●鬼ノ城 最初に、その地を這うような声に気がついたのは、誰だったろうか。 温羅の本拠、鬼ノ城攻城戦。城内外の各所より聴こえる戦場音楽は、時間の経過につれ、その発生源を収斂させていた。突き進んだチームもあれば押し戻された部隊もあるが、ともあれ先鋒部隊は本丸に取り付くことを成功させている。 鬼の守備を抉じ開け、精鋭のみで構成された大部隊を温羅の玉座へと送り込み、『逆棘の矢』を叩き込む。それがアークの策にして切り札。鬼道との決着を付ける突入部隊の号令まで、あと少し。 そんな高揚した空気に浸っていたからこそ、地の底からの呼び声に気づくのが遅れたのかもしれない。 おお、おお……。 あまりに低いその声は、リベリスタ達の身体に達する頃には単なる振動と化していて、闘争の続く鬼ノ城の只中で意識するには難しかった。 加えて、この戦いが日没後の夜襲であることが条件を悪くしていた。煌々と篝火が焚かれているのは城内だけ。謎の声が聞こえてくる方向――城門の外に目を凝らしても、いくつかのポイント以外には、ただ深い闇が広がるばかりだ。 だから、その声を聴くことが出来た者達の中でも、実際に警戒に移ったリベリスタはごく少数だった。幸運だったのは、その中に鷹の目を備えた暗視能力の持ち主が居たことだろう。 「あ、あれは……!」 彼が見たのは、城外を埋め尽くす無数の『動く死体』。 一般人らしき姿が。鎧兜を身に纏った武者が。そして、鬼の死体すらも。 身体の一部を欠き、肉を腐らせ、あるいは骸骨と成り果てて、それでも死に切れぬ木偶たちは、鬼ノ城を目指してじわりじわりと押し寄せる。 五十。百。いいや、そんな数ではない。 数えるのも馬鹿らしくなる程の死者の軍団が、この城に殺到しようとしているのだ。 苦悶とも啜り泣きともつかない、唸り声と共に。 ●『腐り落ちる』 「温羅様が人間如きに後れをとることなどあるまいがのぅ」 ぶくぶくと泡立つ沼。いや、ほんの少し前までは、そこは草の茂った野原だったのだ。それが、今は『腐り果てて』いた。 ずるり、と。 どろどろに溶けた土の下から、新たな亡者達が這い出してくる。 「何もかもをお任せするとなれば、我らが勘気を蒙りかねんからの」 痩せぎすの胴に、奇妙なほどひょろ長い手足。 襤褸を纏った老人――悪樓は、べちゃり、と足音を立て、歩き出す。 ●砂時計 「温羅へ当てる戦力を割くことは出来ない」 通信機能付きのアクセス・ファンタズムで本部に連絡を取っていた『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)が、周囲の者達に端的な結論を告げる。 予想される温羅の力を考慮すれば、現在の戦力でさえ十分だとは言い難い。ましてや、温羅以外の敵戦力すら、完全な壊滅に追い込めたとは言い難い状況だ。 つまり、彼らが動員できるのは、温羅攻撃部隊に参加しなかった者のみ。加えて、バックアップのための最低限の戦力は残す必要があるから、さらに少ない計算になる。 「だが、この戦いは温羅さえ討ち取れば俺達の勝ちだ。つまり」 負けなければ、それでいい。 現有戦力で、温羅を討ち取るまでの時間、あの死体の群れを押し留めること。それが、本部の示した作戦方針だった。 だが。 「――もちろん、駆逐してしまっても構わないだろうさ」 それを言わせたのは、銀毛の狼のプライド故か。その紅玉の瞳が、戦意に満ち満ちて。 「尻尾を巻いて逃げるような奴は、ここに来てはいないだろう?」 彼の言葉に、周囲のリベリスタ達はある者は大真面目に、ある者は苦笑いを浮かべながら――確りと頷いてみせるのだった。 ここはもう一つの決戦の舞台。 リベリスタ達よ、砂金の粒よりも貴重な、時間という砂を掴み取れ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月15日(日)00:20 |
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●腐敗戦線/EX 付けられなかった決着があって、助けられなかった人がいて。 だから、これは私のわがまま。 ●腐敗戦線/左翼/1/Undead Region 先の見えない闇だった。 最初にリベリスタの元へと届いたのは、地を這うような呻き声。 次に、つん、としたおぞましい腐臭が、彼らの鼻を刺激し始める。 それからようやく。 光の届かない場所から滲み出るように、ゆっくりとそれらは姿を現した。 意思無き群。 そして一つの意思に導かれるもの。 闇の中から溶け出した腐敗の群体が、一歩ずつ、居並ぶリベリスタ達へと迫る。 「悪趣味なパレードですわね」 その優美な面立てを嫌悪感に顰めつつ、彩花は未だ堅い地面を踵で軽く蹴った。ブーツに仕込まれたブースターが、小さくローター音をかき鳴らし始める。 「でも、それもここまで。腐臭漂う行進は、ここで――」 「それじゃ露払いを始めるとしましょうか」 主人の決め台詞をキャンセルして、武器に埋もれた右腕を前方へと向けるモニカ。次の瞬間、彼女の得物は耳をつんざくような咆哮を上げ、戦車の装甲すら貫く銃弾を無数に吐き出した。 「命なんて張りませんよ、私は。大体、退路を守る人間がいなくては戦争にならないじゃないですか」 思い浮かぶ顔は命知らずな面々。韜晦した言葉の行間を読めないほど主従の絆は浅くはなかったから、彩花はふん、と鼻を鳴らすに留めた。 (あれも態度は悪くても仕事に関しては信頼出来ますから、ね) 人がましい思考はそこまで。黄色いヘアバンドはそのままに、けれど意識のスイッチはかちりと切り替えて――彼女は白い牙を死者の群れに突き立てる。 銃火と雷。それが、戦いの始まりを告げる嚆矢となった。 「黄泉の鬼は千五百もいるらしいけど、さてこれは……」 数えるのは無理だね、と小さく笑うシメオン。その作り笑顔が示すのは、精一杯の余裕か、それとも乾いた恐怖か。ただ一つだけ判っているのは、鬼王へと向かった彼の母に恥じない戦いをしなければならない、ということだった。 「発想を転換しよう。これなら狙いをつける必要だってない」 神髪の鞭に意識を集中し、己が内から神気の光を迸らせて敵を灼く。 「そうだお! 式符を撒けば勝手に当たりに来てくれるんだから楽だお!」 カバルチャーの放つ鴉が、近くで燃え上がった火柱に影を落とし、宙を駆ける。それに、こく、と頷いて応じるクロ。圧倒的な数を目の当たりにして、身体が勝手に背を向けて逃げようとするけれど。 「微々たる力だけど、きっと……何もしないよりは、マシかもね」 震える手。それでも爛とグリーンの瞳を光らせて、彼女は双盾を叩きつける。その隣で肩を並べるのは、炎に照らされ赤味を帯びて輝く金の髪。 「前に出過ぎれば囲まれます。無理は厳禁ですよ」 最後まで戦い抜きましょう、と自分に言い聞かせるように言って、アリーセは狼の爪を振るった。幻惑すら呼び起こす高速の斬撃が、スーツを着込んだ死体を斬り倒す。 「最後まで、か。そうだ。わたくし達は戦い抜かねばならない」 古風なる軍服を纏ったヒルデガルドが、片手で扱えるぎりぎりまで刃を厚くした西洋剣を構える。相手は汚れた鎧を纏う武者。有象無象のゾンビよりも、からからと鳴る骸骨は遥かに手ごわい相手だが――。 「持久戦に備えねばならないのだ、無駄撃ちは厳禁だな」 錆び刀を大振りにした一瞬を狙い、剣を突き入れる。ずん、という感触。鎧すら貫いた得物が、無視出来ないダメージを亡霊へと与えた。 「ゾンビは焼き払うものなのですわ、うぃんうぃん」 トビオの黒いドレスは戦火の中でよく映える。だが背中に突き出たぜんまいネジが、優美な印象を掻き消していた。時折口にするのは、彼女が彼女であるための機械音。 「一応死者ですから敬意を込めますわ」 抱えたキャノンが吐き出したのは、技術と魔術より生まれた火炎球。また一つ上がった火柱に、それにしてもよく燃えますわねうぃんうぃん、と惚けた台詞を吐いてみせる。 「鬼道に横道無し、とは言いますが――」 非道や邪道が許されるわけでもありません、と呟く美雪。薙刀を小脇に抱え、呪縛の印で前衛を抜けてきた敵の足止めに専念していた彼女だったが、目に入ってきた『動く死体』に動きを止める。 ふらふらと。 視界には幼い男児。光を失った瞳を虚空に向け、ゆっくりと歩いてくる『それ』に、彼女は息を呑んだ。 「お姉ちゃん!」 次の瞬間、光を纏った矢が次々と飛来し、幼子ごと周囲の死体達を爆ぜ飛ばす。声は彼女よりももう少し後方から。 「お姉ちゃんと一緒なら辛くないよ。怖くないよ。だから、頑張ろう?」 姉の背に何かを感じたか、言い募る妹――遥香の声に、美雪は自分を取り戻す。そう。今は戦わなければならないのだ。 「精一杯戦います――人として」 ――ボクの大切な子は、今頃鬼と直接対決している。 この胸を温かくするふわふわの少女も、今は鬼ノ城へと攻め入る仲間達と共に在るのだろう。スケキヨはつい先ほど交わした会話を反芻する。 いっそ、隣で戦おうか――そう思いもしたけれど。 「ボクも少しでも力にならないとね。何としても死守するよ」 お帰り、何も無かったよと笑い合えるように、白銀のボウガンを撃ちまくる。嘘に塗れた仮面の下で、その思いだけは真実だったから。 そして、その傍らで鳴り続ける、もう一張りの弦。 「はい、一本でも多く射続けましょう」 腐敗の戦場で尚、余韻を残す弦の音。凜と立つ弓弦の構えた桃木の弓より、つるべ撃ちに放たれる白木の矢。 「私は未熟です。でも、より強い仲間が最後まで立っていられるように戦うことは出来る――!」 その胴着は朱に染まっていた。前衛の線から敵が抜けてくるなど、既に一度や二度のことではない。だが、その視線に怯えはなく、ただ矢の残心を追う。その肩に置かれる、年輪を刻んだ手。 「さ、お嬢さん、もう少し踏ん張りなせぇ」 「ありがとうございます」 じわり、と温かいものが流れ込み、弓弦を奮い立たせる。振り向けば祖父ほどの老人。互いの名前を知らず、ただつかの間視線を合わせて会釈する。 (主役が敵役を倒すまでの時間稼ぎ。……いやはや、実にあっし向きのお仕事だ) リベリスタの中で最も『死んだ』経験を誇るのはこの男、偽一だろう。斬られ役専門の役者として人生を歩んできた彼にとって、主役のスポットライトは眩しすぎる。 いや。 老人はまだ主役を諦めてはいない。彼の心は韜晦に染まることを許さない。 「それでは粘ってみると致しやすか……あっしはしつこいでさぁよ」 この場は彼もまた、戦線を支える主役である。老練なる彼はそれを良く知っていた。 「正義の味方は負けないよ!」 粘るといえばこの少女、斗夢の戦いぶりは特筆に価する。歴戦の前衛達に混じり、何度殴りつけられてもめげずに防ぎ続ける、しつこいまでのその闘志。 「このキャノンで仕留めてあげるよ!」 手にした大筒を鈍器代わりにぶん、と振り回せば、触れた骸骨が粉になって爆ぜた。肩で息をする斗夢。その彼女を周囲ごと包む、福音の音。 「おっさんはともかく、レディの肌に傷は残させないよ」 冗談混じりに典礼の詠唱を紡ぐクレイグ。それこそが、あの猛々しい初陣から今までの間に彼が得た余裕なのだろう。胸元の琥珀が、淡く輝く。 「うんざりする数だな。みんな、まとめて薙ぎ払ってくれよ――俺は後ろからみんなの玉のお肌を守るからさ!」 外見と年齢が一致しない彼だからこそ。砂色の翼を緩くはためかせ、クレイグはもう一つの役割、年若い者の緊張をほぐすという大任を果たし続ける。 「人生は大穴狙い、ってな。その方が楽しいだろ?」 それが、陽子がアークに参加した理由。戦場に身を置く理由。そして、今ここに在る理由。