● ぶらん、ぶらん。足場も何もない、飛び込み台の端。ぶら下がって、恐怖に引き攣った顔が此方を見ていた。 自分より小さく幼い命を繋ぎ止めるのは、結んだ手と手だけ。引き上げなくてはいけない。離してはいけない。なのに。 「う、く……っ、ああ……!」 息が出来ない。きりきり。首を締め上げる鎖が繋がるのは、己の指先。力を込めれば込めただけ。きつく締まる鎖が気管を塞いだ。苦しくて悔しくて。涙が出た。咽ぶ事も出来なかった。 意識が白くなってゆく。ぶるぶる震える手から力が抜ける。絶望の表情に必死に手を伸ばすのに。もう力は入らない。 ふわり、と。宙を舞った。声も無かった。僅かな沈黙と、ぐしゃり、と。濡れた袋を叩き付けた音。混濁する意識の中でも、もうどうなったか分かってしまった。ひ、と引き攣れた鳴き声が、漏れる。 「あーあ。あとちょっと頑張ったら助かったのにね。でも、そんなもんだよね」 つまらなさそうに言葉を投げて。けれど、青年の表情は安堵と喜びを隠し切れない。モニターを切り替えた。仕掛け天井に潰されていく少年と、必死に紐を引いてそれを止める少女。彼女達は後どれくらい持つだろうか。 必死になればなる程。助けたいのにと泣けば泣く程。胸を焦がすのは劣情。歪んだ悦びが背筋を這い上がる感覚に、思わず笑った。 仕方のない事なのだ。どれ程大切に思おうと、結局手は離れる。絡め合った血縁と言う名の絆だって、絶対ではないのだ。だから仕方の無い事。そう。 この手とあの手が、離れたのだって。 「――あー、気分悪いな」 ぐしゃり。落ちた天井と、真っ赤な血だまり。その目の前で泣きながら、肘から先だけの手に取り縋る少女。一気に競り上がる感情に眉を跳ね上げた。 折角、良い気分だったのに。大事な大事な弟妹の為に、必死に手を伸ばし続ける姉や兄。恍惚とした感情はけれど、離した後も泣き続けるそれが、簡単に塗り替えてしまう。 嫌だった。ずるい。泣いてくれないのに。覚えるのは嫉妬。嫉妬。そして。焦燥感と傷み。 離れた手。失った繋がり。『普通』ならこうやって泣くのだろうか。もう一度、結ぼうとするのだろうか。知らなかった。歪んでしまった愛情は、普通の答えさえ見られない。 録画を停止した。部屋を出る。泣き叫ぶ少女をどちらも『処分』したら、次は何をしようか。落ちかかる漆黒の髪を鬱陶しげに掻き揚げて。青年は細く、息を吐く。 「嗚呼。これ、『プレゼント』してあげればいっか」 繋がらないのなら繋げばいい。一方通行の歪んだ愛情で。傷付けて結んでおけばいい。居場所は、分かったのだから。 どんな顔をするのだろうか。想像して、楽しげに笑い声を立てた。傷付ければ傷付けただけ。何処かで膿む自分の傷は癒える気がした。 歪んだ愛情論は、未だ終わらない。 ● 「……以上、送られてきた内容。手紙も来てたんだけど、響希が持って行った」 二組の兄弟の、凄惨な終わり。一連のそれを映したモニターをちらりと見つめて、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は告げた。 差し出された資料は、何時もなら其処に立つ筈の女の字で。怪訝そうな表情をくるりと見遣ってから、別室。とフォーチュナは呟く。 「どうしても自分が行くって言うから。説得を任せて私が来た。……ええと、この前の裏野部と、恐山が手を組んで、変なビデオを作ってた事件。それの首謀者が、動きを見せたの。 やってる事はだいたい一緒。同じように、今みたいなビデオ作ってる。兄弟ばっかり集めて、ひどい事ばっかり」 少しだけ、嫌そうに。歪められた表情が翳ったのは一瞬。色違いの瞳を瞬かせて、フォーチュナはそれで、と言葉を続けた。 「事件を潰しても、繰り返されるなら意味がないよね。……だから、根元を断って欲しい。