● 強化硝子の奥で丸くなる『それ』を等活は眺めた。 白い獣に生えた翼。一見しただけでは、それはなんだか分かるまい。 人の掌を無数に繋げたもの。手の甲側の皮膚は丁寧に切り開かれ、指と指の間、掌と掌の間を繋ぐ皮膜となっていた。表から見れば掌が連なったタイル模様、背後から見れば骨の白と肉の赤が一種のデザインにも見えるであろう。 実に手間の掛かった無駄な仕事だ。 見せて来た相手、このラボのリーダーである灯屋諒次は、いつになく高揚しているようにも見えた。 「どうかなぁ……自信作なんだけど、忌憚の無い意見を述べてくれると助かるねぇ……」 「そうですか。では。――見栄えも悪いし何より然したる意味も無い部位に無駄に時間を掛けている時点で我の志向には合いません。若い内の苦労は買ってでもしろと言う慣用句は在れども、結果の見えている事に時間を費やすのは愚かを越えて狂気と断ずるしかありません。が、六道に属して狂気と呼ばれぬ方が稀。其れに既に貴方の思考が迂遠である事は理解しているので言い控えましょう」 「……心が折れたのでやっぱり建前がいいかなぁ……」 「相手側の士気減退になるか戦意高揚と転ずるかは分かりませんが、まあ虚仮脅しにはなるのでは」 「……建前凄く少ないよ等活君……」 「金を貰えればもう少々褒めます」 「少しだけなんだ……」 露骨に肩を竦める灯屋は放置し、再び等活はそれを眺める。 確かに外見の趣味の悪さは今までと同様だが、形はそれの比ではない。 白い獣は恐らく狐であろう。その姿はほぼそのまま、大きさだけが変化している。 大人しくしているのも、灯屋の命令があるからだろうか。少なくとも犬程度の知能はあると見える。 素直に褒めるかは別として、その完成度は初期に比べて段違いと言う他ない。 「……まあ、言う通り確かに翼の部分はおまけみたいなもんだけどねぇ……。別にこの翼だけで浮かんでる訳ではないからさぁ……。白狐掌。飛べ」 言葉に応え、白狐掌と呼ばれた獣は僅かに翼を羽ばたかせ、足を浮かせた。 その腹に浮かぶのは――人の顔。 「何個か使い潰しちゃったけどさぁ……ようやく綺麗に出たんだよ……。折角複数を掛け合わせるんだからさぁ、特性は生かさないとね……」 満足げに呟く灯屋に、僅かに等活は訝しげな表情を向けた。 これだけ洗練されたものを作れるようになったのならば、確かにそれは本人にとっては嬉しい事だろう。 だが。 「既に研究データは出揃ったのでしょう。其れなのに祭り騒ぎの如く『研究成果』を持ち出して何を?」 「……祭りかぁ。うん、そうだねぇ、そうかも知れないねぇ……。紫杏様が仰ったんだよ……『余興』だって……。ほらさぁ、お祭りだって前夜祭があるでしょう……あんな感じだよ。だからさぁ、遊びに行くのにちょっと付き合ってくれるかなぁ……」 「あの気紛れな姫君は何をやらかすつもりで」 「それは流石に秘密かなぁ……。等活君も六道だけど、紫杏様の味方ではないからねぇ……」 「……まあ、我等地獄一派、地獄の沙汰も金次第。聞かなくて良い事は聞かないとしましょう」 「うん、大丈夫、大丈夫……。……今回限り、等活君の手を煩わせる事もなくなると思うからさぁ……」 一歩行っては戻り、また進む。結果として前進せずその場で足踏みするだけの男は、薄く笑った。 ● 「さて、異世界での大仕事の後ですが、皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンが今日もお仕事をお願いします。フィクサードはこちらの都合なんて聞いてくれないでしょうしねえ」 肩を竦めた『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は、モニターに画像を映し出す。 やや尖った鼻先に、大きめの耳。そして豊かな尾。 ここだけ見れば可愛いんですけれどね、と乾いた笑いをギロチンが漏らした。 その口が耳まで裂けていて、鋭い牙がぞろりと覗いているのを見なければまあ、可愛いのかも知れない。 だが、そこに目を瞑って尚も「可愛い」と評するのには致命的な問題が、背に、腹に生えている。 手と顔。誰か呟いた。 「はい。暫く前から六道が『キマイラ』を使って騒ぎを起こしているのはご存知でしょうか。今回はその一件、この『白狐掌』の討伐に向かって頂きます」 獣が翼を動かす度、掌もまるで何かを掴もうとするかの様に皮で繋がれた指が丸まる。 