●苦しまぬために生きるのであれば、楽をせぬために死んでもよい。 鳩時計の音がして、私は目を覚ました。 クリーム色の天井と、灰色の壁と、縦に長い鉄格子の窓が見えた。 ぼんやりとオレンジ色の光が曇りガラスの向こうより照るので、私は今を朝焼け時か夕焼け時なのだと思った。 ベッドは思った以上に硬い。座布団のような薄い布団をめくってみれば、緑色のビニールで覆ったマットレスがあった。これではまるで大きなパイプ椅子だ。 しかし私は、こんな粗末な環境で目を覚ましたことに憤ることはなかった。 否。憤るような余裕がなかったと述べる方が、現状としては正しいのだろう。 自分の記憶を探った、その時に。 「ん、ンン……あれ……ええと……」 何かが微妙に。 どことなく。 わからないが。 決定的に。 理論的に。 狂い始める。 気がした。 私の、頭の右上の所に針を刺すような痛みと痒みがあって。 赤や青の小さい光が右や左からじわじわと広がり。 眼球が片方だけ引っ張られるような感触が。 こわい。 さむい。 私の身体の中にある空洞が急激に温度を下げていくように思え、空洞の中にぶら下がった内蔵のようなものが身体の内側に当たって傷むのではないかと私はごろごろとその場を転がり水を飲めばよいのだと見回すが水が出る蛇口はないのだどうして無いのだろう別の部屋にはあって他の人達は蛇口から正常に水を飲んでいるのではないか私だけが蛇口のない部屋に入れられているのではないだろうか蛇口をつけるのにどんなお願いをすればよいのだろう蛇口の形状によっては入れてもらえないのかもしれない蛇口がない蛇口を入れるには何をしたらよいのか教えてくれる人はどこかにいませんか知りませんか私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……。 「あ、駄目だ。また狂った」 ドアを蹴破るかのように開け、両手にトレーを持った青年が部屋へと踏み入った。 床の上でびたびたと跳ね回る少女を見下ろし、とりあえずトレーをパイプベッドの上に置く。手慣れた様子で薬品を注射器に入れると、少女の首を押さえつけた。 暴れながら罵声を浴びせてくる少女を完全に無視して首に注射針を挿入。薬品を注入していく。 その後も慣れた様子でてきぱきと注射を施し、睡眠薬や精神安定薬を投与していった。 ぱたりと動きを止める少女。 青年は彼女を抱え上げ、ベッドの上へと寝かせた。 少女の胸には刺繍がされ、丁寧な文字でこう記されていた。 『レヒニッツ-CCC』 ●すべてのひとびとが狂人になれたのなら、それはきっと幸せなこと。 レヒニッツ-CCCとは。 脳死した死体に内包される高純度タンパク質と神経伝達枝が革醒したことによって生まれるアーティファクトである。 これ自体が意思をもち、包装容器である死体に血液循環による生理的生存処置を施すことで自立稼働を可能とする。 包装容器がもつ情報伝達能力を利用し、特定のチャンネル(異世界)の情報を受信・伝達する機能を持つ。 ただしその能力は脳素体のもつ情報伝達パターン、つまり生前持っていたであろう精神性によって決定される。アーティファクト能力に対し脳素体が耐えられなかった場合精神崩壊を起こし多動性や急激な不安、もしくは鬱状態に陥り情報伝達能力を喪失するものである。 「要するに、異世界のことを教えてくれる便利なアイテムだけど、元になった死体が生前心の弱い子であった場合使い物にならないっていう……そういうものよ」 イヴは狂人が書いたのかと思えるほどの分厚い報告書をめくりながら、そんな風に語った。 「そんなアーティファクトを回収して、異世界の知識を得ようと研究しているフィクサード組織がいるの。回収できているのは『レヒニッツ-CCC』だけだかし、先述したように情報を引き出そうとした時点で発狂状態に陥るから、何も聞き出せてないみたいだけどね。放っておけば今以上の手段を使って手に負えないレベルの知識や技術を得るかもしれない。今回の任務はこの組織を壊滅、もしくはそれに近い損害を与えつつ『レヒニッツ-CCC』を回収することにあるわ」 研究所を守っているフィクサー度の数は7人と少なめだ。 しかし彼らを撃破、もしくは沈黙させる必要性があるだろう。 「突入にあたって通常利用できるのは表玄関のみ。裏口のようなものは無いわ」 建物はサイコロ型の二階建て。空室のままになっている五つの部屋と事務所のような部屋があるのみで、特別な部屋はない。