今回のお願いは、首謀者・月隠奏多を片付ける事、ただそれだけ。 場所は分かってる。行って、戦うだけ。一般人とか閉じ込められてるみたいだけど、倒せば助けられるから。そこは気にしなくていい。ただ、」 言葉を切る。少しだけ彷徨う視線が、緩やかに資料へと落ちていく。 「アーティファクトがあるの。使用者の行動を縛る代わりに、……幻を、見せるアーティファクトが。 識別名『愛憎オートクチュール』。使用者とほぼ同等、若しくは若干劣化した分身を作って、みんなの大切な人、って言う幻の洋服を着せてくれる小さな香炉。これが、部屋に焚いてある。フィクサードは、皆が来るって分かってるから。 一人で待ってるよ。みんなが傷つく所を見て、撮って、送ったり売ったりする為に」 とんとん、と資料を揃える音。少しだけ伏せられた視線が上げられた。モニターを切る、細くて小さな指。 「……幻は幻だよ。戦う事になっても、倒したとしても。それは本物じゃない。惑わないで。踏み越えて。踏み越えてしまえば、アーティファクトを持つ首謀者を倒すのは簡単。 気を付けて行って来てね。……良い連絡を待ってる」 あくまで、淡々と。事実だけを告げて。依頼内容を告げたフォーチュナは静かに、部屋を後にした。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月08日(火)23:12 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 「……捕縛でも良いかな、根本を断つなら一緒だと思うんだ」 『……、好きにして良いけど。連れて帰ってくるなら多分あたしが殺すわよ』 元々そのつもりだったんだから。寂れた施設の目の前で。通信を開いた『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)に答えたのは予見者だった。酷く淡々と切られた通信。 其処にどんな真意があるのか何て誰にも分らなかったけれど。確かめる前に、為すべき事があった。誰が言うでも無く。その足は、室内へと入っていく。オーダーメイドの悲劇と、戦う為に。 ● 甘い香りが緩やかに意識を奪っていく。蜂蜜のようにどろどろと。溶けていく思考と意識の境。気付けば伏せていた瞼を上げた『蒼き祈りの魔弾』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)の目の前に立つのは、見慣れた優しい金の瞳。 握り締めた教義の形。思わず少し手が震えて。交わった視線に、酷い息苦しさを覚えた。 生まれて初めての、恋だった。優しく笑う顔。広い世界を知ったばかりのリリの心に入り込んだそれを彼女はきっと一度だって忘れた事がない。 空っぽの心。空っぽの自分。其処に流れ込んだ温かいもの。こんな、何も知らない自分でも誰かを愛する事が出来るのだ、と。教えてくれたのだ。 だからこそ、リリは今ここにある。信仰しか知らぬ修道女ではなく。リリ・シュヴァイヤーと言う一人の女性として。 「……どれだけの有難うと愛してるを口にしたら、伝わるのでしょうか」 どんな言葉でも足りない程に重ねたものがあって。だからその手は引金を引く事を躊躇う。撃てば傷付く。痛みを訴える。この手で、傷つけた事で。 躊躇う。叩き付けられた思考の奔流に跳ね飛んで、小さく咳き込んだ。痛い。この痛みを、同じように負わせてしまうのだとしたら。躊躇いは消えなくて。でも。 薬指。仄かに煌めく色を見た。温かなつながり。こんな風にまやかしに惑い、為すべき事を為せない自分は、きっと彼が愛してくれた自分ではない。 「大丈夫。……本物の貴方は、いつもお傍に」 抱き締めた温もりを知っていた。交わしたくちづけの優しさも。