●Wanna Only Sleeping... 彼女が初めに助けて欲しいと願ってから、既に一月以上が経過していた。 何度か行動に移しはしたが、その度に手痛い仕打ちを受けた。だから今はもう、そんな無謀は諦めて久しい。 何より彼女の意思が諦めることを選択するより早く、すっかり身体が動かなくなってしまっていたものだから、やろうとしても出来はしなかった。 彼女は神秘の世界とは縁とおい一般的な人間であるから、肉体的な機能は滅法弱かったのである。 そんな身体が最も酷い状態に陥っているのは、ここ数日のことだった。 なにしろ口に出来るモノなんて何もなかったから。たとえあったとしても飲み込むことさえ出来なかったのだから。 既に彼女自身、既に意識があるのかないのかさえはっきりしない。 心身の衰弱も大きな原因だったが、既に脳機能が現実の受け入れを拒否していた。 そしてそれだけが彼女に許された唯一の安息でもあった。 「コーヤ、どうするよあれ」 広大なガレージに粗雑な改造を加えた室内に、しゃがれた青年の声が妙によく響く。 薄暗い部屋の中で何人もの男女が各々タバコや酒を喰らっている。 革張りのソファーに、ガムテープでぐるぐるに補修されたガラスのテーブルの類は、そんな場所には余りに不釣合いとも、この上なくそれらしいとも言えた。 「いい加減くせえよ」 コーヤと呼ばれた青年は、ヤニ臭い唾液をコンクリートの床に吐き捨てる。そこにはタバコの吸殻が散乱していた。 この場に漂う悪臭の多くを占めているのは、饐えたタールや酒瓶、イタリアやフランスの香水だけではなかった。 「デリか風呂にでも売っちまえば良かったな」 「さすがに無理だろ、おいリョウト」 半ば破損したアコーディオンドアがひらかれる。そこに彼女は――辛うじて彼女と呼べる存在が倒れていた。冷たい床に転がっていた。 意識を失った少女の免疫や代謝は急速に力を弱めながらも、懸命に雑菌を寄せ付けまいと、命を繋ぎ止めようと戦っていた。その臭いだった。 「ルセェヨ!」 時折零れる苦しげな呻きに激昂し、リョウトは倒れた少女の腫れ上がった頬に手の平を叩き付ける。 少女は呻くのを止めた。少女の顔に張り付いたのは呪印封縛の符であった。 その技は神秘の世界を齧る者なら誰でも理解出来る基礎中の基礎である。粗雑な術式構成が技量の未熟さを端的に現していた。少なくとも駆け出しから遠くあるまい。 少女の痣だらけの背中にタバコの吸殻が落とされる。ちらちらと赤く煙っている。 六百度の熱が皮膚を徐々に徐々に焦がしてゆく。それでも少女は呻かない。身動き一つしない。否――出来ない。 「くせえっ」「バカ」「さわんなよ」「ゲハハ」 十二人が一斉に笑う。いずれも若い男性八名、女性四名。それが彼等の布陣であった。 「おいサトシ、消してやれよ」「じゃ、ションベンしろや」「ギャハ無理」「いちーち汚ぇんだよ」 彼等は一人の少女を拉致監禁していたようだ。何の為にだろうか。 「ソウちゃん。結局キャッチさんって何がしたいわけ?」 ソウと呼ばれた女が舌打ちする。 「しらねえし。手前で聞けば?」 ソウが携帯を蹴りつける。ビーズをあしらったストラップは傷つき、プラスティック製の熊の首はもげていた。 少女のものだったのだろうか。 彼等は一つの使命を帯びていた。 「誰でもいいから女一人消せってな」 内容は見知らずの女一人を一ヶ月監禁し通すこと、その女を消すことだ。薄汚い使命だった。 それを『キャッチ』と名乗るフィクサードが、課したらしい。 キャッチは彼等への成功報酬として裏野部幹部への顔見せを約束していた。 彼等は簡単なことだと思っていた。引き換えの華々しいデビューである。やらないわけにはいかなかった。 片田舎で燻っていた彼等にとっては、またとないチャンスだった。 近隣住民のいぶかしみは威圧で制していた。暴力を振るったこともある。いやま何を咎めだてされることもない。 警察とは子供の頃からの付き合いだったが、ロクな捜査だってされはしない。青年達は社会に勝ったと思っていた。 だが実際の所、駆け出しフィクサードにとっては手に余る事態が待ち受けていた。 