● 普通。何処にでも居る女の子。その血以外は何もない普通の子。在り来たりな少女。ただの玩具。 もう何度繰り返された言葉だろうか。狂気と鮮血に染まる世界に生きているのに。その精神は何処までも普通のそれで。 一歩、その足を外に向けたらきっと自分は自由だったのだろう。普通に生きて普通に死んだのだろう。そんな未来も、きっと、あったのだろう。 けれど出会ってしまった。覆い被さったまま息絶えた父であったものと、飄々と笑う兄であるもの。絶対的な存在だった。その狂気は何処までも暗く美しく。嗚呼。あの日、愛さなければ良かったのか。 可笑しな話だった。身の丈に合わない世界で生きて自分を壊してそれでも嗚呼息苦しいと泣くだなんて。 「ねぇ 縁破」 歌う様に囁いた。そうっと伸ばした指先が、細い肩を撫でる。片手で掴めてしまいそうな程に細い首筋に手をかけて折ってしまえば私は可笑しくなれるのだろうか。黄泉ヶ辻。少女の姿をしながらも抱える狂気はやはり美しくて。羨望と親愛と劣情と。向ける先を失うであろう感情が私の心を狂わせてくれるのだろうか。手を、伸ばしたかった。 けれど。それが出来ないのは自分自身が誰よりよく知っていた。だからこそ自分は普通でありきたりで何処までも黄泉ヶ辻には似合わない。出来損ない。すでに何度も作られてしまった普通のお人形。 哂って、ナイフを差し出した。 「お願いよ。人でなくなるのは貴女の手が良いの」 紅の瞳に、向けられる刃。取ってしまおう。同じになりたいから。同じになる為に。必要ならなんだって捨ててしまおう。角膜すれすれ。鈍く光る銀色と、此方を見る、あおいろが、瞬いた。 最悪な気分だとでも言いたげに。微かに眉が寄っていた。嗚呼。自分と彼女が逆であったなら。どれだけしあわせだったのだろうか。嗚呼でもそれじゃあ、きっと出逢っても居ないのだろうけど。 「普通やなくなるんやね」 投げかけられる声。ええそうよ、と笑って見せた。大好きなお兄ちゃんとお揃いの、特別な神秘を得よう。身の丈に合わないなんて知っているけれど。そうでもしなかったら自分は何時まで経っても普通のままだ。 「なあ、内緒やで? ×××××――」 ぐちゅり、と。焼け付くような熱を感じた。 ――さあ、愛に殉じて壊れよう。 ● 「どーも。至急の話よ。手が空いているなら『運命』聞いて行って」 即座に出される資料と起動するモニター画面。響希は酷く真面目な顔で話を切り出した。 「黄泉ヶ辻・糾未。あの京介の妹が、また動きを見せた。……まぁ、既に報告書上がってるんだけど、その一派が各地で変な事件起こしててね。 それに乗じる様に、って所かしら。まぁ、目的は不明瞭。先日あんたらが片付けてくれた、一連の黄泉ヶ辻によるセミナー関係の事件で得た情報に基づくなら……そうね。 あいつらは『ヘテロクロミア』と言うアーティファクトと、強化されたノーフェイスを使って、何かをしようとしている。加えて、上がってきた報告書から推測するなら、大規模で強制的な、革醒を齎すような事。 ……まぁあくまで推測なんで。それを確かめる、って意味でも、今回あんたらに行って欲しい場所があるのよ」 長い爪がキーを叩く。流れる、何処かの部屋。無機質なコンクリート部屋に詰め込まれた、何人もの人々の様子。これは何だ、と問う声に、リアルタイムの映像よ、とフォーチュナは呟いた。 「妹様から配信されてる素敵な招待状。……黄泉ヶ辻が使ってる、研究室みたいなところなんだけど。其処の一室に、一般人が老若男女問わず100人、詰め込まれてる。これはいわば人質。あんたらを、呼ぶ為のね。 まぁ、要するに『お遊戯』がしたいのよ。あんた達と。……時間は3分。3分以内に、ノーフェイス『ハッピードール』8体を始末してもらわなきゃいけない。それがお遊戯の内容」 勝ち負けは簡単。条件を満たすか満たさないか。何処までもシンプルな2択。負けたらどうなるのか。そう言いたげな視線を察した様に、フォーチュナは眉を寄せた。 「あんたらが負ければ、100人がほぼ確実にノーフェイスになるわ。……『ヘテロクロミア』があるのよ。『ハッピードール』と『ヘテロクロミア』両方が揃ったままであるなら、糾未は何時でも100人全てをノーフェイスに変えられるの。 ……幸いにも、なんでか知らないけど100%の発動はあり得ない。まぁ、その辺りが『カオマニー』とか言うアーティファクトを持って動いてた黄泉ヶ辻達が探してる何か、なんでしょうけど。ついでに言うなら一般人にしか効果も無いわ。 嗚呼、ちなみに3分の間に彼女がヘテロクロミアを使用する事は無いそうよ。それがこのお遊戯のルールだから」 信用出来るのか。その問いに、フォーチュナは皮肉たっぷりに微笑んでみせる。 「オニイサマが大好きなんだもの。