●雫が宿すもの 青年の目の前には、衰弱した黒猫が横たわっていた。 血が滴るナイフを下ろした青年は不安と期待が入り混じった瞳を向け、片膝を地面に付く。そして彼は、たったいま自分が傷付けたばかりの黒猫の顎を開けさせると、もう片方の手で何かの小瓶を取り出した。 乳白色の液体が揺れる瓶の蓋を開き、傾ける。 落ちる雫はそのまま黒猫の口内に流し込まれ、青年はその様子を固唾を飲んで見つめた。 「……やっぱり、何でも癒すの薬だなんてのは嘘だったのか?」 訝しげな眼差しで猫の様子を見遣る青年は唇を噛み、忌々しげに呟く。だが、その瞬間――死にかけていた猫の身体に異変が起きはじめた。すげェ、と驚く青年が見守る中、血塗れだった黒毛が見る間に艶のある毛並みへと戻っていく。 やがて猫は眼を開けると、にゃあ、と短く鳴いて青年にすり寄った。 「これで、アイツの身体も治るよな。待ってろよユイリ……兄ちゃんが助けてやるからな!」 不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった青年は駆け出した。その後を追うように黒猫も走り出し、ふたつの影は街外れの病院を目指してゆく。 だが――青年はその黒猫が先程とは別の『モノ』に変わっていたことを、未だ知らない。 ●命の価値は 阿密哩多:[amrita/am・rée・ta] 神話の中に名を記される神秘の聖水。その甘露は飲む者に不老不死を約束すると云われ、神々さえも求めて已まなかったという。 アーク内のブリーフィングルームにて、『サウンドスケープ』 斑鳩・タスク(nBNE000232)は抱えていた辞書から読み取った一節をリベリスタ達に語って聞かせた。 同時にフォーチュナの少年はノート上に、液体が入った丸い小瓶の絵を描く。 そして、そんな神話の秘薬がどうかしたのかと疑問を浮かべる仲間達に告げた。 「仮に自分に病に侵された大切な人がいたとしてさ。そんなときに、こういった不死の秘薬と言われるものを手に入れたら……君達はどうする?」 翠の瞳を向けたタスクはそう問うたが、特に答えを求めるでもなく話を続ける。 今の話に出た秘薬とはアーティファクトのことであり、現在とある青年フィクサード――有住・ユウという人物がそれを手にしているのだと。そして彼は先程あげたように、病弱な妹を救うためにアーティファクトを使おうとしている。 相手はフィクサードとはいえ、行動の理由は悪意からのものではない。 しかし、そこには厄介な問題があるのだ。 「それには、厳密にいえば不老不死の効果なんて無いんだ。いや……確かに衰弱した身体を見る間に癒す効果は有る。けれど、それは見かけだけ。実際は人間や動物を『違うモノ』に作り変えてしまうほどの、邪悪で歪んだ性質を持っているんだよね」 青年はそれを知らぬまま、今夜にも秘薬を妹に飲ませようとしている。 彼は既に自分が半殺しにした猫達で実験を行い、アーティファクトに癒しの力が宿っていることを確信している。無論、強靭な力を手に入れて復活した猫達が変貌したことには気付いていない。 このままでは彼の妹は、人間ではないモノへと変わり果ててしまう。 そんな未来を起こさない為にもアーティファクトを回収して欲しいと語ったタスクは、彼を止める方法を説明しはじめる。 ユウは深夜前、病院の裏口から妹の病室に向かう。 そこを待ち伏せしてアーティファクトの小瓶を奪うのが一番確実だろう。青年は小瓶をジャケット内の隠しポケットに潜ませているため、隙を見て奪い取ることは難しい。相手もこちらの目的が小瓶だと知れば、問答無用で戦いを仕掛けて来るに違いない。 「よほど上手くやらなければ戦いは起こるだろうから、準備はしっかりとね」 戦闘になればユウの周りにアーティファクトの犠牲になった一匹の猫が現れる。見た目は普通の猫だが、変質させられた力を使って襲い来るので油断はならない。 また最悪の場合、ユウが窮地に陥った際に自身でアムリタを飲んで再起を計るかもしれない。 「そうなれば、彼は妹を救いたいという意志すら失くして暴れ回る。