●揺れる 薄汚い部屋の中央で三十代と思しき女性が揺れている。セミロングの髪は乱れ、後頭部には酷い寝癖があった。オレンジ色のタートルネックのセーターには無数の毛玉が出来ていた。 上半身を揺らしながら女性はコップの中身を呷った。顔は天井を向いて、尚も揺れる。ゆっくりと流れ落ちる滴を赤い舌先が、ちろちろと動いて舐め取った。そして力尽きたかのように座卓に突っ伏した。反動で手からコップが離れ、卓上を滑るようにして畳に転がった。 「……まだよ、まだ飲み足りない」 女性は自分の横を探る。手は二リットルの紙パックを掴んだ。無造作に振ると小さな雨音に似た音がした。それを怒りに任せて前方のテレビに投げ付けた。 電車は女性の怨嗟の声を掻き消して走行する。線路側の窓ガラスがガタガタと寒そうに震えた。 「なんで、あたしがこんなところに。住まないと、いけないのよ」 女性は卓上の携帯電話を手に取った。待ち受け画面には幸せそうな二人が映っていた。 「ケンちゃん、なんで? そんなに若い女がいいの? あたし、なにもかも捨てたのに。ケンちゃんが子供嫌いだって言うから、犯罪まで犯したんだよ?」 女性は涙声で言った。携帯電話を胸にそっと当てる。 ――おかあさん、迎えに、来て。 充血した眼を見開いた。女性は瞬間的に立ち上がると台所で文化包丁を手にした。 「いい加減にして! あんたは死んだんだ! あたしに刺し殺されたんだよ!」 四方に目を飛ばして叫んだ。窓ガラスが激しく揺れた。快速が通過したのかもしれない。 ――このままじゃ、どこにも、いけない。 女性は包丁を闇雲に振り回した。空間を薙いで、時に振り下ろす。過去にも同様の事があったのか。畳には何かを突き刺した跡が残されていた。 「……お願いだから、もう、許して。あたしが悪かったよ。警察には行くから」 女性は項垂れて懇願するように言った。少し頭が震えて零れる涙が畳を濡らした。 ――おかあさん、迎えに、来て。このままじゃ、おかあさんが。 「もう、本当に、もう。あたし、ダメ」 女性は両手で頭を抱えた。自身の頭部をもぎ取らんばかりに前後に振った。セーターの背中の部分が激しく波打つ。切り裂いて現れたのは六本の腕であった。全てに凶器と化した包丁が握られていた。 部屋は圧倒的な暴力で切り刻まれていった。 「リベリスタの皆さんには少女の姿が見えたと思います」 モニターの前で『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)が凛とした声で言い切った。はい、と各々が答えた。百二十センチ前後と具体的に語る者までいた。 「少女は単なる霊体で彼女自身は無害です。問題は女性にあります」 和泉は言葉を切って別の映像を流すように指示した。しかし、鮮明ではなかった。激しい砂嵐が全体を乱していた。密集した木々が辛うじて山を思わせる。 「少女が葬られている場所です。しかし、画像は鮮明ではありません。他者の介入を望まない彼女の影響と考えられます。その為、詳しい場所の絞り込みに失敗しました」 和泉の話に少なからず同様の声が上がる。静まるのを待って言葉を継いだ。 「場所の特定には女性の協力が不可欠です。警察が水面下で動いている可能性を否めません。行動は迅速にお願いします。ただし相手の精神状態が不安定なので強引な手段は使えません。画像を見る限り、精神的動揺は二回程度が限度でしょう」 和泉の表情が引き締まる。全員が姿勢を正した。 「少女と女性の問題は複雑に絡み合っています。どちらの対処を優先しても構いません。一般人の犠牲者を出さない事が今回の任務です」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒羽カラス | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月27日(木)22:10 |
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■メイン参加者 7人■ | |||||
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●出会い 狭い土地に古い家屋がひしめいていた。中を通る道は細い。左右から圧力を掛けられたかのように路面には大小の亀裂が目立つ。そのような悪路を若い男女が一列になって進む。 右手の平屋の前で一同は足を止めた。塀の類いはなく、今朝の空と同じで全体が煤けていた。横並びの五つのドアは赤錆びに似た色であった。 「あれではないでしょうか」 フォーマル服に身を包んだ離宮院 三郎太(BNE003381)が左端のドアに駆け寄る。表札の替わりなのか。覗き窓に位置する箇所に『羽山』と書かれた紙が貼り付けてあった。 ドア越しに物を投げ付けるような短い音が聞こえた。直後の愚痴は電車の走行音に邪魔された。 