オニイサマが約束を守るのに、彼女が守らない筈ないでしょう? ……最優先はお遊戯に勝つ事。ついでに、可能なら情報収集。 敵は『ハッピードール』に加えて、黄泉ヶ辻・糾未と、櫻木・遥斗。黄泉ヶ辻フィクサード5名。ジョブ雑多。良く見えなかった。『ヘテロクロミア』の所在も不明。各データはこっちの紙にあるから、移動中にでも見て頂戴。 ……嗚呼、後。糾未は、もう一つアーティファクトを所持してる。いや、身に着けてる、って言った方がしっくり来るかしら」 意味深な。言葉遊びにも似たそれに視線が集まる。ウィルモフ・ペリーシュ。囁く様に、その名前が零れた。 「大好きなオニイサマが、彼の作品と寄り添ってんのは知ってるでしょ? ……其処までお揃いになりたかったみたいね。『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』。義眼のアーティファクトを、彼女は右目に持ってる。 まだ馴染んでない。ついでに言うなら、まぁ『特別な』アーティファクトだから、まだ使えても居ないわ。能力も不明。まぁ、何時使える様になるかは分からないし注意して」 言い切って。後はよろしく、と立ち上がったフォーチュナはふと、その足を止める。よく似た、紅い瞳を細めた。 「あんな世界に生きながら普通だなんて、もうそれだけで十分に狂っているのにね」 彼女はそれに気づかないのかしら。呟いて。その背は扉の向こうへと消えていく。 ● 眩暈がした。気分が、只管に悪かった。 「糾未、大丈夫なの」 「……平気よ」 未だに痛む右目を押さえた。声が聞こえる。何度も何度も。ねえ、ほら、はやくと。急かす声が。緩やかに首を振って、前を見た。 膝を抱える子供。寄り添い合う恋人同士。家族。友人。人を沢山詰めた、コンクリートの素敵な箱庭。用意は万端だった。青ざめた顔で、満足げに笑う。 「きっと、楽しんでくれるわよね。誰かを救う正義の味方。嗚呼。素敵ね」 どんな戦いになるだろうか。勝てば認めてくれるだろうか。自分はまだ普通の枠を出られていないから。もっともっと。 成果を。褒めてもらえるような狂気を。早く作り出さなくちゃ。ぐずぐず。熱を持つ目に、きつく手を当てた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月04日(月)23:05 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 表裏一体。 愛すれば愛するほどに憎くて憎くて堪らない。 諦めきれないから願うのか。 願ってしまうから諦められないのか。 人は人であるが故に貪欲だった。その手は伸ばすことを止められない。憧憬は羨望の塊で。眩く距離さえ分からない、あこがれはつかめない。 だからこそ。 狂う事を望むのだろう。普通であり続けるだけで充分であったのに。お姫様は、優しく甘い真綿の世界にはいられなかった。 綺麗なドレスも可愛らしい靴もみんなみんな脱ぎ捨てて。ただの黄泉ヶ辻でありたかった女は背伸びする。 身の丈に合わない世界は苦しくて苦しくてけれど、それでも。 可愛い可愛いお姫様であるよりはずっと、幸せだった。 ● 踏み込んだ其処の空気は、酷く重く冷たかった。打ちっ放しのグレイは無機質で、『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)は興味無さげに周囲を見回し肩を竦めた。 その目が捉える青年の顔。彼と視線を交えた氷雪の魔女は今此処にはいないけれど。代わりに、と北斗の銃口を向けた。鈍く煌めく、星のいろ。 「へし折りに来てやったぞ、黄泉ヶ辻よ」 「怖い怖い。……どーぞお手柔らかにね」 ふざけた調子で肩を竦める青年の様子は何処までも飄々と、余裕の色を崩さず。様子を眺めながら、瑠琵は酷くつまらないと言いたげに首を振る。『ゲイム』を真似た『お遊戯』。上辺ばかり真似て何が面白いのか。 足りなかった。根本的に込められるべき悪意と言うものが。兄の、何処までも丹念に手を加えられた精巧な嫌がらせという舞台に比べて、妹の用意する舞台はあまりに陳腐だ。 「ハッキリ言って普通の悪事過ぎてつまらんが……まぁ、手抜きだろうと嫌がらせは嫌がらせ」 報いは受けて貰おう。紅の瞳が宿す剣呑さに、けれどその言葉を向けられた女は何も言わずに微笑んだ。それを合図とするかのように蠢きだした『お人形』達。此処からは文字通り時間との戦いだ。 ルールはたった一つだけ。時間内にこの忌まわしき人形全てを始末する事。血のいろをした瞳が哂った。 「さあさあ、演目の始まりです。――3分間の舞台、楽しんで行ってね?」 ふざけた台詞が溶ける空気は一気に緊張感を増して。