● 少女は沈んでゆく夕日をのんびりと眺めていた。 暗くなる前に帰って来なさい、と母は言うけれど、この一本道を辿れば、家まではすぐだ。 それに、今日は友達のちかちゃんも一緒にいる。 「ゆーちゃん、早く帰ろうよぉ」 そのちかちゃんは、夕日を眺める少女を促して、赤いランドセルを揺らしているけれど。 ちかちゃんは、怖いんだ。 怖がりの友達をからかうように、彼女に背を向けたまま少女は笑った。 この道は、危ない、と老人達が口を酸っぱくして何度も言う「怖い場所」だった。 怖いと言ったって、子どもが天狗に攫われたとか、神隠しにあったとか、昔話みたいな怖い話だ。 夕方は魔の通る時間だから、この道は通ったらいけない。 祖母も真面目な顔で言っていたけれど、近道なんだから、良いじゃないか。 「ゆーちゃぁん!」 少し泣きそうな友達に、笑って振り向いて、わかった帰ろう、と少女は言うつもりだった。 怖がりなんだから、と、そう言って、笑うつもりで、振り返った。 少女の振り向く素振りに、友達が安堵の息を吐く。 そんな2人の少女の間を、ぬるり、とぬめった風が、通り過ぎた。 少女達の手を、撫でるようにゆっくりと。 「え?」 少女は瞠目する。 振り返った先に居たこの子は誰だ?いや、これは、なんだ? 知らない人が、わからないものが隣にいる。 嫌だ。いやだ。怖い。恐い。こわい。こわい! 「「来ないで!!」」 少女2人はほとんど同時にそう叫ぶと、力一杯細い腕を突き出して互いを突き飛ばした。 どん、と道の両端に尻餅をついて、その痛みに目を瞑る。 次に目を開いた時、目の前にいたのはいつもと変わらぬ友達だった。 「あ、あれぇ? ゆーちゃん? ……あれぇ?」 なんだかとっても、怖いものを見た気がしたのに、とちかちゃんが身を震わせて、少女も顔色を白くした。 確かに、確かに振り向いたあの瞬間、そこに居たのは友達ではなかった。 何かもっと大きくて、知らないひと、知らないもの。 それが手を伸ばしてくるような、捕まったら逃げられないような、そういう――。 「ちかちゃん、早く帰ろう!」 急いで立ち上がり、へたりこむ友達の手を引き強引に歩き出す。 駆け足で去っていく少女達の背後で、朱色の着物がゆらりと揺れて、夕焼けの中で霞んで消えた。 ● 「混乱と恐怖を振りまく隙間風を3体、退治してほしい」 資料にあるE・フォースを、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はそう称した。 「夕方、この田舎道を2人以上で歩いていると現れるわ。人の間をすり抜けるみたいにして」 するりと滑り込むように、その風は吹くという。 「これに触れられると、一般人は極度の混乱・恐慌状態に陥って、隣にいる人を認識出来なくなる。 知らない人が突然横に現れた……心境としては、そんな所」 見ず知らずの他人が突然隣に出現したら、確かにそれは怖いだろう。 「元々人の少ない田舎だし、通る人も少ないから、実被害としては小学生の怖い話のタネになるか、喧嘩の元になるくらい」 ――今は。 フェーズが進行し混乱や恐怖の付与範囲が広がるかもしれない事を考えると、現段階で止めておかなくては。 リベリスタの言葉に、イヴは、こくん、と一つ頷いた。 そして、思い出した、とばかりに付け足す。 「一般人には極度の混乱と恐慌。 あなた達にも、多少は状態異常の危険があるから、出来るだけ触れられないようにしてね」 してね、と言われても、相手がイヴ曰く隙間風では、隙間を無くすのは難しい。 困惑を顔に出したリベリスタに、イヴは事も無げに告げた。 「大丈夫。E・フォースがまず最初に撫でていくのは、対象の手だけ」 つまり、手を守れば、出会い頭の状態異常を防げる、と。 