● 極東の空白地帯。 そう称される地を踏んだのは、他の多くの楽団員同様バレット・バレンティーノとて初めてである。 ただ、『大将』であるケイオス・カントーリオ総指揮の、久々の『演奏』だ。 その指揮棒が指示するならば、向かわない理由はない。 弾ける発砲音と剣戟。 男達の怒号と子供の泣き声、女の悲鳴、それの中で一本線のように変わらず響くピッコロの音をBGMに、潮と血と肉の香りが交じり合った空気を吸い込んでバレットは軽く口を開いた。 「どこのマフィアもやる事は変わんねーな。ま、狭い島国にこんだけひしめいてたらいくらか間引いたって大した騒ぎにゃなんねーだろうけどよ」 「…………」 バレットの言葉に返ったのは無言だ。 ぴい、と一オクターブ上がった音が返事であろうか。 「ったく、あのお姫様といいアデラーイデといいお前といい、常時ソルディーノ付けてろって指示でも出てるのかよ」 「……吹いてる最中に喋れって?」 口を離したのだろう。ピッコロの音が消え、代わりに声が放たれる。 曲は止んだ。 が、それだけだ。 銃撃の音も悲鳴も呻きも、全く変わらず続いていた。 「別に構やしねーだろ。まだ俺らのソロに入るには早すぎんだ」 「そうやってぐずぐずしてるからケイオス様に小言を食らうんでしょう」 「今回はまだ食らってな、……あー、あんなのは小言に入らないな。ともかく、大将の譜面を汚す気はねーよ。だからちゃんと出張ってんだ。だろ?」 子供の泣き声が、癇癪を起こしたような甲高い苛立ちに満ちたそれに変わって行く。 あああクソッタレいくら撃っても死なねェぞあぐあああああぐえごばこれ本当にアンデッぎああぐああごぼごぼごぼごぼおいあの後ろにいる連中狙ごばばば届かねェよがぼぐああいああああああああああああああああああああああ。 爆音。 冷たい潮風が、僅か熱を帯びてバレットの肌を撫でた。 火薬の臭いもする。倉庫に備蓄していた通常の弾薬にでも引火したか。中々にいい音だ。 「ま、しばらくは"a bene placito"って事だ……楽しんで行くとしようか」 ● 「さて『福音の指揮者』ケイオス・“コンダクター”・カントーリオと、彼が率いる『楽団』なる私兵集団の事は既にお聞きと思います。……ああ、皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンです。これから説明するのも、『楽団』絡みのものとなります」 普段と同じ様に――或いは普段よりも些か気が乗らなそうに告げた『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は、端末を操作する。 モニターに映し出されたのは、海。そして倉庫と、銃撃や爆発を伴う戦闘の光景。 柄の悪い男達が、互いに罵声や指令を飛ばしあって『何か』と相対している。 「これは裏野部所属のフィクサード。人身売買グループです。漁業関係会社を装って、沿岸の倉庫に一般人を捕らえていたのですが、『楽団』の襲撃にあった様子です」 画面を静止し、内の一人にズーム。 細身の男だ。白い錠剤を口に含み、噛んで飲み下している。 「――威岐路・死祢。以前アークとも関わった為、ご存知の方もいるかも知れません。裏野部の……ネジが飛んでるタイプの大量殺人犯です」 そしてこちらが。 ギロチンの声と共に、画像が切り替わる。 炎を、銃撃を物ともせず、コンテナを乗り越えドラム缶を蹴倒し、フィクサードへと迫る男女。 その姿は異様だ。 頭から、肩から、首から腕から腹から足から血を肉を骨を内臓を出しながら、怯む事なく向かっていく。中には首がおかしな方向に折れ曲がり、明らかに死んでいる者もいる。 いや。 「……はい。彼らは全員死人です。E・アンデッドとも違うとも言いがたい。ただ、楽団に操られている事は明確です。ネクロマンシーという類でしょうか」 また、切り替わる。映し出されたのは、オーケストラというイメージからは程遠い奇妙な男だ。 どこか虫や爬虫類を思わせる眼鏡の奥に意図は読めず、浮かべる軽薄な笑みに真意は見えない。背負った巨大な弦楽器――と思われる形状の武器も合わせ、一種異様な風采である。 その傍らには、幽鬼の如く白く枯れ枝の如く細い礼服の少女が佇んでいた。 「バレット・“パフォーマー”・バレンティーノ。彼は先の通り死者を操る術に長けている様子ですが、それ以外はほぼ不明に等しい。隣の少女も同様です」 彼らが襲撃するのが、先の裏野部だ。 恐らくは戦力増強――つまり『死体』の作成が目的と思われる。 「なので、皆さんにはこの裏野部フィクサードへの被害を食い止めて頂きたいんです。……ええ、まあ、簡単な事ではないのは理解した上でお願いしています」 モニターの端には、倒れた女が映っている。 目を眇めるフォーチュナの視線の先で、ウエストを半分減らしたその女が立ち上がるのが、見えた。裏野部フィクサードから叩き込まれる、弾丸と刃も。 「……これが裏野部でも合理的なタイプであれば良かったのですけれど。悪い事にこのグループはネジの飛んでいる死祢含め、拳で自己主張する方でして。決定的な不利と悟れば逃亡するでしょうが、『不利』だと理解させるのは簡単にはいかない。