『不機嫌な振り子時計』柚木 キリエ(BNE002649)は周囲を探るかのように目を閉じた。口の端に微かな笑みを浮かべる。 「特に動きはないですね」 「では訪問するのです」 金色の頭を左右に動かして『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)は呼び鈴を押した。二度、三度と立て続けに押す。子犬のように構って貰えるまで勢いは止まりそうになかった。 「なんなのよ、朝っぱらから」 顔をしかめた羽山 千佳子がくたびれたセーター姿で現れた。そあらを目にして、店の新人さんがなに、と口にした。当然のことながら頭をブンブンと振って否定する。 「通りがかった時に大きな物音がしたので」 キリエは柔和な顔で言った。 「それが、どうだっていうのよ」 視線を逸らした千佳子が小声で返す。やんわりとした拒絶で話は続かなかった。 「用がないのならこれで」 「お子さんがいらっしゃるんですか?」 キリエの言葉に千佳子は目を剥いた。部屋に振り返って顔を小刻みに動かす。その隙に乗じて後方の『おっ♪おっ♪お~♪』ガッツリ・モウケール(BNE003224)に視線を飛ばした。ガッツリは浮かない顔で左右の手のひらを上に向けた。 「なんで? そんな物なんかないでしょ。どうして子供の話が出るのよ」 「俺達は愛夢の助けを求める声を聞いて来ただけだ。常識で考えるな、そういう仕事だ」 『むしろぴよこが本体?』アウラール・オーバル(BNE001406)は身分を隠しながらも深く話に切り込んだ。急展開に頭が回らないのか。千佳子の目が震えるように動いていた。 「大丈夫、怖く りませんよ」 影の薄い着物姿の『不視刀』大吟醸 鬼崩(BNE001865)が控え目に歩み寄る。手をそっと差し出すと、千佳子は引き寄せられるかのように握った。その反応に自分でも驚いた様子で即座に離す。 「……ここだと目立つから、入ってよ」 招かれた者達は順々に部屋に入っていった。最後に残った『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)はのんびりと四方を見てからドアを閉めた。 ●話し合い 雑然とした部屋は全員が座る広さはなかった。葬識は適当な壁にもたれて立ち、すぐに動いた。一方に手招きをして薄暗い台所にゆるゆると移動する。ガッツリは、任せるお、と声を掛けた。そあらは両方の拳を固めて上下に振った。ファイトです、と熱の籠った声援を送る。 座卓の前に腰を下ろした千佳子は訝しげな目で追った。 「急に、なに?」 「趣味の独り言ですよ」 葬識は軽い会釈のあと、流しの突き当りで背中を向けてしゃがんだ。 「ちゃんとみつけてあげるからね。もうすこし、まーだだよ」 狭い部屋なので内容は聞き取れた。千佳子の理解の範疇を越えているのか。顔には若干の不満が燻っていた。 「少し、お話しても宜し でしょうか?」 鬼崩は正座の状態で話し掛けた。まあ、いいけど、と千佳子は横手に視線を移す。 「やり直しを願 ますか?」 「なにをやり直せって? よくわからないんだけど」 「貴女を待つ方 赦しを乞いに行かれ せんか?」 鬼崩の声はとても小さい。言葉が部分的に抜け落ちて聞こえる。千佳子の耳を寄せるような仕草が如実に語っていた。 しかし、差し出された一輪の待雪草を目にして様子が変わった。 「……あんた達、もしかして全員が霊能者なの?」 千佳子は見回すようにしてからアウラールを注視した。 「このままにしてはおけない事くらい、わかってるんだろう?」 千佳子はアウラールの言葉に黙って頷いた。唇が微かに震えている。 「母親を慕わない子供がいるか? 今となっては、愛夢にしてやれる事は、もう一つだけだろう。最後くらい、母親らしく手を差し伸べてやったらどうだ?」 鬼崩は膝元の待雪草を強く前に押し出した。受け取った千佳子は目から大粒の涙を零す。手向けの花として確かに受け取ったのだ。その遣り取りをまじまじと見つめていたガッツリが勢いよく立ち上がった。 「場所が分かったお」 「それはいいんだけど、強い感情が近づいているよ」 キリエは指で二つの方向を示した。確かにね、と葬識は射抜くような視線で確認。直後に思い切った行動に出た。千佳子の首筋に素早くスタンガンを当てて失神させたのだ。 「これで精神的な動揺は防げるよね」 近くにいた少女の霊には、大丈夫、お母さんがみつけてくれるよ、と優しく語り掛けた。 その間にキリエは唯一の窓を開けた。線路の境界のフェンスが檻のように立ち塞がる。左右はガスボンベや配線のせいで逃走経路に適していなかった。真上には抜け出せる空間があり、雲間から一筋の光が降り注ぐ。 「母親はボクが背負います」 最年少の三郎太が名乗り出た。それとなく集まる不安げな視線は、泥酔した母親に付き添う息子を演じる、という提案で見事に解消された。 四人の警察官が押し入った時、部屋の中は無人であった。薄汚れた壁の一面は剥き出しで窓がなかった。それでいて周囲の音は間近で聞こえる。