●15:33 時計が刻を止めたから、こんなにも永く感じるのだろう。 ふと見上げれば、お母さんが見たこともないほど悲しそうな顔をしている。 泣かないで――と言いかけて言葉を選んだ。 たくさんの思い出が、伝える言葉は他にあると教えてくれたから。 あまりにも瞼が重いから、これが眠る前の、最後の言葉になる予感がした。 「――――――――、」 ああ、言えなかった。 善か悪かと自問すれば、間違いなく善だとロッドベルは自答した。 その母親は息子を失って以来、うわ言の様に己を呪い続けたのだという。 曰く、『息子の代わりに死にたかった』 ならばその願いを叶えうる自分は、やはり善なのだろう。 春だというのに、頬を叩く風が煩わしい。 桜の芽吹く公園で、団らんを絵に描いたよう親子がそこかしこで平和を謳歌している。それが何より、ロッドベルに孤独を感じさせた。 「母さん、俺だよ」 目の前のくたびれた女に声をかける。 聞こえなかったのか、女は手にした懐中時計から視線を動かそうとはしなかった。 「おい。母さん」 二度目の呼び声で振り向いた。 「ああ! あぁ。ゆうちゃん、よく来てくれたねぇ。」 母と呼んだ女の名前は留子と言うらしい。歳は四十程らしいが、くたびれた風貌からは五十程にも見える。 留子は愛おしそうに、我が子の頭を撫でようと手を伸ばし――それが肩に届くより先に、ロッドベルの手に振り払われた。 「触られるのは好きじゃない」 「あぁ……っ! あぁ……。ご、ごめんねえ、ゆうちゃん」 強く、風が吹いた。舞い散る桜の花弁が少年の服に沈み消えていく。 「コレは返してもらう」 返答を待たず、留子の手から奪うように懐中時計を取り上げる。 すがるように伸ばされた留子の手。一瞥すれば、だらりと力なく手を下した。 『幻影』を纏うその男は今、二つの名前を持っている。 留子の息子『由太郎』 フィクサード『ロッドベル』 ●アーク本部 「その結末は歌にもし難いな」 ブリーフィングルーム。『駆ける黒猫』将門伸暁(nBNE000006)は集ったリべリスタを見渡し言葉を続けた。 「留子という名の女性が死ぬ。表向きの報道は自殺とされるが、真相はフィクサード『ロッドベル』の幻影に誘われ、高速で迫るトラックの前に身を投げ出すというものだ」 ロッドベルが魅せた幻影は、車道に飛び出す子の姿。それが迫るトラックの前で母の名を呼び、助けを求めるのだ。過去のトラウマが蘇った留子は恐慌状態に陥り、一切の合理的判断がつかず、息子を安全域に突き飛ばし身代わりになるのだという。 「一人息子の名前は由太郎。一年も前に交通事故により他界しているが、留子は未だに息子の死を受け入れられずにいる」 だとするなら、ロッドベルの幻影に惑わされたのは信じたいという『願い』が強すぎたせいだろうか。 「軟弱と言うつもりもないさ。人は誰しも受けれ難い現実ってやつがあるだろう」 フォーチュナである将門伸暁には起こり得る未来が視えるのだという。その内容をこうして伝えるのは、彼にとってもこの悲劇は受け入れ難いものなのだろうか。 「さあ、どうだろうな? 話を戻すが、作戦の目的はフィクサード『ロッドベル』の撃破。生死は不問だが、加減してられるほど余裕のある相手でもないだろう。留子についても生死を問わない。 ロッドベルはフィクサードとしては古顔の部類だが、その情報のほとんどは謎に包まれている。本人に罪の意識はないが、すでに断罪すべき罪状もいくつかある。仮に逃すことになれば、悲劇は累増の一途をたどるだろうな」 つまり、ロッドベルは他の何を犠牲にしてでも打倒しなければならない相手ということか。 「ロッドベルは戦闘に秀でたタイプではないが、それでも駆け出しのリべリスタにとっては難敵だ。 種族はジーニアス、職業はプロアデプト。一言で表すなら「偽り」という言葉が相応しいか。 攻撃スキルはプロアデプトの技を得意とする。だが最大の武器はフェイントや軌道の推測から生まれる高い命中力と回避力だな」 必中を期した一撃を狙うなら相応の準備か、盲点を突くしかけが必要ということか。だがロッドベルには戦闘を行う理由がない。絶え間なく攻撃を仕掛ける者がいなくては、敵は逃走を企てる危険さえあるのではないか。 