入り口は玄関口にあたるドアのみで、これも民家に使われる玄関ドアとほぼ同じものだ。 敵性フィクサードの能力はバラけているが特筆して高いメンバーはおらず平均的。基本的に銃かロッドによる武装と思われる。 『レヒニッツ-CCC』の保管室は二階のにある。 特定のスキルを利用すれば先回りも可能だろうと思われるが、味方集団から孤立するリスクは負わなければならないだろう。 「以上よ。あとは、よろしくね」 ●何をすべきか分からなくなったのなら、何もしなければよい。崩壊するのを待てばよい。 「落ち着いた?」 「……はい」 ベッドに腰掛けた少女が、どこか陰鬱そうに頷く。 「じゃあ診察するから。舌だして」 言われたとおりに出した舌を指で掴み、ライトを当てて様子を見る。更に眼球を確認、その後も幾つかの診断と軽い精神的な質問をした後、青年は部屋を後にした。 閉まる扉に背を向けて、肩をすくめる。 「これで結果が出なかったらウチも全滅か。世知辛いなあ……いざとなったら、脳だけ引っこ抜いて逃げるかな」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:八重紅友禅 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 9人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月14日(月)23:17 |
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■メイン参加者 9人■ | |||||
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●なにもいわれないことは、しあわせなこと。 睡眠薬と精神安定剤がきれいに整頓された棚を、白衣の男がゆっくりと横切った。 バインダーにまとめた資料をぱらぱらとめくっては視線をしきりに動かしている。 そしてふと足を止めた。 手探りでサイドテーブルからマグカップを引き寄せると、すっかり冷めたコーヒーを飲み干す。 「今日は、なんだか荒れそうな気がするな」 同刻、移動用ワンボックスカーにて。 「突入班七名、先行潜入半二名。下階にて陽動中に二階へ隠密スキルにて潜入。目標を確保しつつ待機。可能ならば先行して離脱。残りメンバーは全研究員を殲滅。然る後情報収集。目標回収後はアークへ引き渡す……以上で間違いないですね?」 羽柴・美鳥(BNE003191)はバインダーにまとめた資料をぱらぱらとめくって膝に置いた。 この内容だけを聞けば、『目標』とやらが物言わぬ物体か何かに思えるが、れっきとした人間だ。 いや……。 「身体の抗生物質と神経組織が主体となった……アーティファクト」 『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)は手元の資料を指でなぞった。 「こんな、狂気のはざまに目覚めたのでは、気の毒と言うほかないですね」 「人間と道具の境界がわからなくなりそうですね。できるなら、ただの道具にはしたくないんですけど」 車窓を流れる景色を横目に眺める風見 七花(BNE003013)。 そんな彼女達の後ろで、『ムエタイ獣が如く』滝沢 美虎(BNE003973)は片方の頬を膨らませていた。 『この子はもうダメだから殺してあげる』が自然界の摂理にとって正しいことは理解できる。12歳はそういう年齢だ。 しかし『動いてる女の子を殺しちゃってもいい』と考えることはできない。12歳とはそういう年齢だ。 いや、滝沢美虎という少女が、そういう人間なだけかもしれない。 そしてこういう時彼女は決まって。 「うがーっ! もうっ、グダグダ考えてもしゃあない! バシッと乗り込んでバシッと助ける。そこだけ考えるぞ!」 こうなるのだ。 一方運転席と、助手席。 ふざけたカーラジオを流しっぱなしにしつつハンドルを指で叩く『SHOGO』靖邦・Z・翔護(BNE003820)。 助手席には『ジーニアス』神葬 陸駆(BNE004022)と『糾える縄』禍原 福松(BNE003517)が広めのシートにぎゅっと詰まるようにして座っていた。 眼鏡を中指と親指で覆うように押し上げる陸駆。 「このタイミングで異世界の情報とはな。ラルカーナが漏れたか、セリバエ関連か……とにかく、奴等の本拠地を襲撃してから考えるのだ」 「…………」 仏頂面で窓の外ばかりを見つめる福松。 