限界が近づいているのではないかと、誰もが薄々感じていた。 パクられるのは嫌だった。より正確には『堀の中』に入るのが嫌だった。 何が嫌かと言えば丸坊主にされるからとか、酒やタバコが出来ないだとか、ダサいからだとか、そんな理由しか思い浮かばない。彼等はそういう連中なのである。 「テストとかってつもりなんじゃねえの?」 「ウゼェ」 青年達の苛立ちは少女を慰み物へと変え、暴行はすぐにエスカレートしていった。 「はやくどっか捨てねえとな」 とにかく今の彼等にとっては、この何の罪もない少女が疎ましくて仕方がなかったのだった。 ●Still. 空調の駆動音がさらさらと響いている。 ブリーフィングルームの静寂を打ち破ったのは、けたたましい音だった。 リベリスタの一人が、机に拳をたたきつけたのである。 だが何事にもおびえがちな桃色の髪の少女は、瞳をモニタにずっと注いでいた。 「どうしても、助からねえのかよ」 「……はい」 少女の瞳に微かな暗い炎が揺らめいている。怒りだろうか、悲しみだろうか。 モニタの向こうでは、一人の少女が死に瀕していた。今や見るに耐えぬ状態ではあるが、元はごく普通の少女だったのだろう。 「皆さんに依頼するのは、あくまでフィクサードの撃破と、背後に潜む情報の収集です」 体中の水気を失ったような声で『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)は声を絞り出した。 桃色の髪の少女の言葉にリベリスタ達が呻く。エスターテは少女が助からないと言ったのだ。 哀れな少女の脳は既に萎縮し、内臓は機能不全に陥っている。状態の推測値はどれも酷いものだった。最早どんな手を施しても僅かな延命にしかならないのだと言う。 机上に散乱した情報の中には少女のプロフィールもあった。 大学二年生という年齢は、楽しい盛りだろう。家庭の事情からか、両親とは疎遠だったようだが、少々ハメを外して遊んだだけだ。そこを連れ去られたのだ。 あんまりではないだろうか。あの少女が何をしたというのだろう。 あの胸糞悪い連中は『はんぐれ』とでも呼べばいいのだろうか。その筋の人間ではないが、不良等という呼称では生ぬるすぎる。 そもそも彼等が裏野部を構成していると表現出来るかどうかは微妙な所である。仮にそうだとしても、末端も末端であろう。 裏野部の性質を考えれば、構成員を増強するどころか、隅々まで把握しているかさえ怪しいとも言える。 それでも人と人との糸は、どこかで確実に繋がっているはずだ。青年達が働いているようにも見えない。どこに金があるのだろう。 「トゥース・オン・ザ・トラジェディって、なんだこれ」 アーティファクトらしい。こんなものまでもっているというのか。こんな奴等が。どうにも不自然で気持ちが悪い。 「情報については、可能な限りでかまいません。最悪の場合……ゼロでも」 構いませんと少女は掠れた言葉を切る。 静謐を湛えるエメラルドの瞳が閉じられた。 アルブミン、グロブリン、リン酸塩をごく僅かに含有する暖かい透明な液体が零れ落ち、僅かに机上を湿らせた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年06月06日(水)23:39 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●Smells Like... そこは酷い臭いに満ちていた。 ブランド物のフレグランス、多種多様な酒の空き缶、空き瓶、タバコのヤニ。埃。オイルライターから染み出した揮発油。 物理的にはさほど強い臭いではないはずであり、神経質でなければ気づかない程度とも言えるのだが。 それでもなによりも生理的嫌悪を決定付けているのは、死と絶望的な戦いを続ける肉体が発する臭いだった。 横たわる瀕死の少女から発せられている臭いだった。 壊れかけたアコーディオンドアを境に、臭いものには蓋と言わんがばかりに。品性のかけらもない笑い声を立てているのは十名を越える青年達である。少女にこの世ならざる不幸をもたらしたのは、正に彼等であった。 