「お前たちが到着するのは、懐中時計がロッドベルの手に渡った直後だ。その時点の場所は人気の多い公園。そんな所で戦闘を仕掛ければ、ロッドベルは躊躇わずに一般人を人質にとるだろうさ。 少し経てば、ロッドベルは事件現場の下見をするために留子を公園内で待たせ、わずかな時間単独行動をとる。この間に留子に接触することは可能だが、公園から移動させることや、ロッドベルと会わないように仕向けることは不可能だ」 何より、留子にとっては目に見える息子の姿こそが有効な説得力なのだという。今回はリべリスタ側にとって事前準備を行う時間が絶対的に足りない。由太郎を演じるための情報量の優位性はロッドベルに軍配が上がるだろう。 「ロッドベルは現場の下見に由太郎の幻影を纏ったまま向かう。接触は可能だが、相手は慎重なフィクサードだ。不自然な接触をすれば警戒されるだろうな」 だが見方を変えれば、場に留子のいないその時こそが一般人介入というリスクを最大限回避できるタイミングではないのだろうか。 「ビンゴ。冴えてるな」 要するに、自分たちが何を求めるかによって戦闘を仕掛けるタイミングを選べば良いのだろう。 例えば、人質が取られないことを主眼とするならタイミングは二つ。一つ目は「ロッドベル単独行動時」そして、もう一つは―― 「留子の目前にトラックが迫り、ロッドベルが幻影を解いたその瞬間」 それは、最後の手向けなのだろう。 身を挺し最愛の息子を庇った留子の前で、ロッドベルはついに虚像を脱ぎ捨てる。死が迫り、手遅れが確定したその瞬間に、ロッドベル自ら全てを理解させ、嘲るように嗤うのだ。 「誰に言うわけでもないが、自己犠牲なんてのは確かに偽善だ。笑っているのは当人で、泣くのはいつだって助けたはずの相手なんだからな」 その表現は、違うだろう。そんな話を語った直後に「いつだって」なんて付けるのは。 「そうでもないぜ。何せ変えられる未来を『俺が』『お前たち』に伝えたんだから」 ……まったく、信頼されたものだ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:みみみ聶 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年04月19日(火)23:37 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●偽 その歪曲を「かわいそうだわ」と綿雪・スピカ(BNE001104)は憐れんだ。 薄紅色の花弁が舞い踊る。 桜の色づく公園のベンチに留子が座り、その傍らにはフィクサード、ロッドベルの魅せた『幻影』由太郎が立っていた。 「かわいそうには見えないけどな」 早瀬 莉那(BNE000598) の視線の先には、息子からぞんざいな扱いを受けながらも微笑みを浮かべる留子の姿があった。 スピカは「いいえ」とかぶりを振り、 「お母さんのこと、ではないわ。優しい記憶を利用する者と、される者。本当にかわいそうなのはどちらかしら、と思ったのよ」 「由太郎君だってきっと、悲しむ」 温和な印象を与える天方・忍乃(BNE000519)でさえ、その声色に静かな怒気を帯びていた。 「フィクサードが母親を殺すなんて笑えねぇな」 瞳に強い意志を宿す御厨・夏栖斗(BNE000004)、決意を確認するように「――すべて守る」と呟いた。 少し離れた所に、愛らしいパピヨンの耳をピンと伸ばし懸命に由太郎の姿を凝視する金原・文(BNE000833)がいた。 「う。ううっ! うぅ……っ」 留子に由太郎の声を届けたいのであれば、目に見える姿が有効な説得力となる。だが『幻影』で再現するには対象の視覚情報が必要だった。 やがて文は項垂れるように耳を垂らし、ため息をついた。やはり距離が遠すぎたのだろう。 暫くして、ロッドベルは留子を残し公園から離れた。 夕焼け色に空が染まる。 従来なら情緒すら醸し出してきたであろう夕刻の歩道橋。しかし、今ばかり張りつめた空気に支配され、狩人達の猟場と化していた。 (俺は、射手だ――) 藤堂・烈火(BNE000385)は余分な感情を振り払うようにかぶりを振った。