●不幸と呼ばずに居られまい その日、街の気温は過去最低を叩きだした。 北方であれば息をするように生き延びるその気温は、しかしその地域では考えられぬ極低温である。 そぞろ歩きにはどうあっても釣り合わぬ夜。叫びだしたいほどの寒さの夜。 不幸は、鈴の音を鳴らして歩いていた。 体温が湯気となって人の器から抜けだしていく。あまりの冷気に雪すら降らぬ。 故に、それは誰に隠されることもなく誰に憚られることもなくそこでだらしなく湯気を漏らしていた。 それは、酷いと呼んでまだ足りぬ「酷さ」があった。 絞首刑か、惨殺刑か、古代の刑の何れかだろうか。 兎角これでもかというほどに『死因』を詰め込んだ人の跡は、その四肢の数から五名『ほど』であることをしらしめる。 後に分かったことだが……被害者は何れも、年若き違法遊女の類であったということ。 全ての遺体に、下腹部から大腿部にかけての不自然な欠損があったこと。 更に述べるならば。 その中に、革醒者がひとり混じっていたことなどが挙げられた。 「…………いや、見事、見事。私の見積りと教育は割合にして奏功しましたかな」 「何が教育だ。お前はただ遠間で観ていただけだろう。小娘の過去を視ただけだろう」 ニット帽を目深に被った男の口元に刻まれた三日月に、腰にポーチを提げた浮浪者めいた男はくだらないとばかりに吐き捨てる。 彼の周囲をゆら、と湯気が立ち上るが、決して彼の体温からではないことは明らかだった。 彼には、満足な外衣がない。満足な栄養が無く満足な肉体がなく満足な正気がない。 だが、満足どころか過剰なほどに歪みきった正義感があった。 左腕をすっぽり覆うのは、ミトンですらない麻の布。 右腕から覗くのは、鈴を鳴らす狂気のたぐい。 「けれど、『処女解体』と『猫目の鈴』を渡したのは私だ。正確には『私』じゃあないが――」 「俺は欺瞞を食い破る。お前は偽善を剥ぎ取り捨てる。それでいいんだろう?」 「上等な回答です。反吐が出る」 空はどこまでも黒々とした闇を湛えていたから。 人はどこまでも暗澹とした夜に生きていたから。 その血肉はどうあったって、狼煙のように鮮烈だ。 ●純血の純潔たれ、という皮肉 「信仰というのはどこに於いても毒ですね。いや、実際これは酷い」 「いや、処女信仰とか言うんじゃねえだろうな……流石に時代錯誤ってレベルじゃねえぞ」 凄惨な死体の写真の束を片手に首を振る『無貌の予見士』月ヶ瀬 夜倉(nBNE000202)とて、これでも年頃の男女を見守る職責を持つ人間である。被害者に何らか非があるとしても、ここまで凄惨な殺し方をする必要が果たしてあるだろうか。 「ここ暫くで、相当数の少女たちがその生命を奪われています。共通項としては……そうですね、まあ、大なり小なりの『穢れ』がある、というところでしょうか」 「そりゃぁ、人は普通そんなモンだと思うがな。その程度で殺されるなんて堪らんな、実際」 「全くです。だが、この男にはそれが許せなかった。殺すほどなんですから、余程のこと」 背後のスクリーンに、一人の男が現れる。 襤褸を身に纏い、殺気立った目をした一人の男。ぼさぼさに伸びた髪。麻布に包まれた左手、クローの先端に鈴を括りつけたその男は、誰がどう見ても異形で異常であった。 こんな男が誰に見咎められることも無く犯罪を重ねるなど、なかなかに考えにくいのだが……。 「アーティファクト『猫目の鈴』。鈴が鳴る際に周囲の認識を揺らし、錯乱させることで自分の存在する位相をずらす、いわば瞬間移動に近い能力を持つ装備です。厳密にはもう少し難しい理屈があるのですが、それはさて置き。厄介なのは両手のクロー、『処女解体』の方でしょう」 「なんだ、そのなんて言うかアウト甚だしい名前は。寧ろ左手、あれの中身はクローなのか?」 「ええ、一応……『処女解体』は成長型アーティファクトです。人の血、不浄性を啜る爪です。啜り尽くしたところで、それが清くなるわけでもないというのに律儀なものです。結果として、その殺傷力は日増しに上がっている。つい先日なんて、革醒者混じりのグループを……」 「そんな話はいい。待ちぶせとか、行動予測とか、話すことあるだろ」 つらつらと話を連ねる夜倉に痺れを切らしたか、リベリスタが先を急く。それを嫌そうにも思わず受ける夜倉も夜倉である。 「彼……ああ、『桂上 清人』と言うんですけどね。どういうわけか、行為に及ぶ日は決まって街の底冷えが酷いタイミングに行なっています。