●ヒスイとメノウ 「その目、どうしたのかの」 いたずら気がある瞳が隻眼の鬼を覗き込む。 女がまじなうてやろうと、細い指先をかざす。 突かれ潰れた瞳に暖かな力が流れ込んでくる。 鬼は女の髪に指を通す。撫でるのを妨げたのは華奢な一本の角だった。 「摩祥那支よ」 長い指からさらさらと流れる銀糸の髪が、傷だらけの逞しい腕をくすぐった。 呼ばれた女も、呼んだ男も、どちらも鬼である。 目を開けば、女の姿はどこにもない。千四百年前の夢だ。 その頃、彼の両眼は健在であったのに……よく出来た夢だった。 禍埜利という名の鬼は、小さな椅子に腰を預けたまま、俯くように両手で顔を覆う。 長い指に絡み付いているのは、紐を通された丸いメノウの宝玉だった。 この宝玉には、対となるヒスイの勾玉が存在している。 彼女の妻とその眷属達が、その存在を引き裂かれたまま中に封じられているのだ。 ヒスイには肉体、メノウには魂。どちらも揃わなければ完全な復活は叶わない。 そしてヒスイとメノウを同時に破壊することで、妻――摩祥那支は数多の眷属と共に蘇るはずだった。 鬼達はメノウの宝玉を手に入れた後、ヒスイの勾玉の在り処を発見した。 それを手にする矢先に足元をすくわれたのだ。その野望を打ち砕いたのはアークのリベリスタ達である。 禍埜利はヒスイの勾玉を手にすることが出来なかった。 彼の身を縦横に走る刀痕の疼きは、リベリスタが得た勝利の証である。 顔を上げれば当然ながら視界は狭い。 何を期待していたのだろうかと自嘲する。 治癒のまじないなど、夢の中の出来事でしかなかった。 その片瞳は『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)によって抉られたままだ。 禍埜利はあの時、人間達へ積年の恨みを晴らすべき時が来たと思っていた。 妻と仲間を救い出し、温羅と共に大地を征服する。飛鳥京だろうが、"トウ"京だろうが踏み潰してやる。 その戦いの中で出来る限りの力を身につけて、それから―― 今思えば、夢のような計画だったのかもしれない。 彼は失敗の果てに兵の過半すら失ったのだった。 最早こうして出撃の機会を伺い続けるしかない。 だがいくら鬼角や烏ヶ御前達にコケにされようが、挽回のチャンスはある。 鬼が嗤う。 まずはあの忌々しいリベリスタ共を血祭りに上げるのだ。 禍埜利は地に転がる巨大な鉄棒を無造作に拾う。 かつて彼の部下が握っていたものだ。最早この世にいない。 「今は見ていろ摩祥那支。じきに救い出してやるからよ」 ● 「いよいよ、です」 『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)の声色が乾いている。 ただ事ではないのだろう。 推測するリベリスタ達に少女が切り出したのは、あの鬼達の件だ。 鬼ノ王『温羅』への切り札となる『逆棘の矢』の争奪戦は、完全な勝利には至らなかった。 鬼達の想像を絶する強さの他に、矢に対する必死さということも原因の一つだったのだろう。 とはいえ、鬼達がああまで固執する矢を、一先ず二本獲得出来たということは大きな戦果だ。 しかし鬼達は、近く大規模な侵攻作戦を展開するのだと言う。悲惨な未来を万華鏡が捉えたのだ。 だから。 「彼等が動き出す前に、こちらが攻めます」 それは痛快だが、やはり簡単な仕事ではないのだろう。 「はい」 頷く少女が『鬼ノ城』と鬼達に関するデータを、モニタに出力させる。 「皆さんは、城門突破後の『御庭』と呼ばれるエリアで、鬼の精鋭部隊を撃破してください」 時刻は夜……夜襲か。簡単に言ってくれるものだ。 このエリアは本丸への通過点であるばかりでなく、『御庭』を守護する鬼角が操る大術を邪魔する為の重要なポイントでもある。 モニタに次々と映し出されるのは、敵配置の予測ポイントだ。まるで戦争である。 いや――そのものか。 それからリベリスタ達が交戦することになる敵のデータが表示される。 「禍埜利、ね」 片目がつぶれた鬼である。 アークに一度敗北している以上は、死に物狂いで向かってくるに違いない。 「一点、気になることがあります」 あのメノウの宝玉のことだろうか。 「おそらく多くの鬼の魂が封じられた破界器です」 古代の勇者達の手柄なのだろう。 「最悪のケースでは――」 敵は、封じられている『鬼姫』摩祥那支の力を得る可能性があると少女が述べる。 「どのような形で?」 リベリスタの質問に少女は首を振る。分からないということか。これは厳しい。 「分かる限りの発動条件は?」 「少なくとも、玉の破壊は一つのトリガーとなるようです。 