● しとしと、聞こえるのはあめのおと。 硝子張りの天井の向こう側。木々の隙間を縫って滴る雨粒が、月灯りをぼんやり、滲ませる。 空には零れ落ちそうな星屑と、冴え冴えと煌めく、欠け始めの月。 そして、雲ひとつ無いままに、滴り落ちる雨のしずく。 それは、言うなれば偶然の寄り合わさった奇跡だった。 霧の様に。滝の様に。降り注ぐあめは、異界の住人の零した涙。 この日、この一夜だけしか出会う事の出来ない光景の中で。 少しの間だけ、その心を休めてみるのは、如何だろうか。 ● 「奇跡、と言うべきでしょうか」 ぽつり、と。集まったリベリスタへ、『常闇の端倪』竜牙 狩生 (nBNE000016)は告げた。 一夜。本当に一夜限り、見られる光景なのだと彼は言う。 喧騒から離れた、彼の古い知人の所有する、植物園一帯だけ、雨が降るのだ、と。 「天気は快晴です。空には星が瞬き、月光が差し込んでいるでしょう。――けれど、雨が降るんです」 霧雨の様に。滝の様な土砂降りもあるだろう。雲ひとつ無い空が、その日だけ雨を降り注がせる。 一体どうなっているんだ、とリベリスタが尋ねれば、男は微かに笑みを浮かべて首を傾けた。 「さぁ。愛しい人に逢えた、織姫の涙とでも言いましょうか。……異界の住人の、涙です」 その日、偶々その一帯だけを、他のチャンネルから来たアザーバイドが通るのだ。 彼――彼女、と言った方が浪漫があるだろうか。兎も角、それは涙を零しているのだ、と狩生は告げる。 「偶然にも、『彼女』はこの世界の寵愛を受け……特に害を齎す事無く、夜明けには自分の世界へと戻ります。 だから、偶には。……戦場に関わらぬ『奇跡』と一緒に、心を休めませんか」 如何でしょう? その首が、緩やかに傾けられる。 私有地なので飲食も、持ち込みも問題は無い。唯、植物には優しくするように。 それだけ告げて。もし気が向かれたら、と微笑んだ青年はするりと、ブリーフィングルームの扉の向こうへ消えた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月16日(月)23:47 |
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● しとしと、辺りを囲む、雨の澄んだリズム。 近くに咲いた花を眺めながら、フォルティアと五月は、響希と共にテーブルを囲んでいた。 「ところで、ガールズトークってなんだろう」 「…ぼ、僕に聞かれてもわかんないよ?」 恋バナ、と言うのか。知らない! 言葉を交し合う二人に、フォーチュナは面白そうに目を細める。 大体合ってるんじゃないの、と言う言葉に、少しだけ考えていたフォルティアがゆっくり、口を開く。 「僕は音が好き。――それだけ」 答えはシンプル。音楽に寄り添い続けた彼女の答えに続くように、五月も口を開く。 自分は、まだ子供だ。だから、恋、なんて分からないけれど。 「響希は好きな人とか、その、好みのタイプはいるか?」 自分なら、剣の師匠。フォルティアはやはり音が。それに当てはまるんだろう。 好きな人が居るなら応援をしよう。居ないなら、良い相手が現れる事を祈ろう。 もしそれが叶わないのだとしても、辛いけれど素敵だと思う。 そう告げて、響希を見遣れば、微かに驚いた様に瞳を開いた彼女は少しだけ迷って、口を開く。 「そうねぇ、好み、なら断頭台さんとか? 格好良いし。……好きな人は、どうかしらねぇ」 なんとなく、言葉を濁す。そんな彼女の前で、フォルティアは楽しげに表情を緩めた。 「恋って楽しいと思うよ。恋してる人の旋律、とっても綺麗で、とっても面白いから」 時々悲しい音色に変わってしまう事はあるだろうけれど、それでも。 恋をする者同士の音が重なった時の嬉しさは、それを補って余りある。 そんな音に出会えるといいね! そう笑う彼女に頷く五月は、微かに目を細める。 「恋って、とっても素敵な感情なのだな」 きらきら、お星様のようで。ふわふわ、綿菓子のようで。 けれど優しいばかりじゃなく、きゅーって、痛くなる。 そういうのは、おとなじゃないと分からないのだろうか。 不思議だ、と漏れた言葉に、響希が再び笑う。長い爪の手が、二人の頭を順に撫でた。 かつん、と。動く白の女王。立ち向かうのは黒の騎士。 かつん、かつん、と。盤上の戦いを繰り広げながら。凛子は狩生とのチェスに興じていた。 「……私が読んだ書物の中では、それが最も強く印象に残りました。しかし、文学と感性は、時と共に変質するもの」 ですから、今では全く違う感覚に陥るのでしょうね。そう告げた狩生が一口、アールグレイを含む。 「長生きしているので一つや二つこれはという持ち話しがありそうですからね」 他にもあるんでしょう? そう、凛子が首を傾ければ、そんなに面白い話は出来ない、と男は微かに笑う。 あるのは長さだけ。それ以外は、大したものは存在しないのだ、と。告げた指先が、次の一手。 緩やかに、時は流れていく。