●Alice in the Mirror ――くす。くす。くすくす。 ようこそ、鏡の館へ――。 ●『万華鏡』 「勇者求む」 「……はぁ?」 リベリスタ達を出迎えた『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が発したのは、そんな突拍子もない一言だった。怪訝な顔をした一同に、普段の無表情を崩さず少女は繰り返す。 「うん、勇者。そうとしか言いようがない気がするの。何となく」 煮えきらぬ風情で、曖昧に口ごもる。そんなイヴの様子を目にして、リベリスタ達は幾分か、その表情を改めていた。 死線に身を置く者が、いわゆる第六感、虫の知らせを馬鹿にすることはない。彼らは知っている。最後に勝敗を分けるのは、理屈でない『何か』だということを。 ましてや、それを口にするのがフォーチュナなら尚更だ。 「続けるね。近畿地方に、とある廃遊園地があるの。市街地にほど近い場所だから、廃業したといっても、ちょくちょく敷地が開放されたりしているんだけど」 その遊園地の隅に、ミラーハウスが建っている。 ミラーハウス。 薄暗い空間に、六角形を描くように鏡と透明アクリルの壁が配置された迷路。 そんな古典的アトラクション、かつては幼子で賑わったであろうその場所に、少女の姿をしたエリューションが現れたのだという。 「エリューション・フォース、フェーズは3。気をつけないといけない性質が三つあるよ」 まず、このミラーハウス自体が『彼女』の能力で強化されている。鏡やアクリルの壁を破壊したり、傷をつけることは、『彼女』が健在である限り難しい。 二つ、『彼女』は非常に慎重に振る舞う。五人以上が一箇所に固まっている限り、進んで姿を現すことはないし、劣勢と見れば逃亡も厭わないだろう。 そして、『彼女』はこの館の構造を熟知しているのだ。 「気をつけて。戦場は厄介すぎるくらい厄介。そして、『彼女』は紛れもなく、フェーズ3の強力なエリューションなんだから」 「――待て。一つ、聞きたいことがある」 こまごまとした情報を続けようとするイヴ。それを制止し、『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)が何処か落ち着かない様子で問う。 そのエリューションの識別名は何だ、と。 「……『残酷』ヤミー」 私の中の何かがそう囁くの、と真顔で告げる少女は、見ようによっては聖母のようであり、また告死天使のようでもあった。 ●Alice in the Darkness ――くす。くす。くすくす。 さあ、闇の世界へいらっしゃい――? |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年09月01日(土)22:55 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 何がこの世で一番残酷か? 決まっている。それは夢を見せることだ。 夢を与え、叶うと信じさせ、おもむろにそれを取り上げるあの瞬間。 失った人間が全身で表す絶望は――なんとも残酷で、甘美ではないか。 ――――『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュ ● 「あいたっ!」 ごつん、と。 派手な音を立てて激突し、『三高平の悪戯姫』白雪 陽菜(BNE002652)が額を押さえて蹲る。 薄暗い照明、透明なアクリル板。 鏡の迷宮が織り成す幻影は、運動は得意と自負する彼女、その闇を見通す目すら弄んでいた。大丈夫ですか、と手を差し出す、『デモンスリンガー』劉・星龍(BNE002481)。 「気をつけてください。何が起きるか判らないのですから」 「もぅ、ソフトクリームも食べられないし、最悪!」 翡翠の瞳を涙に潤ませ、盛大に膨れてみせる陽菜。どうして廃業してるのよ、と道中から不満げだった彼女の言い草は、通常であれば笑いを誘うものだったが――それを聞く四人の表情は硬い。 「こちらには出てこないとは思いますが、もうここは戦場ですからね」 少女を引き起こし、肩にかけた銃のベルトを背負い直す星龍。長く戦場に身を置いた彼は、程良くリラックスする術を心得ている。だがそんな彼にしても、煙草を取り出す欲求と戦わざるを得ないのだ。 こちらには出てこない。 五人以上の集団の前には姿を現さない、万華鏡が捉えたその性質を逆手に取った誘導策。つまりは、こちらのチームが『襲撃されない』ことを知っていて――。 「ま、噂の邪悪ロリのテリトリーだからねぇ。