ですが、アークは対となるヒスイの勾玉を守ることに成功しています」 こちらは現代の勇者達が勝ち取った成果だ。 「ですから……」 「仮に力が発動したとしても、不完全な効果しか現さないはずだ、と?」 「はい」 少女は肯定する。それにしても存在を引き裂かれたまま封印を解かれるというのは、どのような状態なのだろうか…… 「メノウの宝玉が破壊されることで、どの程度の力が、どのように発揮されるのかまでは、完全には解析することが出来ませんでした」 ごめんなさいと、少女は頭を下げる。 メノウに封じられているのは魂だけという話である。 仮にメノウを破壊されても鬼姫の魂の器となる身体が必要になるはずだと、エスターテは付け加える。 「身体、ね」 なんとなくぞっとしない話だが、何はともあれこの戦場を制して決戦に挑むまでだ。 「絶対に死なないで下さい」 厳しい戦いを予感したのだろう。 静謐を湛えるエメラルドの瞳は緊張に震えていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月09日(月)23:53 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●静寂乃乱 春の夜を彩る桜が、ようやく見ごろを迎えつつある。 去年よりは、やや遅いだろうか。未だ風は冷たく、夜ともなれば外套を必要とする機会も多い。 僅か数時間も足を伸ばせば、花を肴に酒を楽しむ御仁等も居るのであろうか。 しかしこの日、岡山県総社市の鬼城山を包む喧騒は、そんな世間的な営みとは無縁の血生臭さを濃密に内包していた。 血臭の中心点は『鬼ノ城』である。 研究家によれば大陸の建築様式であると推定されているが、同様の建築物は極めて少ない。と、そういうことになっている。 千年を越える星霜の果てに残された遺跡は、人の手により復元され、神代の世界への思いを馳せる場となっていた。そのはずだった。 だが、今ここに立つ十名が見上げる城の威容は、後世の――つまり現代に生きる人間達が推測した砦のような想像図とは全く趣きが異なっていた。 本丸を頂く巨大な城砦は妖気さえ漂わせ、1800年代後半から振るわれ続けてきた学問のメスを嘲笑っている。 どこの誰にもその在りようなど、想像すら出来なかったのであろう。なにせこんなものは遥か古の伝説なのである。 この城が、城としての機能を有していた時代には、明らかに作れるはずがない異常な構造物だった。 それもそのはずである。現代に突如蘇ったこの城の主達は異界の住人――鬼であったのだから。 その城壁内部に立つ十名は、各々が身に完全な武装を施して、ただ一点を睨む。 全ての視線が、数十メートルの距離に腰を下ろしている存在に向けられている。 篝火に照らされたソレがずいぶんと近く見えるのは、常識を外れた巨体が所以だ。 禍埜利と呼ばれる隻眼の鬼の背を守るように、十匹の鬼達が控えている。この場を守る強力な精鋭部隊である。 戦場特有のぴりぴりとした空気が、辺りを覆っていた。 とはいえ歩み寄る十名とて尋常な存在ではない。 手早く展開されつつある多重の加護が煌き、彼等の身を力強く包み込んでいく。 「奇遇な所で出会うのね」 月の光を湛える涼やかなアルトが、闇を包み込む。 「なんて嘘よ」 硝子か銀細工で出来ているような少女――『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)が言の葉を風に乗せた。 「万華の鏡は総てを見通すわ」 「……リベリスタ」 対する返事は喉の奥から搾り出すような声音だった。 一度は己を打ち破った少女達に、鬼は何を思うのか…… 禍埜利と名乗る隻眼の鬼は、そう呟くと俯いたまま静かに立ち上がる。両者の長い銀髪が春風を受けて翻る。 手折られ、無残な姿を晒す桜花の枝が踏み折れる。愛でてでも居たのだろうか、花びらがはらはらと地を流れた。 逞しい腕に握られているのは、錫杖と呼ぶには余りに簡素で無骨な鉄棒だ。 「若ッ」 呼びかける赤鬼の合図で四匹が剣を抜き放ち、黒鬼と並ぶ四体が弓を手に取り引き絞る。 元々鬼兵達は剣弓どちらの武器も携えていたが、そのような選択となったようだ。 一触即発の気配の中、彼等は全員の足並みを揃えて静かに合図を待っている。野蛮な鬼とは思えぬ程の規律だ。 「そんなに通りてえか?」 古の雷光を孕んだ片眼が少女を見据える。 遠方からレーダーのように精緻な観察を巡らせる七布施・三千(BNE000346)の脳裏を、押しつぶすような激怒の感情が唸りを上げ続けている。 「貴方も雪辱を注ぎたいのでしょう?」 禍埜利の瞳孔が縦に長く引き締まる。殺してやると、鬼は唇の端だけをつり上げて嗤い、跳んだ。 