● 少年は逃げていた。 暗い森の中を。纏う衣服は既にぼろぼろで、その原形を留めてはいない。また血に塗れていた。 ――何故逃げなければならないのか。 分からない。強いて言うならば、追われているからだ。 奴らは刀槍を携えていた。警告もなく出会い頭にそれを振るって来た。 その目的が自分を殺すことにあるのは明白だろう。何かを奪おうという意図も見えなかった。 そんな、馬鹿な、と思う。 おれは殺されるような事をした覚えは無い。 たとえどんな理由があったとしても、そんな事を受け入れるつもりもない。 だから仕方なく、追ってくる奴らの数人を『返り討ちにした』。 でもそれは、仕方のない事だろう。だって奴らはおれを殺そうとしているんだから。 少年の服に付いている血はその殆どが返り血だった。 少年と追手の戦いは半日にも及び、強い雨を挟んで唐突に晴れた夜空にはやけに大きな月があった。 何故、少年は今も生き延びているのか。 それを考えるには彼の思考は混乱し果て、また変わり果てていた。 ● 「さて……依頼よ」 『硝子の城壁』八重垣・泪(nBNE000221)はいつも通りにそう告げる。 「依頼内容はノーフェイス1体の撃破。フェーズは2……だけど革醒からまだ半日程度なのよね」 「随分進行が早いな」 一人のリベリスタが口を開く。泪は肯いて、先を続けた。 「万華鏡(カレイド・システム)による検知はもっと前だったんだけど。別組織のリベリスタが向かったって事で、本来はそちらが処理してくれる筈だったのよ。でも、まさかの逃亡を許し、追撃が長引くうちに彼らには手に余るようになってしまった、というわけ。……ごめんなさいね、何だか尻拭いみたいな仕事で」 「それは構わないが……、何かあるのか? その、別のリベリスタが討伐に失敗した理由が」 「ま、とりあえず。そのノーフェイスの姿をまずは見てほしいわ」 言って、泪は端末を操作する。 モニターに映し出された映像を見て、リベリスタ達は思い思いの表情を浮かべた。 「……識別名『人狼』。フェイトを得ていればビーストハーフになる筈だったんでしょうね」 月明かりに照らされたその姿は、まさに直立した黒狼である。 獣化部位70%ほどか。骨格は人のそれだが恐ろしく筋肉質。かつての名残と言えば身体に纏い付く血に塗れた衣服の残骸、それだけだろう。少年という話ではあったが、その面影を見ることは出来ない。 「特筆すべきは俊敏性・攻撃力もそうだけれど、麻痺への耐性とかなりの再生能力を備えていること。基本的に応戦するよりは逃げを打つという事もあって、仕留めるのはなかなかに難しいわ」 なるほど、とリベリスタは唸る。初撃で殺し切れずそのまま――といった所か。 「……説得は通じるのか?」 「正面からのそれは難しいと言わざるを得ないわね。……『騙す』なら、有効かも」 他には、怯えから視野はだいぶ狭くなっていること。迎撃の態勢を取ったときを除き、周囲への警戒はかなり甘いだろうことを泪は有益な情報としてリベリスタに告げていた。 「それじゃ、お願い。今夜中にこのノーフェイスを仕留めて」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:RM | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年05月17日(木)23:51 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 森は静かだった。 時折濡れた風が吹く時を除き、音もなく静まり返っている。 だが、此処には今、狩人の手より逃れんと彷徨う獣が居るのだ。そう思えばその荒く怯えをやどした息遣いさえ聞こえて来るようで、『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は軽く頭を振る。 ――違う。"それ"は獣じゃない。 私が、私達がこれから殺すのは、化物じゃない。紛れも無い人間だ。 「人狼、ですか。故郷でも有名なものですが……今回は月に狂ってはいないようだ」 呟くアルフォンソ・フェルナンテ(BNE003792)。そう、革醒からさほどの時が経っていないという事もあるのだろうか。此度の標的――『人狼』は、その容姿に反して思考は未だ、人らしさを残していた。 