●その時、幸福な家庭があった。 どうして自分なのだ、そう思ったのだ、聡一郎は。 聡いという字を名に受けて、彼は相応に聡く生きた。医師となり、多くの人を助けた。 ある時己の身に起きた異変も、運命に愛されたことも、理解し、受け入れた。 多少波乱はあったものの、平穏とは言えぬ物の、彼の人生は概ね順風満帆だったのだ。 だから、どうして自分なのだ、そう思ったのだ、彼は。 彼の愛娘の遺骸を抱いて、慟哭しながら、己が運命を呪ったのだ。 医師でありながら、どうして娘の病に気づけなかったのか。 医師でありながら、どうして娘の病を治せなかったのか。 運命に愛されながら、この仕打はなんとしたことだ。 なぜ、どうして自分なのだ、運命に愛されるのは娘であってほしかった。 5歳だ。たった5歳で、逝ってしまった。 腕に抱いた娘の、冷たく硬い頬を撫で、聡一郎は歩き出す。 運命に愛された心臓を娘に移植できれば、娘は助かる、などと思い込んだまま。 目の前に転がるのは、聡一郎を留めに来た旧知の男。 長い戦いの中で運命はすでに尽きていたのだろう、このリベリスタの心臓も、娘に移植はできないようだ。 この心臓に用はない。 ●獅子身中の虫 「このフィクサードを阻止して」 人の良さそうな笑顔で、幼い娘を抱く男。 それが高円聡一郎だと『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は言う。 アーク所属のリベリスタだったという医師についてどう思っているのか、イヴの表情からは読みとれない。 「……彼の心は、結奈と一緒に死んでしまったわ。 最初に万華鏡で予知された未来は、街中で通り魔となって心臓を奪っていく様だったの。 それを止めに行った人の死体が見つかったのは、今日のことよ。 心臓が奪われていた……フェイトを持つ人の心臓を奪うことにしたみたい。 ううん、もしかしたら、最初からそれが目的で通り魔となるつもりだったのかもしれない」 まだアークの発足からも時間は短いが、当然、彼は知っていたはずなのだ。 カレイド・システムの存在を、そして災厄を予知したアークがどのような手段で妨害するのかも。 しかし。 「こちらが行かなければ、彼は通り魔となるだけ。明日の正午、三高平の駅で。 ……お願い。彼を、止めて」 イヴの目が真剣にリベリスタたちを見上げていた。 ●その時、幸福な仮定があった。 聡一郎は、聡い男だった。心のそこから自分を騙してしまえる程度には。 だから、彼は自分が本当に思っていることを、自分でも見えぬように封印してしまった。 ――どうして自分なのだ。どうして自分がこのような悲劇に遭わねばならぬのだ。 結局聡一郎が愛していたのは、娘でも世界でもなく、己だったのだ。 己の心も騙したまま、聡一郎は夜闇を歩く。 ――そろそろ、万華鏡は己を見つける頃だろうか。 新鮮な、まだ運命に愛されたばかりの心臓が、己を狙ってくるだろうか。 聡一郎は、月を見上げて嗤った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ももんが | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年06月04日(土)21:25 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●三高平市(1) ナイトメア・ダウンの後、傷痕も深いこの地にリベリスタたちの安住の地が作られ始めてからまだ十年も経たない。壊滅に至るほどの、この世の神秘を知らぬ者には何が起きたのかすら分からない悲劇の土地に、それでも人々は都市を作り上げていた。都市の規模や新しさの割にはまばらな人影――それが三高平という街だ。 「ああ、こりゃいいや」 焦燥院 フツ(BNE001054)はそう呟き、防具の中で五条袈裟を結ぶ威儀を正した。齢十六とまだ若いが、落ち着いた風情は僧服だけによるものではないだろう。 三高平駅から少し南に歩けば、三高平公園の広い敷地があった。レクリエーションのために作られた公園は高い樹にぐるりと囲まれており――有体に言って、おあつらえ向きである。 日当たりのよい方に目を向ければ子供連れの親子の姿も何組か見えるが、この広さである。初夏のピクニックにわざわざ隅の一角を選ぶこともないだろう――強結界まで張っておけばなおのこと、この周辺を選びはすまい。 「ああ、こっちはいい場所があったぞ。