● 「御機嫌よう、来栖様、今回もとても素敵なドレスが沢山ですこと」 「あら、其れは嬉しい。此れ、自身作ですのよ」 指差されたのは豪華なドレス。胸元に飾られたのは薔薇。フリルとレェス。周囲には真珠も飾られている。 まるでしあわせの絶頂を迎えるその時に纏うドレス。 着せられたマネキンの真っ白な顔は女性デザイナーを見つめる様に向いていた。 「アンズさん、こんにちは、アレ、着られるんですか? 再来月」 「え、いえ、アレはあのマネキンに着せるならどれが一番良いかな、と思って」 「は? マネキンに、ですか?」 「ええ、マネキンに。彼女、私がデザイナーになってからずっと使ってるんですよ」 笑った女の横顔は、何処か寂しげであった。もう古いから処分しなくちゃいけなくて。せめてその餞に。 着せられたウエディングドレス。纏ったマネキンの手が、かくん、と揺れた。 ――アンズさん、『私』を呼んでください。 ――アンズさん、『私』を呼んで? 『私』があった『証明』に。 せめて、捨てられるなら、最期に。ああ、でも『私』には名前がなかった。 ● 「こんにちは、月鍵さんです」 にこりと微笑んだ『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)は自分を指さして言う。 今更何を自己紹介しているのだろうと彼女を見つめたリベリスタにフォーチュナは資料を差し出した。 「皆、名前があるでしょう。私なら世恋。貴女は?」 問われたリベリスタが顔を上げて名乗ると世恋は嬉しそうに微笑む。 このブリーフィングルームに集まった人間には名前があった。彼も、彼女も、そして君にだって。 ――ふと、視線を下ろした先、資料の表題には『名前がない』と付けられている。 「名前がない……?」 「ええ、名前がない。飾られていたマネキン人形。彼女は人に恋をしました」 愛しい人に名前を呼んでもらえない――だって名前をつけないのが当たり前、とフォーチュナは俯く。 とある著名な女性デザイナーの展覧会。真っ白なドレスを着せられたマネキン人形。赤い花を胸元に飾り、真っ白なレェスを贅沢なまでに使用したそのドレスはしあわせな娘達の着る筈のドレス。 ただ、着ているのは想い人と言葉をかわせず、名すら呼んでもらえないマネキン人形。 「彼女が愛したのはその女性デザイナー。彼女は、マネキンは愛されたいわけではないわ」 ただ、名前を呼んで欲しかった。 その言葉を口にした世恋は目を伏せる。名前を、呼んで欲しい――そんな恋する少女のような淡い想い。 ただ、呼ばれるはずの名前がなかった。 「その想いは蓄積する。実は、今日でこの展覧会は終りなの、この古くなってきたマネキンは仕事を終える。捨てられちゃうの」 ――彼女は女性デザイナーの元には戻れなくなる。 性が同じでも、種が違えど、無と有であれど、名前を呼んでもらえれば。それで満足した筈だった。 呼ばれる『名前』がなかったから、それは叶わぬ願いであった。 フォーチュナが資料の2ページ目を参照する。そこに在るのは戦闘データ。 「彼女は捨てられる事を知っている。離れたくなんてない、なら、殺してずっと傍に置いておけばいい」 物言わぬ人形の様にして、『人形』の自分の傍に。 「とても、恐ろしいことよね、けどその気持ちも分からなくもない。愛しさが揺らいで、狂気へ変わるのね。 女性デザイナーはもうすぐ一人で展覧会の会場へ向かうわ。 そこで、彼女は出会うの。意思を持ち自分を殺しにくる『名前のない』マネキンと」 さあ、目を開けて、悪い夢なら醒まして頂戴。フォーチュナは微笑んだ。 「彼女と、彼女のオトモダチのお人形から一人の女性を助け出してね」 資料を置いた後フォーチュナは首を傾げる。 「名前って、誰かが付ければ『或る』ことになるのかしらね」 人に名前があるのは、きっとその人の『存在』を確認するためなのじゃないかしら―― 只の戯言ね、とフォーチュナは其の侭、別の資料を読み始めた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年08月22日(水)22:33 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 名前を呼んで。 ―――。 それだけ、それだけでいいの、それだけなの。 