● 裏路地に、すすり泣きの声が響いている。 「お父さんも、お、か、おかあさんも、あたしの事化け物って、言うから」 泣いている顔を押さえるその手には、無数の硬質な鱗。下の顔も覆う鱗。 そんな少女に、別の少女が語り掛ける。 「言わねえよ。お前が化け物なら私も化け物だ」 瞬く。そこにあるのは、半面近くが機械化した顔。屈み込んだ足、ショートパンツから見える太股も同じ色。泣き腫らした顔の少女が顔を上げた。おなじ、と唇が紡ぐ。 「そう。……私達、お前の持ってる『それ』が欲しくて来たんだけど」 「……だ、だめだよ、これ、お祖母ちゃんに貰った、お守りなの」 メタルフレームの少女が指したペンダントを、鱗の少女はぎゅっと握り締める。首を、傾げた。 「そうか。大事なものか?」 「……うん。お、おばあ、ちゃん、が、生きてたら、きっと、あだしのごと、こわがらな、で」 「分かった。大丈夫。それならいい」 「あ、え、さくらちゃ」 「黙れ」 再びしゃくりあげ始めた少女を前に、メタルフレームの少女……さくらは背後の蛍光緑の髪の男を一言で切り捨てる。伸ばされた掌は、鱗の少女の髪を撫でた。 「も、う嫌だ。こわい、みられるの嫌、いやだ、もう、やだ」 「分かった。じゃあ少し、遠くに行こうか。どっか人の少ない所」 「だからさくらちゃん」 「うるせぇ。誰もお前に手伝えなんて言ってねぇだろ」 「……あーもうこの状況で俺がさくらちゃん置いていけるって思われてるならハルトくん超傷心なんだけど現実問題としてどこに」 ぐしゃりと頭を掻いてハルトは溜息。 それにさくらが答えるよりも早く、別の声が割り込んだ。 「行き先が定まらないなら、そのノーフェイスは此方で引き取ろう」 振り返る。視線の先にいるのは、スーツ姿の男。眼鏡の奥に、酷薄な瞳。 傍らに三人の男女を伴って、男は薄く笑いを漏らす。 「君らが必要なのはその屑みたいなアーティファクトなのだろう? ならば其れは我らに譲ってくれ」 「……いきなり誰だよお前」 「六道が最下層、地獄の一人――どうせ無駄な名乗りだろう」 「うっわあ六道の首輪付きかよ面倒くさいねえ何するの?」 「君は其方の若者よりは多少は聡い様子だ。我は必要以上の手間は好まない。分かるな?」 議論は不要、引き渡せ。 男の態度にさくらの眉が寄った。先程まで可能な限り穏やかに保っていた表情を、いつもの様に不機嫌そうな仏頂面に。その手に、鱗の少女……ノーフェイスが縋る。 「断る。譲るもなんも、コイツは物じゃねぇんだよ」 吐き捨てたさくらを見て、ハルトは深く、深く溜息を吐いた。 「……とまあ俺のラヴァーがそう言うのでほら引いてくれたりしないの俺らのこと若者って言うなら大人らしく物分り良くさあ」 「やれ。命を投げ捨てる若者が多いのは嘆かわしい。実に愚か」 男の腕が組まれる。その指に光る一つの輪が、街灯を照り返した。 刹那生まれた殺気に、さくらが太刀を鞘ごと掲げて受け止める。 彼女の背後には、一人しかいない。 「いや、いやだ、いやだこわ、怖いよ、こわい、こわ」 振り下ろした自分の硬質化した腕を信じられない様に見詰めているのは、ノーフェイス。 「な、んで、体動かないよ、嫌だよ、いやだ、いや、こわいよ、こわい」 戦闘形態なのだろうか。その腕の鱗が、刃の様に尖り変化して行く。 振り返る。スーツの男は――嗤っていた。 「おっ、ま、何を」 「操って強引に来させる事も出来たのを、態々親切に問うてやったというのに。丁度良い。素体になりそうなフェイト持ちはクライアントも喜ぶ」 「やだあああああああああああ!!」 恐慌。男の意味の分からない呟きを、ノーフェイスの絶叫が掻き消した。 ● 「すみません、急ぎの案件となります。皆さんのお口の恋人断頭台・ギロチンがなるべく手早く説明しますね」 ブリーフィングルームにリベリスタが集うなり、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)はそう切り出した。 「今夜、これからとある繁華街の裏路地でノーフェイスとフィクサードが接触します。