● 見舞いも終わっているはずの、深夜。病院。 屋内から遠く響く悲鳴。そして屋上から流れ建物全体を美しく包み込む旋律は、ヴィオラの二重奏。 「ああ、やだやだ。 日本の病院ってのはどうしてこうも、陰気なんだろ。せっかく僕が来てあげたって言うのに」 ふわりとした金髪、そのくるんとした巻毛を夜風に揺らしながら、青年は物憂げな溜息を吐いて屋上を見下ろした。――空に佇む男の、白に金をあしらった長い外套、その背から広げられている純白の翼。 「陽気な病院があっても困ります、アンジェロ」 アンジェロ、と呼ばれた男の視線の先に立っていたのは、黒に金のパイピングがされたジャケットを着た、雪のように白い髪の女性。男の言葉を適当にあしらいながらゆっくりと首を振る、その動きに合わせてまっすぐに切りそろえられたボブカットが揺れた。 「酷いな、アンジェラ。 日本の墓地には死体がないからって、わざわざここを教えてくれたのは君じゃないか」 「――ビアンカです、アンジェロ。 あなたの技術から考えれば、霊魂よりも死体を扱ったほうが良い。それに、あの娘は使い出がある」 「この国のリベリスタかあ……写真で見た限り、そこそこ美人だったよね。 名前は確か――アンジェラだったっけ?」 「クミです、アンジェロ。 容貌はどうでも良いですが、実力もそこそこにあったようで。兵隊にすればその分我々が楽を出来る」 やんわりと名前違いを注意するビアンカ。 会話の間にも、しかし弓を操る二人の指は微塵もぶれず、正確にして流麗な旋律を紡ぎ続ける。 「楽ができるのは嬉しいなあ。 それに、眠り姫を元気にしてあげるって言うのも中々悪くない。ね、そう思うだろアンジェラ」 「ビアンカです、アンジェロ。 一度殺して起こすのに、元気も何もあったものではありません」 二人の会話は酷く物騒なものだが――『楽団』の一員たる彼らにとって、それは極通常の話題。 「アンジェラはそう言うの、嫌かい?」 「ビアンカです。――まさか。むしろそそります。とても」 2つの弓が全く同時に止まる。アクシデントではない。ただの、楽譜(プログラム)の終了。 「bene。それじゃあ楽しもうかアンジェラ」 「ビアンカです」 そして程無く、二人は次の楽譜を奏ではじめた。 ● 「――場所は真夜中の病院。入り口は、彼らが開け放った後」 モニターの映像を静止し、『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)が告げる。 二階建ての病院、その一階にある遺体安置所から蘇生した死者たちが、看護師や患者達を襲って新たなうごめく死者へと変えていく――カレイドの予知した映像は、さながらホラー映画だ。 映像の中で、二人のヴィオラ演奏者が始めた演奏は――非常に重要な役割を果たしていた。 「死体たちはエレベーターを使用しない。正確には、もうエレベーターは壊されていて、動かない。 階段は入口近くの患者用と、奥にある関係者用のふたつ。 屋上まで続く患者用の方は、死体の兵士たちが中継地点にしているみたい。 女性は、殺して新しい戦力にされるよ。男性は――邪魔しない限り、放置してるみたい。 全員死んでしまったら目撃談が広まらないから、そのせいかな。そして何より問題なのは」 切り替わったモニターに映しだされたのは一人の患者。ベッドの上で眠る少女。 「彼女は強力なリベリスタだったけど――以前の戦いで重傷を負って、もう2ヶ月も意識が戻っていない。 ――フィクサード達は彼女を殺害し、自分たちの戦力にしようと狙ってる」 ● 「それにしても、いい感じの兵隊はやっと10か……あまり多くないねえ」 「これから増やせば良いのです、アンジェロ」 一端ヴィオラを下ろしたアンジェロに、ビアンカはそう告げるとなお弓を振るう。 「ねえアンジェラ、アンジェラちゃんのところにはまだ送らないの?」 「私はビアンカです。そして彼女の名前はクミ。後でその髪、引き抜きます、アンジェロ。 ――そうですね、そろそろメインディッシュと行きましょうか」 そう言ってビアンカが弓を話しかけた時、星空の演奏会への闖入者が現れた。 「いやああああ!」 悲鳴をあげながら現れたのは看護師の女性。ちょっと好みだ、と青年が呟いた。 看護師は、背後からのそり、のそりと追ってくる元患者――死体が患者なわけがない――から逃げようとしていたが、そこでついに腰が抜けたのか、足がもつれたのか。