注意に越したことはないさぁ」 そんな『外道龍』遠野 御龍(BNE000865)の銜え煙草に、内心苛立ちすら感じる星龍。彼のサングラスは決して羨ましげな視線を映す事はないが、悪いね癖なんだ、と彼女は肩を竦めてみせた。 「あー、邪悪ロリだな。可愛いんだろうな。胸が痛むなー」 殊更に棒読みの『ピンポイント』廬原 碧衣(BNE002820)は、もちろんそんなに可愛い話ではないと知っている。敵のテリトリーに踏み込む、ということの恐ろしさを判らない者は、この場には居ない。 加えて、このミラーメイズという環境。碧衣のアークへの要請、寸法やマップの情報提供も、運営主体が倒産している以上、叶わぬものだった。 「……必ずしも六角形の部屋というわけでもないのか。嫌がらせだな」 六角形を基本とするユニットによって構成されているミラーハウス。だが、ユニットを分割するような中央の壁によって、そのバリエーションは無数に広がり、迷宮をさらに入り組ませている。 「やれやれ、地道な取り組みが命綱というわけだ」 「油断禁物だな。積み重ねの一つ一つが勝利への道、か」 碧衣に応じるのは『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)。マジックを手にした彼は、床に何事かを書き付けている。 「せめて、構造を把握するだけの時間があればいいのにね」 そう言う陽菜も、それが願望でしかないことは判っていた。 「もうちょっと離れておけ、光」 「えぅ、ちょっと大丈夫だと思ったのです。でも安全第一なのですよ」 ミラーハウスの入口兼出口前。こわごわと中を覗き込む『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)へと、ベンチに腰を下ろした『やる気のない男』上沢 翔太(BNE000943)がさも面倒そうに声をかけた。 「それでいい。万が一、ということもあるからな」 彼らは十一人のメンバーを三つに分けていた。このミラーハウスに潜むエリューション、残酷ヤミーをおびき出すための入口側四人。残酷ヤミーのターゲットにならず、すぐに駆けつける為に出口から入った五人。そして、ここで待機している彼ら二人だ。 最初は四人で戦いを強いられるであろう入口組。ならば、勝利の鍵は、どれだけ迅速に彼らが合流できるかに尽きる。しかし、迷路である以上、内部のチーム同士が遠く離れてしまうこともありえるのだ。翔太と光は、そのための保険だった。 「それにしても、響きが良いですね、邪悪ロリ」 よくわからないですけど倒さなきゃって気がするです、と拳を握り、気勢を上げる光。 彼女にとって、エリューションとは即ち倒すべき敵である。自分に課した行動原理が、堂々戦って打ち破れと告げているのだ。 だが無論、翔太にとってはそうではない。エリューションを倒す事は、確かにアークに対する借りを返すことに繋がる。だが、わざわざ二人だけのところに出現させてまで戦う義理はないのだ。 面倒なことにならなきゃいいけどな、と呟く。 そんな二人のアクセス・ファンタズムがエマージェンシーを吐き出したのは、彼がそう呟いた直後のことだった。 時間は少し巻き戻る。 「鏡の世界、か。響きだけならメルヘンチックだがな」 そう鼻で笑ったのは、使いこまれた大斧を肩に担いだ男、『墓堀』ランディ・益母(BNE001403)だった。 かの異世界の戦闘種族にも匹敵する巨躯は、決して狭くはないアトラクションの通路すら手狭に感じさせる。 左腕の腕甲が放つ淡い光も、鏡に映し出すのが戦鬼であれば幻想的とは言い難い。 「しかし何だ、このコレジャナイ感は」 メルヘンから最も遠いと思しき彼である。もっとも、そう評するのはただ彼の恵まれた肉体だけが理由ではない。 凄惨なる戦場で生き抜く術を身につけた彼の、徹底したリアリズム。それこそが、ファンタジックな夢が似合わない真の理由だろう。 「……ああ、全くだな」 そう応じたのは『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)。彼もまた歴戦のリベリスタではあるが――背に伝う薄ら寒い感触は、この館に入ってからずっと、ぞわ、と疼き続けている。 「実に奇妙な空間だ。妙に見張られている気分になるな、これだけ鏡に囲まれていると」 ふと見回せば、鏡に映った自分の左目と目が合った。反射的に顔を背ける龍治。見慣れた顔のはずだが、何故だかここでは、嫌悪感が先に立った。 