……その場合、殺すしかない」 だから細心の注意を払うと同時に、覚悟もして欲しいとタスクは告げた。 そして少年は、これは余談だけど、と前置きをしたうえでユウの妹の病状についての説明を始める。 ユイリという少女は、もういつ生が途切れてもおかしくないほどの危険な状態なのだという。おそらくアーティファクトを飲ませなければ、短い生涯はそこで終わってしまうのだろう。だからこそ、アムリタを手にしたユウも事を急いているのだ。 しかし、どちらにしろ少女に待ち受けるのは死のみ。 「彼女のことを思うならば、辛い戦いになると思う。けれど……止めなきゃ、いけない」 一瞬だけ眉をしかめ、歳相応の表情を見せたタスクはわずかに俯く。 だが、すぐに顔をあげた少年はリベリスタ達を真っ直ぐに見つめた。そうして、戦地に向かうその背を見送ったタスクは、小さな呟きを落とす。 「ああ、残酷なのは運命の方なんだろうか。いや、それとも――」 そこに続く言葉は無く、少年は独り、誰も居ない部屋の中で静かに瞳を閉じた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:犬塚ひなこ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年06月17日(日)23:54 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●夜闇の想 病に伏せる少女と、それを助けようとする青年。 もし自分が彼と同じ立場と境遇ならばどうするのか。自身に問いかけても、答えは出ない。 暗い闇に沈んだ視界の先、『紡唄』葛葉 祈(BNE003735)は駆けて来る青年を見つめて首を振った。考えても埒が明かないならば、今はアーティファクトにのみ意識を向けるべきだ。己を律した祈は、仲間達と共に路地裏に立ち塞がった。 そして、急に往く手を遮られたことに驚く青年へと『名無し』氏名 姓(BNE002967)が声を掛ける。 「ねえ、ちょっと待ってよ」 「あなたがさっき傷を癒した猫は……そこね」 続いて『抗いし騎士』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)が青年――ユウの背後に控えている黒猫に視線を落とした。『イケメン覇界闘士』御厨・夏栖斗(BNE000004)も猫の存在を確認すると、ユウへと語り掛ける。 「ご機嫌麗しゅう、君のとなりにいる猫を退治しにきたぜ」 そこに居る猫は見た目こそ普通ではあるが、既に元の猫とは掛け離れた存在となっている。リベリスタ達はその事実を基点に、ユウの説得を行おうと考えていた。 「何だよテメェら。俺は急いでるんだよ、そこを退きやがれ!」 だが、往く手を阻まれた青年は焦っている。リベリスタ達の背後に続く病院への道を気にする辺り、今は妹のことしか考えられないでいるのだろう。だが、この場をすんなりと通す訳にはいかない。 今から自分達が行うのは、彼の最後の望みを否定してしまうこと。 裡にくすぶる思いを押し込めながら、退かぬ意志を見せた『じゃじゃ虎ムスメ』四十九院・究理(BNE003706)はユウへと視線を向ける。 「その猫は、危険な存在になっている。私達はそれを倒す為に来た」 じゃあさっさと殺せよ、と苛立つユウ。そんな青年に対し、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が説明を続ける。 「端的に言えば、君が持っている薬は生き物を別のものに変えてしまう物だ」 何でも癒す秘薬などではなく、飲んだ者が化物になる。悪辣なアーティファクトは、いつだって人の祈りを弄ぶのだという思いを抱えながら、快はまっすぐに青年を見据えた。何故知っている、と青年が内ポケットがあるだろう箇所を抑えて狼狽する。 「どうかお願いだ。その薬を、私達に渡してほしい」 究理が一歩を踏み出すと、黒猫が威嚇の声を上げた。それと同時に、ユウ自身も眉を吊り上げてナイフを構える。その顔には怒りと焦りがないまぜになった表情が浮かんでいた。 