達に残された方法。それは、死ぬまでリベリスタに喰らい付く事。リベリスタに一つでも傷を刻み、彼等の主を苛めた『わるもの』を懲らしめる事。 さぁ、フィクサードも、リベリスタも、残された道は、もう、殺し合う事だけ。 どろどろに。凄惨に。血肉滴る暴力同士のぶつけ合い。 ぐるぐの毒弾に穿たれながらウェルギリウスが凄まじい咆哮を上げた。痛烈な一撃が振るわれて、セラフィーナの身体が血の弧を描いて吹き飛ばされる。床へ強かに叩きつけられる。 もう一方では、デス谷さん改のドリル槍が後衛をも巻き込まんと突き出され、陽菜の華奢な身体を抉り大量の血華を戦場に乱れさせた。 倒れる仲間に、ミーノは涙を滲ませる目で敵をきっと睨み据える。 「ミーノができることはさぽーとだけど……だからこそミーノがここにいるからっ。みんなをまもるためにここにいるからっ!」 少女が願うのは皆の無事。 皆に力を、戦う力を――込める魔力に願いを乗せて、ミーノのインスタントチャージがそあらの魔力を強力に満たす。既にThe Roomの効果は切れ、そあらの回復力は常の強力なものに戻っていた。 彼女の希望に応える様に。頷いたそあらは、渾身の魔力を込めて上位なる者へ祈りを捧げる。 「聖なる者よ――我等を救い給え!」 吹き抜ける奇跡の風は、雷音が繰り出す氷の雨の中で煌めきながら仲間を包んだ。 それは満身創痍でウェルギリウスを単身で抑える玄弥を、ベルンハルトへ炎の拳を叩き付ける火車を、デス谷さん改を何とか封じんと戦う三人を、そしてそあらの近くにいる雷音を、ミーノを、スタンリーを、等しく平等に治療する。 「必ず皆で生きて帰るんだから!」 ここにきて遂に、集中によって刃を研ぎ澄ませた霧香のアル・シャンパーニュが見事なまでに炸裂し、反撃の盾に身を裂かれながらもデス谷さん改の意識を奪う事に成功した。ウェルギリウスへ叩きつけられる槍――しかし最高傑作のキマイラに物理攻撃は効かない。 それでも凶悪なキマイラの内一体の足止めに成功した事は事実。 全ては、未来の為に――仲間が繋いだ好機を逃す程、葛葉は愚鈍ではない。 一撃一撃に魂を賭けて。願いを叶える為には対価が必要だというのであれば、命だって燃え尽きても構わない。 「はぁああああッ!」 一徹、間合いを奪うや叩き込まれた堅い堅い一撃がデス谷さん改の基盤シールドを粉砕し、その堅い装甲すら割り砕いた。 戦況は混沌。 度重なるリベリスタ陣の全体攻撃に迎撃システムは粗方破壊されており、もうあの光が輝く事は二度と無い。 六道、箱舟、互いに少しずつ削れていく中。 しかし天秤は、リベリスタ達の運命と血を代償に少しずつ少しずつ箱舟へと傾き始めていた。 その中で。 ミーノの視界に、ふらついたスタンリーの姿が映った。小さく呻いている声も耳に届く。 紫杏の姿を見た時、本当なら形振り構わず駆け出して、手にした刃を突き付けたかった。だがリベリスタに従ってそれを堪え、そして――じわじわ。キマイラの姿を見ていると、血を見ていると、視界が歪む。名状し難い冒涜的な声が聞こえる。 畜生こんな時に、と胃酸を逆流させそうな口を押さえる彼へ。雷音がその袖を掴み咄嗟に声をかける。 「大丈夫だ、僕達アークが君の味方だ。それに君を待っている人がいるんだ。 君の大切なひとは誰だ? 思い出せ。その人は君に死なないでほしいと言っていたぞ。 君はもう、自由の身なんだ。気をしっかり持て!」 「――、う、うぅ、ぐ……」 歯列から堪える様な息を漏らし、振り返ったスタンリーの目は狂気に染まっている。その真っ暗い眼差しに、雷音はゾクリとしたものを背筋に感じた。彼の口から真新しい血が滴っているのは裂ける程に唇を噛み締めているからだろう。 不定の狂気。見境がつかなくなる意識。しかしここまで発作を堪える事が出来たのはリベリスタ達の支えがあったからか。 振り上げかけた凶器を持つ手を――彼の身体ごと、抱き止めたのはミーノの小さな体だった。 「スタンリーちゃん! みんなが……みんなまってるからっ! むちゃしちゃだめぇぇぇぇ!!」 彼と、そして彼が『特別だ』と思うリベリスタの為にも。握り締める手と、呻く声。幻覚を振り払うように目を閉ざす。 そこへ、手が振り上げられて。 ぱん、と乾いた音が響いた。 「目を覚ますです」 そあらの平手が彼の頬を打ったのである。 「貴方は道具では無いのです。貴方を心配してる人は沢山いるのです。ここにいる皆も、来れなかった仲間も」 生きて帰るのです。叩いた拍子にずれてしまった彼の眼鏡を直しつつ、至近距離で彼女は強く言う。 スタンリーは目を見開き――それから、目を閉ざすと共に深く息を吐いた。「すみません」という言葉と共に、「もう大丈夫だ」という意味を込めて。 「謝らなくていい。良く耐えてくれた、スタンリー」 微笑む雷音が彼の背を摩る。彼女にとってはスタンリーの生還もまた目標の一つである。約束したのだ、『生きて帰す』と。 「……えぇ。