●Dream 空が、その寒さを示すように重苦しく淀んでいた。草花が揺れているのを見て風が激しいのだと分かる。しかしそれを視覚以外で理解することはなかった。何も感じない。何も聞こえない。そして何も、分からない。ここはどこだ。ここにいるのは何故だ。俺の視線がある一点を捉えると、その疑問は瞬く間に氷解した。 それはこの世のものであるとは言い難い。例えるとするならば人型の虫であろうか。2m程もある巨大な虫だ。ゴツゴツとした兜のようなものが頭部を覆い、人間で言えば目の部分に開いた二つの穴からは赤色の光が漏れだしていた。隆々とした薄紫色の身体は光に触れて妖しく照り、全身の至る所から刺が生えていた。それは二本の足でしっかりと地面に立ち、こちらを見つめている。憎らしいものを見つめるように、身体のあちこちから殺気を発して。 俺はこいつを知っている。忘れるわけがない。忘れたくても、こいつの存在が消えるまでは、忘れてはならないのだ。 頭部の下の方に亀裂が入る。亀裂が僅かに動くのを見て、喋っているのが分かるが、言葉までは聞き取れない。それは頭を掻いて呆れたような仕草をする。掻いた右腕を真っすぐと俺の方に向け、ちょんと人差し指を突き出した。すると身体を吹き飛ばす程の暴風が、俺の身体を貫いた。 目を開くと、俺は見覚えのある場所に立っていた。俺の家だ。窓からは団らんの様子が見える。俺と、俺の家族が平穏に暮らしている、その風景が見える。俺は思わず、家に近付こうとする。しかしそれより先に、忌々しいそれが、俺に見せつけるように高々と右腕を上げるのが見えた。それは僅か程も見ずに腕を斜めに振り下ろした。すると俺の目に映る光景に斜めの傷が入り、やがて崩れ落ちた。 何も無くなっていた。家も、家族も何もかも、消え去っていた。嗚呼、それが本来あるべき光景だ。分かっている。あの日現れたこいつが全て奪い去っていったということも。忘れ去るために思い出は何もかも捨てたということも。なのに、どうしてこんなにも胸が重い。 その元凶は、目の前にいるではないか。俺は眼前に立つ忌々しいその虫に銃口を向け、僅かの迷いもなく引き金を引いた。 銃弾の飛ぶ軌道がはっきりと分かる。銃弾は一直線にそいつの胸めがけて飛ぶが、そいつに届くかどうかという所で、波紋に包まれて霧散した。俺は驚いて目を見開く。そいつが顔を俯けて、ニヤリと笑ったような気がした。 「焦るなよ、おい」 耳に飛び込んできたのは子供のような甲高い声だ。俺は睨みながらジッとその声を聞く。 「聞こえてるみたいだな。よかった。折角覚えたんだ。伝わらなくっちゃ悲しいだろ?」 ハハハ、とそいつは小さく笑う。俺は躊躇もなく、もう一度引き金を引く。だが銃弾は、そいつの胸には届かない。 「焦るなよっつってるだろ? ゲームはまだ始まっちゃいない。お前はもう、俺が何処にいるか分かってるはずだ」 言葉を発さぬまま、引き金を引き続けた。響き渡る悲鳴はしかし、それに見合う衝撃をそいつに与えてはくれなかった。フンと鼻で笑う音が聞こえた。 「まあいい。何も言わずともお前は来んだろ? 楽しませてくれよ。せいぜい」 視界が闇に包まれていく。最後に放った銃弾は霧散することなく軌道を描くが、何にも当たらずにただ、地に落ちた。 ●Avenger 目を開くと見慣れた天井が目に入る。窓から差し込む光が朝の到来を告げていた。体中に蔓延る湿った感覚で、彼は自分が汗だくなのが分かる。息は若干荒れていた。 頬を伝う気持ちの悪さを感じながら、彼はゆっくりと起き上がる。淀んだ目で周囲を見るが、異常が彼の横を通り過ぎていった形跡や、彼に降り掛かる間際であったという様子は、微塵もなかった。平然であった。彼を除く全てが。 彼はそっと自分を覆っていた布団に顔を埋める。間もなく浮き上がってきた表情には、憎悪と殺意が満遍なく表れていた。彼は布団を押しのけながら立ち上がり、額の汗をシャツで拭った。服を脱ぎつつ、彼は風呂へと向かった。 シャワーを終え、半裸でベッドに座った彼は、おもむろに机の上に伏せていた写真立てを手に取り、そして神妙な面持ちでそれを見つめた。