● それは、非常に簡単な任務のはずであった。 新人リベリスタ達を連れての哨戒活動。万華鏡からの異常通達もない安全な物。 彼らと共に夜の公園を散歩も兼ねて巡り、広場で簡単な訓練を施し、帰路につく。 周りの警戒態勢も厳重なもので、いっぱしのリベリスタ達とも何人も公園内で行き違う。 既に年老いて前線を退いた自分でも十分な任務。 そのはずだった。なのに。帰り道の正門でその声は響いた。 「ところで御嬢さん、音の素晴らしさ、というのは何で決まると思いますか?」 「えっ……が、楽器?」 唐突にかけられた問い。 咄嗟に答える。気づけば神経質そうな初老の男が目の前に立っていた。 その背には、革醒者の証たる羽。その手には笛のような変わった楽器。 ダブルリードという二つのリードを重ね合わせた特徴的な形状の楽器を瞳に捉え、老女の背筋を悪寒が走る。 その男の姿に彼女は一切の覚えがなかった。この公園には、アークの人間以外は入れないはずなのに。 「待……待てっ、そいつは……」 その時、正門より声が響く。胸から大量の血を流しているリベリスタがその男を指さしている姿が瞳に映る。 「おや、まだ私の『音符』になっていませんでしたか」 呆ける暇など一瞬たりともない。 全てを聞かずとも状況を理解した女は、まだ呆然としたままの新人達の前で、アクセスファンタズムよりメイスと盾を呼び出し構える。 「何者っ!?」 「ノンノンノン、惜しいねぇ。楽器は大事だが、それ以上に大事なのは奏者と演目だよ、チミィ?」 先ほどの紳士然、とした口調から一転。厭味ったらしい口調で男はリベリスタ達へと視線を投げかける。まるで品定めをするかのような、いやらしい視線を。 「例えヴァイオリンでもギョロ目のクソガキが使えば音色はカスさ。オイラがチミ達にケイオス様仕込みの素晴らしい音楽の手解きをしてやろうじゃないか。この、ファゴットのゼベディ様が、さ」 「『楽団』……っ!」 周囲のリベリスタ達が、男へと殺到する。その数、実に5人。 「お前達は下がってな!」 その内の一人が声を荒げて指示を出せば、その場に居合わせた実力不足の新人達は一歩下がって彼らの影へと隠れる。 「今宵の演目は狂奏曲。かつて『ここで起きた戦いで死んだ奴らの』怨霊を大音量で奏でようじゃないか。ねぇ」 だが、それを見てもファゴット奏者は余裕を崩す事なく手にした楽器を咥え、音を奏でる。 無数のキーを正確無比に操作して奏でられるのは極低音の大きな音。 それに呼応して現れる無数の透明な人影。怨嗟の声を漏らす怨霊達。彼らは特に殺しやすそうな新人リベリスタへと狙いを定め、その手を伸ばそうとする。 「イダイイダイイダイイダイイダイシネェェ!」 「教え子に手を出すなっ!」 その前に立ちはだかるのは、年老いた騎士。老女はその手にした盾で後輩達を守るべく構える。 「無駄な抵抗なのをわかってないねぇ、チミィ。オイラの『ダブルスタンダード』の前では壁なんて……」 襲い掛かる無数の怨霊、その前に立ちはだかり、女は一人で戦線を維持する。 数の上で勝っているのに怨霊達は、まるで檻に囚われたかのように動けない。 彼女の脇を通り抜け、震えるだけの新人リベリスタへと襲い掛かればその体を簡単に骸へと変えられそうだというのに。 「いいねぇ。これだから面白い。その音符(くび)を五線の上に並べると……さぞかし楽しいだろうねぇ、チミィ?」 男はその光景を見て、そのいやらしい笑みをさらに深くし……直後、駆け寄ってきたリベリスタ達の攻撃全てを、紙一重で回避する。 リベリスタ達とて、研鑽を積んでいないわけでは決してないのに。 驚愕に目を見開くリベリスタを一顧だにすることなく……奏者はファゴットを吹きならす。 ● 「もしもし、聞こえるな。お前が神奈川にいてくれて助かった」 深夜の唐突なコール。 それはアークの職員でもフォーチュナでもなく、『普段ならば一介のリベリスタにわざわざかけてくるはずのない男』からの電話。 受信した君の耳に飛び込んできたのは、普段なら見せることない感情を端々に滲ませた『戦略司令室長』時村沙織(nBNE000500)の言葉であった。 「今、三ッ池公園が『楽団』に襲われている。お前の場所はGPSで把握済みだ。すぐにバンがそこに到着するからそれに乗って向かってくれ」 その口調が有無を言わせぬ物で無くとも、その内容は異常事態であることをリベリスタ達に理解させるに十分なものであった。 様々な怪異の現れる可能性のある『特異点』たる三ッ池公園。そこには万華鏡による監視も十二分に行われているはずなのだ。 にも関わらず、事件の発覚が事件発生後になる事など、まずありえない。ありえるとするならば。 「噂の隠蔽魔術による小手調べか、それとも他のアーティファクトの力か、といった所だな。情報のキャッチが出遅れたのは手痛い。時が経てば経つほど強くなる奴らに、餌を与えたようなものだからな」 公園内は『閉じない穴』を守るべく、多数のリベリスタが監視にあたっている。それらを全て呑み込まれれば……敵の兵力は十分に整ってしまうであろう。 だが、哨戒活動を行っているリベリスタ達を圧倒する程の敵とは、一体どれほどの大軍なのか……そう考えを巡らせる君に、沙織は意外な言葉を投げかける。 「敵は五人。奴らは全員バラバラになって『たった一人でリベリスタの軍勢を制圧している』……全く、無茶苦茶だな。お前達に相手をしてもらいたい奴は、少なくとも外部からは死体を持ち込んですらいない。全部現地調達だ」 少数精鋭、なんて言葉じゃ足りない程の脅威。 まるでジョーカーのファイブカードだな、と沙織も苦笑する。 だが、それに対抗する手段はない訳じゃない。エースのファイブカードを10セット用意するまでだと計算高い男は瞳を細め、状況を的確に分析した物をリベリスタへと伝えていく。 「奴らの狙いはおそらく戦力増強。その手駒は公園内で今まで起きた事件で溜まっていたフィクサードの怨念、怨霊の類だ。奴らはそれを次々と実体化させ……それを使ってリベリスタを狩っている」 運命に愛されし者の死体は、それだけで他の死体よりも強い力を持つのであろうか、楽団のメンバー達はリベリスタを積極的に狩り、その死体を配下に引き入れているのだという。 「お前達に向かってもらうのは正門だ。ファゴット奏者、ゼベディ・ゲールングルフという奴がそこで暴れている。『学舎』というリベリスタグループが奴に抗戦を続けている……といっても、ただひたすら耐えているだけだが、そこへお前らは到着できるはずだ」 元々『学舎』は新人リベリスタを集めた訓練のためのグループ、その実力は非常に低いと沙織は告げる。 「そいつらだけなら、おそらく到着までに全滅していただろうが……『教諭』こと、田山玲子や哨戒に当たっていた腕の立つリベリスタ達が時間を引き延ばしてくれた」 クロスイージスとしての実力は当然ながら、自分より若い者を守るために『自分がいる限り周囲の敵を前にも後ろにも進ませずに自分に引き付ける』という非常に優れた技量を持つ老女、田山。彼女達の全力の献身がわずかにフィクサードの進行の手を遅らせた。 田山らを救うには、ほんのわずかに時間が足りない、と冷静に沙織は言う。だがそれでも、彼女達は生存者を残してくれたのだ。 「お前らは正門に到着し次第、『学舎』の連中を保護してくれ。その護ってくれた達の遺志を引き継いで……ついでに、死んだ奴らも安らかに眠れるようにしてやってくれれば最高だな」 だが、その救出も決して一筋縄ではいかないだろう。 外から攻めてきた『楽団』を、公園の内側で食い止める『学舎』達。そこにリベリスタが到着すれば、自然と『楽団』の怨霊達の側へと立つことになる。 正門の後方は最も混乱している丘の上の広場。他の道から回り込んでの合流は不可能。 多少無茶をしてでも『敵陣を突破』しなければ、『学舎』のリベリスタ達を救う事は叶うまい。 だが、護れなかった分だけその死体は敵に回るのだ。可能な限り多くを救わなければ、守れなかった分だけ自分達が追い詰められていく以上、それは必要なリスクと言えた。 「幸い、ゼベディという奴は攻撃を全て配下の死霊に任せ、自分では何もしていないようだ。