痺れるような衝動を求めてこの戦線に舞い降りた彼女に、防御の二文字はない。 「いくぜっ!」 真紅の翼をはためかせ、上空から鋭く急降下。ターゲットは一際巨大なる『鬼』。鮮やかに間合いを奪い、死の大鎌を一閃して印を刻む。 「オ……オオッ!」 「! ちぃっ!」 だが一撃で仕留め切れるわけもなく、反撃も痛烈に。予想外の速さで振るわれた棍棒が、強かに彼女の肩を打つ。そして、じり、と集まってくる死体。その時、後方から清浄なる光が放たれ、包囲したアンデッドを溶かしていく。 「ははは、このような戦場こそ本官の出番でありますな!」 ノアの朗らかな声が響く。アークのエンブレムを誇らしげに身につけた彼女の言葉通り、大多数を占める『数だけの』敵を相手取るには、その広範囲殲滅能力が有効だった。 「飛ばしすぎですよ。ノルマは百やそこらじゃありません」 破れた包囲に割って入ったのは、金属の前髪を奇妙な形に固定したレイ。朱の腕甲に炎を纏い、傷ついた鬼の屍へと叩きつける。 「こういう合戦の局面は、最初から最後まで数が物を言うんだ。命を賭けた一撃より、一分でも長く立っている事の方が戦況のプラスになる筈だよ」 調整中とはよく言ったもの、のっそりと現れた与作が振るう短刀は、速すぎて月光の反射としか思えない。にも関わらず、また一体のアンデッドが、切り刻まれ土へと還っていくのだ。 「一人も欠けずに帰還し、データを持ち帰る。それが俺達TEAM R-TYPEのミッションだろう?」 年長者たる彼の言葉に、任務拝命しました、とおどけるノア。 「地味に! 確実に! それがおまわりのお仕事!」 「継戦は得意分野です。かかってきなさい、アンデッド」 レイの髪で冷やされた熱が水蒸気を上げ、後方から投げられた光を歪ませる。その様を見て、へっ、と鼻で笑う陽子。TEAM R-TYPEの名は知らないが、与作の台詞が実のところ自分に向けられたものだと気づいてはいた。 「やってやろうじゃねぇか。最終防衛線だ、きっちり抑えきってやるよ」 ●腐敗戦線/右翼/1/Dark Knights 闇深き中で尚暗い戦場。その先頭を、蒼き剣士が駆ける。 「人も鬼も一緒くた。アナタの腐敗世界は、平等過ぎて美しくないわ」 左翼に倍する数の圧力を受ける右翼の主力となったのは、ルーチェの呼びかけに応えたダークナイトの一群だった。 アークにその力が齎されてまだ間が無く、習熟した使い手の少ないダークナイトは、自分自身を傷つける副作用と相まって、このような戦場では運用が難しい。だが、多くの敵を薙ぎ払うことも、多彩な技で大物喰いに挑むこともできるその力は、眠らせておくにはあまりに惜しい。いっそ支援を受けやすいように集まろう、という彼女の着眼は慧眼と言えよう。 「だから――否定してあげる」 代償は鱗を伝う血。蒼輝の蛇を中心に滲み出る闇が、アンデッドごと夜闇を塗り替える。 「皆様、お疲れでごザいマしょうが、今暫クデございまス」 その傷を癒すのは滸玲。古めかしく、そしてやや片言の言葉遣いからは、彼女の叩くドラムスの響きは窺えなかったが。 「わたクし共も手傷ヲ癒し精一杯のお手伝いをさセて頂きまス故、残るお力を振り絞ってくダさいまセ」 毒を抜き、傷を癒す彼女の働きは、壮麗な軍楽にも比肩して前衛達を勇気づける。篝火の炎が照らす翡翠の髪が浅黒い肌に映えて、戦場に奇妙な彩を添えていた。 「出来るだけ近づかないようにしないとねー」 シャルロッテの二色の瞳だけが、暗闇の中で輝きを増す。短い間に実戦を幾度も経験し、急速に力をつけた彼女は、ダークナイトとしてはこの方面でも上位の実力者。だからこそ、自分達の打たれ弱さをよく理解していた。 「私が受け続けたこの痛み。貴方にもたっぷり教えてあげたいな」 それは目には映らぬもの。だが、『呪い』は彼女の矢よりも鋭く鎧武者を捉え、蓄えた魔力でその身を締め上げる。 「見知った顔があるというのは、心強いが――」 反面、醜態を晒せないということだ、とまでは黄泉路は口にしない。だが同じ逆十字の騎士団に属するシャルロッテが奮迅の活躍をしている以上、足を引っ張るのは彼の誇りが許さない。 「この合戦、全力で行かせてもらう!」 口調が改まったのは、やはり侍の血族ゆえか。左目だけで焦点を合わせ、家宝の『弓』をぎり、と引く。もとより放つのは暗黒の瘴気。だが得物を媒体にした方が効率が良い、と黄泉路は身体で覚えていたのだ。 数で押す敵を押し留めるための、苛烈なる攻撃。リベリスタ達は良く防いでいた。それでも、倒れる者は皆無ではない。 「ぐ……っ!」 数限りなく群がってくるアンデッドの海に飲み込まれ、宗兵衛が膝を突く。一体一体はさほどの強さではなくとも、ありていに言えばきりが無いのだ。そして、リベリスタ達はいつまでもミス無く最高の行動をし続けられるほど完璧ではない。 だが次の瞬間、その中でも体躯の大きな動く死体が蛇腹剣に両断されたかと思うと、赤い光となって彼の身体に吸い込まれていった。 「避けられるならよけてみろォォォ!」 烈の絶叫。ぞわり、と湧き出した新たなる瘴気のもやが凄まじいスピードで広がり、宗兵衛を救出するかのように覆っていく。 「身を削る思いで飛び込んでやったんだ、オマエラの身だって削ってやんぜ!」 戦闘狂の名乗りは伊達ではない、ということか。彼の前のめりの攻撃に、多数を占めていた屍どもが沈む。 「ゆくぞ死人ども。今は此処が、私の守る場所だ」 それに続くのはザイン。スキンヘッドを曝し、鉤爪を突き立てるドイツの戦士は、祖国ではなく日本を守るために戦うなどとは思いもしなかった、と含み笑う。 「騎士なれば。そしてリベリスタなれば」 突貫した仲間達の奮戦により、救い出される宗兵衛。俺のあほ毛が荒ぶって動いちまうんだよ、と強がる甲賀忍者の末裔は、傷を押して命を奪う剣を振るう。 「やれやれ、訓練が終ったと思ったらすぐに実戦とはね……」 景識の呟きはこの場の多くを代弁していたに違いない。鬼王・温羅や悪樓に向かうには力不足だろうが、対アンデッドであれば新兵でも十分な戦力。しかし、それとこれとは話が別なのだ。 「ま、頑張らせてもらいますよ、死なない程度にね」 押し寄せる敵は、もはや壁にしか見えない。だが、名門の意地だけで恐怖を無理やりに押さえつけ、彼は重槍を突き入れる。そうしなければならない時だと、知っていた。 「対多数! これこそダークナイトの本領発揮、ですわぁぁぁ!」 歓喜の声を響かせる撫那。それはどこぞのお嬢様への憧れの発露ではあったのだが、ダークナイトはアレがデフォルトなのか、という周囲の視線は致し方の無いところだろう。 「闇に還りなさい、アンデッド! わたくしの心が擦り切れるまで!」 両手に握った双剣をわざわざ納めてダブルピースをかまし、ああああんこくうぅぅぅぅ! と絶叫するその姿はもはや神々しさすら感じられる気がしないでもない。 「…………怖くないと言えば嘘になる」 微妙な間を置きつつも、自分を取り戻す礫。足元に転がったいくつもの電灯が、か細く視界を照らしていた。 「だけど僕にも……いや、僕らにもやれる事が有るんだ」 胸元に淡く輝く、蠍座の心臓アンタレスの銘を冠した大粒の琥珀。その中に封じられた蠍が、失った片腕のあった場所へと潤沢なる魔力を注ぎ込む。 「駆け出しだから頼りないと思うけど、皆の背中を精一杯支えるよ」 癒しの詠唱は戦場を駆ける。明日を生きる意志を、途切れさせたりはしない。 「ここで押さえ込まなけりゃ、温羅と戦ってる方々のジャマになるのです」 吐き気を催す腐臭にも慣れてきたか、色違いのつぶらな瞳をぱちくりとさせる透真斗。耐え切れず下がってきた小柄な少女、結衣へと涼やかな風を送り、その傷を消し去って。 「力の限り支えますから皆さん、持ちこたえて下さいです!」 脅威の若作りに明るいキャラを乗せ、透真斗はネガティブな思考を隠す。その心遣いを知ってかどうか、こちらは天然素材のまま、ありがとうございます、と微笑みかける結衣。 「貴方達の好きにはさせません!」 可愛らしいかんばせを痛みに歪め、彼女は姿に似合わぬどろりとした漆黒を放つ。長く戦場に立ち続けることはできないと判っていたから、力のセーブはしなかった。 ――一体でも多く道連れに。城内へは入れさせません! 「この鳴神暁穂、成りたてリベリスタでも心意気は負けないわ!」 四方八方に髪をハネさせながら、大見得を切る暁穂。武者を殴りつけた腕甲の拳が、ばちばちと音を立てて稲妻を放つ。 「正面から無闇に突っ込むんじゃ駄目ですよ!」 年長を相手にやや丁寧な口調の翔子。とにかくあのゾンビどもを片っ端から殴ればいいんでしょ、と筋肉思考の暁穂に、敵の数の多さを逆に盾にしないと、となおも説く。 「え、違う? ……違わないわよね!」 そう答えてまた突っ込んだ暁穂に溜息一つ、ダガーにエネルギーを乗せ、翔子は必殺の一撃を叩き込んだ。 「自分の腕が大したことないのは判ってる。だから、弱い敵から狙って、数を減らしていくよ!」 ああ、彼女が手にするのはただ鋼の刃だけでなく、平和な日常を守るための、決意という名の刃なのだ。 「元凶を止めないと、意味がありませんよね」 清美の心に満ちる悔しさ。自分はまだ、あの老鬼に挑む実力を備えていない。だが、沈んでばかりも居られない。 「とにかく、鉄・拳・制・裁です!」 炎纏う拳を手近な死体へと叩き込み、今は仲間を信じて戦おう、と心を決める。 「回復しますよー! 疲れちゃった人も言ってくださいねー」 やや後方に位置し、痛みを掃う詠唱をリズミカルに続ける真人。その機械の両腕は羽根のように大きく広がり、埋め込んだ魔術文字をLEDの文字で顕現させる。 「……って、ええ?」 そこに襲い掛かる鎧武者。前衛を突破してきた錆刀が彼女を襲う。 「戦いはやっぱり怖いですよー! きゃー! ……あれ?」 「まだ、倒れるには早いですわよ!」 だが、その刃は真人には届かない。目を開けた彼女の視界に映るのは、背中を覆う豪奢な巻髪。 「防衛戦は、倒れなければ負けないものですから」 武者の刀をがっしと受ける大盾。それこそがプレオベール家の騎士、ブリジットの在り方だった。騎士は護る事が本懐にして本領、倒すことより護ることを優先させて良いのだ、と。 「さあ、一度こちらへ!」 後方への間隙を確保する彼女に、アンデッド二体の刃が迫る。と、そのうちの一体、大きく槍を伸ばした骸骨の前に、一人の女が割り込んだ。 「間合いが甘い!」 復讐者の銘に相応しく、敵の得物を打ち払い、カウンター気味に突き入れられる馬上槍。可憐な姿に似合わぬ怪力を操る禍津は、色違いの鋭い眼光で相対する武者をねめつけた。 「ふん、よかろう――相手になってやる」 容赦のないパワー勝負。そこに飛来する、二本の気糸。 「周りからはぐれてボコられないように、気をつけねーとまずいな」 山田中兄弟の弟、修二が舌を打つ。ブリジットが真人を助ける事が出来たのは幸せな偶然だ。この乱戦では、仲間同士のカバーも効率的には働くまい。 「俺達は出来ることをするまでですよ」 対照的に落ち着いた兄、修一。力で劣る以上、気心知れた兄弟で常に二対一の戦いに持ち込むという戦術はまずまず有効と言えた。 「ああ、そうだな。最後まで粘ってやるぜ」 いくらアンデッドの個体が弱くとも、群れれば強烈なプレッシャーに変わる。いずれ油断のできる戦いではないのだ。男くさい笑みを浮かべ、修二は機械の左手を掲げる。その甲に、修一の右手が打ちつけられた。 ●腐敗戦線/中央/1/Highly Pressure 「準備は、よろしいですか」 緊張の面持ちで告げるカルナに、得物を構えた一団が首肯する。 ここ中央戦線は、最も苛烈なる戦いが予想されていた。