どうした所で現実はかわらない。ならば重要なのは自分がどうするか、のはずなのだから。 (――俺は、俺の役割を果たすのみだ) リべリスタ達の心情は様々である。 アダム・ブラックネル(BNE002232) もまた、思いをはせるように遠い空を眺めていた。 少し離れて、紅峰・響(BNE002192) が階段に腰をかけている。 『透視』の力を持つ響は歩道橋のフェンスを壁とし、周囲に視認されないまま目標の索敵を可能としていた。 (現時点じゃどう頑張ってもハッピーエンドはないな。でも、) しかし、その思考は視界の端に捉えた目標の姿によって中断された。響は狩猟者達に向き直る。 「頭を下げろ! 視認されたいのかくそむ……っ、と。頭を下げて隠れたほうがいい。役者が揃ったようだ」 ●戯 (一年も経つというのに、未だにあの男が忘れられねぇか) 懐中時計を睨み、禍々しそうにロッドベルは眉根を歪める。 時計には最後の言葉を母親に伝えられなかった無念の念。『サイコメトリー』の力を持つロッドベルにはそれが読み取れた。 ならば留子を息子と同じ場所に送り、言葉を直接伝える舞台を整えてやることが優しさというものだろう。 一年前の光景を思い返し、独り、嗤った。 「ご機嫌でどこにでかけるん? ゆうちゃん」 不意に、声をかけられた。自身を囲むように移動する四人の姿。 「ゆうちゃんの時計、返してもらうからっ!」 警戒するようにピンと伸ばされたパピヨンの耳。 (――ビーストハーフ。リべリスタか) ロッドベルは向き直り、由太郎の幻影を解除した。 「まぁ。ボクが、大人になっちゃった。……びっくり!」 言葉とは裏腹に、スピカはペースを崩した様子もない。リべリスタがロッドベルのことをそれなりに調べていることは容易に予測がついた。しかし、 「人違いだ」 『偽り』と呼ばれたフィクサードは虚言を吐いた。 莉那が反応速度を高める力を纏い、身体能力のギアを上げたことからも、戦闘が避けられないことは明白である。だが、ロッドベルは現場の下見を終えていない。逃走経路の把握、そしてリべリスタ戦力を視線で探るための時間稼ぎであった。 「第一、喧嘩をふっかけられる理由がない。俺ほどの善人は――、チッ!」 その虚言ごとかき消す様に、莉那の蹴りが強襲する。 「問答に付き合う気はない。喧嘩に理由が必要か?」 忍乃の姿が加わり、ロッドベルを囲むリべリスタは五人となった。 されど、ロッドベルの優勢は変わらない。 「くそ、強いな、さすが……ってとこか」 油断を誘うための夏栖斗のセリフであったが、額に浮かんだ汗が真実味を帯びている。それがロッドベルに慢心を覚えさせた。 「時計がどうとか――聞こえたな」 懐中時計を掲げる。 「っ! ゆうちゃんの時計!」 文の命中力は申し分ない。だが、感情に任せた攻撃は軌道が直線的となり、見切られた。 「世迷いごとを。コレは元々、俺の物だ」 その言葉にリべリスタの表情に若干の怪訝の色が浮かぶ。ロッドベルはそれを愉しむように、 「ずいぶんとご執心のようだ。いいだろう、面白い話を聞かせてやる。冥途の土産話にはなるだろう――」 そうして、一年前に遡る由太郎事故の真相を紐解き始めた。 始まりは善行だった。拾ったものを持ち主に返したという、ただそれだけの話。 けれど、それが過ちだった。 拾った時計の造形があまりにも好みで、由太郎は思わず見惚れてしまう。 その想いが滑り込み、時計に深く、刻み込まれたことを知らずに。 潔癖たるロッドベルにとって、所有物に情を刻まれることはまるで、恋人を凌辱されたことに等しい重罪であり、また、それを見逃がせるほどの許容も持ち合わせてはいなかった。 無警戒の一般人の情報を調べ上げることなどは造作もない。 一年前、留子の幻影を操ったロッドベルは高速の車体が往来する中で由太郎を呼び、償いを求めた。 「――確か、母親との帰宅中だったか。 振り返れば本物がいる。そんな状況で幻を庇うために車道に飛び込むなんざ、どうかしてると思うだろ?」 リべリスタに浮かぶ苦悶の表情を愉しむため、ロッドベルは舐めるように視線を投げた。 