看護師はコンクリートの上に倒れこみ――己の目の前に立つ人の足に気がついた。 彼女に微笑みかけるその美青年の姿は、まるで場違いな天使のようにも見える。 無表情が板についたその美女の姿は、この場にふさわしい死神のようにも見える。 ――女の背に翼を見たのが、その看護師の最後の記憶。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ももんが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月17日(月)23:36 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「フィクサードの襲撃だ! 窓からでもいい、兎も角外へ出て此処から離れろ! これを理解できるものは、付近の者を退避誘導せよ!」 夜闇、とは呼びにくい薄明かり――救急車両のためだろう、街灯はぽつぽつと存在している――の中を、突如飛び込んで来た車が一台。それから駆け下りた二人のリベリスタが、病院の、壊された正面入口から侵入した。『闇狩人』四門 零二(BNE001044)は、資料にあった「神秘を知る者」に事態が伝われと声を振り絞る。彼の姿は、リベリスタの眼からしても若干ぶれて、よくわからないものになっている――超幻視で、何とかして自分の外観を死体兵たちの標的である『女性』に近づけられないかと苦心した結果だ。 前方で周囲を見回しながら歩いていた人影たちが、零二の声に振り向いた。 ――腐敗こそ、まだしていなくとも。本来ならば土色の肌は硬化していたのだろうに。 無理やり動かされたために断裂した筋組織を垂れ下げながら、死体は濁った目を向け――その背後に女性を見つけた。『ライトニング・フェミニーヌ』大御堂 彩花(BNE000609)の漂わせる、品格とでも言うべきものには死体たちには何の興味も示さなかったが――『女は殺せ』――その指示が、強く彼らの行動を規定していた。おおぉ、と呻き声にも似た応えを示した死体たちは、彩花へと足を向け始める。 「ここは私が引き付けます」 「――わかった」 死体達を挑発しようとした零二を視線で引き止め、彩花は元の作戦通り二手に別れることを提案した。 それに首肯し、零二は病院の奥へと目を向ける。まだ生存者がいる可能性を考えれば、人々が逃げる時間を稼ぎたい。――死体の兵士たちの、その詳しい数はわからない。 だがどうあっても、今目の前にいるたかだか五体、それで全てということはありえないのだ! 「死体兵共に遅れたら来た意味がない。まず先回りを急ぐぞ」 火をつける時間もないと判断し、『燻る灰』御津代 鉅(BNE001657)は煙草をコートのポケットにねじ込む。 「病室はおそらく、あそこの窓です」 「じゃあ、その隣の窓から向かえばいいんだな」 二階の奥、千里眼で見通せなかった部屋――その内装には、三高平の建築物と同様の材質を使用されているらしかった――を指差す源 カイ(BNE000446)に、『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)が確認を取る。見取り図は手に入らなかったが、地図が苦手な木蓮には直接侵入口が分かる方がありがたい。 木蓮の視線の先を追い、恋人が方向音痴を発揮せずに済むことに胸中で安堵した『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)がその隻眼を鋭く細める。 「やれやれ、病院を遊びの場にするとは、なかなかに良い趣味をしているな。 その遊びにいちいち付き合ってやるつもりは毛頭ないが、目的が玩具の補充、しかもそれがリベリスタとなれば、絶対に防がねばなるまい」 院内から響く破壊音、悲鳴――。万華鏡によって、この悪趣味なホラーを再現している相手の目的はわかっている。だからこそ彼らは今、その音から耳をふさがなければならない。 (襲われてる生存者がいるとはいっても、多分、全部は救えない。 あたしは人を癒し続けてきたからこそ……歯噛みするしかできないのか) 龍治の言葉に、『フェアリーライト』レイチェル・ウィン・スノウフィールド(BNE002411)が硬い表情で頷きを返し――言葉は口にせず、目を閉じ加護を乞う。その願いはリベリスタたちの背に、翼を宿らせた。 ● 変幻する影に惑ったか、死体兵が鉅の気糸に縛り上げられ、身動きを封じられる。 