● 暗躍せし狂気が蠢く日がやってきた。 メインディッシュは待てば待っただけその味を増す。待ち焦がれた表舞台。何処か浮き立つような空気の中で、男は何時も通り深く溜息をついた。 「悪くない雰囲気だねぇ。……って、嗚呼、話せるんだっけ、これ」 ひたひた。濡れた裸足の足が、地面を踏んでいる。きょとん、と此方を見上げる真っ青な瞳とくすんだ長い長い金の髪。 白い肌も小さな背も、美しい少女のそれで。けれど、濡れた足に、頬に、首に、浮かび上がるてらてらと光る魚の鱗が少女が人ではないことを教えてくれる。 楽しげな鼻歌が聞こえた。あの醜悪なモノから、良くもまぁこれ程までに仕上がったものだ。 「面白いよねぇ、お気に入りの『オトモダチ』を戦場に放り込むなんて」 嗚呼良い趣味だ。良い趣味過ぎて虫唾が走る位には。堪え切れない笑い声を漏らして、男は一歩踏み出す。水面が揺れるのが見えた。 さあ始めよう。今日演ずるのは抱腹絶倒のトラジコメディ。閉じない穴を見遣った。アレを巡って、泣くのは何方になるのだろうか。 ● 流れるように甘いグラツィオーソ。チェリストの男は陶酔し切った瞳で遥か先を見据えた。 男はケイオス率いる楽団員であった。 愛しきヴァイオリニストとの逢瀬はもうすぐ其処なのに、愛を隔てるこの水面が酷く憎かった。 嗚呼。もっともっと。彼女との二重奏を奏でたい。苛烈に優雅に愛を込めて。恋と愛と劣情と。混ぜ合わせた音はどんな色か。溢れて止まらぬこの感情。互いの音色が混ざり合う事こそ至高。 戦いの気配がした。『木管のパートリーダー』が攻めた事が招いた気配。嗚呼。戦乱と狂気はスコアを美しく色付けて。新しい音符を生み出すのだ。 「嗚呼、アリオ。……君を早くこの胸に掻き抱きたい」 あちらとこちら。嗚呼、まるでロミオとジュリエットの様だ。愛しい愛しいお嬢様を呼ぶのは、声ではなくメロディ。 あの日紅く濡れた弦が、艶やかに明かりを照り返した。 ● 「……今日の『運命』、どうぞ宜しく」 端的に。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は一言告げた。 「聖夜ものんびり楽しめないなんて、恋人持ちの癖にどう言う神経しているのかしらね。……六道紫杏が動いたわ」 三ツ池公園。つい先日『モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン』の襲撃を受けたが故に警戒を強めたそこを、六道の姫君は狙っている。それも、文字通り『本気』で。 「今回、紫杏自身が出てきてて……まぁ、暫定うちの味方な魔女さん曰く―『バロックナイツのモリアーティ教授』が可愛い可愛い生徒紫杏に手を貸してる。 ……加えて、ついこの間の『楽団』の襲撃で、まぁ多分ライバル心とも言うべきものを刺激されたみたいね。単純って言うか、純粋って言うか。 よくある話だけど、純粋である方が危ないのかもしれないわね。彼女の狙いは『閉じない穴』。容易く崩界度を上げる事が出来るから、って事みたい。それが、『キマイラ』の安定にも繋がるらしくて」 六道は妥協をしない。兇姫と言えどもそれはまさしく六道と言うべき姿勢だった。資料を捲る。 「まぁ、それだけだったら良かったのに状況は悪い。――『楽団』のフィクサードが今回は戦いに紛れてる。その目的は、……『戦力』の増強でしょうね。 彼らの戦力。要するに死体を求めてるのよ。……ほら、幾らでもいるでしょう? 死体が、怨念が、そして、死体の素が」 気分が悪いと目を細めた。差し出された資料の束。 