一発殴りたくなるかもしれないが、あまりお勧めは出来ないな。無視して全力でその横を駆け抜けてやるといいさ」 死体が敵に回るという法則は当然全てのリベリスタに言える事。無駄に藪を突いて自ら敵戦力の仲間入りをしているような暇は無い。 くれぐれも、命だけは大事にしてくれと聡明な男は告げる。 「おそらく、敵は『これ以上戦力を増やせない』と判断したら逃げていくだろうな。お前らが『学舎』のメンバーを庇えるような位置に入って、敵の兵力をある程度減らせれば十分だろう」 その時は、深追いせずに逃がした方がいいと沙織は告げる。ネクロマンサー達の能力は、未だ未解明な点が多いからだ。 「現場に着くまでに可能な限り万華鏡での観測も行っておく。敵の能力も可能な限り判れば伝え……ん? イヴ、どうした」 電話の向こう、一瞬声が遠くなる。交わされる言葉は遠く、聞こえない。 しばしして、再び聞こえた沙織の声に含まれていた感情は。 「最低の凶報だ……おそらく、さっきの条件に加えて、もう一つを満たさないと敵は撤退しないだろう」 緊張と、怒り。 「周囲の敵を逃がさない能力を持つ『楽団』の手駒……田山玲子を撃破しない限り」 精密に操られ、生前の技を用いる屍の情報を、沙織は吐き捨てる。 死を最も上手く汚すもの、その片鱗が今……リベリスタに立ちはだかる。 ● ぐしゃり、と頭部がはじける。使い慣れたメイスを通じて感じる仲間の死。 「やめて、いやぁぁぁっ!?」 老婆は叫ぶ。燃えてぐずぐずに崩れてしまった頭部を歪ませ、既に破れてしまった肺を震わせ、その腹から腸を零しながら。 「いやぁ、どうだねチミィ? 自分の仲間を殺していくのは楽しくないかねぇ?」 生前の記憶を残したまま、生前の力を残したまま、傀儡と成り果てた女の姿にファゴット奏者はにたりと笑う。 そして再び、吹き鳴らされる音色。 玲子の身体は自分の意思ではなく、奏者の望むがままに動く。 光を纏った武器が振り下ろされる。愛する教え子へと。 だが、その瞬間、最後まで彼女と共に戦い続けてくれていたリベリスタの一人が教え子を庇う。 一撃で砕ける。骨が。首が。命が。 「あ……あぁ……」 逃げたくても、逃げられない。彼女の傍で『学舎』の者達は動けないままひたすら防御の姿勢で震え続ける。 「せめて、せめて貴方達だけでも逃げて……」 幸運にも傍に近寄らなかった回復手へと玲子は逃げる事を促す。だが、彼女たちは首を横に振り、傷を癒す歌を紡ぐ。 生前の技巧でも大きな差があった。死者となって彼女はより強くなった。 玲子の振り下ろす一撃を耐える術は『学舎』の者達には無い。それでも、歌わなければ……。 「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダアガガガァァァッ!」 リベリスタの死体と怨霊達に、まだ生きている仲間が食い殺されてしまう。だから、回復手達は逃げられない。 リベリスタとしての最後の矜持が、彼女らを戦場から逃がさない。 「さぁ、邪魔な奴らはこれで全滅だねぇ。あとは教え子だけ、どの子から殺したいかね、チミィ?」 フィクサードの言葉に、声以外、体の自由も命も全てを奪われた女は言葉にならない言葉を返すのみ。 (全く、苛立たしいねぇ、アホらしいねぇ、この無駄な自己犠牲精神! そのおかげで死体も怨霊も取り放題なんだから最高の演目さ! これじゃ、箱舟もあの頭がハトポッポ―ランドと一緒の結末になりそうだねぇ) 愉悦と妄想に歪む奏者の表情。 だが、その時、朦朧としていた意識を引き戻すかのような異音が響く。 それは車の泊まる音。そして、正門に現れた影の駆ける音。 (なるほど、真打ご到着、ってねぇ) そして、ファゴットの音色が変わる。 正門の方へと向けて、一部の死者達が歩みだす。新たな敵を食い止めるために。 (なるほど、五線。いやはや、気の利いた趣向だねぇ、チミィ) 公園の最も内側で、逃げたいけれども逃げない愚かな回復手達。 それより門に近い側では、馬鹿なリベリスタの死体が生前の意識を残したまま、教え子達を殺し続けている。 そして、中央に立ち、全く動かない自分自身。 正門の側へは死者達がリベリスタを迎え撃つべく陣を作っており。 (そして、新たな音符(リベリスタ)どもが、五つ目の線を形造る……か) 「さて、新たな音符君達は……オイラの五線譜の上でどんな音色を聞かせてくれるのかね、チミィ?」 熱病に浮かされたような表情で、男はファゴットから口を離し……満面の笑みを浮かべるのであった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:商館獣 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月10日(月)23:25 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●序曲開演 『特異点』三ッ池公園、あるいは惨劇の舞台に選ばれし地。 神奈川県、三ッ池公園。 かつて特異点となりて以来、その公園は幾度となく神秘に関わるモノに身を晒し続けてきた。 あるいは怪物。 あるいは異物。 あるいは人間。 それらの者達は、戦いの中でほぼ全てが散っていった。 無念、嫌悪、絶望、生への執着。強い思いを残して。 そして、今。 正門の前、大きなバンが急ブレーキと共に停車する。 それと同時にその左右の扉が開き、リベリスタ達が駆けだしてゆく。 はるか先に見える光景は、文字通りの阿鼻叫喚。 嘆きながら教え子へと襲い掛かろうとしている『教諭』の姿が映る。 急がねば間に合わない、とは分かっている。それでもその体は震える。 何故ならば、彼らが今から討つのはこの混沌を生み出した奏者ではなく。 かつて、会話を交わしたこともある『仲間』なのだから。 「そうか、これが……」 リベリスタの持たねばならぬ覚悟、か。 幼き『ジーニアス』神葬陸駆(BNE004022)、リベリスタの先鋒として最も前を行く少年。 その瞳が、普段は自信に満ち溢れるその瞳が、揺れる。 「新田快、教諭を安らかに眠らせるのに迷いはあるか?」 隣を駆ける『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)にそう問えば、青年は即答する。 「安らかに眠らせるために、戦うんだ」 田山へ武器を振り下ろす事よりも、田山が武器を振り下ろす事の方が辛い。それが、クロスイージスたる彼の心。 それに『蛇巫の血統』三輪大和(BNE002273)と『生還者』酒呑雷慈慟(BNE002371)は真摯な表情で頷きを返す。 「これ以上、あの方達の死を弄ばせてなるものですか。全力で行きましょう」 「一刻も早い安寧を、教諭は望まれるであろう」 それに合わせて表情を引き締める陸駆。されど、その足は未だ震え、駆ける中で今にも転びそうで。 「気持ちはわかるけどよ、最初で最後の恩返しだと思って頑張ろうじゃねえか、な?」 それに気づき、『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)は肩を叩く。人の好さをうかがわせるような笑顔でそう少年に声をかけ、彼は前を見据える。 「それに、躊躇すれば学舎が死んじまう。あんな可愛い子らを死なせるわけにゃ、行かねえんだよ」 敵陣の向こうに立つ回復手の女性達を見つめて口笛一つ吹くエルヴィン、それは本心か、それとも少年の心をほぐす為の冗談か。 「うむ。先生の生徒は、俺達が守る」 その為に自分はここにいるんだ、と『紅蓮の意思』焔優希(BNE002561)は宣言する。 ライバルの力強い言葉に、『食堂の看板娘』衛守凪沙(BNE001545)も頷きを返す。この公園の中、遠く離れた場所で彼女の尊敬するあの人も戦っている。ならば彼女にできるのは、あの人と同じように多くの人を笑顔にできるよう、全力を尽くす。それだけだ。 「さぁさ、舞台はもうそこ。皆、踊る準備はいい?」 