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ディスタートにとってボトムチャンネルは自分の階層よりも下の存在である。故にこの世界に深い感情はもてなかった。新たな世界に喜ぶでもなく、下層の世界を蔑むわけでもなく。路傍の石に感情をもてないように、ボトムチャンネルの存在自体に感情をもてない。
なので気まぐれに破壊してみるか、という結論に至る。封印された腹いせにこの世界を支配してみよう。そんな八つ当たり的な感情。
故に、
「は。キミ達、無駄な抵抗はやめたほうがいいよ。今は見逃してあげるから」
自らを止めに来たリベリスタに興味と共に慈悲の心が湧いた。指を甘噛みする子猫をいとおしく思うように。
しかしディスタートはその数十秒後に身をもって知ることになる。自らを噛みに来たのが、子猫などではなく狼であることを。
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「逆らうのかい? なら文字通り"瞬"殺してあげる――」
時間を繰るディスタートは、時間を操作することで他人より速く行動することができる。だが、それはけして反射速度を増しているわけではない。つまり、ディスタートの反応を超える動きをすれば、
「オセーヨ」
ディスタートの懐に飛び込んだ『光狐』リュミエール・ノルティア・ユーティライネン(BNE000659)のナイフが繰り出される。二本の剣閃がアザーバイドの胸に十字の傷を刻んだ。
「なっ! ボクよりも速い!?」
「車輪とは太陽であり、月であり――時を意味するシンボル。……時を司る、というものは私的には馴染みのある概念ですが」
愛する人から送られたブルーサファイアの指輪を人差し指でなぞりながら『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)はディスタートを見て魔力を練る。魔力は漆黒のカマを形取り、アザーバイドに振り下ろされた。
「実際に時間を操作する能力を視るのは、初めてですね」
「へぇ。ボクの能力のことを知っているのか。じゃあ判るよね。屈するしかないって事は!」
爆風がリベリスタを襲う。衝撃が荒れ狂い、土煙が舞い上がる。これで終わったと高をくくっていたディスタートの顔は、土煙から走ってくる人影を見て驚きに変わった。
「こんにちは。こっから先は通行止めだ」
眼帯に覆われていない右目でディスタートを見ながら、『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)は笑顔を浮かべた。死を求めるが故にその動きは大胆。防御を考えないナイフの動きがディスタートを切り刻む。
「悪いけど付き合ってくれない?」
「どっかで見てんだろフィクサード」
ディスタートではなく遠くにいるであろう六道のフィクサードを意識しながら『消せない炎』宮部乃宮 火車(BNE001845)は手に炎を宿らせる。目の前のアザーバイドなど時に気にする理由はない。ガキは殴って黙らせる。ディスタートの後ろにいる悪意に向けて、指を突き刺した。
「良いぜぇ? 大いに無駄な事してろよ……!」
「何度倒れても、何度負けても、何度守れなくても! 諦めることだけはしない!」
叫ぶ『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)の言葉もまた、ディスタートではなく六道に向けてのものだった。この両手が動く限り凶行を止めてやる。握った拳は固く、その意思はそれ以上に硬い。放たれた風の刃が、ディスタートの肌を裂いた。
「リベリスタを舐めるなぁああああ!」
「ボクを無視すると、痛い目を見るよ!」
「事前セーブなしじゃ怖くて雑魚も相手に出来ないって、戦う前から負けてんじゃねーか」
禍々しく巨大なハルバードを担ぎ『世紀末ハルバードマスター』小崎・岬(BNE002119)がにしし、と唇を釣り上げる。ゲームに例えているが、その言葉は正鵠を得ていた。岬はハルバードの重心をうまく捉え、振り回されることなくふるって真空の刃を飛ばす。
「タイムアタック(時間を殴れ)、スタート!」
「今のトレンドはやっぱりおっさんぜよ。自分の時間を操れるならおっさんになろうや!」
晴れた土煙の中から『パンツァーテュラン』を構えて『人生博徒』坂東・仁太(BNE002354)がボトムチャンネルの流行を語る。御年44歳。もうすぐアラフォーも終わるいい年齢である。