彼らの名は一座木・さくらと蜂巣・ハルト。何度か案件として上がっているので名前に聞き覚えがある方もいるかも知れません、彼らは何らかの組織をバックに持ち、アーティファクトの回収を主とするフィクサードの二人です」 彼らはノーフェイスの元へ向かい、アーティファクトを入手しようとする。 だが、奪えば済むはずのその仕事で彼らはそれをしない。 世界ではなく自身の為に力を使う事を選んだ彼らには、世界の崩壊を招く少女を殺す必然性がない。だからこそ、二人はアーティファクトではなく泣き叫ぶ少女に手を伸ばした。 人のいない場所まで。少女がしばらくは殺さず済むように、しばらくは殺されずに済むように。 「ですがそこに現れるのが――六道派のフィクサード。地獄一派を名乗り『等活』と呼ばれる男とその部下です。彼らは先日からの動きに関連し、どうやらキマイラの『材料』を調達すべくそのノーフェイスの元へ現れた様子で」 結局、ノーフェイスとフィクサード二名、六道派の三つの睨み合いへと変貌する。 「ここで問題となるのが等活が所持するアーティファクトです。『人操り其の一』――フェーズ2以下のノーフェイスを支配下に置くもの。これにより、一座木の背後のノーフェイスは操られ彼女に攻撃を仕掛けるでしょう」 淡々とした説明。己を庇ってくれる少女に向けて腕を振り下ろしたノーフェイスは、只でさえ情緒が不安定になっていた所で自身の意思を離れた体に更に泣き叫ぶ。 さくらはそんなノーフェイスに反撃をしない。耐えている。 場を引かないさくらにハルトは舌打ちをしつつ六道派に挑もうとする。 「そこで皆さんに行って貰うのは――ノーフェイスの殺害です」 前を向き。ギロチンが告げる。 「……リベリスタとして言うならば。きっと、この三つ巴はどれも正しくはない。けれどこれから起こる危険の度合いを考えると、皆さんに殺して貰うのはノーフェイスでなくてはならない。残念ながら、この場の全員を相手取れる程の戦力が急ぎ故に確保できない。ターゲットを絞らなければならないんです」 吼え猛る、刃を持った若者でもなく。 皮肉と嘲笑の探求者でもなく。 嫌だ怖いと泣き叫ぶ少女を殺せ。 「六道にノーフェイスが連れ去られれば、当然キマイラの材料となる事が予測される。それは駄目です。駄目なんです。更なる被害を巻き起こす危険性が、増えてしまう」 かと言って、フィクサード二人に預ける訳にもいかない。 「……等活の支配圏を抜けた場合、ノーフェイスは錯乱して全体攻撃を周囲に撒き散らします。恐慌状態に陥って『鱗』を周囲にばらまいてしまう。一般人ならば、死んでしまう程の鋭さをもって」 だから、この場から逃す事はできない。 この場で、等活に体を操られたまま殺さねばならない。 「ノーフェイスを殺せば、六道の連中は去って行きます。得る物がない状況で、アークとやり合う気はないでしょう。けれど、一座木と蜂巣の二人は分からない。皆さんに攻撃を仕掛けてくるかも知れない」 何故殺したのだと罵るだろう。 リベリスタがその行為に到るまでの葛藤も知らぬまま。 悪意に満ちた敵ではなく、不運な被害者に過ぎない少女を殺す苦渋を知らぬまま。 「ただ、ノーフェイス撃破よりも早く一座木を倒せば、恐らく蜂巣は彼女を抱えて戦線を離脱します。彼はノーフェイス保護にも六道との交戦にも積極的ではない」 ギロチンは軽く、頭を押さえた。 「……すみません。このまま放置すれば六道はノーフェイスに加えて二人のフィクサードを『材料』として持ち帰る危険性がある。それは嘘にして下さい。それだけは、嘘にして下さい。……ノーフェイスを殺して下さい、お願いします」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月02日(月)21:18 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 華やかな夜の街も、一本裏に紛れ込めば人を食らう闇が巣食っている。 その片隅に複数の人影を認めたリベリスタは、頷き合うと各々駆け出した。 ――だが。