そんな死臭漂うこの世の地獄に春風が迷い込むことは珍しい。 薄汚れた巨大ガレージの中で思い思いに腰掛けながら下衆な笑い声を上げる青年達は、突然の来客に顎を上げかけた。 刹那。手にした酒瓶もろとも霧に包まれる。彼等の視界を覆ったのは己自身の赤い血だ。 「貴方――」 傷を負う二名は未だ『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)が、どこに居るのかさえ認識出来ずに居る。 「――遅いわ」 ただ一人、幸運にも避け切ったフィクサードの名をコーヤという。 凍てつく声音で吐き捨てるように言い放つ少女は、続けざまに二撃目を見舞うが、矢張りよろめくようにコーヤだけがそれを避けきった。 あくまでまぐれだ。ソファから立ち上がれぬまま腕を滑らせ、仰け反るよう姿勢では格好はついていない。 コマ送りのコンマ二秒後、砕けるガラスが舞い上がり始めた最中、無数の白刃がフィクサード達を縦横無尽に切り刻む。 「貴方には当たりませんでしたね……」 お強いんですね――輝くガラス片に彩られた瑠璃色の亜麻の花弁が舞う。長い髪だ。どこか虚ろな瞳の奥に揺らめく光を押し隠すように『鏡操り人形』リンシード・フラックス(BNE002684)が薄く微笑んだ。 これまでコーヤ達には舌打ちする暇も与えられていない。勿論毛頭与えるつもりもない。彼女等の相手は罪もない少女へ心身共々暴虐と陵辱の限りを尽くした正真正銘の屑であるのだから。 かえってこれほど突き抜けた下衆で居てくれるほうが斬りやすい程である。 苦しんで苦しんで苦しんで死ね、下衆共――『赤猫』斎藤・なずな(BNE003076)が腕を伸ばす。 心中に渦巻く炎は煤けた金の腕輪に集約し、中空に巨大な紋様を描き出した。灼熱。揺らめく大気が爆炎に包まれる。 ここで四名のフィクサードの内、二名が早くも脱落した。そしてこれまた偶然にも吹き飛ぶ仲間に守られて、コーヤだけが無傷である。 爆炎に巻き込まれたのはフィクサードだけではない。振り返ることもなく青い影のように姿をかき消したリンシードとは対照的に、ルアは初速の瞬発力――速さを突き詰めた戦闘スタイルだ。 はんぐれフィクサード共とは比較にはならない高度な次元で、回避が得手とは言えない。直撃でこそないが、それなりの手傷ではある。 だがルアは仲間達に初めから告げていた事でもある。傷ついても構わなかった。 哀れな少女を助ける道を模索しながら、ついにたどり着けなかった桃色の髪の友人と、傷ついている被害者の少女を想えば、この程度どうということはない。 覚悟の裏には強い想いがあり、形にする策がある。コーヤの歯に埋め込まれた下衆なアーティファクトがもたらす幸運は有限だということを、リベリスタ達は知っていた。 だから出来る限り彼を動かすのだ。それにルアならば耐えられるという信頼がある。 「コナラァ!」 聞けば笑ってしまうかもしれない。青年達は語彙が乏しいタイプなのだろう。そんな彼等だったがここへ来てようやく声をあげることだけが出来た。 (同じ空気を吸っているということすら不快な存在達ね) だから―― 「私はこれから貴方達を人として見なさない」 半端者の悪事が最も下衆に見えるものだ。舞い降りた『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)が揚羽の刃を放つ。 今度もまた冗談のように、コーヤは避けてみせる。 「――害獣駆除を始めましょう」 避けられたことを気にするそぶりすら見せずに、糾華が言い放つ。カチリ。ただの威嚇に零れ落ちた幸運の欠片は可笑しみさえ誘う。 ソウはコーヤの前に立ちふさがる三名に雷撃を纏う爪を叩き込みたいところだったが、糾華が邪魔になり動けない。 とはいえ彼女がアークの実力者であるこは承知している。速やかな排除は望めなかった。 ならば――風を斬り裂く真空の刃が、ルアに突き刺さる。痛打は避けたが直撃だ。暖かい血が白く可憐な花を濡らす。とはいえルアの体力は未だ過半以上も残っている。 「コーヤ!」 ソウが声を張り上げた。狙いは何か。 ●Tooth on The Tragedy 「いいや」 部屋に視線を走らせながら『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)が不遜に否を唱えた。 「やっぱりこいつは大したことねえ。突入前に自分にかけた結界を破られたり、出血させられなきゃどうとでもなる」 ソウと呼ばれるフィクサードの少女がちらりと視線を送る。 「多くのフィクサードと戦ってきたこのオレ、焦燥院フツが言うんだから間違いねえ!」 ソウは知っている。ソウだけが知っている。たった今飛び込んできたリベリスタ達の中には、フツを始めとして名のある実力者が数多く混ざっていることを。 「南無三ッ――!」 フツが嘯く。フィクサード達は強烈な重みに声を途切れさせた。これを逃れたのはソウとコーヤだけである。 「言いたいことだろ。代わってやったぜ」 ガムテープが張られた皮のソファから立ち掛けた所で、再び腰を落とすはめになったコーヤは言葉の発せぬまま不恰好な鼻を赤黒く染める。 「そういうわけで、お前さんの相手はこのオレだ」 経なら後からいくらでも上げてやる。 「あの馬鹿ッ!」 ソウが叫ぶ。頭に血を昇らせたコーヤは強烈な踏み込みで鉄パイプを振るう。それは奇跡的な軌道を描き、先端を覆う螺子の針山がフツの胸板を引き裂いた。 赤い血が飛び散る。たがそれだけだ。結界も何もありはしない。小手先のブラフだ。コーヤはここで奇跡に頼り切った連撃の嵐で、絶対にルアを落としておくべきだった。だがこれでは最早それも適わない。 (……正直、初めてよ) 誰かを殺したいくらい憎く思ったのは―― 帯電した空気が張り詰めたイオン臭を放ち、コードが千切れたブラウン管のテレビがちかちかと明滅を始めた。獅子が咆哮するように『雷を宿す』鳴神・暁穂(BNE003659)の怒りが解き放たれる。 彼女は今日、初めて人を殺すつもりで殴ることを決意していた。 「あんたら全員……ブチのめしてやる!」 当然。許せるはずもない。たとえリベリスタでなくとも、それは正当な怒りだろう。法が裁けぬならば彼女等が執行するしかない。 少女の叫びと共に青白い雷光がフィクサード達を強かに打ち据える。カチリ。リベリスタ達の猛攻により幸運のカウントが一つ、また一つと減っていく。 「近づいて殴るしか能が無いの? おにーさん」 小さな身体に巨大な槍を携え『ティファレト』羽月・奏依(BNE003683)がふわりと微笑む。 狙いはコーヤを中心としたはんぐれ達だ。消す。こんなやつらはせいぜい苦しみぬくといい。 第六セフィラの凍れる笑みと共に、槍を這う闇の波動が一気に膨れ上がる。一転。放たれた瘴気の顎門はコーヤを含むろくでなし共に牙を突き立てる。再びカチリと、運命が磨り減る音がする。 リベリスタ達による圧倒的な猛攻の中で、巨大なガレージハウスの家具類はずたずたになり始めていた。 そろそろかなりの大事になってはきたが、平素近隣の住民を威圧する彼等の行いに加えて奏依が操る強力な結界があれば、部外者になど万に一つも近づかれることはないはずだ。 戦闘は万全の状態で順調に進んでいる。圧倒的優勢を確保したと言い換えてもいい。 それにしても――ルアの傷を一気に癒しながら『紡唄』葛葉 祈(BNE003735)は思わずにはいられない。 もう少し早く、気付いてあげる事が出来なかったのか、と。 (私と同い年で、本当なら楽しい盛りだったでしょうに。それなのに、彼らは……) 人を人とも思わぬ鬼畜の所業。それを命じたキャッチなる人物を彼女は絶対に許しはしない。 一撃見舞ってやりたい気持ちがないわけではないが、作戦も順調に進んでいる以上は彼女だけが果たせる役割もある。 各々武器を手にようやく動き始めたはんぐれ達の行動は、全てが遅かった。これで終わりだ。何もかも取り返しはつかない。 駆け出しフィクサード達の中で大まかな状況を理解出来ているのはソウだけだった。最も彼女すら、コーヤには無限の幸運がついていると信じている。 いや、そんな上手い話があるわけがないことは理解してはいるのだが。