左翼・右翼のように押し留めるだけではなく、敵将・悪樓を討つ決死隊を送り届ける道を切り開き、その後も後背を護り続けなければならないからだ。 そのため、ここには比較的錬度が高いリベリスタや、小隊単位で行動する者達が多く配置されている。カルナは今回、その中核を占める支援隊を任されていた。 「霧也、お前はどうするんだ?」 傷を受け一旦後退してきた霧也に囁くのは、決死隊の一人、碧衣。二人の共通項は、先に瀬戸内海の水島古戦場で悪樓に敗北を喫した、ということ。 「――俺は」 「私は負けっぱなしでは居られないが、な」 それだけ告げて、碧衣は背を向ける。考え込むように立ち尽くす霧也。その時かけられたのは、よく知っている声だった。 「霧也さんも、向かわれるのですね」 翡翠の髪の少女の視線が、彼のそれと交錯する。何かを言いかけて――飲み込む。 「行って来る」 「どうかご無事で」 勝って戻って下さると信じています、という声は、背中だけが受け止めた。 「形のない物は苦手でございますが……」 生ける屍なら何とかなりそうです、と和服の少女――志乃は首肯した。あまり気持ちの良いものではないが、今は冥福を祈るしか出来ない。 「狙いも未熟ではございますが――参ります」 蛇腹の剣を構成するのは桜色の刃。その刃が、ほとんど独立して渦を成すかのように舞う。血を流し、毒を刷り込み、炎すら喚び起こして。 「これだけの数での戦闘は初めてだな」 ごく、とつばを飲み込んで、ルークは押し寄せる波を精一杯睨みつける。その表情は、仏頂面というよりも、むしろ恐怖に強張っていた。ナイフを握る手が、震えている。 (……でも、怖がってはいられない) 命を懸けて戦う仲間達。自分達が敗北した後に払われるであろう犠牲。そのことに、思いを馳せたならば。 「退かないよ、絶対に」 手には希望を乗せた刃。流れを懸命に押し留めるルーク、その背後から邪なる気配をはらんだオーラが放たれ、死体どもを包んだ。 「要は侵入を阻止すればいいんだろう? 足止めを手伝おう」 悪魔祓いを学んだからこそ、ジョンの攻め口には容赦が無い。オーラに包まれ、その凶暴性の過半を封じられてもがくアンデッドの群れを見やって、彼はフン、と鼻を鳴らした。 「おい。ここのゴミの始末を頼む」 「あら、人使いが荒いですわね」 ふ、と微笑み返したのは黒ずくめの少女、七海。言葉ほどには逆らわず、オカルト趣味の収集品である魔道書に意識を集中し、魔力を凝縮していく。 「賑やかなことですけれど、ここを通しませんの。踊りましょう、命燃え尽きるまで」 幾条もの稲光が魔道書より生まれ、闇夜のオーラを切り裂いて生ける死者を薙ぎ払う。「力には力を。数には数を――徹底的に抗ってあげますわ」 そんなルークや七海達を取り囲む結界の陣。陰陽の守護をリベリスタ達に与える悪紋、見かけの十倍ほども歳経た災原の当主は、けたたましい笑い声を上げた。 [ほれほれ! 皆の者、キリキリ戦うのじゃ!」 指揮官然とする悪紋だが、だって武者とか鬼とか怖いしの、などと呟いたのを知っている闇紅は、楽してばかり、と吐き捨てる。 「そこのババアも、もうちょっと働きなさいな」 両の手には剣と盾。バックアップを当てにして雲霞の如き敵陣へと躊躇い無く斬り込んだ彼女の得物が、幻惑の剣筋を描いてエプロン姿の死体を叩き斬る。 「これは、アタシでもちょっと骨なのよ」 その空ろなる紅玉の瞳の視界を、じわり蝕む真の闇。うふふ、と含み笑う声は振り向かずとも判る。災原の同胞、有須だ。 「うふふ……無双です……。鬼さんこちら……」 アンデッドを瘴気に沈めながら、まだまだ少ない、と彼女は赤緑二色の瞳を歪ませる。「うふふ……、まだまだ愛が足りませんからね……」 「おぅ、そっちは相変わらずだナ」 そんな独特のオーラを放つ災原の面々に、お互い頑張るのぜ、とレイシアが声をかける。スリーマンセルの小隊構成はこちらも同じ。だが、爆撃の旗印の通り、彼らはよりアグレッシブな編成を採っていた。 「真っ赤な炎と一緒に吹き飛べ、ゾンビども!」 強気な声と共に火球が爆ぜる。腕輪の宝石が燃やせ、燃やせと囃すまま、なずなは破壊の魔力を存分に解き放っていた。 「焼いて焼いて焼いて焼き尽くす。後退など誰がするものか」 胸を張って物騒に宣言するなずな。ちょっと足りないのぜ、と混ぜ返すレイシアの視線の先に気がついて、灰にするぞ、と一言告げる。 「ちなみに全く気にしていない。全然気にしていない。本当だ」 「…………なずなちゃんには負けていられないね」 それに答える愚は冒さず、小隊のもう一人、惠一が一歩を踏み出した。無造作な一歩。次いで、ひゅん、とナイフの一閃。 「もう一度死んでくれ」 ただ、季節外れのマフラーが揺れただけ。目にも留まらぬその斬撃が、ふらふらと寄って来る死体に腐汁の血飛沫を咲かせた。 「斬って斬って斬りまくろう」 「よくやったぞケーイチ! レイシアも働くのだ!」 その声に、災原の婆様みたいだな、と妙に感心するレイシア。力任せに振り切った蛮刀は、斬るというよりも、むしろ叩き潰すような動き。 「言われなくてもやってるのぜッ!」 「やれやれ、騒がしいのぅ」 その声はむしろ、見守るような温かささえ備えていた。鋼の身体の老戦士、城兵。少年達よりもはるかに長い生を過ごした彼は、しかし恐怖から脱してはいない。 (じゃがの、この恐怖は己が死への恐怖ではない) ぐい、と突き出した幅広の剣が、狙い過たず武者の刀を叩き落す。その隙を見逃さずもう一突き、間接を貫かれた骸骨が、がしゃりと崩れ落ちた。 「力なき優しき人々とこの世界が蹂躙されることをこそ恐れるのじゃ! この老骨にも、ウヌらに抗う気概が満ち満ちておるわい!」 周囲の者達が、応、と唱和する。ぐゎらりと笑みを浮かべ、年甲斐もなくのう、と照れくさそうにする老人は、しかし年若いリベリスタに今一度戦う意味を思い起こさせたのだ。 「いいじゃんいいじゃんテンション上がってきたぜ!」 がっはっは、と大口を開けて高笑いするはまち。彼女に言わせればクライマックス感、長らくの外出から里帰りしてみれば決戦という大舞台なのだから、これは高揚するなというほうが無茶である。 「かかってこいよゾンビ共!かたっぱしからぶん殴ってやる!」 少しでも『姉妹』の手助けが出来るなら。この刃の手甲で、殴り続けてみせる。 「みんな好き勝手やってますね……やれやれ」 連係プレイを見せてやる、と息巻いていたエリエリだが、この『姉妹』達は素直に言うことを聞く連中ではない。大体いつも通りですね、と溜息をつく。 天守孤児院。 超常の事件に巻き込まれた子供達のための施設――ありていに言えば、『救えなかった』子供達の家。そこで暮らす子供が何人もリベリスタとしての力に目覚めているのは、あるいは運命の皮肉か。 「さっきまで、『アンデッドなんて怖くない♪』とか怖がってたくせに」 「……怖くないですよ。だいたいこんな数だけの連中に負けるわけがないのです」 どうだか、と小さく笑い、杖を掲げるのは唯一の男児であるヨシュア。短い詠唱、そして爆炎が巻き起こる。 「ははは、どうだいワイルドだろう?」 こんなときでさえナルシズムを忘れない彼は、いっそ立派というべきか。案の定、後ろに引き籠もって何がワイルドだ、と声がかかる。 「っし! 怖くねェ! さ、さがらねェぞ!」 突っ込みを入れたタヱも、随分と腰が引けている。アークが負けたら稼ぎが減っちまう、というのがなんとも彼女らしい理由ではあった。 「よっし! いくぞ! ヒュー! あと出来れば庇って!」 しまらない台詞でも手にした得物は本物だ。熊のぬいぐるみを小脇に抱えた彼女が宙に滑らせた鋼糸が、赤熱して動く死体の腕を灼き切って落とす。 「まったく、本当に協調性がないのです」 ぼやくエリエリ。ぶん、と振り回す鉄塊が、また一体のアンデッドを粉砕する。だが側面より斬りかかった侍が、錆びた刀で彼女の腕に主を散らせた。 「エリ姉さん。深追いは危ないですよ」 無理はしない、を第一の目標に掲げる美伊奈は、それ以上は駄目、とエリエリを引き止めるばかり。それは、立ち続ける事が最大の貢献である、という戦術上の要求でもあったが――。 「こんな所で危ない目に会うのは、絶対に駄目……」 篤い姉妹愛ゆえか。血の繋がりは無くとも、絆はそれよりも濃い。皆の幸せの塔を守る為に。前のめりに逸る姉妹を引きとめながらも攻勢に出る美伊奈は、どこか陶然として見えた。 「改めて……見てみると……やっぱりエリは頑張ってるの……ね……」 リベリスタとしては先輩なんだけど、という梨音は、しかし水をあけられた、とも感じていた。けれど、そこに意地がないわけではない。 「少し……良いところ、見せないと……ね……」 寒々しいスクール水着にマントを羽織った少女は、凍てつく拳をゾンビへと突き入れる。たちまちのうちに凍りつき、立ち尽くす死体。盾代わりに身を入れ替えて、彼女は意識を左側へと集中させる。 「ていうか皆楽しそうに戦い過ぎじゃない?」 もうちょっとこう、ああん、とか……というヨシュアのぼやきは、誰にも受け入れられることは無かったのであった。 「ひいふうみ……いっぱいなのだ!」 平地故に昇るような高所はなかったが、人垣の間から顔を出し、一生懸命に敵を数える結。もちろん両手の指で足りるような数ではないから、彼女の努力は海の水を柄杓で汲むようなもの。 「む! 鬼が来たのだ!」 それでも注意深く意識を向けていれば、誰よりも早く発見できるというもの。言いざまに放った気の糸が、四方に散って張り巡らされ、無警戒に踏み込んできた巨体を絡め取る。 「むっちゃんは弱いのだ。それでも、リベリスタなのだ……!」 自分なりに出来ることを。それが、彼女の決意であった。 「アークに入って一ヶ月も立たない内に、こんな戦争に巻き込まれるとは……」 運がいいんだか悪いんだか、とキャスケットの上から頭を掻くユナは、じっと戦況を眺め続けていた。時に気力とも呼ぶべきものを仲間に分け与えていた彼女だったが、ある時から集中に継ぐ集中を重ねて。 待ち続けたのは、ただ一つの転回点。 「……! ふふふ、そこですね」 鉄パイプの先から伸びる気の糸。下がろうとした赤毛の少年を追い討とうとしたアンデッドを、しっかりと捉えて射抜く。 「そ、その傷、癒します!」 助けられた少年、カルラに向かって吹く清浄なる風。がたがたと震える光介が、童話めいた魔術書のワードを必死に唱えていた。 「ボクだって、リベリスタなんだ。みんなの力にならなきゃ……!」 誰かの為に。誰かの為に。こんな自分が生き残ってしまったのだから、せめて役に立たないと。恐怖を一種の強迫観念で押さえ込む姿は、いっそ痛ましくもあったが――。 「ああ、ありがとよ……っと」 先ほどから、この羊のビーストハーフが自分を重点的に癒してくれていることに、カルラは気づいていた。礼は、誇ることの出来る功績で。 「こんなものを持ってるのは伊達じゃねぇんだ」 握りなおす得物は、長大にして超重を誇るランス。それは決して扱いやすいものではないのだが――。 「一番槍とはいかねぇが……それなりにやる気を見せねぇとな!」 共に訓練を重ねた相棒で、盾ごと敵を穿ち貫く。 「さぁさ、盛り上がってまいりましょう!」 頑張れ皆、と囃したてるぐるぐだが、アークでも有数の実力者の目はただ浮かれているばかりではない。鬼と見ればオーラの糸で足を止め、武者には挑発を投げて自分へと注意を惹きつける。 「あっち向いてホイの世界ですね、いい加減」 風をはらんだ装束を大きくなびかせ、オッドアイの少女――外見だけだが――は冷たい汗を背中に感じていた。彼女が押さえ込む鬼は二体。 「早めに倒してくださいね、お願いっ」 個々の戦いでは優勢でも、全体の戦況はそうではないことはままにある。