影纏う糾華へ向けて巨大な鉄塊が迫る。 戦いに必要な能力全てを一線級まで高めている彼女とて、こんなものをまともに受ければ、ただではすまないだろう。 突風の如き一撃が僅かに掠めた程度だと言うのに、あと二撃も受ければ彼女は己が地に膝を着くことが分かる。 仮に全く同じ程度の――つまり最良の当たり所だったとしてもである。それ以上ならば、言わずもがなだ。 糾華が以前相対した時よりも更に重い一撃だった。背を冷たいものが走り抜ける。そんな幸運は、そう度々続かないはずだから。 それでも。 「お待たせした」 軍人らしい実直な声が少女に力を添える。これは決戦へと繋がる戦いだ。 ここ『お庭』エリアの敵は精鋭揃いの上、厄介な敵の布陣から多くの作戦を展開しづらい。 押さえるべきポイントの絶対数が少なく、一つ一つの比重が大きい。言わばつぶしが利かないエリアなのである。それを落とすわけにはいかない。 『T-34』ウラジミール・ヴォロシロフ(BNE000680)が構える肉厚の軍用ナイフが鈍い光を湛えている。 「では、戦争を開始する」 「俺一人で皆殺しにしてやんよッ!」 戦いの火蓋が切って落とされた。 丁度その頃、戦場の右端では『蒼銀』リセリア・フォルン(BNE002511)が黒鬼率いる左翼部隊へと切り込んでいた。 翼を得たリセリアはその速度を更に高めながら黒鬼部隊へと駆け出していたのだ。 手に携えているのはいつもの蒼剣ではない。多少の打撃力を犠牲にしてでも避けることを主眼としている片手剣の出で立ちだ。 陽炎のように揺らめく剣が、弓を手に持つ鬼達を次々に切り裂き、その体勢を打ち崩す。迫る剣を、少女を、弓で振り払えど幻でしかない。 それでも弓兵達は斬撃をやりすごし、黒鬼指揮の下で糾華へと一斉に矢先を向ける。 集中砲火が行われようという矢先。間一髪飛び込んだ『悪夢と歩む者』ランディ・益母(BNE001403)は敵戦列に鋼の暴風を叩き込む。 どいつもこいつも、脇ががら空きだ。 防御あたわず。斬り裂かれた鬼達の弓から零れるように放たれた矢は、全て明後日の方向に飛んでいく。体が思うように動かないのだ。 城壁に突き立った流れ矢が音を立てて震えている。太い箆が深々と刺さっている。とんだ剛弓である。 ランディに続けて『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)の古式銃が火を吹く。 これまでに巻き起こった瞬時の推移を読み取り、鬼兵を落とすのに多少の時間がかかるだろうと判断したのだ。 絶大な技量から放たれた銃弾は単発の常識を覆し、文字通り桁違いの精度で狙い違わず敵陣に星の煌きを撒き散らす。 光は二匹の腹に、二匹の胸に、それぞれ吸い込まれる。痛打と、それを越えた完全な一撃だ。 これでは最早、弓兵は盾にしかならないだろう。早くも糾華の攻略に見切りをつけた黒鬼は、次の合図とばかりにリベリスタ後衛へと火球を放つ。 同時に赤鬼の部隊が後衛に向けて走り出した。 火球は三千を中心に狙われたものだが、守りの要所への攻撃を許すわけにはいかない。 『不屈』神谷 要(BNE002861)は火球を防ぐために三千に身を呈す。地が大きく抉れ、砂利が飛び散った。 並のリベリスタに直撃すれば、体力の過半以上を奪い去られるであろう甚大な威力である。 「届かせません……ッ!」 だが不屈の少女は身のこなしにも守りにも一角の自負がある。炸裂する炎は完全な効果を現すことすら出来なかった。彼女が負った傷は浅い。 「私達にも護るべき、救うべきものが多数ありますから――!」 次の手には動き出した赤鬼の部隊がこちらへと殺到し、殺到動ける弓兵は必ず狙ってくるはずだ。 しかしそれも必ず防ぎきって見せる。少女が可憐な瞳に篭める紅玉の意思の名を決意と呼ぶ。 「夜襲となれば忍びにとってはお手の物。 ここは大いに暴れさせてもらうと致そうか」 鋭い『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)の瞳が射抜くのは、後衛に殺到しつつある部隊のリーダーである赤鬼だ。 ここに立つのは僅か一人。しかし彼がこの場を抑えることに成功すれば、仲間への危険は大きくそぎ落とされることになるはずだ。 あえて敵の撃破、禍埜利の封殺を譲ってでも、やらなければならないことはある。 (そう思えばこの程度の危険なぞ、取るに足らぬというもので御座るよ!) 「邪魔な糞蛇がッ!」 赤鬼の巨大な棍棒が幸成をなぎ払うが、彼は風のようにわずか数歩の距離を跳ぶ。当たらない。 更に鬼が放った猛烈な蹴りを身を捻って避け、だが続けざまに襲い来る棍棒にその頭頂を叩き潰される。鬼は終わりだと確信した。 直後。