それだけに、普通の人間に対するような感情を抱きそうになる。 『セール・ティラユール』草臥 木蓮(BNE002229)は微かな苦笑いを浮かべ、そして口を開いていた。 「作戦は、助けるって騙して待ち伏せ場所まで誘い込み、倒す……って事でいいんだな?」 無言で肯く『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)。だが彼は僅かな間を置いて「そうだ」と答える。 その手段を、誰に示唆されるでもなく自ら選んだ事を、再度噛み締めるかのように。 「……へぇ」 笑いを漏らす『三高平の狂拳』宮部乃宮 火車(BNE001845)。 新城の成長か、変化か。それを面白がる――それが半分。もう半分は――敵は敵、だろうに、と。 たられば話に意味は無い。そいつは運命を得られなかった、それで話は仕舞いだ。 「尻拭いだろうが構いやしねぇよ、世界の、オレの敵を撃滅させてくれんならさ……」 『節制なる癒し手』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)と共に中央を歩みながら、火車は暗い木立の先を見据える。だが、それに僅かに遅れて続きながら、表情に諦め切れないものをのぞかせた者が一人。 『闇狩人』四門 零二(BNE001044)は天を仰いでいた。そこに浮かぶ、普段より輝きを増した月を。 いつまでこの連鎖は続くのか。 『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)は、そう心中に問うていた。 望まぬ内に理から外れ、訳も分からぬ内に大きな未知の理由で狩られる。 ――それはまるで病だ。 そう思う、このエリューション化というものは。治療法の分からぬ病を呪いと呼んで切断、隔離、焼却したのと同じように、運命の寵愛を得られなかった者に対して、我々は殺す以外の術を未だ知らない。 だが、いつか。人の知恵が、この理不尽を憎む思いが、それらを打ち砕き新たな理を築く日が来る。 彼はそう信じていた。 そしてその日まで、誰かの代わりにこの手を汚すのだと。 ● 「……ッ!」 目を血走らせ、ゆっくりとこれまで逃げて来た道を戻る『人狼』。 彼は森の中を切り裂く懐中電灯の光を見ていた。 「まだ来やがるのか……」 毒づきながら、しかし微かに安堵したように、その場に屈む。 光の揺れようからして大した警戒はしていない。最後の接触から結構な時間が経っていた、緊張感もゆるむ頃だろう。さあ、そのまま近づいて来いと息を潜め……少年は怪訝そうに目を眇める。 懐中電灯を腰に結わえた追手の姿は、真っ白であったから。 「人道的に保護に来たー。アンタは助かっぞー!」 火車が張り上げる声に、少年の困惑は深まる。タスカル? タスカルって、何だ? もしかして、助かるって事、か? 「散々脅かされてビビってると思うが、こっちにゃアンタを気遣う用意があるー!」 沈黙している間にも声は近づいていた。どうする、距離はもう随分近い、逃げるなら今逃げなければ。 しかし混乱は彼を進ませも逃れさせもせず、ただ無様に足を滑らせ、その位置を暴露しただけである。 シエルは音のした方を見る。浮かべた笑顔は覚悟に支えられ、綻びひとつなく。 「貴方様を救ける為参りました。私は……」 自分の白い和装コートを纏った着物姿を見下ろし、僅かな苦笑へと変わっていた。 「少し古風な看護師です。出てきて下さいませんか?」 「おれを、助けるだって……?」 決して短くは無い沈黙の後に応えが返る。声音には疑いが滲んでいたが、シエルは当然の事として肯いた。 これは一度暗殺に失敗した後の後始末。信用させる事は難しく、死を受け入れさせる説得となれば不可能に近いに違いない。唯一現実的なのは、狩場に引き出すまで騙すこと。それだけなのだ。 「オレ達は君の味方……君の窮状を偶然知り、助けに来たんだ」 声に向かい、告げる零二。 「偶然、知った。どうやって」 「貴方様を襲った人達の噂をきいたから……」 当然の問いにシエルは答える。だが、これに対して少年は疑いを深めたようだ。 噂にしても、あんな集団の噂を知り得るのは同じ、或いは近い世界に居る者以外にいるまい。 「それは、隠す必要も無いだろうな」 零二は言い、そしてこの世界の真実をさわりのみ語った。