普通に考えれば、町の人間が夜歩きをすることが無いタイミング。同時に、死体の熱が発見を早めるタイミングに限って、です。なんでこう、ある意味でばれやすい行動を起こしているのか。わかります? 尤も、これは何処ぞのフォーチュナの肝煎りの様ですが」 「……アーティファクトと、人殺しと、歪んだ正当性か」 「ええ。居るんですよね、一人。『思い当たり』が」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月02日(水)23:38 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●前段 「ねぇ、さっき聞いた話しなんだけどさ……今日は『ヤバイ』らしいよ?」 「ウチらがヤバイなんて何時もの事じゃん、確かに最近変態多くて困るけどォ……」 「そうじゃないの、警察が来るって話があってね? 流石にヤバくないかなぁって」 闇に落ちた世界の隅で取り交わされる少女たちの囀りは、彼女達が表沙汰に出来ぬ向きに手を染めていることを伺わせた。 だが、それと同時に彼女達には理性があり、個性があり、存在があることを伺わせる。 善悪を踏み越えてもその境界線を往復したい少女たちは、果たして善なりや、悪なりや。 ● その夜に蔓延する死の匂いは仮初のものである。 現実に『まだ』死者が出ていない状況下で、濃く漂うそれは今までに幾度か繰り返された殺戮の残滓なのかもしれない。 それでも、人は『それ』を期待することをやめなかった。 何故か? ――それが、人の欲求が生み出した需要と供給の現実だから、なのだろう。 仄かに漂う血の匂いは消えないまま、男の鼻孔を擽り巻きつき離さない。 或いは、それが恍惚たる彼の業を示しているとも言えるだろう。 「穢れたことが殺すほど悪いことじゃない事をまおは思います」 穢れとはなんだろうか、罪と罰の概念とはどこに重きを置くべきなのか。幼い『もぞもそ』荒苦那・まお(BNE003202)にはわからないことだらけである。 そもそも、だ。 人の穢れの概念を他者が個人の判断基準のひとつとして決めつけてもいいものなのだろうか? まおには、解らない。幼い知性に詰め込まれるには余りに度し難い情報の数々を整理できるほど彼女は大人ではない。 だが、やはりそれでも胸を張って言えるコトがあると思うのだ。 「穢れたことが殺すほど悪いことじゃない事を」 知っている。そんな自分は、穢れているのか? 「……でも、名前の割に解体して啜るのは不浄なのね」 事件現場の跡を視界に収め、宇佐見 深雪(BNE004073)はぴくりともしない表情でその矛盾を切って捨てた。 名前のままなら処女だけを刈り取ればいい。そうしないのは、何か別の信念でもあるのだろうかと思う。 人の血は須らく不浄であると言いたいのか、どうなのか。そんな戯言はきっと、今ここで許されるものではないのだろうか。 どうでもいいのかもしれない。止めるのが、使命であるかぎり。 「自分が間違ってるとわかっていても、信念を貫き通せるというのは妬ましいわね」 周囲に撒き散らすのは拒絶の波長。誰一人迎え入れることを考えない嫉妬塗れの反駁は、即ち呼び込まれる不幸を弾くための思い遣りであったのだろうか。 少なくとも、それを本能的に成し遂げる『以心断心嫉妬心』蛇目 愛美(BNE003231)の在り方の良し悪しはさておくとしよう。 穢れを何と取るか、何をしてそれを断ずるかは人それぞれだ。それを佳い悪いということは出来ないなら、それを罪よと貫く事もできるはずがあるまい。 それでも、そう強要している相手はどうなのか。良いはずが無いだろう、と思う。 ときに、拒絶感が神秘性の発露だとするならば、それを感ずる者もまた神秘性の住人であるということだろう。 拒否を肯定として受け入れる者も、時として存在するのだから。 ――ちりん、と鈴が鳴る。 それが最初から幻だったかのように顔を出し、あたかも悪い夢であったかのように血臭が流れる。 「……彼の言っていた『箱舟』か。思いの外遅かった、というべきか」 「貴殿が害し刈った少女達、如何なる罪で死罪としたか」 体を傾ぎ、獣性を隠しもせず構えた男――桂上 清人へとブロードソードを差し向けたのは『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)だった。 