「あんたらに頼むのは、『御伽噺』来栖・久臣の処理。及び、キマイラ『人魚姫』の処理。加えて、紛れ込む楽団員の名前は『ヴィオレンツァ』。 中々厳しい内容だと思う。キマイラは撃退しないといけないけど、……楽団員が居る内に倒すと……まぁ、『戦力』に加えられるかもしれない」 ただ、『楽団』も恐らく本気ではない。主導権を此方へ引き寄せられれば、撤退させる事も可能だろう。 話し終えて。そっと、フォーチュナは視線を下げる。深く漏れた溜息。下がりがちだった視線が微かに上がって、迷う様に伏せられた。 「……どうか気を付けて。送り出すあたしが言える事ではないけれど、」 死んでは駄目よ。少しだけ掠れた声。ぎこちなく上がった瞼の奥の赤銅が、リベリスタを見遣る。何時も通り、立ち上がった。 「じゃ、後宜しく。……良い報告を待ってるわ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月30日(日)23:40 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 甘く深い、音がした。 零れた血が交わって緩やかに酸化していく。むせ返るような、鉄錆の匂いが漂っていた。血に塗れた恐怖劇。或いは、誰も彼もが死んでいく、悲喜劇。 哂うのは誰で泣くのは誰か。答え何て知る筈も無くて。ただ、その激情に任せる様に閃く蒼い銀。幾重にも。実体を得た幻が踏み込み踊る。刃が弾いた月明かりが、桜の様に淡く消える。 「命を弄ぶお前らに、これ以上好き勝手させてたまるもんか!」 『禍を斬る剣の道』絢堂・霧香(BNE000618)が、視線の先で微笑む奏者と顔を合わせるのはもう二度目だ。顔を見ただけで思い出す。楽しげに笑いながら愛を謳って。人の命を奪い去って汚していく。 許せなかった。激情揺らめくあおいろが、射殺しそうな程きつく男を見据える。前は護れなかった。救えなかった。だから、今度こそ。この場所を護るのだ。多くの血と意志で勝ち得た、この場所を。 「嗚呼、二度目かな。……可愛い顔が台無しだよ、signorina」 奏でる手は休めずに。あの日と同じ笑顔を向ける顔に苛立ちは増す。その横合い。粘液を撒き散らす魚類を、どろりと濁った気配を纏う怨霊を。躊躇いなく巻き込み切り裂いた暗い紫。 跳ねた泥さえ触れる事の出来ないスピードで。前線を裂いた『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)は頬に落ちかかる灰色を払った。夜より暗い瞳が敵を見遣る。 「……良い趣味してるね」 「そうかな? これは芸術の一環だしね。今日はまさか、人魚姫と共演出来るなんて。アリオにも見せたいくらいに最高の気分だ」 理解出来ない、と。肩を竦めた。死体漁りだなんて罪な事。到底理解出来ないそれをしかし、遂げさせるつもりなどミカサには欠片も無かった。横合いから。飛んで来た鎌鼬が頬を掠めて紅が散る。 それでも表情一つ動かさず。己の役目へと視線を向ける背を見て。『御伽噺』は珍しく剣呑な視線をリベリスタへ、そして、楽団へと投げかける。 「どうなってんの? まぁ、邪魔されるなら皆殺しらしいから」 どっちにしても一緒か。興味なさげに吐き出す。戦場に舞い降りる、空駆ける翼の加護。それを齎した『境界の戦女医』氷河・凛子(BNE003330)は何処までも冷静に状況を見つめる。 一度、言葉を交えた悲恋主義者。と、生者を護る凛子の忌諱するべき、死体奏者。厄介だと言う事は誰より理解していて。けれど、それは諦める理由にはなりえない。 