●岬の洞窟(どうくつ)にて 遠くに波の砕ける音を聞きながら、老人は今一度死の床についた。 湿った土に敷きつめられたわらのうえで体を丸める。 熱い血への渇望に身を震わせながら息を吐き出すと、ぴくとまぶたが引きつった。 強風にあおられ岩を離れて空を舞い飛ぶ波の花。 おびただしきは、さながら銀幕のよう。 老人はそこに仏の姿を写し見た。 ――仏さま、もう思い残すことはねじゃ。後生だ。このまんま人として死なせてけろ。 老人の心を読みでもしたか、老人の傍に控えていた小さなもののけが身じろいだ。しなびた首筋に鼻を押しつけ、キュ-ンと細く小さく鳴く。 「なにばおどろくことがある。人は死ぬ。死なぬ人はいね。あだりめのことだ」 ああ、確かに。 人は死ぬのが定め。だが、老人はすでに人ではない。人の世の理から離れてしまったというのに、どうしてまた死ななければならないのか。この世にさまよい出てまだ日の浅いもののけには理解できなかった。いや、したくない、というのが本音か。 老人はタダ1人の理解者だった。 老人はタダ1人の守護者だった。 老人は寄る辺ない世界で見いだした、たった一つの温もり。 もののけは老人の首から鼻を離して身を起こすと、かまのように曲がった両の鋭いツメをカチリカチリと打ち鳴らした。 「はやく逃げろ。どごが遠くさ行け。……やつらに捕まるな」 いいや、どこへも行かない。死すべきは……そう、あの男たち。いまも老人の家にいるに違いない。このかまで切り裂いてやろう、死なない程度に。そして、老人にささげるのだ。血をすすれば元気になる。元気になればきっと気も変わる。また一緒に暮らしていけるだろう。 わらを集めて老人の体にかぶせてやると、もののけは風をまとって山へと向かった。 ●ブリーフィングルームにて 「おじいさんの家にいるのは『強欲』のE・フォース。元になったのは老人の息子。山の利権をめぐる争いで殺したはずの父親、おじいさんに逆に殺されてしまったのだけど……」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、リベスタたちを前に小さな肩を落とした。 「生来の強欲が彼をE・フォースにしてしまった。一緒にいた悪い友だち二人は、『強欲』に自我を奪われて手ごまになっているわ」 起こってしまった負の連鎖。どうしようもなく愚かしいことの成り行きは、リベスタたちが止めない限りさらに崩壊の度合いを強めていくという。 「小さなもののけ、俗にいわれる『かまいたち』。このアザーバイドが『強欲』と戦って、人を岬の洞窟に連れ帰るのを阻止して」 ノーフェイスとなった老人に人の血を与えさせてはならない、とイヴは言った。 「もしも、老人が血をすすってしまったら……」 一気にフェーズが進行する。 言葉を途切らせたイヴの代わりに、だれかがつぶやいた。 こくりとうなずいてイヴが後を引き継ぐ。 「おじいさんははもう人には戻れない。『かまいたち』を強く思う気持ちが、おじいさんをノーフェイスにしてしまった。だけど、たぶん、ほうっておいても死ぬ」 『強欲』との争いが元でひどく傷ついていること、もともとがかなりの高齢者であること。イヴは目を伏せる。 「……『かまいたち』は古くからいい伝わる妖怪。たぶん山のどこかにD・ホールが開いているはず。探して。そしておじいさんに伝えて。『かまいたち』が無事に帰っていったことを」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:そうすけ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月15日(土)21:02 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●山中 夕闇がせまる。 軒先につるされた柿が強い風にゆれた。 窓は深い青にかげっており、外より部屋の中はうかがえない。――が、それも常人の目に限ってのこと。暗視をもつリベスタには問題なかったようだ。 「所在を確認しました」 『闘争アップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)が、戻りを待っていた仲間に報告する。 