兎も角このろくでなしのはんぐれ達を彼女は友人だと認識していたが、そういう所には手出ししないのが彼女の生き方だ。 それにこんなものをどこから手に入れたのかまでは知らないが、少なくとも彼女の上司であるキャッチは何も言わなかった。 ●『人を殺すという事はそいつの全てを一生背負うという事』 彼等にその覚悟はあったのだろうか。 戦の趨勢が決されるまでの期間は余りに短かった。 はんぐれ達の決死の反撃に、いくらかのリベリスタ達が傷ついても、祈の癒しにより戦況は完全に安定している。 「この程度で済むと思わない事ね……」 流れるように構えられた拳の先に蒼雷が重い唸り声を上げ始める。 それでも怒りは止まない。こんな奴等をどれだけ殴ろうとも足りないだろうから。 ――絶ッ対、あんた達は許さない! ソウは糾華に凍てつく拳を打ち込むも、ただちにフツが打ち払ってしまう。 「ザコの証拠ね!」 「そんなモノの力を借りていい気になって、まるきり子供ね」 それからコーヤはみるみるうちに幸運の残滓をすり減らしていった。 「ちきショァーッ!!」 カチリ、カチリと刻まれる僅か15秒の針音と共に、忽然とその時は訪れた。 「ソレの力があって、わたし如き殺せないんじゃ話にならないわ」 雷を纏う拳刃がコーヤのみぞおちに叩き込まれる。赤い血が溢れる。 コーヤは信じられないものを目の当たりにした顔で、腹部を押さえた手の平の血を眺める。その顔は蒼白だ。されど致命傷ではない。 避けえるはずもない打撃だったのに、なぜかその一撃は見事に急所を外している。 再びなずなが放つ爆炎跳ねがコーヤの服を焼く。そのまま炎は一気に服全体を覆い始めた。 ソウが目を見開く。何が起こったというのだ。 結局、誰も知らなかったわけね――全てを悟った暁穂が吐き捨てる。 ルアの刃を転がるようにして避けようとしたのに、腕を伸ばしたコーヤの爪が全て削げ落ちる。リンシードの刃に、足がその機能を失う。 勿論リベリスタ達の殺意は確かなれど、必要以上になぶるつもりなどない、祈が息を呑んだ。 こんな連中と同じになどなりたくないから――彼女の仲間達は全力の攻撃をしている。なのにコーヤは倒れない。 身動き一つとれぬコーヤ自身は気づき始めていた。これが少女に行った仕打ちそのものであることを―― そして彼は最後の勝機を思い付く。雷撃がアーティファクトと共に歯を吹き飛ばした時、彼は確信した。これで不幸ともお別れなのだと。 なのに。終わらなかった。腹を打ちつけ、耳を失い、鼻を叩き潰され、身体を焼き焦がされ。全てが終わったときコーヤは死んだ。 斯くして。コーヤを集中攻撃した後に、残るはんぐれ達はソウを残して一掃される。 「天罰覿面。貴方達には地獄すら生温いわ」 一人立ち続けるソウが誇る回避を前に、リベリスタ達は思わぬ長期戦を余儀なくされた。しかしソウに逃げ場はない。何度か脱出を試みた彼女だったが全てを阻まれてしまっていた。 人質をとろうにもアコーディオンドアはリベリスタ達によって巧みに防がれている。 同じく眼前に立ちふさがり続ける糾華との壮絶な命の削りあいは、祈の癒しの前では余りに無力だった。それに敗北など糾華の誇りが許さない。 結局ソウは運命を従えてもリベリスタ達から逃れることが出来なかった。捻じ曲げることなど初めから出来ようはずもない。 ソウが膝を折る。腕を突く。既に彼女には震える力も残っていない。目の前の銀髪の少女を倒すことが出来ない。 乾いた音をたてて、細身の片手半剣がソウの首元に突き立つ。 「さぁ、死にたくなければさっさと吐いてください。貴方の上司と、どこで繋がったんですか?」 命が惜しいのだろうか。彼女はリベリスタ達に知る限りを吐いた。アーティファクトの出所は知らぬこと、キャッチは裏野部幹部直属の部下であること。 幹部は大層なお金持ちであるらしいということ。今回の試みは課された試験だったこと。リベリスタに見つからぬように、さもなければ勝つように―― それを突破出来れば多くを掴み取ることが出来たであろうこと。 そこまで述べ終えてソウの唇が震える。 「ありがとうございます……」 この期に及んで、目の前の女が感じているのが、ただの恥辱と怒りであることを悟った時、リンシードは微笑みながら瞳を閉じた。 