「それを理解していたからここに来たのではないかな? それとも、禅問答でもしに来たのかい」 「娼婦とは人の原初の職能、それぞれの本質は罪でも悪でもありえない。……偽善で結構」 「偽善というよりは正義病だな、それは。他人の狂気をやすやすと狂気として扱うもんじゃァ無い」 「……OK、君の殺人には美学がある。そう言う意味ではグルメでいい殺人鬼だ」 そのやり取りを観察し、『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)は料理を皿に受け止めるが如くに笑みを深めた。 信念があり美学がある。狂人というのは何時だって美学を求めすぎた存在である。 多くを機械的に殺すのではなく、ひとつひとつを吟味して殺す彼にとって、目の前の相手は余りに食指をそそる存在であるに違いない。 「けど。現代を生きる殺人鬼は賢くなくちゃ『生き様』を全うできない」 「子飼いにされた感触はどうだ殺人鬼。そんな貴様に価値はあるか」 「あるね。……神の目は恐い」 まるで怯えていないようだった。ただ漠然と、枠にはまって類例に当たらない殺し合いを愉しむ彼は美学の語り合いだけしていればいい、と言えなくもない。 だからこそ、純粋に人殺しの美学を騙ることができるのだ。誰も口にしようとしないそれを、敢えて笑いながら語ることができる。 「はーい、穢れてまーす。男性経験結構ありますよー、すごいでしょー!」 「…………そうか」 「今は……彼氏とか居ないです、けど……」 「構わないさ、変わらない。なら、死ねというだけの話で」 努めて明るく、自らの『それ』を語る葉月・綾乃(BNE003850)に対し、清人の視線は冷ややかなものだ。殺人衝動を抑えているのではなく、取るに足らぬ死を夢想する対象として視野に入れている、という気配すらある。 (自身満々に語れることはすごいと、まおは思うのです……) (正直なのは妬ましいけど、真似したくないわね……) (説得とか通じなさそうなタイプみたいだよね……) まおと愛美のぼやき混じりの視線に沿うように、『ゲーマー人生』アーリィ・フラン・ベルジュ(BNE003082)もまた綾乃と清人、引いて葬識の立ち位置を眺めていた。 明らかに常軌を逸した清人の言動とリベリスタ達への受け答えは、最初から結論ありきでその道を駆け抜けてきたのだろうと理解できた。 そうでなければ、ああまで残虐にはなれはすまい。ああまで人を捨てられまい。 結果として清人は狂っているのであり、それを笑い飛ばせる葬識もまた、一般的な点でネジが飛んでいることだけは理解できる。 常人である以上、アーリィにはそれ以上はわからないけれど。 「穢れか、面白いな」 その状況ですら笑い飛ばす――彼女の場合は『嘲笑』だが――『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)の表情には揺らぎなどなかった。 最初からそう言う相手なのだろうと諦め、言葉より刃を交わすことを考える彼女をして目の前の相手に差し向ける情などあろうはずもなく。 「チンケな理念の自己満足では何にも届くまい。野良犬が聞くのが関の山か?」 「そのチンケな理念すら止めることが出来なかったら、君達はどうすればいい? ご大層な言葉は戦う前に吐くものではない、と誰も教えてくれなかったのかい?」 「所詮は殉教者の列にならぶ潔癖症の患者にくれてやる言葉も無い。あれらと一緒にしてやる」 「……まぁ、その辺りは自身で理解するといい」 清人の上体が傾ぐ。ユーヌのナイフを持つ手が揺らぐ。 一瞬の溜めを置いて、互いの姿が掻き消えた。 ● 一瞬の差だった。 より毒々しい色を放つクローを首の皮一枚削らせる程度に留めたユーヌは、神経がすり減らされる感覚を知らず覚えていた。 一撃、次いで二撃――重みで言えば遥かに軽い一撃目が、クリーンヒットを許した二撃目よりも寒気を覚える感覚。 自らは穢れては居ない。少なくとも、清人の基準では。だが、彼はそれでも食らいついた。解体する本能は彼女をもターゲットと捉えた。 その因果律にどの程度の揺らぎがあるのかは解らないが――一つだけ彼女に確信をもたらしたことがある。 「宴会芸にも成らないが、無粋者を持て成すには十分だろう? どうせ」 恥も分別も知らぬ狂犬じゃないか、と。首筋を庇い、にこりともせず断じるそのナイフの先に端を発す呪詛は、既に清人を捉えていた。 