「予知の通り、老人の寝室に3人――いや、2人と1体、ですね。予知では、そろそろ部屋の電気がつけられるはずなのですが……」 義衛郎の声にはわずかな憂いがふくまれていた。 予知は予知。完全ではない。運命はリベスタの介入によってゆらぎ、変化していく。そういうものだ、と思ってはいても、やはり早い段階の変化には不安を感じる。 「なーに、大したことじゃねぇよ。あいつらがつけねえなら俺たちがつけりゃーいいだけのこった。だろ?」 ほんのわずかでいい。見えた瞬間にぶちぬく。銃にかかった安全装置をはずして、『ヤクザの用心棒』藤倉 隆明(BNE003933)が言い放った。いったんエモノをアクセス・ファンタズムの中へもどすと、手をにぎったり開いたりしはじめた。引き金をしぼる指が冷えて強張らないようにしているらしい。 リベスタたちが三高平市から新幹線とタクシーを乗りぎ、この地にやってきたのは日没1時間前のことだった。老人の家に一番近いとされる民家の前でアスファルトの道が途切れるため、そこからは歩いて山道をあがってきた。ちょっとした登山だった。道中、木々の間から見下ろした狭い谷あいは深く切れこんでおり、ヒバの天然林が谷を埋めるかのように黒々と広がっていた。明るさとともに温もりも吸いこんでしまったかのような感があった。日が落ちてしまえば山全体がこの闇にすっぽりとおおわれてしまう。リベスタたちの足は老人の家に向かって速まった。中腹の開けた場所にぽつりと一軒、木造の平屋が建っているのを見つけたのは、わずか5分前のことだ。 「部屋の中はそれでいいかもしれませんが……」 『贖いの仔羊』綿谷 光介(BNE003658)は、葉の落ちた木につくオレンジ色の実から目をはなすと、不安げに辺りを見渡した。小さく息をはき、寒さから身を守るように肩をすぼめる。やはり冬の日暮れは早い。空に明るさが残るうちに見つけだすぞ。完全に日が落ちてしまえば、千里眼は役にたたないから。超直観とあわせて素早く見つけ出さなくてはならない。 「あ、ついたわよ明かり」、と『炎髪灼眼』片霧 焔(BNE004174) 。戦いを前にして、こちらも隆明と同じく戦いに向けての準備運動に余念がない。リベスタとしてはかけ出しだが、闘争心と熱意ならここにいる誰にも負けないつもりよ、といわんばかりに赤い髪をゆらしている。そんな焔の背にほほえみを向けつつ、『ヴァルプルギスの魔女』桐生 千歳(BNE000090)はリップクリームを引いた。 「ずいぶんと空気が乾いているよね、ここ。これからますます寒くなりそう……鎌鼬ちゃんが来る前にちゃっちゃっと終わらせる?」 「賛成でございます」 『愛の一文字』一万吉・愛音(BNE003975)の声はふるえていた。かさかさと音を立てて地面を流れていく枯葉の音が耳に寒々しい。音といえば、とあわせた手に息をふきかけつつ、愛音は体を隣に向けた。つられたように仲間たちの目も一点に集中する。まるでけはいがないが、向けられた視線の束の先には『不視刀』大吟醸 鬼崩(BNE001865) の姿がちゃんとあった。 鬼崩は少し困ったように細い首をかしげた。何を期待されているのか問わずともわかる。だから聞かれる前にいった。 「生命体と思しき熱源は、小生らの かに老人様のご自宅にふたつだけで御座います」 「では鎌鼬はまだ近くにも来ていないんだな」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の予知はまだ生きている。全ての感情を仮面の下にかくして、『あるかも知れなかった可能性』エルヴィン・シュレディンガー(BNE003922)は、ただ一言だけ口にした。 「行こう」 作戦の開始が告げられた。 ●老人の家 玄関の引き戸を開け、隆明が上がりかまちに靴をはいたままの足を下ろしたとたん、老人の寝室からチンピラたちが居間に出てきた。魂を『強欲』に取り上げられているためか、その目はうつろだ。だらりとぶら下げた手にはナイフがにぎられている。 「あん? てめーら、誰にむかってガン飛ばしてんだ!?」 隆明はにじり寄ってきたチンピラ相手に凄味をきかせた。 「おちついて、藤倉さん。この人たちは正気ではありません。