少なくとも、戦わず退却をする事はまずありえないと思っていい」 頭が痛い、とギロチンはこめかみを指で叩いた。 フィクサードの自信は、それなりの実力と数に裏打ちされたものだ。 だからこそ、余計に楽団の手に渡すわけにはいかない。 通常時ならば、彼らを打ち倒し一般人を救うのがアークの役目だったろう。 けれど。 「現場にはまだ、裏野部に捕らえられた人々も残っていますが、薬等によって自力での脱出は叶わないように『処理』されています。彼らも叶うならば死者の群れには加えないで欲しい。けれど、……今回優先させるべきは、彼らより、裏野部の生存です」 ごめんなさい。 「特に、――威岐路・死祢。この中で最も実力の高い彼は、『絶対に』楽団の手に渡さない様にして下さい。……殺さないように、殺されないように、して下さい」 死祢を生かしておいて、アークに得はない。 彼は過去に小学校での虐殺事件を引き起こしている。改心の可能性は限りなく低く、生きていれば更なる罪を重ねるだろう。 それでも、今は、今回は、死なせる訳にはいかない。 「続く被害を考えると、『楽団』の戦力増強は可能な限り最小に抑えなければならない。通常の死人でも厄介なのに、革醒者の死体となれば更なる災いの種を蒔く事となるのは明らかだ」 だから。ごめんなさい。 言葉を止めた。 お喋りなフォーチュナの無言が物語る。 誰かを犠牲として切るならば、身勝手な加害者ではなく哀れな被害者から切れ、と。 「……皆さんが付く頃には、裏野部フィクサードが盾にした一般人の死体も何人か戦列に加わっている状態になります。アークが来た、となれば裏野部はこちらにも攻撃を仕掛けてくるでしょう」 話を聞かない裏野部フィクサードの攻撃の矛先をどうやって逸らし、その被害を抑えるか。 形の上では三つ巴。 しかし、全てを殺し尽くせばいい楽団と異なり、全力で抗えばいい裏野部と異なり、敵対する二勢力の間でバランスを取らねばならないアークが一番困難な状況にあるのは間違いない。 それでも、厳かな歪夜十三使徒の一角であるケイオスの『演奏』開幕の序曲を素直に傾聴する、という訳にもいかない。 「言うまでもありませんが、皆さんが命を落とせば、楽団の率いる群に加えられる可能性が高い。……それだけは勘弁して下さい。お願いします。それだけは、お願いします。ちゃんと、帰ってきて下さい」 生きて。 ギロチンは目を閉じて、息を吐く。 ● 足音が聞こえる。沢山の足音が聞こえる。 一つが近付いてきた。 「死。死人? 死、死死死、あはぁ、死人か。死。死だ!」 私に話し掛けている訳ではない。独り言だろうか。機嫌が良く機嫌が悪いその声。 悲しそうで嬉しそうで、よく分からない。けれど、それが近付いてきて、酷く喉と胸が痛んだ。 げほげほげぼげぽ。何かが込み上げて来る。血生臭い。何か。 誰かが私の腕を掴んで引き摺り起こした。幾度も打たれた注射で、自分の肘の内側が青黒く染まっているのを他人事のように眺めている間に、視界が反転する。 「壱弐、参死。死ぬかな。死んで生き返るかな」 ならそれは死ぬ運命なのか。そもそも死ぬってなんだっけ。 呟きが聞こえたような、聞こえないような。 投げられて宙を舞ったのだと気付くと同時、『下』と目が合う。 手を伸ばす人々。 彼らの腕が、私の頭を掴んだ。 ごぢゅ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月08日(土)23:57 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 波がコンクリート壁を打っている。 海上を通過し身を切るような冷たさを帯びた潮風が撫でる、だけであるはずの地が、今は炎の舌に舐められていた。火薬が爆発したからか、引火した時の音と衝撃はそれなりにあった。だが、倉庫とコンテナは金属製。加えて、ここで取り扱っている『荷物』は一般的な物品ではないのだから、湿った風に当てられていれば程なく鎮火するだろう。 もっとも、炎が消え去るのと、この場の命が全て消え去るのと、どちらが先かは現状ではそれこそ火を見るより明らかであったが。 「Pronto? ……なんだよエンツォか。暇ならその辺で演奏でもしてこいっての」 通信機から聞こえたのは『オルガニスト』エンツォの声、頭に響く子供特有の甲高い声に適当に返しながら、一つ、二つ、心音が止んだのを感じる。 恐らくはマフィア連中が一般人を群の中に投げ込んだのだろう。 死んで立ち上がるかどうかを確認したのならばまだしも、死人の気を引く為の餌、或いは破れかぶれの盾としたのならばそう長くはない。 そう。通話相手の言葉を借りるならすぐに暇になる。 「目の腐った兄貴共はどうした。思う存分構ってくれるだろあの兄貴連中なら。なあ"Angelo"?」 凶悪性とは裏腹な愛称で呼ばれる相手を揶揄しながら、バレット・"パフォーマー"・バレンティーノは笑った。 音は止まない。 けれど静かに、その場は死が支配しつつあった。 ● 薄暗くなりかけた海沿いの倉庫に響くのは、戦いの音。 一つは楽団、そして一つは裏野部。 日本の主流七派の一派として名を馳せるその集団に、良い顔をするリベリスタは余りいない。 