ぐるぐさんの準備はもう、完っ璧! と言いながら、その手の中で二つの得物をくるくると回す『Trompe-l'Sil』歪ぐるぐ(BNE000001)、その言葉に肯定を返すのは『折れぬ剣《デュランダル》』楠神 風斗(BNE001434)である。 「あぁ、この舞台なら一度踏んでいるからな。負けやしない」 その時、確かに奏者の瞳が彼の瞳を捉えた。 死者達の作り出す壁、その後ろに立つ男の瞳がリベリスタ達を舐めまわす。 (……負けるもんか) その興味と喜びに満ちた瞳を、『red fang』レン・カークランド(BNE002194)はキッと睨み返す。両手の魔術書を握る手に、自然と力がこもる。 「さて、新たな音符君達は……オイラの五線譜の上でどんな音色を聞かせてくれるのかね、チミィ?」 熱病に浮かされたような表情で、男はファゴットから口を離し……満面の笑みを浮かべる。 その刹那。 「アァァァッ!」 レイピアを手にしたアンデッドが一体、目の前に立ちはだかる壁の中から、飛び出した。 砕けた頭蓋から、速度に耐え切れずに零れ落ちる脳の欠片。 生前の彼に見覚えのあった大和は唇の端を歪める。零れるそれは、まるで『彼』の記憶と感情が失われていく様を目の前で見せつけられているかのようであった。 「行くぞ!」 それに呼応するかのように、リベリスタ達がさらに速度を上げる。 かくして、戦いは幕を開ける。 放たれるアンデッドの斬撃。先頭を行く快は手にした刃でその攻撃をいなそうとして……。 「くっ……!?」 間に合わず、まともにその突きを受ける。 「なん、だと……」 思わず、後ろを駆けるエルヴィンは声を漏らす。快の回避能力はリベリスタ上位陣の中でも十分に高い方だ。おまけに彼は雷慈慟の指示を受けていたにも関わらず……彼は攻撃をまともにもらっていた。ただの通常攻撃で。 「行くぞ、快!」 「あぁ……今から助ける、諦めるな!」 「えっ……救、援?」 快は叫ぶ、敵陣よりも先にいる生存者達へと。その言葉に、初めて『学舎』のリベリスタ達は駆けつけた仲間の存在に気づき、その目に生気が蘇る。 そして、それは助ける事かなわなかった者への挑発ともなる。同時に陸駆は閃光弾を投げつける。 「……」 快の後方で声を失う風斗。二人は……前方の壁を形作る敵の内、六体しか足止めを出来なかった。 その技量は、決して低くはないはずなのに。 彼の脳裏をよぎるのは、一年ほど前のこの場所での戦い。 侮っていたエリューションビースト達に呑み込まれるようにして倒れた記憶。 (これじゃ、あの時と同じじゃないか……っ!) 目の前の敵を全滅させ、その上で奥にいる『学舎』を助けようと考えた事もある風斗。彼は想定誤りに早々に気が付かされる。 以前に戦った寡黙なる奏者の従えていた死体とは明らかに一線を画す基礎能力。 運命の力を得ていた者の死体の力、というものを、わずか数秒で彼は気付かされる。 「想定外の強さだが……負けるかっ!」 それでも、快と陸駆、二人を残してリベリスタ達は奥にいる『学舎』の元へと駆ける。 「いや……」 リベリスタの動きを止めようとする骨の覗く腕で矢をつがえる死体の前へ、橙色の髪の男は一歩大きく踏み出す。 「想定内だ」 風斗の言葉を否定するかのようにそう宣言しながら、かつての仲間へ向けて雷慈慟は手をかざす。 ●第一小節 『指揮官』酒呑雷慈慟、あるいは過去にその光景を見た者。 その戦場の光景は、彼にとってこの上なき程に心を抉る物であった。 一つは三ッ池公園、その場所。 そこで、彼は敗北を喫した。影を失くした子犬達に。 (不吉な失敗、か) 子犬達の持っていた『不運』の記憶、それと目の前の光景は雷慈慟のもう一つの心の傷を抉る。 かつての彼の失態。『不運』にも仲間を大勢失った大敗の記憶。 (仲間を仲間が傷つける……まさにあの時と同じだな) 混乱が混乱を呼び、仲間が仲間を殺して、彼は栄光と部隊と友を喪った。アークに所属する前の彼の記憶。 その光景に、死者がかつての仲間を殺そうとしている光景は重なって映る。 (あぁ……そうだ。これは自分の『失敗』の光景か) 忘れられるわけのない、最悪のシナリオ。 (なら、自分のなす事は一つだけだ) あの時の無念、血を吐くような悲劇の重みを彼は忘れない。 だからこそ、彼は願う。かつての失敗を、悲劇を、不運を、ここで繰り返させてなるものかと。 不運、失敗、衰退。それらは全て太陽のタロットの逆位置の暗示。 ならば、『太陽の座』たる自分は今こそ、正位置の意味たる成功を掴んで見せる。 全てを想定し、『仕方なき不運』を最小限に留めるために。 「想定内だ」 指揮官は猛る。 全ては一瞬。 決意までに至る思考の本流は死したリベリスタ達の身体を吹き飛ばす。 「今だ!」 「あぁ、行くぞっ!」 その生み出した間隙をぬって、優希が、ぐるぐが、凪沙が、駆ける。 その前方に立つのは、奏者ゼベディ。 彼は一歩たりとも動く事はない。ただ、その手にした無数のキーのついた楽器を吹き続けるのみ。 「よう、後輩達。いい覚悟と根性じゃねぇか!」 同様に、リベリスタ達も彼の事を気に留めない。 彼らが見つめるのは、『楽団員』の先にいる、生存者のいる戦場のみ。 「あと少し……あと少しだけ耐えてくれ!」 「来ないで。貴方達まで殺したくない……っ」 心を落ち着かせるようなエルヴィンの声。だが、それに重なる老婆の声は悲鳴に近かった。 振り上げられる田山のメイス。リベリスタ達の手はまだ届かない。 「私達は死んだりなんかしない。田山先生、今あなたと、生徒さん達を救ってみせる……だから、耐え」 それでも、凪沙は声をあげる。自分達の思いを伝えるために。 だが、その声は止まる。死を目の当たりにして。 「や……いや、やめてぇぇぇっ!」 わずか、一撃。それだけで防御の構えを取っていた青年の背骨がまるでウェハースのように簡単にパキリと折れる。 苦痛に表情が歪む暇すらない。歪むのは武器を振るう老女の心。 彼ら『学舎』のメンバーに……装備も十分に整えていない駆け出しのリベリスタに、その一撃を非常に効果的な打撃にさせない程度の技量もなければ、例え効果的でない打撃に抑え込んだとしても耐えきる体力もない。 故に必然。僅か一撃でその命はついえる。 それだけではない。 周囲に溢れる無数の亡霊たちも、次々に力不足な革醒者たちへと襲い掛かる。 数秒前に殺された青年も、異様な角度の背骨を正すことなく、刃を持って仲間へと切りかかる。 一撃でへし折れるナイトクリークの腕。脇腹を凍らされて呻く覇界闘士。 焔に焼かれるクリミナススタアの少年の命は、数十秒と持つまい。 後衛の癒し手達が回復の歌を奏でるも、まるで間に合わない。 それどころかゴーストの一体は、その癒し手へと突撃し腕を振るう。 自分勝手な線引きたる破界器の力によって、その動きを誰も邪魔することは出来ない。 「うぁっ……」 体力に劣る癒し手の少女の身体がぐらりと揺れる。だが、それでも少女は仲間を助けるために歌を紡ぐ。自分の傷を癒さずに。 リベリスタからわずか20メートル弱先の戦場。 そこへ至るには、あと10秒は確実にかかるであろう。 それが意味するところは……最低でももう一人。『学舎』のリベリスタの死は不可避であるという事。 「せめてゴーストの攻撃は分散させよ! 一人でも多く生き残るのだ!」 それでも。それでも、諦めるわけにはいかぬのだ。 雷慈慟は『学舎』の者達へ指示を飛ばし、全力でリベリスタは五線の上を駆け抜ける。 一人でも多く守るために。 (先生に恥じぬ戦いをしてみせる……その上で、必ずいつか) そして、リベリスタ達はすれ違う。戦場の中央で悠然と立つ男と。 優希の瞳が、そのいつか倒すべき外道の姿を映す。 ゼベディの呆けたかのようにトロンとした瞳もまた、怒りに燃える青年の姿を映す。 男は唇をその愛用の楽器から離し、言葉を紡いだ。 「ようこそ、オイラのソロパートへ。楽しませてくれよ、チミィ?」 そこに含まれていたのは、歓喜。自ら袋小路へと飛び込むリベリスタへ、彼は確実に喜びを示す。 神経を逆なでする声色。それを拒否するかのように風斗は、レンはその横を駆け抜ける。 彼らは瞳を合わせる事なんてできない。