凛子もまた、次の一手へと思考を沈ませていく。 パラソルが、雨水を弾く。 二人並んで席について。タブレットを抱えたチャイカは、笑顔でその画面を示してみせる。 「天気雨というのは珍しいながらも世界中で見る事が出来るので、古くから様々な事が語り継がれてきたんですよ」 中でも有名なのが、狐の嫁入りに代表される異種族婚だろうか。 普段は決して結ばれない者達の為に、空が流す涙。 「……ステキだけど、少し切ないですよね」 そんな言葉に、感心し切ったように話に耳を傾けていたリンシードはゆっくりと頷く。 そして。雨音に消えてしまいそうなくらい、小さな声で。ぼそぼそと、言葉を返す。 「チャイカさんは、すごいですね……たくさんのことを、知ってます……」 自分より年下なのに、とても立派だ。そう、小さな手が頭を撫でる。 手つきの優しさに対して、その表情は何処か硬い。もう少し、確りしないと。このままじゃ駄目だ。そんな声を、心の中で反芻する。 そう、もっと確り。もっと、強く。 「……チャイカさんをずーっと護れるくらい、強くならないと……」 ぐ、と空いた手に力が篭る。彼女が大好きな研究を、ずっと出来る様に。頑張らないと、。 どんどん思い詰めた表情になっていくリンシードを見詰めていたチャイカは、優しく笑って首を傾ける。 「そう無理して強くなる必要もないと思いますよ?」 今のままで良いのならそれに越したことは無い。そんな優しいフォローに、リンシードの表情もようやく、緩む。 「ありがとうございます、チャイカ……さん」 呼び捨てるのは未だほんの少しだけ、難しかった。 ● 屋根つきテラスの下で、少しずつ、少しずつ。 アイスティーを飲みながら。エリスは思考の波に沈んでいく。 偶然か。必然か。今此処に起きる奇跡がどちらなのかは分からないけれど。それもまた、世界が選び取った結果なのかもしれない。 透明な壁に包まれた此処では、泪を零す稀人の来訪の音は随分と遠くなってしまうけれど。 ぽたり、ぽたりと。微かに届く響きは、心を安らかにしてくれた。 嗚呼、本当に、優しい音。もしかしたら、此処の木々も。 「来訪を……歓迎……しているかも……しれない」 ちびり、舐める様にアイスティーを口に含む。時の流れは何処までも、緩やかだった。 「響希は好きな人とか居ないの?」 愛しい人に会えた嬉し涙、なんて。とてもロマンチックだ。 そう笑うティアリアは、目の前で頷いて見せた響希へ、不意に問いを投げかけた。 「えっ、いや……あたし、あんまり興味ないのよね。ティアリアさんは?」 若干彷徨った視線に面白そうに目を細めて。そうねぇ、と首を傾げる。 響希は好きよ、と笑えば、あたしも、と楽しげな声が返った。それは、半分冗談として。そう前置いて。 少しだけ、視線を下げたティアリアは、そうっと息をついた。 「そうねぇ、そろそろフラれるんじゃないかしら? ……まあそもそも想いも告げても居ないけどね」 その声の色は、変わらない。けれど。微かに心配そうな表情を浮かべた響希が、何か言う前に。 ティアリアは緩やかに首を振る。いいのよ、と。告げた胸には少しの感傷と、鈍い痛み。けれど、それを飲み込む強さ。 彼が幸せになるなら、それで。微笑みは何時も通り可憐で。けれど、何処か、痛い。 「ティアリアサンは強いんだろうけどさ。……そうじゃない時があっても、あたしは良いと思うわ」 それこそあたしが言うことじゃないけどね。そう、肩を竦める響希に、くすりと笑って。 何時もの調子を取り戻す様に、ティアリアは笑う。 「……で、ねぇ、響希は想い人とか居ないの?」 瞳が泳ぐ。まぁ、いい歳だし居るのかもね。そう濁したフォーチュナはそっと、ティアリアの背を撫でた。 ふわり、ふわり、と。可愛らしい翡翠色のレインコートの裾が、雨の中で揺れる。 隣では、少しすっきりとしたデザインのレインコートが同じく、揺れていた。 「カルナ、足元に気をつけてね」 結ばれた指先。悠里に手を引かれるまま、カルナは夜の雨と、濡れて月明かりに煌く植物を眺めていた。 顔を上げれば、ぽたぽた、降りかかる雨粒を頬が伝う。 けれど、それも心地良い、と。悠里はその目を細める。 「天気雨の後の虹も綺麗ですが、星空と雨というのも趣があって素敵です」 奇跡の折り重なった、神秘的な夜。 もう一生見ることが叶わないかもしれないそれを、カルナはじっと見詰める。 横顔を、月明かりが照らしていた。星屑が、可憐な面差しに儚げな美しさを与える。 嗚呼、綺麗だ、と。思った。目が離せない。視線に気づいて、はにかみ笑いする大切な彼女は何時も以上に魅力的で、愛おしくて。 どうかしましたか、と傾げられた首に、なんでもないよ、と首を振った。 「ただ、綺麗だなって思って」 何が、とは言えない。けれど、言った方が彼女は喜ぶのだろうか。 「……カルナの横顔が」 ぽつり、と。添えられた言葉に、カルナの瞳は瞬いて。 其の首は再び、緩やかに傾げられる。 「すみません、雨の音で良く聞こえなかったのでもう一度おっしゃって頂けますか……?」 