「……いや、実際、見張られているのかもしれんがな」 このミラーハウスに潜むエリューションは、場の人数が少なくないは限り姿を現さない。なるほど、その性質も考えれば、確かに『彼女』はどこかから自分達を眺めているのだろう。 入口組も、龍治が持ち込んだカラースプレーによって、汚れの目立たないグレーの床に鮮やかな赤の矢印が描かれていた。 霧也のマジックと違うのは、出口側がその矢印に数字を振っていたのに対して、入口側ではアルファベットを書き付けていたということである。 『こちらは左手沿いに<J>まで進んだ』 通信機能を備えたアクセス・ファンタズムへと告げる『紅炎の瞳』飛鳥 零児(BNE003014)。応えて、<9>まで真っ直ぐ進んだよ、とノイズの乗った陽菜の声が響く。 もちろん、入り組んだ迷路の全容を伝えることなどできないが、それでも、こうした積み重ねが生死を分けるのだと知っていた。館の反対側で、碧衣が呟いたのと同じように。 「そろそろ出てきてもいい頃なんだけどな」 機械の右手で、ゴン、とアクリル壁を突く。既に闘気に満ち満ちた身体、叩き潰すための『剣』を握る機械の手。即座に壁を割り砕く材料は揃っていた――普段ならば。 「……きっちり強化してるって訳だ」 傷一つ、ひび一つ入らないその様は、零児にここが残酷ヤミーの胃袋の中なのだと嫌でも思い知らせてくるのだ。 その時。 「うん? 何か言ったのだ?」 黄色と橙の鮮やかな体毛。突き出した嘴。ぎょろりと剥いた目。『夢に見る鳥』カイ・ル・リース(BNE002059)、この館をお化け屋敷に変えてしまいそうなこの鳥人が、きょろきょろと辺りを見回し始めた。 「くすくすくす、なのダ? 我輩もクスクスは好きなのダ」 幻視が通用する一般人ならば、彼の姿は零児に良く似た壮年の男と映るだろう。だが、この場にそんな優しい相手は居ない。 故に、インコの頭がインコの声でしゃべるのは、下半身を無視すれば、ある意味自然といえた。お湯を入れて三分、ご飯を炊き忘れた時に便利なのダ――そう続けるカイを、だが龍治は手で制止する。 「俺にも聞こえた。ということは、何かがいるということだ」 随一の聴力を誇る龍治が同調したことに、他の三人が緊張の面持ちを浮かべた。それはそうだろう。この館で、『何か』にあたる存在は一つしかない。 「お姫様がおいでなすったのダ」 「……ふん、上手い事誘い出せたか」 腕に巻いた通信機へと短く状況を告げ、ランディはその得物を両手で構えなおす。広刃の斧は無数の傷に溢れていたが、それを彼が不満に思うことはない。 そして。 「くす。くすくす。ようこそ、鏡の館へ」 茫、と壁の陰から姿を現したのは、闇に溶けるかのような少女。 ゴシックロリータの黒いドレスに、長い長い漆黒の髪。ただ、肌を露出する顔と手先だけが眩しいほどに白く、ぼんやりした照明の中ででも、空間を鮮明に切り取っていた。 そして何よりも目を引いたのは――彼女が『一人』しか居ないということ。コレだけ立ち並んだ鏡に、唯の一枚もその姿を映していないということ。 少女の名を、残酷ヤミー。 「ねぇ、一緒に遊びましょう?」 モノトーンの少女は、ただ一点彩づいた唇を指でなぞり、艶やかに微笑んだ。 ● 「ああ、遊んでやるさ――たっぷりとな!」 返り血よりもなお赤いアーマーに身を包み、ランディが動く。振るう得物は『斬る』よりも『叩き潰す』ことに向いているかのような幅広の大斧。膂力に遠心力を加え、見かけよりもはるかに早いスイングで叩きつけ――。 「くす。くすくす。嫌ね、速いだけじゃ嫌われるわよ、おじさま?」 空を斬る。 確かにその刃は少女ヤミーが『居た』空間を抉ったのだ。だが、彼女の姿は何処にもない。掻き消えてしまったのだ。煙のように。幻のように。龍治が抜き撃つように放った銃弾も、空しく跳弾と消えるだけ。 いや――。 「そこっ!」 常在戦場の心意気で全身に気を張り続けていた零児が、その鉄板とも鉄塊とも思しき得物を振り下ろす。そこには確かに黒き少女の姿。 ガン、と打撃音が鳴る。彼が斬ったと思ったのは、『鏡に映った』少女だったのだ。くすくすくす、とまた含み笑い。 そこに居ない。けれど、鏡には映っている。姿を消しながら、鏡の中のヤミーは笑う。 「それじゃ、私も少しはお相手しないといけないわね」 次の瞬間。 不可視の腕が、前に出た零児を強かに殴りつける。それは彼が纏っていた闘志を霧散させ、肩から大きく肉を抉り取って激しい出血を齎した。 否。不可視ではない――鏡は、バイデンのように肥大化した少女の腕が振り下ろされる様を映していたのだから――。 「てめえっ……!」 