「私の役目は、死者を出さない事。……存分に癒しましょう」 彼女の目の前で、蠢く怨霊。そして魚。歌う様に囁く様に。奏でる男の手に合わせて、飛ぶのは見慣れた魔力の雷撃。それを掻い潜って、明らかに喧嘩慣れした軽やかさで振りぬかれる足。 魚の鱗が弾け飛んだ。その身を久臣に対する壁として『蒼き炎』葛木 猛(BNE002455)は真剣な、けれど何処かこの戦いへの楽しみを滲ませたような瞳を細める。 「……此処は通せねえわ、どうしても通りたきゃ強引にでも突破していきな!」 誰がどう言おうと。少なくとも今、此処は自分達のシマと言うべき場所。ならば通すべき筋がある。何方も譲らないのなら、後は力づくだ。捻じ伏せるだけの暴力を見せてみろ。 視線が交わる。同じ技を究める者として、興味を抱いた様に男の瞳が此方を向くのを感じた。その横で。響くのは鈍い呻き。冷気を零し続けていた墓掘の刃が唸った。巻き起こる、何もかもを薙ぎ払う絶対的暴力。 「ったく、防衛戦なんて性に合わねぇんだけどな」 用事もある事だ、我慢して付き合おう。その瞳が見る先は、猛と相対する金髪の男。御久し振り、と微笑むその顔に、一発ぶち込んでやりたかった。怨霊の剣戟を、大斧が軽々と跳ね飛ばす。 闇夜が、蠢く気配がした。淡く運命を寄せる刃が、紅の呪力を滴り落とす。冷たい紅月が、全ての敵を飲み込み不吉をばら撒く。チェロに混じる漣の不協和音。それを奏でた『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273)は冷やかに笑みを浮かべる。 「不協和音。不吉と不運の音色が聞こえますか?」 その音色を邪魔しよう。招かざる客も、火事場泥棒もさっさとお帰り願いたいものだ。何処までも冷静に冷淡に。優しげな面差しは今は戦いのおわりを齎すために何処までも、硬い。 チェロの音は止まない。奏でる音色は甘く、けれど激しさを増したようだった。恋を奏でる音色。けれどそれは同時に、彼にとっての芸術でもある。あのコンダクターの配下である以上、その拘りもまた特別。 「嫌だな、逢瀬の邪魔どころか、演奏の邪魔まで」 コンサートは最後まで大人しく聞くものだよ。明確な苛立ちは、その足が撤退に向かう事を縫い止める。激しさを増した音色の合間。ぱしゃり、と聞こえた水音に、猛が反射的に振り向いた。 ぴしゃり。濡れた足が地面を踏んだ。金色の髪がべしゃりと地面に落ちる。愛らしく、けれど何処までも人の枠を外れた『人魚姫』。それが、猛を見上げてにっこり笑う。 「面白いよねえ、相手にされないのに、ずーっと水の中に居ると思ったの?」 知ってる? 人魚姫って、海から出たお陰で愛と強さを知るんだよ。くすくす。猛の目の前で男が笑う。楽団の撤退を狙う余り、リベリスタはそれを失念していたのかも知れなかった。 今回の一番の目的は。 「……ほら、早く片づけなくていいの?」 コレを、始末する事だったのだと言う事を。 ● 「ごめんね……そこ、どいてっ」 紅のスカートがひらり、ゆらり。唸りを上げるラディカルエンジン。敵の只中でたった一人。何もかもを巻き込む鮮血の踏破。『Radical Heart』蘭・羽音(BNE001477)の服を、髪を染めるのは返り血なのか己の血なのか。 唸り切り裂き挽き潰す。飛び散る鮮血と肉片を振り払って。きつく、重たいそれを握り直した。六道だけでも大変なのに。楽団までも。状況は最悪に近くて。けれど、頑張らなくてはいけないと分かっていた。 閉じない穴も。仲間も。全てを護る。その覚悟は、回り続けるエンジンの力を増す。