あのガラス玉のような目でにらむもなにも……」 すぐうしろから義衛郎が声をかける。隆明はふりかえりもせず、関係ねえよ、と応じた。 「こういうのは最初が肝心だ。俺らの業界じゃ、上下関係の見きわめは重要。タマに関わることだからな」 だから、どっちが上かきっちり示しておかねーと、とヤクザの用心棒は続けた。 「そういうものですか」 「ああ、そういうもんだ」 二人のかけあいにエルヴィンが割りこんだ。 「どうでもいい。義衛郎、隆明がチンピラの相手をしているあいだに『強欲』の前へ出るぞ」 「了解。焔さん、行きますよ?」 とつぜんの問いかけに、焔は固い顔でうなずいた。 「むちゃはしないでね」 千歳が焔に声をかける。 「焔様、ケガをしたらすぐにおさがりください。退路は確保しますから」 焔は両の頬を手でぴしゃりとうって、鬼崩の声に答えた。ふたりとも、ありがとう――。焔はエルヴィンと義衛郎の背を追いかけて走りだした。 ●玄関 時間がない。 光介はあせっていた。山が闇に飲みこまれ、鎌鼬がここへ来る前にD・ホールを見つけておきたかった。あせればあせるほど、うまく集中できない。室内から絶えることなく聞こえてくる怒号と争いの音もまた、光介のあせりを強めていた。あの音、誰かが傷ついたのではないか、と。 (落ちついて。みんなは大丈夫。集中、集中。自分の直感を信じるんだ) 深呼吸して雑念をはらうと、手渡された資料を頭の中でめくった。朽ちたほこら、滝、割れ岩、岬のがけの位置を確認する。順番にひとつずつ調べている時間はない。こうしている間にも光は失われつつある。光介は超直感にしたがって割れ岩をピックアップした。東に体ごと向けて、千里眼でD・ホールを探し始めた。 ●前庭 仲間たちが老人の家の中に突入して数分後。予定を変更して前庭で待機していた愛音は、とつぜん腕にちくりとしたものを感じた。量産型愛音のひとつに何かあったようだ。すぐに異変を伝えてきたのが山手側の窓前に配した影人だと気づく。切られていた。動けないほどではないが、何かするどいものを飛ばされて腕を切られたらしい。 「かまいたち殿にございますな。はや、おこしになられたか」 愛音は影人との五感共有のフルに生かし、鎌鼬の位置を探った。耳で木枯らしの音を聞いた。いや、ちがう。風が枯れ草を前庭のほうへ流す絵を最後に、量産型愛音のひとつが愛音とのつながりを断った。 ●居間 「エモノを捨てろや。ンなもの女を相手にちらつかせるじゃねーよ、みっともねー」 その女というのがリベスタで、普通の男ではまず勝ち目がないのだが、それをわざわざチンピラたちに教えてやる気は隆明になかった。言ったところでわからないだろう。説明するのも面倒くさい。とっととのされちまえ。最後にきつくにらみつけると、もうチンピラたちには興味を失って、居間へ目を移した。 千歳は背が高いほうのチンピラの死角に回りこむと、スタンガンを素早く取りだした。チンピラがふり向くより早く安全装置を解除し、スイッチを入れてわき腹に強くおしつける。チンピラが白目をむき、膝を崩したところでスタンガンを離した。 「おやすみー」 チンピラが落としたナイフを隆明たちのほうへ足でおしやった。千歳は男の脇に腕を入れると、のびた体を引きずって居間から出た。 後ろの『強欲』に指示されたか、それとも本能で危険を察したか。場に残されたチンピラがうなり声を上げて鬼崩におそいかかってきた。 「貴方もご退場願います」 鬼崩の足元からすっと影がのび上がった。ナイフが影をつく。チンピラの手首に手刀を入れてナイフを叩き落すと、鬼崩は体内で練っていた気を糸にして放った。チンピラは見えない糸にぎゅっと締めつけられて、ぐっ、とうめいた。あとはもう散らかった畳の上に転がすだけである。 「隆明様、じゃまになるよ でしたら下げますが?」 「ん、部屋のすみにでも転がしときゃいいよ」 気のない声で答えると、隆明は銃を構えた。 ●寝室 ぐるぐる巻きにしたフトン、もとい『強欲』が盾の代わりに構えているのは北欧製オイルヒーターである。へたに殴りつけるとこぶしが裂けてしまいかねないうえに、破損して中のオイルがもれ出すおそれがあった。オイルヒーターのほかには42型の液晶テレビやブルーレイレコーダーで武装している。