すれば、その怒りを爆発させてしまいそうだから。 一つとして『音』を発さぬまま彼らはその隣を駆け抜ける。 肩をすくめる奏者。 だが、駆け抜けていったリベリスタの一人が足を止める。 急制動。黒きポニーテールが揺れる。その様は後ろから見つめるゼベディにはまるで四分音符のように映った。 符幹が逆になるほどに高く、美しい音色。その音色の名は決意。 「これ以上、その方達の死を弄ばせるなんてさせません」 大和は全力で駆けるのではなく、留まる事を選ぶ。そしてその手にした守り刀を空へとかざした。 ●第二小節 『生き残り』三輪大和、あるいは守ってくれた人を知る者。 彼女は、言うなれば過去の『学舎』と言っても過言ではない少女である。 ナイトメアダウン。 かつて、日本のリベリスタ達を限界まで追い込んだ悪夢の中で、彼女は失った。 親族を。仲間を。同じ蛇神に仕える人達を。 13年前。その記憶は物心つくのと同じか、それよりも早いほどと言ってもいい。 それでも彼女は知っている。聞いている。その中で散っていった者達の思いを。 日本を守るために、まだ幼き自分を守るために、全力を尽くしたのだ。彼らは。 そして……今、彼女の後ろで快と陸駆が切り結ぶアンデッドも、目の前で嘆きの声を上げる田山も同じ。 三ッ池公園を、『学舎』を守るために散っていった人々。 それが古き記憶の中の誰かと重ね合わさって彼女には見える。 だから。 「これ以上、その方達の死を弄ばせるなんてさせません」 許せなかった。『死を最も上手く汚す者』の軍勢の所業が。 その尊厳を踏みにじる楽団員の行いが。 ゆえに、少女は刃をかざす。 距離を考えれば奏者の隣でも十分に放てたその技を、あえて彼に背を向けて。 公園の街灯だけが照らしていた暗き戦場を赤が包み込む。 かつて大きな戦いが起きた時と同じ、赤い光が空より降り注ぐ。 それは、不吉を生み出す闇夜の戦士の秘術。空に浮かぶは紅き月。 刹那、放たれた呪いの波動は戦場の幽鬼どもへと襲い掛かる。 「どうか、それ以上その手を汚さないで……」 かの『教諭』には効かぬものの、それは致命的な隙を作り易くする呪い。 数が脅威のこの戦場にて、その術は相手の手数を減らす一助となり……間接的に、死者がその手を汚す可能性を僅かに下げる。 「最悪に胸糞悪い状況でこそ……冷静に」 そして、着実に。大和と違い、ゼベディよりも手前で立ち止まるのは雷慈慟、そして癒しの風を巻き起こすエルヴィン。 巻き起こる風は一瞬にして『学舎』の者達の傷を全て癒し切る。 「俺達の癒しで戦線を支えるぞ! お前らも死ぬな!」 相手を落ち着かせる力を含んだエルヴィンの言葉に、確かに頷く未熟な回復手達。 今すぐにでも駆けだして守りに行きたい衝動を、彼は堪える。 そうしなければ、彼らの後ろで幽鬼を引き付ける快達の命が危うくなるのだから。 「イダイグルジイジネジネェェェッ!」 亡霊の放つ一撃は高めた防御力を全て無視して快の体を傷つける。 「……っ! 諦めるかよ、その程度で!」 快も陸駆も十分な実力者。されど、大半が動きを封じられているとはいえ、四倍の数の敵を前に、その背を冷や汗が伝う。 「……ア」 その時、ゴースト達がくるり、と快達に背を向ける。 その視線の先では。 「さぁさ、玉座を気取るのはもう終わり。奏者も私も亡霊も、皆舞台で踊りましょう」 天使が舞っていた。 僅かに宙に浮きあがり、手にした刃をゼベディの目の前に現れた亡霊へと向けるぐるぐ。 手にした刃を振り下ろす。それは斬撃ではなく、柄を用いた打撃。僅かに沈む亡霊の頭を真横から銃弾が貫き、刹那、ぶれたその体へ蹴りが叩き込まれる。鮮やかな連撃。 その動きに、『学舎』の周りに固まっていたゴースト達も反応を示す。 「さぁ、お化けの舞踏会の始まりだ、ゴースト界のアイドルのおなーりー」 朗々と謳い上げる彼女の言葉に、亡霊達は動き出す。 ぐるぐへと向かうゴーストとすれ違うようにして、凪沙はついに『学舎』の耐える戦いの場へとたどり着く。 「田山先生……っ」 全力で駆けた二十秒。わずかに荒れる息。それでも彼女は声を出し、学舎達と彼女の間に割って入る。 至近距離で見たその姿は、生前のそれとはもはや別物であった。 曲がっていた背は、不自然な曲線を描いてまっすぐになっていた。 堅牢なはずの鎧は、腹部の鉄板が大きく穿たれ、そこからは見えてはいけない『中身』が覗く。 その体から発せられるのは圧倒的なプレッシャー。逃げられない、そんな感情が渦を巻く。 「止めてみせる……そのために、ここに来たんだ!」 それでも、両手を広げ、レンと風斗もまた無理矢理にその体を教諭の前へと躍らせる。 上部にあったはずの柔和な顔は、半ば肉塊に近い。鬱血し変形した唇。無事だった片側の瞳からはとめどなく零れるのは。 涙。 「レン……衛守さん……お願い、私を」 だが、その時響き渡るのは木管の低き音色。その音に合わせるかのように老女の身体が跳ねる。 「私を、殺して……」 走りながら無理矢理に飛び出した者達を無視し、その槌は『学舎』の一人へと振り下ろされる。 狙われた覇界闘士の青年の頭が、爆ぜる。エルヴィンの癒しを受けて傷など一つも負っていなかったのに。 「外道が……っ」 間に合わないことはわかっていた。それでも、優希は表情を歪める。 殴りつけたい敵はこの場にはいない。闇雲に拳を振り回したくなるような衝動が心を襲う。 だが、目の前にいる『教諭』がその心を引き留める。 かつて、怒りに任せて突撃する事しか知らなかった彼に防御を教えてくれた彼女の存在が。 「先生、俺達が来たからには、もう殺させません。皆、必ず生き延びて先生の遺志を継げ!」 ここで拳を振るう意味はない。だから、彼は冷静を装ってそう叫ぶ。 かつての導き手の最期に恥じぬ戦いをするために。心の中の焔に蓋をして。 「あぁ……先生、今までの恩を返しますっ!」 「無茶はやめて……って言っても、聞かないわよね、貴方達は」 飛び出す風斗。その手に握られた刃が赤き輝きを放つ。彼は全力で刃を横薙ぎに振るう。 教諭の声にわずかに浮かぶのは、安堵。或いは教え子の中でもトップクラスに自制の利かなかった彼らの成長を見ての喜びか。 全力の一撃。風斗の刃が教諭の身体を捉える、その瞬間。 「ひっ……」 その声は、言うなれば悲鳴であった。教諭として生き、常に朗々としていた年老いた女の。 風斗の初めて聞く、漏れ出た恐怖の感情。覚悟を決めた者ならば漏らすはずのない声。 それを聞き、生まれた逡巡。刃が真芯からわずかにずれる、赤い紋様が剣から消える。 「えっ」 それでも、田山の身体は吹き飛ぶ。大和達のいる方向へと。 その瞬間、その場に人々を縛りつけていたプレッシャーが、消える。 『皆、回復手の人の元へ下がって……助けてあげて。他は、私達が引き受ける!』 既に、その場にいる敵は田山の殺した二人の『学舎』の死体のみ。 ゆえに、テレパスを通じて『学舎』の者達へと凪沙はそう告げる。回復手の元へ襲い掛かっているゴーストを倒す事だけに専念しろ、と。 一体だけならば、彼らでも相手をできる可能性は十分に残っているから。 「大丈夫、先生は……オレ達がちゃんと、止めてみせる」 紅き月が再び夜の帳に浮かび上がる。レンの生み出した魔力はぐるぐへと群がるゴースト達を初め、多くの敵へと不運を振りまいてゆく。 「良かったら採点してね……今から先生に叩き込むから」 その赤き月明かりの下、凪沙は構える。 服の下に着こんだ試作品が体内の気の流れを変えてゆく。それは、ただ駆けるための気の流れから、戦うための気の流れへ。 「学んだ事を全て」 そして少女は力強く踏み出す。その構えた拳で死者を撃ちぬくために ●第三小節 『誇り高き拳士』衛守凪沙、あるいはただ幸せを求める者。 もし自分が楽団に率いられる死者になった時、何を望むか。 そう問われれば、彼女はこう返すであろう。 「殺してほしい」 と。 かつてノーフェイスとの戦いの中で、己が己で無くなった時、どう考えるかと思いを巡らせた少女。 その少女が出した結論は、苦悩にまみれつつも戦士としての誇りを内に秘めた物であった。 