「ただでさえネクロマンサー共の珍妙な術にはてこずってるんだ、厄介な手駒を増やされたくはない。 ――このままなら、ひとまず突破は防げる。後は落ち着いて対抗できるだろうさ」 「……クミさんには生きて再び目覚めてほしいものです」 義手に隠された銃身を晒したカイが鉅に頷きながら、精密射撃を死体に撃ちこむ。彼が幻想纏いから取り出したこの乗用車は、敵の行動を見事に制限していた。4人がせいぜい並べるかどうかの廊下。近接攻撃しか持ち得ない死体たちには、しかしこれをよじ登ったり破壊したりという選択肢はないようで――『その病室を襲撃する』ことを主目的としているのは、明確だった。 一度に攻撃してくる敵の数を2体に減らしたことで、病室前を守るリベリスタたちには、事前に予想されていたよりもいくらか余裕ができていた。最もその恩恵を受けているのは龍治だろうか。装填に時間のかかるはずの火縄銃で、しかしその不便を物ともせず光弾を数体の死体兵へと射出する。 最前線で行動の取れる死体兵は、木蓮の目の前一体のみ。仲間の端に立つ彼女に兵が歯を剥いて噛み付き、胃の中の物が周囲ごと腐敗していく悪臭に木蓮は顔を顰めた。 「死者にされた挙句、その遺体を操られるのは可哀想です。――その紛い物の生より解放してあげます」 木蓮の怪我の程度を軽いと見た『おとなこども』石動 麻衣(BNE003692)も、周囲の魔力を取り込みながら魔力の矢の狙いをつける。焦げ茶の半自動小銃を構え、蜂の群れを思わせる銃撃を死体兵達に見舞わせた木蓮は幻想纏いにちらりと目を落とし、気合を入れるかのように声を上げた。 「とっととこいつらを倒そうぜ、それで、楽団の奴らを倒しに行くんだ!」 ――その言葉の目的は、撹乱。 破られた窓を通して、木蓮の、楽団を倒そうというハッパが聞こえた。 レイチェルは、特別病室の窓を白い杖で叩く。 ガラスを軽く割るつもりが、窓は蜘蛛の巣のようなヒビを走らせる。ガラスの中に走る針金――廊下の窓にはなかったソレ――に、もしこれが彼女でなかったら躊躇していたかもしれない。だが、幼い頃からリベリスタとして――覚醒した存在として。その力を知っていた彼女に抵抗はない。魔法杖を持ち直して、もう一度突き入れる。普通の防犯用の針金はリベリスタの腕力には耐え切れず、そこに望み通りの穴を開けた。拳ひとつ程度の大きさの穴。そこに手を通し、レイチェルは難なく窓の鍵を解錠し、開ける。 彼女は、部屋の中央で眠っていた。 クミの体を這うチューブは真横に吊るされた袋につながっていて点滴のように見えたが、よく見ればそのチューブの先は鼻から彼女の体内に侵入している。どうやら経管栄養食のようだった。その口元を覆う呼吸器――彼女はどうやら、本当に現状、「生きている」だけのようだった。零二に借りた簡易型の生命維持装置と見比べ、確認し、一つ一つ装置を付け替えていく。 最終的にチューブやコードを剥ぎ取り引き抜き、装置の音はフラットになった。 毛布ごとクミを抱えあげ、再び外に飛び立とうと窓枠に足をかけ――既に廊下に陣取ったチームの侵入から、2分程の時間が経過していたことを知る。もう一度加護を願い、借り物の翼を広げた。 地上には、出しておいた車が見える。 月が、異様に冴え冴えとレイチェル達を照らしている。 ● エンジン音。 侵入口とした窓の、ほぼ真下から聞こえたその音に、リベリスタたちの間に僅かに安堵が走る。 ――これでもう、クミが殺されることはないだろう――。 その時だった。突如、ずっと聞こえていた二重奏が、止まった。 「音が――」 カイが、いち早くその事に気がつき、頭上を見上げ――千里眼はとうにその効力を失している―― 「困るね、勝手にお姫様を連れて行くなんて。 アンジェラを起こされるのは、よほど君たちにとって不利益だと見えるね」 がしゃり、窓ガラスを蹴破る高い音、それに続いて聞こえた声――翼のある男が、女を抱えて窓を、足をかけながら覗き込んでいる、それも楽しそうな顔で! 「クミです、アンジェロ。……ふむ。ミナモト、サイカ――ということは、東洋の方舟のお出ましですか」 「わぉ。じゃあ、お姫様への目覚めのキスは、よほど僕らにとって良いことを齎すということだね」 ビアンカはリベリスタを一瞥し、アンジェロはその言葉に喜色を漏らす。 「そのようです。では、一刻も早く負わなければなりません。――<アーラ>よ」 アンジェロの腕から降り立ち、ビアンカは防御陣の縫い込まれた黒手袋をはめながら声を上げた。 ――リベリスタは、カレイドの見せた情報を思い出していた。 フライエンジェは、アンジェロのはずだ。ならばあの、翼が生えた女とは何だったのか――。 死体兵たちの背に、肉の爛れ落ちたような翼(アーラ)が現れる。 「1、2――3体、潰された? やるよね、なかなか」 翼の加護を得た兵たちはそれでも病室へ向かっていたが、アンジェロが弦に弓を触れさせた、その僅かな擦過音でぴたりと動きを止めた。 「ちッ!」 鉅が舌打ちする。時間稼ぎが、こうも簡単に露呈するとは思っていなかった。せめてここで一矢をと、フィクサードに駆け寄り気糸で呪縛しようと考えたがそれも死体兵たち、そして車に遮られていては。カイは咄嗟に、手近な死体兵の骨を狙って弾丸を撃ちこむ。動作の阻害を狙えば、戦力の減少も狙えるかもしれないと考えた結果だが――わかっている。死体は死体だ。人体の運動理論など、端から無視されているのだ。 「じゃあね」 黒翼を広げるビアンカの傍で、アンジェロは笑顔のまま演奏を再開する。 演奏に集中するフィクサードを抱えたビアンカを最後尾に、七つの死体たちが夜空へと身を躍らせた。 「――!!」 窓の外を見るまでもない。 彼らの目的はレイチェルの駆る車――その中の、クミだ! ● 「誰かこっちに回して! あたし1人でなんとかしようとしたら、詰む……!」 緊急事態。繋げっぱなしの幻想纏いを通じて聞いた状況に、レイチェルは、アクセルを更に踏み込む。 バックミラーにはまだ何も――いや、わざわざ車高に合わせてくれるはずがない。映るとすればサイドミラーだ。注意を払えば確かに、時折月にかかる黒い影がある。 何事もなければ、蝙蝠か何かだと見過ごしていたかもしれない。 冗談じゃない! 「あまり人の居ない道を行きたいけど……裏道なんて、分からないし!」 空いてる道を、と入力していたGPS。その指示に従って、だが速度制限は黙殺だ。 翼を持った死体たちは、上空を飛んでいるようだ。高さにすれば10m程だろうか。 歯噛みする。借り物の翼なら、実感を持って何ができるかわかっている――戦うわけじゃない、ただ飛び、追うだけならば何も問題はない――うねる道も建物も、障害にならない! ハンドルを切る。後部座席に横たわるクミが加速に押され、かぶせていた毛布ごと位置がずれる。 「もうしばらくの辛抱だよ。我慢してね」 意識はなくとも、声をかける。窓の外で、追いかけて来た赤色灯が遠のいていく。 「はぁっ、はぁ――」 悲鳴が、絶えた。 決して少なくはない数を誘導し、逃すことができたと、彩花は思う。 「はぁ、はぁっ――」 決して少なくはない数を撃破し、減らすことができたと彩花は思う。 だが――数が多すぎる。 荒い呼吸を無理やり整え、体を癒す。彩花を見れば死体は足を止めて彼女へと向かってくる。誘蛾灯の役割を果たす彼女は、随分と数を集めてしまった。全て救えたとは思えない。全て倒せたとは思えない。それでも、体力は限界に近い。逃走を図りたいところだが、囲まれていてはそれも容易ではない。 さっきので、降したのは6体。眼の前に残るのは、8体―― 「!」 視界の端で動いた影に警戒して構えを取った彩花に、 「眼と耳を塞いで伏せろ、大御堂!」 その影――零二は叫び、彩花から一番遠い死体兵に向けて閃光弾を投げ放った。 怪我の程度で言えば、二人の怪我は同程度にも見えただろうか。だが、回復の手段を持たぬ零二は既に運命を削ってしまっている。 院内を駆けまわった零二の倒した死体兵は3体、今も引き連れているのが5体。 まともに相手取れば絶望しか見えない所だったろうが、彼らの目的は殲滅ではない。 「病院内にもう生存者はいない。フィクサードも離れた以上、これ以上死体兵は増えないはずだ」 背を合わせる。死角が消える。 「戦力二分とは、随分効率良くやってくれるものだな」 「今はあちらの健闘を祈りましょう。私達が生きて帰るくらい、そう難しい話じゃなさそうですもの」 二人を囲む兵たちを見据え、象牙色のガントレットを構え直して彩花が吼えた。 「――さあ、私の実力、とくと御覧なさい!」 ● 二階から飛び降り、素早さに物を言わせて追いかけ、ようやく追いついた鉅とカイの目の前で、その車はフロント部を大破させていた。その車の前に、原形を忘れそうな形で潰れた兵一体分の肉塊――おそらく、車を停めるための捨て駒にされたのだろう。