無機質な床を、こつん、と。踏み鳴らした筈の足はもう見えない。軽やかに美しく。舞った白と水色が、残像を残して掻き消えた。 音も立てずに鏡の前。『鏡操り人形』リンシード・フラックス(BNE002684)は緩やかに、その幼くも整った面差しを上げた。幾重にも、光の反射の中に重なる水色の少女は、緩やかに鏡の如き瞳を細めた。 「さぁ、一緒に踊りましょう。……私は此処、です」 誘う様に煽る様に。揺らめくドレスの裾と、細い声。誘われるように此方に集まる視線を感じながら、リンシードは浅く、息をつく。叶うなら、もう見たくないものだった。 実験。狂気。そこで生み出されていくモノ。要らなくなれば放り出され、必要であるならば駄目になるまで使い潰される。やりたい放題。狂った願いの為に摩耗する何か。 吐き出した息は微かに震えて。それに気づいて、剣をしっかりと握り直した。嗚呼。相容れない。恐らくは永遠に。日常を、普通を、愛する事が出来ない彼女達とは。 「非日常を作るモノは斬ります、覚悟してください……」 漸く抱く事の出来た願いの為に。未だ幼いとも言うべき少女は一歩だってその足を後ろには下げない。引金を引く。放たれた弾丸と、煌めく北斗。ぶわり、と音も立てずに広がる無数の鳥が、蠢く人形へと襲い掛かる。 啄み引き裂き食らい尽くす。濁流の如き鳥葬が、肌を、筋を、食らい尽くす。消し飛ばす。けれど、リベリスタばかりが攻撃を行う訳もない。視界を焼き尽くすような白が、戦場を駆け抜ける。 激痛のみを齎すそれは、頑強な前衛であろうとも重いもので。後方に立つ癒し手や魔術師にとっては脅威となる筈だった。しかし。 「――福音よ、響け」 歌う様に。紡がれた声に導かれ響き渡る癒しの音色。来栖・小夜香(BNE000038)の艶やかな黒髪が揺れる。ただ一つの傷も負わずに。強力な癒しを齎した彼女は、凛と背筋を伸ばす。 相変わらず繰り返される、ろくでもない児戯。今回もきっちり止めて見せよう。迷いなく穢れなく。何処までも美しく強い瞳が、同じ癒し手である女を見据える。 「お久しぶり。お元気そうね」 「其方こそ。誰かを救い守るのって面白い?」 微笑み合う目の色は何処までも相容れない。そんな、小夜香の目の前。癒しを受けようと未だ痛む身体に微かに眉を寄せながらも。『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)はレンズ越しの漆黒で女を見据える。 唯一の癒し手。それを失えばどれ程の優位も容易く瓦解する事は、誰もが知っていた。だからこそ、ミカサはその身を盾にする。決して堅牢ではない身には過ぎた負担であろうとも。 「随分と御機嫌だね。……玩具の調子はどうなの」 小さく咳き込んだ音は鈍かった。それでも、その整った無表情を崩さぬミカサへ、向けられた紅は酷く楽しげで。 「悪くないわ。もう一回会えるなんて運命かしら、……今度こそ、殺させてくれるの?」 まるで無邪気な少女の様に。ころころと笑う声さえ掻き消す様な、鈍く重い唸りが聞こえた。――否。それは、重たき刃の風切音。鍛え上げられた膂力が全力で振るう大斧が、冷え切った空気を掻き回す。生み出される、烈風の刃。 道を切り開く。その目的を果たすには強烈過ぎる程の暴威を振るおうとも『墓掘』ランディ・益母(BNE001403)は表情一つ歪めない。兄を慕う妹。其処だけ聞けば、どこにでもある微笑ましいものの筈なのに。此処にある愛は違った。あたたかで優しい兄弟愛なんてものは、女の胸には存在しない。 ざらりと濁った羨望と、狂おしい程の劣情とも言うべき愛のいろ。その発端がどこであるのだとしても。もう、それは『普通』ではなかった。そんな事にも気付かない、『普通』の黄泉ヶ辻にランディは微かな、諦めにも似た色を湛えた視線を向ける。 「皮肉だが、……アンタも十分狂ってる」 きっと、其処に含まれる意味に女は気付けない。普通であると思い込み続けるモノに、その身が飼い続ける異質な狂気は見えていない。曖昧に笑った顔に、深い、息をついた。 きん、と辺りの温度が痛い程に下がる。微かに聞こえる凍結音。空気中の水分が軋みを上げる、小さな音色。降り注いだ絶対零度の豪雨が、凍てつく世界を戦場に生み出す。抱えた魔導の粋をそっと握り直して。『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の死線は真っ直ぐに、女の瞳へと注がれていた。 深く暗い、深淵を覗く。紡いで編み上げた術式を。魔とまじないの意味を。その瞳は見つめ続ける。知ろうとする。深淵に、手を伸ばす。 頭痛がした。吐き気を催す様な劣情と憎悪と羨望と、愛情。入り混じったそれを喜ぶ様に、『何か』は笑っていた。囁いていた。