窓ガラスに映った彼の左目が、少しばかり細くなった。 耳に手を当てる翔護。 そしてずっと遠くへ目をやった。 「さてと、聞こえてる? 二人とも」 『こちら忍者、感度良好』 『こちら掃除屋、感度良好』 一方、研究所屋上。 『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)は片膝をついていた。 通常は解放されていないエリアで、外側からの特殊はしごを使わなければ登れない場所だが、彼等がそんな当たり前の通行手段をとるわけがない。壁を『歩いて』登って来たのだ。 「いやあ、今度も今度でシンプルですねえ。アークの脅威を斬って捨てる。いいですねえ」 『必殺特殊清掃人』鹿毛・E・ロウ(BNE004035)は一本縛りの髪を軽く撫でつけると、腰の刀に手を添えた。糸目の端をやんわりと垂らす。 「それで、伏せカードは何枚で?」 『ぱっと見ゼロかな。白衣着たにーちゃんしか見えない。警備員とか居ないみたいだし、ほとんど部屋に引っ込んでる。今の位置から右3mくらいの窓から入れば一番楽かもよ。今寝てるっぽいし』 「委細承知。では……」 『あ、ちょっと待って』 翔護の声をうけて、壁を下りようとしていた二人は手足を止めた。 『今回の場合さ、王子様役はどっちなの?』 「…………」 「…………」 顔を見合わせる幸成とロウ。 「「ありえないな」」 ●やわらかい拒絶と、強制的なやすらぎ。 扉を蹴破るというのは思うより簡単なことだ。 しかし必要な前提条件として、『扉が奥側へ開くこと』と言うものがある。 手前に開くドアはまず蹴破れないものであり、もし強制的に開かれるなら少なくとも『引っこ抜く』と言う形になるはずなのだ。 だから。 玄関扉が室内に向かって蹴破られた瞬間、ロビーで新聞を読んでいた研究員は腰を浮かせた。 脚をまっすぐに伸ばした態勢の美鳥と研究員の目が合う。 首を傾げ、髪をかき上げて見せる美鳥。 「失礼、お邪魔します」 一拍置いて、くの字に折れ曲がった扉が研究員の横を跳んで壁に激突。反射的に目で追った研究員の側頭部へ、美鳥のマジックミサイルが命中した。 転倒する暇もなく、銃による連射が浴びせられる。 「毎度お世話様、キャッシュからのパニッシュ☆」 「オレの目の前で胸糞悪い実験なんざしてんじゃねえ!」 半身になって銃を乱射する翔護と福松。 途端にハチの巣になって息絶える研究員。その横を、悠月と七花が駆け抜けていく。 人並なセキュリティシステムはあったのか、警報が鳴り響く。 「侵入者か、こんなヘンピな施設によくもまあ……!」 転がるように階段を下りてきた研究員二名が同時に銃を抜……いたその途端、二重のチェインライトニングが絡み合うように迸る。 身体を跳ねさせ、文字通り階段を転がり落ちていく研究員。 それを足蹴にして七花は二階へと駆けた。 「風宮さん、この先は?」 「今イメージを送ります」 こめかみに指を当て、七花のほうを見る悠月。 ほんの一瞬で、簡単に屋内構造を描いた3Dイメージが七花の脳内に流れ込んできた。 千里眼とハイテレパスの併せ技だ。敵配置の把握を省いたことで、かなり正確にイメージが掴めるようになっている。 ということで、七花と柚來は階段を上った先で背中合わせに左右へ展開。階段を上がってくるのを両サイドから待っていた研究員に向けて手を翳した。魔道書が同時に開かれ、高速でページがめくられていく。 階段の上でチェインライトニングが跳ねたのを察して、翔護は耳に手を当てる。 「階段上がったら両サイドにいるよーってもう遅いか。ちょっと一回にバックしてきて。引き付けられそうな感じだから。と言うわけでプリンスコンビ、ゴーゴー」 『だれが……』 「プリンスコンビござるか」 外壁に両手両足を接着していた幸成は、一旦両足を跳ね上げるとその勢いで滑り込むように室内へと壁抜け。スライディングの態勢で背中の暗器を手に取る。 物音がしなかったわけではない。その僅かな音で、机に突っ伏して寝ていた研究員は目を覚ました。 素早く繰り出される暗器。椅子ごとひっくり返る研究員。彼の鼻先1センチを刃が閃く。 「ど、どこから入ってきた!?」 慌てて懐から二段ロッドを取り出す研究員。 そんな彼の背後には、いつのまにかロウが立っていた。 床からぬるりと生えたようだったが、ただ影に潜っていただけだ。そして、彼の存在に気づけるのは首に刀が添えられた瞬間のみ。 