振り回した腕はランディの装甲をも割り砕き、切り裂いたような傷を胸に刻んだ。 「零児さん、ランディさん、今助けるのダ!」 鳥の歌ならぬ癒しの詠唱を編もうとしたカイ。だが、その声には、紋を描く杖には、幾許かの迷いが残っていた。おかしい。おかしい。一体何がだろウ。 (――!) その時、彼の脳裏を走る電流。 そうだ。鏡の中の少女が振るったのは、巨大なれど単なる拳に過ぎない。ならば何故、零児の左腕は打撲ではない流血を負い、ランディの胸は鋭利な何かで斬られたのか。 「そういう概念攻撃なのだナ」 物理攻撃の象徴たる巨大な拳。それは、ヤミーが魔術的な力を誇示している事を忘れさせるほどのインパクトだった。 だからこそ、拳の裏にひっそりと重ねられた裂傷の呪いに、すぐには気がつかなかったのだ。そして、気がついたからには、癒し手たるカイの取るべき道は一つ。 「頑張るのダ。皆一緒に帰るのダ!」 掲げた杖から迸る、邪悪を祓う清き閃光。彼の推測の正しさを表すかのように、前衛二人の血に塗れた傷は跡形もなく消えていった。 「いい読みね、けど、それだけじゃ私を傷つけることも出来ないわよ」 「それはどうかな」 後方に控えた龍治が、得物をぴたりと構え、狙いを定める。かの魔人すら逃さないと評された名手の銃が、今は『誰も居ない』空間を狙っていた。 「あらあら、そんな骨董品で明後日の場所を撃つなんて」 「――骨董品と侮るか」 距離にすれば十メートルと少し、龍治にとっては目を瞑っていても当てることの出来る距離だ。だが、狼の左目は、狙った獲物を逃さない精密なる照準は、ぴたり通路の空間を狙う。 それは、鏡にいくつも映った少女ヤミーの群れの中心点。 「ならばその身をもって知れ、それは過ちだと――」 絶対防壁すら貫けとばかりに唸る銃弾が、溜め込んだ膨大な魔力を爆ぜさせた。同時に突然姿を現した、右腿を庇う少女。 真に討つべきものを撃つも狙撃手の流儀と技量とが、鏡の世界から少女を引きずり出すための最初の関門を突破する。 「……やってくれるじゃない」 「みんな、大丈夫ですか!?」 そして、このタイミングで救援に現れる光、送れて翔太。入り口から、床にスプレーで残された道のりを追ってきた彼女らは、他班よりも幾分か早く辿り着く事が出来ていた。 「厄介な空間だが、勝てない道理はないよな」 こんなときでも眠そうな顔は変わらない。無造作に剣を抜き放った翔太が、とん、とんと足踏みを始める。 (とっとと競りかけて押し切っちまうか、それとも……) とん。とん。とんとん。とんとんとん。 軽やかなリズムは、どんどん速度を増していく。 翔太が刻むリズムは、どんどん速度を上げていく。 そして、タン、と大きな音一つ。 「考えるのも面倒くせぇよ」 瞬間、彼の姿が掻き消えた。 「勇者求む、なんて理由で呼ばれたんだ」 いや、床から壁、天井までを一瞬のうちに次々と蹴りつけて、彼はゴシックロリータの懐へと一気に距離を詰めていた。そのまま一閃。 「――!」 「期待に応えて、勇者らしく攻撃しないとな?」 手応えあり。不敵に笑ってみせる翔太は、その口癖よりは随分戦意を高めているようだった。 程無くして、出口から入ったメンバーも、物音を頼りに合流を遂げていた。 「当てているか、龍治」 「今のところ弾の無駄遣いコースかね」 反対側の通路から姿を現した碧衣の問いに、肩を竦める龍治。 韜晦するほどに命中率は低くはなかったが、とはいえあの魔人にも当てると称された彼にしてみれば、鏡の幻影の前に無駄撃ちを強いられたのは屈辱もいいところなのだろう。 「ふむ、試してみろということか」 判っているのか、彼女はふ、と僅かに唇を緩めた。そんな中でも深く研ぎ澄まされていく神経。硬質の美貌が、ここだ、と呟いて。 「レディはあちこち動き回るものじゃない」 碧衣が指先から放った幾筋もの気糸が鏡に反射して積層を成し、ヤミーを取り囲み――一斉に牙を向いて襲い掛かった。黒いレースに次々吸い込まれていく不可視の糸が、不自然な体勢で少女を宙に縫い止める。 「やるではないか――我も奮わねばな」 龍をも断つと名高い大剣を振り下ろす御龍は、既に鬼神の如く猛り、その二色の瞳をらんと光らせている。続く霧也の一閃。 だが。 「くす。くすくす。それは貴方達も同じことよ――」 再び鏡に映る事をやめた少女が腕を一つ振れば、身を縛る糸も引きちぎられたかのようにその働きを失う。ふわり、少女は着地すると、スカートの裾をつまみ、優雅な一礼をしてみせた。 「この館は私の世界。誰も私を捕まえられない――」 どくん、と。 それを目にした誰もが、言い知れぬ予感に心の臓を跳ねさせる。 