「こんな猫には興味はねえが、俺の持っている物をハイそうですかと渡すかよ!」 どうやら青年は、こちらを倒してでも妹の元に向かう気概らしい。 背後で説得を見守っていた『アヴァルナ』遠野 結唯(BNE003604)は戦いの始まりを感じ取り、風に揺れる髪をかきあげた。 戦闘になることは元から覚悟していた。アムリタと名を冠するアーティファクトを巡る戦い。それは、まるで神々が奪い合ったと言われるあの戦争のようにも思えた。 何という皮肉だろうかと独り言ちた結唯に続き、伏し目がちにユウを見遣った『不誉れの弓』那須野・与市(BNE002759)も義手弓を構えて、ぽつりと零す。 「……戦いは避けられぬようじゃの」 与市には彼の気持ちがよく解った。同じ境遇ならば自分は悪魔に魂を売ってでも、家族を助けたいと思うだろう。だが――それだからこそ、止めねばならないと感じる。 相容れぬ思いと互いに譲れぬ意志を抱き、リベリスタ達は青年と猫を見据えた。 ●黒猫の怪 「行こう、レナーテさん。相棒、そっちは任せるぜ」 仲間達に視線を向けた後、快はナイフを構えたユウの目前へと駆ける。その呼び掛けに頷いたレナーテも同時に地面を蹴りあげ、青年に肉薄した。睨み付ける彼の眼差しと、通さないと決めた快達の瞳が交差する。 そして、鋭い爪を振るわんとして牙を剥く黒猫には夏栖斗が向かった。 その一撃を受け止めた夏栖斗は身を射すような痛みに堪えながら、ユウへと呼び掛ける。 「ただの猫にこんな力があるとおもうのかよ。これは君が持つ悪魔の薬の効果だ」 そこで夏栖斗はふと思う。 もし妹が死にかけて、命を助ける何かがあれば僕はそれを求めるだろうか。 答えは、否。あいつが、ソレを是とするわけない。そう思い至った彼は、全力の掌打を打ち込んだ。その衝撃に敵の動きが揺らぐが、力を得た黒猫はその一撃を苦ともしていない。 そこにユウも流石に違和感を覚えたらしいが、アムリタを奪おうとしているリベリスタ達に彼が共感を覚えるはずがなかった。 「煩い! 良いからそこを退きやがれ!」 ユウはナイフを振り回し、障害となっているレナーテ達を切り裂く。 しかし、青年の力は彼女達に比べればまだまだ弱い。寧ろ、気を付けるべきは猫の方なのかと祈は警戒を強めた。そして、身体の中の魔力を活性化させた祈が呼び掛けるのは懸命な思い。 「都合の良い物なんて殆ど存在しないの。傷を治すのだって、相応しい存在に作りかえるだけ」 告げているのは非情な現実の話だ。 それでも分かって欲しいと願うのはもっと非情だろうが、祈達は事実を伝えないという選択肢を選び取ることはしなかった。そして祈は、猫から繰り出される爪で傷を受けた仲間を癒すべく力を揮う。 「おかしいと思わないか? 半殺しにした人間に懐く猫がいるもんか」 言葉を続けた姓もまた、目の前の事実を見せ付けるようにして黒猫の一撃を受けとめる。 飲めば傷は治るが自我は無くなる。それがその薬の本質。姓達は理路整然とした情報をユウに告げてゆくが、彼は未だこちらを信じる気はないようだ。 「その話が本当だって証拠はないだろ。たとえ悪魔の薬だったとしても、アレを使えばアイツが死なないことだけは確かだ!」 激昂したユウが無理矢理にでも快達の傍をすり抜けようと突進する。 しかし二人に阻まれた状態では、ただ攻撃を続けるしかない。忌々しげに歯噛みする彼を見つめながら、与市はただじっと機を窺っていた。攻撃の機を逃してでも、彼女には遂げたい行動があるのだ。だからこそ、与市は彼の一挙一動に気を払っていた。 (「――ユウ様があの薬を飲むのだけは、何としても阻止するのじゃ」) その瞳の奥には、揺らぎながらも与市自身が心に決めた思いが宿っている。 ユウと黒猫は依然としてリベリスタを排除しようと戦い続けた。猫の力は驚異的だったが、それでも手馴れの究理や結唯などの四人を一度に相手取っているとなると消耗は激しい。 結唯は素早く猫に狙いを定めると、目にも止まらぬ早撃ちで以てその前足を撃ち抜いた。 彼女自身、人は遅かれ早かれ死ぬのだと知っている。