そっと、左手の指輪に触れる。伸ばした手。狙いを定めて、もう躊躇わない。 さあ、何時もの様に『お祈り』を始めよう。両の手に教義を。この胸に信仰と―― 「――あの方に教えて頂いた、愛を持って。信じる全てのものの為に……私は決して退きません!」 愛と信仰と。守るべきものの為になら。彼女は何時だって、その引金を引く事を躊躇わない。 騎士が居た。見上げる程の隆々とした巨躯。金の髪。蓄えた顎鬚と、厳つく彫りの深い顔立ちは獅子の如く。全身鎧に揺れる薄汚れたマント。三十半ばの、デュランダル。 身の丈超えるツヴァイヘンダーが、物理的圧力を持つ思考と共に叩き付けられる。『鉄の剣』ゲオルク・フォン・シュピーゲル。嗚呼。見紛う筈も無い。 神秘界隈を流れる傭兵。出逢った時と変わらぬ風貌に、『銀の月』アーデルハイト・フォン・シュピーゲル(BNE000497)は静かに、息を吐いた。詠唱を紡いで放った黒鎖はしかし、彼を倒すに至らない。 知っていた。勝てない事を。情を交わしたたった一人の男。無口で不愛想で不器用で。けれど彼は何処までも、只の人間だ。地べたを這いずり何処までも足掻く者だ。 勝てない。適わない。銀の髪を血が濡らす。混濁し掛けた意識の中で、微かに聞こえる、声。 ――行き先は同じだ。独りよりはましだろう 遠い昔。たった一言の、求婚の言葉。生きる為に殺し続ける自分達は、神の御許に等行けよう筈も無く。だからこそ、交わした契り。 「――ええ、ならば共に冥府への道を。これが私達のウエディング・ロード」 あの日。交わした契りをもう一度。謳う様に口ずさんだ。嗚呼。立ち止まって等居られない。歩みは止めない。勝たなくてはいけなかった。再び紡いだ呪いの言葉。 鮮血が散った。今度は間違い無く『敵』を食らったそれを確認して。銀月の吸血鬼は、表情も変えずに次の手を練り上げる。 ● 優しく波打つ髪が揺れた。大切な女の子。幸せそうに笑った顔がちらついて。『塵喰憎器』救慈 冥真(BNE002380)の心は微かに軋む。けれど、覚悟は出来ていた。 だって当然だ。自分の一番、なんて彼女以外に有り得ない。だから、大丈夫。躊躇わない。そう、強く言い聞かせる。初めてのあの日をもう一度。今度は、違う結末を。 最初は只の敵だった。倒すべき相手だった。それ以上でもそれ以下でも無くて。 「……あれでも嬉しかったんだよ」 自分へ向けてくれた好意。返すのが怖かった。でも、本当に嬉しくて。だから、覚悟を決めて手を取った。 偶然あの日外した一矢。もし当たっていたら今は無いだろう。敵から、自分の救いに変わった存在。もう一度撃てと言われて撃てるのか。傷付けるなんて本意じゃないのに。 心と命を預けます、と。告げた声のトーンも呼吸も思いも言葉も一つ残らず覚えていた。何時だって彼女はいいと言ってくれると信じて戦っている。卑怯だと知っている。好意に寄りかかっているのだ。でも、だからこそ。 「約束は護る。何度でも何時でも、何時まででも」 それは変わらないし、変えられない。あの日自分は言った。同じ方を向いている限り、幸せにすると。だからきっとこれは、もしもの話。命を預かった。幸せにすると言った。けれど。 運命が彼女に笑わなかったのなら受け入れなくてはいけなかった。自分の為ではなく彼女の為に。心までくれたその想いの為に。 彼女を殺す事が出来ずに、負ける自分を、殺さなくてはいけない。彼女ならきっと、そんな自分の心に殉じてくれるだろうなんて。それも甘えているのだろうか。伸ばした指先で、手を取った。そっと、抱き締めるように、首に手をかけて。 「……柄じゃねえよ畜生」 滲むように現れる、魔力の刃が白い首元に吸い込まれて、。 見知った姿が立っていた。けれど、血の匂いがしなかった。