「そんなわけ、ねぇよ」 顔をうつぶせているため、夏栖斗の表情は窺えない。 (……仕込みは、こんなもんか) 突如、ロッドベルは幻影を展開した。 幻影とはリべリスタであれば容易く看破できる、戦闘においては無意味なもの。けれど、その姿を見せつけ苦汁を飲ませるために、幻影は由太郎の姿を形どった。 (一人、呆けたか) 蔑みさえ込めて視線を向ける。だが、その当人である文は、 (っ! この子が、ゆうちゃん) 求めた姿が眼前にある。注視すれば、文の幻影でも再現することが可能となるだろう。 しかし、由太郎の姿に注視するとはつまり、ロッドベルの動きから目を離すことを意味する。 迷いが晴れるより先に、ロッドベルは思考の力を圧力に変えた衝撃を文に放った。だが―― 「――そんなわけねぇよ! 愛して、護りたくって、勝手に体が動いたんだ」 衝撃は文を庇った夏栖斗によって防がれた。夏栖斗は視線で、文に己の意志を伝える。 (うん。留子さんの止まってしまった時間を、流れるようにする!) たとえロッドベルを撃破しても、公園で待つ留子は息子の幻を待ち続ける。それは現実から目を背ける行為であり、本物の由太郎の存在を嘘にする行為ですらある。 「それを嘘にしないためにも、僕は守れるものはすべて守る!」 ●欺 猟銃は既に構えた。 神経を研ぎ澄ませ、指先に力を集結させる。 余分な意識など欠片もない、狩猟者は静かに約束の時を待つ。 ロッドベル打倒のためには、逃走阻止という難題が立ち塞がった。 幻影による戯れも優位を確信しているが故。不利を悟られれば、ただちに逃走に転じるだろう。 ならば不利を悟らせた時点で勝利を揺るぎなくしておく必要があった。そして約束の時はすぐ、そこに。 「スピカ!」 「ふふ……ここからは――」 忍乃が守護の結界を展開し、スピカはバイオリンを奏で、旋律と共に魔力の弾を上方に放つ。 ――積み上げてきたものは、全て、この瞬間のために。 「……興を、醒ますな」 ロッドベルは知る由もない、それが約束の時を告げる合図だったことを。 そして、声は頭上から降ってきた。 「それ以上は戯(ざ)れるな。貴様の虚栄は、既に見飽きた」 大気さえ揺るがす衝撃は響から放たれ、 「合図確認――攻撃を開始する」 渾身込めた烈火の一撃は正確無比にロッドベルの足を撃ち、 「願った未来を掴み取る……そのために私は引き金を絞ろう」 放射するアダムの硝煙は反撃を告げる狼煙となった。 「……、ぐッ」 堪らず、うめいた。 天すら奈落に突き落とさんとする怨嗟の形相で見上げれば、響は「半人前に狩られるのはどんな気分だ」と爽やかに笑って見下した。 (煩わしい、女だ) 切り替えは早かった。最優先事項を撤退と定めたロッドベルが障害と認めたのは、早瀬 莉那の姿。 ロッドベルの持つ能力はリべリスタを上回る。だが、速度においてのみ、莉那のそれは戦場にいる誰よりも優れていた。 そしてその速度こそ、ロッドベルが逃走を行うための重要な能力でもある。 莉那はこれまでの戯れに対しても躊躇いを見せる様子はなかった。生半可な揺さぶりでは動じることすらないだろう。 (黙らせるには、ガキが邪魔だ) 莉那は攻撃を行う度、ヒット&アウェイで距離をとる。追撃すれば耐久面に秀でた夏栖斗が立ち塞がり、忍乃の傷癒術がそれを補佐した。 (と、なれば) そして。 難攻不落と思われたロッドベルは、遂に、 「ギブアップだ。勝ち目が無いことくらい、解る」 肩を竦めるように、その両手を挙げたのだった。 「頬に傷のある男のフィクサードだ。古顔だってんなら知ってること吐け!」 ロッドベルは古顔のフィクサードである。莉那の追うフィクサードの情報を持っている可能性は高い。莉那は急くようにまくしたて、 「殊勝なことだわ。その手、しばらせていただいて構わないかしら?」 スピカが油断なくロッドベルに問う。 「頬傷のフィクサード、か。心当たりがある」 幻影は既に解除した。ロッドベルは懐中時計を取り出す。 「蓋を開けてみろ。中にメモリーチップが入っている、奴の情報があるはずだ」 渡す相手のことなど考えていないように、時計を高く放り投げた。 「さて。そっちのお嬢さんの質問、だがな」 放られた時計は放物線を描き、やがて―― 「――答えは、『馬鹿め』だッ!」 