「そう、でも、ポケットに入れるとか、手袋なんかでは、無駄」 そういった普通の防御方法ではE・フォースからは逃げられない。 だから。 「手を繋いで」 真面目な顔で、イヴはそう言った。 「勿論、手を繋いだまま戦えなんて言わないわ。最初だけ。 誰かと手を繋いでいる相手を、E・フォースは触れない。 手を離すタイミングを狙って周りには現れるから、その隙を狙って」 つまり、敵の姿を捕捉するまでは手を繋いでいろという事か。 思わず己の手と集まった面々を見比べるリベリスタを余所に、イヴは画面に映された夕景を見て目を細めた。 「……昔、この辺りは人攫いの出る場所だったんだって」 今からは遠い昔の事、その道では確かに「神隠し」があった。 天狗でも神でもなく、紛れもなく人の手によって。 「田舎の農家の、貧しい家の子なら親も一生懸命には探さない。探しても限界がある」 人を売り買いするような連中はそれを知っていて、田舎のその道で、幼い子どもを狙って攫った。 「E・フォースに触れられた人達は、皆同じような恐怖感を味わう。 知らない人が隣にいる。知らないものが横に立っている。それが手を伸ばしてくる。捕まえられる」 きっとそれは子ども達の感じた恐怖で、E・フォースの元は積み重なった子どもらの思念だろうと、イヴは言って己の小さな手を見つめた。 お願い、誰か、手を繋いでいて。 どこにも、連れて行かれないように、どうか……どうか。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:十色 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年05月23日(水)22:23 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● なんだか、すごく懐かしい感じがする。 降りてくる朱色の陽光を受けて道を歩みながら、『フラッシュ』ルーク・J・シューマッハ(BNE003542)は眩しさとは別の理由で目を細めた。 友達と並んで歩く、帰路。笑い声。笑顔。また明日ねと、手を振って――。 この場所に潜む「彼女達」も、そんな風に友達と遊んで、この道を駆けて笑ったのだろうか。 資料で見た彼女達の幼い姿を思い出し、ルークは次々に湧いてくる感傷を振り切るように、一瞬だけ強く目を閉じた。 「ル ク様」 ルークの微かに零した感傷を、『不視刀』大吟醸 鬼崩(BNE001865)は敏感に拾い上げる。 彼の胸に過ぎった彼女達への想いは、多分、鬼崩の抱くものと似ていた。 隣に立つ誰かが、伸びてくる知らない手が怖くて、拒絶して、でも掴んでいてほしくて。 そんな闇に囚われた彼女達を、救う事は出来るのだろうか。 誰かに赤い布で塞がれた両目を、ふと脳裏に思い浮かべる。 丁度、その時。 ―――ぺた。ぺた。 素足がアスファルトを踏んで歩く音が、すぐ背後から聞こえた。 手を繋ぐ鬼崩の手に、骨ばった冷たい指先が、触れた。 手を繋いでいる対象に、E・フォースは干渉出来ない。干渉出来ないからこそ、繋がれない手が悲しくて、恨めしくて、繋がれた相手の手が妬ましくて、苦しくて、握られた手に触れる。 どこにも繋がっていない自分の手を、確かめては嘆くように。 瞬間、幾重にも重なった子どもの声が、鬼崩に届く。鼓膜を震わせて、ではなく、束の間触れた指先、肌を伝って。 怖い。恐い。こわい。コワイ。嫌だ。いやだ。イヤ。――誰か。 それは泣き声であり、悲鳴であり、怒声であり、恨みであり、呪いであり――懇願だった。 「――ひっ」 思わず微かな声を零した鬼崩の反対の手を、『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)が強く握る。 