果たしてそれは、何人分なのか。 どれだけの血が流れたのか。獣は語らない。 「向かって頂く先は山間に位置する町。郊外に現れたキマイラは、既に周辺住人を十人以上食い殺し、そこを己に有利なエリアへと塗り替えています。……戦闘可能範囲内はほぼ例外なくこの中に含まれると考えていいでしょう」 故に多少状況的には不利になる、と告げて紙を手渡した。 「細部は資料を見て頂くのが早い。……前の通り、六道の研究者達も付近で観察しています。彼らから仕掛けてくる事はないでしょうが、まあ、気分の良いものではないですね」 だから何ができるという訳でもないけれど、と首を振って、フォーチュナは向き直る。 「既に犠牲は出ています。これは嘘にできません。ですから、これからの事を嘘にして下さい。ぼくを嘘つきにして下さい。どうか、宜しくお願いします」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年11月11日(日)00:01 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 血の臭いだ。腐臭ではない。腐ってはいない。 寒風が吹く季節になったこの山間の村に喰い散らかされた体は、未だ腐っていないのだろう。 それでも生臭かった。魚の臓腑をぶち撒けたのの何十倍も酷い臭いがした。 足元がぬかるんでいる。赤く土気で黒く泥と血と肉と。 だが、これが真に犠牲者の血であり肉であったなら、数百人、数千人の内臓を引き千切り巻き散らかさねばこうはなるまい。足を置いたらそのまま嵌りそうな艶やかさを持った泥とも液体ともつかぬものにはなるまい。だからこれは、異形の作り出したテリトリー。獲物を捕らえておく為のものなのか、更に呼び出すためのものなのかは分からない。けれど確かに、ここは異形の領域だ。 震えた息が漏れる。未だ泥と血の侵蝕していない場所で『ソリッドガール』アンナ・クロストン(BNE001816)は一歩足を引いた。恐れではない。 「大丈夫ですか、クロストンさん」 「……ん、ゴメン。実物見たら、気が遠くなった」 常と同じく、面には感情を出さず。後ろから歩み出た『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が、白の多い目をきょろりと動かして問えば、アンナは首を横に振った。 落ち着こうと息を吸っても、生臭い。この場所では足の裏は未だ平常を保っているが、流れてくる臭いばかりはどうしようもなかった。 気持ち悪い。ああ、そうだ気持ち悪い。こんなぬらつく地面を、赤黒い地面を心地良いと思うはずもない。けれど、アンナの心を焼くのはそればかりではなかった。 彼女にとってはなんの益もないとしか思えない、あんな化け物の為に一体何人の屍を積み重ねたというのか。思えば、嗅覚からの刺激以上に吐き気さえ覚える。 そんな彼女に一瞥を送り、力強く前に立ったのは『折れぬ剣《デュランダル》』楠神 【ハーレム】 風斗(BNE001434)だ。何やら名誉だか不名誉だか分からない呼び名が地味に浸透し始めている彼だが、本人の眼に曇りはない。 色付いた山の木々よりも尚赤茶に満ちた地面。落ち葉も中に飲まれたのか、ぬかるみはぬかるみ、ただそれだけだった。 「一体、どれだけの命があれ一つの為に犠牲になったんだ……」 言って、唇を噛み締める。生命は祝福されるべきだ、と思う。誕生を忌避する言葉を簡単には使いたくない。でも、あれは看過出来ない。本来ならば、存在しない筈の異形。存在してはいけない生物。人を襲い喰い散らかし、裂けた口で笑うばけもの。ばけものを作り出した人間は、ばけものよりも醜く笑っている。 「本当に、どれだけの犠牲と、血と涙が」 憂い。『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の眉が寄る。六道は何を考えているのか。何を求めているのか。何がしたいのか。彼女には理解できなかった。 ただ、この使嗾が然したる意味も持っていない事は雷音にも分かる。再び蠢き始めた六道は、多く騒ぎを『余興』と呼んでいた。大した重要性はない、姫君のお遊び。けれど。だからこそ、倒さねばならない。 「またキマイラね……。しかし、どんどん気味が悪くなっていくわね」 彼らにとっては完成度が上がった、と称されるそれら。