この先、自分が守らなくてはいけない存在と相対して『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)はきつく鉄球を握る。 一目瞭然。これは偽物だ。けれど。 「ティアリア、」 幼い声。手が止まった。真っ直ぐに此方を見る顔に足が竦んだ。だって自分がこの子に与えるべきは愛で、温もりで。そう約束して。こんな、凶器を叩き付けるべき存在ではなくて。 息が詰まった。出来る筈が無い。愛していた。だからこそ。震えて下がりかけた足はしかし、不意に踏みとどまる。覚えていた。自分で、決意を固めた日を。 この手を掴むのだ、と。この、何も知らない少女を愛するのだと。そう、まだ記憶に新しいあの日。『家族』になろうと手を差し出した、もう居ない『あの子』の分まで。 この、脆く儚い存在を、守るのだと。手に力が籠った。それが出来るのはもう、自分だけだと知っていた。だから負けられない。立ち止まる事は出来ない。愛する子を守る為に。今は、偽りの少女に手を上げなくてはいけない。 未来を、掴む為に。 「……久しぶりに顔を見れて、嬉しかったわ」 囁く声。きょとん、と此方を見る少女に、全力を込めた武器を振り上げる。今はさようなら。今度会う時はきっと、優しく抱きしめてやれる筈だから。 視線が合ったのは、『あの子』だった。何時も溢れるほどの愛を息子や娘に注ぎ込む『三高平の肝っ玉母さん』丸田 富子(BNE001946)はけれど、その姿に表情を動かさない。 鉄心。どんなことにも揺らがぬ心を己に課した。負ける訳にはいかないから。此処で倒さなくてはいけないから。自分は、リベリスタであるのだから。 戦い方は単純だ。癒し手と言うには強固すぎる程の己の防御と、その体力にものを言わせて。飛んでくる攻撃は耐えて、耐えて、全てを受け切り、近づいて殴る。 シンプルに、ただ只管に。握り込んだ拳で殴った。 心は、揺れなかった。どれ程それが痛いと泣こうと。止めてと言おうと。揺らがないだけの決意を固めてきたのだから。表情は硬く。その手に容赦は一つも無い。 腕力は十分すぎるほどにある。長年料理と共に鍛えたそれで。後悔なんて、揺らぎなんて、残さずに。 「道具を使ったまやかしなんてのは所詮この程度さっ!」 強固に。心を揺らさぬ術は確かに強く、そのまやかしを打ち破ったけれど。彼女の何処までも優しく広い心に、どれ程の傷をつけたのだろうか。 ● 嗚呼もう何年前の話になるのだろうか。最後に顔を合わせた時と全く同じ。淑やかで色気のある顔と身体。余裕ぶった笑みさえあの頃と変わらなくて。 『住所不定』斎藤・和人(BNE004070)は微かに、溜息を漏らした。彼女しかありえない、と知ってはいたけれど。こうして出て来られると言葉は上手く出て来ない。 躊躇いは無かった。何時も通りやる。それ以外の選択肢なんて存在しない。 「……今更こーいうのに手を緩める程若くねえよ」 未だ失ったばかりの頃だったら違ったのかもしれないけれど。家を出て、右も左も分からないまま、食い扶持探しに夜の街を彷徨って。そんな自分の手を掴み、拾った女。 手取り足取り色々な事を教えてくれた彼女の真意はもう分からない。今思えば、世間知らずで純情な子供で遊んでいただけなのかもしれないけれど。 それでも、愛していた。今までで、一番。破邪の煌めきを帯びた刃を叩き付ける。痛みが、恐怖が、絶望が。その表情にはある。小さく悪態をついた。 「まるで、俺があの野郎みてーじゃん。……胸糞悪ぃ」 同類には違いないのだけれど。この顔を、見た事があった。こんな風に、痛みと恐怖に彩られた最期の顔を。まだ子供だった自分は運命の悪戯を受け入れる事が出来なくて。 力をひた隠しにして、彼女と居た。普通の人間である彼女と。