彼はそれを今度は伏せずに立てて、立ち上がる。 クローゼットを開け、黒のスーツを取り出した。一度も着用していないのではないかという程シワのないそれに袖を通し、ネクタイを締める。黒色の中折れハットを被り、彼はその横にある拳銃を手に取った。優しく撫でるように見つめてから、彼はそれをソッと懐にしまった。そしてじっくりと部屋全体を見回した後、彼は軽い足取りで家を出て行った。 ●Erosion 画面に映るのは一人の男と虫のような人型の生物だ。彼らは何度も交錯し、その身体を血で染めているが、男の劣勢は明らかだった。虫の方が強力というだけではなく、虫の周囲にはそれの配下と思われる生物が何匹も、男を狙っていた。 「当たり前だけど、彼一人で倒すのは難しいわね」 悲し気に表情を曇らせながら、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は言う。画面の中の人型の虫は、不気味に笑んでいるように見えた。 「こいつはアザーバイド『侵食者』。自分と異なる性質を持った生命体を『侵食』して、自分と同じように変質させることが出来るみたい」 「……というと?」 「大雑把に言えば侵食者と同じような姿になる。同じような動きをするようになり、侵食されたものもまた侵食することが可能になる。迂闊に放置したら非常に厄介な能力だけど、今の所アークでは侵食者に侵された人間は全て殲滅することに成功している。……逆に言えば、こんな能力を持ちながら、どうしてもっと活発に行動しないのか、不思議ではあるんだけど」 イヴはふとそんな疑問を述べる。だがどんな疑問とて、問題を解決してしまえば不要なものだろう。最も重要なのは、今現在目の前にある問題だ。 「侵食者の侵食が完璧に効果を持つのはフェイトを持たない一般人だけみたい。フェイトを持っていればある程度耐えることは可能だけど、侵食される度にフェイトが減少することが予測されてるから、注意してね。 皆が相手にするのは侵食者と、その配下の生物たち。配下は恐らく、侵食者が侵食した人間だろうね。悲しいけど、もはやエリューションやアザーバイドと同じく異物となってしまってるから、きっちり倒して欲しい」 それと、と呟いて、イヴは画面に映る、侵食者たちと戦っている男に目を向ける。 「戦場となるのは田舎の住宅地にあるまっさらな平地。他の家とは結構距離があるし、人通りも少ないからそれほど警戒しなくていいと思う。 皆が戦場に着いた時、既に一人の男が侵食者たちと対峙していると思う。彼は君原隆二って言って、かつて侵食者に家族を侵食された人。目的は多分、復讐だろうね。 彼と一緒に侵食者を倒して欲しい。彼のような悲劇を、他の誰にも味わわせないためにも」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:天夜 薄 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月28日(金)22:22 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 帽子が飛ばされぬよう手をやりつつ、君原隆二はしゃがんで受け身を取った。足下に立つ砂埃が、彼の殺した勢いの大きさを感じさせる。額を伝う汗の存在を感じながら、隆二は渋い顔で自身の正面を見る。視界の中心には憎しみをぶつける相手がある。彼の侵食者は、笑うように、蔑むように、その顔を僅か歪めた。 「おいおい俺を殺すにゃ足りねーよそんなんじゃ。一人で乗り込んできたにしてはクソ過ぎんじゃねーの?」 乾いた声で侵食者は言う。それの配下とする虫、プロト・インセクトが、隆二を取り囲むように移動する気配を感じながら、彼はゆっくりと言葉を吐いた。 「お前が死ぬまで、誰が倒れてやるものか」 「心意気だけはいっちょまえだねえ。へし折ってやるよ」 侵食者がギラリと目を光らせて、その身体を、殺気を隆二へと向けた。それと同時にプロト・インセクトがジリジリと、隆二に牙を向いていた。侵食者に完全に意識を向けることの出来ぬまま、隆二は暴れるように飛び退いた。 