苛烈でけれど何処までも優しい心。想定外に崩れかけた戦線を支えるのは前衛の尽力。そして、即座に人魚姫へと向かったランディの判断。 そんな戦況を見極め、『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)の唇が呼び寄せるのは遥か高位の神の力の末端。降りる力は吹き荒れる風へと変わって。 深い傷も、負った呪いも。掻き消す様に吹き抜けたそれの名残が流れ落ちる銀色を揺らした。 「そんなに恋人のことが気になるなら、ここは諦めて恋人のところに行ったら?」 もっと危ないかもしれないのに。紅の瞳がすぅと細められる。不安を煽る様な言葉はしかし、その心を揺らすには届かない。曖昧に笑って男は肩を竦めて見せた。 その表情にあるのは明らかな余裕。激戦の公園ではその音色は届かないかもしれないけれど。繋がる信頼は、その不安を煽らない。そんな感情を知る羽音は微かに首を傾けた。 「待ち合わせに遅刻したら……彼女、怒るんじゃない?」 恋は障害があるほどに燃えてしまうものだけれど。愛し合う二人にそんなものが必要なのか。本当に会えなくなっても知らないよ、何て投げかけた言葉にも、男は大した反応を見せな方。 面白そうに笑う。その間も戦闘は勢いを増すばかりで。ミカサの攪乱が生み出した隙を駆け抜け、奏者と相対していた霧香の膝が崩れる。運命が燃えた。取り落としかけた刀をきつくきつく握り直して。 「あたしは、怒ってるんだよ。……本気で怒ってるんだ!」 零れ落ちる光の花弁。散りゆく桜の花弁が銀色の髪を彩って。叩き付けたそれが、チェロを抱える腕に深い深い傷を与える。表情が歪んだ。僅かに乱れたリズムとメロディ。恐らく。どんな言葉よりも雄弁に撤退を促したのはその一撃だっただろう。 けれど、それも、繰り返されなければ到底足りない。寧ろ、たった一人で切り込む霧香を危険に晒すばかりだった。生み出された怨霊の刃が、白無垢を真っ赤に染める。 膝がぐらついた。それでも抗おうとしたのだろう。その手は剣を離さない。失われる意識。地面に沈みかけた彼女の腕を掴んだのはミカサだった。 彼もまた、前線からは下がれない。本来ならば傷を負った仲間を下げる為の後方は、既に安全な場所ではなかった。癒しの術が振るわれない。歌劇の様なステップが齎す魔力から庇うものが居ない癒し手達が行うのは、本来とは真逆のそれ。 「まるで『御伽噺』みたいですよね」 辛うじて正気を取り戻した凛子が齎す癒しも、傷の深い仲間を全て癒し切るには到底及ばない。奏者の愛の物語を教えてやれば、久臣は心底如何でも良いと言いたげに肩を竦めた。 「興味ないね。……悲恋であるなら面白いだけで、それは今此処で自分が任された仕事を放棄する事とイコールじゃないよ」 今の仕事は、アークのリベリスタを始末する事だ。冷やかに笑う綺麗な顔。危険な戦場で、せめて庇える場所に。霧香を横たえ、仲間へ同調した精神から力を分け与えたミカサもまた無事ではない。深い傷を抉る様な荒れ狂う雷撃に、咳き込んで吐き出したのは鮮やかな紅。 燃えた運命の残滓と一緒に、それを拭った。折れる訳にはいかなかった。どれ程傷ついても構わないから。 「アークは負けないよ。……人の心なんて、諦めれば簡単に悲劇に傾くから」 只管に思う。負けない。誰一人、欠けない。どれだけ傷付こうと折れない膝を支えたのは紛れも無くその意志だったのだろう。彼と同じく。満身創痍になりながらも、猛の掌打が叩き込まれる。 防御などすり抜けて。内側で爆ぜたそれに血を吐き出した。微かに寄せられた眉と、表情を見遣って。 