気取られるはずのないその接近に、地獄一派が振り返る。 真っ先に近接していた『シュレディンガーの羊』ルカルカ・アンダーテイカー(BNE002495)は僅か眉を寄せた。疑問を拾う間もなく、彼らはホーリーメイガスの男を後方へと置いた布陣へと変わる。回復手を後方に置くのは基本戦法であり王道だ、それ自体に不自然はないが、余りにも素早くはないだろうか――誰か、鋭い獣の因子を持つものでもいたのか。いや、外見からは判別できない何らかの察知スキルを所持していたのか。 考えながらも、不発に終わった奇襲から真正面からのぶつかり合いへと体勢をシフト。駆け来る彼女に、スーツ姿の男、等活は僅か目を細めた。 「おや、葬儀屋か。生憎と其方の仕事は本日はない」 「そっちになくとも、ルカにはあるのよ」 ここは世界の一番下。地下に存在するカタコンベ、それを守るはアンダーテイカー。極苦処を狙っていた切っ先は、同業の刀輪処へ。煌めく光が裏路地に弾けた。踊る光に覗く顔。 「こんにちは、さくらもハルトも元気だった?」 ハルトが浮かべた苦笑は、これ以上六道の手の者が増えた訳ではないという安堵と、リベリスタに対する警戒。葵の攻撃を受け止めるさくらが、舌打ちをした音が聞こえた。 「やあ漫才コンビの! 毎度おなじみひよこさんだよ。今日のあたしは真面目モードだから安心してね!」 「リベリスタの真面目とかやだそれ俺らもまとめて攻撃されんの超怖いんですけど」 通常時の肉体の限界を超え、瞬く間に反応速度を引き上げて行く『デイブレイカー』閑古鳥 比翼子(BNE000587)にふざけた調子でハルトが返す。腕に嵌めたフィンガーバレットは、六道もリベリスタも双方射程内。 「また女の子に危害を加えるなんて、本当に性根が腐った奴らね」 「成人男性の素体も欲しいと言っていたのだが、その気は?」 「ないわね」 人払いの結界を張る『蒙昧主義のケファ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)と等活の視線が一瞬見合うが、その間に飛び込んだのは『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)。 「この外道が!」 人格を持つ相手を人ともせず弄ぶように扱う男を、優希は睨め付け雷撃を纏ったトンファーを振り回す。それは闇冥処と刀輪処を強かに打ち据えたが、二人の男女は己の上司と同じ様に無感動にリベリスタを見詰めていた。 「全く、六道は相変わらず糞メンドクセーですね」 意識を集中。『獣の唄』双海 唯々(BNE002186)が地面を蹴って跳んだのは、少し先の地面ではなく隣のビルの壁面の『上』。ホーリーメイガスに行くまでに他が立ちはだかると言うのなら、スキップしてしまえばいい。その先で蛍光緑の髪の男が自身へ送る警戒の視線を感じ、唯々は目を細めた。 「ってーか、この状況自体が相当アレですがね。どーしてこうなった」 運命を得られなかったノーフェイス、情に流されノーフェイスを庇うフィクサード、研究材料とすべくノーフェイスを奪いに来たフィクサード、ノーフェイスを殺すべく介入するリベリスタ。誰かにとっては誰もが正しく、誰かにとっては誰も正しくない。 「まあ、こんな状況もあるって事で」 道の奥にいる葵の攻撃が届かぬ程度、『落とし子』シメオン・グリーン(BNE003549) が『プリムヴェール』二階堂 櫻子(BNE000438)の前に立ちはだかる。視界に入れた状況に歪めたのは、眉か唇か。 「六道もフィクサードも、……ノーフェイスも嫌いです」 だが、リベリスタは己の立ち位置を否定する訳にいかない。櫻子が呟いた様に、崩界を招く要因となるノーフェイスも、それを守ろうとするフィクサードも、それを使って直接的な崩界を引き起こしかねない六道も、誰も彼もリベリスタとは相容れない。 それでも、櫻子の顔が割り切った様に晴れてはいないのは、響く少女の泣き声が悲痛だからか。 一瞬だけ閉じられた瞳。嫌いだが、嫌いだけれど……せめて、苦しまない様に。 祈りは翼となって、戦場に展開したリベリスタへと齎される。 