聞こえていたのか、聞こえていなかったのか。 その答えは、少し照れた様にな微笑だけが知っていた。 「洒涙雨、ともいうそうじゃない。お酒を飲んでも問題ないわね」 織姫の涙だなんて、ロマンチックな事を言うのね。そう笑ってグラスを指し示したエレオノーラに、狩生はひとつ頷き席へついた。 アプリコットのリキュールを、ジャスミンティで割って。 香る、甘く豊かな香りは、この雰囲気にもよく似合うだろう。いただきます、とグラスを取った男は、少しだけ機嫌よさげに目を細める。 「……年に一度でも会えるなら、それを糧に頑張れると思うのよね」 共に外を眺めながら。不意に漏らされた台詞に、狩生の首が傾けられる。 分かたれた二人。自業自得だけれど、彼らはきっと幸せなんじゃないだろうか。そんな言葉に、レンズ越しの瞳が瞬く。 「若い人にとっては、一月の別れも永劫の別れに思えるのでしょう。……情熱は時に目を塞ぎます」 如何思いますか。そう傾けられた問いに、エレオノーラはくすりと笑う。 会いたいなら。そして、会えるなら。我慢しなければいいのだ。 「あたしなら川を隔ててるくらいなら泳いででも会いにいくのだけどねえ」 会えるのなら。我慢したらいけない。会えなくなる前に、会っておけば良かったと思う前に。 瞳がすぅ、と細まる。そうですか、と返った声に頷いて、エレオノーラはふと、顔を上げた。 「……貴方には会いたい人いるのかしら?」 見上げれば、面食らった様に瞬く銀の瞳。少しだけ、間が開いて。 「……ご想像にお任せする、と言うのは如何ですか、エレーナ」 親しみを込めた台詞が、微かな笑みと共に向けられた。 ● 「ふぅん、あの子の流した涙雨ってかぁ?」 適当に腰を落ち着けて。持参の日本酒を注いだ御龍は、ぼんやりと空を仰ぎ見る。 風情がある、と言うのは良いことだ。戦ってばかりなのだから、こういう骨休めも大事だろう。 グラスを一気に。ああ、最高だ。今宵は奇跡をつまみに一人酒と洒落込もうか…… 「ってあれぇ? 響希さんじゃぁないかいぃ。一緒に飲まないぃ?」 偶然通りかかった顔に手を振れば、フォーチュナは誘われる様にやってくる。 なかなか手に入らない名酒だ、と注いだグラスを受け取れば、かつん、とグラス同士が触れ合う音。 「響希さんも毎回大変だよねぇ。お疲れ様ぁ」 「ん、ありがと。……御龍ちゃんこそ、お疲れ様。今日はゆっくりしていけるといいわねぇ」 口当たりを楽しむ様に日本酒を含むフォーチュナに、お互いにね、と言って。 御龍もまた、そのグラスを傾ける。そう、今日ぐらいは、ゆっくり出来たら良い。だって。 「なんてったって奇跡の起こる日なんだからねぇ」 ぽたぽた、と。少し遠い雨の音が、空間を満たしていく。 酒を楽しむ二人の横を通り抜けて、シェリーは思うままに植物園を散策していた。 「……久し振りに良いものが見れた」 この雨は、植物にとっても恵みの雨だろう。これが昼なら、まさに天地。 今日は良い日だ。折角だ、自分も少し、濡れてみよう。 その足が、外へと向く。ぽたぽた、降り注ぐ雨に濡れながら。シェリーは足を進めていく。 暖かいような、肌寒いような、不思議な気温。 持参したストールに包まりながら、那雪は声をかけた狩生を、そして、空を見上げた。 「狩生さんは寒く、ないの……?」 視線に気づいたのだろう、その銀月を下げた男はええ、と笑った。 元々薄着をしないもので。そう言う彼は常に長袖。それもそうか、と頷けば、那雪の瞳は遠い空をじっと、見上げた。 とても、不思議な光景だった。 これだけ空が澄んでいて、雨が降っているなら。もうひとつ、奇跡が見れるんじゃないか。 そう、瞳を細める。奇跡。夜にかかる、虹を。 「狩生さんは、夜の虹……見たこと、ある……?」 日の光で煌くのではなく、月明かりで輝く虹。白く仄かに煌くそれは、とても、綺麗だろう。 そんな問いに、男は緩やかに首を振る。 「私も、話に聞いた事しか。……でも、そうですね。今日ならば、或いは」 この世で最高の祝福。そう、言われていると聞いた、夜の虹。 もし、この夜に現れたなら。此処に居る全員が。そして植物まで全てが。幸せになれそうだ、と。 那雪は緩々、微笑む。その表情に、つられたように微笑んで。 男もまた、その奇跡を願う様に空を見上げた。 雨粒が、髪を濡らす。頬を伝う。 一人きり。ただ只管に歩いていた夏栖斗は、すれ違った傘の中の面差しに弾かれた様に振り向いた。 「朱子?! ……や、あ、その、ごめん……そっくりで」 反射的に出た名前。慌てて首を振る。その名は、もう居ない者の名だ。 もう居ない、と分かっている。頭はもう理解している。けれど、心はそれを認めきれない。 もう居ない。でも、それでも、まだどこかにいるんじゃないか、と。 探してしまう。耳を澄ませてしまう。声が、聞こえてくるんじゃないか、と。 気まずげに視線を落とした彼を見詰めて。あてもなく傘を差し歩いていた黎子は、ゆっくりと口を開く。 