共にある日々は、自分も普通の人間であるのだ、と思わせてくれる優しい温度を持っていて。きっとそれは、幸せだったのだろう。 けれど、もうその日々は存在しない。終わってしまった。自分と同じ『モノ』に、彼女は喰われた。もう戻らない。その時の顔はきっと、ずっと忘れられなかった。 それでも。和人は手を止めない。どうしてと咽び泣く様な若さも幼さも、もう持ってはいなかった。 ただ、ほんの少しの痛みと後悔だけを抱え込んで。その刃は、『敵』を穿つ。 一年以上前。翡翠の髪の少女はその信仰を試された。逆十字に祈る声を、悠里は今でも覚えている。そして、あの日交わした約束も。 「――君が運命を失った時は容赦出来ない」 呟く。あの時。きっと自分はそれが出来ただろう。痛みを伴っても。ただの、仲間であったあの時ならば。けれど今は。今、同じことを言われたら。自分はその約束を果たせるのだろうか。 それを試すかのように、目の前の翡翠が揺れた。十字架を頂く杖が放つ幾重もの気糸。傷ついて、攻撃に移る。指先で爆ぜる雷光を、その身体に。痛みに歪んだ顔が見えて、手が震えた。 「ねぇ、カルナ……。僕に君が……殺せるのかな……?」 声が震えた。答えなんか返らない。これは本物ではない。でも。同じ顔で、声で、仕草で動く彼女を倒すのは辛かった。やりたくなかった。心が揺れる。悠里、と呼ぶ声。嗚呼、負けてもいいんじゃないか。 きっと、自分が負けても誰かは倒してくれるから。だから。そこまで考えて、けれど此方を見据える翡翠と目が合って、首を振った。 「駄目だよ。……いつかは、有り得るんだから」 本当に彼女が運命を失うかもしれない。その時も、自分は誰かに任せるのか。逃げるのか。そんな事許される筈がなかった。自分が、自分を許せるはずがなかった。手を伸ばす。艶やかな髪をそっと撫でる。 愛してる、と囁いた。迷うだろう。後悔するだろう。この心の負う傷は明確で。けれど、それでもそれは自分がしなくてはいけない事だった。誰にも、譲ってはいけない自分の役目。 「この世界の誰よりも、君の事を愛しているから……」 だから。君に終わりを齎すのは、自分であるべきだ。 「……知ってたよ」 現れるのが、彼女である事くらい。防御に徹しながら、『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)は目の前の赤銅を見据えた。攻撃なんて出来る筈なかった。大事な、ものなのに。 この手で傷つけて泣かせて壊してそうして、目の前からいなくなる。怖かった。嘘でも、失うのが怖くて。その手は動かない。容易く折れるだろう身体を、傷つけられない。 けれど。目的があった。その痛みを超えてでも、果たしたいものが。口元に滲んだ鮮血を拭う。触れない、と決めた筈の彼女の心の奥に触れようとしたのは自分だった。放っておけなかった。だから、此処にいる。 「俺はね。……本物の彼女が泣きそうにしてる方が、ずっと辛い」 吐き出す。細い手首を掴んだ。痛みを訴える表情に心は軋むけれど。それよりも、傷ついた顔を見た方が、ずっと痛い。鮮血が散った。けれど吸い上げたそれに温度は無い。やらねばならなかった。 自分のもので無い血を拭った。漆黒の瞳はもう揺らがない。 「偽物如きに心を痛めてる場合じゃないんだよ……!」 全力で潰す。細い身体が、力を失って溶け消えるのが見えた。 ● 先に見えたのは、たった今倒した彼女と同じ顔だった。青ざめた顔が、憎悪にも諦めにも似た色を湛えてミカサを見遣る。もう動けないのだろう。香炉に滴る血は、代償の何か。 そんな彼を捕えたのは富子の手だった。傷ついた身体は、彼女の戦いの壮絶さを物語る。揺らいだ心を鉄心で支えて。只管に殴った。 その戦いに彼女の心が何を感じたのか、推し量る事は出来ない。