柄を強く握り締め、『折れぬ剣《デュランダル》』楠神 風斗(BNE001434)は目前の状況を睨むように見詰めていた。眉は憎悪ではなく葛藤――葛藤とも言いがたい遣る瀬なさに寄っている。 泣き叫ぶ子を助けたいと願うのは、善意であろう。 けれどそれが招くのは、更なる悲劇。 助けたいと願いながら、助けられないそれを幾度見てきただろうか。風斗はリベリスタの行いを決して否定はしないが、それでも仕方がない事だと切り捨てられる程に踏み切れてはいない。 それは未熟なのか、人として正しい事なのか。誰にも、分からない。 ただ、彼は唇を横に結んで闇冥処と刀輪処の間を駆け抜けて、極苦処へとその刃を振り下ろした。 ● 序盤こそ防がれたものの、数では六道よりリベリスタが上。 闇冥処と刀輪処を比翼子と優希が押さえれば、後ろに抜けられぬ事もない。 「引け。あの程度のノーフェイスと引き換えてやれる程、君は安くあるまい」 回復手である極苦処へと等活が告げたのは、風斗の裂帛の一撃がその身を裂いた直後。 その言い草に風斗は等活を睨み付けるが、酷薄な目は涼しい顔で受け流す。 「やれ、うっとおしい虫は数が多い」 些か長引く戦いに、唯々と同様に壁を駆けてノーフェイスへと向かうルカルカに、等活が一つ溜息。 六道にとってリベリスタは――特にアークのリベリスタは、完全なる敵である。状況がどう転ぶか分からないが故に、手出しが中途半端になる二人のフィクサードとは違い彼らの攻撃に迷いはなかった。 闇冥処の放つカードがエレオノーラの肩に刺さり、刀輪処のナイフの刃先が比翼子を抉る。唯々の足に絡むのは、等活が仕掛けた不可視の糸か。 「あ、ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 悲鳴。見えない力に操られた葵が、泣き叫びながら鱗を散らす。それはリベリスタだけではなく、さくらとハルトをも巻き込んだ無差別の攻撃。だが。 「癒しの歌を奏でましょう……」 櫻子の歌う癒しの歌が、それを塞いでいく。敵味方の霞んだ視界を、彼女の光が明るく照らし出す。その回復が自身にも向けられているのを知り、訝しげな顔をしたハルトに唯々がそっと耳打ちをする。自分達の狙いはノーフェイスであり、折を見てさくらを連れて離脱しろ、と。 本来ならば特にこの二人の事など気に掛けていなかった唯々がこんな忠告をするのも、ひとえに仲間が彼らを逃したいと願ったからである。そう頼まれたならば、断れはしない。 囁いた彼女は、ハルトの唇が無音で言葉を紡ぐのを見た。 ――ありがと。でも。 逆説の接続詞。その指先が彼女と入れ替わりにさくらの目の前に立ったルカルカに向いているのに、唯々は面倒臭そうに眉を寄せる。 自身を背後から撃ったハルトの弾丸が、何の付与もされていない――スキルを使用しない通常攻撃だったのは、それなりの迷いなのか、後からどちらにも転べるように安全策なのか。分からないが、さくらの手前ハルトは完全には引けずとも、本気でリベリスタに攻撃を仕掛ける気は少なくとも未だないらしい。 「ルカは貴方達、好きよ」 「……うるせぇよ……!」 振り下ろす刃にも防御の体制しか取らないルカルカに、さくらが歯噛みした。 何でもない顔でそんな事を告げながら、決して自身の前から退かない――壁として立ちはだかり、葵を庇いに行かせない羊の少女を、フィクサードの少女は睨み付ける。 相容れない。 守りたいと願う気持ちは同じでも、大小が違う。大の為に小を切り捨てる事を決めたリベリスタは、決壊という大惨事を引き起こす危険性のある小さなヒビを、見逃せはしない。 「一座木と言ったか。お前の気持ちはわかる、わかるが、お前だってわかっているはずだ! どうあがいても、彼女の『命』は長くないと!」 刀輪処をも切り伏せた風斗が上げたのは、奥底に悲痛さえも交えた叫び。 血の中で尚も光る赤いラインの剣を手に告げる同年代の少年に、さくらはルカルカの肩越しに目を向けた。 ただ生命活動が続いていれば、『命』と言えるのか。 彼女が彼女で『在る』間が、総括して『命』と言えるのではないだろうか。 