「傘も差さずに誰かと思えば、かの有名な」 有名人。アークを調べれば幾らでも出てくるその名は、黎子にとっても馴染みがないものではない。 そう、知っている。あの子の。妹の、友人だった事も。 「えっと、いい天気だね! ……ちがう! 雨ふってるじゃん! 泪だけど……ええ、と。朱子のお姉さん、だよね」 「ええ、正真正銘実の姉です。見間違えるのも無理はありませんよう」 紡がれた言葉は、酷くぎこちない。 彼女がアークに来た事は、知っていた。けれど、どう接したらいいのか、分からない。 そっくり、だから。まるで、彼女が帰ってきたようで。けれど、彼女ではない。代わりではないのだ。 後悔している。何度も、何度も。何か出来たらと。何かするべきだったのだと。 それを、彼女に向けるわけでは、ないけれど。 「えっと、朱子にはすごく世話になってて、えっと上手くいえないけど……なんかあったら、頼ってよ!」 精一杯。これ以上何を言って良いか分からなくて。けれど真っ直ぐ、黎子を見つめる。 そんな彼に、話をしたいと思っていた、と告げて。黎子はその傘を傾ける。 「とはいえここでは風邪をひいてしまいますからねえ、戻りましょう。相合傘はお嫌いですか?」 少し気恥ずかしげに、首を振った夏栖斗と肩を並べて。 二人はゆっくりと、植物園へと戻っていく。 ● 「月から君を隠してるのか、君から月を隠してるのか。どっちなんだろうね~」 こんばんは、一緒に雨の道でも歩こう。 園内をふらつく響希を捕まえて。葬識はそう、傘を傾ける。 「……生憎、お月様が故郷のお姫様じゃあないのよねぇ」 するり、隣に並んで。肩を竦めたフォーチュナはぼんやり、その瞳を雨粒へと向ける。 ぽたぽた、と。降る雨。雨音。それは、世界から音を奪っていく。 それが、好きだ。と。雨に遮られた中で、葬識は言う。 静かに、まんべんなく、大地に愛情を齎す。殺した時の悲鳴も全て、その帳は包んで、隠してしまう。 「まあ、悲鳴を上げさせるような下品な殺し方はしないけどね」 苦しめずに一瞬で。それが、殺人鬼の流儀だ。本気とも冗談ともつかない瞳を、フォーチュナが見上げる。 なんてね、とけらけら、笑う姿さえも、じっと見詰める瞳に、葬識が微かに首を傾ける。 「あんたって、不思議よね。面白いけど」 それだけ呟いて前に向き直った視線に、それこそ可笑しいと葬識は嗤う。 「意外と、月隠ちゃんはクールなのに表情豊かだよねぇ~」 からかいがいがあるね☆ 楽しげに放られた言葉に、意地悪ね、と不服げな表情。雨の中の散歩はゆっくりと、続く。 七夕、と言う風習があると聞いた。 欧州ではミルキーウェイと呼ばれるものが、星空の川で。そこで分かたれた恋人同士が、年に一度の逢瀬を許される日。 けれど。丁度日本では梅雨にあたるこの時期。夜空いっぱいの川を見る事が出来るのは非常に稀らしい。 グラスに白ワインを傾けながら。アルフォンソはそっと、溜息を漏らす。 そんな時に訪れる、一夜限りの来訪者。天井を打つ雨は、来訪者の涙と聞いた。 「織姫の涙とは何とも洒落たものですね」 ぽたぽた、と。響く音を背景に。生命の水を傾けて。少しだけ、思いを馳せるのもいいだろうか。 ――彼の人は何処より来たりて、何処へと去るのか。 その答えは恐らく、『彼女』しか知らない。 「……おい、千歳」 ソフトドリンクのストローを半ば噛み潰しながら。俊介は、目の前で繰り広げられる光景に眉を跳ね上げていた。 俊介の妹なら、未来の自分の妹。何時もとは違う3人の外出に、親睦を深めようとする羽音と。 俊介の好きなものなら何でも好きになってしまう妹、千歳。 本来なら両手に花。けれど、その花同士が仲睦まじく自分を置き去りにしていれば、それはもう、不服以外の何者でもないだろう。 「羽音は俺の恋人なんだが。賢いんだからそれくらいは解れよ」 そんな俊介の声も、千歳には届かない。なぁにお兄ちゃん、と言いながらも、その手は羽音に纏わり付いたままだ。 そして。その状況を羽音も全く嫌がらない。むしろ。 「ふふ、そんなにくっついてたら、動きにくいよ。千歳は甘えん坊だね?」 兄弟が居なかった羽音にとって、憧れの状況。優しく頭を撫でる羽音の手に、千歳の甘えっぷりは加速する。 ずず、とストローを吸う音。今日こそガツンと言ってやる。そう、決意を固めた俊介が口を開こうとした、その時。 「……でもさぁ、たまには遊んでくれたっていいじゃないのぉ」 恋人同士の間に入っている自覚はあったのだろう。羽音の腰辺りから顔を覗かせた千歳が、少しだけ寂しげに唇を尖らせる。 寂しかったのか、と納得すれば、溜飲は下がった。立ち上がった俊介が座るのは、羽音と、千歳の間。 これぞ両手に花。あ、俺マジハーレム。変な笑いがこみ上げて来る。そんな兄は放っておこうと言わんばかりに。 千歳は立ち上がり、羽音の手をとった。 「はのちゃん。雨が上がったら、ちーちゃんと夜空の散歩とかどう?」 お兄ちゃんなら大丈夫! そんな台詞に、賑やかな現状を楽しんでいた羽音も大きく頷く。 