暴力の為の暴力、欲望の為の戦闘。 身勝手に無差別にばらまかれる暴虐は、リベリスタを血で汚し、伸ばした手から容易く命を奪って行く。 「まさか裏野部を守れ、とはな」 「……本来なら、助けたくなんかないけどね」 気配を殺し、『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)と『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)が囁き合う。 裏野部によって彼らが喪ったものは、とてもとても多い。連中の暴虐で彼らの手をすり抜けた命は両手の指に千をかけても尚足りず、途絶えた絆は酷く重く。裏野部の一員を憎み、命を燃やした友を思い、悠里はぎゅっと拳を握った。 目を伏せた友に、拓真は視線を逸らす。 強くなったはずだった。確かに強くなった。 けれど拓真は、救いたいものに対して余りに無力だと思わずにいられない。 「本音を言うなら、見捨ててやりたい、という所だけど」 肩を竦めた来栖・小夜香(BNE000038)とてそれは変わらず。 例えばこれが、理不尽な人身取引を行うフィクサードから被害者を取り戻せ、という案件だったならば、多くは裏野部の犠牲を厭わなかったに違いない。 けれど、今回はそうではないのだ。更なる犠牲を防ぐ為、本来ならば唾棄すべき行いに手を染めている彼らを生き延びさせなければならない。 「まあ、正直守り甲斐のない連中だけどね」 同意の苦笑を浮かべ『九番目は風の客人』クルト・ノイン(BNE003299)が頷いた。 守った所で彼らが感謝するはずもなく、説得すらもまともに聞くかは怪しい。 そもそも感謝を求めての行いではないが、生かした所で明日の世界の役に立つわけでもない。 死亡の場合のデメリットより、辛うじて生存のデメリットが『マシ』なだけだ。 「冷静にだ、夏栖斗」 「大丈夫、雷音」 兄の内心の葛藤を慮った『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の言葉に、『覇界闘士-アンブレイカブル-』御厨・夏栖斗(BNE000004)は短く返した。 彼にとっても、悠里や拓真と同様、裏野部は憎むべき敵だ。彼の手から守ろうとしたものを引っ手繰っては壊し笑う連中だ。それでも、彼らが理不尽に死ぬというならば、助けなければ。死者として蘇るから、というだけではない。叶う限り、その手で救いたい、掬いたい。夏栖斗は聖人ではないが、他人の不幸を、死を、気軽に願ったりはしない。 すう、と息を吸った雷音の肺に、物が燃える香りが入る。 その優れた魔術知識を動員するまでもなかった。楽器の音は、しない。 けれども遠目からでも分かる。その場には、死した人が蠢いている。 「ま、気に入らないにしても割り切りましょうか」 「ブッチャケさっさと帰れヨって話ダケドナ」 愛銃を構えた『ヴァイオレット・クラウン』烏頭森・ハガル・エーデルワイス(BNE002939)に、とんとん、と地を弾むように足踏みしながら『瞬神光狐』リュミエール・ノルティア・ユーティライネン(BNE000659)が肩を竦めた。裏野部の撤退が遅れる、という事は、即ちリベリスタの退き際も延びる、という事だ。 死にたくない、死んではならない。死ねば楽団の手駒となるのは明白だ。それは避けねばならない。 序曲と嘯く彼らの行動は、現状ですら目に余る。 だからこれ以上の強化はさせてはならない。革醒者を与えてはならない。 「大勢を守るために少数を見捨てる、という考えはしたくないですが」 ぽつりと、『戦士』水無瀬・佳恋(BNE003740) が呟いた。彼らが今進もうとしている倉庫の中には、楽団とも裏野部とも、そもそも神秘とも無縁であるはずの人々が囚われている。 彼らをも全て助けられたならば、どれだけ良い事だろうか。 だが今は、それを行う余裕はない。 『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)が皆に向けて、軽く頷いた。 陣形を作り、横合いから向かう彼らに掛かったのは――声だ。 「……オイ、また来たぞ!」 倉庫の上、屋根から叫んだその男は、先頭を駆けるリュミエールを見て訝しげな顔をする。 「行くぜ」 「おう!」 目配せしあった夏栖斗と悠里が、前に躍り出た。 彼らの名は、知れている。 ――死が満ちている。そこに哀しみはない。何故ならこれは自分がもたらしたものではないからだ。 満ちているのは死であり死人。ああでも可哀想に。死んでしまった。 けれど別に自分悪くないし。そもそも悪いのは大体においてリベリスタだ。 つまりなんだろう。ああこれもリベリスタが悪いんだろうか。そうだきっと悪い奴だし。 というか生き返ったんだからもしかしてこれはいい事なんだろうか? 死んでるけど生きてる。 あれ、そうすると今回も悪いリベリスタは殺しに来るのかな。来るんだろうか。 いいか。来たら殺そう。殺しに来るから殺す。うん、正当防衛。そういえば薬が切れてきた。 「ねえ」 薬どこ。誰だか忘れた誰かに聞こうとしたけれど、銃を撃つのに忙しいらしい。 人の話を聞かないなんて悪い奴だ。そうするとこいつも殺さないといけないかな。 