じわり、じわりと、圧力が強まるのを前線の兵士たちは感じていた。 ●腐敗戦線/左翼/2/Bad Typhoon 「あらあら、これは数の暴力というヤツかしら……」 豪奢な金の髪を背に垂らし、猫の耳を生やした美女がおっとりと呟いた。いや、その人物、杏子は女性ではない。見紛う美貌を輝かせ、胸に掻き抱いた書をゆっくりと広げる。 「えーっと……」 紡がれるいくつかの音節。と、四色の魔光が明滅し、何人かが攻撃をかけていた鬼へとつるべ撃ちに光線が突き刺さる。 「手加減は出来ませんの、生きて帰ると誓っていますから…」 どこまでもおっとりとした『彼』に、緊張の色は見えない。 「絶対にここから先には行かせない……!」 長いお下げの、こちらは正真正銘の少女である遠子が後に続く。内向的な性格は、使命感の前に姿を消していた。 「この向こうには、命がけで恐い敵と戦ってるみんながいるんだから!」 左目の翡翠が魔力を帯びて輝く。手にした枝葉の茂る杖から湧き出したのは、彼女のとっておき隠し玉。四方八方へと放たれた気の糸が、何体ものアンデッドを穿つ。 「その通り、なんとしても抜かせるわけにいきません」 古風ゆかしき軍服にも似た、黒マントの女・ライコウ。握る日本刀は肉を斬る為のものではなく、むしろ祭事剣に近い気を放っていた。 「飛べ、ヘレブ」 その刀を縦に立てて印を切り、一枚の符を放つ。たちまち生まれた闇夜の鴉が、怖れを知らずにアンデッドたちを啄ばみ、傷つけて。 「ボクはまだ弱いけど……それでも、できることをやらなきゃ」 直刀を振るうせいるが留意したのは、突くことよりも斬ることに力点を置いたこと。確かにそれは、動く死体を『効率的に』処理するためには重要なことだった。 「戦いは嫌いだよ、でも、ボクは日常を守りたい」 それは、この少女が小柄な身体に不釣合いな得物を抱えて戦うには、十分すぎる理由だろう。また一歩、前に出るせいる。だが、それは更なる苛烈な打撃を受けるということと同義だ。 「わあっ!」 棍棒のようなものを叩き付けられ、転倒するせいる。華奢な身体に特大のダメージを叩き込んだのは、総身に傷を負う鬼のアンデッドだ。 「癒しよ、あれ」 周囲の者達を巻き込んでその傷を癒すのは、修行を積んだ僅かな人数が使用できる大技だ。その術者、小夜香は肩先まで伸ばした黒髪を吹く風に弄られながら、小さな十字架に祈りを込める。 「皆で一緒に帰りましょう」 それがたった一つの願いよ、とあえて微笑む小夜香に、せいるはようやく身体を弛緩させる。 「泣かせますねい。いいですいいです、ステイシィさん好みの状況です!」 治療の時間を稼ぐべく戦線の穴を塞いだのは、全身に継ぎ接ぎの痕を残すステイシィ。唸りをあげるチェーンソーを無造作に突き立て、腐った肉を解体していく。 「アンデッドは、誰が作りだしたものであろうと全て叩きますよう!」 肉をこそぎとる刃から漏れ出た力が、彼女に流れ込んでいく。味を試す気にはならないのが残念ねと、うっそり笑うステイシィだった。 「流石に数が多いな……けど、やっちゃるぜ!」 両の腕には不死身の英雄の名を冠したブンディ・ダガー。薄緑に色づいたクローにも見えなくはないそれを、和希は休む間もなく突き入れる。もちろん本命は、それに紛れて植えつけるオーラの爆弾だ。 「少しでも、強くなりたい……!」 華丸が双剣を振るい、後に続く。経験の浅い者もベテランも、等しく戦わなければならないのがこの戦場なのだから。 「いい、鬼には手を出しちゃだめよ」 山羊の角が目立つ美華が、そんな彼にアドバイスを与える。ぶん、と脚を振り抜いて衝撃波を放ちながらも、既に酔っ払いと化している彼女はふらりと傾いて。 「餅は餅屋、強い奴を倒すのは強い人に任せるわ♪」 それが酔拳の奥義か、トリッキーな動きでバランスを取り戻す。 「ふははは! 光栄に思うがいい! 私が支援してやろう!」 戦場の高揚が原因か、普段の丁寧さをかなぐり捨てて偉そうな口調になっていた秋。私に群れる必要はないが共闘してやろう――その言葉には流石に周囲の視線が厳しく、させてください、とまで言い直す羽目になったのだが。 「私の支配する世界を蹂躙されるわけにはいかないのでね」 疲れ果てた後衛陣に、甲斐甲斐しく気力を分け与えていく秋。 「ありがと。それにしても凄い数ね……」 秋から温かなものを受け取ったアルメリアが、透き通った琥珀の瞳を敵陣へと向ける。そのまま短弓をぎり、と引き絞った。 「ここで絶対に食い止めるわよ。鬼の王様と戦ってる皆のためにも」 それは集中に集中を重ねた成果。矢継ぎ早に降らせた矢の雨は、着実にか弱いアンデッドの数を減らすことに資している。 「後の事は気にするなー。なんとかなるぞー、きっとー」 能天気に宣いつつナイフを閃かせるびゃくや。白い髪を振り乱し、着物をはだけさせながらも無邪気に戦いを楽しむ姿は、ある種美しい。 「しろちゃんに任せとけば完璧さー」 「戦観戦も良いですが。身体あってのものですよ」 妹のくろはが後ろから声をかける。だがまるで聞いていない姉の姿に、はぁ、と溜息をつくばかり。 「もう、世話が焼けるんですから」 仕方無しに隣に並び、影から黒いオーラを立ち上がらせてアンデッドの頭を殴りつける。一撃で仕留めるには程遠い二人だが、いい勝負はしていると言っていいだろう。 「びゃくや。くろは。いい加減にしておきなさい」 そんな二人に苛立った声を投げつけるまがや。もとより未熟な二人に怪我をさせるつもりなどないのだ。天下分け目の大戦を観戦に来た、その程度。 誤算があるとするならば、途中で勝手に撤収できると考えていたことだろう。重傷者の搬送は別として、めいめい勝手に逃げ出すなどという事が、百をはるかに超える人数の集団戦で許されるわけがないのだから。 「首根っこひっ捕まえて戻さないといけないかしら。ま、どーでもいいけど」 気だるげに掲げた右の腕から生み出される稲光が、荒れ狂い、二人に群がるアンデッドを押し流した。 「そいつは僕が引き受けます!」 ぶん、と薙刀を振り回す、緋の鎧の骸骨武者。名のある武将だったであろうそれを相手取る孝平は、それは油断できませんね、と眼鏡越しに目を細める。 「持ちこたえて見せますよ」 殴りつけるように振り切った大刀。だが目立つ動きをするということは、それだけの攻撃を引き受けてしまうということだ。一つ一つは大した事がなくとも、積み重なったダメージは大きい。 その時、ふわりと飛来した一枚のカードが彼を囲むゾンビの一つに張り付き、淡い光を放つ。注がれる魔力は動く死体の全身を駆け巡り、物言わぬ物体へと還した。 「大丈 で か?」 かすかに届く響き。目立たぬよう、目立たぬよう、ただひたすらに気配を立っていた鬼崩がこの戦いで発した、それは唯一の声だった。 「ったくまぁ……平成の世だってのに、鬼やらゾンビなんてロートルが今更」 科学の粋が詰まった煙管をぷかりと吹かし、赤毛の少女――リベリスタには、外見と実年齢が一致しないことは日常的にあるが――はぜりは肩を竦める。 「ま、うちの技も大概ロートルなんだけど、さ」 彼女の周囲を巡るのは、びっしりと呪い言葉が刻まれた彫刻刀。いや、それは彫刻刀と同じく刃先が四角く平べったい苦無だった。 「にひ。そんじゃま――」 鬼退治といっとこーか! 刺すためではなく魔力を練り上げるための呪刀から、次々と光弾が放たれる。その数、実に十と一。密集した木偶の群れだからこそ出来た離れ業が、腐敗の海に光の花を咲かせた。 「へぇ、やるもんだな」 老いた男のように老成し、妙齢の女性のように艶やか。奇妙な雰囲気を漂わせる小烏は、戦場に打ち上げられた花火を眩しそうに見やった。 「と、自分も真面目に仕事と行こうか」 視線を走らせ手負いのアンデッドがいると見るや、右手の人差し指に引っ掛けたチャクラムを音も無く飛ばす。 「恨み辛みは此処で全て吐き出せ――死出の旅路はそっから始まるもんだぞ」 ずるり、崩れ落ちる死体。凱旋の道に死人が満ちてちゃ台無しだろうが、と吐き捨てる。左腕の黒翼が、悼むように震えた。 個々の戦いでは、誰一人として負けてはいなかった。だが、戦争とは数である。尽きせぬ敵の姿に、いつしかリベリスタ達は前に進むことができなくなっていた。 「重傷者は出したくないけれど……!」 悲鳴に近い声を上げるアスナ。バックアップの者達の負担も大きい。そんな彼女の背に骨と皮だけの手を当てて、翁は熱いほどのエネルギーを流し込んだ。 「ほーれ、お爺ちゃんの愛を受け取るがよいのじゃー!」 「……ど、どうも」 微妙な返事。思わず被った布団に潜り込む彼はしかし、こんなことをしている場合ではない、と鉄壁の防御から首を出す。 「うむ、最近サボっておったが偶には真面目に働いておかんとのう」 このまま敵が来なければ良い、と悠長に現実逃避する、即身仏寸前の八十一歳である。 「もうええで、成仏させたるからな」 そんな白髯の老人をちらちら見ながら、神楽はあくまでも哀れなアンデッド達に呼びかける。白い水干に浅黒い肌、透き通る髪を三つ編みに垂らして、彼は秘呪が墨された巻物を広げた。 「ぎょーさんきたらええ――九頭龍家の名において、まとめて昇天さしたるさかい」 彼を中心に大気が渦を巻き、急速に生まれた頭上の雲より降り注ぐ氷の雨を遠くまで散らす。たちまちのうちに動きを止めるアンデッド達。 「たまには仕事せんとな、体も鈍って昼寝が気持ちようないねん」 へへっと笑う神楽に、まあもうちょっと頑張ってよ、と軽く返す縁。普段は人の印象に残らない技術を無意識に駆使する彼も、今はそんな余裕を見せてはいなかった。 いや、それは、例え自分が散っても、誰かに覚えていて欲しいという欲求が無意識にさせたのか――。 「僕は裏方だけどね。必死に頑張っている人達がいるんだ」 手には二本一対の仕込み杖。舞うように振るわれた甲賀の秘剣が、次々途と腐敗の兵士を斬り捨てる。 「だから、ここは通さない」 「全く同感です」 八重歯を唇から覗かせて、スーツ姿の万葉がうっそりと笑む。どこかで巻き起こった稲妻の光が、彼の眼鏡を暫時反射で輝かせた。 「城へは向わせませんよ、出来る限りね」 全身から放たれた細く紡がれしオーラが、寄せる波の如きアンデッドの壁を次々と貫き、引き裂いていく。だが、その屍を乗り越えてくる、新たなる屍。 「こ、これでは……!」 普段は柔らかな旋律を響かせる零音の声が、今は焦りを含んで上ずっていた。いつだって、決戦で最初に負担を感じるのはバックアップの回復役。 だが今回は常とは違う。『癒しても癒しても終わりが見えない』――これほどに、心を磨耗させる戦いがあるだろうか。 「私に出来る……出来る限りの、全てを……」 それでも気力を振り絞り、残り少なくなった癒しの力持つ符を懐から取り出して。 「無理するなよ、後輩」 夜闇の中でなお紅く、炎が爆ぜたかと見間違うような赤き嵐に目を丸くする。飛び込んだのは宗一。血よりも色濃きその大剣が、一振りするごとに動く死体を物言わぬ物体へと再生産していった。 「なに、もう少しの辛抱だ。信頼できる仲間が向かうんだ――鬼退治にな」 肩を並べて戦いたい少女がいる。自分の実力であれば、より強い相手へと向かうべきかとも考えた。だが、仲間を信じているからこそ、彼は自らを切り拓く役、そして護る役に置いたのだ。 (――私は一人ですが、独りではないのですね) 零音の胸に満ちる熱いもの。迷う道程に、ささやかなれど確かな道標が行く先を照らす。ああ、だから自分も分け与えよう。自分も誰かの道標になろう。 「皆を護って、皆で護って、世界を護るための戦いなんです! だから。だから……!」 一人の力は小さくても、諦めない。