ずっとずっと、糾未の耳元で。 ――息が、出来なくなってしまうわ。 甘やかな。その声は確かに、目の前の女のものだった。人魚は地上では生きていけない。人にならなくては。己と言う存在を、捨てなくては。其処まで、見て。ぶつん、と切れる感覚に表情を歪めた。 「……うちの兄がお世話になったようだな」 兄と兄がゲイムをして、妹と妹が戯れる。全くもって度し難い。結ばれる縁とはどうしてこうも、気まぐれでありながら必然の様な采配を振るうのか。溜息が漏れた。大好きで、同じようになりたい。その気持ちを雷音は知っている。何時も前を歩く兄の背は、手を伸ばして追いたくなるものだった。 だから。きっと、『もしも』があったなら。友達にもなれたのだろう。何処までも普通に。当たり前の日常で、笑い合う事も出来たのだろう。けれど、道はもう、違えられていた。 ヘテロクロミア。互い違いの瞳はまるでそれを示す様で。優しい翠色が、少しだけ揺れた。追いたい背。けれど、『兄』になりたいとは、思わなかった。雷音は知っている。兄は兄でしか無い様に。自分は自分でしかない事を。 同じ人間には、なれない事を。だからこそ、その胸を満たす感情は悲しみにも似ていたのだろう。だって。もし、同じになろうと言うのなら。 「君は、……自分を捨ててしまわなきゃいけないだろう」 吐き出した声は小さかった。ただ真っ直ぐに。その瞳は紅を見つめ続ける。まるで、少し違えば自分であったような女の事を。 ● 戦況は、一進一退だった。 癒し手を狙うのは定石。それは互いに分かっていた事で。幾度も幾度も。重ねられる攻撃を受け続けるミカサの傷は、もう浅くはなかった。癒しと傷の量は拮抗しない。増え続けたそれに、意識が混濁し掛ける。 ぼたぼたと。漆黒のスーツから滲み出した赤黒い水溜りに膝をつきかけて。けれど、燃え削れる運命がそれを許さない。敵を裂く紫を濡らすのは、今日ばかりは己の紅。それでも、すべき事の為に。 「……悪いね、俺は諦めが悪いんだ」 倒れる訳にはいかない。そう告げた彼の背後で、一気に練り上げられる強大な魔力。雷の爆ぜる音が響いた。幾度も幾度も。書き足し書き換え組み上げた魔導の粋の頁が魔力の煽りを受けて一気に捲れていく。 駆け抜ける、紫電の暴龍。叩き付けられたそれは雷撃の嵐を生む。荒れ狂い、全てを噛み砕く雷光の一撃。桁外れの威力のそれを齎した『いつも元気な』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)の面差しに乗るのは何時もの華やかな笑みではない。 緊迫感と真剣さが入り混じる、硬い表情。手に乗る魔本に纏わりつく雷撃の残滓を振り落して、その死線は僅かに下がる。神秘、だなんてものを受け入れている時点で、普通なんてものは何処かに置き忘れているとウェスティアは思う。 「もう狂ってるんだよ。貴方も、私も、勿論この世界も」 普通なんてものは存在しない。薄い被膜で覆われた世界の裏側はもうとっくにぐちゃぐちゃに、狂いに狂いきっている。そんな言葉に、女は忌々しげな、何処か、諦めた様な瞳を向けて首を振った。 「一般論なんて如何でも良いのよ。変な子、全てが狂っているならどうして善悪を付ける必要があるの? もうみんな可笑しいのに世界を守るのはどうして? 『お兄様』の趣味が悪いって、六道のオヒメサマがおかしいって、そんな風に思うのはどうしてかしら。ラインを引いているのは自分なのに、みんな狂っているだなんて可笑しな話ね」 お優しいヒーロー集団の癖に。哂う瞳は冷たかった。そんな女を視界の端に収めながら。閃いたのは『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273)の握る運命を招く白銀色。ぽたり、滴り落ちた紅の魔力が滲んで広がって。蠢く、呪詛の月光。 何処までも冷たく呪わしいそれが音も無く熱も無く戦場を侵す。兄を真似る妹。それは何処までも普通で。けれど、その内容は看過出来ない。ちらり、とその視線が室内を見回す。研究所。マジックミラーの実験室。もしかして、此処で。 「……問うても詮無き事でしたね」 吐き出しかけた疑問はそのまま飲み込んだ。彼らの出自が何処であっても。齎すべき結末は何も変わらない。救えぬならば必ず此処で。決意に応える白銀を、握り直す。 その視線の前方。ランディの開いた道を駆け抜けていた『戦士』水無瀬・佳恋(BNE003740)の手に力が籠る。美しい、白鳥の羽根を想わせる刃が振り上げられた。ざわり、と寒気を覚える程の、闘気が爆発して。そのまま、叩き下ろされた一刀は寸での所で唐傘が受け止める。 「このようなことをゲームとして行える。成る程、黄泉ヶ辻ですね……」 「お褒めの言葉を有難う。