このあたりのものは居間から盗ったのだろう。 「なんなの、こいつ。家電好き?」 忌々しげに焔がつぶやいた。さっきから何度も殴りかけてはオイルヒーターを向けられ、あわてて拳を引っ込めている。 「いや、ほかに換金できそうなものがなかったんだろう」 「ですね。さて、と。オレが気をそらせますからその間にオイルヒーターをどうにかしてください」 義衛郎は瞬時に『強欲』の側面に回りこんだ。42型の液晶テレビに手を伸ばした。顔を狙ってブルーレイレコーダーが飛んできた。義衛郎の残像が割れた。事前にスピードアップしていなければ当たっていたかもしれない。 「こっちも渡してもらおうか」 エルヴィンが『強欲』からオイルヒーターをはぎ取った。その期を逃さず焔が固めた拳を『強欲』にたたき込む。フトンが内側から膨れ上がり、布が裂ける音とともに白い羽がふき出した。 「ち、ちょっと!? なに、こ……っ!!」 「気を抜くな!」 エルヴィンの警告もむなしく、赤い髪に液晶テレビの角がたたきつけられた。『強欲』の追撃を、義衛郎の剣を持たぬ腕が複数の幻影となって阻む。その間にエルヴィンは倒れた焔を抱きかかえて寝室を出た。 「バカ野郎が!」 無防備に本体をさらした『強欲』を隆明が銃で撃ちぬく。一発、二発、三発。 「もうひとつオマケだ。もって逝けや、おら!」 『強欲』は金と生への未練もろとも四散した。 ●前庭の戦い 「無理やり命を引き伸ばしても、それはもはやあなたの友達ではないのでございまする!」 玄関の引き戸を背に、愛音は腕を左右に広げて鎌鼬の侵入を必死で阻止していた。呼び戻した影人は二対ともあっさり鎌鼬が起こした風に切られていた。 「人として死にたいという気持ち、人でいたいという気持ち。それを歪めるはエゴでございます。どうか考え直しを」 愛音のつま先のほんの少し前が、ばしりと音を立てた。えぐられた土が足にかかる。警告だろうか? そういえば鎌鼬はまだ愛音自身を攻撃していない。 左のくるぶしの近くを風が飛んでいった。後ろでタイルの砕ける音。今度は右のくるぶしの横を風が飛んでいった。それでも愛音は止めの構えを解かなかった。鎌鼬の赤い目がすっと細くなった。かちりと前脚の鎌が打ち重ねられる。 「愛を持って道を説き、愛を持って打倒せよ。この一万吉愛音、愛に殉ずる覚悟はできてございまする」 切られたなら即座に舌をかみ切る。この血がご老体の最後の願いを砕いてしまわぬように。そういうと愛音はきゅっと奥歯をかみしめた。暗がりの中で鎌鼬の白い体がすうと伸びあがる。鎌が振り上げられた。 ●説得 「ちょっと待ったー!」 愛音の後ろで乱暴に引き戸が開けられた。家から出てきたのは千歳である。 「ちょっと、待った」 千歳は愛音の肩に腕をまわして抱き寄せた。 「ちーちゃんの大事な仲間もおじーさんの気持ちも傷つけちゃだめ。彼があなたの理解者だったなら、今度はあなたが理解者になるべきでしょう!?」 鎌鼬が口を開いた。ケンと短く吼える。 「利いた風な口を、ですって? あら、いくらでも言わせてもらうわよ。それで最後に救いが得られるなら」 鬼崩が千歳の横に並んだ。 「千歳様は異界の言葉が解かるのです。どうぞ、気を荒 ずお聞き下さい」 「そうとも。キミが帰る世界への入り口は見つけたよ」 ふありと場が和む。マイナスイオンの放出を全開にして光介が出てきた。義衛郎と義衛郎の肩にすがった焔があとに続く。焔は光介の『天使の息』で回復したが、まだつらいようだ。 「あれ? 隆明さんとエルヴィンさんは?」 「シュレディンガーさんは物置を調べていますよ。藤倉さんはチンピラたちの見張り――」 鎌鼬がとげとげしく鳴いた。強い風が山から吹き降ろされた。 「あー、ごめんごめん。話し合いの最中だったわよね。ちーちゃん、がんばって通訳するね。じゃ、順番に」 はい、と千歳は鬼崩に手で促した。 「元の世界に戻れるとして尚此処に留まるとすればその理由は如何に。理解者となる老人様のことでしょうか?」 『お前たちは何者だ。どうしてここに……なぜ、なにを知っている?』 「小生たちはリベスタ、この世のひずみを正すものです。神秘の力によって貴方様たちの未来を知り、悲劇の重なりを防ぐためにやって参りました」 「そう、私達はキミを元の場所……世界に送り届けるために、此処に来たの」と焔。 