●Smoke of the cigarettes always drifts towards the person whom the cigarette does not suck in. (たばこの煙は常にたばこを吸わない人の方へ漂う) ――とある偉人の名言 ●ア・スモーカー・レディ・テルズ・アバウト・シガレット 2012年 9月某日 日本国内某所 日本国内のとある場所。 そこに建てられた研究所の一室と思しき場所で、妙齢の女性がデスクに向かっていた。 研究成果をまとめたレポートを執筆するタイピングは淀みなく、どうやら作業は順調のようだ。 妙齢の女性は普段着に白衣というそれほど派手な格好はしていないが、それなりに美人のようだ。綺麗に洗濯された白衣の背中に黒いストレートロングヘアが良く映えている。 そして、最も目を引くのはデスクの上に置かれた灰皿だった。灰皿には既に吸い殻が山盛りになっており、少しでも机を揺らそうものならたちまち崩れてきそうなほど積み上げられている。 この研究室には他に誰もおらず、それどころか彼女以外の人間が出入りした形跡が殆どないこと、加えてたばこのフィルター部分にうっすらと口紅の色が付いているのから考えて、この研究室の主である彼女が吸ったたばこであることは間違いないだろう。 それを示すかのように、彼女は書きかけていたレポートを保存すると、デスクに置かれていた未開封の煙草とオイルライターを持って立ちあがった。 そのまま研究室の外に彼女が出ようとした時、やおら部屋に一つしかないドアが開かれる。 ドアが開かれるなり部屋へと入って来たのは、数人の男たちだった。彼等は誰もが剣呑な雰囲気をまとっており、目つき一つとっても危険人物のそれに他ならない。 彼等が荒事に慣れた人物であることは疑いようもなく、更に言えば、人を殺し慣れていることにも疑いの余地はなかった。 剣呑な男たちは次々に銃やナイフといった凶器を取り出すと、それを彼女に向ける。一方、一斉に凶器を向けられた彼女は煙草とライターを持ったままの両手を迷わず上げ、無抵抗の意を示す。 その対応に些か拍子抜けした素振りを見せつつも、銃を持った男――剣呑な男たちのリーダー格と思しき男が彼女に語りかける。 「これはこれは煙山葉子女史、賢明なご対応ってヤツに感謝するぜ。で、今日は何でオレ達が来たかわかるよな?」 それに対し、研究者の女性――葉子は思いのほか落ち着き払った様子で答えた。 「アーティファクトやアザーバイドに関する記録や資料……私が行った他チャンネルの産物に関する研究成果諸々を狙ってでしょうね。さしずめ、貴方たちは他チャンネルから得た力を悪用する異能者――フィクサードというところかしら?」 すると銃を持った男をはじめ、彼等フィクサードたちは一斉に笑い出す。 「ははっ! 流石は博士とか呼ばれてるだけはあるぜ、今の地位は見た目と色気だけで手に入れたんじゃねえってワケだ!」 男たちはしばらく下卑た笑い声を上げていたが、やおら真顔に戻ると、再び葉子へと一斉に凶器を突きつけた。 「事情が解ってるなら話は早い。渡すモンを渡してもらった後はどっちにしろ、あんたには死んでもらうが、俺たちも鬼じゃない。素直に渡して楽に殺されるか、抵抗した挙句に痛めつけられて殺されるか――選ばせてやるよ」 恫喝しながらも男たちは抜け目なく移動し、さりげない動作で葉子を囲む立ち位置を取っている。 「貴方たちにとっては残念でしょうけど、何一つ渡すつもりはないわ」 だが、葉子は毅然と答えた。 それでも既に包囲が完了していることもあり、リーダー格と思しき男は余裕を崩さずに葉子へと話しかけた。 「ま、そっちを選ぶってならそれはそれで構わねえがね。なら、せめてもの情けってヤツだ。俺たちに殺される前に大好きな煙草だけは吸わせてやるよ」 相変わらず余裕のフィクサードたち。そんな彼等に対して葉子は落ち着き払った様子で問いかけた。 「いいのかしら?」 するとリーダー格と思しき男は再び余裕を前面に押し出した態度で答える。 「なぁに、オレも煙草は好きなんでね。煙草は良いモンだ。同じ煙草好き同士として、あんたにも最後くらい吸わせてやるよ。