一瞬で終わらせてあげます。剣が走り、何かが落ちる重い音が響いた。 彼女自身の過去から、理不尽に他人の日常を奪う人が許せなかったから。 ●『それでも悲劇を終わらせた痛みは、リベリスタ達全てのものであると――』 ルアが桃色の髪の少女を抱きしめる。彼女の肩が暖かく湿った。拭っても拭ってもあふれ出す涙だった。 あの時リベリスタ達に冷酷な現実を突きつけたフォーチュナは嗚咽していた。 きっと救う手段を一生懸命探していたのだろう。なにせあの時、彼女等に手渡された資料には72時間後の事まで書かれていたのだから。 それでも犠牲者を救うことが出来ないことを知った時、リベリスタ達に告げるとき、どんなに辛かったことだろう。 『エスターテちゃん……必ず、倒してくるよ』 脳裏によみがえるのは任務に赴く時の光景、投げかけた言葉だ。 こうして。蒼穹を思わせる澄み切ったネモフィラの瞳は、哀れな犠牲者とようやくの対面を果たした。 あんな人達のせいで。なぜ罪のない人が死なねばならないのだろうか。 小さな決意に秘められた涙の分まで、きちんと半分こにしたはずなのに。視界が霞んでよく見えない。 わざわざ言葉にするつもりなんてなかったけれど、友人はどうせ『見た』のだろうから。 彼女がこれから何をなすのか、そしてその後どうなるのか、分かってしまっているだろうから。 それでも友人は止めなかったから、全部が半分こずつになってしまっていた。 「あなたを助けに来たわ。もう大丈夫だからね」 暁穂が哀れな犠牲者の手を握る。まだほんの少しだけ暖かい。生きてはいる。 ……救ってあげられなくて、ごめんね。口には出さねど心中にぽつりと零れた言の葉。 ぼろぼろの携帯を拾い上げ、なずなは少女の手に握らせる。大事なものだったのだろう。 死に行くものに何をしてやれるかなど分からない。それでも少しでも、安心してくれるだろうか。 『たとえ幻でも、嘘を吐いてでも……私には分からない』 そっと少女の髪を撫で、硬く唇を結んだまま、なずなが立ち上がる。振り返りはしない。出来ない。 ……別に泣いてない。己に言い聞かせる。 祈がそっと膝を折り、少女を白い翼で包み込む。彼女の翼は飛び立つ為ではなく、その為にあるのだから。 閉じているのか、開いているのか。それすら定まらぬ虚ろな瞳は既に光を宿していなかった。もうすぐこの命は消えてしまうのだろう。 そっと抱き寄せると、余りに軽い。それでもただ悲しいだけの最後なんて彼女は絶対に許しはしなかった。 黒曜の瞳が少女を覗き込むと、浅く繰り返される呼吸は、弱いけれど深いものに変わった。 「おねぇちゃん、なにか悪い夢でもみたの?」 どうせならあんなことになった全ての記憶が消せればよかったと奏依は思うが、そこまでの威力はない。 だからそれまでの全ては、ただの悪夢だったことにした。今度は幸せな夢を見続けているように。と。 「もう大丈夫だから、ゆっくりおやすみ」 それはただのまやかしなのかもしれない。もしかしたら、御為倒しですらあるのかもしれない。 それに仮に人並みの意志力等が残っていれば、すぐにでも真実を突き止めてしまうのだろう。 だが、そんな力は少女には残されていなかった。だからこれでよかった。 フツは少女の魂を救うための準備を始めた。 (この夢が、少女が死んでからも……せめて成仏するまで続くようにな) もう怖くないよ。 だから――ゆっくり休んでいいよ。 腕が、指先が、唇が震えても、視界が揺らいでも、覚悟だけは出来ていた。 「おやすみなさい……」 かすれた声で呟く。 ルブミン、グロブリン、リン酸塩をごく僅かに含有する暖かく透明な液体が、冷え切った頬を撫で続けていた。 最後の相手はノーフェイスでも、フィクサードでも、アザーバイドでもなかった。 この日。その手で。 ルア・ホワイトは初めて『人』を殺した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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