安普請に相応しい壁の薄さで納得したようだった。 「無駄足だったか」 年配の警察官の声で早々に引き上げた。 間もなくして一面の壁は幻のように消え去った。走り抜ける電車で窓ガラスはガタガタと震えた。 ●別れの時 収穫を終えた畑に囲まれて民家が点在した。一本の煙のような道で繋がっていて人工的な溜池の先には大きな公園があった。遊ぶ者がいなくなって久しいのか。ブランコの鎖の部分がことごとく錆びていた。隅の砂場には黒い塊が多く見られ、犬猫の用足しに使われているようだった。 それらを目にしながら一同は隣接する雑木林に辿り着いた。かなりの規模である。密集した木々に阻まれて奥を見通すことはできない。葬識も例外ではなく、三郎太に背負われた千佳子に頼らざるを得なかった。 「……ん、ここは? どうして、あたしは」 活を入れられた千佳子はふらつきながらも自力で立っている。両方の目頭を指で押さえて軽く頭を揺すった。 「かくれんぼの最後はみーつけたで終わらないといけないよね」 「かくれんぼって。あの子が、あたし、なんかと?」 葬識は笑顔で頷いた。恭しく雑木林の方に手を向ける。 「あむちゃんはお母さんに殺されてもお母さんの心配しかしてないですよ」 そあらは溜めていた言葉を一気に解放するかのように吐き出した。居合わせた者の表情が瞬時に強張る。あまりにも核心を衝いていた。精神的な負荷の限界は新たな戦いを生む。口にした本人も自覚して、今のなしです、とあたふたしながら訂正した。 一度は俯いて、ふと顔を上げた。千佳子は泣きそうな表情で口元に笑みを作った。 「もう、いいよ。あんた達のことは、わかったから。最後まで付き合うよ」 千佳子は決然と歩き出す。先頭で雑木林に入っていった。 シャリシャリと新雪を踏むかのように枯葉が音を立てた。人の入った形跡は残されていなかった。目印になるような物体は落ち葉に隠されているのか。全ての方角が同じに見える。 「確か、ここを通って。それで右に行って」 言いながらも千佳子の視線は安定しない。踏み出した足を引っ込めて、また進んでは立ち止まる。代わり映えのしない木にまで執拗に目を向けた。 「みなさん、こちらです。愛夢さんを見つけました」 三郎太は小声で言った。様子を察した者達がゆっくりと集まる。重なる木々の僅かな隙間に少女の姿が見えた。小さく丸まって横顔を両手で隠していた。 「本当のかくれんぼみたいだお」 「どこ、愛夢はいるの?」 「あそこにいるお。お母さんが見つけてあげないといけないお」 ガッツリは身振り手振りを交えて千佳子に伝えた。その言葉に真剣に耳を傾ける。 「この先をまっすぐ。左右の木を九本数えて、二歩目くらいに、愛夢が」 硬い声で復唱して息を整える。鬼崩から再び待雪草を受け取って、行ってくる、と思い詰めた表情で言った。 千佳子は一人で娘の元に向かう。慎重な足取りで近づいて、残りの二歩を踏み締めた。子供の視線に合わせるような前屈みになって少しの間を置く。 「愛夢ちゃん、みーつけた」 ――えへへ、見つかっちゃった。 愛らしく笑った声は小さく、浮き上がって木々の中に霧散した。 千佳子は全身の力が抜けたかのように内股で座り込んだ。そして深々と頭を下げた。見守っていた一同が順々に動き出す。その歩みを鬼崩が止めた。手には抜き身のナイフが握られていた。 「貴女様が死を以ってやり直しを願 のであれば、愛夢様と共にこの地で眠るお手伝いをさ て頂きたく思います」 丁寧な口調で死を宣告する。鋭利な言葉と刃が千佳子の喉元に突き付けられた。 「生きる地獄か、死ぬ地獄か。選択肢があるのはいいことだと思うよ。どちらも地獄に変わりないけどね」 鬼崩の背後で葬識は囁いた。殺伐とした展開を心待ちにしているかのような声であった。 「悪いんだけどさ。あたしはそんなに、きれいな人間じゃないんだよ」 千佳子は振り返らないで頭を緩慢に振った。鬼崩のナイフは袖口に消えた。任務が終わったと言わんばかりに踵を返す。 「あたしは、この足で警察に行くよ。罪滅ぼしなんて、いいもんじゃない。死ぬのが怖い臆病者なんだ」 「後は貴女が自分の心に従って行動したらいい」 キリエが抑揚のない声で言った。それを皮切りに一同は向きを変えて離れていく。 「でも、なんで。なんでこの花をくれたのよ!」 千佳子は振り向いて声を張り上げた。去りゆく一つの背中が立ち止まる。 「待雪草の花言葉は希望です」 しっかりとした言葉に千佳子は声を出して泣いた。みっともない姿を全員に晒した。その涙は臆病者には絶対に流せない。彼女の身体には化け物然とした変化は表れていなかったのだ。 ――これで、もういいかい。 少女の霊に胸中で問いかけるかのようにリベリスタ達は視線を高くした。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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