背後の彼女達に気取られないよう、声は出さず、しかし確かな気持ちを込めて。 大丈夫、一人じゃない。皆がいるから。 そう言い聞かせるように固く握ったミリィの手を、鬼崩がゆるりと握り返した。 ―――ぺたん。ぺた。ぺたん。 軽い足音は、振り返らずとも確かに子どもの姿を連想させて、『咆え猛る紅き牙』結城・宗一(BNE002873)は小さく嘆息した。 (全く、可愛らしい悪戯の範囲で収まれば良かったのに) 最も、例えば悪戯の範囲で収まったとしても、エリューションである限りは放置する事など出来ないのだが。 日頃のエリューション討伐を思い出しかけて、宗一は咄嗟に思考を切り替える。 切り替えた脳内の議題は、手を繋ぐのが他の誰かだったら……という、やはり例えばの話だ。 (別に誰と繋ごうと、特に何も気にしないと思ったが……) もしも彼女と手を繋いだら、少しギクシャクするかもしれない、と一人の少女を思い浮かべる。 (お互いに、照れてしまいそうだな) 普段剣を握る彼女の細い手と自分の手を繋いだ様を想像して、宗一は苦笑した。 (……俺は、何を考えてるんだか) 『宗一くん、女の子と手を繋いで、にやけたりしないでよ?』 頭の中を覗いたかのようなタイミングでハイテレパスを飛ばしてきたのは、『食堂の看板娘』衛守 凪沙(BNE001545)だ。 けれど、投げてよこした台詞は凪沙のものではない。これは……。 『……って、言いたそうにしてる人がこっちにいるよ』 道の始めで待機しつつ、手を繋いで歩く4人を見守っていた凪沙は、テレパスを続行しながら、にこっと笑う。 笑みを向けられた先には、『禍を斬る剣の道』絢堂・霧香(BNE000618)がいる。 「あたしはそんな……!」 それから先は否定も出来ず、もごもごと口の中でだけ反論をする霧香に再び笑いかけた後、凪沙は表情を引き締めた。 「囮役の人達の後ろ、もうE・フォースが来てる。そろそろ追いかけよう!」 そう凪沙が声を掛ける頃には、霧香はすっかり凛々しい普段の彼女の雰囲気に戻っている。 念の為に、襲われないようにしよう、と『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)と繋いでいた手を、凪沙は一度強く握ってから離した。 握り締める凪沙の手に応えてから指を解いた後、アンジェリカはぬくもりと離れたばかりの自分の手を見下ろす。 アンジェリカには、赤い布で世界を奪われたあの子達の気持ちが、解るような気がする。 だから。 「行こう」 霧香が道の先を鋭い目で見据えながら言い、アンジェリカも頷いて、あの子達が待っている、夕日に染まった道の向こうを見た。 手を離された寂しさ。握る手の無い怖さ。アンジェリカは知っている。 だから、倒さなければならなくても、せめて、その寂しさを受け止めてあげたかった。 ● 夕景が色濃くなってきた。 黄昏は誰そ彼。親しき隣人のわからなくなる時刻。 (帰り道が分からなくなる前に、私もきちんと帰りたいところだね) こちらへ歩いてくる囮役の4人と、その背後にちらちらと見える朱色の着物を視認して、『そまるゆびさき』土御門 佐助(BNE003732)は周囲に結界を展開する。 佐助は人の手が好きである。創る事も触れる事も、壊す事も出来るから。 そうして、自分の手で何かを作ることが、一番好きなのだ。 (さあ、きょう私の手は、何を作ってくれるだろう) ひっそりと微笑む佐助の待つ道の終点へ、手を繋いだ四人がいくらか早足にやって来る。背中に、夕焼けに溶けるような朱の着物の子どもを三人引き連れて。 四人で繋いでいた手を、最初に離したのは鬼崩だった。 ふわりと立ち止まり振り向いた標的に、ざわりと揺れて後退の素振りを見せたE・フォースを、ミリィの声が繋ぎ止める。 