棍棒は大地だけを抉り、赤鬼の首がガクンと後ろ引かれる。背後で気糸を引く幸成が静かに呟いた。 「残念。影で御座るよ……」 剣兵達は幸成達に構わず駆け抜けていくが、これで赤鬼という最も危険な要素は一先ず拘束することが出来たろう。 三千を狙い、剣鬼達が殺到する。それぞれが人の背丈ほどもある蛮刀をなぎ払い、突きだし、振りかぶる。 だが少年を狙う殺戮の暴風の前には、銀色の髪の少女が立ちふさがっていた。要である。 彼女は叩き込まれる巨大な剣の全てを、大盾で受け流し、剣で叩き落す。 華奢とも言える細腕の、どこにそんな力が隠されていたというのか。 身に受けた攻撃の全ては、彼女が誇る力さえ上回る絶大な膂力から放たれたものだったが、少女は己の意思が負けているつもりなどなかった。 「ありがとう、ございます」 少年の信頼が少女の背を支えている。赤鬼は幸成が止めている。三千の癒しは戦場の全域すら覆っているのだ。 火花が散り、腕が痺れ、踵は抉れた地を更に穿てど、まだまだどうということはない。絶対に負けるわけにはいかない。 「……行くぜ、デスペラードォ!」 歯を剥き出しに『人間魚雷』神守 零六(BNE002500)が吠える。 「狩りの時間だッ!」 地を滑るように駆け抜けるメタルフレームの青年は、変幻自在の得物を手に舞い上がる。 「ヒャッハハァッ!」 アフターバーナーの熱気と共に、絶叫を上げるHarvesterが天空から叩き付けられた。 禍々しい歯車が黒鬼の太い左腕を喰い千切りる。彼はそのままの勢いで地を蹴りつけて三匹目の弓兵の足を止める。 「小癪な人間がッ!」 「違ぇよ! これが主人公の力って奴だッ!」 リセリアとランディに阻まれた二匹を除き、突撃をかけつつある『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)を押さえることが出来る鬼はどれだけ居るのだろう。 敵陣の最中を猛然と突き進む快を、なおも一匹が阻もうと試みる。 兵達は赤鬼黒鬼と比較すれば小振りに見えないこともないが、間近に迫れば二メートルを超える巨体であることに違いない。 だが快は鬼の肩に肩をぶつけて敵陣を縫うように突き抜ける。鬼達はタイミングを崩され麻痺した身で邪魔等出来ようはずもない。 迫られた黒鬼が憎しみの唸りをあげる。彼は肉薄をやってのけたのだ。快が遮ることで、黒鬼は思うように立ち回ることが出来ない。 こうして戦況はリベリスタの計画通りに動きつつある。 黒鬼率いる敵左翼は戦列を抉じ開けられて乱戦となり、正面の禍埜利は押さえ込むことが出来た。 後は、後衛に切り込んできた敵右翼がどう出るのか―― ●銀糸乃網 糾華が気糸を編み上げる。かつて禍埜利を打ち破った必殺の戦術である。 彼女の速度は禍埜利のそれを、かろうじてではあるが完全に上回る程に高められている。 だが同じ戦術が何度も通用するものであろうか。 禍埜利の正面をウラジミールに委ねて、少女は潰れた左目の死角に回り込む。 「二度目となるのに、どうして前に出てきたの?」 完封とまでは言わないが、ただこれだけで攻撃のほとんどを封じきることが出来るはずである。 「手前、メス餓鬼ッ」 彼の半分ほどの小さな生き物が、腕や首を気糸で締め上げている。身動きがとれない。 禍埜利の窮地に赤鬼が吼える。 「替われ雑魚が!」 三体の剣兵が要への攻撃を外れた。一体が幸成の背後を奪って赤鬼と入れ替わる算段だ。 今まさに赤鬼が二体の剣兵と共に禍埜利の元へ駆けようとする矢先、幸成も赤鬼に気糸を絡ませる。 「汚ぇ糞蛇がッ!」 「……忍者で御座る」 心持ち憮然とした表情の幸成だが、それは未だ眉をひそめる余裕さえあることを意味していた。 赤鬼の動きも確かに封じることが出来ている。幸成は涼しい表情で赤鬼の半身をきりきりと締め上げ続ける。 問題は赤鬼二体の動向だ。 一方敵左翼ではリセリアが再び剣を走らせ、精鋭兵達を引き裂く。 鬼達の血が春風に舞い踊る。冴え渡る剣技は、瞬く間に無数の傷を形作っていった。 今度は混戦ゆえの二匹だけだ。そろそろ出来ることなら禍埜利戦のサポートに向かいたい所であるが未だ状況が許してくれない。少女は唇を噛む。 再び放たれた龍治の弾丸が三匹の兵を穿つ。輝く神秘の光弾に肉が弾け飛んだ。これで左翼は壊滅的な手傷を負っているはずである。 一部は撤退を試みなければ命の危険が伴う頃だが、精鋭だからなのか、それとも温羅の居城が所以か。兵の士気は高く一糸乱れぬ統率は続いたままだ。 アークが誇る十名のリベリスタ達は、いずれも戦闘を得手とするトップクラスの実力者揃いだ。その十名が、未だ一体の敵兵すら屠ることが出来ていないのである。敵は強い。 