それが寿命なのだと割り切る結唯はユウが行おうとしていることは命に対する冒涜だとも感じていた。しかし、結唯はそれを表情に出すことなく、着実に敵の体力を削っていく。 そして何度かの攻防が続き、青年と猫が徐々に疲弊しはじめる。 「畜生、退けってんだよォ!」 「駄目だ。でも、小瓶を渡してもらえれば通す」 「それじゃ意味がねぇんだよ。渡す訳がないだろうが!」 叫び暴れるユウに呼び掛けながら、究理は奥歯を噛み締めた。せめてユウには、妹との時間を長く過ごして欲しい。今、彼女がとても危険な状態ならば尚更。 ――だから、終わらせてしまおう。 そう決めた究理はまっすぐに猫を見据え、鋭い蹴撃を放った。 ●大切だからこそ 短い鳴き声があがり、黒猫が地面に転がった。 それと同時に快に突っ込んだ勢いでユウが体勢を崩したらしく、片膝をついた。猫は夏栖斗達の猛攻により、既に動かなくなっている。アムリタを飲まなければ死んでいたであろう猫の、二度目の死にわずかな黙祷を捧げ、夏栖斗はユウに向き直った。 「く……このままじゃ、ユイリが死んじまう」 「どうあっても薬は使わせない、恨むなら僕らを恨め」 間接的であれ、君の妹を殺すのは僕達だと夏栖斗が宣言する。彼に生きて欲しかった。誰かを憎むことで彼がこの先、もし妹が居なくなっても生きていけるなら。そう思えば、自分達が恨まれることも構わなかった。 そして猫を倒したリベリスタ達は一度、攻撃の手を止める。 誰もユウに手を出すことはしなかった。それは、小瓶さえ渡してもらえれば彼の自由にさせてやりたいと誰もが思っていた為だ。快は思いの丈を伝えるべく、荒く息を吐く青年を見つめる。 「どうして、こんな薬に関わる時間を、妹さんと長く一緒にいるために使ってあげなかったんだ?」 「……うるせえよ」 「まだ間に合うだろ! そんな薬置いて行ってやれよ、一分一秒でも長く一緒にいてやれよ!」 快の言葉は半ば叫びにも似て、必死の思いが伝わってくるようだった。 レナーテも落ち着いた声色で、声援が妹さんを助けたいという気持ちは否定しないと告げる。 「助けたい、ってのは何でもいいから生きていて欲しいってのとは違うでしょ?」 「…………」 その言葉にユウは沈黙で答えた。 きっと青年は薬を使う事で後悔をするのだろう。ならば、そんな思いは絶対にさせないとレナーテは願っていた。そして、そこへ姓が静かに口を開く。 「ねえ、君の妹さんってどんな子なの。その薬を飲ませれば君の知る妹はいなくなるんだ」 大切な思い出、感情、心。彼女を成す意思の全てが失われる。 リベリスタ達の強さを知った青年は、力で抵抗することは無駄だと悟ったようだった。、ユウは死した猫の亡骸をぼうっと見つめ、力なく項垂れた。 祈はそんな彼に双眸を向け、ゆっくりと語り聞かせるようにして諭す。 「貴方が本当に妹を大事に思うのなら、そんな物を使っては駄目よ。……傍に居てあげて。話しかけて、笑いかけてあげなさい」 「もうアイツには意識すらないってのにか?」 「それでもよ。彼女との一瞬一瞬を、どうか大切にしてあげて」 きっと意識がなくとも分かるはずだから、と祈は告げた。そこに優しい思いが籠っているのは誰の目にも明白だ。おそらくはユウも、彼女が自分を騙そうとしているのではないと気付いている。 結唯は、心揺らぐ様子の青年をただじっと見つめて彼の決断を待つ。黙ったままの与市もまた、万が一にでも彼が薬に手を出すことの無いように、いつでも動作を封じられるようにと弓を構えていた。 妹の偽りの生と、最期の時間。 それらを天秤にかけて推し量っている様子のユウを、与市はどこか複雑な気持ちで見守っている。自分が家族を壊したならば、己の死を選ぶだろう。彼は一体、どんな選択を選び取るのだろう。 彼の所作には元から興味のない結唯だったが、そればかりは少し気になっていた。 そして、黙ったままのユウへと姓がふたたび声を掛ける。 「なあ、妹が大事なんだろ? 気付けよ、『君が』妹から全てを奪おうとしている事に」 彼の言葉を聞いた途端、ユウがはっと目を見開いた。 生きて欲しいと願うのは彼自身の思い。