それに、今更その程度でオレたちがあんたを包囲してるこの状況がどうかするわけでもないしな」 意気揚々と一息に語るフィクサード。そんな彼に向けて、葉子は煙草を一本取り出しながら淡々と語り始める。 「失礼だけど、正確に言っておきたいから三点ほど訂正させてもらうわ――」 そう切り出し、葉子はオイルライターで煙草に火を点ける。 「煙草の煙に含まれる有害物質は自分が吸い込む主流煙よりも、実を言うと周囲に撒き散らす副流煙に多いの。たとえば高い発癌性を持つジメチルニトロサミンは主流煙が5.3から43ナノグラムの一方で副流煙では680から823ナノグラム。キノリンの副流煙に至っては主流煙の11倍、およそ1万8千ナノグラム含まれている計算ね。喫煙者の中には『自分が迷惑を被っているだけだから自己責任だ』と言う人もいるけど、実際は吸う人間よりも周囲の人間の方が煙草による害が大きいのよ――だから、貴方の『煙草は良いモンだ』という主張には疑問が残るわ。まずこれが一点ね」 人を殺し慣れた危険人物たちが凶器を持って自分を取り囲んでいることなど、まるで忘れているかのように彼女は冷静に語りだした。それに、ついついフィクサードたちも聞き入ってしまう。 「次に二点目。今説明した通り、自分以上に他者へと迷惑をかける煙草というものを私は好きになれない。だから、貴方が私に抱く『同じ煙草好き同士』という認識は誤りよ」 冷静にそう語りつつも、言葉とは裏腹に葉子は火の点いた煙草を口にくわえ、慣れた所作で煙を吸い込んでいく。その様子は、愛煙家がうまそうに煙草を吸っているのと何ら変わりはないように見える。 「そして三点目ね。貴方は『今更その程度でオレたちがあんたを包囲してるこの状況がどうかするわけでもないしな』と言ったけど、それは間違いよ」 淡々とした口調でそう告げると、葉子は吸い込んだ煙を吐き出した。すると吐き出された煙は拡散することなく空中に留まり、それどころかまるで意志を持っているかのように一箇所へと寄り集まると、身長2メートルほどの人型になる。 体格の良い煙人は、まるで元が煙であったとは思えない程の力を発揮し、その剛腕でリーダー格と思しき男を殴り倒す。 仲間のフィクサードたちが咄嗟に反応するも、時既に遅い。 葉子はまた新たな煙草を加えており、それを口から離して煙を吐き出す。やはりその煙も人型となり、また別のフィクサードへと襲いかかった。そうしている間にも葉子は次々と煙草を吸っては煙人を作成し、気が付けば煙人の数はフィクサードたちよりも数が多くなっている。 そして、ほどなくして煙人たちはフィクサードの制圧を完了した。 煙人に殴り倒され、あるいは絞め上げられるなどして絶命したフィクサードたちを一瞥すると、葉子は吸った煙草の数々を灰皿へと押しつけていく。 そうしていると、再び研究室のドアが開いた。 「随分と騒がしい音が聞こえたが大丈夫か――って、どうやら心配はいらなかったみてェだな」 研究室のドアから入って来た新たな来訪者である白い燕尾のドレスシャツに黒いジーンズ、シャギーの入った顎までの髪という姿の青年――三宅令児は現場の状況を見て事情を理解した。 「あら、珍しいお客さんね。最近、あなたたちの噂を聞かなかったから、どうしたのかと思ってたけど」 煙人に命じてフィクサードたちの遺体を外に運び出させながら、葉子は令児に問いかけた。 「まァ、アレだ……いろいろあって、『ギルド』の連中が活動を休止しててな。つい最近になって活動再開したってワケだ」 「ふうん。で、貴方がここにわざわざ訪ねてきたということは、私に用事があるんでしょう?」 葉子からの問いかけに頷くと、令児は蝋で封がされた封筒を差し出した。 「今回の目的は数カ月前、アークが『捕獲』したアザーバイドとその『容れ物』になってるモノ――保管されてるソイツを奪ってこいだとさ。少なくとも、アンタの興味を引くモンには違いないハズだぜ?」 ●ア・スモーカー・レディ・ワンツ・ザ・アイスドライター 2012年 9月某日 アーク ブリーフィングルーム 「集まってくれてありがとう。新しい任務よ」 アークのブリーフィングルームにて、真白イヴはリベリスタたちに告げた。 