生きる事に執着する気持ちが無いわけではない。生きるのは楽しい。 食事をするのは大好きだし、自分の作ったそれで皆が喜んでいる姿を見るのも好きだ。 彼女には、いつか再び味わいたい味があった。でも、探すだけならば食べ続けるだけでも良かったはずだ。 それでも、彼女は自らの手で『再現』するための道を選んだ。 その理由は或いは、自分だけでなく、皆とも幸せを共有できるからだったのかもしれない。 彼女は断言できる。かつて自分に声をかけてくれた目の前の老婆の願いを。 周りのみんなと一緒に幸せになる為に生きていたい。 でも、周りのみんなを不幸にするだけの存在に自分がなったら。 「今から先生に叩きこむから、学んだ事を全て」 ならば、きっと彼女は願うだろう。その不幸の連鎖を止める事を。 そう、思っていた。 吹き飛ばされた老婆へ近づき、凪沙は拳を放つ。 老婆の顔に浮かんだのは……恐怖。あるいは生への執着。 「……っ!」 生まれた躊躇は、その威力を減衰する。 「なんで……」 思わず問う凪沙。されど、老婆が答えるよりも早く、疾く。 「ここで、止める!」 白き蛇を思わせる美しき糸が闇夜の黒を引き裂く。老婆の身体は大和の糸によって絡め捕られる。 その中で、ボキリ、と死者の指が折れる音が響いた。 そして、戦線は膠着する。 一体のみのゴーストを相手取り、『学舎』のリベリスタ達は、最も正門から遠き場所で戦い続ける。 そこから僅かに離れた場所で優希は拳を振るう。犠牲者達を眠らせるために。レンと共に、二人はその攻撃を受け止める。 だが、倒せない。レンの術と優希の拳によって、あばらを砕かれ、腕を折られ、足を潰してなお。その死体は猛威を振るう。 レンの魔術に巻き込まれるのは目の前の死者だけではない。中央にて大和が動きを止めた田山と、ぐるぐが集められるだけ集めたゴーストの群れを蹂躙する。 そして、その反対側で『学舎』達を庇って散ったリベリスタを相手に、快達は防戦に徹し耐え続ける。 戦場は分散し……ギリギリの均衡を保ち続ける。 「痛っ……天才は泣かないぞ。教諭と共に最後まで戦ったお前達の矜持を守ってやる」 至近距離より放たれた矢は陸駆の腕を貫く。痛みに目を細めながらも、少年はその手にした閃光弾を快へと投擲する。 「天才的な手法で」 そして、煌めきが全てを呑み込む。その中でも閃光への耐性を有する快は防御姿勢を取る。 彼ら正門側防衛部隊は敵を食い止める事のみに専念する。不可視の刃を放つ暇は無い。 ぐるぐがゴースト達を食い止めたことが幸いし、それならばなんとか耐えきれなくもない。 だが。 その時、戦場に光が溢れる。その光に包まれて体の止まっていた死体達の動きが再び蘇る。 振るわれる腕を間一髪で回避する陸駆と快。 その光は、田山の放った破邪の光。 「……」 恩師の身体を弄び、その手を汚させる奏者への怒りから、快は唇を噛みしめる。 「おやおや、トップアイドルにしては踊りがなってないのじゃないかね、チミィ?」 ぼんやりとした表情でぐるぐに告げる奏者。その言葉に、ゴーストを引き寄せた女は肩をすくめて返す。 「流行らない曲を聞きながらじゃ、上手く踊るのも難しいと思わない? チミィ~」 口真似をしつつも鋭く投げ返す言葉。されど、その体はふらつく。 ぐるぐは既に飛ぶことを諦めて大地に足をつけ、ひたすら攻撃に耐え続ける。 「あぁ、そうだな。こんなふざけた曲、いらねえよ!」 それを支えるのは、わずかに離れた場所に立つエルヴィンと雷慈慟。聖なる存在の紡ぐ歌が戦場の仲間達を大きく癒し、放たれた気の糸はぐるぐの周囲の亡霊を一つ一つ、はぎ取っていく。 「フィクサードの怨念よ、此方で戦おうぞ!」 自然と分散する攻撃、減らぬどころか増えていく亡霊の数。雷慈慟の心に僅かな焦りが生まれる。 だが、それは一番のネックである田山さえ倒すことが出来れば変わる……はずなのだ。 その時、ゼベディの表情が僅かに引き締まる。その瞳が捉えるのは刃を間一髪で避けた田山。 「そろそろ頃合い、そう思わないかね?」 そして彼は再び楽器へと手を伸ばす。 「やめてくれよ……田山先生。なんでそんな、情けない顔をするんだよ!」 血を吐くような、風斗の言葉。辛そうな凪沙の表情。 幾度その刃と拳は空を切ったであろうか。 覚悟は出来ていた、つもりだった。最後に恩を返すために。 朗々とした意識を残していたならば、彼はその全力を持って刃を振り下ろせていただろう。 だが、目の前にいるそのかつての教諭の表情は……彼らが初めて見る、死を恐れるものであった。 「……ごめん……なさいっ」 死者の口から零れたのは、謝罪。悲しみと情けなさがない交ぜになった感情。 その言葉が、その手を躊躇させる。かつて自分とかかわった者を殺す心苦しさが。 それでも、ここで手を緩めるわけにはいかないのだ。 大和がその動きを止めたため、そしてエルヴィンの回復が功を奏し、異常なほどに強烈な田山の攻撃とゴーストの妨害を受けてなお、被害を風斗が一度倒れるのみに抑えていた。 運が良ければ……いや、悪くとも、運命の力を使えばこのまま押し切れるかもしれない。 だが。状況は、動き出す。 「待って!」 腕に巻きつく糸。それを盾を持つ左腕を切り捨てる事で振りほどき、死者は走り去る。正門の方へと向けて。 そこに居るのは……回復手たる男と、指揮官。リベリスタ達の戦術の要たる二人。 リベリスタ達に緊張が走る。それと同時に、走り寄る死者の顔にも絶望が浮かぶ。 特に回復手たるエルヴィンを倒されれば、リベリスタは総崩れとなりうる。だが。 「先生……大丈夫です。俺は先生に教えてもらったんですから」 一切動揺することなく、男は手にした盾を構える。透明な盾を通して田山の動きを確認し、全反射神経を集中させる。 回復手としては異常といっていいほどに護り手としても長けたエルヴィンの技巧。 それを思い出したのか、死者はその片目を細める。 「そうね、貴方はそうだった。癒し手なのに、護るための訓練を望んで、どちらも頑張って……」 エルヴィンの脳裏によみがえるのは、かつての記憶。アークに来たころに、妹と共に数々の事を学んだ日々。 「そんな貴方を私は……」 その成果を見せるために彼は攻撃を受け止めようとして。 「大嫌いだったわ」 できなかった。生まれたのは致命的な隙。 底冷えのするような低い声。だけど、それは確かに過去に全てを教えてくれた人の声で。 「エルヴィーン……っ!」 雷慈慟の声が遠く聞こえる。視界が赤く、染まる。 ●第四小節 『好漢』エルヴィン・ガーネット、あるいは軟派な半端者。 癒し手、それを抽象的な一言で言えば『祈る者』である。 大いなる存在の手を借りて、仲間の無事を祈る者。 だが、例えその傷を全て癒しても、助けられない者もいる。 例えば、さっき死んだ『学舎』のリベリスタのように。あるいは耐えるすべのない一般人のように。 それが、彼には耐えられなかった。 あるいはそれは単に憧れからだったのかもしれない。自分を育ててくれたあの人への。 あるいはそれは単に見栄だったのかもしれない。妹の前で守る者たる兄であろうとしての。 あるいはそれは単に……前線で戦うのってモテそうじゃないかと心の隅で思ったからかもしれない。 それでも。 それでも、彼は選んだのだ。祈るだけではなく、自らの手で助けるための戦い方を。 半端で、どっちつかずで、挫けそうになる茨の道を。 それを告げた時、あの人は苦笑しながらも。手を差し出してくれたのだ。なのに。 ガクガクと震える膝。運命の力でなんとか耐えたエルヴィンの眉と白髪は血の色に赤く染まっていた。 「なんで……」 視界がにじむ。血が流れおちて眼球の白に赤が混じる。その中でも、血よりも赤いその瞳は目の前に立つ恩師を正確に捉えていた。 「あの二人を殺した時に気づいたのよ……怖い。私は、まだ、生きていたい」 死した女はそう独白する。 「今まで教える人として、正しい道をずっと生きてきた……でも、もう終わり。私は、最期だけは自分のわがままを貫き通す。本当は嫌いだった人に嫌いと言って、死んでしまえと思った人を全員道連れにして!」 誰もが、呑まれるような叫び。 