少女のささやかな決意は、崩れそうな戦線に今ひとたびの支えを与える。 「ま、少しは後輩の面倒も見ないとな」 息荒く肩を上下させる宗一。涼しい顔をしていても、決して無傷ではないのだ。運命を使い捨てにして、紅き牙は吼え猛る。 ●腐敗戦線/右翼/2/Collapsed Castle 「……あぁ、不謹慎ながら心が躍る。このギリギリの感覚こそ至上よ」 シビリズが愉快でたまらないとばかりの笑みを浮かべていた。 混迷を極める右翼戦線。永遠に続くかと思われた泥沼の均衡が一気に総崩れの危機に陥ったのは、この方面に二十を超える数の『鬼』のアンデッドが投入されたのが原因だった。 生存時よりもアンデッド化した分手ごわい、腐敗の軍団最強の個体が、押し寄せるアンデッドを掃射すべく広がったリベリスタの戦線を食い破る。 ともかく死力を尽くそうではないか、と大槍を構えるシビリズ。狙うは、先陣を切って突っ込んできた鬼の一体。 「味方の為、そして私の血の滾りを抑える為に!」 鬼よ。須らく散るが良い――危険を顧みず、懐に飛び込んだ戦闘狂の得物が脇腹を貫く。 「まさに、決戦という奴だな」 炎の如き髪をうるさげにかき上げて、アーゼルハイドは唇を歪める。人類と鬼の存亡を賭けた戦い、ならば多少の手伝いをするのも良かろう――素直でない物言いに、思わず 周囲の者が噴き出した。 「さあ死兵達、舞台を荒らす下劣なる徒よ――」 敵の只中に叩き込まれる炎の塊。何体もの鬼どもが爆発にその身を焦がす。 「邪魔をさせはしないさ、俺の楽しみの為にな」 「あはは、さぁさぁさぁ、楽しい祭りの始まりだぁ!」 今一人、心底楽しげに散弾銃をぶっ放すのは、白き尾をふぁさりとぶら下げたルヴィアだ。質より量の代表格のような得物でも、コインを射抜くほどの驚異的な精度を誇るあたり、流石というべきだろうか。 「残らずブチ抜く――逃がしゃしねぇよ!」 トリガーハッピーは脳内麻薬の赴くままに引鉄を引きまくる。さらに次々と降り注ぐリベリスタ達の攻撃。だが、アンデッドとなっても鬼は鬼。人間の身体のように、容易くは『壊れ』はしなかった。 「く……うっ」 鬼の腕に捉えられた雪が、弾き飛ばされて蹲る。声を出さなかったのはせめてもの意地、だが肋骨はやられているだろう。 「……たまるものですか」 だが、仲間は彼を見捨てない。どこにでも居そうな少女、平和と日常の象徴とも言うべき優樹が、あえて危険に身を晒しながらも短い詠唱を口ずさむ。 「亡者の群れ、死者の群れなんかに――」 彼女を中心に迸る癒しの光。その恩恵に与るのは雪も例外ではなく、胸の痛みが消えたことに彼は気づく。 「――生きるために必死に戦っている人たちの邪魔をされてたまるものですか!」 「その言や良し」 右目は包帯に隠れようとも、雪の速度は鈍らない。両手に得物を携えて、鬼どもの間をすり抜けるように立ち回る。 「死体が鬼の眷属となり、生者に仇名し彷徨うか」 心中漏らしたのは、舌打ちかそれとも慨嘆か。ぐ、と突き入れた得物の先が、鬼の腹に飲み込まれる。 「……ただ栄誉も高揚もなく、斬って刻んで捨てるのみ」 「アハハハ! なんて顔してんだい? そんな顔じゃ勝利の女神様も帰っちまうよ!」 食堂のおばちゃんがフライパンをぶん回していた。 しかも人魚姿だった。畜生どうなってるんだ。 「いやはやお富さん、それもう犯罪ですよ!」 「何言ってんだい女神様と呼びな!」 富子からそっと目を逸らし、まだあどけない顔をした鴉天狗はふわりと宙を舞った。 「まあ、私は戦闘向けじゃないですから、こちらで頑張りましょうかー」 軽口を叩きつつも文音は意識を研ぎ澄ます。押し寄せる雑魚は纏めて叩き潰せる火力を持つ仲間達に任せ、自分は一撃一撃を確実に当てていこう、と決めていた。 「当たればいいんですけどねぇ、はてさて」 黒い翼を全開にして、高速で突っ切る文音。ひゅる、と踊るコードが、鬼の首に捲きついて引きちぎらんばかりに食い込んだ。その後を追って、伸び上がった彼女の影が纏わりつく。 「なんとも滾る戦場じゃ! 生涯現役を見せてやろうぞ!」 小柄なれど筋骨隆々の男が、繊細な彫刻の入った美しい杖を掲げた。老いてますます盛んなるゴンじい――権太の火球が、まるで鬼を護ろうとするかのように、あるいは視の匂いを感じ取ったかのように集まってくる死体どもを吹き飛ばす。 「敵大将を倒す迄持ち堪えるのじゃろう? ならば騒ぐのじゃ! 死なない程度に陽気にやるのじゃ!」 「そうだよいい事言うねぇ! 惚れちまいそうだよ」 「あのいやそれはちょっと」 口ごもる権太にガハハと笑い、富子はまたフライパンを振りかぶった。 「さあきばっていくよっ! もし帰ってこなかったらご飯抜きだからねっ!」 ――ねぇ、アンタもだよ、花子。 「この防衛線は絶対に崩しません。リベリスタとしてのお仕事を、全うしてみせます!」 たん、とまだ腐敗に曝されていない土を蹴り、霰が一足飛びに駆ける。次の瞬間、彼女の姿は掻き消えた。いや、掻き消えたと錯覚するほどの速度で、鬼への距離を詰めたのだ。 冷静沈着なる彼女の目が捉えた、一体の傷ついた鬼。敵の中には恐るべき速度で回復していく者もいた。ならば、あれを後回しにするのは勿体無い。 「アンデットの皆さんは、門前払いとしましょうか」 突き入れた刃が、巨体に残っていた力を散らし、動かぬ肉に変える。そのリスクも彼女には判っていた。鬼は一体ではないのだから。判っていて、覚悟を決める霰。 「――っ」 だが、衝撃は訪れない。鬼の棍棒を背中で受けたのは、奇矯な覆面で目を覆い、負傷者の後送に尽力していた牡丹だった。 「……大丈夫か」 「え、ええ。でも貴方は」 周囲の仲間達が気づいてカバーに入る中、自らも搬送される牡丹。追いすがる霰に、ふ、と彼は笑う。自らをからっぽと見做す彼にとって、それは珍しいことだった。 「俺に出来る事は少ない。……それでも、こんな俺でも、仲間を助けたいという思いはあるんだ」 人形と自嘲した彼の、腹の古傷がじん、と疼いた。 「ぅ、ぁ――」 欠けた小剣の切っ先が震える。もう嫌だ、と。助けて、と言いかけて、スペードはそれでも言葉を飲み込んだ。 幸せだったであろう母親を斬った。まだ未来があっただろう少年を闇に沈めた。 (――ここはきっと、月明かりさえ届かない死線の沼底) そうしなければならないとわかっていても、胸は痛い。かろうじて耐えることができたのは、前を走る赤い髪の少女の背中が眩しかったから。 目をそむけようとしなかった少女が頼もしく思えたからだ。 「明とすーちゃん、二人で相手するよ!」 額にルビーのような第三の瞳を輝かせた明が、自らの影から解き放った暗黒の瘴気。スペードのそれが上乗せされ、渦を捲いて相対する鬼を包む。 「明のがチョットだけ先輩だからね! 守るよ!」 あえて反撃を引き受けようと、ぐ、と前に出た明。だが、必死に震えを抑え、彼女に並び立ったスペードが、その得物を敵へと向ける。 「……今度は、私が守ります――!」 「やれやれ、街頭警備を思い出しますね」 警官時代に駆り出された警備活動を思い出す守。あれは暴走したデモ隊だったか。当時は恐ろしく感じたものだが、今目の前にうようよ居る連中と比べれば、なんでもないものだったと判る。 「そんなデモが出来るのも、また平和の証ということですか」 強化防弾プラスチックの盾に体重を乗せ、一息に押し返す。腰のホルスターのニューナンブは、例え相手が不死の化け物でも、最後から二番目の武器だと決めていた。 「このスーパーサトミが倒せるとお思いですか!」 一方、訓練気分で参戦したのは慧美。確かに実戦は百の訓練を凌駕する。この戦いは彼女に多大な経験を与えるだろう――生き残る事が出来れば、だが。 「スーパーサトミパワージャスティススマッシュ!」 それでも、これしきの傷ではへこたれない、という鋼の意志は確かだったから、彼女は戦場に立ち続けた。巨大なる鉄槌が、容赦なく振り下ろされる。 決死の思いは前に立つ者達だけではない。癒し、支援するバックアップもまた、気力と体力を限界まで振り絞り、治療を続けていた。 「さ、これで大丈夫ですよ」 コウモリの耳にじゃらじゃらとついたピアスはペリドットか。戦場を医者として駆けた記憶も懐かしく、楓理は傷ついたリベリスタ達の傷を次々と塞いでいく。詠唱、あるいは祈り。視力の残る左目の翡翠が、面白げに揺れて。 「死者は土に還るのが自然の摂理、歪めるような馬鹿は俺達でぶっとばしてやんよ!」 「甘く見てもらっちゃ困るよな、実際」 手には鋼鉄の月。キャスケット帽越しに猫っ毛の頭をかり、と掻いて、プレインフェザーは掌に意識を集中させる。 決して戦えないわけではない。いや、むしろ彼女はこの戦場に参加した者の中でも上から数えたほうが早いくらいの経験を有している。だが、いやだからこそ、プレインフェザーは後方に控えることを選んだのだ。 「甘く見るなよ、あたし達の覚悟と決意」 じんわりとした暖かさが楓理に流れ込む。数少ない癒し手が途切れずに稼動する、その大切さを知っている彼女は、やはり実力者と言って良いのだ。 「腐らせられねえのは、金属や硝子だけじゃねえだろ?」 「ええ、戦う意志を失うつもりはありません。――もちろん、私自身の命も」 エリーゼの振るう剣は、熟練の者に比べれば勢いが無く軽い。それは、駆け出しの彼女にとってはどうしようもない泣き所ではあった。だが。 「でも、全力を尽くします。無くしたら取り戻せないものを、守り抜く為に」 誰が彼女をルーキーと蔑もう。 誰が彼女の意志を笑うだろう。 「私も頑張ります。皆さんのお役に立てるように」 シェラの喚んだ涼やかな風が、リベリスタの肌にとりついた瘴気を打ち払って。 「皆さんが耐えてくださる限り、アークは絶対に負けません!」 「もうひと踏ん張りですよ、皆さん!」 声を合わせる稲作。その名とは裏腹の可愛らしい少女が、巫女服の袴からふさふさとした黄金色の尾を覗かせていた。 「矢の雨です。当たって下さい! 鬼は外ですよ!」 手にした弓は由緒ある大弓。通常よりも僅かに長いそれは、小柄な彼女には不似合いではあったが――修練の成果か、稲作はそれを軽々と引ききってみせる。 「面倒くさいけど、しゃあないよなぁ」 これも仕事だ、と春は拳一つで立ち向かう。仕事があるってぇのは嬉しいね、と唇を歪めてみせるのは諧謔か。 「温羅の大将コマしてる間、こっちはこっちで抑えなきゃなんねんだろ」 掴みかかるアンデッドを避け、カウンターを一発。それで動かなくなった死体を、彼は無造作に押し倒した。まだまだ、周囲に響く怨嗟の声は途切れることがない。 「ちっ、それにしても、気持ち悪ィ声だなぁ……」 その時。 どん、と。 戦場を圧する破砕音。 そして、何かが崩れ落ちる音。 全身をびりびりと叩く、破壊の振動。 「あれは……っ!」 その轟音は、紅葉の火球が爆ぜる音を掻き消していた。 可愛らしく装飾されたスタンドマイクを魔力を練り上げる触媒として握っていた彼女は、あまりの音に、詠唱を中断して振り返る。 白い肌に刻まれているのは、ただただ驚愕の表情。 そして、黒い瞳に映るのは。 崩れ落ちた鬼ノ城本丸上層階、リベリスタ達が攻め寄せる天守閣の成れの果て。 そして、天を衝くほどの巨体――。 「温羅……!」 いくつもの光弾が巨体に向かって放たれる。次いで、遠くからでも見える、温羅へと突撃を繰り返す仲間達。 「皆さんも、戦っている……」 「それじゃあ、僕らもゆるりと行きますか」 ここで負けたら大変なことになるんだから、やるしかないよねえ? そう惚けたように呟いたなるとは、愛用の取り回しやすい短弓を引き絞る。 「これで倒れてくれると……ありがたいんだけどねっ!」 