●ミノタウロス 右腕を獣のそれと交換しながら、こんな妄想に耽ったことがある。 部屋(room)から一枚の壁を取り外したとしたら、それは已然として部屋だろうか。 おそらくは、部屋だろう。 ではもう一枚取り去ったら? それでも不足ならば更にもう一枚。 そして天井を……床を取り外した時、そこには空白(room)だけが残される。 部屋はいつそのアイデンティティを失ったのだろう。 部屋はどこから、部屋でなくなったのだろう。 たとえば僕は人間だ。だが右腕を獣と取り替えたら? 左腕を獣と取り替えたら? 両足を、臓腑を獣と取り替えたなら? 僕は何処まで僕でいられるのだろう。 アイデンティティの境界線。 それが知りたいから、ねぇ牡牛さん。僕と君の頭を交換してみないかい? ——ぐじゅり。 おぞましい切断と、冒涜的な結合の後で。 僕は『僕の身体だったもの』を引きずって蠢く、ミノタウロスの背を見送った。 ●テセウスの船 「皆さんは、ミノタウロス退治の神話をご存知でしょうか」 ブリーフィングルームに集ったリベリスタたちを前に、『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)はこう切り出した。 「アテナイ王テセウスはクレタ島の迷宮に挑み、そこに巣食う半人半牛の怪物『ミノタウロス』を退治しました。彼がその遠征に用いた船は、その偉業の証として長きにわたって保存されたと言われています。 しかし船は木造ですから、時を経れば当然朽ちてしまいます。 そこで人々はこの船に修復を繰り返し、新しい資材を継ぎ足しながら保存していきました。 すると長い年月の後、いつしかテセウスの船を構成していた木材は、全て新しいものへと入れ替わってしまったのです」 まるで子どもたちに童話を読み聴かせるように、和泉は語る。 「さて、少し考えてみて下さい。この『テセウスの船』は、彼らが保存したかった『テセウスの船』と同一でしょうか。 ……それとも、全くの別物に成り代わってしまったのでしょうか」 「…………」 戸惑い、沈黙するリベリスタたちに、和泉は柔らかく微笑んだ。 「……少し、意地悪な質問でしたね。この問いに絶対の正解は無いのですから。 しかし今回観測されたエリューションは、まさにそんなパラドックスを抱えた存在かもしれません。 ——作戦名『テセウスの船』。 これは当該エリューションの、その外見というよりもむしろ性質による命名です。 牛頭にパッチワークの身体を持つこのエリューションは如何なるエリューションタイプとも異なる……かといってアザーバイドでは有り得ない存在。『キマイラ』とでも仮称される彼らの類型に、既に遭遇したことのある方もいらっしゃることでしょう。 E・キマイラは人の手……おそらくは『六道』の手によって人為的に造り出された存在。 そしてその一角、『テセウスの船』は『ストックヤード』と呼ばれるもう一体のキマイラと恊働することによって、何度でも自らの肉体に『継ぎあてて』修復する能力を持ったエリューションです」 続いてディスプレイに示されたのは、空き地に築かれた庭園のようなものの航空写真。 「先日三高平郊外に設置された巨大迷路のアミューズメントパークですが、どうやらそれにも六道が絡んでいるようで。 『テセウスの船』が観測されたのがその最奥であるという事実は、決して偶然ではありえないでしょう。 50名ほどの一般人がこのオープニングイベントに招待されていますが…… 六道にとって、彼らは『餌』です。『テセウスの船』の為の。 そして私たちリベリスタを、おびき寄せる為の。 六道は彼らのキマイラとリベリスタを交戦させ、観察する心づもりのようですね。 ……しかし罠だと分かっていても、誰かを護る為なら飛び込んで行くのが。 そして打ち破るのが貴方がただと、私は信じています!」 和泉の力強い言葉に、リベリスタたちは頷きを返す。 「巨大迷路の狭く複雑な地形は、この作戦に多人数を以て挑むリベリスタ側にとってかえって不利に働くことが考えられます。 いかな万華鏡といえど、移動し続ける対象の位置をリアルタイムに捕捉してお伝えすることはできません。 複雑な迷宮も、相手にしてみれば勝手知ったる庭。