「新田!」 ランディの頬を凄絶な笑みが彩る。 「隙を作る、合わせろ!」 出自さえ分からぬ分厚い戦斧が振り上げられる。 「馬鹿め、届かんぞ」 黒鬼が嗤う。殺傷力を無理矢理に確保すれば間違いなく誰かを巻き込む距離だ。 「構わない!」 快は揺るがない。躊躇ひとつせずに叫ぶ。 「俺ごとやってくれ!」 言い終えると同時か待たずか、鋼の暴風が再び戦場に吹き荒れた。 威力精度共に尋常ではないランディの刃の嵐が、鬼達と共に快の背をずたずたに引き裂く。二体の鬼兵が倒れた。 壮絶な戦術だった。経験や信用だけでは物足りぬ。両者――否、背を守る仲間全員への絶対の信頼と、己の自信がなければ成し得ようもない。 快の手足を封じるはずの痺れも傷も、彼の次の一撃を妨げることは出来なかった。 「馬鹿な、小僧ッ!」 「受け取れよッ!」 燦然と輝く破邪の光は、守り刀を剣に変えて黒鬼を縦一文字に引き裂く。 「小僧、打ちのめしてやる」 顔面から胸までを引き裂かれた鬼が血に呻き吼え猛る。今の彼が得たのは守りの力だけではない。 「そうまで……しますか」 一人刃を受け止める要に守られた三千は、手のひらを転げるダイスを掲げて聖なる息吹で戦場をあまねく覆う。 絶大な癒しの力により、リベリスタ達はほぼ万全な状態を取り戻すことが出来た。快には傷一つ残らない。 「若ッ!」 二匹の兵達が次々に、ウラジミールと糾華を切りつける。そう簡単に受けてはやれるものではないが、ここで少し流れが変わる。 かーしゃーり。禍埜利。 「――大丈夫かの」 くすくすと鬼姫が笑う。細い指が、ばさりと広がる禍埜利の髪に絡む。 そんな誰にも聞こえぬ声を、触れられぬ指先を、禍埜利は幻視幻聴の類とは思っていない。 確かな物理現象としてならば、春の夜風が吹いたに過ぎないのだが…… 胸元に揺れる暖かさを人間並の言葉で心の支えなどと言ってしまえば、気に入らないのは明白である。 「「苛つくぜ」」 きっとそうだったのであろう。 禍埜利を視界の隅に捉えた赤髪の巨漢と、鬼の声が重なる。 ランディは苦笑ひとつ。野郎、どこか似てやがる。 兎も角、三手目に糾華の気糸を辛うじて避け切った禍埜利は腕を掲げ、灼熱の炎を呼び寄せた。 「死に晒せやッ!」 火の鳥が戦場を駆け抜け、圧倒的熱量に大気が爆ぜる。地獄の業火がリベリスタ達を覆い尽くした。 「感情任せの炎に――」 小盾とナイフを構え、ロシヤーネが耐える。憤怒如きに飲み込まれてなるものか。 「――永久凍土は溶かされたりはしない!」 大きく体力をそがれたリベリスタ達だったが、三千ならば背を支えることが出来る。 「倒されはしません――!」 戦場に光が満ちた。大技だ。何度でも放てるものではない。だが少年は使いどころを的確に見極め、確実性と効率とをしっかりと両立させていた。 ここまでに兵の半数を失った黒鬼の判断は、あの銀髪の少女が最も危険だというものだった。糾華の頭上に出現した魔力の大鎌が少女を斬り付ける。 それも二度だ。一撃目は直撃、二度目は浅かった。体力の過半を削り落とされたものの、それでも糾華は倒れない。 鬼達はそれ以上の有効打を放つことが出来なかったのだ。そこへ眼前の鬼を屠ったリセリアが駆けつける。 これで最前線は三名となる。二名に張り付く鬼達をすぐさま斬り捨てることが出来ればと歯がゆいが、ただの兵と言えども精鋭を気取る鬼達はタフだ。 せめて次の一撃で動きを封じる為、リセリアは瞳を細めて剣を構える。 「愛する女を救い出す為に、か」 この鬼は人間を憎む割に、随分と人間臭いものである。 炎の直撃を受け、大きな傷を負った龍治が呟く。たとえ三千の強力な癒しがあっても、今一度は耐えられないだろう。 攻撃を超長射程の狙撃に代えて黒鬼だけを狙う手もあるが、ここで攻撃の手を止めるわけにはいかない。 誰もが未だ運命すら従えず、戦場に立っている。それに次の一撃に集中するリセリアがやってくれるはずだ。 火薬が弾ける。星光を纏う銃弾が、今度は黒鬼諸共左翼を引き裂く。黒鬼部隊の兵はこれで全滅した。 「次は手前だ――」 兵の死体を蹴りつけランディが跳ぶ。頭上から叩き付けられた強烈な一撃が黒鬼の肉を引き裂き、骨を断ち切る。 裂帛の気合に黒鬼が呻き、気おされる。足は止めた。 「今だッ!」 「刻み込め、主人公の力と言う奴をッ!」 ランディの叫びと同時に、快が輝く砂蛇の刃を突きつけ、零六が多角斬撃を叩き込む。 黒鬼は、それでもまだ倒れない。 ●瑪瑙乃玉 戦いは一進一退を極めていた。手順を数えれば、もうじき両手の指を全て折ることになるはずだ。 当てる事、避ける事、打撃力、耐える力、反応精度。癒しの力――そして怜悧な判断力。 