●あぢさゐの 曇天から生暖かい雨が滴り落ちる。人肌よりぬるい雨粒は集い、たまり、流れとなって更なる流れに集っていく。しかし、ただそこに立っている女性だけはいくら雨に打たれてもその身は濡れず。じっと立ち尽くすばかりである。その神秘的な光景を見れば、どうしてこの人がいまや命を奪うことばかりをする異形と見ることができるだろう。 丁寧に結い上げられたカラスの塗れ羽色の黒い髪、品の良い紫陽花の描かれた和服は防水加工をしているわけでもないのに水が表面ばかりを滑り落ち、その彩を増している。細い足を包む足袋と、漆塗りの下駄は女性の身分が決して低くないこと察することができる。 愁いを帯びた瞳は虚空ばかりを眺め、可憐な唇から漏れるため息は梅雨であるというのに白く、浮き立っているように見えるほど艶かしい。 ふと、地面から影のようなものがいくつか浮かび上がる。影はゆっくりと中空を漂い、渦のような形を取る。それらは女性の周りをくるりくるりと囲み、子供がじゃれているようにも見えた。 女性は視線を落とし、影を見つめてゆっくりと微笑む。手を伸ばし、影をなでる。その仕草のなんと優しいことか。 ●八重咲くごとく 「これが、私の見た『物』よ。まるで絵巻物ね」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)がやれやれ、といった様子で吐息を漏らす。マグカップに入った清涼飲用水をくるりくるりと回し、一口飲む。そしていつものように少女は口を開き始めた。 「敵はノーフェイス。二十代後半の和服の女性よ。どこかの良い家を抜け出して、今は町外れをふらふらと移動している。捜索届けが出されているから警察が彼女を見つけた場合、けっこうな数の犠牲者が出ると思うから、早めに対処して」 早めに接触を行えば警察に目撃されることもないだろうけれど、と付け加えるイヴ。 「能力は防御能力が高い、物理的にも神秘的にも。あとは味方の回復とバッドステータスの解除能力、それと遠距離から単体に対して氷結状態にする攻撃。これが主体になる」 「次に、取り巻きのエリューションフォース。これが五体居る。よく見えなかったけど、影の中に胎児のような姿が見えた。これらは多分――水子の霊か何かだと思う。女性の気配に呼び出されてしまったのだと思うわ。攻撃手段はこっちも遠距離攻撃。致命状態にしてくるわ。物理、神秘の切り替えも可能で女性が指示すれば集中攻撃もする程度には知性があるから、気をつけて」 そこまで話してからまたイヴはゆっくりと息を吸い、吐き、カップの中身を一口飲む。目を軽く伏せ、間を空けてからリベリスタ達を見つめる。 「一つ、気をつけないといけないのは。とりまきを倒すと女性が激昂する。一匹倒せば一度、認識した敵全体に威力の高い、氷結させる攻撃を行う。うかつに倒すとこっちが危ないから、それだけは気をつけて」 長い沈黙。リベリスタ達を見つめる瞳をそらさず、イヴは静かに、そしてはっきりと告げる。 「女性に何があったのか、調べてもいい。けれどあなたたちの仕事を忘れないで」 そう言って、少女はゆっくりと一度お辞儀をするとリベリスタ達を送り出した。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:春野為哉 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月01日(日)23:40 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●やつ代にを 六月の末、夕暮れ、天気はいつの間にか雲が消え、しかし優しくなったものの雨は降り続く。狐の嫁入り、じっとりと重い空気でありながら、光が軽やかに雨の中を駆け巡るその様は実に神秘的であると言えた。そして指定されたポイント――田園の中でも重機が通れるだけの幅が確保された道路。周囲は見晴らしが良く、結界の力と雨粒が人を自然と遠ざける場所にて、八人の男女、リベリスタ達は待っていた。これから来るであろう女性、倒すべき敵である存在を。 「水子と女性、ですか」 雪白・万葉(BNE000195)が眼鏡についた水滴をハンカチで拭きながら言った。その言葉には思慮が含まれていたが彼はその続きを語りはしない。ただ眼鏡をかけなおし、スーツについた水滴を払う。 「せやね、話を聞く限り浅からぬ因縁があるみたいやけど。あーし達にはどうしようもないなぁ」 『さすらいの猫憑き旅人』桜・望(BNE000713)が苦笑気味に視線を宙に向ける。