……私は黄泉ヶ辻じゃ普通なのよ?」 くすくす。哂う女の傷も浅くはない。けれど、それを拭う様に吹き抜けた癒しの暴風。リンシードの誘いから外れたフィクサードが齎したのは間違いなく、癒しの術。攻撃に手を裂く女を補う様なその動きに、リンシードの眉が寄る。 癒しの魔力は当然、そのまま力でもある。何時かの戦場でも一般人を、リベリスタを痛めつけた閃光を齎すだけの力を持つ女が、回復に専念する訳も無く。楽しげに、笑い声を立てる。 「あー出た出た、私じゃオニーサンに及ばないの、ってか? これだから『お姫様』って奴はうぜぇんだよ」 叩き付ける様に振るわれた拳が、肘が、人形二体を地へとなぎ倒す。漆黒の瞳に残る微かな殺意のいろはそのままに。『ザミエルの弾丸』坂本 瀬恋(BNE002749)の張った声に、女の瞳が其方を向いた。 「大好きなオニーサマの猿真似すんのはいいけど、真似するんならしっかりしろよ」 自分にだってわかる。このお遊びは、兄のそれとはあまりにかけ離れている事が。何が違うのか教えてやろうか。そんな挑発の言葉に、女の瞳は酷く冷やかに細められた。代わりにとでも言うのか。哂って口を開くのは側近たる男。 「嫌だなぁ、そんな事言わないでやってよ。……これでも頑張ってるんだからさ」 「流石、お喋りするなんて余裕だね」 明らかに。その怒りを煽る様な言葉を遮るのは軽口めいたミカサの声。その言葉が真実であると示す様に、飛び交う弾丸から溢れる鳥葬の式。啄み抉られた腕から頬から、鮮血が零れ出す。 それを視界の端に捉えながら。女は、瀬恋を見返して微かに笑った。 「お手本みたいな悪い事って、言ったんでしょう?」 教科書通りの悪事。暗い道程の始まり、リベリスタが投げかけた言葉を女は復唱する。お手本みたいな、綺麗な悪事。それの行く末を教えようと。指先がぴん、と伸ばされる。 「私のオトモダチが手伝ってくれたのは、『舞台』探し。貴方達を困らせる為におあつらえ向きのね。……カオマニー、持ってたでしょ?」 各地に散った白い宝石は、試す為のもの。最も『お遊戯』の舞台にふさわしい場所を。しゃらり、と音を立てて手首から下がる、鮮やかすぎるブルーが揺れた。ヘテロクロミア。 一方の物とは別の物に変化させてしまう其れは、特別な舞台でこそ本当の力を発揮する。その為の、実地調査。其処まで告げて、女は再びくすくすと、笑い声を立てた。 「招待するわ、リベリスタ。此処で貴方達が勝とうと負けようと。今日は招待状なの」 歌姫が奏でる、絶望と狂気と言う名の演目への。先を暗示する言葉に、攻撃の手を緩めぬリベリスタの間に、緊張が走る。詠唱を、集中を高め続けていたウェスティアの瞳が、疑念を湛えて女を見遣った。 どうして、とその唇は問う。 「そんな事したって、その先は無いよ!」 「意味なんて無いのよ。貴方達が困ればいいの。誰かが泣いて、困って、死んだりして。あいつは頭がおかしいんだ、って思って貰えればそれでいい」 理由なんてそれ以外必要ある? 小首を傾げる瞳にあるのは、純粋な疑問だ。悪意でも、狂気でもなんでもなく。女はただ只管に求めるのだ。『貴女は普通ではない』と言う、確固たる証明を。 その声を、耳にしながら。ランディは、女とよく似た色の瞳を刹那、伏せた。逸脱を願う普通の女。それが叶わない事をランディは知っている。普通ではなくなりたいのに普通だと誰より思い続けるのは本人自身なのだから。 「普通ってのは得がたいモンだ、だがンな倫理はどうでもいい、俺はお前を止める」 開いた瞳。交わる視線の持主は、その面差しだけならどこまでも普通で、酷く優しげで。だからこそ、ランディが覚えるのは悲しみにも似た諦めだった。彼女が、逸脱するのは不可能だ。儀式は何も生まない。お遊びも、何も齎さない。 棘ばかり目立って実を結べない。哀れな徒花。嗚呼。何と勿体無い。可愛い顔をしているのに。その瞳は他を選べない。 「……お前がお前自身の価値を心底認められない限り、ありえねぇんだ」 その意味が理解出来るだろうか。いいや、きっと無理だろう。其処まで分かっていた。交わる視線が逸らされる。嗚呼。暗闇の中で目を瞑れば。先は、何も見えなかったのだ。 ● タイムリミットは刻一刻と迫っていた。倒れていく人形の数を数えて喜ぶ暇などリベリスタには無い。集中して集中して、それでも身を焦がす焦燥感に判断を誤らぬように。 横合いから。飛んで来た道化のカードが下品に哂う。糾未へとその白鳥の刀を突き付け続ける佳恋の膝が、そのまま崩れかかった。がりがりと。己を愛す運命が削れていく音がする。力を取り戻した瞳が、足が、その体勢を立て直す。 息が、苦しかった。ぜぇ、と荒く吐き出すだけで胸が痛む。眩暈がした。切り込めば当然、危険に晒される。