三高平公園の――まあ、人払いはしておくさ」 携帯電話を切り、仲間たちが首尾よく行くよう、信仰しているわけでもない神仏に頼むとさて、とフツは考え込む。この防具――モルぐるみを指差し騒ぐ子どもたちを、どうやって遠ざけようか。 ●公園・港湾地区方面 「そこの喫茶店で珈琲でも、どうかな?」 洒脱な雰囲気でさっきから道行く女性に声を掛けまくっているのは『ラテン系カラフル鳥』カイ・ル・リース(BNE002059)。その整った顔からは予想もできぬほど、さっきから悲惨なまでに連戦連敗だ。 「声をかけた方が、片っ端からクシャミをして去っていかれるのは、どういうことですか?」 「換羽期だから……かな」 源 カイ(BNE000446)の柔和な声に、頬を掻いていくらか気まずそうに返す、カイ。 幻視を解けばその顔はどこからどう見てもインコのものであり――時節柄、アレルギーでなくてもむずがゆくなるのはいたしかたないものだろう。 この二人、名前が同じである。この先お二人をリース、源とお呼びすることを許してもらいたい。 何にしろ気が付けば駅前で彼らのいる一角には人通りが少なくなっていた。 そりゃそうだ。全力でナンパかましてる男性がいると分かっている場所に、好き好んで通る人間はそう多くないだろう。リースは胸を張って答える。インコ声で。 「だがこれで一般人を巻き込みにくくなったと思うのダ」 ……それはそれとして周囲の注意を一心に引いているようなのは、それも作戦のうちなのだろうか。 ●センタービル方面 「ヤバいね……色々と思い出しそう。余り深く考えない様にしよう」 ウエストの細い三つボタンスーツを着た青年『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)の深く吐いた紫煙にのせた呟き。それは、視認できる程度に距離を取った先にいる『有翼の暗殺者』アルカナ・ネーティア(BNE001393)には聞こえなかった。 アルカナは白い羽を広げながら両手を高く上げて伸びをし、深呼吸ついでに和菓子をぱくつく。 「壊れ果てた愛というやつなのかもしれんの。家族愛は人間としての賞賛すべき感情の一つ。 ……じゃが、それも行き過ぎれば別の感情に変わってしまうじゃろうて」 アルカナの声は明るいが、赤い瞳はどことなく遠くを見つめている様にも見える。和菓子を食べ終えた指についた甘い汚れを幼い仕草で舐めとってから、ミカサに振り向き、声をかけた。 「合流する前、他の候補も探してみたのじゃ。戦場に複数の場所を見繕っても何も問題あるまい」 アクセスファンタズムに表示した地図を指し示すアルカナに、ミカサはあることに気が付いて、指摘してみる。 「この位置とこの位置ってことは……飛んで探したんだよね?」 「うむ。上空からじゃ」 「……穿いてないって聞いたけど?」 アルカナの返事はなかった。 ●大学方面 聡一郎はタクシーを降りながら、目を細める。 駅前の喧騒は正午前であれど消えるわけでないが――その中でも、何かしらの覚悟を持って立つ者というのは、ひときわ目立つものだ。 「見てごらん、結奈。待ってくれてるよ」 ダークグレーのスーツに黒檀の杖を持った聡一郎は、抱えなおした1mほどの布包みに優しく声をかける。 「あの、お客さん? 御代金は」 「――ああ、そうだった」 一瞬、何のことかわからずに眉をひそめてから、タクシーの乗車料金と言うものを思い出す。 財布をスーツの胸ポケットから取り出し、運転手に投げると振り返りもせずに駅へと歩き始めた。 「ちょっと! 多いし、待って財布! お客さん!」 慌てる運転手の声はもう、聡一郎の興味を微塵も惹き付けない。 「やあ、こんにちわ金原さん。その心臓を結奈にくれないかな?」 「高円さん……!」 聡一郎が近づいてきたことに気が付いていた『臆病ワンコ』金原・文(BNE000833)の、長い毛を持つ尻尾は水平にまっすぐ伸ばされ警戒を示している。聡一郎が自分の名を知っていたことも、文の緊張に一役買っていた。 「そんなに怯えないでほしいな。 ぼくはアークに所属してたんだから、君のことを知っていてもおかしくないだろう?」 「もう、結奈ちゃんを、眠らせてあげようよ……」 苦笑する聡一郎に、文は勇気を振り絞って言葉を続ける。 「このままにして、もしもエリューション・アンデッドになっちゃったりしたら……そのほうが可哀想……!」 文の言葉に一瞬目を丸くして立ち止まり、聡一郎は思わず噴き出した。 