背後や暗闇にはくれぐれも、お気をつけて」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:諧謔鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2012年06月03日(日)23:53 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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●魔物の臓腑 「……これもまた、アイデンティティの為せる業、でしょうか」 『リップ・ヴァン・ウィンクル』天船 ルカ(BNE002998)が感慨深げに見上げる視線の先には、天高く飛翔する『夢に見る鳥』カイ・ル・リース(BNE002059)の姿。その背には、ルカが授けた極彩色の翼が春の陽光を受け燦然と煌めいている。 『継ぎ足された』それは使用者の意図に従って、身体の延長として羽撃き。外付けされたアイデンティティの一部として繊細かつ強靭に機能する。 (人間の細胞だって絶えず入れ替わっているのですから、やはりアイデンティティなんてものは実体では無く現象なのでしょうね) それぞれに異なる翼を帯び、次々と飛び立つ仲間達を見送りながらルカはひとりごちる。 (……同じ継ぎ足された身体であっても、既に自己を放棄したテセウスの船は既に別の存在なのでしょう) 「透視遮断、か……」 リベリスタたちの導き手『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は短く浅い溜め息をつく。 想定内の事態とはいえ、視界がクリアであるに越した事はなかったのだが。 「仮設の迷路とはいえ、六道の者の手が入っているのだったな」 数度の羽撃きは、彼女の華奢な身体を速やかに上空へと持ち上げる。 神秘による透視能力は、無生物を見透かすことができない—— 三高平の建造物には、いくつかの方法によって透視を遮断する能力を備えているものが存在するが。 「く……こ、こいつは……!!」 侵入口付近の壁を破壊した『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)の表情に、僅かに動揺が走る。 六道のフィクサードにして研究員たちがこの迷宮の為に用いた透視遮断の方法は、どうやら考えうる限りで最悪のものであるようだった。 叩き潰された壁から飛沫いたものが、剣の柄を握る竜一の手を赤く濡らす。 生暖かさと粘り気、そして独特の鉄臭さを帯びたそれは、紛れも無く——生物の、鮮血であった。 種々の革醒物と生物の混合物。それをひとつの形にまとめあげる上で、必然的に発生する余ってしまった『端材』。 それを統べる自我を得られずに、ただ無為な生命力を迸らせるそれを。 六道の者たちは粉々に砕き、木片や石片を混ぜ込み、そしてもう一度成形した。 生物として在ることも、死者として朽ちることも叶わない、建材と肉の醜悪な混合物……。 生ける壁に囲まれたこの迷宮は喩えるならそう、 「怪物の臓腑か……」 竜一はぎり、と奥歯を噛んで両手の剣を握り直す。今は少しでも、この迷宮を斬り拓こうと。 肉壁を壊して進むその一歩ごとに背後に伸ばしてゆくアリアドネの糸は、本当の『赤い糸』の相手の元へと過たず帰り着くための約束。上空から見守る『彼女』の視線は、確かに竜一の背中を押し、彼は一歩、また一歩と獣の体内へと。 その臓腑に50の獲物と10の異物を捕らえた怪物の姿は、未だ見えず。 ●隠匿しえぬもの 「ユーヌ殿、こちらアナスタシアだよぅ。一般人、三組八名を確保ぉ〜。 誘導お願いねぇ」 「了解。そのまま直進してT字路をブロック3方面に右折。十字路に行き当たったらブロック6方面に再び右折してくれ。ほどなく竜一が拓いた通路に行き当たる筈だ」 『蜥蜴の嫁』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)からの通信に、ユーヌは手際よくルートを指示する。 アナスタシアから了解の声が返ると同時に、今度は『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)からの通信が届く。 「こちらミリィ。現在ブロック8にて一般人避難誘導中、前方にトンネルあり。安全確認をお願いします!」 「ブロック8の不可視エリアか……葬識!」 「はいはい、こちら俺様ちゃん。ブロック8の不可視エリア、オールクリアだよ〜」 ユーヌの鋭い問いかけに、サブナビゲーターの『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)は上機嫌に応える。 