気づいた頃には。 「はい、おしまい」 刀を引くロウ。上がる血飛沫と、スイカの落ちるような音。 幸成とロウは同時に振り返った。 そこには扉が一つ。 プレートには『保管庫』と殴り書きされていた。 「それにしても、随分とショートカットしてしまいましたね」 「……敵の気配が近い。急ぐでござる」 扉を開けると、眠ったままの少女……レヒニッツ-CCCの姿があった。 一方その頃、階段では。 「りっくんレイザー!」 ぱっと手を翳す陸駆。すると研究員の周囲に無数の真空刃が出現。まるでチェーンソーで挟まれたかのようにガタガタと振動し、研究員はその場に崩れ落ちた。 おでこに二本指を当てる陸駆。 「よし、残り二人だ。なぜわかるかって? IQ53万×超直観により僕のIQが無限になったからなのだ!」 「それは『あいきゅー』じゃないんじゃないかなあ……翔護、次は?」 「ダブルプリンスがお姫様ゲットしたみたい。敵に感づかれて追われてるから、フォローしないとね。二階へ急ごっか」 「おっけい!」 美虎と陸駆が並んで上階へと駆け上がっていく。 二階へ辿り着くと、すぐに扉を破壊する勢いでロウたちが飛び出してきた。 更に奥の部屋から出てきた研究員が軽機関銃を乱射する。 「止まれ、そいつを持ち出すことだけは許さん!」 「そう言われましてもねえ」 「鹿毛殿、先へ」 踵を返し、研究員の方へ向く幸成、地面を両手で叩くと、彼の影が一畳分の板となり起き上がった。質量をもった影だ。それが相手の銃撃を僅かながらも受け止めた。 影の板がパタンと倒れた途端、まるでそれを踏み越えるかのように美虎と陸駆が飛び出していく。 「りっくんレイザー弐号!」 「とらカッター!」 真空刃が乱れ飛び、研究員を切り裂いていく。 だが美虎は止まらない。蹴りの態勢から着地と共に前転をかけ、研究員の足元まで急接近。立ち上りと共に顎めがけて掌底を繰り出す。 「からのぉ……とらあっぷぁー!」 天井へ頭から突っ込み、だらんと四肢を垂らす研究員。 「手際の良いことで。では僕はこれで……」 ロウは少女を(翔護の言葉を真に受けた訳ではある麻衣が)御姫様抱っこしつつ、下階へと駆け下りる。 とりあえず外に出れば大丈夫だろうか。 ロビーを抜け、玄関をも抜けようとした、その時。 『鹿ちゃんストップ! 外から回り込まれてる!』 ワイヤレスイヤホンから翔護の通信。 革靴で急ブレーキをかけるロウ。玄関口の影から飛び出してきた研究員の青年が大口径の銃を発砲。ロウの肩に命中し、派手に転倒させた。素早く立ち直ろうとしたが、青年は銃口を少女へと向けて言った。それも、頭部へとだ。 「動くな。ただし三十秒動かなかったら撃たない。僕を逃がせ」 「……シンプルですねえ」 刀に触れそうになっていた手を、ぴたりと止めるロウ。 「『それ』が壊れたら困るのでは?」 「命より尊いものは無い……というのは嘘だ」 少女の髪を掴んで引っ張り上げ、盾になるようにする。こめかみには銃口が当てられていた。 「『これ』を首から下まで持ち帰ろうとした時点で察しはついてる。生き物だと、人間だと思ってるんだろう、『これ』を。だからこうすれば、僕を逃がさざるをえない筈だ」 銃の向きを僅かにズラし、少女の肩から胸にかけてをぶち抜いた。 それまで薬でぼうっとしていた少女だが、そこまでされて反応ができないわけはない。両目を見開き、人とは思えないような悲鳴をあげた。 少女を蹴倒し、同時に駆け出そうとする青年。 スローモーション。 倒れ込む少女の頭上2センチを金色の弾頭が回転しながら通過。 後ろを向いたばかりの青年の後頭部に急接近し、ちょうど脳のあるぶぶんへと命中し……。 ばきゃん。 青年は顎から上を喪失し、うつ伏せに倒れた。 「っ……おい!」 帽子を押さえ、少女へ駆け寄る福松。 慌てて抱え起こすと、瞳孔の開き切った少女がひゅーひゅーと荒い息をしていた。 だがよく見ると、鎖骨や肩部分を吹き飛ばされただけで主要器官は全く損傷していない。応急処置次第では生きていられるレベルの外傷だ。 「こいつ……」 物言わない死体となった青年を見下し、福松は帽子を深くかぶり直した。 ●肉と骨と血のかたまりでないならば 「誰だ! くそっ、くそっ! 離せ! 死ね! 死ね、死ね死ね死ね! 離せ! 殺すぞ! 殺……!」 「はいはい、静かにしましょうね」 ロウは、罵倒を叫んで暴れる少女の胸を革靴で踏みつけて固定すると、首筋に注射針を刺しこんだ。 