しかし隆二の目に映ったのは侵食者が自分に攻撃を放つ姿ではない。その視線が自分ではなく、彼の背後へと移ったことだ。 隆二が振り向くより先に、彼の横を通り過ぎたのは一筋の光だ。それは神聖な気をまき散らしながらプロト・インセクトへと突き刺さる。その軌跡の先、集団の先頭にいたのは、金髪の少女であった。 「御機嫌よう。そして、初めまして君原隆二さん」 彼女、『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)は耳に心地よい声で隆二に言った。硬い表情を未だ解かないまま、ミリィらリベリスタの姿を見ていた彼の背後から、鎌を振りかざした敵が迫っていた。『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)が素早く隆二の後ろに回ると、震われた刃の盾になる。 「君原さん、助太刀します!」 「手ェ貸すぜ君原」 刃をうまく受け流し、ユーディスは隆二と敵の間に入る。素早く前に出た『機械鹿』腕押 暖簾(BNE003400)が、プロト・インセクトの前に立ち、動きを阻害する。 「気ぃ張って戦いなさいよ。アナタがあいつを倒せるよう加減してあげるだけの余裕なんてないわよ?」 『重金属姫』雲野 杏(BNE000582)を中心に幾重にも展開された魔方陣。漏れだす魔力の気がビリビリと隆二の肌を震わせた。『孤独嬢』プレインフェザー・オッフェンバッハ・ベルジュラック(BNE003341)がそっと、隆二に近寄った。 「一人で行くなんてずりいな。いつもみたいに一緒に戦ってくんねえのかよ?」 文句のような言葉を、彼女なりの優しい口調で、隆二に言った。隆二は後ろめたそうに帽子の鍔を指で掴みつつ、言う。 「すまないな。少し、逸っちまった」 「頼りにしろよ。倒そうぜ、一緒に。仲間を苦しめた虫野郎にはあたしだってムカついてんだ」 『仲間』だろ。少し早口になりながら、ブレインフェザーは静かに言った。隆二は顔をブレインフェザーに見せないように、僅かに笑みを零した。 「これから先もあんたと仕事出来るの、楽しみにしてんだけどな。 ……だから、こんな所で死ぬなよ」 「ああ、誰が死んでやるかよ」 「──生きて、討ち果たしてこそです。敵の前面は引き受けます、一旦後退を」 ユーディスがすかさず進言すると、隆二は黙ってそれに従った。ブレインフェザーは侵食者に目を遣り、罵倒するように叫ぶ、 「やっと会えたな、悪趣味虫野郎。1回じゃ殺したりねえ、少なくとも5回は殺す」 「いきなり出てきやがって──同類が何匹もいるなんて驚きだな」 苛立を刺にして、侵食者は言葉のうちに忍ばせる。だが侵食者の様子は苦境に立つようでは無い。むしろ殺気立ってはいるが、向こう見ずでは決して無かった。 「邪魔くせえなぁ、ぶっ殺してやる」 「下層世界を舐めるな、アザーバイド風情が」 『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)が吐き捨てるように言う。フンと侵食は声に出す。哀れに視線を投げて、ミリィが告げた。 「任務開始。さぁ、戦場を奏でましょう。 ──ゲームの時間は、もう終わりです」 ● 天城・櫻霞が二丁の拳銃を抜きながら、隆二と並び立つ。 「君原、といったな。この復讐、一枚噛ませてもらうぞ」 刹那の後、変貌した櫻霞の表情が極限の集中を感じさせた。全ての演算は世界にとっての異常、それを消滅させるための解法を導くのに当てられている。 「目的は同じなんだ問題はあるまい」 「……ああ、そうだな」 隆二は口元を僅か緩ませながら、自身の得物を握り直した。徐々に自身に近付きつつある侵食者を、決して視線から外すこと無く。 「演算開始、何であろうと逃がしはしない」 「──さぁ、参りましょう」 櫻霞の言葉に続いて、『プリムヴェール』二階堂 櫻子(BNE000438)が言った。櫻霞が戦闘態勢に入るのを見つつ、櫻子はそっと隆二を庇うように立つ。 「オラてめえら、とっととこいつら黙らせな!」 甲高い声で侵食者は配下に命じた。