「俺らの死体もあんたの死体も操られちゃ困るんでね。とっとと退散願ってるのさ」 聞いてくれないか。持ちかけられたそれに男は笑う。自分の命は惜しいけどね、と囁くような声がした。退く気はないのだろう。ならば、拳を交えるだけ。状況を整える為の前座かもしれないけれど。 この手この拳の重さは前座なんかではない。一撃一撃が自分の本気。退かないのなら、それをすべて受け止めて見せろ。 「甘く見られちゃぁ、俺もつまらねえんでなぁ!」 「暑苦しいの苦手なんだけどな、……まぁ、悪くないよね、君」 強者に燃えあがる蒼い瞳。ちょっと楽しいよ、なんて。唇から滴った紅を拭って笑う男。そんな彼を横目に見て。凍てつくグレイヴディガーが幾度目かの唸りを上げた。 生み出される烈風は、そのまま壁へと変わる。全力のそれが人魚姫の動きを止めていたからこそ、リベリスタの被害は奇跡的に少なく済んでいた。 「正直テメーは直々にぶち殺したい所なんだが、余計なゲストが居るんでな」 「お待ちしてるよ、……嗚呼、この間はとてもいいものが見れて大満足だ」 後から覚えておけ。鬼の如く。苛烈な瞳が久臣を見遣る。人生と言う劇の終幕を見られるなんて最高だったね。煽る様に笑うそれに苛立ちが増す。紅の月が、空に浮かんだ。 零れる光はもう幾度も戦場を焼いた冷たい呪詛。削れる精神に細く細く息を吐いて。大和は戦場を見据えた。奏者の顔が歪むのが見える。音色は止まないけれど。雑音だ、と言いたげにその瞳は此方を見ていた。 精密に正確に。奏でるそれが怨霊を動かす。狙われた凛子の運命が飛んだ。戦いは、到底終わりの気配等感じさせてはくれなかった。 ● 「誰も、死なせないわ。……わたくしが出来る事を……っ」 齎した癒しの烈風と引き換える様に。血に濡れた銀髪が、緩やかに地面へと倒れ伏す。 癒し手を潰すのが定石であるのはリベリスタだけでなくフィクサードとて同じで。魅了を、そして、幾度もの攻撃を向けられ続ければ、幾ら頑強なティアリアとは言え長くは持たない。 誰も欠けさせない。何もかもを癒し護ると決意した彼女は、運命の女神にさえ手を伸ばして見せたけれど。その手はすり抜ける。運命は簡単には笑ってはくれなかった。 その手が触れた水が、紅く染まっていく。隣に倒れるのは、同じく癒しを続けていた凛子。中途半端な煽りは攻撃の呼び水に変わる。狙われ続けた2人が力尽きれば、リベリスタ側は無事ではいられない。 雷撃の音が爆ぜる。己が身さえ傷付ける程のそれを、全て荒れ狂うチェーンソーに乗せて。羽音の全力が叩き落されたのは音色を響かせ続ける奏者のチェロ。 鈍い音がした。チェーンソーが跳ね上がる。絡まった弦と刃が、回転の力で引き千切れた。呆然と。此方を見る奏者。そして、深々と抉れて洞を覗かせる相棒とも言うべき楽器。 ぴたり、と。音楽が止んだ。静けさと共に失われていく怨霊だったものの形。それでも、奏者は口を開かない。ただ、何も言わずにそのチェロを抱え上げて。 「――嗚呼。これじゃあ、アリオに怒られてしまうな。折角のデートなのに」 演奏が出来ないだなんて。誰も見ないまま。囁くように投げかけられたそれ。羽音の目の前で、するりと戦場を抜けていくその背を追う者は居ない。否。逃げる者を追うほどの余力は無いに等しかった。 一瞬だけ視線が交わる。その瞳にあったのは何なのだろうか。唇が動く。 「ねえsignorina。君は必ず――」 操り人形にしてあげるよ。込められたのは憎悪にも似た何か。それに声をかける間もなく。自由を取り戻した人魚が歌った。身を裂く様なそれが、リベリスタの傷を深くする。 