それら全てに優れた十名のリベリスタ達は、それぞれが鍛え上げた技を駆使して、強固な連携と確かな戦術で鬼を圧倒しているかに見える。 彼等に出来ねば誰に出来るというのかと、そういった布陣であった。 激戦は続いている。その中で要が、燦然が、再び加護を張り巡らせている。確実に瞬間だけを狙って、糾華は左足だけを狙い打っている。 それでもほんの僅かな隙、否、隙とすら呼べない程の針糸に糸を通すような間隙から、ふいに浴びせかけられる強烈な攻撃は、突如としてその構図を突き崩してしまう。 ぶれながらも支えられ続けている力の天秤が、もしも傾いてしまったら。たとえ一瞬でも大きく動いてしまったら、きっと勝負は決まってしまうのだろう。 幸成が邪魔な兵を振り払い、懸命に赤鬼を抑え続けていなければ、事態は更に混迷していたはずである。 全身を覆う無数の傷を黒装束に隠して、彼は飄々と忍びの戦いを続けている。 三千の癒しと、受ける傷がほぼ拮抗しているのだ。 極めて重い一撃を身をもって耐え凌ぐ快とはまた違う、回避に主眼を据えた耐久の手法だ。 同じことが出来るリベリスタは、アークが誇るトップリベリスタと言えど、ほとんど居ないだろう。 彼が延々容易く避け続けているように見える赤鬼と言えども精鋭達のリーダー格だ。肉弾戦闘能力は黒鬼すら越え、禍埜利の二番手というべき極めて強力な戦闘力を持っている。 平素の陽気で怪しい姿からは想像すら出来ぬであろう毅然とした……孤独な戦いだ。 龍治の瞬間狙撃で倒れた黒鬼の首をはね、零六は禍埜利を睨む。その天秤を動かしうるのは、こいつ自身と、首を飾るメノウの宝玉だ。 あの中には強力な鬼姫の魂が封じられているという。 「魂と肉体を分けて封印する必要がある程の鬼、か」 その強さに興味がないわけではないが―― 「残念ながら、こちとら忙しくてな」 彼等はさっさと次の戦場に行かねばならない。 リベリスタ達にとっては、いずれかのタイミングで禍埜利が宝玉の力に頼ることは折込み済みだった。 問題は依り代。魂の器となる肉体が、どこに選ばれるかということだ。 神秘の力に優れた黒鬼か、禍埜利自身かというのがリベリスタ達の推測である。 仮に黒鬼に魂を降ろされて、禍埜利と並び立つようなことがあれば、リベリスタの敗北は免れないであろう。 その戦いも、こうして死んだ黒鬼の肉体を破壊することで、漸く半ばを迎えたのだ。 禍埜利はといえば、動きのほとんどを完封され、身動きの取れない怒りと絶望を瞳に込めてリベリスタ達を睨み続けている。 そんな様子にランディは心中の微かな苦笑を禁じえない。あの鬼は、なんとしてでも勝ちたいのだろう。己が自身の手で。 ……少しは解るさ。そのメンタリティは、どこかしら己が自身と似ているところがないわけではない。ならばそのクソなプライドをへし折ってやる。 「新城の代わりじゃねぇが、全力で行くぜ」 「そいつはッ!」 鬼が戦慄く。己が左目を抉った剣士の名乗りを忘れられるはずがない。その相手とは奇しくもランディ達の友である。 そのランディの斧が強烈な膂力を伴い、鬼の肩から胸までを大きく切り裂く。噴出す血が彼の頬を真紅に染め上げた。 「いいぜ……」 大きな右手で顔を覆った禍埜利が小さく呟く。嗤う。 三千が感じている強い怒りと、焦りが一気に膨れ上がる。 「何かがッ!」 要が叫ぶ。おそらくメノウに手をかけようと言うのだろう。 少女の予測通り、今まさに、宝玉に左手をかけようとする刹那、糾華が鬼の左腕と体の間に身体を滑り込ませた。 突如褐色の腕に抱きしめられる格好となった少女の背骨がぎりりと悲鳴を上げるが、彼女は冷めた表情を崩さぬまま、上目遣いに小さく呟いた。 「邪魔するなっていう顔するのね――」 憤怒の形相で叫ぶ禍埜利が少女の小さな体を跳ね飛ばす。 ――私は人間、貴方は鬼。何処までも邪魔するわ。当然じゃない? 「前言撤回かね? 鬼のものよ」 「これは、過去ばかり見ているお前と、明日を求める俺達との戦いだ!」 正眼に構えられた快の刃が煌く粒子を纏い始める。 大事な人を取り戻したいという願いを、快は否定するわけではない。 しかし彼には守らねばならない人達が居る。世界がある。 「だから、俺達はもう一度お前を止める。禍埜利!」 燦然と輝く光が、傷ついた鬼の胸に吸い込まれる。禍埜利が血を吐く。 「俺の勝ちだ、お前は焦り目的を見失った」 再び斧を振り上げるランディが、全身全霊の力を込めてグレイヴディガーを振り上げる。 「――結局自分のプライドを殺し切れなかった!」 強烈な斬撃が禍埜利の左腕を根元から粉砕する。ランディが一撃を叩き付けた時点で勝負は終わったのろう。最早禍埜利に戦う力は残されていない。 先ずは勝ったのだ。