血の臭いあんま新鮮じゃないし。これで薬もないとか悲しくて哀しくて泣けてくる。いっそ笑える。 どうしようかなあ殺そうかなあでも薬どこにあるんだろう。 男、『junkie』威岐路・死祢が首を傾げた時、遠くから声が聞こえた。 「「アークの」」「御厨夏栖斗だ!」「設楽悠里だ!」 その台詞に、死祢の傍らにいた男がぎょっとした様子で顔を向ける。 「ハア!? ホンモノか!?」 「……らしい。アッホじゃねェのこのクソ忙しい時に!」 「構わねえよ、まとめてブッ殺せ!」 更に慌しくなった様子に、死祢はまた別の事を考え出す。 誰だ。知らない。 けどなんだっけ、なんか聞いた事はある。そうだアーク。アークってなんだっけ。薬? 「アーク?」 考えてたら口から出たらしい。 問いと思ったのか、傍の男が口を開いた。 「リベリスタ連中が横槍入れてきやがったんですよ、すぐに……」 あ。そうか。 悪い奴が来たんだ。オッケー。 「じゃあ殺そう」 「ちょ、死祢さん突っ込んじゃ……!」 「!? 抑えとけって言ったろダボ!」 「ンだよ、あんなの止めてられっかよボケ! おい、死祢さんが動いたぞ、散れ!」――。 ざわつく裏野部。銃口が、刃がこちらを向いた。 撃ち込まれた銃弾を跳んでかわしながら、悠里が叫ぶ。 「あいつは、バロックナイツのケイオス・“コンダクター”・カントーリオの楽団の幹部だ!」 「死人を操っているのもあいつだ!」 指差した手を握り締め、夏栖斗は死人に向けて鋭く足を振るった。死体の肉が抉れる。それでも止まる様子はなかった。 自分を指しているのは分かるだろうに、細かい編み込みを結い上げた男は、笑ったまま動じない。 バロックナイツ。流石にその単語は知れているらしい。場に広がったのは、微かな動揺と大きな疑念。 「バロックナイツの手下に目をつけられるとか、日頃の行いが祟ってんじゃない?」 未だ血も乾き切っていない動く死体は、彼らが盾とした事で生まれたものか。 皮肉と共に綺沙羅が投げ込んだ閃光弾は一瞬辺りを眩く照らし――けれど、群を食い止めるには余りに些細であった。 「話を聞けといって通じるとは思わないが、万華鏡が君たちの死を感知した!」 「ンだと手前ら!」 「信じなくてもいいけど、連中の手にあんた達が渡ると面倒だから助太刀する」 「は」 白い翼の少女が、幼い顔立ちの少女が告げた言葉に漏れたのは失笑だ。 男達の殺気はまるで消えていない。 「私達が本来敵であるあなた方を助けようとしているのです、この期に及んで嘘をつく理由など……」 佳恋のフォローも、意味を成さなかった。 「助太刀?」 「……ナメてんじゃねェぞクソどもが!」 もっと冷静に、単純に損得だけで考えられる相手ならば別だっただろう。 どう考えても、自らが死人の相手をしても得はない。アークにこの場を押し付けられるならば自らの損害はほぼ皆無で済む。 けれど、リベリスタが相手取ったのは裏野部でも血の気が多い連中だ。死体と交戦する彼らは、未だに自分達が不利だとは考えていない。所詮死体だ、殺し尽くして主犯も殺せばいい。 未だに敵を甘く見ている彼らにとって、アークのリベリスタの言葉は挑発と受け取られた。 「ま、分かり易い連中だ」 予想されていた展開に、クルトが小さく溜息を吐く。 そして。 「――おい、死祢さんが動いたぞ、散れ!」 後方から響いた声に、リベリスタの誰かが眉を寄せた。 彼らはあっという間に、乱戦の只中へと巻き込まれる。 「全く、メンドクセエなー」 リュミエールが声を残して、加速した。 ● 一、二、三……十か。通話しながら増えた鼓動を確認するバレットに、ゾーエが語り掛ける。 「……ああ。あれはデータに載ってた。バレット。これが『ミクリヤカズト』。アークのエース級」 「名前はさっきので聞こえた。おーおー、熱いねぇ。どんだけ持つかお手並み拝け……あ? ああ、こっちの話だ気にすんな。で、何だって? モーゼス?」 色の黒めの少年。ゾーエによってそれを認識しながら、軽い口笛。 たかだか十人とは言え、恐らくは精鋭。ポーランドの時と同じく、自分達の手は知れているのだろう。 死が死を呼び、生を蹂躙するその手口を。 だが、だったら何だ。知っていても対処出来ない災厄は、確かにここに存在する。 わざわざ現れた彼らがどう足掻くかも興味深かったが――通話相手の発した名前も興を惹いた。モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン。隣の少女が、眉を寄せたのが気配で分かる。 「ああ……いや。お前らそこら中に媚売りまくってよく疲れねーなっつう話だ。お姫様もついでにどうにかしろよ。人の話聞かねぇったらありゃしねぇ」 「……あなたの会話に無駄が多いだけでしょうに」 「ほっとけ。あ? 行かねーよ。こっちもようやく面白くなって来たんだからな」 怒声と呻きと千切れた肉を引き摺る音、魔弾が弾ける中でも会話は止まない。 理不尽に文句を言い始めた通話相手の声を聞き流しながら、新たに増えた音を聞く。 ● 潮風が髪を、耳を撫でて行った。 飾り気のないコンクリートの地面を蹴り、リュミエールは更なる速さに己の体を覚醒させる。 