「以前、アークが戦闘の末に『捕獲』したフェーズ3のエリューションに比肩しうる力を持ったアザーバイド――『燃やす妬みのインヴィディア』が封印されているライターを狙った襲撃があるという情報を掴んだわ」 淡々とした調子で語りながら、イヴは端末を操作してモニターに画像を表示する。モニターに映し出されたのは、分厚い氷に覆われた真っ黒いオイルライターだ。 「炎に似た身体を持つアザーバイドであったインヴィディアはエネルギー供給源だった人間との接続を断たれ、更にはリベリスタとの戦闘で力を使い過ぎたせいで、宿る場所として使っていたこのライターから自力で出られなくなった。更にその後、討伐作戦に参加していたリベリスタの一人によって神秘の力を持った氷でライターごと覆われて、事実上、封印された状態でアークに回収されたわ」 意味ありげな前置きにリベリスタたちの何人かが興味を惹かれたのを見て取ったイヴは更に続けた。 「こういった形ではあるけれど、強力なアザーバイドを捕獲できたのだから、研究資料としての価値は決して低くはないわ。だから、それを狙ってくる連中が出てきても不思議ではないの」 内容とは裏腹に、やはりいつも通りの淡々とした調子でイヴは語り続ける。そして、彼女が淡々とした口調で語り続けながら端末を再び操作すると、今度は粗い映像が映し出される。 粗い画像――フォーチュナが見た予知の映像に記録されていたのは、白衣を着た妙齢の女性が煙草を吸いながら、アークが所有する施設の前へと歩いてくる光景だった。 「例のアザーバイドを狙ってくるのがこのフィクサード――煙山葉子(けむやま・ようこ)。彼女自体に特別な異能はないけれど、彼女はとあるアーティファクトを体内に保有しているのよ」 イヴは一拍置いて、リベリスタたちが事情を理解するのを待ってから話を再開した。 「彼女の本職は他チャンネルの存在であるアーティファクトやアザーバイドの研究。半分フリーみたいなものだけど実際は、最近になって活動を再開したフィクサード集団――『キュレーターズギルド』と懇意にしてるみたいで、言わば非常勤のような存在らしいわ」 するとイヴは三度端末を操作して画面を切り替える。すると今度は葉子が煙草を吸っている映像が映し出される。 「かつて研究中の事故で研究所が火事になった際、彼女はなんとか避難することができたんだけど、そこで彼女が研究していたとあるアーティファクトは焼失してしまった。でも、アーティファクトだけあって、物理的な炎では完全に消滅することもなければ、機能を失うこともなかったの」 そこまで聞いて、リベリスタの何人かが息を呑む気配が伝わってきたのを感じながら、イヴは更に説明を続けた。 「そのアーティファクトはエリューションを人為的に作成する効果を持っていたらしくて、全焼して煙になってもその効果は部分的に生き続けた。そして、避難する際に普通の煙と一緒にそれを吸い込んでしまった葉子の体内に定着したの」 するとイヴは煙人を引き連れている葉子の画像をリベリスタたちに見せながら二の句を継いだ。 「作れるエリューションはE・エレメントのみ。しかも煙を素材としたものだけに限られる。でも、そのおかげで葉子は喫煙によって体内に取り込んだ煙をもとに煙のエリューションを生み出すことができるようになったわ」 そこまで説明すると、イヴはリベリスタたち一人一人の目をしっかりと見据えて告げた。 「『インヴィディア』の封印が解かれることも、それが悪用されることも絶対にあってはならないこと。だからお願い――強大な敵が相手だけど、この世界を守る為に力を貸して」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:常盤イツキ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年09月21日(金)23:37 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●スモーク・オブ・ザ・シガレット・オールウェイズ―― 「煙山博士のお名前は何度か聞いたことがあり、論文は古いものなら読んだことがあります。科学に善悪はありません。あるとすれば、黄泉ヶ辻や六道で目立つ倫理からの逸脱や研究手段の問題です。