激痛。眩暈にも似た何か。一気に全身を裂いた音の波動に、大和の運命が飛んだ。くらり、回る視界を何とか堪える。倒れる訳にはいかなかった。 此処で倒れればまず間違いなく負けるだろう。動けぬものが増えれば増えただけ、撤退は厳しくなる。デッドラインはもう間近だった。 敵は2人。未だ傷の少ない人魚と、猛と相対し続けたものの、癒しを受けたが故に戦闘を続ける事が出来てしまう久臣。戦力差ならば、リベリスタは優位かもしれない。けれど。 癒し手を欠き、受けた呪いを回復する術も運任せ。大技を連発する仲間を支えるミカサが力尽きれば、長期戦は避けられなくなる。それでも、と。 振り抜いた足が齎す真空の鎌鼬。零れ落ちたのは、到底人間のものとは言えない緑色の血液。表情を歪めた人魚を見据えて、猛は浅く息をついた。 「ビビッた奴が負けんだよ、喧嘩って奴は……!」 やれるだけやるしかない。戦闘態勢を崩さぬ彼に続く様に。齎された紅色の月光が戦場を呪う。振り上げられるグレイヴディガーが纏うのは、すべての生死を容易く決めてしまう驚異的な力。 そのまま躊躇い無く叩き落した。歌う様な鳴き声と、飛び散る大量の緑色。どろりと地面を濡らす粘液を刃から払って。ランディは忌々しげに表情を歪めた。綺麗だから、だなんて躊躇えば仕事にはならない。それを知るからこそ、その太刀筋に躊躇いは無く。 同時に誰より冷静に、この状況が何を意味するのかを理解していた。だからこそ。その表情は忌々しげで。奥歯が砕けそうな程に噛み締められる。 「貴方達の思い通りには、させない……っ」 「だったらもっとこっちに構うべきだったね。……君達の仕事ってそれじゃなかったの?」 随分前。相対した人魚からしたらずっとずっと美しくなったそれを見据えた。雷撃纏うチェーンソーが唸りを上げる。知っている。どれ程美しくったって。 これが齎すものも、これのおわりも、みんなみんな同じだ。叩き付けた。肉の焼ける嫌な臭いに表情を歪める。けれどそれでも、倒し切れない。 状況は最悪に近い、と分かっていた。それでも尚手を伸ばすリベリスタへと。叩き付けられたのは目につく敵全てを薙ぎ払う様な業炎の拳。肌を、気管を、肺までも。焼き払うそれにミカサの膝が崩れる。 手を付いた。けれど其れさえももう力が入らなくて。崩れる肘。其の儘地面へと崩れ落ちる。鈍く咳き込む音。デッドライン。これ以上倒れれば、撤退さえ出来ない最後の一線。 「……退こう」 「ああ。……死なせる訳にはいかねぇからな」 黒いスーツの腕をとって背負い上げる。他の仲間が撤退の準備を整えられる様に。振り上げられたランディの斧が巻き起こす苛烈すぎる程の烈風陣。敵の足が下がり、止まるのを見て取って。其の儘一気に駆け出した。 夜の空気は、凍てつく程に冷たかった。背中越しに流れる仲間の血が、端から熱を失い冷たく服を濡らして行った。追手は来ない。あちらも決して無事ではなかったと言う事だろう。痛み分けとも言うべき結果。ぎりぎりのあと一歩が届かなかった事を、噛み締める。 「――ランディさん、」 「喋るな。寝てろ」 酷くざらつき掠れた声は、リベリスタの内心を表す様で。恐らく意識を失った仲間を背負い直した。遠くでは未だ、戦いの音がする。激戦に激戦を重ねる、三ツ池公園大迎撃。 錆びていく血の匂いが。胸を悪くする死臭が。酷く、鼻についた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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