傾いだまま動きを止める鬼に、リベリスタ達の剣が、銃弾が、次々に禍埜利を穿つ。絶望に飲まれて禍埜利が大地に膝を突く。 だが、血にぬれた宝玉は徐々にひび割れ、カタカタと震えはじめている。 ――禍埜利。 ―――禍埜利。 声が聞こえる。いよいよリベリスタ達にも聞こえている。 幻聴ではない。くすくすと笑っている。哂っている。嗤っている。 リベリスタ達の心を得体の知れない漆黒が満たして行く。瘴気となりつつあるほどの、邪悪な意思だ。 「運命よ!」 突如、ウラジミールが突進した。糾華を突き飛ばしてがら空きになった胸に、強かに肩をぶつける。鬼が吼える。 よろめく禍埜利の首にかかるメノウの宝玉を、彼は掴み上げて力強く引きちぎる。砕けた銀の鎖がきらきらと舞った。 「命を賭して事を為す!」 決意と共に握られた石は禍々しい光を増し、火傷するほど熱い。それでも彼は石を抱え込む。 「おっさん!」「よせ、ロシヤーネ!」 「破邪の力となり、燃えよッ!!」 運命を捻じ曲げたいと願い。彼は燦然と輝く法理の光を一点に込め、炸裂させた。 宝玉が砕け散り、巻き起こる爆発に、ウラジミールの身体が吹き飛ぶ。 御し得なかったのか。世界に肩を掴まれた。きっと彼は世界に愛されすぎているのだ。 ただ仮にあと少し、二度三度倒れてでもいれば、どうだったろうか。結果は違っていたのではないか。彼が放ったものはそれほどに強固な魂の叫びだ。 だが、御し得なかったとは言え、その意思は宝玉に破滅的な聖の気を確実に叩き込んでいるはずだ。 果たして―― ●桜花乃理 霞のように現れたどす黒い存在はうねり、どこか物欲しげに一同をぐるりと見渡す。 「鬼姫の召喚は免れない、か」 銃の狙いを定めたまま、孤狼の瞳で龍治が呟く。苦い味がする。 最も最悪の結末とは、アークの仲間が選ばれることだ。要の明瞭な頭脳が導き出した答えは、真実の一端を確かに捉えている。ならば果たして誰を選ぶのか。 だが同時に今が最も組しやすいタイミングなのではないだろうかとも思う。 その時である。 どす黒い塊がその触腕を伸ばし、糾華の身体に絡みついた。よりにもよって彼女を狙うのか。 うねる黒波は猛烈な勢いで少女を押しつぶし、城壁に叩き付ける。 要が走る。運命を捻じ曲げてでも、なんとしても阻止しなければならない。 「はよう出せばよかったものを。なあ?」 声が聞こえる。女だ。要は身を貫く戦慄を制して、光輝く法理の剣を真一文字に振るった。 絶叫と共に黒いうねりが大きく引き裂かれる。糾華が地に転げる。存在の一部を失ったうねりが、空中に蟠る。 「ありがと……」 激しく咳き込みながらも礼を述べる少女に安堵する要。だが彼女もまた運命を捻じ曲げることが出来なかった。 「来い! 摩祥那支! 俺に力をッ!」 若い鬼が叫ぶ。己が身に降ろす気なのだ。どす黒く朧な思念の塊が禍埜利の身に吸い込まれていく。 闇に飲まれつつある鬼が失った左腕に白い塊が生じたのが見える。まさか。癒す気だろうか。同時に瘴気が戦場を覆い尽くした。 「お前かえッ!」 とうとう暗闇の塊に包まれきった鬼から、雷光が迸り戦場を駆け抜けた。立ち上がるウラジミールとランディを打ち据える。 それに桜だ。あの時踏み潰された花の花びらが快と糾華、リセリア、零六を突如として包み込み斬刻んだ。 これが攻撃行動ならば異常な精度だ。それに蜂のようにまとわりついて離れない。水しぶきのように舞い踊る夥しい血液が春の夜を鮮やかに彩る。 万が一の事態がやってきてしまった。未だ赤鬼と向かい合う幸成は、こんな時の撤退も考慮していたが、これでは間に合わない。最悪だ。 このままでは、下手をすれば全滅だろう。最も効率よく逃げたとしても犠牲は免れないだろう。 ――つまり、誰かが死ぬことになる。 眼前の赤鬼を倒しておくことが出来ていればよかったのかと、彼は口中を噛む。だがここまでの間に彼一人の身でそれが出来るかといえばそんなに安い仕事ではない。 客観的に判断するならば、ただ一人で止めていたというだけで、間違いなく大きな戦果であるはずなのだが…… リベリスタ達の心に落ちかけた最悪の思念を穿ったのは一発の弾丸だった。 「如何なる悪夢を見せてもらえるのか?」 そんなものはご免ではあるが――ここまできて、未だ龍治等の想定に致命的な狂いはなかったのだ。 神技の弾丸は絶対の証明を持って黒い塊を貫き通す。こんな相手でも、やってやれないことはない。 切り裂かれ、蝕まれるリベリスタ達を覆う聖戦の加護は消えていない。彼等の意思を強固に災厄を打ち払っていく。 更に。 「その程度の電撃では、自分は退かぬ!」 この神鳴でウラジミールは落とせなかった。彼は絡み付いて離れない筈の雷陣をものともせず、闇に向けて光の刃を振るう。 