このままでは、何れ葵はフェーズを進め、完全に人ではなくなる。そこに、彼女の面影はあるか。彼女の思考はあるか。分からないが、現状でさえ葵は己の力を制御できていない。続くのは、悲劇でしかない。 「お前らがその子を連れて行く過程で、同じような子供が傷付き、死んでしまう! オレはそんな子供を護りたい!」 「だったら、……だったら殺すのかよ!」 「ああ。お前がその子を護りたいように、オレも罪のない子達を護りたい。……だから殺す!」 他の誰かを守る為に、誰かの大切な人を守る為に、刃を血で濡らす覚悟を決めた風斗の宣告に、さくらが顔を歪めた。視線の先では、優希が泣き叫ぶ葵に手を伸ばしている。 「お前の姿は怖くもないし、そんな攻撃は平気だぞ?」 可能な限り柔らかくした声音と、和らげた表情。少し前のさくらと同じ行動を取りながら、その掌は少女の硬い外殻を突き抜け内部から打ち抜く。 「あ、ああ、ああああやだ、やだやだやだやだやだ!!」 「少し痛いが、我慢してくれ」 外殻のせいで攻撃の通り難い葵に放ったその攻撃は、単純に効率の面からだけではなく、不要の痛みを与えず速やかにその生を終わらせる為。中途半端は余計な苦しみを招くのを知っているから――泣く少女に己の妹をと既に亡くした日々を思いながら、優希は決して打ち据える手を緩めない。 「ねえ。その子助けてどうすんの?」 きみ達が保護でもするの、それとも何処か遠い所に置き去りにしたり誰かに届けたりするの。 比翼子の問いの答えは、ハルトの表情が如実に語っていた。一瞬目を閉じ、肩を竦めて首を振る。 結局の所――彼らができるのは、この場で手を伸べる事だけなのだ。 「なるほど。優しいきみ達は両親にすら拒絶されたその子を、親しくもない人の中に置いて帰る訳だ。……ふざけんなよ」 比翼子がその声を一段低くし、目を眇めた。 「優しいふりなんかすんな、フィクサード」 「……優しいフリもできねぇ人殺しが何言ってんだよ!」 「好きでやってると思ってんのかよ!」 ぢりい、っと音がして、比翼子の刃が葵の鱗を抉りながら走り抜ける。 比翼子とさくら、互いの目が互いを睨め付けた。 ああそうだ、そんなもの、優しさの皮を被った自己満足だ。 救うように見せて、結局何もできやしない。更なる長い絶望に導くだけだというのに。 「助けられる手があるのならそうしている! だが、無いんだ!」 血を吐くような悲痛を込めて、風斗が叫ぶ。助けたい。救いたい。けれど、叶わない。 運命の恩寵を授かったとしても、それは決して人の身では操れない。 闇冥処を退けたエレオノーラとその奥の叫びを見詰めながら、等活はリベリスタに阻まれて己の方へと呼び寄せられないノーフェイスに肩を竦める。 「さてもまあ、熱い事で」 「情に照らせば人に非ずと謗られて当然でしょうね」 「おや、リベリスタは非道を自覚しながら非道を行うのか」 「非道と思う事ができる世界を守る事が務めよ」 泣き叫ぶ子を殺す行為が謗られるのは、それが常識や倫理、何より人の情として異端だから。その思考を保つ為には――今の『日常』を守り通さねばならない。 己の欲望の為にその日常を害する存在に、彼は問い掛ける。 「死にたくないのはあたしも同じよ、同じくらい遠ざかる事はできない事も知ってる。貴方は自分の足元の影からどうやって逃げ出すつもり? 等活君」 「影が迫ってくるのなら、そんな影は消してしまえばいい。そう思わないか? エレオノーラ・カムィシンスキー。……我は『死』を越えて更なる『生』を作る」 生から死へとは移ろい行くも、それは不可逆。 死人は決して蘇らず、喪われた者は帰ってこない。それが世の理。 「……狂気の沙汰、って知ってる?」 「狂気と笑わば笑うがいい。だが」 奥底に秘めた熱狂。冷めた声で返したエレオノーラに、等活は嗤う。 「君らのお仲間でも、狂気に囚われている者はいる様子だがね?」 彼がその意味を問う前に、櫻子が悲鳴の様な声を上げた。 「駄目ですっ……!?」 周囲に渦巻いたのは、思考の奔流。 巻き込まれ弾き飛ばされたエレオノーラと櫻子に、葵の鱗が突き刺さる。 