「よろしいのですか? 求める手は、此処にありますよ」 軽く両腕を広げ、ミリィは華奢な掌を晒す。 無防備なミリィの言動は、思考など当の昔に溶けて崩れてしまった彼女達には、ついさっきまで誰かと繋がっていた手を見せつけたように見えたのかもしれなかった。 E・フォース達が一様にミリィを向く。 その隙に、鬼崩がきこへと足を向ける。 今度はE・フォース達も揺らがない事を確認して、ミリィは鬼崩の背に言葉を掛けた。 「無理はしないで下さい。貴女は一人ではないのだから」 歩みを止めないまま、鬼崩が微かに、小さく頷いた気がした。 未だミリィに視線を集める三体の背後から、駆けてくる霧香達の姿を見て、ミリィは開戦を告げる。 「任務開始。さぁ、戦場を奏でましょう。――笑顔を取り戻すその為に」 凛とした声に応え、駆け付けたアンジェリカの体から陽炎の如く赤いゆらめきが溢れ出す。零れる赤は空に立ち上り、やがて赤い月を形作って空に君臨する。 落ちていく陽の光とは違う、見る者の生命を奪うような赤い月の光に、三体が低く呻いた。 「―――っ」 自らが作り出した月に苦しむE・フォースを見つめていたアンジェリカの瞳から雫が零れる。 赤い月より尚赤く、暗い布で覆われた目が、口が、幼い彼女達の姿が、アンジェリカの心を締め付ける。 しかし、それでも、倒さなければならない――救いたいのならば。 一筋だけ透明な雫を流した後、アンジェリカの目に迷いは無かった。 強い目で前を見るアンジェリカを、ゆらりと態勢を変えたみこが塞がれた目で睨む。 しかし、波打つ腕がアンジェリカに伸ばされるより早く、霧香の切っ先がみこの腕を断つ。 「あなたの相手はあたし。余所見させないよ?」 塞がれていないみこの唇から、悲鳴のようなか細く甲高い音が伸びた。 子どもの泣き声、あるいは断末魔。 いずれにせよ気持ちの良いものではないそれを耳に受けて眉をひそめながらも、霧香の流れるような斬撃は止まらない。 アンジェリカと霧香の攻撃に、言葉は発せずとも動揺した気配のE・フォースの間を、凪沙が駆け抜ける。 風が間を吹き抜けたと知覚した次の瞬間には、体を貫く雷の衝撃と共に、優美にすら見える拳と蹴りが三体を捕らえていた。 「あたしの事も忘れちゃ嫌だよ」 快活に言った凪沙の声の後、ルークが動く。 極度にまで高めた集中を用いて、駆け寄り手を伸ばした先には、みこ。 ルークの手はみこの腕達を掻い潜り――目を塞ぐ、赤い布に触れた。 「もう、怖がらなくていいんだよ」 苦しい想いを込めたルークの指先に触れて、みこの目を被っていた布が風化し崩れ去る。 塵と化して流れていった布の、向こう側にあったのは、空洞だった。 眼窩に眼球は無い。ぽっかりと黒い穴があるばかりである。 故に、外の光など見えるはずはない。しかしみこは眩しげに複数の腕を用いて顔を被った。 余った腕が、暗闇ばかりを湛えた眼窩に息を呑むルークを突き飛ばす。 明確な拒絶の意を持って弾かれ、それでもルークは踏み止まる。 「オレの名前は、ルーク。……一緒に、帰ろう?」 繰り返される柔らかい言葉に、空っぽのみこの目が、目の奥のどこかが、揺れた、気がした。 けれど、それも束の間。 「惜しかった、な!」 みこに対峙するルークを横から狙ったきこの腕を、宗一が闘気を込めた一刀の下に叩き斬る。 手の先を失った真っ白い腕の群れが、さながら蛇のようにうねって後退していった。 「やっぱり、言葉じゃ無理か」 「……うん、でも――」 宗一の問いに頷きながら、ルークは手にしたナイフを握り直す。 言葉だけでは、届かない。だから、この意志を、刃に乗せて。 「大丈夫」 この子達を縛り付ける鎖を、断ち切るんだ。 決意の光を浮かべるルークの瞳の中で、腕を切り落とされたいこがじりじりと後退りを始めた。 