私だって、死にたくはありませんよ。それに――」 『彼』にまだ、感謝を伝えきれていない。もっと話がしたい。 おこがましいかもしれないけれど。フィクサードにこんな事を言われたら彼は嫌がるかもしれないけれど。 許されるならば。こんな自分でも。『友人』と呼んでも良いだろうか、と。 生の希望を与えてくれた、自分が人間である事を取り戻させてくれた、『特別な存在』だから。 「おい病弱、何しようとテメェの勝手だがな、恩に報いろや。人間やってくならよ」 「ご心配なく、宮部乃宮様」 火車の言葉に応えながら、バッドムーンフォークロア。 「お釣りは結構ですよ。その分、食事でも奢って下さいな……私、『病弱』ですので」 「野郎二人で飯食って何が楽しいんだよボケ 油でも点滴してろ」 懐刀の軽口にケッと吐き捨て返しながら火車は正面に居る別の懐刀を睨ね付ける。如何に堅牢さを誇るとは言え、積もり積もったダメージにベルンハルトは満身創痍だった。 紫杏を崇拝するその男の顔に絶望は無く、寧ろ悲壮感に酔っている。振り落とされたチカチーロの舌が火車の肩口から胸にかけてを深く抉り鮮血を撒き散らしたが、炎が潰える事は無い。 「ったくしぶてぇ奴だなぁオイ……?」 そういう火車も『しぶとい奴』なのだが。起死回生、窮地の時ほど彼の炎は燃え上がる。振り被る紅蓮の拳が真っ直ぐにベルンハルトの胴を捉えた。 その一方。 「これで……どうだぁああああッ!」 チェーンソーを掻い潜った葛葉の爪が的確にデス谷さん改を捉え、その巨体を氷によって封じ込めた。 勝利を信じる。希望を信じる。 垂れた血が目に入り、赤く歪んだ視界で彼は霧香へアイコンタクトを送った。肩を弾ませる少女は頷くと同時に地を蹴り風の如く飛び出だす。 「あたしは、あたしの剣は、大切な人達を守る為に――!」 集中。己が全てを次の一撃に賭けて。 抜き放つは、桜吹雪の剣閃。 どうだ――リベリスタの鋭い視線の先で。剣戟に圧倒されたキマイラが半歩、後退する。更に半歩。蹌踉めいて。 ぶば。吹き上がったのは血飛沫。砕け切られた装甲の隙間という隙間から血を噴き出して。 超重量が頽れる、重い重い音。 倒した――だが勝利の余韻に浸っている暇は無い。戦いは、未だ終わっていないのだから。 「あっちこっち気が抜けないね」 裂けた頬から垂れる血を拭う暇すらない。ぐるぐがL・ドッペルガンナー(EX)から放つ毒弾の先に居たのは絶対完全のウェルギリウス、凍り付くコキュートスが玄弥を血沼に沈めさせる。 相対する。リベリスタと、キマイラ。 互いに体はボロボロで、疲労に息は乱れっ切り。血液も一体どれだけ流れた事か。 それでも戦いは終わらない。 どちらかが、完全に倒れるまで、倒し切るまで、続くのだ。 「さぁ皆、往こう。ボクらの帰りを待つ人の為にも」 凛と、雷音の声。 息を整え、武器を握り直し、リベリスタはキマイラへと吶喊する―― ●勝者と敗者 「は はは ははははははははは!! やった! やったぞ! 紫杏様バンザァーーーイ!!」 響き渡るのはベルンハルトの哄笑だった。 だが、もう、立っている『紫杏勢力』はそこに居なかった。 自らの血沼の中、大の字で、もう見えぬ目を見開いて、ベルンハルトはただただ笑い転げていた。 ――辺りに転がっているのは、肉屑になったキマイラの残骸。壊れた迎撃システムの破片。 フィクサードの笑い以外は、静寂。 血で染まりきった床。 最早誰も喋る気力すら無く、笑う男にトドメを刺す余力がある者もいなかった。 ごぼ、ごぼ。不快な笑いもやがて、肺に満ちた血に溺れて聞こえなくなる。 長い、長い、死力を尽くした凄惨な削り合いの結果。 そこに居るのは、アーク勢力のみ。 もうエマージェンシーコールも聞こえず、研究所中が死んだ様に――否、ここは『死んだ』のだ。主を失い、全てを失い。 ――遠くから何処かのチームの鬨の声が聞こえてくる。 あぁ、勝ったのだな、と……リベリスタ達は、限界を迎えた疲労にその場へ倒れ込む。 ●蜘蛛の糸 まるで予め『そうなる事』が分かっていたかの様な。 「アローアロー、プロフェッサー・ジェームス?」 窓の外。窓に映るのは電話機を手にした自分。その両方を何とはなしに眺めながら。 「……えぇ、大丈夫ですわ……ありがとうございますの」 離れて行く。遠退いていく。地面が、日本が。 「プロフェッサー。そちらに着いたら、抱きしめて下さらないかしら。……とても悲しいの。とっても泣きたい気分ですの。もう貴方しかいませんの」 恋人は結局訪れなかった。己の道を究める事のみを邁進する兄が助けてくれる筈がなく。「信じろ」と言うアークを信じられる訳もなく。 通話終了。無言で紡いだ唇曰く、「さようなら」。 『了』 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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