何も。何も起こっていないはず、なのだ。だが、猛る戦意も、凜と立つ勇気も、言葉にならぬ『何か』にじわりじわりと塗り潰されていく。 何もないはず、なのだ。だが、はっきりと判る。身体が無意識に、前に進む事を拒んでいる。 「これ、は――流石に、邪悪ロリは伊達じゃないな」 「じゃ、邪悪ロリ! な、なんだかモンスターっぽいから倒すです!」 碧衣の呟きを耳にして、気勢を上げる光。彼女にも、ヤミーが齎した絶望を覗き込むような感情は忍び寄っていた。 対して彼女が取ったのは、ある意味で最も『正しい』方法。 「ボク達は主人公です! 勇者になるんです!」 彼女の思い浮かべる勇者らしい装い。ごてごてと装飾の多い鎧に隠した胸の不安。しかし、勇者は退かない。恐れない。無い胸を必死に反らし、光は叫ぶ。 「勇者は、絶対に負けません!」 何の根拠もあるわけがなかった。 けれど、声に出せば叶う気がする。叶えなければいけない気がする。 黄金のラインが美しい幅広の剣を、屋根越しの空に向けて掲げ――祝福されし少女は吼えた。 「勇者は、絶対に諦めません!」 彼女の剣が神々しい輝きを放ち、鏡に乱反射して、暫時周囲を眩く染め上げる。 それは穢れを打ち消す白き波動。少女たる光の強い意思に乗せ、破魔の波動は身体を押さえつける凶き呪いを消し去った。 「意地、ですか。馬鹿にしたものでもないですね」 一つ頷く星龍。戦いのプロである彼にとっても、残酷ヤミーを前にしたプレッシャーは尋常のものではなかった。 絶対的な絶望の闇。黒に身を包んだ少女への恐怖。 それに囚われずに済んだのは、幸運もさることながら、理性を押し殺して戦う戦場の作法に慣れてしまったからなのかもしれない。 「まあ、そんなことに思いを巡らすよりも――今、すべき事があります」 大量生産の工業製品の中に生まれた、千に一つ、いやそれ以上に希少なる奇跡のライフル。遠距離の狙撃に特化したそれは、鏡の迷宮にあっては大仰に過ぎるとも思われたが。 「挨拶は銃弾で。相手が誰であれ、変わるものではありません」 素早く構え、星龍は躊躇わずに引鉄を引いた。抜き撃ちに等しい早業。そして、銃弾は外れることなく少女の姿をした恐怖を射抜く。 「痛いわ。痛いわぁ。くす。くすくす。くすくすくす――!」 見かけには判らずとも、ダメージは与えているのだろう。血を流すことなき少女は、含み笑いというには狂気さえ感じるほどの哄笑を上げ、そして。 「それじゃ、今度は私の番ね」 次の瞬間。 ぐにゃりと、視界が歪んだ。 ● 「な、によ、これ……!」 絶句する陽菜。 十人の仲間と共に戦っていたはず。前衛に守られ、矢を放ち癒しの力を振り撒いていたはずなのだ。 瞬きほどの時間。僅かに感じた眩暈の前後で、大きく状況は変わっている。その理解に至ることすら、致命的なほどの時間を必要とした。 『みんな、まずは合流するのダ!』 「……どこにいる……!」 アクセス・ファンタズムがカイの甲高い声を響かせる。壁越しに聞こえるのは翔太の声か。仲間達は近くに居る。例えば、この鏡の向こうに。 だが、今この瞬間、残酷ヤミーと対峙しているのは――陽菜一人。 「冗談! 特攻趣味なんてアタシにはないよっ!」 悪夢のようなシャッフル。戦って勝ち目がないならば、逃げるが勝ちだ。踵を返し、陽菜は走り出す。 金の髪に揺れる空色のリボン。慌てて鏡の壁にぶつかり、手探りで方向を変え、また曲がる。 「くす。くすくす――」 背中を追いかけてくる笑い声から身を隠すように、陽菜の身体から溶け出した闇。光を通さない真の暗黒が瞬く間に通路を満たした。 だが。 「――ッ!?」 ずん、と。 その暗闇を貫いた『何か』が、容赦なく陽菜を撃つ。詰まる息。壁に叩き付けられた彼女の息は荒く、二度は耐えられぬほどのダメージを身体に刻んでいた。 「ここに居たかっ!」 その時、彼女の間近、僅かに残された視界を横切ったのは、燃えるような赤い髪。 (――ゆう、き――?) どうしてここに、と言いかけて気づく。同じメタルフレームでも、『彼』の髪はもっと紅く、声もいくらか幼げだ。 そして何よりも、暗闇の中でなお輝く紅い瞳が、その正体を明確に告げていた。 そう、それは『彼』の戦友で。 「吹っ飛べっ!」 機械の腕で大業物を力任せに振り回す零児。闘気溢れるその一撃が、幸運にもヤミーを芯で捉え、直線通路の終端へとその華奢な身体を弾き飛ばす。 「ここにいるぞ、集まってきやがれっ!」 続いて到着したランディの咆哮。反撃を恐れずぐい、と踏み込んで、その身体に負けぬほどの大戦斧を横殴りに叩き込んだ。 