丁度、潜入した時に見つけた睡眠薬だ。 ロウ自身はこれが睡眠薬なのか精神安定剤なのか、それとも他の良く分からない薬品なのかは分からなかったが、とりあえず片っ端から注入すれば大人しくなるだろう、くらいの気持ちで投与している。 「おや、一発成功とは珍しい」 大人しく眠ったのを確認して、ロウは注射器を箱にしまった。 ソファに寝そべり、手術患者のような服をきた少女。肩口は派手に引き裂けているが、一応生きている。 少女の胸から足をどけ、じっと彼女を見下した。 そして周りを見回す。 ロウ以外の仲間は現在、研究所にある全ての部屋を回って資料集めに勤しんでいる。 つまり、ロウと少女の二人きりだ。 「今サクッとやっちゃえば、後顧の憂いも張れてスッキリですよねえ。『肉体が腐り始めちゃったので首だけ切り取って保護しました』で言い訳はつきますし……」 パチン、と親指で刀の鍔を弾く。僅かに露出する刃。ここからコンマ五秒程度で少女の首を綺麗に切り落とせる。相手も動かないので、暫く血が漏れ出ないくらい綺麗に切断できるかもしれない。研究所にあった培養液にでも付け込めば壊死はしないだろし……と、まあ。 「ま、やめておきましょう」 カチン、とロウは刃をしまった。 「七花さん、どうですか?」 机に大量の資料を積み、美鳥は首を鳴らした。 流石に死体だらけの施設内でコーヒーを飲みたくはないだろうと、飲料水ペットボトルをデスクに置いてやる。 「魔術知識で、理解できそうですか?」 「どうでしょう。医術的な部分は全部読み飛ばしてます。分からないですし。できれば制御方法が分かればと思うんですが……」 「どうでした?」 別の資料を抱えて部屋に入ってくる悠月。 それらすべてに目を通さねばならないのかとうんざりするが……ともかく。 「制御に魔術的処置は全くされていない、ということが分かりました」 「『分からないことが分かった』みたいな話ですね……」 こめかみに手を当てる美鳥。ペットボトルの蓋を開ける七花。 「制御ができるくらいならわざわざ薬物投与で身体や精神を維持する必要がありませんしね。発狂のスイッチは『自分の記憶を探ること』のようですし……たとえば催眠治療や薬物投与などで『何も考えないようにする』という処置ができるかもしれませんが……」 「元気で健康な女の子に『戻してあげる』のは無理だと」 「……はい」 口元に手を当てる悠月。 「CCC……ヴィオニッチ、ナコト、レヒニッツ。どうも引っかかりますね」 パソコンを芸術的な速さで解体し、ハードディスクを積木のように重ねていく陸駆。 「大したもんだな。ほれ、これで最後だ。サイレントメモリーも済んだ」 「ん」 福松からノートパソコンを受けとり、解体を始める。 「人間の要素は二十二対の常染色体と一対の性染色体でできている」 「……うん?」 部屋を出ようとした福松は、陸駆の独り言のような呟きに足を止めた。 「どういう意味だ」 「染色体が変異していないのであればそれはヒトだ。脳死したとはいえ、人間を保っている」 「だが……」 「ほぼ死んでるんだからとか、変な割り切り方ナシね」 扉の向こうからひょっこりと顔を出す翔護。 「そういうの、最後までゴネれる仕事なんだからさ。フッくんもそうでしょ?」 「……ああ、なるべく手荒なことはしないように頼むつもりだ」 「手荒……か」 陸駆は目を瞑る。 たとえば目の前のハードディスクのように、『取り出して』しまえるならば……もしくは『消して』しまえるならば、それは優しい選択だろうか? 幸成がロビーへ戻ってきた時には、ロウは少女の脇に腰掛けていた。 膝枕こそしないものの、それなりに丁重に扱っているようで安心した。 彼の後ろからとてとてと美虎がやってくる。 「資料集めは終わったよ。帰ろっ」 「ん? 意外と早かったですね、分かりました」 「…………」 美虎は、少女をじっと見つめた。 これから彼女がどうなるのか。 どうやって保護されるのか。 適切なやり方を知ってるわけじゃない。 でも、できれば優しいほうがいい。 どんなことだって、優しいほうがいいに決まっているのだ。 「生きているのならば。生きていないのならば……」 口元を覆った幸成が、眠った少女へ向かって言った。 「生きよ」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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