ヌルリと動き始めた彼らは途端、俊敏な動きでリベリスタに牙を向いた。散乱した飛沫の一部が隆二に降りかかるが、『花縡の導鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)がそれを受け止めた。 「すまない!」 「どうってことない。君原さんも、無理をしてはいけないよ」 隆二は自身を案じる隆二を見、キッと顔を強張らせる。やがて抜き撃たれた銃弾が雨のようにインセクトたちに降り注いだ。 「てめえもだ、大人しく死にやがれ!」 勢いよく地を蹴り、隆二に接近しようとした侵略者の行く手をユーディスが遮った。 「貴方の相手は私です。しばし、お相手願いましょうか」 「邪魔っつってんだろーがああああぁぁぁ!」 侵食者は苛立と共に右の掌に埋め込んだ魔力を、ユーディスに放出する。鋭く、貫かれたような感覚を覚えた彼女は、自身に蓄積された『運命』の一部が弾き飛ばされるのを悟るが、すかさず十字の光を侵食者に射出した。無防備に光に包まれた侵食者は、恨めしそうにユーディスを見た。 「何故、彼を狙うのです。いいえ、むしろ──何故、彼だけを狙うのです?」 その疑問の由来は、不明瞭な目的にある。『侵食者』という存在が、隆二のような被害を出しているという報告は、今以てない。犠牲の中心は、君原隆二とその家族にしかないのだ。その理由は。意味は。興味をぶつけた後に返ってきたのは、カカカと笑う子供のような表情であった。 「あの野郎をぶっ殺さねえと、虫が治まらねえんだよ」 それ以上答える気がないという意思を、侵食者は拳を振り上げることで見せつける。対峙し、それの動きを遮るユーディスは、蔑みを込めて睨みつけた。 「何にせよ、有害な虫は駆除しなければいけませんね」 「ああ? 来んのか、じゃあてめえから殺してやるよ」 ● 侵食者はゲームだと言った。ミリィにはその対象が何か分からない。 生命体を侵食することだろうか。隆二のような悲劇を生み出すことだろうか。或いは。 ミリィには、分からない。なぜ脅威となる力を持った侵食者が、彼以外に手を出さないのかも。 だが、ここで取り逃がしたら侵食者は誰かの明日を奪うであろうことを、彼女は理解している。見過ごすことは、出来ないのだ。 厳然たる意志で放たれた光が、周囲にいたプロト・インセクトの悉くを焼尽す。炎の海の中、飛び上がった影が針を突き出して杏を狙うが、暖簾がすかさずその前に立ちはだかった。 「後ろには通さねえぜ? 害虫よォ!」 肩に突き刺さる針の痛みを物ともせず暖簾は呪力を解放し、目の前のプロト・インセクトに微笑みかける。 「雨は、好きかい?」 降り注ぐ魔力が瞬く間に彼らの足下を凍り付かせていく。動きの鈍るプロト・インセクトの周囲を、数多の気糸が包囲する。呆然とするように見上げた彼らを、気糸の海が一斉に飲み込んだ。ブレインフェザーは憐憫を込めて視線を送る。 「あんたたちが悪くないのは知ってる。だけど……しょうがないからね」 その言葉を果たして彼らは理解できたのだろうか。否、それは分からない。認知も、理解も、疎通の出来ない精神から図ることは限りなく不可能だ。ただそれは哀しく咆哮すると、五月蝿く羽ばたいてブレインフェザーに突っ込んだ。怯んだ彼女の目に、二つの角が猛進してくるのが見える。 その内一つを、横から飛び込んだ銃弾が蹴散らした。もう一つに突き飛ばされた彼は、素早く体勢を立て直して銃弾の軌跡を目で追う。隆二の拳銃が、二度目の叫びを上げるのを見、ブレインフェザーは少し表情を緩ませた。 「余所見してんじゃないわよ!」 なおもブレインフェザーを狙うプロト・インセクトに向け、杏が展開した魔法陣全てから魔力を拡散させる。炸裂した雷光はプロト・インセクトを抉るように突き刺さり、頑丈なその身体を焦がした。 「本当に、悪趣味な昆虫野郎だな」 一人、隆二を狙ったプロト・インセクトから彼を庇い、遥紀は苛立たしく咥え煙草を、千切れそうな程に噛んだ。もはや自我など欠片程も感じられないプロト・インセクトを見つつ、僅かに足の震えを感じた遥紀は、すかさず温かい魔力を組み上げる。