「力比べならどうだ、えぇ?」 刃に浮かぶ血錆すら歴戦のウォーペイント。リベリスタ随一のパワーファイターが繰り出す重撃が、少女を壁際に釘付けにして。 「くすくすくす。素敵よ――強引なのは、嫌いじゃないわ」 そのプレッシャーすら振り切って、少女の『豪腕』、血塗れの拳がランディの腹へと吸い込まれる。 「ハ――まだ倒れねぇよ……あいつは、怒らせると怖いんでな――」 衝撃。膝を突かずに踏み留まったのは、戦いに生きる赤き戦鬼の意地か。運命の加護は、いま一度戦う気力を注ぎ込む。 「こんなところで倒れちゃ、後が怖いんだよ!」 「なんともまぁ、めんどくせぇなおい……!」 その背後に現れたのは、ぐるりと鏡の壁を回ってきた翔太。自分が一番大事、と公言して憚らない彼は、しかし孤立すら恐れず、息を切らす程に駆けたのだ。 「……今更判ったぜ、何よりこの戦場(ばしょ)に向いた力が残酷すぎるな」 「お褒めありがとう。それで、貴方は何をして遊んでくれるのかしら。くすくす」 ランディを突き飛ばし、余裕の笑みを見せる人形のように華奢な少女。その白い肌は陶器のように美しく、そして死蝋のようにおぞましい。 「決まってんだろ」 小さく構えた諸刃の剣。いつの間にか手に馴染んだ得物。どうして俺はこんなものを握り、こんな場所で戦っているのか――凶器を手にすることに違和感を感じなくなったことに、戸惑わないわけではないけれど。 「こいつらがやられたら、俺が後でしんどいんだよ!」 強く床を蹴って飛び上がった翔太。天井に触れるまで高く舞い、鏡の壁を蹴りつける。 頭上。僚友の巨体を飛び越え。 見上げる少女と目が合って。 「いっけぇ!」 トップスピードを保ったまま、激突覚悟で加速する。交錯。僅かに芯を外した切っ先は、それでも確かに幽体の少女を『斬って』いた。 「今、治すのダ。傷は浅いかラ、気を確かに持つのダ」 甲高い声のカイが後に続いた。襤褸屑のように痛んだランディを一目見て、躊躇わず詠唱を開始する。インコの声色が囀る祈りは、とても耳に心地よいとは言えないものだったけれど――。 「こんな所で死んでたまるカ! なのダ!」 その献身を笑う者が居るだろうか。 その必死さを笑う者が居るだろうか。 白い毛に覆われた頬を懸命に膨らませて唱えた韻律は、祝福を帯びてリベリスタの傷を癒す。流石にランディを全快させるには至らないが、ありがとよ、と赤い巨人は手を振って見せた。 「邪悪ロリが何ダ。必ず帰っテ、家で美味しいマトンカレーを食べるのダ!」 勝利への決意は堅い。可愛い娘達が、彼の帰りを待っているのだから。 だが。 くす。くす。くすくすくす――。 だが、そんなけなげな決意をも、残酷なる闇は無情に覆い隠す。 次々と合流するリベリスタ達を、ぬるり、とした感触が包んだ。 一瞬の既視感。背筋を走る冷たい感触。 そして、彼らの戦う意志を、闇の恐怖が一瞬にして塗り替えた。 ● 戦いは続く。 苛烈なる残酷ヤミーの攻撃に耐えるリベリスタ達。未だ脱落者が出ていないのは、奇跡にも等しいとさえ思えた。 闇に心を折られた彼らを、追い討つように呪詛を孕んだ衝撃波が襲う。 「……っ! 今度は逃げたりしないんだからねっ」 咄嗟に伏せて潜り抜けた陽菜。不可視の魔弓を手に支援を続けていた彼女も、ふと思い出したように優しい響きの歌を紡いだ。 彼女もまた、カイ同様、前衛達を支え続けるパーティの生命線。 得意の運動能力を駆使して前衛に出ることも考えていたが、自分に与えられたポジションも、また十二分に心得ていた。 「くすくす。震えて怯えて祈りなさい。そうすれば、助かるかもしれないわよ」 「ううん、アタシ達十一人で止めて見せるよ、ヤミーちゃん」 そう。 それは、残酷なる闇と対峙する者達が、自らに課した制約。 それは、深淵の絶望と対峙する者達が、自らに課した誓約。 奇跡なんて頼らない。 奇跡なんて願わない。 「神様頼りの奇跡なんて要らない! アタシ達の力で勝利を掴むんだ!」 「ふふふ。そうでなくてはつまらぬというものよ」 そんな陽菜を守る戦巫女。捲れた右腕に走る刺青。紅蒼の瞳をぎらつくように輝かせ、御龍は残酷ヤミーへと肉薄する。 「我にも意地があるからのぅ!」 息がかかるほどの近距離。ニィ、と笑んで――月の魔力帯びし斬馬刀を、捨て身の勢いで振り抜いた。 「ボクも一緒なのですよ。どんなに苦しくたって、辛くたって、絶対に怯んだりしないのです」 いつしか戦いの演舞は、四方を通路に繋げた、小さな広場めいた部屋へと移っていた。零児、そして御龍と並び剣を構える光が、自分に言い聞かせるように震える声で呟く。 