「何で態々錆び付かなきゃいけないのさ。そのまま朽ち果ててるんだね」
「わかっちょらんなぁ。歳を重ねた渋さってやつを」
放たれる弾丸はディスタートの肩を穿つ。アザーバイドが時を巻き戻すまでに力尽きては意味がない。火力維持とダメージ効率を計算しての攻撃だ。
「じゃあそのまま止めてやるよ。死をもってだけどね!」
「致命傷をおうのはそちらだけです」
七布施・三千(BNE000346)の声と同時に、神秘の風が吹く。清らかな風に乗せられた魔力がリベリスタの傷を癒し、頬をなでる感触がディスタートに与えられた不調を取り払う。自然界にある魔力のカケラを独特の呼吸法で取り入れながら、三千は前を見た。
「皆さんの怪我は……僕が全て治しますからっ」
おちこぼれ。一族の中でそう呼ばれた三千だが、そんな自分にできることはあると言い聞かせて前を見る。視線の先には時間を操るアザーバイドと、それと戦う仲間たち。
「致命傷? 下層の輩がいきがるな!」
空間が爆ぜる。爆音と共に戦いは加熱していく。
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逃亡防止とディスタートの視界から逃れる為に囲むように陣を敷き、遠距離から攻撃するものへの道を封鎖する。これがリベリスタの取った作戦だ。
「ちょこまかと煩いんだよ!」
火車の火炎に悠里や岬の与える鋭い切り傷による消耗を恐れ、ディスタートは時を戻して傷を巻き戻す術を行使する。しかし、
「それはいただけないから、壊させてもらうね」
終の持つナイフがディスタートを刻む。そこに埋められた解除のシードがディスタートの術を破壊する。特筆すべきは術の弱点を正確に見て刻む終の瞳とナイフ捌きだ。針の穴に糸を通すように、神秘の加護を切り刻んでいく。
「普遍で無いからこそ世界は愛おしいものだと思うんだけどね」
「ソーダゼ。ズット同ジ速度ダナンテ、ツマラネーヨ」
リュミエールが剣閃に光を纏わせ、疾駆する。日本刀を片手に低姿勢で迫り、跳ね上がるように切り上げる。そのままディスタートの膝に乗って右足で蹴り上げた。ディスタートはそれを身を捻って避ける。
「それで不意をついたつもりかい」
「アア、コイツガ本命ダ」
真円を描くような軌跡で回転するリュミエールの尻尾が迫る。その先に光る一本のナイフ。そのナイフに頬を傷つけられる。
「他チャンネルの事情なんざ知ったこっちゃねぇが、封印とかされて無様晒してたんだろ?」
火車はディスタートに炎の拳を叩き込みながら、小ばかにするように笑みを浮かべる。その言葉と表情に怒りの感情をアザーバイドは向けた。それを確認して火車は言葉を続ける。
「その挙句がボトムでお山の大将か? はぁ~、おもしれぇやっちゃなぁ!」
相手の正面を位置取り、挑発を続ける火車。それは単に馬鹿にしているのではなく、自分に攻撃を集中させる為の戦略でもある。烈火のごとく拳を叩き込み、熱砂の如く神経を焦がす。
「黙れ、あの時は油断していただけだ! この世界を支配したら奴らに復讐してやる!」
「吼えるなよクソガキが。封印から逃げて即ぶちのめされる。どんな気分か教えてほしいなぁ!
合わせろよ悠里ぃいっ!」
「ああ、任せろ!」
悠里はディスタートをはさんで火車と対極に位置取るように動く。両腕はディスタートの攻撃を塞ぐ盾。その攻撃の隙を縫って放たれる蹴りと風の刃。横なぎに足を払い終わった格好のまま、悠里はディスタートのことを理解する。
「随分と偉そうな事を言う割には、大したことないね」
「何だと?」
「今までボク等が戦った相手には意思があった。勝ちたいという強い意志が」
それは私欲であることもある。絶望から逃れる為でもある。だが、その意志は強かった。
ディスタートにはそれがない。召喚され、なんとなく虐殺しようという程度の意志。
「君は暴れまわる醜い動物に過ぎない!」
「ボ、ボクが醜いだって!」
「そりゃそーさー。これから潰されるんだもん」
四人の前衛の間隙を縫うように岬がハルバードをふるって斬撃を飛ばす。大火の名を冠するハルバードを苦もなく扱う。ハルバードが軽いわけではない。ただそのハルバードと共に神秘の世界を歩んできたというだけ。
「潰す? 無理だね。どれだけ僕を傷つけても、もうすぐボクの体は元に戻る。絶望するのはキミ達のほうさ」
それがディスタートの自信の要。火力で負けてもこのアザーバイドには『次』がある。だがそれを岬は一蹴した。