再び振り下ろされる教諭のメイス。それを庇って受け止めるのは雷慈慟。 「……大恩がある教諭にこのような事は言いたくない、がそれは間違っている!」 吠える。叫びを掻き消すように。 だが、足りない。戦場の端、『学舎』の者達はその叫びに固まっている。 風斗の構える剣と鎧からは気力に応じて輝く赤い紋様が完全に消えうせる。彼は固まったまま動けない。 「嘘だろ、そんなの」 大好きだった。祖母の手を思い出させるその皺くちゃだがしっかりとした手が。 レンの視線の先、その老婆にはもはや手は一つしかない。放とうとした魔術は形を成さず、霧散して消える。 リベリスタ達の手が、止まる。 継げ、と叫んだ先生の遺志とはなんだったのか。優希は唇を噛む。 かつて、クロスイージスのあり方を彼女に聞いた快もまた、動けない。 だが、その間も死霊たちの手は止まることなく。 全てが呑み込まれるかと思われた刹那。 「俺は。今の言葉を、絶対に信じない」 エルヴィンは叫んだ。 「そうじゃなきゃ……誰かを守って死んでいくなんて、できやしねぇっ!」 癒しの烈風が男を中心に渦を巻く。 「その通りだ、エルヴィン」 その風に合わせるかのように、拍手が響いた。 「……これで満足か、ゼベディ」 眼鏡の奥から覗くのは、普段は決して怒りを見せる事のなかった金色の瞳。 「僕のような天才の前で……」 拍手をした少年は彼を取り囲む死者達の攻撃を間一髪で避け、射抜くような瞳で奏者を睨む。 「つまらない小細工で、大事な人を汚すな! 腹話術師が!」 先ほどまでのどこかぼうっとした様子を微塵も見せることなく、奏者はその瞳を見返し、そして。 ●第五小節 『ただの天才』神葬陸駆、あるいは死者のカケラを継ぐ者。 「リベリスタには、覚えておかなければいけない『覚悟』があるの」 大好きな祖母の家、そこで陸駆は幾度となく祖母の友人である田山から話を聞いた事がある。 その中で最も記憶に残っている話は、それであった。 「……」 答えられなかった。 秋の始まり、自分より年上の撮影好きな少女を護り切れなかった少年は、ただ縋るようにその瞳を見上げたのを覚えている。 「そうね、それじゃ話しましょう。リベリスタとして大事な『殺す覚悟』と『殺される覚悟』を持っていた女の子の話を」 貴方が目覚める前に『消えた』、生き急ぎ過ぎた少女の話を。 そう、あの話の中で教諭は確かに言ったのだ。 リベリスタは様々な覚悟を持たねばならぬ事を。 そんな教諭がその覚悟を持たぬわけが……無い。 「ハッハッハッハッハ、いつから気づいたんだい、チミィ?」 そして、奏者は爆笑していた。玩具を見つけた子供のように瞳を煌めかせながら。 「最初は教諭が攻撃される時だけ、お前の表情が鋭くなっていたのに気付いたのだ」 それは、つぶさに敵を観察しつづけたがゆえに、そして類稀なる直観力を有していたからこそ気づけた違和感。 「初めは精密に死体を操る弊害だと思っていた。けど、エルヴィンにありえない言葉を教諭が吐きかけた時、ずっとお前の表情は鋭かった」 原理はわからないが、『死者に生前の意思を戻している間だけ、彼は朦朧としていた』……それが、彼の直観。 「あー、そっか。最初は自由に玲子さんに動いてもらって、その間に彼女のカケラを集めてたんだー」 それを聞いて同じダブルキャストを用いたことのあるぐるぐは、真相に辿り着く。 彼はその術を用いて、そしておそらくは心を読む術も併用して……田山玲子に成りすましたのだ。リベリスタの心を砕くために。 「ハッハッハッハッハ、いや、実に良い。実に良いよ、チミィ。ポーランドの奴らとは、大違いだ。だが」 それに気付いたところで、どうなる? 奏者はその悪辣なる表情を歪ませ、手を振り上げる。 「アァ……そうよ、私はまだ生きていた……」 口調も、動きも、完全に模倣してその死体は動く。 精密なる操作、『楽団』の奏者の力は伊達ではない。 その動きは、かつての彼女を知る者の攻撃の手を止めるに十分すぎるほどに彼女そのもので。 だからこそ。 「ふざけるなぁぁぁ!」 その言葉を遮り、男は吠えた。その刃より漏れた赤き光が戦場を照らす。 ●第六小節 『愛される者』楠神風斗、あるいは愛を全て一度失った者。 今でこそ多くの友、本人曰く『理不尽』な仇名で呼ばれるほどの異性の友も得た彼だが、その根底にあるのは愛ではない。 少年は、家族が欲しかった。大事な人と笑いあいたかった。それが全ての根底。 大和と同じ、『多くの人が全てを失った事件』で、彼もまた失ったのだ。家族を。友を。全てを。 家族を取り戻すために戦いたくて。それなのに戦いの素質が無い、と断じられた幼き日の彼。 それでも彼は、家族を取り戻してやる、と無茶な練習ばかりして。怪我だらけになっても諦めなくて。 怪我をしたって、心配してくれる人はもう居ないと思い込んでいた。 そんな彼に、彼女は手を差し出して言ったのだ。あの言葉を。 「ふざけるなぁぁぁ!」 気が付けば、叫んでいた。その手にした刃が、失っていた赤き輝きを再び放つ。 そして、一気に踏み込む。田山の間合いの中へと。その反撃を恐れることなく、勢い任せの無茶な体勢で。 かつて田山に怒られた、回避や防御すら投げ捨てる戦いのスタイル。 だが幾度となき戦いの中で歴戦と呼んでいい程度に心を鍛え上げた彼はその力を十分に己の物として体得していた。 田山が反応するよりも速く、その刃は振りぬかれる。 それは生か死かを問う一撃ではない。問答無用で死を相手に叩きこむ技。 風斗の身体が赤に染まる。己の血と、返り血と、装備から漏れる赤き光で。 「全く、しょうがない子だよ。いつも無茶してばっかりで。そんなに血だらけになったら……」 それでも、田山の身体は揺らがない。おそらくは、ゼベディが選んでいるのだろう、彼女の記憶の中の風斗の心を抉る言葉を彼女は囁く。 「私が、心配するじゃないか」 家族はいない、自分を大事に思ってくれる人は誰一人としてもういない。そう思い込んでいた少年に、『家族として』かけてくれたかつての言葉を、死者は繰り返す。 それは確かに風斗の心を抉る。 だが、その心は折れない。 「心配はいりません。貴女が教えてくれた、リベリスタとしての生き方を実践していきます」 むしろ、心は奮い立つ。 彼女から学んだ物は数知れない。そして、それはきっと今も彼の中に根付いている。 例えば、かつての自分を連想させるような生い立ちの、不器用で寂しがり屋な少女達に……教諭がそうしてくれたように、その手を差し出したように。 「だから……全力で行きます! 貴女の魂を守るために!」 速度に劣る彼の、本来ならばまず起こりえないような二度目の行動。限界を超えた追撃に死者の身体が揺らぐ。そこへ追い打ちをかけるのは凪沙の拳。 「覚悟は……あったんだよね」 大きく歪められたその思い、それを思って凪沙の拳に力がこもる。 彼女は戦士であった。今の声など聴かずとも、その事実だけで十分だ。 掌がその腹部へと触れる。 ぬめった感触。ついさっきまで生きていた彼女の残滓。 無念だったろう、辛かったろう。踏みにじられたその無念を終わらせるために。 内部を衝撃が駆ける。その背骨が弾け、胴が二分される。 それでも、動く。足が駆け、放たれる蹴り。片腕で這いずり、振るうメイス。人間ならばありえぬダブルアクション。 「まだだっ……!」 その両方を雷慈慟は受け止める。周囲に展開された盾がその威力を僅かに抑える。そして、エルヴィンの生み出す癒しの風が、その体を支える。 「汚された教諭の魂のためにも……終わらせるぞ!」 そして、叫ぶ。 「そうだよ……ここで負けてたまるか!」 指揮官の言葉に、『学舎』のリベリスタも我を取り戻す。 「無論だ……ここで、先生と……彼の因縁を終わらせる!」 そして、風斗に劣らぬ焔を抱く男は、拳を振り抜いた。 ●第七小節 『笑わぬ拳士』焔優希、あるいは復讐の暗焔を胸に抱く者。 その男の本質は、復讐者であり、正義である。 相反しそうなその本質。されどそれは同居できぬものではない。 運命の悪戯で全てを失った彼は、憎かった。理不尽で多くの者を悲しませるその最低な『人の世の運命』が。 