彼らの手元にある地図は、縦横に引かれたラインによって9の区画に分割されている。 葬識発案によるこの戦略は、ナビゲートにおける方向指示の効率を大いに向上させるものだ。ターゲットを捜索し、また遭遇した一般人を速やかに避難経路へと誘導する上で速やかな方向指示は欠かす事ができない。 「一般客は誘導に従って速やかに避難するのダ!!」 たとえ拡声器がなかったとしてもよく通るであろうカイの声が、迷宮中に響き渡る。 現在アナスタシア、ミリィ両名が誘導している者たちを合わせれば、すでに半分の一般人の安全が確保されていた。 悲鳴はおろか、巨躯を誇るはずの二体のキマイラの気配すら感ぜられず。迷宮はあまりにも静かだった。 避難は、このまま穏便に済むか――リベリスタたちがそう胸を撫で下ろしかけた時。 風向きが、変わった。 「——臭うな」 ユーヌは僅かに眉を顰める。 隠しようのない腐臭と、それに混じって血の臭い。 「ルカ、お前もこの臭気は感じているだろう。方角が分かるか」 「……おおよそブロック4の方角ですね」 猟犬の嗅覚を持ったルカが、ユーヌの通信に応える。 ブロック4の方角へは、まだ壁面破壊の手が及んでいない。だとすればこの血の臭いは。 (断末魔を上げる間もなく、屠られたか——) 「向こうには、小夜香と龍治それに……」 ブロック4へと向けられた双眼鏡の視界が、飛翔する狐の背中を捉える。 「注意しろ仁太。おそらくはお前が一番ターゲットに近い」 付近のメンバーと手分けをして索敵を行っていた『人生博徒』坂東・仁太(BNE002354)は、ユーヌの警告に気を引き締める。 目の前には、鬱蒼と茂る植え込みに覆われた植物のトンネル。全ブロックで最大の、深い闇。 (……デカイ図体や。ちっこい物陰には隠れられへんやろ) そう当たりをつけて探索を行っていた仁太の勘は裏付けられた。 トンネルに近づくにつれ、仁太の鼻にもその『臭い』は届く。 姿は未だ見えないが、果たして。仁太は闇の中の曲がり角に向かってコインを放る。 (——さて、表と出るか裏と出るか……) その答えが出る前に、赤い熱線がコインを飲み込んだ。 「……ビンゴぜよ!!」 闇の中から回折して襲い来る不意打ちのレーザーを、仁太は咄嗟に交わす。 かなり余裕を持った回避にも関わらず、熱の余波はその髭先をちりりと焦がした。 待ち伏せの失敗を悟り、怒り狂ったか。 地鳴りのような足音に続いて唾液と腐汁をまき散らす牛頭の怪物が、トンネルの壁面をその大角で抉りながら闇の奥から姿を現した。 類人猿のものとおぼしき右手、熊のものとおぼしき左手を濡らす血は、生ける壁が流した血か、それとも。 「ユーヌちゃん。こちら板東!! 目標を発見したぜよっ」 「……どちらだ」 「テセウス……」 応えようとした瞬間、闇の奥から射出された尖った骨塊が仁太の肩口を抉る。トンネルの屋根を破砕しながら、轟音とともに出現したのは巨大な肉塊だった。 「……いや、両方ぜよ!! 至急応援頼むで!!」 AFに向かって叫んだ仁太は、仲間との合流を果たす為に、壁の上に飛び乗って距離をとろうとするが。 うぐぉおぁあ"あ"あ"あ"っ この世の者ならぬ絶叫とともに投じられた漆黒の楔が、仁太の膝を後ろから射貫き。 彼をその場に縫い付ける。 「……くっ!?」 迫り来るテセウスの船は、仁太にむけてその顎をがぱりと開く。溢れ出す臭気。血まじりの唾液を滴らせる、草食獣らしからぬ尖った乱杭歯。 仁太もまた、エリューション化によって人外の存在へとその姿を変じてしまった者たちのひとりであったが。 (——それでも、それでもわしはわしぜよ) そして、これからも。 だが、彼の目の前の胡乱な両眼には、仁太のような確固たる意志が宿ってはいなかった。 ただ機械のように効率的に、目の前の仁太を消し飛ばそうとする。 怪物の口内に赤い熱源が収束するの見た仁太は覚悟を決める。 そしてその身を包んだ光は—— 「祝福よ、あれ!」 響く高らかな詠唱。 赤いレーザーの代わりに降り注いだ神聖なる白光は、仁太の足に突き刺さった楔を溶かし。 傷を塞がれた足は即座に地を蹴る。 一瞬前まで仁太が居た場所を熱線が打ち抜き、沸騰した土が蒸気を吹き上げる。 「板東さん、無事!?」 最短距離の壁をぶち抜いて現れた来栖・小夜香(BNE000038)が仁太の傍らに立つ。 「大丈夫や……ああ、おかげさんでな」 小夜香が放つ反撃の神気の間を、二体のキマイラはくぐり抜け。ふたりに向かって突進する。 