「金原さん、何を言ってるんだい? 結奈はアンデッドになったりしないよ。まだ生きてるんだ。 それに――増殖性革醒現象のことを言っているのかな? ぼくはまだ、運命から見放されていない」 運命に見放されていないという言葉に、嘘はない。それはやはりフェイトをもつ文にもはっきりとわかる。同じくらい、彼の思考がどこか違う世界を漂っていることも。聡一郎が声をかける布の中から漂っているのは、濃厚な死の気配である。 「……高円さん。結奈ちゃんのためだって言うのなら、こっちに来て」 文は聡一郎から目を離さないように注意しながら、フツが待機している公園への道に足を向ける。 数十歩ほど歩いた頃、聡一郎は考えるようなそぶりを見せてから、笑った。 「ぼくから、先輩として君たちに一つ、忠告しておくよ。 大抵のフィクサードは、追跡に気付けば怒るものだ。交渉が頓挫する程度にはね」 聡一郎の言葉と同時に、土森 美峰(BNE002404)の足元からぐわっと気糸の網が伸び、美峰を包み込む。 「しまった……!」 体の痺れと毒の不快感。不意打ちのトラップネストに成す術はなかった。 外傷こそないものの突然膝をついた美峰に、まばらながらも通りがかった人間から戸惑いの声が上がる。 美峰は文が聡一郎と接触したのを見て仲間に連絡を入れた後、二人を追跡しようとしていたのだ。 「……結界まで張ってくれてたんだから、ここでの戦闘を狙っているのかと思っていたんだけど」 いつ仕掛けられるかひやひやしていたんだよ? と笑う聡一郎。接触前に美峰が張っていた結界は確かに用のない一般人を遠ざけたが、逆にその中にたたずんでいた美峰自身を目立たせる形になっていたのだ。 「高円さん!」 合流できないまま駅前で事を構えることになるとは思っていなかった文の体が小さく震えた。慌てて意思持つ影を呼び出しながら牽制するも聡一郎はまるで気にせず、嬉しそうに美峰に歩み寄る。 「とても活きの良い心臓なんだね。結奈のために、譲ってくれるかな」 そう言って胸ポケットから銀色に鋭く光るメスを取りだす、聡一郎。 「魅せてみろ、グレイヴディガー!」 エンジン音とともに唸るような雄叫びをあげて『悪夢の忘れ物』ランディ・益母(BNE001403)が走りこんできた。 尋常であれば届かない距離から振るわれた斧の居合にも似た一閃は、布をかばった聡一郎の腕を斬りつける。 スクーターで美峰と聡一郎の僅かな間に滑り込み、動けない美峰を抱え上げるように掻っ攫う。 「やれやれ……益母くん、君も邪魔をするのかい?」 「俺の心臓はここだぜ? ……獲りに来てみろよ」 胸を叩いて挑発するランディに、聡一郎は肩をすくめた。 「わかったよ。さて、どこに行けばいい?」 ●三高平公園 フツが慌てて美峰に駆け寄り、傷癒術を込めた符を取りだし声をかける。 「無事か?」 麻痺毒から脱した美峰だったが、要した時間の分だけ体力を奪われて顔色は青ざめている。 万一に備えて合流に向かっていたランディがいなければ公園を目指す事も出来ず心臓を奪われていたかもしれない。 「4、5、6……なるほど、8個か」 心臓の数を数えて嬉しそうに頷く聡一郎の、余りにも日常染みた声色にゾワリとアルカナの背が粟立った。 「お主は、力の使い方を間違えておる!」 搾り出すように怒鳴ったアルカナの影がゆらりと立ち上がり、呼吸を荒げる主を守るかのように寄り添う。 「娘さんの遺体、カ……」 聡一郎の抱える布包みを見てリースが唸る。 「やめませんか、こんな無駄な事。僕らの心臓をもいだって娘さんは蘇りませんよ」 包みの正体に気付いたのだろう源も、狂えるフィクサードに説得を試みる。 真っ当に戻る可能性がどれだけ少なく、儚かろうとも、望みは捨てない。自己満足を承知での挑戦だった。 「もちろん、もぐだけじゃ無いよ。結奈に移してあげるんだ」 腕に抱く布包みを愛しげに撫でる男を見て、源は続けようとした言葉を飲み込んだ。 辛辣な言葉をいくらかけたところで、彼はもう娘しか、否、娘を愛する自分しか見えていない。 聡一郎は微笑みを浮かべたまま源へと杖を向けるが、背後からランディの斧が振るわれたのを見てとり、さすがに無視はできず向き直る。 「心臓を手に入れた所で……!」 全身に漲らせた破壊的な闘志を受けたその一撃は、重い。押されるままに下がって距離を取り、聡一郎の目が、少し細められた。 「じゃあ、君のをもらおうか」 ぱん、と乾いた破裂音が聡一郎の杖から響いた。 「……がっ」 ランディは、聡一郎が心臓を狙うと思っていた。