煙山博士はどの道に進むのでしょうか」 襲撃時刻の少し前。『インヴィディア』を保管した施設付近で、物陰に潜みながら『下策士』門真 螢衣(BNE001036)は呟いた。 「煙草、ですか。吸ってる姿はカッコいいと思いますが、煙はちょっと苦手なんですよね。ましてそれが武器ならなおさら。速やかに、排除させていただきましょう」 同じく物陰に潜む『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)も螢衣と同じく呟く。 「煙草なあ……ここ十年二十年で急激に消えたの。一昔前は、男と仕事をすると必ず匂いがしたものだがの。嫌いじゃぁなかったのだが、これも世の流れかの」 煙草の話題が出たこともあって、『必要悪』ヤマ・ヤガ(BNE003943)は昔を思い出しながらしみじみと言った。 「異なる価値観、新たな発見と出会える異世界の研究は、魅力的ですね。叶うなら、葉子さんとお友達になって。たくさんのお話を、してみたいですね」 ヤマがしみじみと語る一方で、『Manque』スペード・オジェ・ルダノワ(BNE003654)はほんわかした調子で言うと、時計を確認する。もうすぐ襲撃時刻なのを確かめたスペードは水を満たしたバケツを持って一歩を踏み出した。 「それでは、私は作戦位置に付きます。みなさん、よろしくお願いしますね」 バケツの取っ手を両手で持ち、ぺこりと頭を下げるとスペードは施設の前に伸びている道路へと歩いて行く。彼女はとある作戦の為、別行動を取って予め潜んでおく作戦だ。 雑談を交わすことでほどよく緊張をほぐしている彼女達だが、もうすぐ『カレイド・システム』の予知した襲撃時刻がやってくる。 襲撃時刻が近付くに連れて、彼女達の緊張も自然と増していった。 一方、その頃、施設の前では『足らずの』晦 烏(BNE002858)たちが葉子を待ち構えていた。彼の右隣りに立つ『閃拳』義桜 葛葉(BNE003637)はこれから襲撃に現れるであろう葉子のことを考えながら、ふと呟く。 「タバコの煙からE・エレメントを作り出す……か。面白い能力を持っているな……肺の中のアーティファクトがその役目を担っている、という事だが……まだまだ、世の中には俺の知らぬ神秘が山ほどある、という事か」 烏は葛葉に向き直ると、相槌を打つように言う。 「文字通り煙に巻かれないよう、気をつけねぇとな」 彼の隣に立つ『』四条・理央(BNE000319)も彼の一言に応えるように口を開く。 「配下を生成できる能力があるとは言え、アークの施設に一人で乗り込んでくるなんて勇気があると言うか何と言うか。兎も角、『インヴィディア』の奪取はしっかり阻止しないとね。そうそう、勇気があると言えば――」 そう言って理央は視線を少し離れた場所に向ける。その先には『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)がたった一人で佇んでいる。舞姫はこれからの戦いで数多くの敵を自分に引きつける役目を担う予定だ。 だからこそ、数多くの敵が襲ってくる戦いの前でありながら、舞姫はたった一人で佇んでいるのだ。 しばらく舞姫を見ていた理央は、近付いてくる気配を感じて視線を真正面に戻した。 見れば、こちらに向かって妙齢の女性――葉子が徒歩で近付いてくる。 今日の葉子は研究所にいる時と違って白衣は着ておらず、袖をまくるように折ったブラウスに膝丈のタイトスカート、そしてハイヒールといういでたちだ。 そして、彼女の周囲には八体の煙人が随行しており、主である葉子を護衛するかのように彼女の周囲を取り囲んでいる。 油断なく烏たちを見据え、いつでも煙人をけしかけられる準備をしている葉子に向けて、まずは葛葉が話しかける。 「どうやら来たようだな。フィクサード、煙山葉子で相違はないか?」 その問いかけに対し、まだ油断なく葛葉たちを見据えながらも、葉子は一度頷いた。 「ええ。そういう貴方たちはアークが雇った用心棒かしら?」 逆に問いかけられ、今度は葛葉は大きく頷いた。 「左様。そちらの異能は俺にとっては厄介な手合いではあるが、悪いが、インヴィディアは渡さんよ」 そう言い放ってから、葛葉は胸中で自分に言い聞かせる。 (時間稼ぎだと悟られてしまうのも少々面倒だ。ならば、俺はただ葉子を真っ直ぐ見据えておくとしよう。この拳は狙う場所を一つしか選べないならば、自身の目的に対し狙いをつけるのみ) 葛葉はまっすぐに葉子を見据え、拳を彼女に向けると、挑発的な言葉を放つ。 「此処を通りたければ、俺を倒していくが良い。研究職と、普段からただ只管戦いに邁進している者──どちらが上か。言うまでもあるまい?」 葛葉と葉子。互いに一触即発の空気が漂う中、烏は打って変わって気さくな口調で語りかけた。 「あ、どーも煙山君お疲れ様。君、アーク来ない?」 突然の物言いに葉子は一瞬驚いた後、少し毒気を抜かれたような顔になる。だが、まだ完全に警戒を解いたわけではない。 それを察してか、烏は実に緊張感のない緩い調子で勧誘を続けていく。 「有象無象に狙われず。アーティファクトやアザーバイドに関する記録や資料もどっさりある環境での研究。アークは優秀な研究者の協力も得られるしで、お互いにメリットある良い提案だと思うよ」 あくまで気さくな調子で問いかける烏に対して、葉子は大人の女性ならではの余裕さで烏の提案をやんわりと突っぱねる。 「ありがと。でもね、私は既に研究者としてのバックボーンは得ているの」 葉子の答えから何かを察したのか、烏はすかさず告げた。 「あぁ、以前に金意君にも話しは行っているけれどね。こちらとしては『キュレーターズギルド』ごとでも貰っても問題無いからね」 自信たっぷりに言い切る烏に対し、葉子は大人の女性の余裕を保ったまま言葉を返す。 「別に私は正式な構成員ではないから、貴方達アークに与しても『ギルド』は感知しないかもしれないけれどね。でも、現状のフィールドでも私の研究は順調に進められているわ。わざわざアークに与してまで新たなフィールドを得る必要もないもの」 葉子はその意志を示すようにブラウスの胸ポケットから煙草の箱とオイルライターを取り出すと、周囲に控える煙人たちに指示を出した。 「話は済んだわ。行きなさい――」 淡々と任務をこなそうとする葉子だが、そんな彼女を舞姫が的確な言葉で挑発しにかかった。 「偉ぶって頭良さそうなこと言ってるけど、結局は怖いだけなんじゃないですか? アークへの鞍替えは『ギルド』からの粛清が怖いし、アークに与したら与したで優秀な科学者のいる環境で研究することになれば、周りの優秀者に自分が負けて霞んじゃうのが怖いんでしょう?」 葉子の顔は、先程から見せている大人の女性の余裕をまだ保ってはいるが、よく見ると口元が引きつっている。一方の舞姫はますます勢いを増して更に葉子を挑発しにかかる。 「それに、煙山さんが肺の中に保有してるっていうアーティファクトも、結局味方はもちろん取り巻きや太鼓持ちに囲まれた状況じゃないと安心できない残念な高飛車女の煙山さんにはちょうどいい能力ですね。別にアークに来て頂かなくても結構です、残念高飛車女の煙山さんよりも優秀な研究者はいくらでもいるので。煙山さんは一人で煙草をふかしながら、くだらない化け物でも作って遊んでればいいんですよ」 一気に言い切る舞姫。言いたい放題の舞姫に対し、遂に葉子は大人の女性の余裕をかなぐり捨て、激情をあらわにした。 「子供の言うことと思って聞き流しておけば……随分と調子に乗ってくれるじゃない、この……小娘!」 凄まじい形相で舞姫を睨み付け、ふと葉子は何かに気付く。 「刀鍔の眼帯に隻腕……貴方、戦場ヶ原舞姫ね。令児君から聞いているわ。貴方、小賢しくて無茶苦茶な女だそうね」 相変わらず怒りに声を震わせながら葉子は目線で舞姫を示し、煙人たちに向けて告げた。 「予定変更よ、まずはあの女を片付けなさい」 煙人をすべて舞姫に向かわせた葉子が、煙人を増産すべく箱から煙草を一本取り出そうとした瞬間、葉子の背後にあった路上の影に異能の力で潜んでいたスペードが飛び出した。 スペードは持ち込んでいたバケツに満たされた水を躊躇なく葉子の右手と握った煙草の箱にかける。 「な……!」 煙草を濡らされて使用不能にされた葉子は、ますます怒り心頭の様子でスペードを睨み付ける。 「小賢しくて無茶苦茶な女がもう一人……!」 葉子の視線を正面から受け止め、スペードはあくまで穏やかな物腰で言葉を返す。 