戦場の中心に位置するぐずぐずとした闇の塊から次々と襲い来る強烈な攻撃に、満身創痍のリベリスタ達の身は大きく傷付けられていく。 ここで運命を従えた者も居る。それでも彼等は戦いを止めなかった。三千が居るからだ。彼がその癒しを止めない限り、リベリスタ達は戦い続けることが出来る。 僅か数瞬の後、闇が晴れ女が嗤う。やはり女だ。そこに居るのはもう禍埜利ではない。 こんな結末を今亡き禍埜利は知っていたのかもしれない。 メノウの力を借りれば、己が身は破滅するのだと。摩祥那支が魂の破滅と引き換えに、彼に力を貸すことなど、彼女の性は許す筈がないと。 それでも彼はぎりぎりまで、妻が力を貸してくれると心のどこかで思っていた。 だがこれで良かったのではないかと、彼はそう想い、永遠に消え失せたのだった。 「禍埜利……」 リセリアが聞く限りの鬼とは、少し毛色が違う感がしていた。彼等にも各々の目的があって戦っていたのだ。 それはもしかすると、戦場で出会う他の鬼達も…… 彼の目的が何であったのか、人間への復讐以外に何かがあったのか。きっとこのためだったのだろう。 彼の最後は本望だったのだろうか。 「可愛い可愛い禍埜利……ようやってくれた。 じゃが。 こんなくたびれた身体では、使い物にならぬでの」 リセリアの思念を嘲笑が遮る。役立たずと。女は骨だけの左腕を振るい、艶やかに微笑む。 彼だった頃を物語るものは、いまやそのつぶれた目と、傷ついた左腕だけである。 片目を潰され案山子にされて。 「はっ。みすぼらしいわ」 腹部には大穴まで穿たれ、背骨だけが揺らぐ身体を繋いでいる。今の鬼姫はそんな化け物だ。 その悪霊のような姿は、依り代と魂を大きく傷付けられていた摩祥那支が、完全な顕現を許されていなかったことを意味していた。 あのロシア人の決断がなければ、今頃どうなっていたやもしれない。 龍治の緻密な一撃が摩祥那支の豊かな胸に突き刺さる。 快の、要の、ウラジミールの無限機関が唸りをあげる。三本の刃が鬼姫の胸を貫く。 「威勢がいい」 ごぽりと血を吐き、女は嗤う。 見渡す戦場には、鬼兵達の死体が転げている。 「皆こうも壊されては、緊那羅の歌も届かぬでな……」 「癒しの力だったのですね」 三千が呟き、女が嗤う。 「旅は道ずれと言うからの」 共に逝こうぞ。彼女は力の全てをリベリスタ達の破滅に注ぐつもりなのだ。 「こんな所でよ……」 零六が血を吐き捨てて立ち上がる。 「寝てる場合じゃ、ねぇんだよッ!」 「居ったのか小僧。数にいれとらなんだわ」 刺し貫く冷たい視線。もののついでに死ねと、摩祥那支が指を向ける。劈く雷光、桜花が次々に襲い来る。 だが―― 「猛れ、デスペラードォ……ッ!」 鬼姫が目を見開く。その身をずたずたに引き裂かれ、なぜ倒れていないのか。 「小僧――ッ!」 速い。先ほどまでとは比べ物にならない動きだ。ブースターを全開にして、零六は天空から錐揉み状に突撃をかける。 「そう言われちゃあ、涙で明日がってなあ」 歯車の刃に骨格だけの腕がひしゃげる。 「――言わせてんじゃねえぞッ!」 圧倒的な技の冴えに、鬼姫の腕が粉々に千切れ飛ぶ。 「ちい、忌々しい! こんな体では」 リベリスタ達が次々に猛攻を仕掛ける。輝く剣が切り裂き、弾丸が身を貫く。鬼姫が後ずさる。 「彼は、貴女のことを大変大切にしていたのに……」 そんなものなのだったのか。 「彼が見ていたのは、全ては幻……そんな貴女だからこそ、全力で倒す事が出来るわ」 糾華はこの状態で、有効な打撃を放てるとは思っていなかった。その上、この一撃が通るかは賭けになる。 だが再び回り込む。そこは死角となる左目だ。持ちうる力を全て注ぎ込んで放たれた気糸は、完全な効果を表し鬼姫の身を強かに縛り上げる。 「小娘ェ!」 振るおうとした爪も、桜花も、雷光も、全てを閉ざされ天を仰いだ鬼姫に、突如一粒の流星が降り注ぐ。 空中から飛来したリセリアは振り返りもせず、これまでの激戦で曇り一つない剣を収める。瞬時遅れて、鬼姫の身を二条の光が斬り刻んだ。 これでもいい。鬼姫の左頭部が弾丸を浴びて血煙を上げるから。 「調子こいてんじゃねえぞクソがッ!」 ランディが万感の殺意を漲らせた戦斧を振り下ろすから。 「テメェはぜってえブチ殺す!」 封じられ、力を削ぎ落とされ、ずたずたに引き裂かれ。つがいの鬼は散り果てた。さながら、儚い桜花のように。 快が拳を握り締めた。明日を掴み取るために―― |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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