キマイラの名を持つ混合の種。『重金属姫』雲野 杏(BNE000582)は戦闘前の一服を終えた。 掌の翼、腹部には人の顔。前衛芸術にしてもセンスが悪い。 それに、その顔。顔が唱えるのは、杏ら魔術師が扱う葬操曲・黒。六道とて無から有を作り出すわけではない。粘土を捏ねて顔を付けたのではない以上、その『材料』が何かなど、問わずとも知れる事だった。 面白いはずもない。ただの獣ならばまだしも、そこに確かに息衝いていた人間であったものを地に沈めるのは、気分がノらないのだけれど。それでも、仕事だ。 情けも感傷も一旦置いて、彼女は得物でもある楽器を手に取った。 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)は、冷静に冷徹に、沼の先の姿へと目を凝らす。 何処かで様子を見ているのであろう六道の連中をも見透かすように、その隻眼は鋭く地を睨めた。 件の魔術師だけではない。白狐掌を作り出すまでの過程に弄ばれた命が幾つかも分からない。 けれど、彼らは遊んでいるのではないと言うのだろう。腹を切り裂き臓腑を取り出し投げ捨てる様な真似をしながら、そう在るのが当然の権利の如く笑っている。 ぎし、と握る刀の柄に、力を込めた。 気のない様子で、それでも注意深く視線を走らせながら『蒙昧主義のケファ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203) は己の翼を羽ばたかせる。 何処かで見ている筈の一人、等活を名乗る六道のフィクサードと見える――一方的なものも含めて見えるのは、これで三度目。 「地獄の沙汰も金次第、っていうなら見世物じゃないんだし。金でも取ろうかしら?」 地獄を名乗る一派が口にするフレーズを挙げて、指先を口元へ。金と保身の為に動く事自体は否定しない。彼自身もそうだから。けれど、その思想と行動が相容れるかどうかはまた別問題だ。 エレオノーラはこの悪趣味に付き合う気もないし、獣は獣、この場合は単品の方がうつくしいと思う。彼の美的感覚とは、全く相容れない。そんなもののお守りまで引き受けるとは、いっそ感心でもしよう。 「頼むぜ、犬束」 槍を肩に掛けた『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)が声を掛けた。 彼がやるべき事は、今ここではない。彼の役目は、終わった後に。終わらせる為に。 血と液体に塗れた地面に僅かに目を落とし、そしてうさぎを見た。 頷きあう彼らの背に、翼が降りる。 ● 狐は、笑っていた。笑っているように見えた。耳まで裂けた口で、ぎさぎさの牙を生やして。 赤い地面で、荒れ果てた平野で、赤の点すら付けない純白の獣。 豊かな毛並みの尾を、秋のススキの穂の如く、尾花と名のつく草が風に揺れるかの如く、柔らかに揺らしていた。 下手をすれば神々しくさえ見えたであろうそれも、背から生える翼と腹の顔が否定する。 これはよこしまなものだ。 存在してはいけないものだ。 舞姫とエレオノーラが、視線を合わせさえせず左右に散る。 優れた速度の彼女と彼の一手目は、その背面に回り込む為に。 「卑怯だなんて言わないわよね、そこで見てるだけの子達は」 呟いた声は、拾われているのだろうか。 そうだ。拾われて、いるのだろう。リベリスタが白狐掌のテリトリーに入った頃合から、視界の端に現れたその姿。五。六か。白衣とスーツの男二人は、確かにモニターのあの二人。 隣の研究員に何か囁かれ、等活が肩を竦めた。その表情からは、何も読み取れない。 「羽の上に羽とは、少し違和感があるからおもしろい」 普段の翼の上に翼。更なる推進力を得た雷音は、ほんの強がりでそんな事を口にしてみせた。 異形だ。豊かな尾だけを見ればいっそ可愛らしい。けれどその腹に浮かぶ顔はなんだ。大量の掌はなんだ。 むすんでひらいて。 狐が翼を羽ばたかせる度、掌が蠢く。にぎって、ひらいて。その中に子供の様な小さな手も混じっている。雷音は、息を吐いた。 「來來! 氷雨」 降り注ぐ透徹の雨が、赤黒い沼を波打たせる。 「貴様らが何を考えているかはわからない。けれど全てアークがそれを阻止するのだ」 凛とした少女の声。彼らは答えない。聞く術を持っていても、会話する術は持っていないのかも知れない。でも、だからどうした。