自分たちのやることは一つだとわかっている、それをゆっくりと咀嚼していると感じられる動作には、女性だからこそ察するものがあるようだった。 「世知辛くてもやるっきゃないな」 「同情はするさ、仕事とは別だが」 『冥滅騎』神城・涼(BNE001343)が笑ってみせる。ノーフェイスでなければ俺がナンパしてたんだけどと明るく言い、リオン・リーベン(BNE003779)にちらりと目を向ける。それに肩をすくめる彼は、女性の身辺を調べた内容を思い返す。その内容は余りにベタで、時代錯誤で、同時に許されざるものだと感じていた。 「わかりやすすぎる傷心も見ていて痛々しいからな」 「正直事情なんてどうでもいいっすしね」 『燻る灰』御津代・鉅(BNE001657)が半ば呆れた様子で言葉を漏らし、懐のタバコの存在を確かめる。それに同意するように『LowGear』フラウ・リード(BNE003909)が頷く。速さを信条とするフラウには待ち時間すらもどかしそうに見えたが、その姿もまた心中に何かを抱えているように見えた。 「……」 『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)は黙し、ゆっくりと集中を高めていた。子を想う親の心情を人一倍知るからこそか、目を閉じ、時を待つ。 そうして間もなく、道路をゆらり、ゆらりと歩く人影が見える。遠目から見てもひとだまのように見える霊をつれて、女性が歩いてくる。 「……地味にかぶってる気がするわ」 『夢幻の住人』日下禰・真名(BNE000050)が姿を確認すると楽しげに笑う。じぃっと赤い瞳が映す女性が、ゆっくりとリベリスタ達に近づいてくる。雨の中、ゆっくりと戦いの幕が開こうとしていた。 ●いませわが背子 女性の行く手を塞ぐように、リベリスタ達が並ぶ。女性は少し手前で立ち止まり、焦点をゆっくりと合わせる。 「こんばんは、私共の探し人」 ユーディスが先んじて口を開き、女性はリベリスタ達を愁いを帯びた瞳で見る。全てを察したように、ゆっくりと俯き、唇を開く。 「お願いします、私をもう放っておいて下さいませんか。私は、この子達と居られればそれで良いんです」 「こんな雨の中、傘もささずに何処に?行く先も無いのでしたら、お相手していただきたいのですが」 「お願いします……」 万葉の言葉にも、女性は俯き、同じ言葉を繰り返す。 小さな雨音に掻き消えそうな、しかししっかりとした耳に届く声。リベリスタ達を警戒しているのか、水子の影の揺らめきが大きくなる。声に宿る感情はしっかりと存在し、未だに理性は残っていると判る。しかし、このまま捨て置けば彼女は人を殺める。彼女を連れ戻そうとする人、消してしまおうとする人、無関係な人、終いには無差別に。 そう長くはない沈黙。 「……接続開始、始めるぞ」 リオンの効率的な動作が一瞬でリベリスタ達に共有される。余計な情を廃する言葉は空気が一瞬で張り詰め、覚醒した各々の意識は雨粒さえ捕らえるほど高速化される。その気配は女性にもぶつけられ、酷く悲しげな表情を浮かべてみせた。 「遅いっすね」 フラウがぼそりと呟くと瞬時に移動、女性の周囲に居た水子の影の一つに割り込む、女性が手元に引き寄せようとしたソレを見極め、妨害する。冷めた瞳が鈍く輝き女性を射抜く。 「どうして、どうして……」 女性は我が子を奪われたといわんばかりに、悲しい表情のままつぶやく。どれほどの痛みが女性にそんな表情をさせるのか、暗い瞳と視線を合わせたフラウはわずかに背筋が寒くなる。 「大丈夫っ! あーし達はキミ達を滅ぼしにきたんやないっ! 救いに……」 「救いなんて、あるなら。ずっと昔にあったはずよ……」 望が意思持つ影を繰り出しながら猫のしなやかな脚力で女性の懐に飛び込もうとする。しかし女性が一瞥するとすぐさま水子の影が反応、進路を言葉を遮る。悲しみで凝り固まったが故か、感情的でありながらその指示は冷めて、理性的にも見える。 「ダメよ邪魔しちゃ」 楽しそうに笑みを浮かべている真名が望を妨害していた水子の影をオーラを纏った一撃で派手な音を立てて弾き飛ばしてしまう。華奢な体のどこからそんな力が出るのかと疑問に思う間もなく、真名が更に口元をゆがめる。 「やっぱりかぶってる気がするわ、ころしましょ、そうしましょ、く、ふふふふ……!」 ゆらゆらとうごめくようにして笑い、構えなおす。 