そんなのは、分かり切っていた事だった。傷も痛みも今更だ。覚悟など、とうの昔に決めていた。 「貴方にとって遊びなら、それで結構です」 凛、と触れれば切れそうな程に強い瞳が、目前の女を見上げた。自分の事をどう思っていようと構わない。佳恋のすべき事は揺らがない。ただ、只管に。その紅の瞳を此方に向ける事。それだけだった。 限界ぎりぎりを行く佳恋が示す様に。倒れていくのは人形ばかりではないのだ。幾ら回復の手があろうとも。敵の攻撃はリベリスタの身を削り続ける。誰を、回復するのか。全員か。それとも傷の深い彼か。彼女か。 一度でも誤れば致命的な瓦解を齎しかねない究極の選択。小夜香は、振るえそうになる手をそっと握り込む。 「癒しを、福音を、祝福を。大丈夫、必ず護るわ」 この力は常に護る為に。その唇が紡ぐまじないが力を持ち続ける限り。誰の命も奪わせない、と。その瞳は何より雄弁に語っていた。自分を庇うものが居る。危険な前線に切り込むものが居る。だから。 それは、癒し手の矜持だった。守る為の戦いをする者の。同じ術を持つ筈の女とはかけ離れた、美しく穢れない白の矜持。ランディの巻き起こした暴威がまたひとつ、人形の頭を飛ばして叩き伏せた。 立て続く様に。滲み出した紅の呪詛がリベリスタの身を焼いた。肌を焼かず内側を蠢く痛みに、大和が、ウェスティアが、苦しげな息を吐き出す。ふわり、と削れた運命の残滓が舞い飛ぶ気配を何処かで感じた。 それでも、折れない。強力な、戦場全体を左右する魔術を持つ彼女達はだからこそ、此処で倒れる訳にはいかなかった。少しでも早く。迫る刻限に抗うのなら、その力を欠く訳にはいかない。その重要性は、誰より自分達自身が分かっていた。 「どうしたの? 私はまだまだやれるよ!」 雷音の齎す凍てつく豪雨に立て続く様に。舞い上がる鮮血のライン。ざわり、と魔力に煽られ蠢くそれが形を変える。絡み付き締め上げ呪いをかける。禍々しい黒鎖が、一気に戦場を駆け抜ける。 ふわり、と舞うレェスは既に血に塗れてその色を濃くしていた。限界まで高めた集中が、その精神を削る。それでも。ウェスティアは笑った。何時もの様に。明るく元気に。大丈夫だと、言い聞かせるように。 そんな彼女達の生命線は、回復だけではない。まるで舞台で踊るプリマドンナ。何処までも可憐なドレスと波打つ水色。無表情にただただ可憐に。戦場に立つリンシードの姿は見ようによってはまるで精巧なマリオネッタにも似て。 けれど、グラスアイではないグレーに揺らめくいろは、彼女に芽生えつつある意思のそれ。日常を求める手は、どれだけ傷付こうとも伸ばす事を止めない。只管に誘い惑わせ軽やかにかわす。 無傷とはいかなくとも。多少の傷を負うだけで戦況を動かせるのなら。リンシードがそれを躊躇う理由は無かった。 「まだ、やれます……貴方達を壊して、止めるまで……」 糸を切った人形は、その足を止めない。誰の目にも諦めは無かった。ただ只管に。己の為すべき事だけにその意識を裂く。その只中で。一際傷の目立つミカサは、相も変わらず無表情のまま、灰色の髪を染める紅を拭い取った。 もう分かり切った事だった。何を言っても何をしても。それは総て劣等感に変わる。彼女が望む限り、それは『狂気』への足掛かりに変わる。暗闇に踏み出した足はもう戻れない。戻らない。 「……それしか方法が無かったとはいえ、よく頑張ったものだね」 あの死と狂気が常に隣り合うものに手を出して。踏み外した足がもう戻れない事を知りながら、自らその足を出した覚悟。それは、もう普通では無かった。女の瞳がミカサを向く。鮮やかな紅を真っ直ぐに見遣った。 憐憫など抱かない。戻れない事を、戻らない事を憐れむのはその覚悟に失礼だ。 「俺如きに怯えてたあの時とは大違いだ。……これで、心置きなく殺せるよ」 ねぇ、黄泉ヶ辻糾未。その声は何処までも色が無い。冷やかに硬く。放たれたソレに応える様に煌めく鈍い紫。それを見つめて、女は薄ら笑った。ころせるの、と囁く様な声。 「言葉ばかり素敵で、伴わないのは私とお揃い?」 兄の様に、黄泉ヶ辻である為に。そう幾度も幾度も囁いて。けれどそれは結局言葉以上のものを得られない。あまりにも到らない。 皮肉と嘲りを交えて。女は酷く楽しげに笑う。ちらつく紅は幾度も見ている誰かのそれよりずっと、鮮やかな色だった。まだ、空気に触れる前のあかいいろ。そう、誰かの命を断ったばかりの。 刃を仕込んだ唐傘が、ミカサを示す。紡ぐ言葉が刻み付けるまじないが、一気に燃え上がる。目を焼く程の白い焔。熱を伴わない灼熱の痛みが、その意識を断ち切る。からん、と柄の折れた眼鏡が地面へと滑り落ちた。其の儘、続く様に崩れる漆黒の痩躯。 「お揃いなんて――殺したいくらい、好きになっちゃいそう」 ころころと。