「それまでに潰すって言ってるのさー。教えてやろうぜ、アンタレス。百五十秒の長さってやつをさー。
百五十秒あれば五十余人の怒れる赤いのを迎撃だって出来んだぜー!」
「そうですね。それまでにあなたを倒します」
悠月の周りに展開される魔方陣。彼女の黒髪が、魔力の奔流になびくようにふわりと舞う。その髪と同色のローブを着た死神が魔力によって生まれ、手にしたカマを振りかぶる。
「時間操作。未来予知とは違う形の因果律を超える能力。その能力には興味はあります。ですが、使わせるわけには行きません」
「だろうね。だけどキミたちは絶望と共にこの能力の恐ろしさを理解するのさ」
悠月の死神に切り刻まれながら、しかしディスタートの顔に絶望はない。まだ体力に余裕があるのか、それとも乗り越えられるという確信があるのか。
「そうですね。それを見れば撤退するしかありません」
ディスタートから少し離れた位置で三千が冷静に戦況を判断する。時間操作の能力を抜きにしても、このアザーバイドの攻撃範囲は広い。爆風が飛び交い、ディスタートの周りにいる人は気付いたら切り刻まれている。三千は休む間もない回復の行使を行なっていた。
「へぇ? 頭がいいじゃない、キミ」
「それでもっ!」
三千はルビコン川の石で作られたサイコロを握り締める。折れそうになる意志をゆっくりと立て直す。たとえ相手が強大でも、
「ボクの役割は皆を戦いやすくすること。皆がいれば、絶望はしません」
「よう吼えた。攻めるのはわし等に任せときぃ!」
仁太はディスタートと一定の距離をとりながら『パンツァーテュラン』を撃ち続ける。暴君戦車とよばれたかつての敵が使っていた銃は、仁太によく馴染んでいた。あのときの射撃戦に比べれば、こんなガキの爆風など涼風にすぎない。
「坊主とは経験が違うんじゃ。ずっと子供のおまえと経験を重ねたおっさん。どっちが強いか教えちゃる。
この瞬間を永遠に刻み続けろや!」
「ふざ……けるなぁ!」
度重なるダメージにディスタートが四方八方に爆裂を起こす。自身すら傷つけながら、リベリスタを爆風が襲う。
だがそれは追い詰められた証。時間を操るアザーバイドの終わりの『時』が近い――
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戦場響く爆音。ディスタートの視界から逃れていたリュミエール以外のリベリスタがその攻撃を食らい、衝撃で意識を朦朧とさせる。
「まだ、です」
「その程度じゃ、リベリスタはまけへんで」
体力に劣る悠月と仁太がその爆発で気を失いそうになる。運命を削って踏みとどまり、戦意を込めた視線でディスタートを睨んだ。
「くっ……!」
それに気圧されるようにディスタートは一歩ひいて、防御の構えを取る。そうだ。あと少し立てば自分の傷は巻き戻る。その後でリベリスタを攻めればいい――
「時間操作の能力に頼らなければ……私達の如き虫けらも倒せませんか、あなたは」
悠月の声が凛と響く。その言葉にディスタートの顔が歪む。
――真に勝負を分けた一撃があるとすれば、その挑発だった。防御に徹していればディスタートはもう数十秒耐え切っただろう。
「元の世界で封印された時もそうやって縮こまってたの?」
「あーあぁ、結局身の程知らねぇただのクソガキかよ? 泣いて逃げだす始末かぁ?」
「このボクを馬鹿にするな! 下層の虫けら如きが!」
悠里と火車が挑発を重ねる。ディスタートは怒りで歯を噛み締めて、周囲にいるリベリスタ達を切り刻んだ。まともにはいった、と笑みを浮かべるディスタートの顔は、
「はっ! 漸くエンジンかかってきたぜ、ガキが! 合わせるぞ!」
「ああ! キミのような軽い存在に負けてやるわけにはいかない!」
「「3・2・1・GO!」」
運命を使い立ち尽くす火車と悠里の姿で蒼白になる。その拳に宿る炎と雷が同時に叩き込まれた。時に交互に、時に同時に。息のあったコンビネーション。
「永遠って言えば言葉は良いけど、変化が怖いだけじゃない? 君は変わらないのではなく、変われない」
同じく運命を燃やした終のナイフがディスタートの動きを止める。圧倒的な速度で翻弄し、多角面の攻撃が動きを封じる。滅びることを怖れない死の舞踏。負けを回避するために時間を操るディスタートには到底理解できない思考と戦術。
「Kallio ja meri, ja on pyyhkaisi pois nopeasti Sphaerenlauf ikuisesti.(永劫たる星の速さすら抜き去り 今こそ疾走し駆け抜けよう)」