「雨で冷えた夜空を飛ぶのって、気持ちよさそう。……でも……」 俊介、大丈夫かなぁ。そんな、心配そうな声音に千歳は面白そうに、笑みを浮かべた。 たたっと、駆け寄るのは兄の下。首を傾げる羽音の前で。 「「なーんちゃって! お誕生日おめでとう!」」 二人で声を揃えて、してやったり。ここからはサプライズ。事前に全く知らせずに用意したケーキを、俊介が差し出す。 7月は、羽音の誕生日。大事な人の誕生日だからこそ、こっそりこっそり用意したのだ。 羽音の瞳が、大きく見開かれる。クソ兄貴は誕生日忘れてたのよ、と言う千歳の声が、それを言うなよ、と言う俊介の声が耳に届く。 分けられたケーキ。その後の羽音の反応は、二人だけが知っている。 適当なベンチに、二人で腰掛けて。リセリアと猛はのんびりと、言葉を交わしていた。 「……植物園か、そういえばリセリアは好きな草花とかあるのか?」 「私の好きな……花は。……実は、桜が好きでした」 振られた話題に、返る声。 リセリアには馴染みのない筈だった日本から来た花、と聞いて始めは不思議に思ったのだが。 養父の影響だろうか。確か、その辺りから日本にも興味を持ち、今に至っている。 「だから、今年は桜のお花見が出来て嬉しかった。ありがとう、葛木さん」 嬉しそうな笑顔と共に告げられた感謝に、誘いたかった子を誘っただけだ、と笑った猛は、続いて投げかけられた同じ質問に首を捻った。 「俺は……一番印象に残ってるのは、向日葵かな。凄い嬉しそうに婆ちゃんが面倒見てたんだよ」 夫の、猛の祖父との思い出の花だったらしい、と告げて。その瞳は、目の前に降り注ぐ雨へと向かう。 リセリアも同じ。滴り落ちる、幻想的な雨。夜の星と、月の明かり。今夜限りの奇跡を、ゆっくりと眺めて。 「……素敵ですね、そういうの。何かの想い出、たくさんの想い出の象徴になる花……」 「俺達もそういう思い出……作れると良いよな」 お互いに、向ける笑顔。 包み込む様に彼女の手を握って、彼は幸せそうに、表情を緩めた。 ● 人の気配からは、少し離れて二人きり。 たまにはしんみりと。依頼で考えることも、増えたから。 常とは違う、ひどく真面目な表情のまま此方を見つめる竜一に、ユーヌは緩やかに首を傾けた。 自分は冷淡無情だから、人の気持ちが良く分からない。だから、彼の心を何処まで汲めているのか、少しだけ不安だった。 だからこそ、せめて。自分なりに全てを受け止めよう。そう心を決める彼女へ。まず、何よりも言いたい事は、と前置いて、竜一は話を始めた。 「俺はユーヌたんを誰よりも愛している。……そして、そのユーヌたんのやること、いうことならば、俺は素直に全部受け止める」 文字通り、一番愛しているから。 真摯な言葉に、ユーヌがひとつ頷く。けれど、その上で。自分はユーヌが心配なのだ。 執着、のような何かが、薄いのだ。色んな意味で希薄で、竜一は時々、酷く怖くなる。失うのではと。離れるのでは、と。 「だから、ひとつ約束してくれ。そしてもうひとつ、お願いをする」 死なないこと、それが約束。 離れないこと、それがお願い。 それだけを伝えたかった。最後は囁く程の声で。思いの丈を告げきった竜一を見詰め返して。 ユーヌは静かに、吐息を漏らした。 きっと薄情、なのだろう。この心は必要なら何でも切り捨ててしまう。例えそれが、己の命でも。 だから、約束をする事は出来なかった。何時かが遠いか近いか分からない。空手形を切るのは好きではなかった。 けれど。 「……竜一は私の一番、最も愛している。そして私は常に竜一の一番でありたい」 盲目な愛に価値などなかった。振り向かせたい。振り向かせ続けたい。 そうでなければ、意味がない。ユーヌが微かに、口角を上げる。 約束を、する事は出来ないけれど。 「お願いは出来るだけ聞く。……前に言っただろう?」 竜一が必要とする限り、離れないと。告げた彼女の身体を、竜一の腕が抱きしめる。 そう、お願いは叶えられるのだ。簡単だ。竜一に必要だと、求めさせ続ければいいのだから。 雨音が、響く。自分より随分大きい背中を撫でて、ユーヌは肩越しの星空を見上げた。 「天風亘と申します、宜しければお見知りおきください」 そんな言葉と共に、注がれたハーブティー。有難う、と笑ったフォーチュナは、そっとカップを手に取った。 こんな日に改めての挨拶、だ何て運命的だ。そう思いながら、亘も自身のカップを手に取る。 「ふふ、こんなロマンティックなシチュエーションで貴方とお話できると思うと心が躍ります」 楽しげに告げられた言葉。褒めても何もでないわよ、と笑って見せた彼女と交わすのは、他愛無い世間話。 お互いに心休まる話を、そう思って話題を回せば、会話は弾んでいく。 「天風クンは、歳よりずっと大人っぽいのね。可愛い子だなぁと思ってた」 くすくす、楽しそうに笑う彼女に笑みを返して。亘が次に差し出したのは、甘く冷たいデザート。 爽やかな色合いのチョコミントは好きか、と尋ねれば、勿論! と声が返る。 