「貴方は、まだ大切な物を持っているのね……」 「教える義理はないわねぇ、でも貴方より幸せよ」 一瞬の間、わずかに女性の眉根が動いたのを、真名は見逃さなかった。 「そのまま周りを呪って沈む気か?」 続けて鉅の呪縛の糸が真名の作った道を利用。雨粒を切り裂き、一息で女性を拘束せんとする。しかし、ため息一つ。雨粒が凍り、わずかに軌道がずれる。更に女性はわざと自分の腕を差し出して糸を絡め取り、凍らせる。腕から流れる血、事前情報以上の防御能力に鉅は目を細める。 「呪うくらいでしたら、身の上だけでも話していただきたいものですね」 万葉も前衛に動き、頭脳の演算速度を上げながら水子の影を押さえ込む。続けてユーディスも黙したまま防御を固め、水子の影の動きをこちらから押さえに掛かる。 これにより、吹き飛んだ一体を除けば自由に動ける水子の影は一体だけ。手際よく女性は動きの大部分を封じられることとなった。そして。 「悪いな、全力で行かせてもらう!」 陣形に開いた穴に涼がギアを上げながら飛び込み、肉薄することに成功した。初動は完全にリベリスタ達に持っていかれた。それでも女性は傷ついた腕を着物の中に隠しながらゆっくりと二歩三歩後ろへ下がる。 そして、静かな反撃が始まった。 ●見つつ偲はむ 「どうして、私ばかり……」 女性は狙いが自分だとわかり、その上水子の影を盾にすることを許さないと察すると狙いを接近してきた涼に絞る。瞳を向け、嘆きを呟く。それだけで水子の影たちから一斉に黒い刃が伸びる。 「くっ! このくらい、まだまだ!」 女性が飛ばしてきた氷の霧をかわした物の黒い刃はさすがに数が多く、二発まともに喰らってしまう。傷口に影が纏わりつき、治癒を許さない。 「焦るな、想定の範囲内だ」 リオンが涼に言いながら更に効率的な防御を共有、味方の底上げを行う。更に真名がフリーの水子の影を確実に吹き飛ばし、女性の周囲の水子の影を確実に押さえる。場は整い、一斉に攻撃が仕掛けられる。 しかしフラウが二振りのナイフを振るい、マヒを狙うが傷が浅い。望の死の刻印を凍らせて防ぎ、万葉の狙い済ました一撃を腕で払い、鉅の糸を受け止めてしまう。女性の意思に比例しているかのように、堅い。 「堅いのはわかっているが、一度でダメなら効くまでだ!」 水子の影に狙いを定められながらも速度を上げた涼の一撃がようやく女性の脇腹を捉える。一瞬の間、鉄壁とも思えた和服が切れ、血が滲み、紅い花が咲く。痺れのせいで女性が膝をつくが、水子の影が予想通り涼の体を射抜かんと黒い刃が放たれる。予想はしていた、直撃を避けるように攻撃を受けるものの、傷が深くなる。それでも涼は口元に笑みを浮かべ、血濡れを楽しむように声を上げる。 「燃えてきたぜ……!」 痛みのせいか、女性の顔が悲しみだけでなく、苦悶が浮かぶのが見て取れる。その姿は普通の人間と同じに見える。ただひたすら悲しみを背負い、氷に身を浸してもなお紅いその血は流れても、ノーフェイス故に倒さねばならない、その事実。 「――それ以上変わる前に、貴方を討ちます」 ユーディスがわずかに目を伏せる、自らの放つ光の一撃は。隙を作った女性に直撃する。女性の氷を溶かすようにぶつけられた光は女性の目の色を変える、怒り――その瞳はやはり暗くとも、苦悶に歪んだ表情でユーディスに照準を定めるさまは、人間らしさを取り戻しているように見えた。 「貴方たちに、何がわかるというのですか……!」 「わかるわけないっすよ?」 麻痺する体を奮い起こし、女性は立つ。その怒りの言葉を煽るようにして、フラウが更に速度を上げた一撃を叩き込む。防御を突き破り、速く速く切り裂く。ただシンプルに特化した一撃は血の華をまた咲かせ、女性の口から苦しげな呼吸が漏れる。それに呼応するように、側に行くことすら許されない水子の影達がざわめく。フラウはわずかに歯噛みし、口を開く。 「ダメっすよ、あんたらはココで終わる。まとめて葬ってやるから寂しくねーっすよ」 「そう、みんなの平和を護らんとあかんから……せやから!」 女性の感情に影響を受けたのか望はわずかに言葉を飲み込む。瞳が見開かれ、獣しなやかさが本領を発揮し、雨粒さえ避けんばかりの柔軟な動きが刻む呪印が女性の体力を奪い取る。その奪った生命力は温かく、どれほどこの女性が生を渇望しているのか容易に心を打ちつける。 「ほらみたことか、沈むよりは足掻いている方がよっぽど人間らしい、もっと早くそうすればよかったのにな」 鉅が糸を三度放つ。隙だらけの女性に一気に糸は絡みつき、回避をしようとした女性の片腕と片脚を拘束する。