「くすくす。そう。じゃあ、あなたは何が出来るのかしら?」 「……確かに、ボクは何も極めることが出来ないのです。狙い打つことも、正面きって殴りあうことも、皆さんを支援することも」 嘲る少女に、やや悔しげに光は答えた。 ――いや。 確かに言葉だけを捉えれば、それは力不足を認める屈服の言葉。だが違う。彼女の瞳には力がある。彼女の瞳には輝きがある。 「特化した強さはありません。けれどその代わりに、状況に合わせて行動できるのが――」 壮麗に装った長剣を袈裟斬りに振り下ろす。先ほどと同じだ。『斬る』ことはできなくとも、手袋越しに確かに感じた手応え。彼女は、アストラル・バディの少女を『斬った』のだ。 「勇者の強みなのですよ!」 そう。守備に、治癒に、攻撃にも。一つ一つは本職にはかなうまいが、その全てをオールラウンダーたる彼女は器用にこなしきってみせたのだから。 光は胸を張る。勇者の誉れをその全身に纏わせて。 そして次の瞬間。 「――……えっ?」 残酷なる闇の少女は、悪しき福音を勇者へと齎した。 金銀の装飾が踊る胸へと突き刺さる拳。岩をも砕くその力の裏に隠された、精神と魔力とを練り上げた凶器。 「くすくすくす。お疲れ様、発展途上の勇者サマ」 崩れ落ちる光。その背を掠めるようにして、一発の銃弾が飛来する。 「恐ろしいものです。子供の残酷さというものは」 星龍が撃ち込んだ殺意。それは、光に更なる追撃を加えようとしたヤミーへの、絶妙なる牽制として働いた。 「それを、無邪気さと言い換えて良いのかは知りませんが」 例えば、蟻を潰して遊んだ思い出。蛙を引き裂いた記憶。 善悪の区別がつかず、命の尊さを知らず、だからこそ簡単に踏み越えてしまう残虐性。知識を蓄え、人と交わり、成長することで抑制されていくものではあるが――。 「まぁ、人のことは言えませんがね。自分の子供の頃の自分が恐ろしくさえあります」 立射の体勢でライフルを構え、一瞬にして照準を定める星龍。 躊躇わず人差し指を引いた。 それは何千何万と繰り返した、身体に染み付いた戦場の所作。 銃弾は少女の胸を――最初の銃撃と寸分違わぬポイントを正確に貫いた。生者が相手であれば必殺を疑わぬ神技。 それでも、エリューションはにこりと笑うのだ。 ――いや。 「苦しいか? えぇ?」 獰猛に笑うランディ。余裕を見せたヤミーが、星龍の銃弾に貫かれた一瞬、そう、本の一瞬だけ眉根を顰めたのを、この赤き闘将は見落としてはいなかった。 「そうだよな、神秘と神秘がぶつかって、無敵モードでしたなんてことはありえねえ」 幽体が持つ『力』の総量。 底が無いと錯覚するほどのそれを、少しずつ削り続ければ、いつか存在ごと消滅させられる時が来る。 理屈ではなかった。それを彼に教えたのは、気の遠くなるような、苦痛に満ちた訓練と実戦の繰り返しから得た経験。そして、このひりつくような戦場の空気だ。 「俺達が倒れるか、お前が消えるか。単純なゲームだな」 既にインカムは何処かに消し飛び、プロテクターの上に羽織った緋色のジャケットも千切れ去っていた。だが、何を惜しむ事があろう。 強さがここにある。勝利がここにある。 「さァ……最後のタフさ比べだ!」 戦斧の柄を短く握り、腕力だけで叩きつける。それは十字架。それは卒塔婆。立ちはだかる敵を滅ぼす、それは斬首の墓標――。 「だからこそ、楽しいんじゃない」 ランディの揶揄は正しいのだろう。少女の声は、明らかに精彩を欠いていた。 闇色の少女に、もはやさほどの余裕はない。けれどその笑みは何処までも美しく、優雅で、そして冴え冴えとした殺気に満ちていた。 表面張力によって保たれた境界は、いつか弾けて溢れ出す。そしてついに、御龍が、霧也が倒れた。耐え続けていた前衛陣を絡め取っていく、綻び。 「まだ生きているか、劉」 「縁起でもない事を言いますね、残念ながら未だ生きているようですよ」 聞きようによっては冗談ではですまないブラックジョークを飛ばしつつ、龍治は気の糸を張り巡らせる。 とはいえ、彼の言葉はあながち無駄口というわけでもない。既に、戦況は彼ら最後衛が被弾を覚悟しなければならない状況になっていたのだから。 「すまないのダ……我輩が、無事なら……」 「下がっていろ。リースはよくやった」 最後衛たる龍治のさらに向こうには、見て判るほどの重傷を負い、息も絶え絶えのカイ。翔太によって後送され、喘ぐように嘴を震わせる彼の頬は、赤いものでべとついている。 「……、性悪に知恵がつくと手が焼けるな」 「くすくすくす、随分な言い草ね」 前衛の圧力を減じさせたヤミーが次に狙ったのは、回復手――それも、彼女の『絶望』を掻き消すことができる、鳥の頭を持つカイである。