口の中で溶ける、爽やかな甘さ。二人で楽しみながら、幸せの涙が振る場所での幸せな時間は、過ぎていく。 透き通った空。なのに、降り注ぐ雨粒。 すげえ、と思わず感嘆の吐息が漏れた。天の川も見えるだろうか、瞳を彷徨わせたプレインフェザーの瞳が、また散策し始めたフォーチュナを捉える。 「……よう、こないだは遊びに来てくれてサンキューな」 ひらひら、手を振って見せれば、此方こそ、と笑みが返る。 折角だ、乾杯でもしないか。そう、差し出された紙コップを受け取れば、響希も楽しげに瞳を細める。 「そうねえ、奇跡の夜に乾杯、って事で。……フェザーちゃんも楽しんでね」 コップの中身を飲み干して。ひらり、手を振ったフォーチュナと別れた少女は目に付いたベンチへとその身を横たえる。 人から離れた、いい場所だ。天井を見上げる。いい具合の暗さと、静けさ。 鳴り続ける雨の音が、優しく眠気を誘ってくる。星を見ながらの居眠りも、悪くはないだろう。 意識を委ねる。緩やかに沈んでいく、優しい眠りの世界。 愛しい人に会えた涙、と、誰かが言っていたけれど。うとうと。浮き沈みする意識の中で、思う。 「いつか、泣かなくて済むように……」 ――ずっと一緒にいられるようになるとイイな。後半は、安らかな寝息に溶けて消えた。 そっと、手を握る。隣り合わせ、見詰め合って。 あちこちの葉の上で弾ける雨音が、涼しさと、自然体の心をつれてくる。 「伝えたいことがあるんだ」 一言。告げたフツの声に、あひるはこくり、頷く。 「アレだ。オレは死なないから大丈夫だよ」 恐らく、彼女はこのことをずっと気にしていたと、フツは知っていた。 そして、その通り。あひるは、ずっと、心配していたのだ。 大丈夫だろう、と思っても、不安だった。怖かった。 大怪我したらどうしよう。死んじゃったら、どうしよう。 彼が激戦に赴けば赴く程、不安は増す。信じていても。信じているから。怖かった。 その不安を。大丈夫だ、と、言葉にしてくれた事が、嬉しくて。あひるは確りと頷く。 言葉に出さなくても伝わって居ただろう、それは、お互いに分かっていた。けれど。 「これはあえて言葉に出しておきたいんだ。言葉にするってことは、約束するってことだからな」 即ち、誓いだ。その言葉に微笑んだあひるが、笑顔で小指を差し出す。 嘘は言わない彼だから、その言葉を信じる。迷いなく笑って見せたあひるへ、フツも笑う。 他に何か約束してほしいことがあるなら、何だって言って良い。 「……何度だって約束するし、叶えてやる」 「あのね、あひるがしわくちゃのおばあちゃんになっても、一緒に同じ物を見て、美味しい物を食べて……最期の時まで一緒に生きるって」 約束、して欲しい。まるで一世一代の告白みたい。そう、少し気恥ずかしげに微笑んで。 けれど、そのつもりでいてね、と首を傾けた彼女に、フツは勿論だと頷いた。 ● 手頃な椅子に腰掛けて。ミカサはゆっくりと、空を見上げた。 雨音が、遠い。はらはら、落ちてくるのは異界の住人の泪。 悲しくても、幸せでも。人と言うものは泣くのか、と。少しだけ疲れた頭がぼんやり思う。 答えの出ないこと。 例えばひとのこころだとか。やさしさ、だとか。此処に来てから、そんなものばかり考え過ぎたのかもしれない。 緑も土の匂いも嫌いじゃないし、雨の音も心地良い。 少しだけ、世界が遠くなる気がした。けれど、ふ、と。視界の端を横切った黒。手を伸ばして、その袖を引いた。 「あ、あれ、坂本サンか。……どうしたの?」 あたしに用事? 見知った顔に、フォーチュナは緩やかに首を傾ける。 用事がある訳じゃないけれど、と告げてから、ミカサは表情も変えずに口を開き直した。 「良いだろ、少しの間だけ俺の傍に居てよ」 その言葉に含まれる微かな色に気づけば、響希は少し気恥ずかしげに隣へと腰を下ろした。流石、マダム候補生は違うね。続いた言葉には、良い女でしょ、と笑う。 雨音だけが、聞こえる。口を開く事無く隣り合わせたままで。 「……ねえ、独り言だから聞き流してよ」 ぽつり、発された声に言葉は返らない。代わりに掴まれた袖に視線を落として。 人にやさしくするのって、難しいんだね。まるで愚痴みたいだ。けれど。何時も通り、淡々と。 隣の気配は、動かない。ただ微かに、袖を握る手に力を込めて。そうね、と、言葉が漏れる。 「人の心、って、難しいわ。……寄り添えるなら良いのに」 空を、見上げた。夜明けは未だ遠い。雨の音が少しだけ、強くなった気がした。 からから、ころころ。転がる車輪と、それに合わせた足音。 落ち着ける場所を見つけて、ユイトと佐助は腰を落ち着けた。 不思議な雨だ。そう、興味深げなユイトに頷いて、佐助もまた、素晴らしい神秘に目を細める。 これなら、何度だって見てみたい。そこまで思って、ふと。彼は首を傾けた。 「でも、そうだねえ。そうそう無い事だから、美しいのかもしれないね」 花は朽ちていく、きっと、それとおんなじだ。 そう微笑む彼の横で、ユイトもまた、一夜限りの美しさだろう、と肯定を示す。 