無論、少年自身の事については伏せたままで。 シエルは軽く俯く。先祖返りなどという嘘はこれで言う訳にはいかなくなってしまったが、彼が本当の事を教えるつもりであったのであれば、後に話が食い違うよりは良かったのだろう、と自分を騙して。 火車はやや離れた場所で無言であった。その表情は別に構わないと告げている。 どちらにせよ、自分にとってはこれで多少有利となるのだから。 「……信じられると思うのかよ」 唸るような声が返った。零二の話を半ばで遮るようにして。 だが、拒絶の声ははっと息を呑み、その気配は気まずいものへと変わっていた。シエルは草履を脱ぎ揃え、その場に正座をしてみせたのだから。 「お疑いあらば、私を如何様にもなされませ」 そして、がさりと茂みは揺れる。それは激しいものではなく、必要以上にゆっくりと。 直立した狼は注意深く、それでも神妙な顔で、自らリベリスタ達の前に姿を見せていた。 「……大変だったのですね」 救急箱を手に、迎えるシエル。 「オレは四門……キミの名前、教えてくれるかい?」 「名取……名取 瞬だ」 ● 「……あんたらを信じた訳じゃない」 通話状態を維持したままの幻想纏いから、少年の声が聞こえる。 暗色の服を着、肌には泥をなすりつけて、拓真の姿は周囲の景色と完全に同化し潜伏場所にあった。 「ただ、何処へ逃げれば良いのかもわからない」 半日、森の中を彷徨って得た結論はそれだけ。 だろうな――と木蓮は息を吐く。 ただひたすらに逃げて、逃げて……その先には何も無い、ならば。 終わらせてやらなければなるまい。そう、何らかの形で。 「自分の姿に気付いていた訳じゃなかったのか?」 零二は問い、そして懐中電灯の光を彼にあてた。黒々とした獣毛に覆われ、ふた回りほども大きくなった自身の身体を見下ろし、少年は息を詰まらせるが零二はそれを宥める。 「大丈夫……仲間には、キミと同じ姿の人もたくさんいる」 「ところでよ、武器を出しても構わねぇかね? アンタを襲った奴等、まだその辺にいるかもしれねえし」 出し抜けに言った火車の言葉に、少年はおろか零二とシエルまでもがやや表情を固くした。 伏せてある戦力こそが本命、ならばここで自分達が武器を抜くリスクを冒す事は――いや、それこそが裏切る事を前提とした思考か? 彼を救い出すと言うのであれば、誰か一名は襲撃に備えるべきなのかもしれない。 「いざって時アンタの力になる、っつー寸法よぉ。……ま、安心しな」 結局二人は無言のままであり、少年も渋々とそれを承諾する。 そして狼は、囲いの中に入った。 不意にぴたりと足を止めた零二に、人狼は怪訝な顔をしていた。 「……なんで止まる。何か、あったのか?」 「いや、そうじゃない。……道々俺たちや、エリューションの事については話をしただろう」 零二は人狼に向き直る。 「君は……未だ運命の恩寵を得ていない。……このままでは君自身が、この世界を壊してしまう」 「言ってる事が分からねぇよ!」 退きかけた人狼の背後に、踊る火車。既にその拳は炎を纏っていた。 「だから、オレ達と全力で戦い、そのなかで掴み取れ……君のフェイトを!」 零二が告げ終わると同時、人狼の背に食らいつく業炎撃。 そしてそれを合図として身を隠していたリベリスタ達もまた、次々と配置場所を駆け出していた。 可能なら一撃で、と拓真は望む。 彼が未だ、裏切られた事に気付かぬうちに。 得た一時の希望が、絶望に変わらないうちに。 しかしそれを遂げるには、彼の動いたタイミングはあまりに遅い。 翳した爪に擦れて、硬質な音色を響かせた拓真の双剣は、人狼の肩口を割るのみに終わる。 「……浅い!」 アルフォンソの放つ真空刃が腕を裂き、木蓮の撃った銃弾が脇腹を穿つ。 そしてセラフィーナの剣閃が背を刻み立てるが、それらの傷は見て分かるほどの速度で修復されてゆく。 アラストールは零二の、苦さを湛えた表情を見ていた。 そのつもりで。戦いの中で少年がフェイトを得る事を願ったのかと。 ――だが、無理だろう。 フェイトを得た革醒者の獣化部位は最大でも三割ほど。既に彼は変わり過ぎている。 それに、もう……彼は聞いていない。 「騙したのか、四門、てめぇっ!」 周囲をひと薙ぎにし、突進する人狼。側面からアラストールの放った十字の光条が叩きつけられ、怒りの矛先を強引に変えさせる。