「……ごめんなさい。インヴィディアを、渡すわけにはいかないの」 濡れて湿った煙草を箱ごと放り投げると、葉子はスペードに問いかけられた。 「貴方、何者なの!」 それに対し、スペードは名乗りを上げて武器を抜き放つ。 「私の名はスペード。参ります!」 一方、一斉に動き出した煙人のすべては舞姫へと殺到していた。まず最初に到達した一体が拳を振り上げ、舞姫に殴りかかる。身長二メートルを超える大柄な体躯から繰り出される剛腕が舞姫の腹を殴りつけるも、なんと舞姫は立ったまま踏みとどまった。それもそのはず、不可視の壁のような何かによってその拳は受け止められ、威力を減じられていたのだ。 「大丈夫ですか? 舞姫さん」 すかさず声をかけるのは後方に控えていた螢衣。印を結んだ状態でいるのを見るに、たった今、舞姫を守ったのは螢衣が張った守護結界だろう。とはいえ、数の優位は依然として煙人側にある。八体の煙人は手当たり次第に拳を振り上げ、舞姫を取り囲んで殴りつけようとする。だが、黙ってやられる舞姫ではない、黒曜石の如き鋭い輝きを放つ小脇差を抜き放つと、殴りかかってくる相手の拳を素早い動きでかわして懐に入り込み、敵の身体を深々と斬りつける。 まるで綿を斬ったような感触とともに、煙人の一体が膝をつく。だが、煙人は刃が自分の身体に深々と刃を突き刺された状態を逆に利用し、で舞姫の腕を両手でしっかりと掴んで彼女を抑え込む。 「しまった……!」 舞姫が焦ると同時、残る七体の煙人が一斉に殴りかかる。守護結界によって減じられているとはいえ、七体の煙人に群がられて何発も殴りつけられたダメージは決して小さくない。頭や胴を立て続けに殴られ、舞姫の意識が霞んだ時だった。聖なる光が辺りを照らし、煙人たちが一斉に怯み、更には葉子も怯む。 「今のうちに舞姫さんを」 「戦場ヶ原さんがやられちゃ元も子もないからね」 光を放った本人――レイチェルと烏はすぐさま仲間たちに合図する。 「ボクが煙人の動きを止める。その間に螢衣君、葛葉君、スペード君、ヤガ君の四人は舞姫君を!」 仲間たちに告げてから幾重にも呪印を展開、光の衝撃から立ち直り、再び舞姫に殴りかかろうとする煙人を捕縛する。その隙を逃さず葛葉は気を込めた拳を捕縛された煙人に叩き込んだ。 「……我が拳、煙であろうと止められはせん!」 綿を殴ったような奇妙な感触を直接手に感じながらも、葛葉は殴りつけた拳を通して一気に破壊の気を流し込み、敵の身体を粉砕する。それを受けて、敵はまるで風船のように膨らんだ後、破裂して霧散する。 「大丈夫ですか? 舞姫さん!」 意識が霞み倒れかけた舞姫へと素早く駆け寄り、彼女を後ろから抱き留めた螢衣はすかさず癒しの符を取り出し、舞姫の傷を癒し始める。 「う、うう……助かりました」 ほどなくして意識を取り戻した舞姫はすぐさま自分の足で立つと、先程、小脇差を突き刺したままの敵と再び対峙する。敵が先程と同様に殴りかかってくるのをかわし、舞姫は刺さったままの小脇差の柄を掴むと、抉りながら引き抜いた。 「今度こそ――とどめです」 引き抜いた刃を血振りをするように舞姫が振るうと、その背後で煙人は霧散した。 舞姫たちの奮戦によって早くも二体の煙人を倒された葉子は怒りの中に焦りを滲ませる。 「予想以上の強さね……!」 歯噛みしながら葉子はまくるように折ったブラウスの袖をポケットにして忍ばせていた予備の煙草を取り出した。 「やっぱり全部の煙草を箱に入れてはいなかったか。まぁ、『武器』なんだからもしもの為に分割してたり、予備を持ってても不思議ではないよね。でも、それはこちらも同じなんだ――戦場ヶ原君!」 烏の合図で舞姫はアクセス・ファンタズムを操作し、なんと収納されていた放水車を取り出したのだ。 さすがに葉子も驚いたようで、一瞬動きが止まる。そしてその硬直を見逃す舞姫たちではなかった。大急ぎでホースを掴んだ舞姫はその先を葉子に向ける。 「私が陽動役に徹しているだけだと思いました?」 開いた口が塞がらず思わずくわえた煙草を落としかけた葉子に向けて、舞姫は躊躇なく放水した。 「ひゃっはー! 水浸しだー!!」 しかしながら、葉子もある程度の修羅場には慣れているだけあって、土壇場で我に返ると煙人を咄嗟に呼び戻す。 