雨音。美しい景色。ぼんやりとそれに浸る最中、あ、と。佐助の声が上がる。 「練りきりのお茶菓子を持ってきたんだけれど、どうかな」 そう言う彼の手の中に咲く紫陽花に、ユイトの瞳が丸くなる。 「おおお!アジサイの形。これが、日本の茶菓子。和菓子ってものか…!」 そこまで言って、慌てて口を押さえた。思わず何時もの調子に戻ってしまった。折角、今日くらいは静かに居ようと思ったのに。 そう、少しだけ眉を下げるユイトの口に、一口サイズに切ったそれを放って。 佐助は再び、しとしと降り注ぐ雨を見詰める。 「上にいる彼女はなんで泣いてるんだろう」 ぽつり、漏れたユイトの呟き。佐助はきっと、喜びの涙だ、と呟く。 ああ、星もさることながら、ほんとうに美しい涙だ。言葉は無くなる。静かな空間に、雨音だけが満ちていった。 偶には一人でのんびりするのも、悪くは無いだろう。そう思いながら。 ミリィは腰掛椅子を抱えてふらふらと、植物園を歩き回っていた。 別に、出遅れて誘う相手が居なかったのが寂しい、何て思っていない。断じて思っていない。 ……まぁ、その発想が出る時点で、中々にきついのだが。 思わず漏れかかった溜息を慌てて飲み込んで。気分を変えるように、彼女は椅子を据える。 やっと見つけた、とっておきの場所。椅子に深く腰掛けて、空を見上げた。 聞えるのは、雨音。そして、囁き合う微かな声。 ほう、と、溜息が漏れた。 「――この奇跡に、感謝を」 その声もすぐに、雨音の中へと溶けていく。 「牽牛と織女、彦星と織姫……七夕雨、催涙雨」 夜は満天の星と上弦の月の下で見る雨。そう何度も見れるものではないのだろう、と囁いた拓真に、悠月は微かに頷いた。 季節は、七夕。 「叶わざる逢瀬に流す涙……でもこれは、逢瀬の終わりに流す涙、という所ですか」 二人、寄り添って。見詰めるのは輝くベガとアルタイル。 逢えたのか、逢えなかったのか。分からないけれど、不思議と寂しい印象は受けなかった。 恐らくは空の果て、2人は互いの存在を確かめ合う事が叶ったのだろう。 「一年に一度だけ……か。それを思えば……」 自分は今ある幸福を、甘受すべきなのだろう。拓真の表情が、微かに翳る。 それが出来ないのが、自分の弱さだ。……否、弱さ、だった。 「……別つ天の川は、二人への戒めです。幸せに溺れ己のすべき事を忘れたが故の」 あなたも私も、忘れてはいません。 だから――大丈夫です、と。悠月が微笑む。名前を呼んだ。そっと、抱き寄せて唇を重ねる。 艶やかな長い髪を慈しむ様に指で梳けば、腕の中の彼女は安心した様に瞳を伏せる。 唇が離れた。吐息が交わる程の距離で、拓真さん、と、名を呼んだ。 「俺は……今……とても幸せだよ、悠月」 「私も……とても幸せです」 寄り添う二つの影は、離れない。 ● 愛しい人と出会えた泪の雨。こんな神秘なら、とても素敵だと、リリは思う。 隣の相手。研究と戦いしか知らなかった自分の心の中で、何時の間にか大きくなっていた人。 何も無かった自分に、こんな素敵な気持ちをくれた、特別で大切な人。 胸元をそっと、押さえる。そんな彼女をちらりと見て。腕鍛はぴん、と背筋を伸ばす。 「さてと、シスター。お話したい事があるのでござる」 どうしたんですか、とリリが尋ねれば、真剣な表情を崩さず彼は話を始める。 気になる女の子が居る。ただ、自分はその子にちゃんとした告白を一度もしていないのだ、と。 だからこそ。シスターには見守っていて欲しいのだ、と。前置いて。 「それではリリ殿……拙者はリリ殿が大好きでござる」 赤くなった顔、何より笑顔を見てみたい。 「――拙者と付き合って欲しいでござるよ」 シスターではなく、リリに答えを貰いたい。そう、告げられた言葉に。胸を押さえたリリは、驚いた様に瞬きして、そして、大きく頷いた。 「私も、腕鍛様の事が――大好きです」 シスターとしてではなく。そう付け加えて。嬉しさの余り言葉に詰まった彼女に、そっと手を添える。 男性との付き合いは初めてで。具体的にどうしていいか分からないのだけれど。 精一杯、リリは告げる。 「もし宜しければ……抱きしめて下さいませんか」 「いくらでも抱きしめさせていただくでござる」 手加減はするけれど、出来るか分からない。回った腕が、確りと華奢な背を抱きしめる。 ぽろぽろ、と、涙が零れた。胸がいっぱいで、何も言えなかった。 ――愛する天のお父様。奇跡のようなこの光景と腕鍛様との出会いに、心から感謝致します。 幸せの涙を零しながら、リリは静かに、祈る。 雨ではしゃげたのは、何歳までだったろうか。 ぼんやりと雨を眺めながら。よもぎは思考を巡らせる。 近頃ではすっかり、楽しむ方法を忘れていた様に思う。折角だ、今の自分なりに、今日は楽しもう。 そう決めて、振り向いた先に居る狩生と目が合えば、よもぎは少しだけ、迷う様に目を伏せた。 不思議なもので、雨音があれば普段話せないことも口に出せる気が、した。 