それを佐助の紡ぐ呪印が封じる。 「こんな攻撃をするのは、少しばかり気が引けるねえ」 穏やかに言いながらも、何重にも展開された印は暴れるいこを逃してくれる気配が微塵も無い。 動きを封じられ、低く、高く呻くいこに構わず、みこが錯乱したように無数の腕をばらばらに伸ばし、周辺にいる人間へと爪を走らせる。 ルークや宗一、霧香、前衛達の皮膚を掠めて傷を付けた腕がみこの袖に戻るより早く、ミリィの投げたダガ-がみこの懐へと滑り込むように刃を走らせた。 静かに走った刃と同様に、みこが、声も漏らさずその場に崩れ落ちる。 佐助の呪印によって自由に動けないきこが、同じく地面に倒れ伏したのは、みこより数分だけ遅れての事だった。 ● みこが崩れても、いこが倒れても、きこは揺らぐ気配を見せなかった。 「き 様」 「 こ様」 「きこ 」 まるで全てを諦めているかのようだ。 微かな、しかし精一杯の声で呼び掛け続ける鬼崩の目には、そう映る。 淡々と、うねる腕を鞭のように振るって、声を張り上げる鬼崩の体を突き飛ばし、見えぬ糸で縛り付けるアンジェリカを引っかき、打つ。 アンジェリカの気糸に縛られ動きを鈍くしていたものの、淡々と繰り返される腕の群の攻撃に、鬼崩もアンジェリカも無傷とはいかない。 それでも、鬼崩は、幼い彼女の手をとりたいと、願う。 厚かましいかもしれない、迷惑かもしれない、だけど――孤独には、させない。 その一心が、鬼崩を突き動かす。 「鬼崩さん、それ以上は危険です!」 アンジェリカの声の通り、きこに攻撃らしい攻撃をせず、ひたすら伸ばされる手を掴まんとする鬼崩が負った傷は多かった。 それは、きこも同じようだったが。 あ ぁ あ。 猿轡の奥から、呻く声が聞こえる。みこといこを倒し、きこへと集まってきた仲間の足も止まった。 が、漏れ出た声は一瞬で、きこはすぐに口を噤む。 怯えるように、堪えるように止まったきこの叫びに、佐助が呟く。 「君達は、君は、怒って泣いて、いいんだよ。 悲しかった?怖かった? そう。 それじゃあそろそろ、本当に安らかになろうね」 徐々に落ちてくる夕闇の幕のように静かな声に、静まりかけたきこの声が、爆ぜる。 ぅ あ ぁ ぁああああああああああああ! 獣の咆哮のようだと評するには、みこの叫びには悲嘆の色が濃すぎた。 少女の声。少年の声。子どもの声。赤子の声。全部が絡まり、もつれ、溶けて濁った叫び声が、夜を降ろしかけている空に響く。 そして、耳を貫く叫び声と共に現れるには不似合いな程の静かさで、一本の腕が何かに縋るように、そっと、伸ばされた。 「きこ様」 呟かれた名を追い、真白い腕が鬼崩へ伸びる。一目見て子どものそれとわかる、小さくて、柔くて、頼りの無い手。 血の気の無いそれを、鬼崩の手が確かに、握り締めた。 「―――っぅ」 途端、脳を襲うのは恐怖。混乱。恐慌。悲嘆。憤怒。それから諦観。 やめて。もう泣かないから、目を取らないで。 やめて。もう喚かないから、歯を取らないで。 やめて。もう、諦めるから、から、から、から。 怖い。手の。伸ばす。隣に。知らない。 誰。誰。だれ。ダレ。 あなたは、だぁれ? 「鬼崩さん!」 声も上げずに震えた鬼崩の名を呼んだのは、アンジェリカ。駆け寄り、鬼崩と共にきこの伸ばした手に触れる。 流れ込む恐怖は同じで、しかし、触れた手が増えた分分散でもされるのか、アンジェリカの顔も、鬼崩の顔も、先刻よりは幾分ましに見えた。 それでも自然と食いしばった歯は、伸べられたルークの手と共に緩む。 「どこにも、連れてなんかいかせない」 この手を離さない。そう言わんばかりに、ルークの手がか細い幼子の腕に強く触れた。 きこの唇から、咆哮が止む。 