光の尾を引く流星群が、彼の矢となって動く死体を『薙ぎ払う』。もちろん、武者や鬼を一撃で倒すほどの威力はないが、大多数のアンデッドは、例え動きを止めることはできずとも、かなりの数を沈めていた。 「こういう一丸となって戦うってのも、悪くないね」 これで勝てれば、尚更。そう笑った空色の髪の青年に、おう、と戦士達は応えてみせた。 ●腐敗戦線/中央/2/Suicide Corps 本丸が崩壊する様子は、戦線の中央部からでもはっきりと見えていた。 「みなさん、頑張っているんですね……!」 その白い翼をはためかせ、戦場を俯瞰していたチャイカ。地上から見るよりも本丸の様子が良く判るだけに絶句していた彼女だが、すぐに自分のやるべきことを取り戻す。 「みなさん聞いて下さーい! 右手側斜め前、手薄なところがありそうですよー。そこを足がかりに行きましょー!」 叫びながらも放つ、天使の輪とも思しき円月輪。闇を切り裂く光の剣となって、弱ったアンデッドを両断する。 「うわぁ……まだ、いっぱいいる。……とにかく、減らさないと」 ジズもまた、高度を取っていた一人。だが、彼女は無限とも思えるその数に圧倒される思いだった。それでも彼女を駆り立てるのは、自らもまた『救われた』経験があるから。 「だから、アンデッドさんたちはちゃんとお墓で寝てなさい!」 彼女らしくない大声を出し、魔法のステッキをくるりと回す。ただでは消えぬ廃獄の業火がジズを通って顕現し、腐敗の壁を灼いて消し炭にした。雑誌で見たお呪いが当たったんだね、と感心しきり。 「今は纏めて滅んでて、後でお祈りしてあげるから」 きっと後で、無性に和菓子が食べたくなるのだろう。 「アタシが出来ることなんて、タカが知れてるのよォ」 ぽってりとした唇には鮮やかなルージュ。カウボーイハットのふちを上げ、キャロラインはその宝石のような瞳を挑発的に細める。 「ゾンビの頭をぶち抜くなんて、いかにも映画的。B級映画の主役になったつもりでドンドン行くわよォ!」 掌には夜に溶ける拳銃。連装の弾を増やしたモデルなのは僥倖というべきか、一発でも多く銃弾を打ち込むことに彼女はこだわっていた。 「ほら、バンバン銃を撃つわよぉ」 闇の中に溶けた拳銃が、ぼんやり青白く光る。一方、琥珀にとっては久々の鉄火場だった。帰国後いくつかの経験を積んではいるが、まだ足りない。 「久々に気合いいれていくか」 魁偉な身体には少し小さく感じるリボルバーを三連射、それから近づいてきたアンデッドにナイフを突き立てる。想像以上に困難な任務に、しかし彼は心折れる事がない。 「ここを切り開かないと後続に影響が出るからな。なんとしても成功させよう」 そう。 悪樓決死隊と、それを支援する部隊が万端整え突撃を待っていた。鬼ノ城が崩壊した今こそ、まさにそのタイミング。だが、まだ足りない。 勢いを殺さず駆け抜けるには、押されかけた戦線を押し戻してからでなければ。 「漆黒の翼にして黒騎士たる我。此処で我が活躍を披露し、我の存在を知らしめてみせよう」 赤い瞳を輝かせ、仁王立ちするカイン。危機にあって率先して戦場に立つ事ことがノーブレス・オブリージュ。加えて、その勇名を轟かせること――轟かせるほどの実力を持つことが、彼の密かなる野望だった。 「我ほどの男、そうやすやすと身を危険にさらす事もあるまいが――」 目立ち過ぎるつもりはないとは言え、この状況に至っては縁の下の役割にあろうとも前に出ざるを得ない。何度も繰り返し闇の瘴気を集めて放ち、折り重なった死体が柵を作るほどにアンデッドを屠っていく。 「支援する。……頼んだぜ、お前」 顔面の一部さえ機械に明け渡した巽。精悍な面構えに殺気を迸らせる彼は、しかしがむしゃらに突撃するのを止めていた。代わりに、体内で練り上げたオーラをカイン達に注ぎ込むばかり。 「アザーバイドに興味はない……鬼だろうとなんだろうとな」 気のない素振りの言葉、だがそれは本意ではない。理不尽に殺して喰らう鬼へと抱くのは、ただただ敵意。やらせねぇ、とは心の中だけで。 だが彼のもう一面は、冷静な分析を提示する。数を潰す戦いならば、より力量があり、より多くの敵を一度に倒すことができる相手を支援することも有効だと。 「大儀である」 「さっさと殺せ。ただそれだけだ」 交わす言葉は殺伐としていても、その裏の思いが伝わっていれば、それでいい。 「とにかく露払いしない事には……ね」 学園の制服の上から羽織った魔導師のローブが、闇夜に溶けるようにリリィを覆い隠していた。だが、燃えるような緋のツインテールは、闇を切り裂いて照らし出すほどに眩く明るい。 掲げた魔杖、錬成される魔力、そして膨れ上がる火柱。 (……今はこうすることしかできないけど、安らかに眠って。必ずお参りに来るから) そして切なる祈りは、その元凶への怒りへと変わる。許せない――けれど。 「それはみんなに任せる。そのために私はここにいるのだから」 「ま、俺達は俺達の出来る事をこなす、それだけさ」 淡々と言葉を紡いだジェイドは、ローテクな散弾銃をぶっ放してアンデッドを狩っていく。ジャックの一件では留守居に甘んじたが、今回は最後まで働く心算だ。 「その為に少々準備もしたことだしな」 その気持ちすらイミテーションだったかは、きっと彼だけが知っている。 「ハァイ皆々様! 本日はマジックショーにお集まりいただき、誠にありがとうございます!」 周囲の怪訝な目つきに、楽は、高度なアメリカンジョークですよ、とだけ返した。金色に輝くマスカレイドは、この戦場にあってさえ胡散臭さを失わない。 「まあ、精神のリラックスはこれくらいにして……次は肉体のリラックスです! イッツ・ショータイム!」 その口上こそが詠唱だったか、周囲の者の傷が塞がっていく。なんとも言えない表情を浮かべるリベリスタ達。 「あ……あ゛……」 唸り声を上げ、水色の髪を地に這わせながら歩くマクは、突如凄まじい勢いでアンデッドに飛び掛り、その喉笛に喰らいつく。 腐敗した肉ですら構わずに喰いちぎるその姿は、まるで獣か、それとも敵である食屍鬼のようで。 「こ、ここここ怖いんじゃけど……! でも、これはすべて、御国の平和のためなのじゃ」 兎耳をぴこぴこと震わせる冬路。軍服を着込んだ姿は幼いの肉体には痛ましくすらあったが、その実、精神は長い時間を生きている。 「と、とにかく一匹でも多く!」 背丈ほどの蛮刀を、それでも意外と様になる剣さばきで振り抜いた。ざくり、雑魚どもを斬り捨てる。だが、そんな彼女を、武者の錆刀が受け止めて。 「オ……オッ……」 「……! ま、負けんのじゃあ……!」 半ばべそをかいている冬路。だが、武者の背後から忍び寄った百景が、黒きオーラを砂袋のように骸骨の後頭部へと叩きつけた。 「危ない時は下がってやり過ごせ。必要なら手も貸す」 狼の獣人は少女を庇いながら、なおも倒れない武者の亡霊と対峙する。負傷者が増え、戦線に穴が開いてきた現状、もはや両軍が居るところ全てが最前線。 「――せいぜい戦場を引っ掻き回してやるとしようか」 そう、大胆不敵に宣言してみせた。 「ケッ。趣味の悪ィホラーを見せられてる気分だァな」 色黒の肌に絞られた肉体。それを精悍と見るか痩せぎすと取るかは個人の主観によるだろう。 「金は掛かって居ませんが命掛けてますってか。……気にいらねェよなァ」 毒に侵され、あるいは麻痺に囚われた仲間が現れるたび、瘴気掃う光を浴びせていた。だが、今は少しでも戦うものが欲しい時。 「そんじゃ、怖がらせてみろよ、俺を――」 生身の右手と機械の左手。その両腕が支える巨大なる大盾を、鈍器のように叩きつけた。 「世が危険な時、正義は秩序を持って鉄槌を下さなくてはならないのです!」 邪悪なる鬼と不浄なる者。アルティにとって二つながら度し難いものが、一つの敵となって彼女の前に立ちはだかる。 「等しく全て私の光にひれ伏し焼き尽くされよ! 善罰覿面! 正義は私と共にあり!」 左手に正義の意志を、右手に悪への制裁を。願いを込めた術手袋が白く輝き、そのまま薙ぎ払うように、熱量を持った光線を解き放った。 「ハデにかますのは若い奴らの仕事さ。そうだろう?」 左目に走る傷跡。赤く塗られた両の手。ソウルを見た者への視覚インパクトは強く、それだけに、第一印象ではその剛健さを理解出来ないかもしれない。 (俺の様な人間は、若い奴らが存分に戦えるようにしてやるのが仕事さ) 二重三重に守りを固め、自ら最前衛の盾として攻撃を喰らい続ける。それは、決して楽な戦い方ではない。 だが、彼は耐えられる。続けられる。信じられる。 「若い奴らを信じてやるのも、大人の役目ってもんだ」 「……うん」 腰までも届く長い髪。魔道書を抱えるように持つよすかは、密かに氷砂糖を口に含んでいた。その甘みが、初実戦の不安を和らげる。 「神様が、居ないなら、神を作る、だけ。運命を、切り開く、だけ」 符から生まれた鴉がアンデッドに纏わりつき、ちくちくと傷を負わせる。それはアンデッドの荒波の中で、僅かな抵抗だったのかもしれない。 だが、彼女はもう一つの重要な任を果たしていた。離れたところから、次々に飛び込んでくるテレパスの情報。しばし情報を整理し、それから精一杯の声で告げる。 「……左翼右翼に、後ろのアンデッドが、流れ込んだ、みたい。今なら、ここ、突破、できるかも」 リベリスタ達の表情が、今ひとたび引き締まる。ああ、これこそが、よすかが果たした最大の『出来る事』なのだ。 「……っ、行きましょう――悪樓のもとに」 焦りを押し殺すようにカルナが告げる。鬼ノ城を巡る戦いでは、彼らは城外の鬼戦力を殲滅するには至っていない。その生き残りが、厚みを増した両翼のアンデッドと呼応する形で攻撃を開始したと、テレパスは伝えていた。 「皆さんに、主のご加護を」 「はいよ、任せなさい」 カルナが傷を癒し、それに被せるように京一が唱えた詠唱の旋律が、決死隊、そして支援隊の者達に羽ばたく翼を齎した。 「さぁ、ここからが本番です。行きますよ」 戦いの中でも残っていた父親の顔を塗りつぶす、表情のない仮面。彼の周囲の翼が一斉に風を捲き、ふわりと浮かび上がる。 「決死隊には一兵たりとも触れさせません。……さあ、参りましょうか」 軽甲を纏う騎士姫の槍が、まばゆい破邪の輝きを放つ。身を盾にして少しでも決死隊の損耗を抑えるべく、ユーディスは自ら強敵たる鬼へと穂先を向けた。 「……彼らとて、そんな風にされる為に戦って死んだ訳でもないでしょうに」 同胞の屍すら利用する、そんな悪樓に嫌悪感を覚えながらも、彼女は立ち向かう。そう、何処かの誰かを『護る』ために。 「鬼だか死人だか存じませんが――」 簡単に突破できるとはゆめゆめ思わぬようにお願いいたします、と。慇懃な姿勢と執事服、なれど成銀の眼鏡越しの視線は、まさしく無頼の空気を孕む。 「十三代目の鬼討伐。この紅椿の護り熊銀、一命を賭してお守りいたしましょう」 術士を庇ってきた彼もここは攻め時と見たか、重い拳をアンデッドの腹に突き入れる。そんな姿に、あらイケメン、とウィンクするリアナさん四十二歳。 「でも、ちょっと年を食いすぎてるのが玉に瑕かしらね」 寒気に見舞われた成銀。一方哀れなアンデッドには彼女は容赦なく、魔導師の杖から生み出した火球を弾けさせて火葬に附していくのだ。 「美少年以外は死になさいな。こちとら慈善事業じゃないのよ?」 「あたしは誰でもウェルカムだよ? だってあたしはアイドルなんだから!」 右腕を包むエメラルドの篭手。だいなまいとなばでぃを弾ませて、現役アイドル・カシスは戦場を駆け抜ける。腐っても夢の象徴、その瑞々しい歌声は、神気すら帯びて仲間の傷を包み込んだ。 カチッ。 