しかし、本人の意志はそのエゴで奪っていいものではない筈だ。自分ではない存在になってまで生きるなんて私は御免だ、と姓は胸裏で独り言ちた。 暗闇の中、沈黙が満ちる。 その間に過ぎた時間はそう長くはなかった。だが、その数秒が何故だか長く感じられた。 そんな中、意を決した究理は項垂れたユウに歩み寄り、ゆっくりと手を伸ばす。 「……もう一度、言う。どうかその薬を、私達に渡してほしい」 向けられた掌に、青年からの眼差しが注がれた。 わずかな逡巡が見て取れたが、ユウは懐に手を差し入れると丸い小瓶を取り出す。 そこにはもう、こちらへの敵意は見えなかった。ただ、突き付けられた非情な現実を受け入れているような、そんな雰囲気を夏栖斗達は感じていた。 「渡したら、ここを通してくれるのか」 「もちろんだ」 究理が頷いて答えると、その掌に小瓶が乗せられる。 青年の手は、小さく震えていた。それに気付かぬレナーテではなかったが、敢えて何も言わずに塞いでいた道をあける。快もまた、伝えるべきことは全て伝えた故に、何も語り掛けはしなかった。 「渡したから、な……。もう、俺達のことは放っておいてくれ」 立ち上がったユウはふらつきながら、病院に続く道を力無く歩みはじめる。 彼の背を見つめる与市は、そこで漸く弓を下ろした。だが、この胸の裡にくすぶる感情は何なのだろう。ユウから形に出来ない諦観や絶望、負の覚悟のようなものが感じられた気がして、与市は瞳を伏せた。 ●運命のままに その直後、病院内から何やら物音が聞こえた。 それは廊下を走るような幽かな音に過ぎなかったが、顔を上げた結唯は直感する。――『そのとき』が来たのだ、と。同時にユウが持っていたらしき携帯電話の着信音が鳴り響いたことで、彼の妹の容態が急変したのだと他の仲間も確信した。 「――!」 携帯電話を取ったユウは、未練交じりの視線を小瓶に向ける。 だが、究理も一度受け取ったアーティファクトを渡す気は全くなく、思わず身構えた。そこへ、レナーテは視線で病院の裏口を示すと冷静な口調で語り掛ける。 「……猶予、ないんでしょう。看取れなかったら後悔するわよ」 その言葉に舌打ちをして、ユウは駆け出した。去り際にユウから向けられた視線に「付いて来るな」という意志が感じ取れたように思え、彼の後を追う者は誰も居なかった。 きっと彼は目指す病室で、妹の死と直面するのだろう。元から定まっていただろう運命であれ、それが酷く残酷なように思え、与市は静かに首を横に振った。 それから、戦いが完全に終わったと感じた結唯は踵を返す。彼女にとっては、あの兄妹がこれから先どうなろうが知らぬことだ。回収したアーティファクトを頼む、と究理に告げ、彼女は一足先に帰還していった。 「そういや、どうやってこのアーティファクトを手に入れたのかを聞く暇はなかったね」 姓がアムリタの小瓶を見遣りながら、ぽつりと呟く。追い掛けて聞く方法もあったが、妹との死に直面する今の彼の邪魔だけはしたくなかった。もしそれを誰かがユウに与えたのだとしたら、彼の想いを弄んで悲劇を演出した奴がいるのかもしれない。 「そうだとしたら、俺はそいつが許せない」 無論、それは想像にしか過ぎないのだが、気付けば快は拳を強く握り締めていた。 「残酷なのは、運命なのかしら……?」 祈は浮かんだ疑問をふと口にする。来た時と変わらず、夜闇から答えが返ってくることはなかった。 今宵、ひとつの命が潰え、ひとつの心が絶望に染まる。 周囲の空気が重く身体に纏わりつくような感覚をおぼえながら、夏栖斗は星すら見えぬ夜空を振り仰ぐ。そこに言葉はなく、彼はただ、心まで塗り潰すが如き漆黒を暫し瞳に映していた。 そして、その後――生死の境を彷徨っていた或る少女が、逝った。 この事実をリベリスタ達が知ることになるのは、今このときからもう少し後の話になる。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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