それを、人は悪と呼ぶのであろう。 その理不尽なる物をひっくり返すために、それを引き起こす者を倒すために。 正義として。復讐者として。戦う。 それが彼の原動力。 だから、尊敬する恩師を『理不尽なる悪』によって汚されたと知った今。 「無論だ……ここで、先生と……彼の因縁を終わらせる!」 男は拳を振るう。目の前の二人の死者が『教諭』と同じ悪に晒されぬように。 砕いても砕いても、なお動きを止めぬ死体。その相手をする優希は満身創痍。 それでも、自らを癒す術を持つ彼はなんとか立ち続けていた。 腰から左足だけと、脊髄と肩だけになってしまったリベリスタ達へと、焔は雷を纏った拳を叩きつける。 死者の左足が、パキン、と音を立てて崩れる。 その刹那、彼の腹部を猛烈な痛みが襲う。見れば、叩き折ったと思っていた死者の首が、首だけで喰らいついていた。 「んっ……ぐっ」 首から伸びる骨はまるで蛇のようにうねる。おそらくはこれで飛翔したのであろう。 崩れ落ちそうになる体。運命の力で踏みとどまる。 一瞬、怒りのままにその拳を振り下ろしそうになる。それでも、彼は冷静に癒しの呼吸を行う。 自分は、一人ではないからと。 「ここで看取れたのは……幸運だ」 だから、よかった。レンの投げたカードは死者の頭蓋へと突き刺さり、その動きをついに止める。 戦場の中で、リベリスタ達の思いが爆ぜる。それは、戦局を塗り替えてゆく。 レンは正門付近へと目をやる。この調子なら、正門の彼らを救ってあげられるかも知れない。そう考えて。 だが。 その視界の中で崩れ落ちる少女の姿を見て、彼は息を呑む。 「さあ行こう。死なない程度に」 既に満身創痍。されど最低限の体力を回復した男は怖気づくことなくそう言った。 ●第八小節 『永遠の少女』歪ぐるぐ、あるいは人生を誰より愛する者。 少女はいつだって、本気だった。 冗談のような言動、遊び心にあふれた交友。その全てを、彼女は本気で愛していた。 周囲の全てが愛おしかった。懸命に生きる命全てが大好きだった。 様々な人の懸命に生きてきた人生のカケラを見るのが、好きだった。 奇想天外な言動への反応で観察し、他人の拒絶という壁を取り払い、その本心に触れる事。 それが何より、彼女は好きだった。 怪盗たる彼女は宝石を愛する。人生という名の宝石を。 だからこそ、それを歪める物を許せなかった。 僅かに時間は遡る。 「何のつもりかね」 不意に足元に投げられた百円硬貨。それにゼベディは怪訝そうな顔をする。 「路上の奏者にチップは必要でしょう?」 「にしては少なすぎないかね、チミィ」 「それはもちろん、その演奏がどへたっぴだからだよ、べろべろばー」 まるで子供の喧嘩のような掛け合い。 けれど、既にぐるぐの身体は満身創痍であった。 ギャグ漫画のようにつぶれたり、凹んだり。そんなエフェクトを生み出す防具は既に半壊。 周囲には無数のゴースト達。その状況で、ぐるぐは己の銃をくるりと、手の中で回す。 「ほう、個人的には非常にうまくあの音符(したい)を演奏できたと思うのだがね」 「確かに、彼女は昔とそっくりだったよ、でも」 その『宝石』の色合いは全く再現できていなかった。 ぐるぐと田山は直接の知り合いではない。だが、その人生は彼女の興味を十分にひくもので。 だから、許せなかった。その人生を汚した物を。 「そうかね。いやぁ、残念無念悔しいねぇ。なら仕方ない……チミからは無理矢理でももっとチップをもらうとするよ」 その命を、チップとして。 ゼベディが唇を楽器へとつける。奏でられる音色は今まで聞いたどの音色とも違った。 (悔しいな……) 深淵を覗きうる知識を持つ彼女は、敵の奏でる音が簡単な指示を示していることをおぼろげには察していた。 だが、その時の音色を、少女は嫌というほどに理解する。 ぐるぐを殺せ、その音色は確かにそう言っていた。 なぜそこまで理解できたか。理由は簡単。 深淵を覗き込める時、それは死という名の深淵が……こちらを覗いていた時。 ぐるぐの周りへと、亡霊たちが殺到する。 戦場の中でゴーストを引き寄せる役割を担った彼女、それを気にかけていた者が少なかった事。 そして、リベリスタのほとんどがリベリスタの死体たるアンデッドを注視し、ゴーストの数を減らす事に注力できていなかった事がここにきて仇となる。 パキン、と音がして手の中の銃とナイフが砕ける。否、パーツごとにバラバラになる。カスタマイズされつくしたその得物達は、彼女以外に組み直せない。 こうすれば、例え自分が死んでも、自分の大切な宝石は奪われないだろうと思って、少女は自分の人生の欠片を大地へと零す。 「ごめんね、あざちゃ……」 貫かれる。腕を。肩を。足を。 意識が闇に沈む。 もう、終わり。 げーむおーばー。 「させるかよ……助ける! 諦めるな!」 そう思った瞬間。声が、響いた。 ●第九小節 『砕けぬ意思』新田快、あるいは誰かを護りたいと思う者。 あぁ、それは彼にとってどこかで見たことのある光景。 自分の心を奪われて、自分の身体を奪われて、弄ばれて。 思い出すのは、自分が本当の意味でリベリスタを自覚した、昔の戦い。 そう、だ。その時に自分は覚悟したのだ。 リベリスタとして、クロスイージスとして、夢と想いを弄ぶ存在から、皆を助けたいと。 きっと、その時に根底となったのは。 「させるかよ……助ける! 諦めるな!」 彼女のくれた、諦めずに立ち続けて足掻け。どんな時でも、というその言葉。 「行くぞ、陸駆!」 「無論だ!」 唐突にぐるぐへと向けて動き出した死体達。その中には雷慈慟達から離れて駆ける教諭の下半身の姿もある。 「不動の引率者には及ばなくても……俺だって思いは同じ。だから!」 お前達にそれ以上の罪は重ねさせない。快の覚悟が、幽鬼達の殺意を倒れた少女から逸らす。 それに重なってぐるぐの元へと投げ込まれるのは陸駆の閃光弾。 既に倒れている彼女を傷つけることなく、それは多数のゴースト達を無力化する。 「悪夢を終わらせましょう……これで!」 唯一、ぐるぐを気にかけていた大和。倒れるまでには僅かに遅れたもののその腕が小さなぐるぐの身体を抱き上げる。 そして、走る。正門側への突破は厳しい。だから、その方向へと。 「任せてください……最悪、庇ってみせます!」 「先生の遺志を継いで、ね」 後衛へと食い込んだ一体のゴーストをなんとか討伐した『学舎』達の方へと。 意識無き少女の身体をまだ発展途上なリベリスタ達は抱きとめる。壁になれぬとわかっていても、前に立つ前衛達。 そこに居たのは、勇気を宿し、命を守るために戦うまぎれもない『リベリスタ』であった。 だが、ぐるぐの安全が確保されたからと言って、他の者の安全が確保されたわけではない。 次は、殺到する。快の元へと。無数のゴーストが。 運命の加護というカードなど、とっくに使い切っている。それでも、男は全力の防御態勢を取ってそれを受け流そうとする。 が、防御を高めた所で、防御を無視する一撃の前では意味がない。 殺到する敵によってその体力は奪われていく。 「全く、馬鹿な事を……」 だがその時、快へと迫る敵の一角が崩れる。否、弾ける。 「折角できた好きな娘に子を孕んでもらう前に死ぬ気か?」 それは、雷慈慟の巻き起こした爆発。そこを駆け抜けて刃を振るうのは、赤き二人の戦鬼。 「一気呵成に……」 「ぶち抜いてやるっ!」 雷の拳が、赤き刃が。二人の少年の、熱情を乗せた一撃が亡霊を屠る。 だがそれでも殺到する敵の量は多い。僅かな隙を狙い、快の後ろから飛びかかったのは人間の脚部。 最後に残った田山の残滓。その足に黄金の輝きが灯る。 それを振り下ろせば、その足は砕けるに違いない。それでも、死者は躊躇しない。させてなどもらえない。 「させるかよっ!」 だが、その一撃は受け止められる。 それを受け止めたのは透明な障壁。赤い染みが盾の前で弾ける。 「ほら、先生……受け止められただろ」 自らの癒しの術で、再びその体力を十分に回復したエルヴィンが、それを受け止める。 さらに、亡霊たちが殺到するも、その焔も、氷も、彼は全てを弾く。 「回復は任せろ、快……いや、守護神!」 