「きゃっ、で、でも、死体はちょっと……」 かと思えば、突然人が変わったように怯え、立ち竦んでしまうのだ。だが、彼女は再び走り出す。『内気な』彼女を駆り立てるのは。 ――誰も死なせません。絶対誰も死なせないんですっ! 「単なる気まぐれよ、気まぐれ」 カシスが必死の決意を固めるすぐ隣で、藍は肩を竦める。鳥の翼を持つ彼女がちらと脳裏に浮かべるのは、鳥そのものの元・夫のこと。 「いつもだったら、こんな面倒そうなのはお留守番なんだけどね」 そうは言いながらも、周囲の癒し手に気力を分け与えの彼女は、高度な術を連打する助けとなっていた。瞬発力勝負の突破戦、残弾を気にしなくても済むという心強さを否定する者などいないのだから。 「鬼退治に来て、死人の相手をするとは思わなかったわね」 そして、ここに気まぐれを主張する者がもう一人。だが、気まぐれにも意味と理由があるものよ、と薄く笑う澪に屈託はない。 「貴方達はこの舞台に上がる資格など無いわ。地の底に還って、この国の行く末を眺めてなさい」 呪符が齎すは凍てつく雨。死者を冷たい国に引きずり込みながら、フィルターだけになった紙巻煙草を名残惜しそうに投げ捨てる。 「縁の下の力持ちが出来るなんて……妬ましいわね」 チャージに専念する仲間を、残った右目でじとりとねめつけ、蛇の目の愛美は口を開くごとに嫉妬の炎を撒き散らす。紅い左の瞳を隠した眼帯は、既に捨てていた。 「これだけの人数に支えてもらえるなんて、決戦に行った人達が妬ましいわ」 そう言いつつも鋼の弦の弓を引き、光の矢を乱れ撃つ。妬みを此処でばら撒くのも良いけど、と一人ごち、闇に溶ける翼を広げて彼女は高く舞った。 (殺せ……殺せ、殺せ……) 円から漏れ出すのは嫉妬でも怨念でもなく、狂気めいた愛情。大切な母が、今も崩れた天守で戦っているのだ。 (お母さんと居られない……頑張らなきゃ……あいつ等を殺すんだ……そうすれば) 半ば強引に、自らの内に溜め込んだ敵意を仲間へと流し込む。他の人にこの狂おしい思いを託すのは、申し訳ないともちらり思うけれど。 「頑張ってね、皆。上では私の大切な人が戦ってるんだから!」 「まあ、せいぜい楽しむとするさ」 それにしても少しサボりすぎだったか、と硬質の声。 ペース配分など体が覚えていたものだったが、と苦笑いして、文月は愛刀を突き立てる。どくん、と身体が跳ねた。哀れな死者より立ち昇ったオーラが、彼女に流れ込み、咀嚼されて。 「リハビリがてら体を動かすには、少々厳しい戦場だな」 それでも、少しは納得する動きが出来たのか、満足げに頷いた。 「お願いトゥリア……力を貸して」 ティセラが呼ぶのは死地に身を預ける得物の名か、それともその向こうに居る、今も忘れ難い紅い瞳の少女の名か。 どちらでも良かった。ここで倒さないと、沢山の人が犠牲になる。ただそれだけが、今も生きている彼女の真実なのだから。 (――人に害なす者を討つのが、私の使命) 撃った。撃った。臨まぬ戦いを強いられるアンデッド達を、片端から撃って回った。 「……そう、私はリベリスタだから」 私はリベリスタでなきゃいけないの、と呟いた声は、他の誰にも届かない。 「露払いはお手の物、ここから先は立ち入り禁止よ」 いつからか、この一群の先頭に立ち、仮初の翼を羽ばたかせて戦っていたスピカ。白いケープがふわりと舞えば、甘やかな衣装のドレープがはためいた。 「おやすみなさい、屍の戦士達よ」 貫けよ裁きの雷。彼女がかき鳴らす楽の音よりも激しい雷鳴が、粘りつくうなり声を押し流す。 弦が切れても、指が磨り減っても――全てが無と化すまで。 「運び屋わた子。大事なもの、お届けいたしますよっ」 そして、彼女達『運び屋』の献身は報われる。 死体の壁の向こうに見えた、襤褸を纏う老人の姿。 彼らが目指す、腐敗の軍団の将が、ついにその姿を見せたのだ。 「私の風は浄化の風。貴方が腐らせると言うのなら――私は甦らせるんだよ!」 既に足もとはぬかるんだ泥濘に覆われていた。大地すら腐らせる腐敗領域。実に染み付いた毒素を吹き払う浄化の光を放ちながら、エアウは先を飛ぶ少年へと追いすがった。 「そーた!」 「……エアウ。無理はするな。死すら有り得るんだぞ」 まばらになった死者を掻い潜って飛ぶ創太。ウェーブの髪を靡かせた彼女は、覚悟ならあるよ、と言い募る。 「そーたの背中は私が護るって、そう決めてるもん――一緒だよ」 「……おう。なら、来い」 ますますスピードを上げるオレンジ色の少年、ぴたりとついていく風の少女。 「テメェが何を腐らせようとも、俺様達の覚悟は腐らせやしねぇ!」 「あの崩れた城で戦ってる皆が勝つまで、私達も頑張るんだ!」 ――戯けるでないわ。 決死隊の先陣を切って飛び込んだ二人を、怨念を凝り固めたような澱んだ黒球が迎え撃つ。かろうじて回避したエアウ。だが、少年の脇腹を掠めた一つは、彼の肉を『喰いちぎって』いた。 「こ、の――」 「ほ、ほ。温羅様にとっては児戯よ。どの道勝つからこそ、あのお方は鬼の王なのじゃ」 悪樓。 この腐敗領域の支配者が、リベリスタ達を迎え撃つ。 ●腐敗戦線/悪樓/Retia Aletheia 「なるほど…貴様が悪樓か」 葛葉にとって、その鬼の名は問わずとも自明のものだった。 腐敗戦線。ただ死臭だけが満ちる不死の軍勢。 後方では城外に布陣した鬼の残党との戦いが始まっていたが、前線を切り抜けてきた彼らにとって、悪樓は久方ぶりに見る生きた鬼なのだから。 「ならば、少し試したい事が有る。――我が心、腐らせる事が出来るか……!」 白と青のコートは、常ならば清冽な印象を受けるのだろう。だが今は、血と泥と腐汁とに汚れていた。だがそんなことには構わず、『世界の守護者』は掌打を繰り出した。 「義桜葛葉、推して参る!」 水が岩を穿つための、最初の一滴。ずん、と重い一撃。間髪入れず、紫のチャイナを纏う蒼龍が、しなやかな身のこなしで距離を詰める。 「はじめようか、龍の戦いを」 両手で握る大剣は、三日月のような弧を描いていた。西洋剣であればショーテルとでも呼んだだろうか。中華拵えの鎌剣に捧げられた銘は、『血まみれ姫』という。 「この手の届く範囲は俺の護るべき世界――」 一息に振り抜く。首を刈るというその狙いは果たせずとも、生命の力に溢れたその得物は、枯れ木のような身を砕こうかという勢いで。 「――お前は手を出してはいけないものに手を出した」 「退けませんね、この戦いは」 こちらは全身タイツに身を包んだ黒。涼やかに微笑む彼の胸には、あの愛らしい少女の面影。おっさん服着て来いよという周囲の視線は華麗に受け流す。 「鎖蓮・黒、二十五歳まだまだ厄年! 参ります!」 筋力だけはベテラン達にも劣るまい。鍛え抜かれた肉体から繰り出した一撃が、鬼の腹へと突き刺さった。 そんな彼のタイツを、殆ど酸の域まで達した毒の沼地がぼろぼろに溶かしていく。 「タイツを……腐らせないで下さいますか」 「ヒューッ!」 邪気祓う光を放つ半裸のアルバロンの視線。無言で黒に向けられたそれが、まるでハガネみてえだ、と告げている。 そして、そんな黒を見つめる、もう一つの熱い熱い視線。 「おほぅ、素敵……! だめよ、私には名古屋さんという運命の王子様が居るのに!」 身体をくねらせて身悶える多美だったが、そういえば攻撃でした、と鉄槌(多美のデスマスク仕様)を振り上げた。 「味わって下さい! 多美の鉄球!」 もう少し身奇麗に年を重ねて欲しいものね、という彼女の額に輝くティアラは、気の利いたブラックジョークだったという。 「火流真、覚悟はできているか? ――わたしは出来ている」 「気負うんじゃねーぞ、いつも通りやろうぜ」 勇ましい言葉。けれど、双子の妹の手が震えているのを火流真は見逃さなかったから、そっと彼は禾那香の手を取った。うん、と一つ頷く妹。 「足掻くぞ火流真。あのような亡者に蹂躙されてたまるものか……!」 すう、と息を吸い込んで、それから朗とした声を響かせる。禾那香だけではない。エリス達他の癒し手が、詠唱の旋律をユニゾンさせていく。 「ああ、暴れるぜ。腐れ野郎を蹴散らしてやる!」 火流真の手にした書が明滅を繰り返し、次々と属性を変えた魔光を吐き出した。吸い込まれていく先は、もちろん、この場でただ一人の老鬼。 「ほっ、やってくれるのぅ。これは年寄りには酷じゃて」 だがその口調には、まだまだ余裕の色が見えている。さあ出てくるのじゃ、と宣えば、リベリスタ達を飲み込むほどに口を開けた腐敗の沼から這い出してくる骸骨の武者。最初に十、更に十の合わせて二十体。 次の瞬間。 「――憶えてるかしら、悪樓」 悪樓を中心に爆風が巻き起こる。 「貴方の死神が、もう一度の終わりを告げに来たわよ」 周囲に魔法陣を展開した黒きドレスの少女、クリスティーナが二連装の十八ポンド砲を向けていた。最初は狙い済ました火球。そして、次に彼女が篭めるのは、断罪の光弾。 人が死んだから。見捨てたから。 そんな感情は関係ない。 今度こそ――殲滅するのみ。 「殲滅砲台は、獲物を決して逃がさない」 白い翼を背に、無敵要塞の裔は敵手を鋭く見下ろして。 「雑魚といえど、放っておいては危険でござる」 緋色の布が骸骨武者の間を流れた。僅かに遅れて、鋼の爪が骨を砕く破砕音。肌も露なサシミだが、忍軍の棟梁を名乗るだけあって、踊るような体裁きには迷いがない。 「全く、実に醜悪でござるね」 闇に生き闇に死す草の者。だか彼女らの価値観は、決して命を安くは捨てさせない。命の捨て時を得てこそ、忍びは躊躇いなく死ねるのだ。 だからこそ、死後もなお使役される哀れな姿には、おぞましさしか感じない。 「――是が非でも首魁を討たねばならんでござるな」 流れる風までもが腐っているこの空間。漂う瘴気がリベリスタ達の肌を焼き、意識を混濁させていく。 「みんながぴんちっ! ぶれいくひゃー!」 お気に入りの衣装の背にはお菓子満載の靴。ミーノがまばゆい光で戦場を照らせば、ひとときであっても周囲に清浄な空気が戻る。 「みんなっ、ふぁいとっ! ふぁいとだよっ!」 ミーノの色鮮やかなツインテールが、ポンポンのように左右に揺れた。 あるいは彼女の姿に、変えるべき日常を見出すからだろうか。腕を振り振り皆を応援する姿は、不思議とリベリスタ達を高揚させる。 (こんなんだけど、この人はすげーんだよな) その姿に妙な感心をするユーニア。はぐれそうになれば道案内、ぐずり始めれば飴を含ませ、と道中はお荷物にしか思えなかったのも事実ではあったのだが。 「何というか……世の中広いよな」 だが、憧憬は長くは続かない。目敏い者が見れば、その姿はあまりに目立つのだ。 「ほ、ほ。元気が良いお嬢ちゃんじゃのぅ」 がちがちと牙を鳴らす怨念の塊がいくつも老鬼より放たれ、その一つがミーノを狙う。 「ひゃあぁ!?」 ぎゅっと目を閉じる。だが、痛みは訪れない。そっと瞼を開いた彼女の視界を覆うのは、背中で二発の弾を受け止めた守護騎士。 「……俺の前で……もう、誰も……死なせねーよ」 「ユーニアちゃん!」 がくりと倒れる少年を掻き抱き、砂糖菓子の少女は叫ぶ。ミーノもがんばるよっ、だから、だからみんなでかえろ、と。 「お前はすげぇよ、もう十分だ。生きてりゃ次がある!」 ぐったりとしたユーニアを引きずっていくのはツァイン。その背を護るように割って入ったのは、小型の盾を構え、メイスを握る義弘だ。 「やはり操っている奴を叩くしかない、か」 次々と這い出してくる鎧武者。それだけならまだしも、いつ腐敗の軍団がこの場に殺到してくるか、知れたものではないのだ。テレパシーが伝える戦況報告は、もはや悲鳴混じりになっていた。 「それにな、例えどんな奴でも、死んでしまえばみんな仏なんだよ」 無骨なる槌を大上段に振り下ろせば、錆びた兜ごと頭蓋が砕け散る。