前衛の壁を貫く衝撃波が、彼に架せられた呪縛を強め、ついに昏倒させたのだ。 「間違いではあるまい……まあ良い、状況がどうあれ任を果たすのみだ」 任。 この強大なエリューション、残酷ヤミーを倒すこと。 だが彼は知っている。この『任務』を与えた銀髪の少女は、決して命を賭けてエリューションと刺し違えることなど望んでいないと。 それよりも少しだけ大人で、少しだけ豊満で、少しだけ気まぐれな彼女は、未帰還を決して許さないと。 「――さあ、狩りを始めよう」 だから龍治は見栄を張る。いつだって彼は狩人だ。狩人は、獲物を狩らなければ。 「くすくす。狩るですって? この私を?」 「でなければ、我侭お嬢様をお尻ぺんぺん、か」 嘲るというよりは苦笑いの風情。ナイフ片手に立ち回る碧衣は比較的軽傷ではあったのだが、そのパンクロックな衣装は汗でじっとりと濡れている。 強大なプレッシャーへの緊張。だが、それだけではない。 「随分、踊らされたからな。そろそろ疲れてきたところだ」 彼女の経験――目まぐるしく回転する頭脳が、残酷ヤミーが一手ずつ、『段階を踏んでいる』のだと教えていた。 比較的耐久力に劣る前衛への攻撃集中。 回復役へのダイレクト・アタック。 本当はその前に、多数の無力化を仕掛けたいところだが――行動そのものを阻害する能力を持たないのは、ヤミーの泣き所だったろう。 「だが、私達は負けないさ。一つ一つ崩して、逆にお前を追い詰める」 指先から伸びた、一本の糸。 彼女の戦意と意地と決意の全てが、細く縒られた闘気の銀線となって、モノトーンの少女の額へと続いていた。 ぱっつんにした前髪の下に覗く青白い肌。それに突き刺さる、精神を掻き乱す糸が。 「来い、ヤミー。私が全て受け止める」 「こ……の――!」 目の色が変わる。 艶やかな笑みだけをかろうじて貼り付けたヤミーが、碧衣だけを照準に捉えていた。 「いいわよ。楽しくなってきたじゃない――殺してあげる。くす。くすくす」 「舐めるなよ、ヤミー」 次の瞬間。 紅蓮の瞳を輝かせた零児が、エリューションの意識の外、横合いから飛び掛る。 「俺にはこれしかないからな。あれこれ考える必要はない」 手には鉄塊。 剣と呼ぶ事を躊躇うほどの、厚く長い鋼刃。 そうだ。 ただ彼に出来るのは、リスクを恐れず、巨大なる得物を振るい、叩き潰すこと。 心を細く、一つにせよ。 如何に敵を斬るか。 如何に敵を斬るか。 如何に敵を斬るか――。 「ああ、どれだけお前が強くても、死線を潜った数は俺の方が上だ!」 少女の身体に埋め込まれた大剣。 どれだけ斬られても瞬く間に元のドレス姿に戻っていた少女。 けれど、左肩から腰まで断ち切ったこの斬撃の傷は、もはや瞬時には消えようとはしない。 「――!」 だが、しかし。 ヤミーの瞳に理性の光が戻った、その一瞬。 世界は、再び捻じ曲がる。 ● 「――あ、ああ……」 声が、出ない。 気がつけば、碧衣は一人だった。 彼女の前には――氷の微笑を浮かべるエリューション。 「くす。くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす――!」 寒気がぞわりと全身を駆け上がる。 暫時遅れて、彼女が再び戦場を『シャッフル』したのだと思い当たった。 あるいはランディであれば、その頑強なる肉体を盾に、最後まで時間を稼ぐのかもしれない。 翔太であれば、その場に踏み留まり、そんな役回りだとぼやきながら守りきったのかもしれない。 だが、不幸にも彼女は射手だった。 「ここは退くべきか……!」 透き通った青紫の髪を振り乱し、彼女は走る。実力ではこのエリューションに遠く及ばない以上、未だ戦場に立っている仲間との合流が、何よりも優先だ。 そして、その判断は決して間違ってはいない。踏み留まったとしても、彼女がたった一人で耐え切れるかどうかは分の悪い賭けだったのだから。 「くす。くすくす。くすくすくす……」 置き土産に放った気糸を払い除けたヤミー。碧衣の背を、含み笑いが追いかける。 貴女が戻ってきたとき、もう私は居ないわよ――くす、という甘やかな響きは、そう雄弁に語っていた。 ――闇の世界で、また会いましょう。 くす。くすくす。くすくすくす――。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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