再び火炎を纏った拳を振り上げる火車。目を細めながら、彼はそれを人狼の膝に叩きつけた。 「いやはや、世界様は慈悲深いなぁ?」 蛋白質の焦げるいやな臭いと共に、燃え上がる人狼の体。 彼の身に纏いついていた衣服の残骸と、零二のジャケットが焼ける。焼けて灰になる。 「……良いお月さん眺めて、逝かせてくれるってよ」 ● 吼える。既に覚悟を決めた戦士達ですら一瞬圧倒される咆哮。 爪を揃えた突きが繰り出され、近場にいた拓真を抉る。 すかさず仲間を回復させるシエル。そしてアルフォンソは戦場を見下ろす目を、周囲の者に共有させる。 「貴方を、哀れには思いますよ。偶々そうなってしまっただけだ。何の非もない……」 戦場は徐々に動いていた。組まれた包囲はそう易々と崩れはしないが、それ自体人狼の動きに引きずられるように。怒りに任せ爪を振るうそれの敏捷性とタフネスは、告げられていた通り。いやそれ以上か。 「逃がさないぜ、弾でくらい追わせてくれよ!」 銃撃を続ける木蓮。貫通した傷痕は再生の蒸気と血を噴き上げた。 追いたてる火車の拳が炸裂し、零二の両手剣が人狼の爪と噛み合わされる。 「……思い出すんだ。友達、両親の顔を……君の世界を」 だが、応えは無く爪は押し込まれるのみ。 「それを壊すのではなく……護ると強く決意するんだ。そして、その為の運命を……掴み取れ!」 低い唸り。そして、弾き飛ばされたのは人狼の側。 「少年、最後に何か言い残す事はありますか?」 刀身に光を纏わせて、そこには横合いから刃を振るった、アラストールの姿があった。 「貴方を救えない代わりに、憎悪でも罵倒でも何でも、聞きましょう」 人狼は吼える。どのような言葉よりも鮮烈な憎悪をのせて。 しかし一時の怒りからは覚めたのか、重ねたダメージ故か、その足をじりと後ろへ退かせながら。 アラストールは剣を構え直していた。 ここからでも完全に逃げを打たれれば厄介な事となるだろう。それでも刃は届かせ得ると思えたが。 だが、その時響いたセラフィーナの言葉は、まるで僅かな静寂に差し込まれたように良く通った。 「待ちなさい。貴方が逃げたら、貴方の家族を斬ります!」 「待て、それは……」 人狼に対して、何も告げる言葉などはないとしていた拓真の制止が飛ぶ。 ――それは、もう、違う。 「いいえ、違いません。……先程貴方を襲った人々は悪党です」 そして。 「そして……私もまた悪党です。正義は貴方にあります」 ゆらりと、零二は人狼が前進するのを見た。何も変わらないままで。 苦く目を瞑る。誰もが少年の苦痛を取り去ろうと、それぞれの遣り方をしたに過ぎない事を。また自分の言葉が足りなかった訳ではなかった事を、闇の中で彼は理解していた。 無理、だったのだ。ただ無理だったのだ。前者はともかく、後者は。 欺かれて月の光ではなく人への怒りに狂い、人狼は倒れる。正面から幾条もの刃に貫かれて。 だが、微かにまだ死に切れないのか、浅く細い吐息を漏らす人狼の顔をシエルは抱えていた。 僅かな躊躇。それでも彼女は囁く、最後の嘘を。 「名取さん、悪い夢を観たのですか? 此処は病院……もう大丈夫ですよ」 応えはなかった。ただ血泡を一つ膨らませて、それが人狼の最期の呼吸となった。 処理班には任せず、墓を掘る仲間の傍ら、人狼の死体を見下ろすアルフォンソ。彼がこうして討たれる事となったのは偶々。そして自分が討つ側に立っているのも更に確率の低い偶然に過ぎない。 世界の恩寵、か。それは有限で無慈悲だ。 「私も、それを使い果たしたら、彼のようなノーフェイスとして討たれるのでしょうかね……」 「……ごめんなさい」 墓と言っても、この場所で作れるのは泥の山だけか。 埋められた少年に、一言セラフィーナは言葉をかける。 彼女も、それを背後から見る拓真も分かっていたろう。死者は謝罪を受け入れない。 だが、それでいい。ただ忘れずに、それを背負って行くだけだ。 「ま、あのままでいるよりは救われた……と思うしかないよな」 呟いて、木蓮は傾きかけた月を見上げていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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