大好きでした、アンズさん。 ● 名前を普段意識した事はなかった。特別好きだという訳でもなかった。その気持ちが『当たり前に在るもの』の気持ちなのだろうか。 淡い紫の瞳は揺れる。『薄明』東雲 未明(BNE000340)の名前。 未明、未明。 愛しい人が呼んでくれるのならば、きっと、それは特別好きになる名前。 「それなら、分からなくはないかな……」 羨ましいとは思わない。普段は意識しないモノ、愛着があるわけではないモノ。 ただ、愛しい人が呼ぶならば、それは息をする様に色を与えられて『特別』になるのかもしれない。 抱きしめたノートパソコン。ブゥン、と小さな稼働音がした。 ゲーム会社を設立し、クリエイターとしてその生を立てる『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)はデザイナーの気持ちが分かると抱きしめたノートパソコンに顔をうずめた。 初めて組みたてたパソコンは特別だった。回路が、構造が、丸々自らの手で組みたてられるオリジナルの世界。 自分の作るモノは特別。きっとデザイナー来栖の作るドレスも来栖アンズという女の世界なのだろう。 纏う外套は幻視により一般人と変わりない姿になっていた。『Dead Aggressor』ザイン・シュトライト(BNE003423)は守ることの為にこの場所に来ていた。 白磁の様な髑髏仮面は魔術により、その顔を、表情を隠してしまう。仕事の時に纏うその外套。何かを護る為に、悪意へ侵略する、死せる侵略者。死神の如くその姿。 ――全ては守るべきものを喪失したからこそ、別の何かを護る為に。 ばたばた、催事場に続く廊下を掛ける音。先の催事場では今、若い女性に人気があるデザイナー来栖アンズの個展が開かれていた。廊下に飾られたポスターには『白百合の姫』と掛けられている。真っ白な百合と散りばめられた赤い薔薇、真珠がフリルとレェスの海に漂っている。 「ッ、すいません!」 目の前を行くスーツ姿の女へ『闘争アップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)は声を掛ける。振り向いたその女こそが来栖アンズ、その人だった。 「――何か?」 「こんばんは、ここの関係者の方ですか?」 巡らせた強結界の中で『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)から漂うのはマイナスイオン。展示が終了し、人気のなくなったこの廊下を集団で訪れたリベリスタらに来栖は怯えの表情を向ける。 「あ、すいません、私達、次にこの会場使う予定なんで資材だけでも置かせていただいていいですか?」 持ち上げた梱包材――尤も、中身は彼の愛用する氏屍と言う名のワンドなのだが、見た目は資材にしか見えない其れに来栖は首を傾げる。 明日でも大丈夫なんじゃ、と紡ぎかけた言葉に『名無し』氏名 姓(BNE002967)は人の良さそうな笑顔で笑った。良ければ手伝いますよ。 「どうせなら下見を、と思って」 「こっちまだ余裕ありますし、手伝いますよ」 幻視で黒い瞳と髪に装った未明。優しく笑った青年らに首を傾げたデザイナーの袖を『デンジャラス・ラビット』ヘキサ・ティリテス(BNE003891)は引き楽しげに微笑んだ。 「なあ、オレ、デザイナーになるのが夢なんだ!」 「キサもアンズのファンなの。片づけを手伝うかわりに、少しだけ見せて欲しい」 今日で、見納めなのでしょう? ネットで調べてきた来栖の作品について綺沙羅は触れる。生花を使用したその日限りの特別なドレス。優しい色合いのドレスについて彼女は来栖に聞く。 まだ幼い子供達の無垢な瞳。保護者なんです、と笑ったガーネットや姓の様子を見て暫し考えたのち、彼女は同行を許した。 開かれる展示場の扉。其の奥で意思を持ち、名を欲する人形が居る事を思い『あるかも知れなかった可能性』エルヴィン・シュレディンガー(BNE003922)はため息をついた。 ● 全身のギアが加速する。名前がないから殺すというマネキンが存在している展示場。広いワンフロアの中に溢れるマネキン。 見学だ、と展示場の中に走って入っていくヘキサは勿論『見学』しに来たわけではない。不意打ちに備え、周囲を見回している。 