二人の男は背を合わせ、立つ。亡霊たちの真っただ中で。 「ああ。期待してるぜ、守護神!」 自然と、そう呼びあっていた。 (あぁ……そうか) 新田のように、田山もまた、『守護神』と呼ばれるに値する人物なのだと思っていた。されど、違う。 田山に学んだ者全て……いや、誰かを護りたいと思うリベリスタ皆が『守護神』なのだろう、と天才は理解する。 そして、乱れる戦場の中。 「ありがとう、田山先生」 金髪の少年は、最後に再び、月を闇夜に浮かばせた。 ●第十小節 『忘れ形見』レン・カークランド、あるいは家族を知る者。 彼にとって、大事な物。それはいつだって『唯一の家族』だった。 親を知らず、ただ祖母と暮らした日々。 祖母を失い、一人の青年に拾われてからの日々。 その関連の物以外に大事な物は無かった。誰からも必要ないと、そう思っていた。 その中で、手を差し伸べてくれた老婆を少年は思い出す。 言葉が通じず、一人にしか依存できなかった彼に。 皆の中で笑うべきだ、と言ってくれた彼女の姿を。 「ありがとう、田山先生」 だから、最期に告げたのは感謝の言葉。 これで、もう何度目であろう。この空に赤き月が浮かぶのは。 不吉の象徴。不安の象徴。特異点の象徴。『世界が変わる瞬間』の象徴。 あるいはそれは。 「これでもう、序曲は終わりだ」 その演目の終わりを意味していたのだろうか。 月が砕ける。頭上で砕けた月はまるで少し早い雪のように公園へと降り注ぐ。 その中で、かつて田山玲子だった物は、動きを止める。 亡霊は、溶けるように闇へと消える。 その一撃が、決定打であった。 「……っ!?」 防御の構えを崩さない快。その目の前で、死体や亡霊たちが唐突に今までにない動きを始める。 彼らは生者ではなく、正門を目指して歩き始めたのだ。 「これは……」 呆然とする彼らの前で、正門の前に集まった亡霊とリベリスタの死体は綺麗に整列し、動きを止める。 まるで、主を待つかのように。 「結構結構。面白いものを見せてもらったよ、チミィ」 その後ろで、ファゴット奏者は笑みを浮かべながら。 今まで一歩として動く事のなかったその足を、初めて動かした。 「序曲での私の演奏はここまで。それでは、また会おうじゃないか、チミィ?」 おどけた動作で百円玉を拾い上げ、ゼベディは正門へ向けて歩み始める。 「引くのですか?」 問いかけたのは、大和。その問いに、男はニヤリと笑みを浮かべる。 「その通り。君達はあの名前だけのアーマー連中とは違うようだ。『次』を楽しみにさせてもらうよ」 その予告に、リベリスタ達は表情を歪める。 正門には『助け』られなかったアンデッドの姿も交じっていたのだから。 「貴方を害するのは……貴方が弄んだ者達の残した遺志です。憶えていなさい」 少女の言葉を聞き流すかのように、彼は笑う。 「それを本当に思っているのかね、チミィ? チミはともかく、あれだけ多くが翻弄されたというのに?」 「あぁ、思ってるのだ」 その声は、陸駆の物。奏者はその足を止め、死線を彼へと移す。 「あれだけ攻撃を躊躇するものがいてなお、かね?」 「あれはお前の力でも何でもないだろう」 陸駆とてわかっている。死者の模倣によって心の隙を生むその技は彼の技術であろうことは。 だが、彼にはこの戦いはそうとは思えなかった。 「あれは、お前という木っ端を通じて、先生が最後に僕達に『リベリスタの覚悟』を教えてくれた……ただそれだけなのだ!」 それが、天才としての彼の見解。 それに『楽団』の一人たる男は目をパチクリとさせ……。 「ははは、はははははは、はーっはっはっはっは!」 腹を抱え、笑う。 そのまま彼は笑いを止めることなく歩いていく。これ以上語る事など無いとでも言うがごとく。 公園の正門から悠々と外へ。 死者達と共に視界から消えてなお。その笑い声は響き渡っていた。 「それじゃ、速く離脱しよう。中央はどうなってるかわからないし」 何より、『学舎』とぐるぐ達が危ういかもしれないから。凪沙の言葉に、リベリスタ達は頷き、撤退の準備を整える。 その中で。 「あ、ちょっと待って」 レンは、声をかけた。それは、彼だからこそできた提案。 大事な物は、例えなくなっても……何かを残していると知っているからこそできた提案。 夜の闇の中で、左腕のブレスが僅かに輝いた。 ●D.S. ゼベディ・ゲールングルフ、あるいはリベリスタを殺す者。 彼は、生粋のゲスであった。 彼が最も得意とするのはリベリスタの死体によってそれを知るリベリスタを殺す事。 その死者の心を真似て死者を操れば、どんなリベリスタにだって致命的な失敗を生んでしまう。 躊躇すれば死ぬ場面であると、判っているはずでも、だ。 そして、リベリスタ達はその真実も知らぬままに死んでいくのだ。 その死者の魂が、偽物混じりだと気づかぬまま! その『譜面』が、なんと心地よい事か。 心が折れるその瞬間を、彼は心の底から好きだった。 ポーランドの戦いにて何度も使ったその手法。 モーゼスに気に入られる一因となった『最低の一人二重奏』。 それを、まさかこの極東の地のリベリスタが一瞬にして破るとは。 彼は、生粋のゲスである。 ゆえに、彼は笑いながら公園を後にする。 今まで出会った事もないような『心折れぬ敵』を前にして。 どうやってその『強い心をへしおるか』を考えて、彼は愉悦の笑みを零す。 あぁ、ケイオス様の見立ては間違いではなかった、と考えながら。 ●CODA 『教諭』田山玲子、あるいは死してなお教え子に伝えた者。 大和の糸が切り取った、教諭の左腕。その手に握られていた盾へと、レンはその掌をかざす。 サイレントメモリー。 物に宿った記憶を引き出すその秘術を、彼は行使する。 その体全てを、声さえも操られていた田山。だが、その意識は確かにそこにあった。 「快と優希、二人とも無茶しすぎ。表が落ち着いてても背負い込みすぎたら女の子逃げてくよ、だってさ」 「敵わないな」 肩を竦める快と優希。その体は既に満身創痍。反論する気力も残っていない。 「凪沙、合格、だって」 「ホントは料理でも合格をもらいたかったな」 ほんの少しさびしそうに、少女は目を伏せる。 「雷慈慟、動物の管理はしっかりね、だって」 「無論だ」 かつて、彼女が設立に立ち会ってくれた牧場の事を想い、男は頷く。 「風斗、外聞を気にせず自分の道を行け、だってさ」 「……」 からかわれているのか、真摯な言葉なのか。判断できず、力尽きた少年は顔を赤くするのみ。 「陸駆、何時までも学び続けろ、天才に果てはない……だって」 えへん、と胸を張る少年。されど、その瞳に零れていたのは、小さな輝き。 「エルヴィン……『学舎』が落ち着いて戦えたのは、あの声と力のおかげだよ。辛いだろうけれど、この戦いの記憶があれば、いつか彼らは自立できる」 そう言いながらレンは放った。空中を舞うのは小さな盾。それはストン、と男の手のひらに収まる。 「ありがとう。信じてくれて。あと、妹さんを大事にね」 盾を持つエルヴィンの手が、自然と震える。小さなそれの表面に、水滴が零れる。 「さ、帰ろう」 そして、レンは笑顔で告げる。 本当は彼だって涙を流したい。それでも、かつてかけてくれたのと同じ、教諭の残した彼への言葉を反芻して。 彼は、仲間の中で笑みを浮かべる。 その目の前で。 (あぁ、もう恥ずかしいな。来年二十歳だってのに。女の子も見てるってのに……) 止まらねえ。 男はただ叫んだ。心の赴くままに。 かくして、公園南方の狂騒曲は幕を閉じる。 全ての終わりを告げるのは、様々な感情を乗せた大きな『音』。 されど、それはただの序曲。 その事を雷慈慟は理解している。この成功が、彼にとっての終着点ではなく、過去を僅かに和らげるスタート地点でしかないように。 まだ、全ては始まったばかりなのだ。 やがてその音は、夜の闇の中に響いて……消えた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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