翼の消えた6体の死体兵を、2人のフィクサードを前に、レイチェルは車ごとクミをかばい、運命をすり減らしても一歩も引こうとしていなかった。 「……よくやるものです。あなたを兵士に加えるのも、面白そうだと思えてきました」 「アンジェラがラガッツァ(女の子)にそんな事言うなんて。アンジェラちゃん、なかなか凄いね」 ヴィオラ――ビアンカのもそうだったが、これもやはり破界器のようだ――から弓を離さず、アンジェロが上機嫌な軽口を叩く。ビアンカはレイチェルの名を知らないのか訂正はせずにやれやれと首を振り、それからようやく近づいてきたリベリスタに目を向けた。――今更、興味を持ったとでも言いたげなその表情。 「やられれば手駒の仲間入りとは、今後お前さんたちとやりあう時は、敗北時の自決用に爆弾でも必要になりそうな勢いだな――!」 近接距離まで一気に走りこみ、そう吐き捨てた鉅が、気糸を手近な一体に絡ませる。肺が締め付けられたか意図せず声帯を震わせて、ぎ、と妙な声を兵が上げた。 「そう易々と、死の軍勢の増強などさせませんよ」 カイの義手は、雨のように銃弾を撃ち出し続けて徐々に赤熱を始めている。 頬を掠めた弾が赤い血の線を引き、アンジェロはヴィオラを弾く手を止め、その血を手の甲で拭った。不快そうに眉間に皺を寄せた彼にビアンカが何事か囁きかけ、アンジェロの表情に笑みが戻る。そして、彼の眼は油断なくリベリスタ達を見据え――集中を始めた彼の、獣にも似た眼光。一方で、一瞬曖昧になった死体兵たちの動きは、奏者交代して再開された独奏に従って統率の取れたものへと変わった。エレンの歌第3番――その伸びのある音が、夜半の空に響き渡る。 5体の死体兵が、その音楽に操られるままレイチェルに向けて腕を振り上げ――庇い続ける彼女には逃れようがない――そこに次々と撃ち込まれる、龍治の火縄銃の弾。更に身動きの取れなかった一体に立て続けに撃ち込まれた木蓮のMuemosyune Breakの超精密射撃が、その上半身を吹き飛ばしてみせる。レイチェルの怪我に、麻衣の詠唱が癒しの微風を呼んだ。 「回復手――邪魔です」 少し遅れて到着したリベリスタ3人。その中でも麻衣の術にビアンカ眉を寄せ、兵士たちは一斉に麻衣へと飛びかかった。残る死体兵は、5体。当初に比べ半減させたとは言え、一斉に噛み付かれては麻衣に打つ手はなく、あっという間に運命の恩寵を消費させてしまう。 たかが5体、されど5体。 消耗は決して少なくないが、リベリスタたちは善戦していると言えた。この調子なら、フィクサードの撤退も、見えてきた――リベリスタの脳裏にその思いが過ぎった、その時だ。 「なんとかなる、なんて、思ってないよね?」 にこり、と微笑んだアンジェロが放ったのは――無数の、不可視の刃。 ● 死体兵もろともに切り裂いたファントムレイザーに、レイチェルは為す術なく倒れた。 「何てことを――!」 激昂する木蓮に、ビアンカはやれやれ、といった表情をで――死体兵には、まだ動いているのが3体いる。だが、彼女はファントムレイザーとともに演奏をやめていた――肩を軽くすくめてレイチェルの傍に歩み寄り、彼女の髪を手に取るとそのまま無造作に、まるで兎の耳でも持つように無理矢理に持ち上げた。 「カレイドの刺客たるあなたたちが執着しているのなら、クミはきっと良い兵となるのでしょう。 もしここで退くなら――この、金髪の彼女のことは、見逃してあげましょう」 飛びかかろうとした鉅が、銃身を構えたカイが、狙いをつけようとした龍治が――その言葉に動きを封じられた。リベリスタたちの様子に興味を失ったのか、鼻歌まじりのアンジェロが車の後部座席を覗き込む。 「眠り姫の体はまだ動くのに、死者も同然の扱いをしているのは、君たちの方じゃないか」 毛布をかけられたままのクミを抱き上げ、アンジェロは腕の中の少女に微笑みかけた。どこかいとおしそうにも見える表情で――何も知らなければ、恋人を抱擁するようにさえ見えたかもしれない。 ビアンカは、呻き声をあげるレイチェルの髪を一房ちぎり取ってから手を離し、リベリスタ達を見回した。 「さあ――帰りなさい、方舟のリベリスタ。 ケイオス様の譜面(スコア)を止めることなど、誰にも出来ないのですから」 <了> |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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