「素敵な衣装ね?」 微笑んだ未明はさり気無く衣装へと近づく。俯き感情を探っていた綺沙羅が前を向いた。 開いた紫苑の瞳はまっすぐに展示場の隅を見据える。探る感情、超直観で気付いた事。 少女の目は、はっきりと動くマネキンを捉えていた。 笑いあう、ナンパという行為はエルヴィン・ガーネット青年にとっては慣れた行為だった。 さりげなく彼女の前に立ち、周囲の照明を確認する。 展示場の中心、メインとして飾られた一つのマネキン人形。 胸に飾られた赤い花の名前は何だっただろうか。随分長い間飾られていたであろう其れは首を擡げている。 ふんだんにあしらわれたフリルとレース。パールをちりばめて、輝かしいドレス。 一人の男性に愛される、一人の女として一番の幸せを感じる事が出来る花嫁衣装。 纏ったマネキン人形の手が、招く様に揺れた。 「――え?」 怯えたように来栖は扉に背をついた。その体を支える様にガーネットは大丈夫、と彼女へと告げる。 「ごめん、ちょっと先謝っとく」 ぎゅ、と握りしめたのは彼女の愛剣。永く戦いを共にした手になじむソレをしっかりと握る。 顔を上げた来栖に未明は寂しそうに笑った。 貴女の大事な合い方を壊しちゃうことになりそうだし。 投擲される閃光。 その隙に未明らはマネキンを端避けて行く。だがその手は間に合わない。 「――そこの青いドレス。リボンの、マネキン」 綺沙羅の声に未明は反応する。猛撃せよ。少女の生命力は戦闘力となる。ふわりと揺れた髪。彼女の指先がポケットにしまわれていたお守りに触れた。 「東雲未明よ。勝てたらこの名、あげるわ」 愛しい人の呼ぶ声。未明。未明。――嗚呼、けれど負ける気はしない。欲しいならば誰だって、何人でもかかってくるがいい。 青いドレスがふわりと揺れる。未明の体を殴りつけようとするその腕を資材の中から鮪斬を取り出した義衛郎が受け止める。 「少々荒っぽい事になります」 作品を傷つけたくはない。悲痛な表情を浮かべながらも彼は頭を下げた。傷つけたくはない、けれど傷つけない訳にはいかない。 どうか、ご容赦を。 来栖の前に立ち、姓は静かに囁いた。 「あの子、貴女を狙ってるの」 名前が、欲しいんだって。 ただ、その一言。目を見開いた女の目の前でドレスを纏ったマネキンが踊る様に襲いかかる。 名前、その名前が嘘であれ、本当であれ、『名』を持つことで意味を持つだろう。 彼の名も真か偽か、其れは定かではなかった。只、彼と言う存在を確固として表すソレ。 「そもそも名を持たないものはどうなるか、か……」 名前が欲しい、欲しいと望む持たぬ者。意思を持ってしまったからには、その意思を傷つけぬように安らかに。 カラーボールを握りしめたシュレディンガーに綺沙羅は静かに指示をする。 彼女の超直観、感情探査。把握した目印。色とりどりのドレス。クリエイターたる彼女はそれを傷つけたくはなかった。 「――ああ、了解した」 澱みなき連続攻撃が新緑を思わすカクテルドレスのマネキンを襲う。別のマネキンが彼を殴りつける。背後に飛ばされながらも、彼は走り込んだ。 マネキン人形は踊る、ドレスを揺らして。 「名前か……」 名前がなくても、愛する人の傍に居られた。名前などなくても、認識されてるだけではいけないのか。 ――それで満足できないからこそ、名前を呼んで欲しいのだろう。 ザインはクローを振るう。暗闇が、マネキンを包み込む。 「愛する人の傍にいられた、いつか捨てられる存在でも」 其れだけのしあわせがあったのだから。ザインにはない幸せが、マネキンにはある。 名前――ザインが持っているものでマネキンが持っていないもの。ザインがないものをマネキンは持っている。 なんて、羨ましいのか。 「――愛したものに、最後まで愛され続ける事」 其れがどれだけ幸せなのか。 「小雪・綺沙羅、キサの名前。羨ましいでしょ?」 にたり、少女は意地悪く笑う。黒い髪が揺れる。少女は、キーボードを奏でる様に鳴らした。 名前がないから、『ソレ』に執着するから、それ故に、『ソレ』を持つ者を怨む。『ソレ』を求める。 ただ、静かな声だった。 「俺の名前はエルヴィン・ガーネット。……君の名前は?」 真っ白なドレス。花嫁姿のマネキンが少女と、赤い瞳の男に向く。 彼女の想いは何処から来たのだろうか? 嗚呼、其れは『名前』から。 その源は名前。