この決意が聞こえていれば、充分だ。 肌色の翼を仰いで、うさぎは思う。 手の甲の皮膚を切り開き、まるで蛙の水かきのように指と指の間を、掌と掌の間を埋めている。大きく翼を羽ばたかせるものだから、時折その裏側も見えた。 肌色の翼の裏側は、赤と白。僅かな黄色。人間の、体の中の色。 繋がれた皮膚が、綺麗にならぶ白が、その仕事の丁寧さを物語った。 うさぎは、利だけを求める訳ではない。時に自己満足やその他の何かの為に、大して利のない事にだって拘り抜いてみせる。が。これは。いけない。 エレオノーラと等活が一部の思想は同じくしても決定的に異なるように、うさぎと『オーバーステップ』と呼ばれる彼の間には越えがたい溝がある。 「灯屋・諒次、この悪趣味な腐れシェフめ」 完成品である白狐掌を、組み合わせて作り上げた存在に悪態を吐き、褐色の背に生えた翼を繰ってアンナの傍へ。白衣のにやついた顔は、揺るがない。 彼らが欲望に従うのならば、然り、自らもそうあろう。相容れない、道を外れた欲望を叩き潰すその為に。 異形の周りに青い火が灯っていた。人の顔が浮かび上がっていた。 狐の周囲、東西南北に一つずつ。 これは、この場で死した彼らの念なのか。寒風吹きすさぶ野外で喰い散らかされ、炎となっても寒いと唱う者の念なのか。分からない。 炎に浮かび上がる顔に瞑目し、フツは両手で印を切る。 切った印は、不可視の錘を、素早い動きを禁じる術を炎と狐に施した。 笑う狐が疎ましい。 「……随分と、楽しそうじゃないか」 白衣の男が笑っている。怒りを循環する魔力へと変えて、アンナは精一杯の虚勢も込めて睨め付けた。ああ本当におぞましい。狐も表情を浮かべない『顔』も、元の生活があったろうに。足元の沼を形成する羽目になった人々も、決して踏み躙られて良い存在ではなかったのに。 これ以上は、許さない。今は届かなくとも、必ず、必ずいつしかその顔をぶちのめす。 そんな彼女の横を抜け、刃を振り上げた風斗が叫んだ。 「アークのデュランダル、楠神風斗! お前を殺す者の名だ!」 彼と白狐掌の間に立ちはだかろうとした、邪魔な炎の一体をフツが槍で制す。 遮るものは、何もいない。 ひゅう、と吸った息と共に振り下ろした刃は、生死問わずの破壊力。例えどれだけ強くとも、力だけでは押し負ける事もあろう。けれど今は、一人ではない。敵を翻弄し引き付ける身軽な仲間、頼りとなる癒し手にそれを守る友、後ろを支える術師が揃えば、押し負けるなど考える必要もない。 自身の役割を最大限に果たす為、風斗は狐の白い毛並みを鋭く切り裂いた。 遠くから見る存在。またデータを取っているのか、それとも覗き見が趣味なのか。 まあそんなのは関係ない。今は目の前の獣を倒すのがお仕事だ。 ああ、けれど。もし自分のファンだというならば、少しくらいは聴かせてやろう。 「さ、爆音ならぬ轟雷音のお時間よ」 ピックを握り音を奏でる指先が、一つ音を爪弾いて天を指す。 杏の声に応えて降った雷撃は、細かく散り開いたにも関わらず恐ろしいまでの威力を以って炎を打った。 ぐるぐると、狐が唸る。 次の瞬間響いた『鳴き声』は、音としては耳に届かなかった。 けれど確かに体を揺らし、脳を揺さぶり筋肉を張らせる。 邪な獣は、ゆらゆらとその翼を蠢かせていた。 ● 「……やあ、何処から見たらいいのか……余興だってのに随分と精鋭ばかり来てくれたねぇ……」 「焦燥院に戦場ヶ原、挙句朱鷺島に犬束――ああ。全員名前を諳んじられるかも知れません。やれ、貴方があそこに突っ込めと言う無謀なクライアントでなく助かりました」 「いやぁ、もっと精巧なデータ取っておけば良かったなぁ……どうせ遊びだからって簡易にしちゃったよ……」 「はしゃぎ過ぎの自業自得です。……まだ必要なので」 「ほら、取れる限りは取っておきたいってもんじゃないかなぁ……。……いいなあ、あの内の誰かが献体してくれれば、すっごくすっごく強いのが作れそうだ……」 「直で打診してきたら如何です?」 「殺される気がするから嫌かなぁ……」 「判断力は残っているようで何よりです。ならば其れ以上前に出ない様に」 ● 刃が踊る。白い尾がくるりと回る。 雷音の氷雨に、杏の雷に打たれ、人の顔をした炎が程なくして姿を揺るがせ始めた。 広範囲でありながら威力を殺さない二人の連続した攻撃から身を癒す術を、炎は持たない。 けれど狐の側も黙ってはいない。呟き続ける腹の顔。