『悲劇? あの人とまた暮らす未来が悲劇だというか?』 「おじいさんはお前が大事だから、ここを離れるよう言ってるんだよ」 義衛郎の言葉に光介が深くうなずく。 「大切な人と別れたくない気持ち、解かります。でも……」 「血をすすれば元気にはなるだろうが、同時に人の心も失ってしまうよ。それはもうおじいさんじゃない。わかるね?」 「老人様はまだ人であるうちに死にたいと申されました。鼬様、老人様のお気持ち、どうかご理解ください」 『……いいだろう。ただし、条件がある』 鎌鼬が出した条件を聞いて、リベスタたちは呆然とした。 ●岬の洞窟 ここか。 いまにも崩れそうな狭い入り口をくぐりぬける。エルヴィンはほっと気をゆるませた。細い道から一歩足を踏み外せば、下は冷たい波が押しよせては返す岩礁帯。落ちれば死ぬ。暗視ゴーグルをつけているとはいえ、道のもろくなっているところまでは分からない。ここへくるまで一瞬たりとも気が抜けなかったのだ。まだ半分。いや、三分の一か。エルヴィンは気を引き締めた。仲間たちが待つD・ホールへたどり着くまで、もう緊張は解かないと決めた。 「誰だ?」 奥からしわがれた声が聞こえてきた。戻ってきたのか、という問いにかぶせるようにして名乗りを上げた。 「エルヴィン・シュレディンガーだ。オレが誰かなんてどうでもいい。じいさん、あんたもとんだ『強欲』だな。物置で見つけたよ、山の権利書と調査書。量、温度、水質、三拍子そろった源泉が見つかったんだってな。それで? 息子に渡すのが惜しくなったか」 老人の目が光った。みどり色した暗視ゴーグルの視界の中で、強い光を放つ二つの光点がふらつきながら立ち上がる。 「よせ。あんたにオレは倒せない。オレもいまはあんたを殺すつもりはない」 「そればよこせ。この山はわしたちのもんじゃないんずや。あの仔の……あの仔たちのもんだ!」 エルヴィンは、老人が振り降ろした鎌を半身をずらしてかわした。すれ違いざま、老人の手首をつかんでねじりあげた。開かせた手から鎌を取り上げる。 「ああ、あの仔と出会うのがもうわんつか早ければ、前金ば受け取らなかったのに」 温泉宿ができれば息子夫婦も孫と一緒にここへ越してくるだろう。期待とともに街に出て、テレビを買った。ブルーレイなんとかも買った。他にもいろいろ買った。いつまでたっても息子夫婦は戻ってこなかった。どうしたのか、と電話をかけると、温泉宿は人を雇って管理するといわれた。勝手に膨らませた期待を、息子の冷たい声がしぼませた。死のうと思った。受話器を落とすと裸足のまま家を出て、山へ登った。 「そこで鎌鼬とあったのか」 エルヴィンは肩を落とす老人にそっと手をかけた。 ●割れ岩 「お前にあえてほんまによかったんずや。楽しかった。……達者でな」 老人に頭をなでられ、鎌鼬は赤い目のはしから涙を一粒こぼした。 『一緒にいこう』 訳する千歳の声はもらい泣きにかすれている。 『一緒にいこうよ。お願いだ。あっちでまた一緒に暮らそう』 老人は無言で首を振った。なら自分もここで死ぬ。鎌鼬は老人の太ももに頭を乗せて泣いた。 光介は冷えて固い土のうえに膝をついた。波打つ白い毛をそっと指でなでる。 「大切な誰かと死に別れる無念さをどうすればいいのか……ボクにもまだわからなくて」 それでも、と言葉をつなぐ。 「生きてかなきゃならないんです。おじいさんのぶんも、一生懸命に」 「それこそが“愛”でございますよ、かまいたち殿」 「おまえが帰らなきゃ、じいさん悪いノーフェイスになって俺たちに殺されちまうぜ?」 鎌鼬が体を起こした。 『さようなら。……ありがとう。あなたのことは忘れない』 鎌鼬は風が巻き起こし、大岩の割れ目を跳び越して、D・ホールへ飛び込んでいった。すかさずエルヴィンがD・ホールを破壊した。 「やすら に」 鬼崩が老人のまぶたを降ろした。その指の先に白いものが落ちてきて、溶けた。 風の凪いだ夜空から、ひらりひらりと雪が降る。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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