哂う声は楽しげで、けれど何処までも冷め切っていた。幾重にも綯交ぜになった感情の気配。それを感じ取りながら、瀬恋もまた、人形を叩きのめす手を止めぬまま女を見遣る。 「なぁお姫さんよ、違いって奴は分かったか?」 兄と妹の決定的な差。まるで誘う様に、けらけらと嘲って見せた。あの男のゲームはこんなものではない。勝敗など存在しない。負けなど無い。ただ、人が傷つき狂う姿を眺めて楽しむだけ。 まさに、今この妹が、そうしている様に。 「テメェも京介のゲームに参加させられてるんじゃねぇのか? 良かったなぁ? 大好きなオニーサマに構ってもらえて!」 「踊らされているのなら、玩具であるのなら、それは幸せでしょう」 あの瞳は自分を見ているのだから。それがどんな形であろうとも。そう、『普通』の自分を、彼なりに甘やかし目を向けてくれているのだから。 それを呪った事などない。気付いた時には始まっていたトラジコメディ。この命は生まれた時から彼の玩具だ。あの、誰よりも狂いに狂った黄泉ヶ辻の体現者の為に、踊り続けるお人形なのだ。 隣に立ちたいと思いこそすれ。その立場を呪った事は無かった。ただ只管に。もっともっと自分を見て欲しいだけの稚拙な恋情。幼いそれは増長して、求め続けるのだ。 兄の隣の、その先を。その瞳にあるのは確かに『狂気』だった。黄泉ヶ辻のそれとも兄のそれとも違う。歪んだ、愛と羨望と言う名の。胸糞悪ぃ、と瀬恋が表情を歪める。もう何を言ってもこの女は聞きやしないのだ。 もう、踏み外す事を決めてしまった、この女は。そんな只中で。人形の放つ脳波を浴びた瑠琵の膝がついにかくり、と折れる。既に運命は一度燃えていた。眩暈にも似た感覚と脳髄を揺さぶられる気配。声も出ずに崩れる中で。 視界の端に捉えた女は、哂っていた。まるで本当はすぐにでも泣きたいような顔で。ただ只管に、哂っていたのだ。 ● 終わりは、見えていた。グレイヴディガーの柄が軋みを上げる。その一撃に己の全力を。集中し集約し、そのまま力一杯振るった。叩きだされるエネルギー砲が、遂に人形を叩きのめす。後さえ残らず掻き消えたそれを、ちらりと見遣って。 糾未は、ゲームは終わりね、と小さく囁く。時間はぎりぎりだった。けれど、勝利はリベリスタの手の中にある。微かな安堵は流れたものの、未だ、気を緩める事は出来なかった。 手を、止めないのだ。ヘテロクロミアこそ使用の気配を見せないが、女の手は止まらない。何処か熱に浮かされた様に。その唇は謳う。誰も、殺す事の出来ない哀しいうたを。瞬く虚ろな瞳。それを只管にじっと、見つめながら。 雷音は小さく、溜息を漏らした。どろりと濁った、甘い音色。死を齎さない神経毒。其処には、足りないものがあった。 「君には、悪意がないんだ」 囁かれるほどの声はけれど、女の目を向けるには十分で。それでも、雷音は目を逸らさない。この世界で生きていく限り。触れ続ける悪意は心を冒す。緩やかに齎される崩壊の音色は、世界のものだけでは無かった。 それは常に、自分の中に響いている。けれど、彼女は。彼女の中にはそれが無かった。周りに満ち満ちているはずの悪意は、彼女を冒していない。彼女には、あるべき悪意が足りないのだ。 甘い甘い歌声。それを聞けば聞く程に、雷音は思うのだ。なにも殺す事の出来ないその歌。悲しみ嘆きながら奏でられた歌声は、誰かを魅了してもその命を手には入れられない。 「それは、君の優しさじゃないのか。……糾未、教えてくれ」 君の心に残る、癒し手としての優しさではないのか。その問いに、瞳が瞬く。優しさ。小さく呟くような声で吐き出された言葉は酷く震えていて。へらへらと、哂う表情が微かに苦しげに、歪められる。 「そんなの要らなかったのよ。――私は! 壊したいのに!」 どうして持ったのは癒す術だったのか。優しく可愛い、蝶よ花よと愛される妹であればよかったのか。憧れなければ良かったのか。黄泉ヶ辻に、生まれなければ良かったのか。 叩き付ける様に、その傘が地面を抉る。其処にあったのは紛れもない苛立ちだった。誘われるように。その激情が揺らめく。――踊らされているのだと、思った。自分達には聞こえない声が彼女を呼ぶ。悪意に満ちた、声なし人魚が。 「道具に狂わされるぐらいなら、逆に自力で狂って従えて見せなさいよ」 ぴん、と張りつめた空気に響いたのは、小夜香の声。漆黒の瞳が真っ直ぐに女を見据える。面差し一つとっても似てはいないけれど。少なくとも、自分が会った黄泉ヶ辻京介と言う男は道具に、狂気に、踊らされて等居なかった。 こんな激励を放つのは、少し可笑しな話だけれど。それでも、その心が其の儘操られるだけになるよりはきっと、良い筈だ。 「……お兄さんに出来て貴女に出来ぬ道理は無いの。気合見せなさい!」 