狐部分が二度動く度、黒い鎖を放つそれ。 鎖に取り込まれれば、赤黒い沼もまた無言で牙を剥いた。 巡った毒が更なる凶悪さを帯びて体内を巡る。ごぼりと肺腑を巡って喉から湧き出した血を、うさぎは地面に吐き捨てる。泥に飲まれて、すぐに赤は滲んで馴染む。 エレオノーラと舞姫がその命中力と身軽さを生かし注意を引き付ける作戦は、決して悪くなかった。 けれど、攻撃を引き受ける以上は戦に置いて完璧はない。 がっ、と。獣の腕が、舞姫の肩を掴んだ。人が顔を覗き込むように、狐が隻眼を覗き込む。 ぐるうり回る視界は赤。白が赤に、赤に黒に。 刀を握る手は緩まない。緩めてはならない。切れ切れ斬れ! 散る、散った、光と金色の毛が散った。あれ、狐の毛の色は金だったか。違う、狐は白い。 白は良い、赤は良くない、きっと金も良くない。そうに違いない。舞姫の目には、金の狐が映る。 沼に落ちた金の髪が、あっという間に泥に塗れて埋もれて行った。 散った光、ハレーション。眩んだ目を押さえて、エレオノーラは曇天の霞を掌に収める。 刃を収めた彼に、仲間が訝しく思う間もなかった。小さな少女の形をした掌を返し、糸が穿ち貫いたのは風斗の肩。 「ぐっ……!」 沸き起こる激情を押さえ込もうと、風斗は呻いた。何故どうして自分を攻撃するのか討つべきは目の前のこの獣だろう何をやっているんだ忘れてしまったのか忘れたのかならば倒さねば障害だ。 理性は違うと叫んでいる。エレオノーラを捕らえたのは獣ではない、舞姫だ。 けれどその舞姫は一時の幻惑で獣に囚われている。故に巻き起こった連鎖に過ぎない。ここで自分がエレオノーラに刃を振り下ろそうとしてしまえば、獣の前を塞ぐ人が一人減るだろう。 分かっている。理性は理解していた。正しくないと叫んでいる。だが、駆ける翼が止まらない。自身の意志を無視して、感情に従って走り出す。 偽翼の少年の一撃を、自前の翼で避けた男は頭を押さえた。ぎりぎりと、抗うように指先が慣れたナイフの感触を探す。 互いの葛藤に終止符を打ったのは、降り注いだ癒し。 唱え呼び続ける高位存在からの庇護、曇り眼も拭い去り、視線の先には一人の少女。 「しゃきっとしなさい!」 響くアンナの声。同時に己に気遣わしげな視線を向けた彼女に、うさぎは軽く手を挙げた。 アンナが回復手として癒し続けられるのは、守りを選んだうさぎがいるというのが大きい。その為に既に一度、運命さえも消費している。けれどその分、彼女は最大の回復を以って応えていた。 リベリスタの戦線は、崩れない。 「ほら楠神、遊んでないの、そろそろオシマイよ」 狐の腹部で呟き続ける顔に目を眇め、杏は四色の光を奏でた。 既に狐の毛並みは乱れに乱れ、己の血で汚れ切っている。 セーラー服の裾を翻し、舞姫が白狐掌に向き直った。 けれどその視線は、獣を通して六道に属する者達を見ている。 「貴様ら、これをどうやって『入手』した」 低い声。その調達方法が合意でなかった事など、合法でなかった事など、今までの行いから易く知れる。 それでも糾弾せずにはいられない。余りにも非人道的なこの行いを、許せない。 「絶対に、貴様達を許さない」 切っ先が、光の軌跡を描きながら、狐の喉を抉った。 最後の最期、その光に魅入られたか、白い獣は尾を伸ばす。 攻撃の為ではなく、懐いたかのように舞姫の頬を撫ぜた尾は、固まりかけた血と毛で小さな棘となり彼女の頬に引っかき傷を作って――落ちた。 ● 落ちた。狐の落ちた先は、固い地面だった。 体の一部は、そこかしこに散らばっている。けれど、足を掴んで引きとめようとした沼はもうない。 白狐掌と呼ばれた獣は、ぐずぐずになって溶けていく。溶けた端から灰となり、風に攫われて行く。 フツがそっと、足を進めた。 内臓を晒した胴体に、頭と手足と別れたそれに、跪く。 「スマン。遅れた」 指先でその冷たい皮膚を撫で、静かに呟いた。南無阿弥陀仏。 声は聞けない。混乱の中喰い散らかされて体を飛ばされた彼らは、伝えるべき事もないもかも知れない。 けれど彼は、その魂を鎮める為に念仏を唱う。 低く静かな、穏やかな声が、人の気配をなくした山間の一角を流れて行った。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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