圧倒的な思考の奔流を物理の圧力に変えて。周囲のリべリスタを、さらには懐中時計までも射程に収め、ロッドベルは辺りを吹き飛ばす衝撃を炸裂させた。 直後、逃走を開始するロッドベル。 「……、ッ!」 しかし、誤算があった。 (足がッ、動かん) 意識を足に向ければ、もはや満足に動かせないほどに創痍している。 「1$シュート……撃ち抜く!」 「ガ、ァ――ッ!」 その一撃に、今度こそ足は奪われた。 仰ぎ、射殺せんとするほどの怨念を籠めた視線を射手に放つ。 ロッドベルを上回る反応速度を持つリべリスタは莉那だけではなかった。 誤算があるとしたら、それは常に先手を取れる立場でありながら、驕ることなく敵の足を奪うことに心血を注いだ射手、藤堂・烈火の存在。 ロッドベルに潔い等という不手際は微塵も無い。 幻影を展開し、烈火を試すように、由太郎の姿を盾とした。 (親父達の意志は、俺が継ぐ――) 万感の想いを込めるように放たれた烈火の一撃。それは幻影ごと切り裂いて、ロッドベルの眉間に深く、突き刺さった。 「――Jackpot」 ●義 桜は散り際に美しさを残すから、その情景は人の心に焼きつくのだろう。 今宵。うたかたの花に見守られ、幻想は散りゆく―― 「ひとつ、お願いしてもいいかしら」 スピカが鞄から取り出した花はローズマリー。 「花言葉は『追憶』。お母さんにゆうちゃんの想いが届いたら、きっと役に立つと思うわ」 忍乃に差出し「たのまれて?」とスピカは微笑んだ。 かくして、忍乃に託された想いはまた一つ重なった。 手元の懐中時計が、ズシリとその存在を力強く主張する。 ロッドベルが衝撃を放った瞬間、とっさに忍乃の体は時計を庇った。 蓋を開けても『偽り』のフィクサードの言うチップは無かったけれど、護れただけで十分だった。 (……どうか見守っていてね、姉貴) 忍乃は意を決して、未だ還らぬ息子の姿を公園で待ち続ける母親、留子に声をかけた。 「桜、きれいだよね」 「あら、可愛らしいお嬢ちゃんね。桜に映える素敵な着物だわ」 元々人懐こい人物なのだろう。柔和な笑顔を忍乃に向けた。 「ありがとう。姉貴からもらった大切な着物なんだ」 「あら、お姉さんも着物を着るのね。姉妹が揃ったらきっと華やかだわ。ここには、おひとりで?」 それに忍乃は答えず、僅かに微笑む。……その沈黙で、既に少女の姉は他界したのだと留子は悟った。 「ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまったわ……」 「ううん。嫌なことじゃないよ。それに、あたしが笑っていないと姉貴は悲しむ」 「お姉さんが、……悲しむ?」 忍乃の表情は穏やかだ。その微笑みの中に、留子は少女の想いの強さを見た。 「ずっと、見守っていてくれるんだよ」 少女の瞳から逃れるようにうつむく留子。だが、言葉はすでに留子の遠い記憶を揺さぶっていた。 「死んだ人が笑ってくれるように生きる、のがお弔いだって、あたしは思う」 「…………」 どれくらい時間が経ったのだろう。 既に周囲に人影はなく、いつの間にかローズマリーの花と懐中時計がベンチに置かれていた。 桜が、いっそう強くざわめく。 舞い散る花弁は誘うように大気を滑り、その先に、淡い光があった。 それは文の魅せた幻影。されど、留子の目に映るその姿は―― 「ゆう……ちゃん?」 目を、奪われた。 やがて、光となった由太郎はゆっくりと、唇を動かす。 (あ り が と う) その唇の動きを確かめるように、留子はゆっくりと反芻した。 「あ、り……、……が……」 言葉の最後は、声にすらならない。 留子はこみ上げてくるものに抗わず、声を上げて、嗚咽した。 やがて、留子は立ち上がる。 懐中時計は再び、時を刻み始めた。 留子はゆっくりと、歩み始めた。 ――『追憶』の意味を持つ花を、その場所に届けるために。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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