「怖いものも全部、斬ってあげるからね」 雪崩のようなE・フォースの感情の奔流に流されないよう、引き締めた意識を表すように真っ直ぐな声で、霧香が言い、手を伸ばす。 きこに触れている全員に滑り込んでいた流れが、止まった。 「……かえりましょう?」 鬼崩の声が、静かな落日の風景の中、落とされる。 きこが動かないのを確認して、アンジェリカが繋いでいない方の手できこを指す。 「ごめん、ごめんね、ボク達は君を倒さないといけないんだ……。でも、この手は離さない、絶対に……」 触れた手に力を込め、意識を集中する。 約束するよ。最後まで決して、離さない。 アンジェリカの放った死の爆弾がきこに触れ、散った。 ● 鬼崩が、アンジェリカが、ルークが、霧香が触れた白い腕が、空気に溶けるように消えていく。 解けていく子どもの腕の元を視線で辿れば、きこの目と口を被っていた赤い布が、音も無く解けて落ちていた。 解けた布の向こう側で、可愛らしい顔立ちの女の子が、笑う。 「あ」 ミリィが思わず声を上げた。 気が付けば、きこの後ろには同じ着物を着た女の子が2人、やはり微笑みながら立っていた。その手足はまろい子どもの四肢そのもので、微笑む顔には愛嬌のある瞳も、ふっくらとした唇には綺麗な歯も見える。 「いこ、と、みこ?」 ルークが言い終える前に、夕日が完全に沈んだ。 僅かに残っていた残光も、ちりちりと山の端を焦がしながら消えていく。 去っていく夕焼けと一緒に、子ども達の姿も、陽炎のように消えた。 姿の見えない子ども達の代わりに、温かな風が全員の間を吹き抜ける。 リベリスタ達の手を、慈しんで撫でるように、優しく。 やがて風は止み、空には星の瞬く夜がやってくる。 「ちゃんと手を握ってやれた……って事、かな」 微笑む子ども達の顔を思い出し、少々くすぐったい気持ちになりながら、宗一が帰路へと足を向ける。 と、歩む足を一旦止めて、傍に居た霧香に目を向けた。 「霧香もお疲れさん、帰ろうぜ。何か食べて行くか?」 誘われた霧香は、こくこくと頷き宗一の横について歩く。 隣に立って歩く宗一の手をちらりと見やり、自分の手を、さりげなく近づけて――やめた。 まだ恥ずかしくて出来る事ではない。今は、隣を歩けるだけでいい。 そんな霧香の手に、 (……流石に手はつなげないかね) 距離を測りかねる宗一の手が偶然軽く触れた後は……どうなったか、2人のみが知る事である。 ぎこちなく帰路につく2人の背後では、アンジェリカの歌声が響いていた。 唇に鎮魂の調べを乗せる少女の頬には、涙が伝っている。 それをそっと拭ったアンジェリカの手を、凪沙が握る。 「さ、帰ってお菓子食べよ」 明るく笑う凪沙に、彼女の手の暖かさに、アンジェリカはふと気付く。 (今のボクは、一人じゃない) 手を繋いでくれる友達がいる事に。 温もりを繋いで微笑んだのは、アンジェリカばかりではなかった。 「闇は晴れたので ょうか」 己の手を見つめ呟くのは鬼崩。 きこの手を確かに握った、手。 あの子は、確かに、 「笑っていましたよ」 ありがとうと、笑っていた。 鬼崩に柔らかくそう告げて、言葉と同じくらいにやんわりと、ミリィが鬼崩の手を握る。 最後に触れた、子ども達の温度。今触れた、ミリィの体温。 「そ ですか」 ほろりと、鬼崩も微笑んだ。 やがてリベリスタ達の全員が、夕暮れの怪から解かれた道を後にする頃、ルークは1人、道の始まりに佇んで、見えない手を握り返すように、手を握った。 またね。 ばいばい。 また、あした、ね。 ――さよなら。ばいばい。やさしいてを、ありがとう。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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