その隙を突いてやる心算だった。 だが、聡一郎が仕込銃を向けたのは腹部。 そのうえ軋む感触に目を向ければ、銃創を中心に硬く凍り付いている。 「凍て付く弾丸。そう呼んでる。心臓は鮮度が高い方が良いからね。 ……大体君たちの心臓は結奈の物になるんだから、傷つけるような事をするはずが無いだろ?」 そう告げる聡一郎の、たまらず膝をついたランディを見下ろす穏やかな風貌。 「大丈夫カ!」 おそらくは聡一郎独自のものだろうその技に、リースが凍結を癒そうと邪気を退ける光を放ち、フツとアイコンタクトを交わした美峰が癒しの符を使う。 前衛を変わるべきかと円らな鳥の目で問うリースに対し、ランディは首を横に振って答える。立ち上がるその身を、フツが放ち戦場を覆った守護結界が包んだ。 「他人の心臓を使って蘇った時、その子はどんな顔をするか、考えてみるのじゃ!」 気糸で聡一郎を絞めつけようとしながら、伝わりそうにないことを、それでもせめて伝えようとアルカナが声を張り上げる。 だが帰って来たのはやはり穏やかな笑顔だった。 「結奈はった5つだ。物心付いて間もない子に道徳心を求める気かい?」 「娘さんと過ごした5年の歳月、小さな幸福や楽しい思い出がたくさんあったはずダ。 それらを全て不幸に崩そうというのカ!? 自分の悲しみばかりでなク、娘さんの心ニ! 悲しみニ! 目を向けるのダ!」 悲痛なインコ声が響く。リース自身、三人の娘を持つ父親としてその心境は解らないものではなかった。 「勝手に決めないでくれるかな? 結奈が幸せかどうか、決めるのは君じゃない」 それは聡一郎自身でもない。 彼も本当は分かっている。だがそれを認めることができたなら、最初から違う道を選んだろう。 「俺ね、正義感からここに来た訳じゃないよ。運命に色々と取り上げられた人の姿を見に来たんだ」 踏み抜いた足元より気糸が閃き、聡一郎の身を縛る。 トラップネストに身を縛られ、聡一郎は初めて心臓ではなく、相対するリベリスタ――ミカサの目を睨んだ。 「どうして自分がって嘆くのも当然なんじゃないの。自分を愛してるが故だとしてもさ」 ミカサの隣を影が二つすり抜け、肉薄する。 十分に集中を集めた文とスローイングダガーを構えた源、2人の操る黒いオーラが的確に聡一郎の頭部を薙ぐ。 「……まあいいや、頭は良いんだろうけど、馬鹿な人だね」 無表情な声で呟くミカサの顔は、衝撃によろめく聡一郎には見えなかった。 「アンタの痛みは解らねぇ」 墓堀を意味する銘のハルバードを構え、ランディが呟く。 過去と記憶を喪失している彼に、聡一郎の気持ちは理解しようも無い。 まして、狂気に染まり旧友を殺したものの気持ちなど解かりたくも無い。だが。 「死に場所ならくれてやる!」 強引に踏み込み、打ち込んだ一撃は男の身体の真芯を捉えた。 ●三高平市(2) 大の字になって倒れたまま、聡一郎は空を見ていた。 フェイトはまだ、彼の身に宿っている。急いで処置をすれば助かるだろう。 「――ああ、こんな、簡単なことだっ――」 ごぼり、と血の塊が口からこぼれ、むせることも気にせずに目を細める。 「喋らないで!」 源が聡一郎を制止し、応急処置をしようとする。 何を考えていたのかは分からなくとも、命を奪わずに済むのなら。源はそう考えていた。 「頼めるかい? 君たち――ぼくのしんぞう、を……」 ゆっくりと右手を己の胸の中心、心臓のある場所へと当てて、どこも見ていない目で、聡一郎は続ける。 「結奈に……移植して……結奈……生き……」 ほほ笑むようなその顔に、その発想への疑問は何一つ浮かんでいない。 「つみ、ほろぼし……ゆなに、ぼくは……」 「高円さん?」 聡一郎の気糸は、彼の心臓を寸分足りとも傷つけることなくその胸板を貫いた。 「――ゆな、おとうさんを、ゆるし、――」 誰にも届かない、謝罪。 アルカナは翼を畳んで目を伏せる。 「六文銭の代わりじゃないが、娘さんを迎えついでに持っていってやりな」 ランディは自分の弁当箱からお握りを一つ取り出し、胸元に当てられたままの手に握らせた。 聡一郎は、最期まで自分を騙しきった。 彼がそうなりたかった表情、娘を思う父親の顔をしたまま、高円聡一郎は息を引き取った。 <了> |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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