「私は戦いの中とか、ソンナクダラネー事で死ぬ気はない」 横薙ぎにされた刃を悠々と屈んで避け、ナイフで軌道を斜めに逸らした。 腕を掴んできた死人を引き剥がせば、強く握られて鬱血ができている。 けれど彼女は瞳を揺らがせず、刃を振るった相手に告げる。 「テメェ等も本当にコレが死ぬにはいい日か場所か考えテミロ」 こんな死人の群に囲まれて、こんな下らない死に方で、死の後さえも弄ばれて。 それで満足か。 「私は、コンナとこで死にたくネー」 淡々と告げるその言葉は、果たして刃を向けるその相手に、通じたのか。 「今日も私のトリガーは絶好調よ、スプラッターになりたいのから並びなさい♪」 軽やかに告げたエーデルワイスの指先が引き金に触れ、放たれるのは神速の抜き撃ち。 血飛沫が舞い、幾体かの死人が一瞬がくりとバランスを崩す。彼女の弾丸は速度と命中を兼ね備え、狙った場所を逃しはしない。 機動力を削ぐべく放たれた銃弾は、確かに足を撃ち抜いた。けれど、それで止まりはしない。どうやら肉体的にもだいぶ頑丈になっているらしい。だが、ならば叩き折るまで、千切れるまで撃ち込めばいい。 「ほらほら、見て下さい。こんなにしぶとい死体ですから、裏野部さんは戦うだけ損ですよ」 ね? 口元に銃口を当てて微笑むエーデルワイスに、誰かが舌打ちをした。 リベリスタが選んだのは、裏野部撤退までの防戦。 回復や術、射撃に優れた者を中心に置き、前衛がそこへの攻撃を食い止める。 だが。 敵の攻撃を食い止めるには、それに準ずる人数が必要だ。 死体の数は六十。加えて裏野部が二十。それぞれが潰し合っているから、全てが一斉に向かってくる事はないものの、それでも無用な死を抑える為に十人の精鋭だけで組まれたリベリスタの内の半数で食い止められるようなものではなかった。綺沙羅の影人も、焼け石に水。 また、死祢はリベリスタを目指し、反対側へと向かって走ったが故に――死人に囲まれた裏野部の多くが、彼のアーティファクトの影響下から逃れられないのを悟り、諦め、攻撃に転ずる。 「ブッ殺せ!」 裏野部は死人を防ぎに回ったリベリスタの横をすり抜け、或いは撃ち抜き陣形の『内』を狙う。彼らは、死人と違って頭がある。質ではこの場のリベリスタに劣るとは言え、それなりに場数を踏んだものが狙う相手など決まっている。 「くっ……!」 射手の弾丸が、雷音を撃ち抜く。純白の翼に赤が散った。 加えて、そこに接近するのは、威岐路・死祢。 「ようこそこんにちはこんばんはリベリスタ! 死ね、死ね、死ね死ね死ね死ねリベリスタ! あ、死んだら生き返るの? じゃあいいな、死ね。血ぃ吐いて死ね」 距離を取ろうとしても、後衛を包む陣形である以上、気軽には動けない。 『死祢。君も死んだ挙句に海の向こうから来たあのふざけた男の手駒になりたくはないだろう?』 クルトのハイテレパスが、そんな男に送られた。 が。 ケタケタケタケタ、狂った笑いを漏らす男に通じない。 「あいつ等はあんた達が裏野部だと知っていて襲撃した。意味は分かるよね」 少女。幼い顔を向けて大人びた風に語る綺沙羅に放たれたのは、死の刻印。 「ボスに報告して裏野部の流儀で歓迎パーティでも開いてやれば? ここで死んだら参加しそびれるよ」 綺沙羅のその言葉は、ある程度目の前の裏野部の感情を揺らがせた。 喧嘩を売られたのが『彼ら』ではなく、『裏野部』そのものだと言うならば、それはもっと派手に打ち崩され潰されるべきだ。 だが、彼らにも面子がある。 壊滅的な被害を受けた訳でも、圧倒的に不利な訳でもないのに退くのは、自信過剰の拳で語る主義とは相容れなかったらしい。 拓真の刃が弧を描く。だがそれは斬る為ではなく、雨霰と降り注ぐ魔弾を呼ぶ為。 煌いた光に照らし出された顔は、難しげに顰められていた。 「死ねばそれだけ敵の数が増える。注意しろ……!」 「うっせぇ、全部もう一回殺してやらぁ!」 拓真の忠告も、ネクロマンシーへの警告も、裏野部は聞きはしない。 いや。聞いたは聞いたのだろう。 死者が起き上がるという情報を確定として与えられ、彼らは一般人を盾にするのを止めるどころか――リベリスタに向けて投げ込んできたのだ。 理由は簡単だ。 死祢の存在。 彼の所持するアーティファクトは、対象問わず無差別の毒兵器。 リベリスタへと向かった死祢の毒の効果範囲は、倉庫付近に引き摺り出されていた一般人を確実に含んでいた。毒に犯され死に逝く一般人を救う気など、裏野部には毛頭ない。 けれどそれが起き上がるというのならば――その『爆弾』を敵へ投げ込むのに、躊躇もなかった。 「止めろ、何を――!?」 叫んだ夏栖斗に向けて投げつけられたのは、未だ幼い少年。 夏栖斗が叩き落さなかった理由は簡単だ、彼がまだ生きていたからだ。 だが、その体は毒によって痙攣し、空気を求めるように激しく咳き込んでいる。 「……しっかり!」 夏栖斗はせめて、少しでもその影響を減らすべく子供をその身に抱きかかえた。 ごほっゴホッゴボッ、ゴボ、ボ。 肺が爛れ、血が呼吸に混じる。血を吐く合間に呼吸をする。己の血に溺れる。 毒によって急速に汚されて行く血の臭い。 抱き締める夏栖斗の胸が、吐き出される少年の血で濡れて行く。 地に置くか、後ろに放るか。仲間を思えば抱えて離脱は出来ないが、少なくとも抱いたままではいられない。