瞳が、見開かれる。微かに震えた瞳にあった色は、恐怖だった。兄には出来るのに。自分には出来ないかもしれない。出来なくてはいけないと言うのに。出来ない、かもしれない。 虚ろに動かぬままの瞳は未だその片鱗を見せていない。手を伸ばすのなら、今しかない。集中を高め続けていた大和が、一気に駆け出す。完全な不意打ちは、フィクサードに間に入る事を許さなかった。 握り締めた白銀が、怯えた表情を見せた女に向かう。見えない筈の目に。その刃は吸い込まれるように近づいて―― ――ぶつり、と。 届く前に。大和の首元が掻き切られる。半ば反射の様に振るわれた唐傘から飛び出す仕込み刃。一気に噴き出した血が、女へと降りかかる。その顔を、『瞳』を濡らして行く。 何かが蠢いた気がした。人魚姫は地上では息さえ上手く出来ないのだ。歩く度に足は痛んで。海に戻るのに必要なのは『王子様』の、血。 ぱちり、と。長い睫に縁どられた義眼が、瞬いた。 ● 降りかかった鮮血を誘い水にするように。大量の紅の涙が零れ落ちる。動きを見せなかった瞳が、まるで『視神経を繋げられた』かの様に動いた。ピントを合わせて。その瞳は睥睨する。 その場の、全てを。 戦慄した。駆け抜ける怖気と、臓腑が重く冷える感覚。戦おう、と言う意思を。生きようと言う渇望を。そして自分と言う存在を。 食らい尽くされたような感覚に眩暈がした。吐き気にも似た、感覚。間近で見つめ合った大和の意識が唐突に断ち切れる。 雷音の足が、僅かに下がる。彼女にだけは見えていた。寄り添うように立つ、二つの影。『主』と同じ姿のそれが、悪意に満ちた顔で哂った。 ――喰らう、ものだ。 直感的に悟る。あれはそういうモノだ。あれは世界を内側から喰らう。全てを緩やかに壊すもの。まだ完全には目覚めていない歌姫は、けれど毒を孕んだ笑みで雷音を見つめるのだ。 見えているのでしょう、と。哂ってみせるのだ。萎え掛けた膝に力を入れて。雷音は口を開く。乾き切った喉が、微かに鳴った。 「っ……駄目だ、糾未、それは『使っちゃいけない』モノだ」 それはきっと、全てを喰らう。間違いなく、糾未と言う存在そのものさえも。理解しきれてはいないけれど間違いない危険性を、けれど糾未は知っていたかのように微笑んだ。 否。きっと、もう戻れないから。聞こえない事にしただけなのだろう。 震える眼球から零れるあかが、壊していく。 嗚呼晦冥の道は終わるのだ。潰えたのは普通と言う優しい筈の煌めきで。 墜ちるのは、もっともっと暗く冥い、黒の中。 ――糾未、狂う為って言うてもね、こんな玩具じゃ狂われへん。 酷く苦しげな、けれど同時に憎悪にも似たいろを浮かべたブルーを思い出した。 哂う。嗚呼きっと間違いなくその通りだ。狂えない。いいや。どれだけ狂って狂って狂ったとしても、届かないのだ。 眩さは時に距離さえ歪ませる。手が届きそうに見える狂気の体現はけれど、その爪先さえ触れる事を許してはくれない。 嗚呼。ささやいてくれたあまくいたい5文字に、寄りかかっていたなら結果はもっと違ったのだろうか。『分かり合えなさ』の向こう側に手を、伸ばせば。そんな逡巡は無意味と知っていた。だってもう。 戻れない。 滴り落ちる血が、震えて同じ色に染まる瞳が、壊すのだ。心をでは無く。その、人としての枠組みを。 「答えは分かった? ――泡にならない為には、懐剣が必要よ」 唇が勝手に動く。滴り落ちる紅ごと、声を持たぬ人魚を抑えて。黄泉ヶ辻の女は哂う。ふらふらと、立ち上がって。 「ええ。……溶け消える前に、犠牲を払わなくっちゃ」 その瞳はリベリスタを見つめる。素早く身構えた彼らをしかし、その瞳は見てはいなかった。ゆらゆらと。義眼に点った灯りはまだ、完全ではない。知ったのは欠課で、得たのは術だった。 かつん、とその足が下がる。唐突に開いた扉の向こう。先の見えぬ闇へと女の姿は消えていく。深追いは、する気にもならなかった。 「――また会いましょうね、今度は特別な『舞台』の上で」 残された声にはまだ、熱が残っていた。まるで熱病だ。得てはいけない形で得た狂気が、女を壊していくのだ。続く形で消えたフィクサードを目で追って。瀬恋は心底気分が悪いと舌打った。 その音さえも、冷たく冷えたグレイが吸い込み掻き消す。空気はひどく冷たかったけれど。それ以上に、感じる寒気に雷音は小さく息を呑む。 握り締めた携帯電話。一言だけ、綴られた言葉。 ――彼女は、しあわせになりたかったのでしょうか。 答えは、もうどこにも残っていなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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