「……速いな、思ったよりは」 「さあ、美学を語り騙ろう」 ユーヌの呪縛に囚われたとて、僅かに眉を上げる以外のリアクションを清人は見せない。見せるつもりも、ないのだろう。 そんな彼の間合いに踏み込んだ葬識の表情は明るい。というよりは、殺伐としているのか。美学のために命を賭けろと、彼は心の奥底で叫んでいるようにもとれる。 「毎回毎回面倒よね……こんな手間が要らない人たちが妬ましいわ……」 対峙する葬識達の背後で、愛美が眼帯を外し紅の義眼を顕にする。彼女なりの日常と非日常のスイッチが外され、跳ね上げられる音がする。 晒すのは本意ではないだろう。『見える』ことと『見せる』ことは明らかに違うのだ。だから、これを見せるだけの覚悟があるということ。 自らに向けられ、細められた目については見ないことにする。大丈夫だと思いたい。自分は、真っ当なのだと願いたい。 「清人様を止めるのが、まおのお仕事ですから」 「では問おう。止められなければ、仕事にならない。僕を止められないならどうすればいい?」 「……悪い人を、放っては置けないとまおは思いました」 「拙い問答だね。嫌いじゃない」 「貴殿が一方的に殺した少女達は、果たして本当に悪か?」 「それこそ愚問だ。君は善悪を概念として捉えられるわけではあるまい?」 僅かに全身から光を滾らせ、アラストールは頑然と問いかける。返される言葉は、悠然としていながら飄々と、その答えをはぐらかす。 善悪を語るということは、何れかに偏るということである。それが偽であれ真であれ、どこかの思想に拠る『善悪』など度が過ぎれば毒でしか、無い。 澄んだ空気に通る様、殊更大きく鈴が鳴る。 霞がかかったように消えた清人が、呪縛を逃れて爪を大きく振り上げる。歪んだ笑みで、綻んだ悪性を掲げて、綾乃の背へ向けて振り下ろそうとして―― 「隙あり、ってね」 「……、な」 深雪の声が、清人の真下から伸び上がり、手首を握りこんで大きく体を跳ね上げる。 流れるような動きから叩き付けられる刹那、空いた腕を大きく振り仰ぐ彼の動きに精度をやや落としはするが、『当てはした』。次いで、『止めもした』のだ。 この功績は、かなり大きいと言って良いだろう。 「彼氏募集中ですけどストーカーみたいなのは嫌ですし! ましてや殺人鬼とか勘弁してくださいっ!」 「誰の、台詞――」 こちらから願い下げだ、とでも言いたかったのだろう。だが、距離をとった綾乃よりも、背後に陣取っていた面子を御し易しととったか、にやりと笑む様子には狂気が深く滲んでいた。 正面から打ち合い、鬩ぎ合う格好となった深雪とて、決して今の一合が軽いとは思っていない。寧ろ、重すぎる位……あれで『狙ってない』のなら、尚の事危険だと理解できる。 「全く……傷物になったらどうするのよ。責任でも取ってくれるのかしら?」 「無論、とるさ。君の命を受け入れることで、だがね」 狂気に目を染めた清人を前に、矢を番えたのは愛美だ。タイミングとしては絶対に、外すハズのない間合いで、彼を捉えたが故に。 「私を殺したとしても、貴方の信念の補強になんてならないわよ」 「それを決めるのは君達ではない。余り、言葉を重ねないことだ」 再びクローを掲げ、前傾姿勢を取る彼の姿は既に獣にも近い様相を呈していた。 彼を衝き動かすのは圧倒的な殺意と敵意。故に、それは直線的でありリベリスタの憶測を呼び込みやすい――筈、なのだ。 (このタイミングなら、当たる……!) 動きが爆ぜる直前を狙い、アーリィの気糸が奔る。狙いは、手首に見える小さな鈴。話通りであればそれが『猫目の鈴』であることは間違いない。 確実な勝利を目指すならば、真っ先に破壊すべきものであろう。 真っ直ぐに突き進む気糸が手首に吸い込まれ、鈴ごと手首を貫いて抜けていく。 「ぐっ、ぉ……!」 鈴を庇ったか、或いは予期せぬタイミングであったからか。手首から噴出する出血量は殊の外多いようにも見受けられた。 「節操が無いな、生娘が好みか?」 「……ま、れェ!」 大きく仰け反った隙を狙うように、ユーヌが迫る。だが、やはり彼とて腐っても一線級の革醒者である。 悪意の色が浅いクローを向け、闇の畏怖を叩き付けようと大きく振るう。夜に於いてさらに深い闇が、追って踏み込もうとしていた数名を巻き込んで炸裂する。手首から噴出する血量をいや増しつつも、悲鳴に似た怒号を叩きつける清人には届くまいか。 