けれどここで放せばもう、それでこの少年は終わり。 伸びる無数の手が彼を死者に加えるだろう。 「頑張れ、大丈夫だ、少しだけ頑張れ!」 絶対に助けるから。は、喉に引っ掛かって言えなかった。その間に、小さく痙攣した体が止まる。 放さなくてはならない。状況を考えるならば、未だ人の身である内に叩きつけ頭を砕き四肢を潰し、『目覚め』を不便なものにしなくてはならない。 「畜生……!」 鼓動を止め、死した少年ごと――夏栖斗は、脚の一閃で死者を薙ぎ払った。 体温が離れ、胸の血が潮風で急速に冷やされる。 代わりに、まだ温かい血が、夏栖斗の頬を撫でた。 一般人を投げつけられたのは、彼だけではない。 「ッカァ、ハァ……! バァ……!」 毒に喉を掻き毟り、舌を出して苦痛に悶える女性に、佳恋は唇を結ぶ。 小夜香の癒しが、悶える女性にも共に身に降りてくるが、分かっている。回復させてもこの女性は持たない。守りたい。この手を零れる命を、叶う限り救いたい。 けれど、今ここで佳恋が離れてしまえば、戦列を支える小夜香や雷音へ被害が及ぶ危険性が格段に高くなるのだ。数の利に任せ後衛になだれ込んでくる敵から雷音と小夜香を守る為、佳恋とエーデルワイス、二人の手が割かれた。 死祢のアーティファクトによって与えられる毒を無効化するのは、死祢本人、そして悠里と一部の裏野部のみ。毒の効果は、小夜香の回復量からすれば埋める事は然程難しくはなかったが――あくまでそれは、毒のダメージ単体として考えたら、のものだ。しつこく攻撃を続ける裏野部から、そして撃っても斬っても殴っても尚しぶとく絡み付いてくる死人からの攻撃に晒された上でのそのダメージは、実にいやらしくリベリスタを苛んで行った。 逆に裏野部からすると、彼らを含んだ小夜香による回復はこの上ない恩恵だっただろう。 だが、彼らはそれを恩に着るような性格ではない。 倉庫の屋根上、アークが現れた時に叫んだ男はホーリーメイガス。 小夜香と同じ様に癒しの歌を紡ぎながら、彼の回復は自陣、即ち裏野部にしか注がれない。 自身を射殺すような目で見てくる同業に、小夜香は思わず溜息を漏らした。 彼も他の裏野部同様、自身の力が――この場合は回復手として戦線を支える力が不足だと言われている、と受け取ったのだろう。 実際、彼の癒しの力は小夜香より低かった。けれどそれは、裏野部の消耗をアークよりも緩やかなものへと保ち続けている。 「君たちがボクらを倒したとして、その名声を得るには生きていなければならないだろう!」 雷音が、炎に揺れる空から氷雨を降らせ呼びかけた。 彼女も兄同様、今やその顔は広い範囲で認識されている。 「ボクたち精鋭が送られてくる事態なのだ、君たちの為に逃げ道を作る。だから逃げ――!」 「おおっと!」 「逃げる? 逃げるのかリベリスタ、もっと遊ぼうぜ地面に顔叩き付けて死ねよ死、死死死死死!」 「っ!」 叩き込まれたピンポイントスペシャリティ。威力もさる事ながら、死祢を相手取る時に何よりも厄介なのは、回復を拒むその呪い。優れた防御力を持っていても、呼吸に、血液に、魔力に混じる毒で受けるダメージは、硬い体を無視して身を汚す。 リベリスタを纏めて撃った星の輝きは、先程から散発的に攻撃をしてきていた裏野部の射手のものだ。 だが、その威力は上がってはいないか。その狙いは、より正確になってはいないか。 今まで耐えていたが故に、その差に気付いたリュミエールが目を凝らし、そして息を吐いた。 そのスターサジタリーの目は焦点を結ばず、口から血を吐き出している。 最早死んでいるのは明らかであったが、屍になったほうが強力であるとは益々厄介。 リュミエールが目を向ければ、コンテナの上で白い少女が無表情で、こちらを見ていた。 ● 「A dopo.……やれやれ」 ようやく終わったオルガニストの大して意味もない報告、というよりは世間話を受けてから切るまで、それほどの時間はなかっただろう。それにしても、場は膠着している様に思えた。 マフィア連中はてんでバラバラに攻撃をしている様子だし、アークは死人に攻撃は仕掛けるもののマフィアに手を出さない。だが、楽団が躍らせる死体がそう簡単に倒れるはずもなく、先程よりも生きる者たちは狭い中で寄り添っている様子だった。 「……モーゼスがどうしたの?」 ゾーエの声は正面へと放たれる。死んだマフィアを操っているのだろう。片手間にやればいいものを、バレットの方を向きもしない。 「さあ? あの気難しがり屋が何を考えてるかなんてお姫様並に分かりゃしねぇ。何しろこの俺のやる事なす事気に入らねーみたいだからな!」 「…………」 皮肉も嫌味も入らない、無言。沈黙の間にゾーエが自分の服の中に手を入れた。恐らくは通信機器。 モーゼスに付き従う少女らの楽器も、ピッコロだ。 「何だゾーエ、仲間外れが寂しいって?」 「違う」 溜息と共に、それはポケットへ戻される。 「……演奏中なら横槍は無粋。また後で」 「ああ、いいねぇ。エンツォに言ってやってくれよ、今かけ直すからさ」 今度こそ、呆れた溜息。 バレットの笑い声が風に溶ける。 また一つ、心音が途絶えた。 ● 死体である。知性に乏しい。