しかし、小夜香に掴み掛かろうとしたテセウスの船の指先を、一筋の銃弾が弾き飛ばした。 射程距離の限界線からアイデンティティの境界線まで。この場においては意味の無い些事とばかりに易々と撃ち抜いてみせるのは、『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)。 片目の喪失は彼の距離感を失わせるどころか、元より鋭い獣の聴覚をかえって研ぎすませ。これまでと遜色ない……いや、くぐり抜けて来た修羅場の分だけ磨かれた射撃精度を龍治に与えていた。 報復とばかりに連続的に放たれた悪意の楔が、三人を同時に襲った。 重ね撃つように、ストックヤードも骨塊を撃ち出す。 本来全員で押さえ込まねばならない強大な物理火力。 「回復役の私が……ここで倒れるわけにはいかないわ!!」 脇腹に突き刺さった骨片を自らの手で気丈に抜き放ち、運命の炎を瞳に滾らせて立ち上がった小夜香は、再び強くクロスを握りしめる。 「福音よ、響け!!」 ブロック4で探索を行っていたメンバーが揃い、そして他のメンバーもユーヌの号令を受け集結しつつあった。 戦力的に不利な状況下ながら、三人は遠からぬ戦力の集結を頼んで、二体のエリューションを分断する好機が訪れるまで耐え忍ぶ。 ●集結 「葬識、目の前の壁の向こうに保護対象が数名。確保後ミリィに預けてお前は戦闘区域まで向かってくれ」 「はいはいりょーかい」 ナビゲートを行うユーヌの声に、若干の焦燥が混じる。 ただ一人この戦場の状況を俯瞰する彼女には、戦闘区域の苦境が視界に入っている。 だがリベリスタ9名に加え一般客たちのナビゲートを行わなければならない彼女に、戦闘行為に全力を傾けるだけの余裕はなかった。 ユーヌはもどかしさに歯がみする。 「おもしろアトラクション! 壁が破壊されまぁす」 葬識は壁の向こうの『誰かさん』に向けて高らかにそう宣言すると、暗黒の魔力を帯びた一刀で、目の前の壁を叩き潰す。 まさにアトラクションじみた、華美で豪奢な一撃。 生壁をぶち抜きその鮮血を浴びて恍惚に浸る殺人鬼の姿に、迷宮を覆うただならぬ雰囲気に怯えていた一般客たちは促されるまでもなくミリィの姿が見えた方へと一目散に逃げさっていった。 「あらあらー? 俺様ちゃん心外……」 さほど傷ついた様子も無く言うと、葬識はニヤリと唇の端を歪める。 そう、殺人鬼であることは……そういう存在だと看做されることこそが、彼のアイデンティティなのだから。 (アイデンティティなんて自分が思うものじゃあない。他人に作られる幻想さ) 「さぁて、君が君であるための概念を……殺しに行こう」 「うぉおおおおっ!! わしはまだ倒れんぜよぉっ!!」 ストックヤードの肉塊の下に飲まれた仁太だったが。 限界を超えて尚打ち続ける渾身の銃撃が、エリューションの巨躯を持ち上げる。 そんな仁太にとどめを刺そうとするテセウスの船の目の前に、躍り出たのは。 「醜悪な化け物メ!お前には美しいインコ成分が足りないのダ!」 カイの厚い胸板が、テセウスの船の一撃を受け止める。 そしてふたりの傷を、小夜香と合流したルカの二重の息吹が癒してゆく。 「見て下さい!! ストックヤードの核、露出しました!!」 小夜香の指差す先には、先程仁太がこじ開けた傷跡。 龍治はその僅かな隙間に、的確に銃弾を撃ち込んで行く。 ようやく回り始めたリベリスタたちの戦略。 「だが、もう一手足りない……!!」 ユーヌの危惧はそう、未だ二体のエリューションの分断が果たせないところにある。 葬識が繰り出す致命の一撃を、テセウスの船はストックヤードを盾に躱した。 巨大な肉壁の影に隠れるようにして、テセウスの船は傷ついた右腕の換装を終える。 「ちっ、これ以上回復されたら厄介ってやつじゃないの」 引き続き換装を続け、完全回復を図ろうとするテセウスの船を阻む者は—— 「オレが居るぜっ!!」 迷宮の壁を斬り拓き、血風の中からテセウスの船の間近へと躍り出たのは竜一。 振り抜かれる二刀は破壊的な一閃となり、怪物の巨躯を壁の向こうへと高々と弾き飛ばした。 すぐさま主を追おうとするストックヤードだったが。 その進行はぎしり、と骨の軋む音とともに阻まれる。龍治のトラップネストが、肉塊を完全に包み込んでいた。 分断の成功である。 「ユーヌ殿? こちらアナスタシア。今確保した分で、生きてる一般人の保護は完了だよぅ」 「了解した。それでは私も攻勢に移る!!」 ●リベリスタ反攻!! 