「狩生くんは……長く生きてきた中で、自分がその性別に生まれついたが故に、よくないことに巻き込まれた事はあるかい?」 ぽつり、と。投げかけられた問いかけに、狩生の瞳が瞬く。 少し、考えるように視線が下がって。振られた首に、微かな苦笑が浮かんだ。 自分にはあるのだ、と、よもぎは言う。情けないけれど、夢に見てしまうほど深く心に噛み付いた、ものが。 気遣う様に。けれど何も言わず、男の銀色の瞳がよもぎを見詰める。 それに、大丈夫だ、と首を振った。 「最近きみと話すようになって、それと向き合えるようになった」 新しい物事に触れるのは大切だね。そう告げる声に、助けになれたなら何よりだ、と、男は微笑む。 その笑みを、じっと見詰めて。ひとつ、息をついた。 「……不躾だけれど、これからも隣に居ていいかい?」 滲むのは、ほんの少しの不安。突然の言葉に少しだけ、瞳を見開いた男はしかし、即座に笑みを浮かべなおす。 「貴方がそう望むのなら、断る理由はありませんね」 手が、頭に乗る。何時かの様に帽子ごと髪を撫でた手は少しだけ、冷たかった。 一夜限りの奇跡の中で、一緒の時間。 ふ、と思い出すのは何時か読んだ物語。 輝くものに成りたかったみにくい鳥と 美しい黒猫が夜空の下で出会う話 二人でひとつの傘に入って。ぼんやりと思考を巡らせていた夜鷹は、ふと交わったレイチェルの視線にくすりと笑みを漏らす。 思いがけずあった視線に慌てて視線を逸らしたレイチェルの肩は、ほんの少しだけ濡れていた。 「もっと、こっちにおいで」 優しい囁きに、胸中をぐるぐる、ぐるぐる色んな感情が巡る。けれど、表向きは冷静を装って。 「……そうですね、それじゃあ遠慮なく」 どうせだから思い切って。夜鷹の腕を抱え込むようにぴったりとくっついたレイチェルの指先は、少し冷たくて。 続いた、肌寒いからだ、と言う言い訳に、笑った夜鷹の羽がそっと、レイチェルの身体を包み込む。 視線は常に下のまま。暖かくなった? という問いかけにも、いっぱいいっぱいで、言葉は出ない。 覗きこむ夜鷹の目に映るレイチェルの、紅く染まる頬が可愛くて。 さらりと流れる艶やかな前髪を手で分けて、そっと、唇を寄せた。 「ふふ、見ていないと勿体無いよ」 間近の囁きに、ドキドキが高まる。キャパオーバー、だ。 俯いたまま。ぎゅうっと。全力で腕にしがみつく。その様子にもくすくす、笑って。 夜鷹はぼんやり、小説の続きを思い起こす。 「みにくい鳥は地上に灯る、仄かな明かり(黒猫)を見つけたんだって」 意味深に。微笑む彼の真意は今日も、見えない。 背中合わせ。木陰で、霧雨の向こうにけぶる烟る月を見上げて。 「なあ。まだ、誰かと深く関わる事、怖いかな。……自分が死ぬことで誰かを傷つけてしまう事、怖いかな」 しん、と静まり返るそこに、響くのは少しだけ控えめな、快の声。 あの時。勢いに任せて言った事が、たくさんあったから。ちゃんと、話をしておきたかった。 「あの時の言葉。あれ、全部本心だから」 必死だったし、考えるより先に出た言葉もあった。引き戻す為に、尽くした言葉。 けれど、どれだけ必死でも。勢い任せでも。あの時の言葉に、嘘は無かった。 「……それだけは伝えておきたかったんだ、レナーテさ……レナーテ」 そう、それだけ。それだけ、伝えられたら良いのだ。快は口を閉じる。背中合わせ。 このまま、動かないと思った。変わらないと、思った。けれど。 大人しく聞いていたレナーテが、振り向く。突然無くなった背中の気配に驚いて振り向いた快と、確り、目を合わせた。 あの時とは、違う。相手がいる話なのだから。深呼吸。そして、お返事。 「怖いね。でも怖がって周りを拒絶したって希望があるわけじゃない」 それに何より、自分が見たくない光景は自身の手で防がなくてはと思う。それが何かは秘密だ、とレナーテは笑って見せる。 驚いたままの快を、確り見据える。目は、逸らさない。 だからまぁ、今まで通りに。そう言いかけて、けれど、違うと思い直した。 「ねえ、快。ありがとう、嬉しいわ。……でもね「それだけは」なんて遠慮はいらないの」 彼女の口から紡がれた言葉に、快の表情が変わる。 それに動じる事無く、もう一度、深く息を吸って。 レナーテは、言葉を、紡ぐ。 「私もね、一緒に居たいと思う。支えてあげたいと思う。だってさ、」 ――好きだから。 一言。しかし、どんな言葉より大切なそれが、もう音さえ微かな霧雨と共に、零れる。 答えは、今度聞かせてもらいましょうか。くすくす、笑うレナーテの顔を、まだ明るい月明かりが照らし出す。 夜明けは、まだ遠いのだろうか。雨は気づけば、止んでいた。 来訪者は自分の世界に戻った後。少しだけ白み始めた空を、各々見詰めて。 リベリスタの、一夜の休息は静かに、終わりを告げた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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