その条件で、どこか死体を甘く見ていたのかも知れない。 だが、裏野部とて、決して人数が少なかった訳でも、実力が低かった訳でもない。 確かに死人と比べれば少なかっただろう。 確かにアークのリベリスタよりは質で劣っただろう。 けれど、それなりに実力のある裏野部の、二十を数える人員がこの死体の群に苦戦――のみならず、『殺される』と読んだからこそ、フォーチュナはリベリスタを送ったのだ。 アーク精鋭の火力を持ってしても、易々と打ち崩せるものではない。更に、防御に徹した組と、攻撃に転じた組。長引く『説得』の間、分かれた対応は、結果として短期決戦にも長期継続戦にも向かない様相を呈してしまった。 「ひ、あ、ギュアアア!」 一人、突出気味だった裏野部のデュランダルが死の波に泥んだ。 飲まれた姿は死人に紛れ、最早どれだか分からない。 倉庫の外に引き摺り出されていた一般人六名は、とっくに死の一波となってリベリスタを飲み込まんとしている。ぐちゃり。ぐりゃり。はみ出した内臓を死人が己で踏む音が、耳にこびり付く。 リベリスタは自身の退くべきラインを考えていなかった。 正確に言えば、自分達よりも裏野部の消耗が早い、と判断しての撤退戦を想定していたのだが――死者を操る楽団と、思い通りに行かない裏野部を相手取るのに、それは見込みが甘かったと言わざるを得ない。 最初にそれに気付き、小さな焦りを浮かべたのは佳恋だ。 楽団員の特性から、自らと仲間の死を最も避けるべきだと注意を払っていた彼女は、アーク側の損傷に対してあまりにも遅く感じる場の進展に眉を寄せた。 これでは、持たない。 死祢の攻撃を受け止め続けたエーデルワイスは倒れ、佳恋は同様に運命を消費していた。 いくら小夜香の回復が優れていようが、そこに雷音が加わろうが、彼女ら自身が攻撃を受けかねないこの状況では、何かの弾みで戦線は容易く瓦解するだろう。殺す事が叶わない死祢の存在が、それを加速させる。 「け、けけけ、死死死死ねよ、リベリスタ!」 「通しま、せん……!」 裏野部の攻撃は、包囲網を狭める死者を相手取る為に既に散発的になっていたが――最も厄介な死祢が、未だにしつこく小夜香を狙い続けていた。 にい、と笑った死祢は、思考の奔流を神秘の力によって具現化し、弾けさせる。 弾き飛ばされた佳恋は、先にいた死人に首を掴まれた。ぎり、ぎりぎちぎりぎちぎり。減り込む指。遠のく意識。その視界に映ったのは、同じ様に死人に囲まれる小夜香と雷音。 死人の多くは、リベリスタと裏野部の攻撃により体のどこかを、或いは大部分を欠いていた。 それでも上半身だけの男が、低い場所を飛ぶ雷音の足に跳ね上がり腸を揺らしながら縋りつき、首を失った女が血で塗れた手で小夜香の服を握り締める。 「……余り有用ではないわね」 綺沙羅が僅かに苛立たしげに呟いた。 その細い腕にも、掴まれた痕が、裏野部に斬り付けられた痕が、痛々しく残っている。 彼女の観察眼を持ってしても、死体からネクロマンシーの本質は読めない。異常に打たれ強く、生前よりも遥かに頑丈。弱点と言えば、人間性や知性が見えないが故に、咄嗟の判断が鈍いであろう事くらいだ。 だがその鈍さも、白い少女、ゾーエが『操っている』と思われるフィクサードの死体は別だ。 他の死人よりもより臨機応変に、スキルを使い分けるまでの判断力を見せている。 悪い事に一体ではない。彼らは複数の死体を、より細かく意のままに操る事が可能なのだろう。 その情報を得る為に、綺沙羅が支払った対価もまた運命。 皮膚から突き出した骨が華奢な身を刺し――散った血が、少女の口に紅を差した。 身軽な猫のように素早くその体をリュミエールが抱き上げ、後方へと運ぶ。 だが彼女も、最早限界が近い。 「ッタク、だから私はこんな所で死にたくネーんだよ」 裏野部であった死人に打ち据えられ、ぼやいた言葉と共に、暗転。 ――事ここに到って、ようやく場が動き始める。 バサリ。 羽ばたきが聞こえた。小夜香が恩寵を投げ出して踏み止まったその瞬間に朦朧とした意識で見上げれば、白い翼が夜へと代わりつつある空へと吸い込まれていくところであった。 屋根上にいた裏野部のホーリーメイガスが、撤退したのだ。 状況を俯瞰で見ていた彼が撤退したという事は、己に勝ち目が薄いと悟った事でもあり――同時に、癒し手を失い、ここから加速度的に裏野部の崩壊が始まっていく、という意味でもある。 「なあ、この状況は詰まらんものだろう。奴らに戦力を供給してやるつもりか?」 癒し手の逃走を振り返って見た幾人かに、拓真が呼びかける。 彼もまた、傷だらけだ。 「今は、楽団の情報を持ち帰りあの連中の顔を何れ歪めてやるのが一興だと思うが、どうか」 後の復讐を匂わせた言葉。 見合わせた裏野部の一人、フライエンジェは舌打ちをして屋根上の男と同様に飛び立った。 彼のように、飛べるものはまだ幸いであっただろう。 死体を蹴り飛ばし、頭に銃弾を贈り、二、三名が空へと逃げ出した。 弱っていた一人は足を捕らえられ、そのまま死人の海に飲まれる。 「が、は」 「っと、死んだ死んだ死んだ! ああっは、殺し損ねて死んだ死ねよ馬ァ鹿!」 死祢の傍らにいた裏野部も、握っていた銃ごと死体の群に引きずり込まれ首を折られた。 