名前への執着が次第に捻じれて殺意になる。 彼は歩きだす、その足を向けて。彼の役割は彼女を抑える事。名を持たぬそのマネキンの往く手を遮る事。 「――君の名前を教えて?」 名前がない、其れは分かっている。花嫁は彼に対して襲いかかった。 嗚呼、何故君は名前が欲しかった? 答えは一つだけ『呼ばれたい』から。 嗚呼、じゃあ誰に名前を呼んで欲しかった? 答えは一つだけ『愛しいあの人』に。 人と物。意思も疎通できない。交わらないまま。愛され続けた人形の抱く最後の願いを、歪んだまま、伝えられないまま終わらせたくはない。 最悪の形で終わらせないために自分が伝えてやればいい。その為に、問おう。 ――じゃあ、君は何を望んでいるんだ? ――あの人に、存在を認めて欲しかった。 ただ、その想いがあればよかった。名前があればよかった? 呼ばれないと――分からないの? 「名前なんかなくても、オマエはアンズのねーちゃんの特別だったんだろ!?」 彼の蹴撃がフリルとレースに沈む。ふわふわと、くるくると踊るドレスと舞う兎。 マネキン人形だった、ただの仕事の道具だった、それでもこの来栖アンズという女は別れを惜しんだ。 「オマエとの別れを寂しがってくれる、それじゃダメなのかよ!」 届かせたかった、恋する思いを。 恋は、重たく胸の中に沈む。どろどろと溶けあうチョコレートの様に、それでいても甘く舌先を這う。 名前を呼んでもらえれば良かった。綺麗事かもしれないけれど、それで有難うと言いたかった。 分かる、分かるけれど――でも、殺してしまったら『もう思い出して』もらえない。 記憶の中で、綺麗なドレスで飾られたマネキン人形を、来栖アンズというデザイナーが胸に抱き続ける事など、ヘキサには分かっていた。 殺してしまったら、自分の存在ごと殺してしまうことになることなんて直ぐに分かる。 「辛いんだろ? 苦しいんだろ? ――寂しがってくれる事でも満足できないなら、その想いごとひと思いにブッ潰してやる!」 少年は跳ねる、舞う。つけた兎の耳が寂しげにゆれた。 ● 「知ってる? 昔から使い古されてる伴侶の呼び方」 ――ねえ、あなた。 ――なんだい、おまえ。 特定の誰かを表す言葉じゃない、望む『存在の証明』を与えられないかもしれない。けれど特定の相手を指す優しい呼び名。 マネキンの手がかくかくと揺れる。 「名前、欲しいのかい? 名前、名前か。私はもう捨ててしまったけどね」 紡ぐ言葉は至って優しい。ただ、其れは欲する者に対する捨てた者の相反する言葉。呼ばれる名前がないと不便で仕方ない。 名前が必要か否か――生活する上で呼ばれないというのは不便で仕方なかった。 だからこそ、彼は『名前』を名乗る。 赤い血が、花弁のように舞う。只、名前をあげたかった。 シュレディンガーは、有るかもしれなかった可能性である彼の放つ連撃。 願いだった、せめてもの餞に。愛おしい人との思い出に。 「なあ、彼女に名前を与えてやってくれ」 其れは存在の証明の為。其れは、思い出の証の為に。 「苦楽を共にしたのに、どうしてこんな真似に及んだのかしら?」 ちらり、目線は来栖に向けられる。未明の黒い瞳――否、紫苑の瞳は強かな光を灯していた。 え、と女は未明を見上げる。 「ッ、それとも、貴女にとっては他のマネキンと似た様なものだったのかしら」 マネキンの腕が振り下ろされる。未明の剣とぶつかり、その腕は反動を齎す。爪先が地面を擦れた。 踏み込む――そして、一閃する。 通しはしない。名を呼ぶまで。 分かっている、言われたとおりだ『名前が欲しい』 けれど、その真意はまだ、告げられない。 名はなかった。名を『捨』てた。『欲』することはなかった。無い事を悲しみはしなかった。 常に彼は彼という存在でいた。 名はなくても確かに此処に存在している。 「君は、君達は星の数だけ存在しているだろう?」 無機質な、数多の人形と言う存在から選ばれた『個』こそが花嫁のマネキンだった。 デザイナーになった来栖が初めて着せかえた人形。気が向いて、彼女の服を作ると笑った来栖。 「ねえ、彼女は君の為のドレスを選んでくれたんじゃない?」 彼の背後で来栖がぴくり、と反応する。 『君』の為のドレス、花嫁のドレス。他の誰かと――他のマネキンとは違う、特別な存在として認められたのではないか。 名を欲する事は彼はしなかった。