「防ぎなさい!」 葉子の号令で煙人は一斉に彼女の前に立ちはだかり、六体の煙人が身体を張って真正面から放水を受け止める。 危うく弾き飛ばされかけたものの、煙人たちは放水車に積載された水が尽きるまで何とか耐えきった。 「危ない所だったわ。戦場ヶ原舞姫、やはり聞いていた通りの、それ以上に小賢しくて無茶苦茶な女――でも、その無茶苦茶もこれで終わりよ!」 気を吐きながら葉子が煙人たちを攻撃に転じさせようとした時、レイチェルが仲間たちに合図を出した。 「……今です!」 合図に応じ、理央、レイチェル、烏、葛葉、そしてヤマが同時に動き、一斉に水を入れたペットボトルを葉子に向けて投擲する。 放物線を描いて飛ぶ五本のペットボトルは煙人の頭上を越え葉子の上に差しかかったのを狙い、レイチェルの矢と烏の銃弾、そしてヤマの気糸によって撃ち抜かれ、葉子の頭上に大量の水を降らせた。また、ヤマの気糸は葉子の手にあった煙草とライターも撃ち抜いていたようで、破壊されたそれらが葉子の手から地面に散らばる。 「指や唇は狙わんぞ? こんな仕事で傷付けるのも、惜しかろ。今暫く付き合う積もりではおるのでな。余り残る傷はつけとうない」 たちまちずぶ濡れになった葉子は口に入った水を吹き出しながら怒りを声をに滲ませた。 「こんな姑息な手に……!」 それ見て、ヤマが笑いながら言う。 「かか、水も滴るいい女、とな。効果は兎も角似合っちゃおるぞ?」 見れば葉子の白いブラウスは完全に透け、紫色の下着が服の上から見えている。 その一言で怒りが頂点に達したのか、先程の余裕が嘘のように葉子は激昂し、叫ぶようにして煙人に号令をかける。 「こいつらを……今すぐ殺しなさい!」 命令を受けて攻勢に転じた煙人たち。それを呼応し、理央が早速動いた。 「ならばこっちも――遠慮なくいくよ」 理央は展開した魔方陣から魔力による砲撃を放つ。魔力の砲撃は煙人の一体に直撃して身体に大穴を穿ったばかりか、それに留まらず、後ろにいた二体目も貫いた。たった一撃で二体もの煙人を貫通した砲撃により、早くも二体の敵が霧散する。 「さて、一仕事といこうかの」 続いて動いたのはヤガだ。彼女は正確無比な狙いで両手から気糸を放ち煙人を撃ち抜く。左手からの気糸で左の一体を、右手からの気糸でも右の一体を貫き、ヤガも都合二体の敵を撃破して霧散させる。 「スペード・オジェ・ルダノワ。参ります!」 更にはスペードも続く。己の生命力を暗黒の瘴気に変え、漆黒のオーラに染まった一撃で密集していた二体の煙人を薙ぎ払い、一撃のもとに薙ぎ払う。薙ぎ払われた煙人は霧散し、跡形もなく消滅した。 気が付けば八体の煙人すべてが撃破されていた。しかも、葉子は全身ずぶ濡れであり、これでは身体の各所に忍ばせていた予備の煙草も濡れていて使用不能だろう。 それでも油断なく周囲を包囲してくる理央たちを見回し、遂に葉子は勝負が決したことを悟り、両手を上げて降伏の意を示した。 「人死にを出すよな案件ではないからの。程々にして帰れよ? ――必要悪とて悪は悪。殺しは最低限に済ませるのが今のヤガの流儀での」 手始めにヤマが言うと、続いてスペードが葉子に話しかける。 「ねぇ、葉子さん? 私達、お友達になれないかしら。アークにはインヴィディア以外にも、魅力的な異世界の研究材料は、きっとありますよ」 柔らかく微笑みかけながら言うスペード。彼女と同じく柔らかな表情で螢衣も語りかけた。 「私も研究でアーティファクトを専攻していまして、煙山博士のお名前は何度か聞いたことがあり、論文もいくつか読ませて頂きました。是非、私にもお話を聞かせてください」 彼女たちが話しかけた後、烏は乾いたタオルと日本製の煙草の箱を差し出しつつ問いかける。 「アークに来る話しは冗談抜きで考えてみてくれな、勧誘は本気なのでさ」 すると葉子は苦笑して答えた。 「アークに行く話はともかく、煙草は遠慮しておくわ。実を言うと、私……煙草は好きじゃないのよ」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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