女性の凍りつくような気配は増しているというのに、感情のこもった暗い瞳は燃えているようで、矛盾を鉅はわずかに興味深く感じていた。 「私は……私は……!」 「何があったか、話してくださっても良いのですよ。水子は亡くなった子供の霊、もしかしなくとも、この子達はあなたの」 「黙って!」 息を切らせ、声に激情をのせた女性が叫ぶ。万葉を睨み、自由のきかない体を立たせる。まだまだ女性に耐久力がある。それを万葉はただ見つめ、言葉を待つ。 天気雨がわずかに強くなり、日の傾きが深くなるのを感じる、辺りへの闇が少しずつ濃くなってゆく。このわずかな時間に天気も変わってゆく。 「私は、ただこの子達と、あの人と一緒に。居たかった――! ただ」 「ただ一緒に居たかった。けれど殺してしまった。このあたりでも土地持ちの名のある家、そこで凍死体が複数発見された。ただそこにいるはずの若旦那の妻だけ行方不明――」 万葉が調べた事実を淡々と述べると、女性は歯噛みし、目じりに涙を浮かべる。 「行方不明になった妻はすでに五回にわたる流産を経験。跡継ぎが生まれることが第一であった古臭い家でそれだ。さぞかし辛かっただろう、同情する」 リオンが雨に濡れた髪を軽くかきあげ、ゆっくりと全員に聞こえるように続ける。その立ち居振る舞いは、さながら罪人に罪状を突き付ける使者、といった様子であった。 「しかし、生まれもしなかった我が子を消耗品のように戦闘で使うなど、母親としても女としても失格だ。痛みに、境遇に、不運に、苦しみぬいて、それでもなお我が子のために尽くす慈愛を持つのが母親だろう。今のお前はどうだ、自分がなろうと想った母親か? ソレを僅かでも罪に思うのであれば――」 その先を言うより早く、女性は膝からゆっくりと、崩れ落ちた。 ●辛抱強い愛情 膝をついた女性は、両手で顔をおおい、泣きつづけた。水子の影も攻撃の意思を無くし、ただ女性の周囲を心配そうに漂う。泣いた母親に戸惑う子供のように。 「お願いです、私は消えなくてはならないのはわかっています。願い出などおこがましいと分かっていますが」 「安心しろ、この子達の供養はちゃんとする」 リオンの言葉に、震える声で話していた女性は何度も感謝の言葉を述べ、また涙をこぼす。先ほどまでの激情でも、氷のような気配でもなく。今の女性を満たしているのはまさしく母親のそれであった。 「ま、あの世ではきっと仲良くできるんじゃないっすか。おなかの中に居たのは確かなんだから、姿形が変わってもってね」 「うん、向こうではきっと良くなるから。あーしらにはこうするしかできんのよ……」 フラウと望の言葉に女性は険のとれた表情で何度も頷き、何度も嗚咽を漏らす。 「どこか釈然としないわねぇ」 「こういうこともあるさ、幸運だな」 「まったくです、あの人がいい人で助かりました」 真名のつまらなさそうに笑うのを見て鉅が肩をすくめ、タバコを一本取り出す。すでに雨はほとんどあがっていた。万葉は止めるべきかとそちらに視線を向けたが。 「あ……」 紫煙の香りに女性がはっとしたように鉅を見る。察した鉅はタバコを消そうとして、やめた。真名と万葉はそれを楽しそうに見ていた。 ソレから少しして、水子の影を一つ一つ、女性が抱きしめると成仏するようにその場から消えていった。自分で始末をつけることが最後のふれあいというのにも、女性は喜んでいるように見えた。 「お眠りなさい、水子らよ……」 祈るユーディスの言葉を聞けば、全ての水子を消した後、女性はありがとうと笑う。 「あんたも、またどこかで会ったら今度はナンパさせてくれよ。美味しいパフェの店を知ってるから」 涼の言葉に女性は少し目を丸くして、それからありがとう、とまた微笑む。それからゆっくりと涙を拭い、整った顔立ちに華のような笑顔を浮かべる。 「そろそろいいか」 「はい……皆様、ありがとうございました」 女性は立ち上がり、一礼すると間もなく沈む夕日を見る。雲の隙間にうっすらと見える日没は、とても温かく、雨の冷たさよりも、夏の到来を告げるぬくもりを強くしていた。これから稲穂は伸び、実りの多い季節となり、それの一端を見ながら紫陽花は花を落とすだろう。 そうして夏の近い夕暮れ、日没の少しだけ前に、一人のノーフェイスは消えた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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