最中、隆二に襲い来る敵を櫻子に任せ、遥紀は癒しの息吹を発現させる。 「──復讐、果たしたいのでしょう? なら、此処で倒れられては困ります」 遥紀の息吹が自分と隆二、そしてリベリスタ全体に広がるのを感じながら、櫻子が隆二に言った。 「誰も倒れさせはしない、絶対に」 決意は、次第にプロト・インセクトを守勢に回らせていく。 断続的に吹き荒れる神秘の嵐は、数で劣るプロト・インセクトの体力を確実に奪っていった。あらゆる方向から展開されるそれはプロト・インセクトたちを翻弄し、攻撃の矛先を一つに定まらせない。無下にできるとはいいがたい攻撃の数々も、十分な回復手を有したリベリスタたちを、倒すには到らなかった。 杏の組み上げた四色の魔光が、煌びやかな直線を描いてプロト・インセクトの角を砕いた。毒々しい緑色の液体を折れた角先から吐き出しながら、プロト・インセクトは沈んでいく。 最後の抵抗、それを感じさせる我武者羅な突進が櫻子を狙うが、櫻霞は、その強行を許さなかった。はね飛ばされながら放った漆黒の光が、プロト・インセクトを覆う堅牢な外殻ごとそれの命を砕いた。 「お前は護る、その為に……力を貸りるぞ」 額を伝う汗を拭いながら、櫻霞は櫻子に告げる。彼女はただ、僅かに表情を緩めて了承した。 「……櫻子の力は櫻霞様のもの、お任せ下さい」 戦うための力を櫻霞に譲渡し、櫻子は心配そうにただ呟いた。櫻霞の視線は、今まさに墜ちつつあるプロト・インセクト、その最後の一体の様を見つめていた。 「どうかご無理はなさらずに……」 櫻子の言葉を遮るように、不快な色をした魔弾が櫻霞の横腹に痛打を加えた。不意打ちに怯む櫻霞に気を遣りつつ、櫻子はそれの射手に目を遣った。 「おいおい、誰も気にしてやんねーのかよ。仲間なんじゃねーの?」 クハハ、と小気味好くそれは笑う。声色からは僅かな疲弊が聞き取れるが、それにも勝る余裕がリベリスタの耳をざわつかせる。 「意外としぶとかったがなぁー? 雑魚が一人で俺を止められるなんざ、思ってたわけじゃねーよな?」 飲まれそうな程の漆黒に彩られた翼を目一杯広げ、侵食者はニヤリと笑む。それの後ろにはユーディスが倒れていた。もはや戦う力を失くした彼女を見、暖簾は怒りを顔に浮かべつつ、侵食者に殺意を向ける。 「サテ、悪夢よか瑞夢だ。そうだろ? 虫っころ」 「ああそうだ。悪夢を見るのは楽しいかい?」 不可視の殺意の気配を察知し、侵食者は俊敏にかわす。見下すような視線のそれは、苛立ちと退屈さをない交ぜにして表情に浮かべていた。 「せめて良い夢見な、Sweetdreams!」 「うるせーな。俺をもっと楽しませろよ。クソ共が」 ● 隆二を狙った神秘の奔流が、彼の前に立ちはだかった遥紀に絡み付く。侵食者の表情を歪めさせたのは痛みであり、苛立ちだ。侵食者は舌を鳴らしながら、自身に向け突き進む気糸の束を巧みに避けた。 「いつまで、避けていられるかしらね」 不敵に口元を緩ませながら杏が放った魔光は、侵食者に当たると綺麗に四色に分かれて弾け飛ぶ。やがて周囲に渦巻く神秘の渦と、それをすり抜けて自身に向かう無数の銃弾に、侵食者は気付く。くぐり抜け、振り上げた斬撃は強烈にリベリスタを抉るが、今度は櫻子が隆二を庇い、彼に攻撃を届かせなかった。 「獲物はアレだ、さっさと喰い潰せ」 櫻霞により展開された気糸が、侵食者の周囲を余す所なく包囲する。攻撃の最中、出来た微かな隙間をかいくぐりながら、僅か侵食者が後退した。降りかかる攻撃を時にかわし、時に受け止めつつ、侵食者は徐々にリベリスタから距離を置き、孤立していった。 不穏な気配を感じたミリィは、やや強引に侵食者と距離を詰めると、言葉を投げる。 「──私は一つ、疑問に思う事があります」 突如として投げつけられた言葉に侵食者は一瞬、戸惑いを見せるがしかし、平然とした顔でミリィを見た。数の上では圧倒的に不利な状況下、侵食者が少しばかり垣間見せた焦燥感は、侵食者の強がりによるか、あるいは強靭さによるかは定かでないが、ものの一瞬で立ち消えた。 「貴方の侵食という性質、不本意ながら、一言で言うなら脅威です。 