ディスタートの死角に回るように攻め続けるリュミエールの声。声の元に視線を向ければそこに姿はなく、視界の端に捕らえればその瞬間刃が走る。
「くそ……あと少し、後少し耐えれば――」
後数十秒。それだけ耐えればディスタートの時間が巻き戻り、勝利を得るだろう。
「Aika kiihtyvyys Olen nopeampi kuin kukaan――(時よ加速しろ 私は誰よりも速いのだから)」
だがそれはありえなかった『時間』。『運命』はリベリスタに傾いた。
「ウソだ、この僕が負けるだなんてそんなことが――」
リュミエールの『髪伐』が光の残滓を残して振りぬかれる。胸がその軌跡のまま切り裂かれ、時間を操るアザーバイドは最後の時を迎えた。
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「ザマーネーナ」
リュミエールはもはや動かないディスタートの服をあさる。戦利品として何か奪ってやろうという考えだったが、予想外の感触が掌に伝わる。通信用の携帯端末だ。それが震えて、着信状態になる。
視線で皆に意見を求め、意を決して通話状態にした。聞こえてくるのはそう若くはないだろうと思われる男の声。
『おめでとうリベリスタの諸君。ディスタートとの戦い、観察させてもらったよ。
私の名前はバーナード・シュリーゲン。六道第三召喚研究所の所長をしているものだ』
悠月が千里眼で病院のほうを見れば、その屋上で携帯電話を手にしている男の姿が見えた。40歳そこらの白衣を着た男性。その唇のままに、手元の端末から声が聞こえる。
「おー。中ボス倒したら真ボスが話してくるイベントだー」
岬が破界器を手にしたままのポーズで、言葉を発した。
「なんか仕掛けてくるとはおもっとったが、まさかこういうことするとは思わんかったなぁ。祝賀会に招待してくれるんか?」
『スケジュールに余裕があれば考慮するよ。最近はいろいろ忙しくてね』
仁太の問いかけに、笑い声と共に言葉が返ってくる。
『私の仕事は特定のアザーバイドを召喚する理論を確立することでね。漸く目処が立ったところだ。
セリエバ、というのアザーバイドを知っているかね? 運命を食らう植物型のアザーバイドだ』
そのアザーバイドの名前に、リベリスタに緊張が走った。あるものは直接、あるものは報告書からその名を聞いていた。
『近くそのアザーバイドを召喚しようと言う計画がある。そこで、アークが所持しているセリエバの枝を渡してくれないか? 御身の欠片があれば成功率は跳ね上がるのでね。
何、無料とは言わない。相応の謝礼は払おう。キャッシュで――』
ガシャン!
その会話を断ち切ったのは、誰の一撃か。
地面に叩きつけられて粉々になった端末。
「また六道の実験か。
実験なんかの為に人の命を、心を、人生を! おもちゃみたいにして!」
悠里は叫ぶ。それと心を同じくする者が、病院から飛び立つヘリコプターを視線で射抜いた。
「お前らの凶行を何度でも止めてやる!」
ヘリコプターの中で、白衣の男は端末をしまいながらため息をつく。
「交渉決裂か。予想通りだが血気盛んだな、アークは」
「バーナード。何故セリエバのことを彼らに話したネ? 裏切る気カ?」
「アークが介入するのは想定内だ。それが早いか遅いかというだけ。
黄泉ヶ辻に剣林、同盟を結んでいるとはいえ信用はできん。彼らを牽制する相手として、アークは最適だ。『達磨』はともかく『W00』は行動に予測がつかない。カードは多いほうがいい」
「アークがおまえの予想通りに動くと思うなヨ?」
「戦局をうまくコントロールするのは戦闘部隊のおまえの仕事だ。六道の利益の為に、身体を張ってくれ。
それに私は召喚技術の確立さえできればいい。召喚されたセリエバがアークに倒されようが知ったことではない」
「……テメェ」
「結果は出す。私の仕事はそれだけだ」
バーナードと呼ばれた男の声は硬く、揺らぎがない。それは心の底からそう思っている証拠だ。
召喚されたアザーバイドがどうなろうが、それによりどの組織にどんな利益が生まれようが、どんな悲劇が生まれようが、世界の運命がどれだけ吸い尽くされようが、構わない。
召喚理論が証明されれば、他はどうでもいい。ただそれだけだ。
運命を食らうアザーバイドと、それを召喚しようとする者達の舞台。
その幕はすでにあがっており、役者たちは踊り始めている――
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