竜一が浴びせる一太刀ごとに、テセウスの船は壁をぶち抜いて吹き飛んでゆく。 起き上がりざま、その無防備な懐に潜り込んだ葬識は鮮やかに剣を振り抜いた。 熊の左腕を鮮やかに斬り落として、ひゅう、と口笛を吹く。 一方でその表情には疲労の色が隠せない。 「今月働き過ぎだって、俺様ちゃん……」 「油断するなよ」 葬識に飛びかかろうとしていたテセウスの船の足元を、ユーヌの鴉が掬う。 無様に転倒した怪物を侮蔑の目で見下ろして、 「酷い腐臭だ。本体がこれでは、いくら継ぎ足そうと質を落とすだけだな」 そう吐き捨てる。 「子供が作ったガラクタの方がまだ鑑賞に耐える」 猛り狂ってユーヌへと向かおうとしたテセウスの船を、竜一がもう一度彼方へと吹き飛ばした。 「早く核を破壊するのダ!」 カイのヘビースマッシュが、ストックヤードの巨躯を持ち上げる。 核の露出箇所は腹の下。狙える場面は少ないが—— 「それだけの隙があれば、狙うには十分だ」 龍治の銃弾は、過たず黒曜石のような核に傷をつける。 そしてその傷に向かって、放たれる仁太のバウンティショットが、傷をヒビへと広げていった。 自らの危機を本能的に悟ったストックヤードは、なりふり構わず周囲に尖った骨塊や何らかの生物の爪のようなものをまき散らす。 全方位に射出されるそれは、狙いこそ定まらぬものの確実にリベリスタたちを傷つける 「やぶれかぶれですか……自己を放棄した現象の、末路ですね」 厚い回復によって即座にダメージを埋めるルカは、声なき獣の断末魔に嘆息する。 しかし、小夜香だけは目撃していた。 「……いいえ、今のはブラフです!! プロメースさん、気をつけて下さい!!」 幸いにして、まだ繋がっていたAFの通信に向かって小夜香は叫ぶ。 「これで、仕舞なのダッ!!」 カイが振り下ろす杖の一撃は、二人の銃撃によって既に崩壊寸前だった核を肉の上から完全に圧壊した。 肉の山が腐汁となって崩れ始めるのを見届けると、龍治と仁太は壁の上に飛び乗りテセウスの船の方へと向かう。 小夜香が見たものが事実なら、テセウスの船の抑えに向かった者たちが危険。 間に合うとすれば、彼らが放つ神速の銃弾以外には有り得なかった。 「おいおい、マジかよ……」 辟易する葬識らの目の前で、テセウスの船は左腕があった場所に黒光りする武骨な兵器を装着する。 ストックヤードが捨て身の手段で主に届けた最期の武器。 このアーティファクトにいかほどの威力があるかは分からないが、疲弊した状態でこの『切り札』を受ければ、おそらくは一網打尽だ。 この兵器の射程圏から一手で逃げ切ることは不可能。テセウスの船を抑えていた者たちは砲塔に背を向けることもできずにじり、と後ずさる。 がちり、という重い機械音とともに、死の砲弾が発射されようとした時だった。 重なり合った砲声はひとつ。赤く灼けた銃口から立ちのぼる砲煙はふたつ。 リベリスタたちを睨んでいた虚ろな砲口を、二筋の銃弾が真っ直ぐに射抜いた。 今まさに砲弾を発射せんとしていたアーティファクトの内部で、膨れ上がる熱量。 「皆、伏せろ――!!」 ユーヌはAFに向かって叫んだ。 ●決着 解き放たれようとしていたエネルギーの殆どをその内側に向けて暴走させたテセウスの船は、跡形も残さず蒸発した。 その延長された臓腑であった迷宮もまた、ぐずぐずと不快な臭気を上げながら溶け落ちてゆく。 『テセウスの船』がもたらされた経路を探ろうとしていた小夜香だったが、その痕跡もまた腐汁に混じって地面へと吸い込まれていった。 郊外の空き地であったこの場所には、おそらく向こう数年草の根も生えないだろう。 幸いなことに、テセウスの船の大爆発に巻き込まれて大きな傷を負った者はいなかった。 「結局さいごまで、奴の『意志』ってもんは感じ取れなかったな。 奴は『俺は俺だ』と言い張ることもできなかったんだ。 ——虚しい、生き物だな」 竜一の言葉が、リベリスタたちの気怠い疲労感を代弁する。 そこにあったのはひとつのアイデンティティを打ち砕くための『闘い』ではない。 悪意の迷宮を……単なる『物』を、破壊するための『作業』だった。 彼らの行為に報いがあったとすれば、それは—— 迷宮から救い出された小さな子供が、母親に肩を抱かれて遠くから手を振っていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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