がっちりと、抑え込む手。彼に齎される結末何て分からなかった。重ねた悪行は拭えない。リベリスタとしてすべき事は決まっていて。けれど、其処までに時間を作る事は出来るから。 「悔いを……絶対に悔いを残すんじゃないよっ!!」 少しでも優しい未来を。その為に倒れる訳にはいかないと、傷ついた身体で全力を見せる彼女の前で、ミカサは静かに幻想纏いを取った。即座に繋がる通信。大丈夫、と囁く声に頷いて、時間を作った、と告げた。 男の耳元に、押し当てられる通信機。ノイズに混じって聞こえた微かな溜息に、嬉しそうに笑う顔。それを見つめて、ティアリアは緩やかに首を振った。家族なんて、一番に守るべき存在の筈なのに。その胸の痛みはリリも同じで。 愛は何処までも優しくあるべきものだと、信じていた。だから理解は出来なくて。それについて響希がどう思っているのかは知らなかったけれど。悲しい想いはして欲しくなかった。もう少しだけ優しい結末を祈らずにはいられない。 「嬉しいなぁ、俺、連れ帰られるんでしょ? また会えるね」 楽しそうに笑う。通信先の女は押黙ったままで。ただ只管に紡がれる甘ったるい毒のような言葉。 『――あたしは、リベリスタなの』 不意に、吐き出す声。酷く震えてけれど何処までも張りつめた。少しだけ、間が空いた。甘えてなんかいられない。結局送り出し願い祈り待つ事しか出来ない癖に。小さく息を吸う、音。 『あたしに、弟なんていないわ。……さよなら、月隠クン』 沈黙が落ちた。通信は切れていない。切れる筈が無かった。逃げられない。え、と呟いた男が瞬きして。いやだ、と小さく呟いた。嫌だ嫌だ。止めてよ離さないでよ俺の事嫌いなのねえ姉さん見捨てないで。続く言葉に返事は無い。 ただ。泣きそうに震える呼吸音だけが聞こえた。沈黙。呆然と動きを止める男に、冥真がなあ、と囁く。 「何で俺らとお前にフェイトなんて蜘蛛の糸が垂らされたか、分かるか?」 それは、運命がどうしようもないサディストだからだ。投げられた言葉に、男は笑いだす。嗚呼そうか、と目を細めて。肩を竦めた。 「……嗚呼、俺は強欲な誰かの様に、蜘蛛の糸を切られる訳だ」 目の前に落ちた運命の糸を笑って掴んだけれど。その末路は結局落ちるだけ。諦めた様に笑って笑って。そんな彼に掛かるアーデルハイトの声。 「置いて行くなと泣き喚くばかりで、追いかけようとしなかった。それが、貴方の過ち」 「だって泣き喚く方が、手を離せないんだよ」 手を借りるのも肩を借りるのも良い。けれど、立って歩けるのは己の足だけなのだから。それは間違いなく事実だったのだろう。後悔は無く。目を細めた男が不意に、和人を見る。 「あんた、アツナに会った人? まぁ良いや、俺を追うって事は恨まれてるか――ビデオの事だろうし」 あげるよ、と。手首だけ振って放り出されたUSB。面白いデータが入ってるよ、と笑って。男は力の抜けた手を己のこめかみへとあてた。 「離れたなら繋げばいいんだよね。知ってるよ。ねぇ、」 ――忘れないでね、姉さん。面白そうに笑った。拒絶されたのに。連れて行かれるつもりなんて無かった。こんな機会をくれて有難う。上がった口角。家族だから、と思っていた。どれだけの悪事を働こうとも彼女にとっては。 後悔の無い結末を。そう願った彼らに応えて、確かに彼女は決断したのだろう。それが齎す結末も覚悟の上で。言葉を交わすだけだったなら、もっと結末は違ったのだろうか。分からないけれどもう賽は投げられていた。 思考の奔流がその頭蓋を跳ね飛ばす。鮮血が、散った。溢れて落ちる血と脳髄。力を失った手から、通信機が転がり落ちる。 もう、声は聞こえなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|