ですが貴方は、それを使うのを控えているように見える。何故ですか?」 「てめえは、あいつと同じことを聞くんだな」 不愉快そうに、侵食者は鼻を鳴らした。苛立、焦燥、欲望。鬩ぎ合う数多の感情の中、冷静さを保つ猶予は侵食者にはない。ハハハと笑う侵食者はただひたすらに、饒舌だ。 「くそ野郎が、不快で仕方ねーんだよ。俺ん中に異物を残しやがって。痛ぇし、気持ち悪りぃし、うざってえんだよ。つまんねーんだよ」 どす黒い色相が目に見えそうな程の汚泥めいた言葉を吐く。最中、暖簾が不可視の殺意を侵食者に向けると、外殻の一部が勢いよく弾けた。だがその表情が、痛みに歪むことは、ない。 「ああくっそつまんねー。俺を楽しませる気がないんなら死んじまえばいい。そいつは俺を不快にさせた。消えろよ。俺は俺を不快にさせたやつを許さねえ。 ──つっても死ぬ気ねぇみてーだしな。『最上』の苦しみを抱えて、くたばりゃいいんだよ。ぶっ潰してやる。ぶっ殺してやる」 「話になりませんね。それじゃあ──」 「だが、そいつもやめだ」 ミリィの言葉が、侵食者を狙う全ての攻撃が、空気が、一時的に動きを止める。凍り付く戦場の中、侵食者の身体だけがフワリと、宙に浮いた。その視線は、隆二をジッと睨んでいた。 「てめえだけがこの世界で特殊だと思ってた。だからてめえだけを殺せば全て解決だと思ってた。だが違うみてーだな。ここはそういうやつがゴロゴロいる。そしてどうやら金魚のフンどもはどうもそいつが大事で仕方が無いらしい。ダルいったらありゃしねーが、殺りがいがありそーだ。少なくとも、だぁーれも抵抗しねえよりはなぁ!」 ケタケタと侵食者が高笑う。次第に高度を上げていく侵食者に向け、遥紀が叫んだ。 「逃げるつもりか!」 ほぼ同時に展開されたリベリスタの全ての攻撃が侵食者を飲み込んだ。侵食者の周囲に舞い上がる砂埃が、やがて晴れると侵食者の外殻がボロボロと崩れ、中身と思われる白色のブヨブヨした物質が見えた。だが侵食者は蹌踉けながらも意識を失うことは、無かった。 「にぃ〜げぇ〜るぅ〜? 俺は狩人の方だぜ? 狩人が準備を整えんのは当然だろう? 狩られるのはてめえらだよ、クソ共。調子に乗るな」 身体の醜さと裏腹に、生えた羽は優雅に侵食者を飛行させた。高々と飛び上がった侵食者は、キキキと甲高く笑いながら、叫んだ。 「さあゲームの始まりだ。てめえら全員、侵し尽くしてやる」 言葉を残し、侵食者は急速にリベリスタから離れていった。手負いのそれをおいかける術も、気力も、リベリスタには無かった。 ● 「リベリスタの仕事をするのも良いかもしれない……でしたね?」 やや悲壮な顔をしたミリィは、隆二に聞く。隆二は侵食者の消えた方向を見つめながら、静かに言った。 「ああ、俺のようなやつを、生み出さないようにな」 それはどういう意味だろう。悲劇を生み出さないことか。復讐者を生み出さないことか。確かなのは、侵食者という存在が彼の心の奥底に、果てしない程暗い影を落としているということだ。 「良いトコだぜ? 俺みてェな元フィクサードでも受け入れてくれるくれェな」 暖簾の口調は陽気だが、そこにこもった感情は決して楽し気なものではない。 「アザーバイドは逃げた。最後のやつの言葉からすれば、きっとどこか遠くで被害が出るに違いない。とすれば、アークと共に動くのがやはり得策だろう」 櫻霞は忠告するように隆二に言う。 「それに君原さんも、このままでは終われない、でしょう?」 櫻霞の横に立った櫻子が、諭すように口にした。隆二の視線はずっと、一点だけを見つめ続けている。遥紀はそっと隆二と肩を組んで、しんみりとした口調で言った。 「……飯でも食べに行こうよ。仕切り直しだ」 侵食者はもう見えない。遠く、星よりも小さくなったそれに向けた感情を、リベリスタたちは噴出させる。それを解消する術は、今は無い。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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