哄笑する死祢の周囲は、今や死人だらけだ。 攻撃によって皮膚を焼け爛れさせ、内臓をはみ出し眼球を零す彼らにも怯まない死祢に、悠里が血で汚れた眼鏡を乱雑に拭う。 「馬鹿はどっちだって言うんだ……!」 もはやその血が己のものなのか、死体からの返り血なのかも判然としない。 それでも、死祢を死亡させるというこの場の最悪――仲間が死ぬのを最悪だとすれば、二番目に悪い事態――は防がねばならなかった。 死祢に手を伸ばしてきた死体の腕を、悠里は滑り込んで弾き飛ばす。 「あ?」 「本気で嫌だけど、お前を守ってやる……! 引き際だけは見誤るなよ!」 己の手を血で汚して、うっとり目を細める男に悠里は吐き捨てるように告げた。 死祢とて無傷ではない。死人から、己の仲間であった裏野部から、時に攻撃を食らい避け反撃していた彼は、それなりに痛んでいた。 だが、悠里の背を悪寒が走る。 ガッと首に回された腕。これはまだ温かい。鼓動を感じる。生きている。背に感じるのも鼓動だ。 「ああ。ありがとう」 頭を引き寄せ、後ろから耳元で囁いたのは、死祢。 だが、その言葉の意味とは裏腹に、底冷えのする感覚が悠里を襲う。 篭っているのは、感謝ではない。 「死ね」 悪意と殺意。 背後からの抱擁に続けられた不意打ちは、悠里の体力を運命ごと掻っ攫った。 「か、は……!」 「――それ以上悠里に触んな!」 「悠里、気を強くもつのだ!」 悠里を引きずり込もうとした死者の腕を夏栖斗の一閃が切り飛ばし、失われた体力を雷音が埋める。 「なあ死祢! あんたに死なれると困るんだよ! あんたの破界器を持ってしても数には勝てない!その判断をつけれるなら逃げろ!」 「……なんでそんなに困るの」 切り落とされて尚も動く死人の腕を掴み、面白げに眺めた死祢が夏栖斗に問う。 この状況を、まるで理解していないか――或いは、死者が起き上がるのを楽しんでいるかの様に。 「さっきから言っているが、お前があいつらの手駒になると困るんだよ」 喧しく騒ぐ裏野部が減ったお陰で通るようになった声で、クルトが首を振った。 その腕に、足に、死人が絡み付く。彼の拳は幾体もの死人を打ち据え、その進軍を妨げてきたが、暫く前に大技を放つ気力はなくなっている。 死祢は薄っすらと、笑った。 「うん。そうか。悪いリベリスタが困るならいい事かな」 「……っ、そんなに死にたいなら、楽団を潰した後で僕が殺してやる! だから、」 「殺す、殺す殺す殺すか、ッハハハア! そうか死ねよリベリスタ! 今ここで! 血ヘド吐いて殺してやるよ!」 叫んだ悠里にもう一度死祢が構える。 死者の群れは、当初よりも大きく数を減らし――けれど裏野部のフィクサードを取り込んで、その力を増していた。 「……駄目です」 「敵よりも、私達の生存が優先です……!」 辛うじて意識を保っていた佳恋、そしてエーデルワイスが、小夜香を抱き起こしながら仲間へと叫ぶ。 生存目標であった裏野部の半数は、既に死人に飲まれた。ここで更にアークの人員を欠かす事だけは避けなければならない。ぎいん、と振り下ろされた、裏野部……であったものの刃を受け止めながら、夏栖斗が苦しげに顔を歪める。 叶うならば、倉庫の中に未だいるであろう人々をも連れて行きたい。だが、傷付いた仲間を多く抱え、これ以上留まる事は不可能だ。 死祢を連れて行くのも、最早難しい。力で抑え込む為には、更なる損害を被る事となる。 自分達が死ぬ訳には行かない。 それがリベリスタの下した、決断。 「く、っそ……!」 「この場の勝利は預けよう。……だが、次は」 拓真の視線は、遠くで自分達を見詰める二人に向けて。 その言葉が聞こえていたのかいないのか、男と少女は動かない。こちらを追いもしない。 体から離れてもまだ蠢く腕を、指を踏み潰しながら。 傷付いた仲間を抱え、退却するリベリスタの背に――死祢の奇声とも取れる叫びが、響いていた。 振り返った者は、見たかも知れない。 彼の体を貫く、白い骨を。 ● 海辺の一角は、今や不気味な静寂――呻きと炎のはぜる音の響く場所と化していた。 がらごぉん、と落ちたのは、破壊されひしゃげたコンテナの天井だろう。 死者のどれかが潰されたのか、有機物が潰れる生々しい音もした。 だが、この場に残った生者二人は全く意に介さない。 金属に包まれた指先を動かしながら、バレットは伸びをした。 「ここのマフィアはどんなモンだ、ゾーエ」 「……致命的に使えない、という事はないけれど。物足りない」 「だろーな。まーしかし、あの程度であっさり死ぬ連中ばっかりだったらどうしようかと思ったぜ」 「……バレット。連中は『生ける伝説』を下してる」 「分かってる分かってる。じゃなきゃ、大将が久々の譜面に心弾ませて来たりしねーだろ」 流れてくるのは、炭と化したものが燻る臭いだ。血肉が焦げる臭いだ。 それらを吸い込んで、バレットは背負った己の愛器と弦を撫でる。 「――どうせもう暫くしたら"scatenato"だ。たっぷり聴いて貰わねーとな!」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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