「殺人鬼同士の鬼ごっこなんて洒落てるでしょ?」 大きく開かれた鋏は、逸脱を飲み込み常軌を切断する狂気の結晶。闇を身に受けつつも迫る葬識のそれが狙うのは、明らかに真紅に染まった腕の切断だ。 怖気が奔る。寒気がする。死を知らしめる直感力を持たぬ清人とて、この相手は『まずい』と理解できる。 「……あ、ァ!」 獣じみた……否、最早完全に獣に近い叫びを上げ、爪を振るって鈴に語りかけ、自らの退路を確保しようとする。だが、その背にかかった重みとその意味を理解した時、それがどれだけ愚策かというのを理解した。 全身を撓らせ、風を呼び込む。毒と殺意と、ほんの少しの渇望を求める爪の乱舞は、間合いにあるもの全てを切り裂いて唸りを上げ、鈴に更にと語りかける。 位相をずらし、位置をずらす。普段ならしっかりと踏みしめられたはずの足が、バランスを崩しよろめく。 重みがある。意思がある。寒気はやはり止まらない。 「捕まえました」 幼い声だ、とまず気付く。気糸が指先すらも縛り上げている、と更に知覚する。そこまでして、やっと背にはりついた気配の正体を理解した。 まおが、清人の背に張り付いて気糸を展開したのだ。 位相をずらすアーティファクトについていくという行為は、言ってしまえば愚行ですらある。位相のズレに巻き込まれ、或いは意図せぬ負傷を負う可能性とてあったはずだ。 それでも狙いに行くのは、覚悟あってのこと。 影で綾乃が右へ左へと動きまわり、回復の波長と破魔の波長を連ねて立ちまわる。 この状況は甘いものではない。彼女とていつ深手を負うか解らない。それでも、逃げまわるだけでは決して戦場は許してはくれないのだ。 故に、最適と最善を求めて立ち回らなければならなかった。タイミングが悪ければ、倒れていたかも知れない程度には。 「このままじゃ少し厳しいね……私も出来る事をしなきゃ」 ユーヌとまおが繰り返し清人の動きを止めに回り、逃げに徹しようとした清人が範囲を切り裂き、一点へ闇を据え、或いは避けに専念する。 綾乃一人でカバーしきれぬ回復量は、アーリィの助力で堅固にすることが可能なレベルであったのは、リベリスタ達にとって幸福だったと言えるだろう。 そうでもなければ、既に戦力差が近付いていてもおかしくない程だったのだ。 「狂気だって自覚してる間は狂ってないんだよ」 「――、っ様、ァ……!」 先に比べれば随分と嗄れた声だ、と葬識は僅かに眉を寄せる。殺せるのであれば些末事だが、何か感じるところはある。 先程から、違和感を感じるのはやはり源泉たるアーティファクトの反応か。 だが、正直なところそんなことはどうでもよかった。だから掲げる。だから捌く。 ――ガキン、バキンと咀嚼する。『逸脱』が『狂気』をその腕ごと。 「行動だけ真似たって、決して本物に近付けないでしょうに……ねぇ?」 「…………!!」 何を言っているのか、清人には理解できなかった。 そうだ、自分は最初からひとつの目標が為にこの爪を振るっていた。力がなくとも、心を狂気で研ぎ澄ませることで真っ当な狂人であろうとした。だから―― 「ジャックの劣化模造品さん?」 葬識の逸脱よりもユーヌの敵意よりも綾乃の現実よりもまおの純粋さよりもアラストールの誠実さよりも深雪の戦闘意識よりも深く重く昏く深く。 愛美の一言は、その男の存在を噛み砕いた。だから、アーティファクトは、音を立てて、その男の心を道連れに、砕け散った。 ● 「信仰の脳内麻薬でラリってるのか? 安くていいな」 「というより、もう完全に反応が無いみたいだよ?」 髪を掴み、顔を覗き込むユーヌの傍らでアーリィは理解する。桂川清人という男は、完全に壊れてしまっている、と。 壊れた玩具を殺す趣味は、しかし葬識には無かったのだろう。完全に知らぬ存ぜぬを決め込む腹づもりでもあるらしい。 「……しかしこれは、悪質ですね」 アラストールが憎々しげに清人を睨めつける。その敵意にあてられたか、びくりと震えた彼は静かに失禁した。その様子すらも穢れであるという、ジョーク。 「……桂川様や、熊井様達の後ろにいた方が何をしたいのかはわかります。けれど」 こんな現実を突きつけるなら、やっぱり嫌いだと。まおは、心中で呟くのだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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