望まぬ二度目の死を目の当たりにして、やはり許せねぇな、と義弘は吐き捨てた。 「この期に及んで前座に手を取らせたりはしませんよ」 星龍の構えた百発百中の銃が、あえて敵の居ない虚空を射抜く。数瞬の後、降り注いだのは業火纏う無数の弾丸。亡霊武者や周囲から寄ってきたアンデッドもろとも、炎の裁きは悪樓を呑み込んだ。 「私の最大の一撃です。最大限の支援とならんことを」 「援護サンキュ、そっちは任せたぜ!」 ぐっと拳を掲げて礼を送り、身体で敵を遮っていたエルヴィンは本来の仕事に取り掛かる。 灼けた肌に髭、引き締まった肉体。前衛にしか見えない彼はしかし、最も柔らかで清らかな魔力を練り上げていた。 「絶対に護り抜く! 何処からでもかかって来やがれ!」 慈悲の名を冠した短剣が淡く輝き、福音の力を撒き散らす。もう誰にも、失う悲しみを味あわせたりはしないと、そのために護ると、そう決めていた。 「リベンジの機会を得れたのは幸い……と言って良いかは判らないが」 碧衣の全身から放たれる気糸が、未だ動き続けている武者を巻き込んで悪樓を貫く。その背に迫るアンデッドを薙ぎ払う、霧也の大剣。 「今度は勝てば良い。それだけのことだ」 「……なんだ。霧也もそのつもりなんじゃないか」 時折増える鎧武者。だが、その数は完全にリベリスタのコントロール下におかれようとしていた。残り数体まで討ち減らしたアンデッドへと、観樂が殴りかかる。 「オレはまだ、心身共に未熟かもしれない。だけど、出来ることはあるはずだ」 拳に纏う炎が、撃ち砕いた骨を灰に変えていく。傷ついても退く気などない。殴って殴って殴り続ける、それだけだ。 「最後の最後まで足掻いて見せるさ!」 再び悪樓への攻撃が勢いづく。流石に余裕綽々とは言わず、この老鬼に積み重ねられた傷は、傍目にも無視出来ないものになっている。 「生きとし生ける物はみな腐って落ちるのが宿命、ですが」 ある意味、生命の自然な姿を見せてくれるのでしょうかね、とシニカルな感想を抱くのは、茅根の実年齢が見かけとは乖離しているからか。 「何処が弱点なんでしょう。そこを突かれたら、やはり痛いんですか?」 振り回した手をするりと避け、がら空きの脇に銃弾を叩き込む。吼える自動拳銃。 「もっともっと力を振るって下さい。あなたの中身をもっと私に見せて――そして、死んでください」 続いて鬼に迫るのは、鉄パイプ製の鹿の角。スタイリッシュな黒スーツは、かつての鋭い殺気の名残を残していた。 「お前さんに出張られる訳にゃいかねェな。あいつらには思いっきり戦って貰いてぇんだ」 誰が呼んだか『ブチ抜きマリア』、数多の戦場を共に越えた相棒は、今また紫の引鉄を彼の指に差し出して、新たなる破壊の時を待つ。 「俺の鉛玉と殺意は腐らねェ――無頼、機械鹿。推して参る!」 素早く向けた指の先。無意識のうちに定めた照準に向けて、連装の隠し銃が牙を向く。 「お前さんを無事に帰す訳にゃいかねェ。好きにはやらせねェさ、俺達がここで沈めてやる!」 「そう。お前を最小限の犠牲で倒す――それが私達の努めだ」 異形の右腕に奇矯な仮面。彼の影より伸び上がった漆黒のオーラが、ずるり、と伸びて鬼を殴りつけた。 「死者は土に返るのが世の習いである。それを犯す者は許すべからず」 山の老人の系譜を辿る者アッサムードは、妖霊の装いで牙を向く。 「ああいう年の取り方はしたくないのう」 魁偉なる肉体に白虎の頭。ぱつぱつに張りつめた迷彩服に、伊達の眼鏡だけが愛らしい。そんな虎吾郎が楽しみにしているのは、出撃前に半分を残したお気に入りの日本酒。 「そんなわけで、わしは急いでおるんじゃ。少しは黙っとれ」 あたら死に水にするつもりは無い。杭打ち機のような豪快な一撃が、鬼の顔面を強かに殴り飛ばした。 「命を弄ぶお前は許せない――」 死神が振るうのは大鎌ではなく巨大なる剣らしい。空間ごと叩き斬る程の一閃を生む平べったい大剣を携えて、桐は躊躇のない一撃を齎す。 「――ここで今度こそお前の命を終わらせる!」 得物から雷が迸る。逃げるという選択は無かった。あの時の記憶が、苦いものを己の心へと突き刺してくる。逃げるという場所は無かったのだ。 「私は、絶対に目を逸らさない!」 それに肩を並べるのは、いつも通りのメイド姿。五月の釣りあがった瞳は、その手甲に劣らぬほどの棘を孕んでいた。そして、ハスキーな声に乗るトーンもまた。 「雪辱は果たします。今度は負けない……!」 先の戦いでは力不足を思い知らされた。あたら二十もの犠牲を出して、鬼を倒しきれなかった。だから、彼はここに居る。 後始末をつけるため。何に? もちろん、自分の心に。 「その身体、今度こそ私の拳で叩き折ってみせます!」 「む……うっ」 棘の甲が老鬼の腹を穿った。そこから流し込まれる破壊の気。五月の怒りが悪樓の中で蠢いて。 「……! 治っていくというのですか……」 だがもはや瘴気の海と化した戦場そのものが、この腐敗の鬼に多大なる力を与えていた。巨大なる軍勢を率い、多人数を相手取るその能力。 「……あの時に……倒せていれば……」 ぽつり、と漏らしたエリス。それは自分には問いかけたくは無い質問だろう。戦いの結果に『たられば』を持ち出しても仕方ないと、判ってはいるけれど。 「でも……今度は……全員……助けるよ」 戦場に漂う腐敗臭が、涼やかな風で押し流される。傷を癒し、身体の不自由を取り除いたその手腕に、誰もがほう、と感心するばかり。 「以前……救えなかった……人たちの……ためにも」 不退転。誰もが、このまま悪樓を倒し切れると考えていた。 その時は、誰もが倒し切れると信じていた。 「ちまちまアンデッドの相手より、突撃する方が性にあってンだ」 男の子だからなァ、と、くつり喉を鳴らすジルベルト。長く伸ばした舌に、異様なピアスが目立って見えた。 「鬼だかなんだかしらねーが、俺様のファミリーを苛める奴ァ許さねえからなァ!」 狙った獲物は逃がさない、二丁拳銃が火を噴いた。俺様の素晴らしい腕前を見てけよ、という口上に相応しく、無造作に撃ったように見えたその攻撃も、確実に鬼を追い詰めていく。 「慣れてないんだけどな、全開で行くぜ!」 治癒するくらいなら先に殴れ、というのがかつての神夜のやり方で、だから癒しの風を希うのは、慣れていない以上に気恥ずかしい。アークに転向する前の装いだった黒いコートを羽織っている事が、なおさらそんな気分にさせていた。 「最後まで支える。だから、頑張れよ」 赤いグローブが聖印を描き、癒しの力を引き出して。どうやら上手くいったことに、内心ほっとしていたのも事実だった。 「ち、この距離でも体が蝕まれる……長くはもたねぇか」 重傷者搬送に携わっていたツァインも、山場と見て前衛の穴を埋める。 彼の判断は正しい。悪樓の口数が減っていた。肩で息をするほど披露していた。そして何より、あの瞬発的な回復力を、与える傷が上回っている。 「鋼と腐食の勝負といこうぜ!」 剣を掲げ、彼はその切っ先に聖なる光を宿す。蹴散らされる、澱んだ腐敗の空気。この全身を覆う鋼鉄の鎧に賭けて、最後まで諦めない。 「お前の時代には、こういう格好してた奴はいなかったんだろうな」 だから、勝つのは俺達リベリスタだ。ツァインの手に、ぐっと力が篭る。 「……悪樓、貴様を滅ぼしに来た」 まともに歩くことすら難しくなってきた腐敗の海で、それでも鷲祐は最高速を維持し続けた。戦場を駆け続けながら、じっとこの老鬼に意識を集中し、隙を探る。 二十五だ。 二十五人分、俺は命を捨てた。 忘れまい。あの声を。あの表情を。 だから必ず。必ず、二十五人分、斬り裂いてみせる。 世界を救う鍵は、あの二十五人だからだ。 「――鍵は俺が開くッ! 神速斬断『竜鱗細工』!」 鷲祐の姿が消えた。瞬きほどの後、悪樓の懐に『現れた』彼は、脇から肩までを下から上へと斬り上げる。 必殺の刃は『必殺』故に、同じ相手に二度見せることは敗北をおいて無い。だから、彼の手でこの鬼を仕留めることは、あの犠牲者達への鎮魂であると同時に、彼自身の意地でもあった。 「終わりだッ!」 「うおおおっ!」 左腕が、落ちた。噴き出し、流れ出る体液。 血の色とは違ったどす黒い体液が、悪樓の足元の沼地に流れ込む。紛れも無い王手。誰もがやったか、と思ったその時。 「……おのれ」 ぼこり。 ぼこり。ぼこり。 ぼこぼこぼこぼこ。 腐って泥沼になった地面が急速に泡立った。次いで、あらゆるものが早送り映像のように急ピッチで腐敗していく。 それが齎す毒性も大違いだ。泡立つ沼はおろか、漂う瘴気すら酸のようにリベリスタの肌を灼く。 「痴れ者ども、腐り落ちるがいいわ!」 世界が腐っていく。 限界まで耐えていた彼らにとって、これは致命的な状況を引き起こした。決死隊に志願した主力の大半が、沼に呑まれ、瘴気に昏倒する。 更に間が悪く、左翼が壊走した、との知らせがテレパシーを通じて届けられた。圧力を増したアンデッドと城外の残党に挟撃されれば、無理の無いところだろう。 それは、彼ら決死隊の退路が断たれつつあることを意味していた。 「ここまでか……」 誰ともなく漏れる、諦めの声。 だが、ただ一人。ただ一人、退こうとしない者が居たのだ。 付けられなかった決着があって、助けられなかった人がいて。 だから、これは私のわがまま。 論理演算機甲が唸りをあげる。 「先に行っていて」 サングラス越しの視線は悪樓に向けたまま、衒いも迷いも無い口調で彩歌はそう告げた。ほぼ同時に、瘴気の流れが彼女と仲間達とを分断する。 その間にも、身に纏った制服がずるりと溶け、白い肩が露出した。 「何でも溶かす腐敗の主。けれど、硝子と金属は溶かせない」 確かそうだったわね、と問うた相手はもちろん答えないけれど、神経系が鋼に置き換わっているせいで、最後の最後まで動くことができそうなのはありがたい。 「怒っているのよ」 あの時、人々を護れなかったこと。今また、仲間が傷ついていること。 「だから、身体が腐ろうと動きが止まる事は無い。鋼の神経系、硝子の瞳、そして何よりも――」 ――何よりも、私の魂を腐らせる事は、あなたには無理。 彩歌の全身の肉は溶け始め、脚は骨すら露出しようとしていた。だが、神経系と接続された手袋の演算機構は、未だ残っている筋肉を無理やりに動かしてくれる。 前に突き出して広げたのは、緑のLEDが輝く掌。 久しく逢っていない娘の姿が、脳裏に浮かび、消える。 「最後の一発まで。付き合ってよ、悪樓」 「ヒ……ヒィッ……!」 まっすぐに伸びた、ただ一本の気糸。 細く、頼りなく、けれど彼女の全てを託した糸が、鬼の眉間を貫いて。 「わ、儂の身体が……!」 崩壊が始まった。 生物さえ容赦なく溶かす悪樓の腐敗能力が彼自身を溶かさないのは、その身に宿る潤沢な魔力のため。 追い詰められ、身体を維持するための最低量すら失ってしまった悪樓には、もはや自身を維持することは出来なかった。 凄まじい腐臭を撒き散らしながら、悪樓であったものはどろりと溶け、沼地に流れ出していく。 だが、彼女はもう、その光景を見てはいなかった。 沼地に沈んでいく彼女の身体で腐敗に曝されなかったのは、青緑の硝子球と耳当て。 手甲と、それに接続された神経系。 そして、サングラスだけ。 いつしか、戦場音楽はその演奏を止めていた。 代わりに戦場を満たすのは、勝ち鬨の歓声。 アークは勝った。言葉にすれば、ただそれだけのことだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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