櫻子の中の獣の直感が嗅ぎ取った事により直撃を免れたそれを放ったのは、等活ではない。 「……どういう、事だ」 「あー、もう、何で更にメンドクセー状況になるですか」 風斗の呟きに、唯々が頭をぐしゃりと掻いた。 二人を巻き込む位置にいたのは――。 「皆の事は好きだったけど、仕方がない」 いつもの様に微笑みながら告げた、シメオン。 リベリスタとの接触直前に地獄らが気付いたのは、何と言う事はない。『彼』がその接近を知らせていたからだ。 「正気の世界じゃ、僕の理想は叶わない」 研究に対する執着は、リベリスタの一線を踏み越えた。 「連れて行ってくれ、狂気の地獄に!」 伸ばされた手。様々な思惑が絡み合ったその場で真っ先に動いたのは、風斗であった。 この状況でも、やるべき事は、やらねばならない事は――変わらない。全力のデッドオアアライブ。精神力が尽きるまで、決して緩めぬと決めた刃。 「あ、あああああああああああ!!」 葵の悲鳴にはっと我に返ったさくらがルカルカに刃を再び振り上げるよりも早く、無数の刃がフィクサード二人を含めたその場の者の体を裂く。刀剣の茂みに飛び込んだようなそれは、深く浅く大小無数の切り傷を作り、一気にその場を血で染め上げた。 等活地獄。切り刻まれる苦痛を冠したそのスキル。 櫻子が呼ぶ邪を退ける光も、流れ出す血全てを拭い去るのは叶わない。伸ばされたシメオンの手を一瞥し、等活は目を細めた。 「……まあ、情報提供には感謝しよう。だが、アークは我等よりも良い『目』を持っている。その状況で目を引く君を連れて行くメリットは何だ?」 シメオンの手は血で汚れてはいない。攻撃の範囲から外された。 けれど、唱えられたのは婉曲的な拒否。等活の視線の先には、ノーフェイス。 優希の腕が少女の首に回されて、反対の掌はその腹部を打ち据える。 「……お祖母ちゃんの所に、送り届けてやる」 「あ、」 漏れた弱い吐息が、少女の最期。小さな体が力を失い膝から崩れ落ちるよりも早くその場から退き始めた等活らを追おうとしたシメオンの足元を、仕掛けられた糸が絡め取った。 「我が探究心の強い若者が嫌いではなくて良かったな。――同輩であれば甘言を用いた上で装備を剥き、即座に金払いの良い誰かに素体として差し出していただろう」 「……く」 既に追い付けないと分かるその背を追うシメオンに、誰かがアークへ通達を入れる。裏切り者は殺す等と言う物騒な掟こそないものの、組織として存在する以上は背反行為を認可する訳にもいかない。揶揄された様に、アークの『目』は表裏ともに優れている。……結末は程なく知れる筈だ。 六道が去り血に塗れた裏路地で、葵の亡骸を抱きとめたまま優希は静かに目を向けた。 櫻子からの癒しの恩恵に預かっていたハルトと違い、葵の攻撃や六道の攻撃に巻き込まれていたさくらは先程の等活の一撃で地に伏している。別に、苦しめたい訳ではないけれど。在り方が、叶わない。 「殺しは殺しだ、罵るならば罵れ。――己で選んだ道だ、甘んじて受けよう」 「……冗談冗談、このまま帰してくれるなら俺は何も言う事ないよ」 両手を挙げたハルトが進み出てさくらを抱きかかえ、優希の言葉に首を振った。 葵の首に掛けられたままであったペンダントを指先で転がし、ルカルカが首を傾ぐ。 「アーティファクトはあげないわよ」 「ああルカルカさんさっすが抜け目ないねぇいいよそれ持って帰ったら俺さくらちゃんに口聞いて貰えなくなっちゃうだろうし、……ごめんね」 謝罪は何に対してか。問う間もなく、派手な髪色のフィクサードは肩に少女を抱いて壁を駆け越えて消えた。見開いたままだった葵の目蓋を、風斗がそっと下ろす。 「……相容れぬからこそ、でしょうか。これ程葛藤してしまうのは」 その光景を見て、櫻子は呟いて魔術書と目を閉じた。 運命を得た彼らが幸運であったと人は言う。 だが、得られない苦しみを見る彼らの瞳が、時に葛藤や苦痛に揺らぐのを知っているのは――。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|