けれど、欲しいというならば、 「貴女が生んだ作品として、親として、あの子に名前を――」 「キサは物を作る人間だから、分かるよ」 クリエイターが降らす雨がマネキンを無力化していく。 クリエイターは道具が必要になる。作品を作り上げる道具、其れがどれだけ大切なパートナーであるのか。 「名前を呼び合う以上の想いがそこにあるんだよ」 でも、名前が欲しいという事は痛いほど分かる。 せめて、その餞別に彼女だけの名を―― 名前を付けてやればいい、呼んでやればいい。処分してしまっても。 「憎悪を抱くほど、本気で愛した相手に望んだ事なのだ」 応えて遣ってくれ、クローを振るう。其れが彼の願いだった。 少年は紅鉄グラスホッパーを装備した足を振りあげる。がしゃん、と音を立ててマネキンの顔が粉々になる。 座りこんだ来栖の顔を見つめる。もう散りゆく赤い花を胸に咲かせたマネキンは来栖の方を向いている。 嗚呼、アンズさん―― その名前を呼ぶように。その存在を記憶に焦げ付かせるように。 「……なあ、アンズのねーちゃんはさ、マネキンに自分を重ねたんじゃねーの」 少年はみつあみがその動きで揺れた。 今まで苦楽を共にした、彼女がいなければ此処に来栖アンズというデザイナーは居なかったのではないかと思う。 「あのマネキンに名前をつけるなら」 少年は跳ね上がる、バネの様にその足を使い、マネキンを蹴倒す。床に広がったドレス。レース。フリル。ふわりと、纏う白が海の様に。 「ねーちゃんの半身だろ……? じゃあ、あのマネキンも『アンズ』でいいんじゃねーかな」 その言葉に、ぴたりとマネキンは動きを止めた。 「大事な相方なんでしょ? 名前のひとつも呼んであげないなんて寂しいとは思わない?」 ねえ、無いなら付けてあげて。未明の言葉に来栖が顔を上げた。 ふらりと、立ち上がる。来栖の手がマネキンへと伸ばされた。震える指先は宙を泳ぐ。 嗚呼、貴女は『存在』が欲しかったのね。 「――ねえ、もう名前はあるんじゃないですか?」 義衛郎の言葉に、来栖は顔を上げる。 この展覧会の名前。展覧会は主役の名を冠するものじゃないかと、そう思う。 武器を握りしめたままデザイナーの女の安全を確保するべく構えた義衛郎の肩をぽん、と姓は叩く。 大丈夫だ、きっと彼女なら『親』として一番素敵な名前を付けるだろう。 女は、口を開く。 「私の、白百合のお姫様。ごめんね」 半身であると、アンズであるとヘキサは言う。けれど、愛しい人の半身であるよりも『個』として見て欲しかった。 来栖は笑う。 ――白百合の姫 そのドレスの名前。 攻撃で胸に飾られた花が無残な姿になったそのウエディングドレス。 その胸に飾られた花にも劣らぬ美しさ。赤薔薇よりも輝く色の白百合。 そっとガーネットは彼女へ近寄る。その名の通り輝く赤い瞳を優しく細めて。 「……君の名前を、教えて?」 ライオットシールドが彼の手から離れる。がらん、音を立てて床に転がるソレ。 座り込んだままの来栖がマネキンへと笑った。 「白百合――」 話す事の出来ないマネキンが、確かにその名をエルヴィンに答えた。 彼は笑う。白百合の姫。個展の名前――それこそが彼女の名前。 「うん、いい名前だ」 握りしめたミセリコルデ。その慈悲の短剣をマネキンの――白百合の首へと突き刺した。 抱き寄せたその真っ白な人形の体はくたりと彼の腕で倒れる。パールがぱらぱらと飛び散った。 ――アンズさん、好きです。 叶わぬ恋路の行き止まり。届かぬ手はだらりと下ろされた。 名前がないものとあるものとどちらが幸せであるのか。嗚呼、その答えはまだ迷子のまま。 ● 後片付けの途中、ガーネットが顔を上げる。 「好きだったんだって。貴女の事」 その言葉にアンズが顔を上げる。浮かぶ涙。俯きがちに。 「――好きだから、名前を呼んで欲しかったの」 愛しい人が呼ぶ名前だから、特別になる。 その言葉に来栖アンズは静かに泣いた。結ばれる事のない『無』と『有』と、同じ性と、別の種と。 『私』を表す『数文字分』の名前を静かに、呼んだ。 ――しらゆり |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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