● 小奇麗なオフィスの、恐らくは来客用のソファの上で。 少年はスケッチブックを抱えてぼろぼろ、涙を溢していた。 「どうしたの? 上手く行かなかったのかしら」 そんな彼に声をかけるのは、スーツに身を包んだ女。 ソファの傍に膝をついて。少年の背を摩りながら、彼女は静かに首を傾げて見せた。 「っく……う……消えちゃったんだ、絵の具作ったのに、消えちゃ……っ」 隈が彩る顔には血の気が無い。精々中学生程度であろう少年は、しゃくり上げながら必死に言葉を紡ぎ、スケッチブックを広げる。 薄墨の様な色で描かれているのは、恐らくは少年とそう歳の変わらないであろう少女。 それを見詰め、更に涙の粒を増やした少年は苦しげに女の腕に取り縋った。 「……あら、ちゃんとお話を聞いていなかったのね? 私言ったじゃない、重ね塗りし続けなきゃ駄目よ、って」 ほら、もう一回塗って御覧なさい。 そんな言葉と共に差し出されるのは、一本のナイフと皿。 腫れぼったい瞳はそれを受取って。そして、何の躊躇いも無く、 己の腕を、掻き切っていた。 ぼたぼた、零れ落ちる紅を、痛みに震える手が慌てて皿で受け止める。 同じ事をしたのだろうか。既に刻まれていた傷からも、鮮血は滴り落ちていく。 痛い。寒気がするほど痛い。しかし、その痛みも、そして止まらず溢れる血も、気にも留めず。 彼はスケッチブックと共に握っていた筆を、紅の血に浸した。 そしてその侭、少女の絵へと走らせる。髪は茶色。瞳は緑。今日の服はきっとラベンダー色が良い。 ぶつぶつ、呟く少年の意志に従う様に。鮮血の絵の具を乗せられたイラストは、鮮やかに色付いていく。 そして。色付け終えたイラストは淡い光と共に、その姿を変えた。 柔らかな髪。大きな翡翠の瞳。ラベンダー色のワンピース。 絵そのまま。美しい少女が、少年の前に、現れていた。 「れ、レイナ……っ良かった、良かった、有難うお姉さん!」 歓喜の声を上げる少年に、女は優しく微笑み首を振る。 一頻り喜んだのだろう。漸く己の腕の傷をハンカチで押さえながら、少年はふと、表情を曇らせた。 躊躇いがちに、その唇が開かれる。 「あの、お姉さん。……重ね塗りするのには、僕のだけじゃ絵の具、足りなくならないかな」 不安そうに。何処か可笑しな疑問を告げる少年。 それを見下ろして、女は酷く満足げに、しかし優しく微笑んで、窓の外を指差して見せた。 歩く、通行人達。つられて外を見る少年が彼らを捉えた事を確認してから。 女の紅の唇は甘く、囁く。 「……ほら、絵の具は沢山あるわ。大丈夫でしょう?」 それは、暗い誘い。少年を陥れんとする甘い罠。 しかしそれでも、少年は女を疑わない。納得した、とばかりに大きく頷いて。 オトモダチを連れた少年は、ふらつきながらも軽快に、オフィスの外へと出て行った。 その背を見送りながら。 女は、袖に隠したレコーダーを取り出す。少年との会話。ビデオでないのが残念だが、これも又良い資料だ。 「……『友人の居ない彼は恐らく、手に入れた幸福に目が眩んでいるのでしょう。彼の今後が楽しみです』」 3月某日、記録者――。そう、吹き込んで電源を落とす。 楽しげな微笑が、女の美貌を彩った。 ● 「揃った? 揃ったわね。じゃ、今日の『運命』って奴いくわよ」 ざっとリベリスタの顔ぶれを確認して。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は常の様に、話を始めた。 「ええと。……以前、一般人の少年が、アーティファクトを渡されていたって事件があった。 新道、って言えば分かるって言われたんだけど、分かる人居る? 剣道やってた男の子。……一応これ報告書ね。 で。その時、アーティファクトを渡した奴の素性が少し分かったんだよね。そいつはフィクサード。あの主流七派――」 ――『黄泉ヶ辻』のエージェントだ。 しかし分かっているのはそれだけ。 以前の報告書によればそのエージェントは女である事も分かっているが、それ以外は全くと言って良い程分からない。 そう告げて、フォーチュナは一つ、溜息を漏らす。 続けるわよ。そう前置きしてから、彼女は資料を手放した。 「今回、あんたらに頼むのは、アーティファクトの奪還若しくは破壊。あ、当然持主の生死は問わないんで好きにやってね。 ……まぁ要するに、またこの前と同じ様に、一般人にアーティファクトが渡ったって事。言わなくても分かるわよね。 で。先ず最初にアーティファクトについて。 識別名『虚構塗り』。筆の形のアーティファクト。その筆で書いたものを全て具現化する。 簡単に言うと、生物は全てエリューションとして現れ、無機物はそのものが持つ効果のみを発揮するって事ね。 因みに人間書けば人間出てくるけどエリューションだし、知性はほぼ皆無。相槌位は打てるけど。 代償……って言うか、そもそもこの筆を使用するには絵の具が居るんだけど、その絵の具が問題でね」 人間の血でなくてはならない。 血の持主は問わない。兎に角人間の血でなければ、その筆は絵を描いてはくれないらしい。 悪趣味よねぇ。溜息混じりに呟いて、フォーチュナは椅子に座り直した。 「しかも、この絵、重ね塗りし続けないと消える。絵が消えれば実体化したものもはいさようなら。厄介よね。 今回は既に2体、エリューションが召還されてる。識別名『レイナ』。少女型。魔術師系。 もう片方、識別名『マコト』。少年型。前衛、拳で戦う感じ。どっちもゴーレムね。 こいつらは当然、アーティファクトの所有者を護ろうとしてくる。倒さないと武力行使でアーティファクト奪うのは無理だから。 次。所有者について、いくわよ」 そう良いながら、長い爪がモニターを操作する。 表示されるのは、中学生程度の少年の写真。気弱なのだろう、カメラに向く視線も何処かおどおどとして不安定だ。 「御陵・一。中学2年生だけど不登校。まぁ要するに引きこもりね。 見ての通り気弱で、友達を上手く作れなかったんだろうね。苛められてたみたい。 当然友人は一人も居ない。親も相手にしない。……下に弟が居るみたいで、そっちがまた優秀なのよ。よく有る話。 んで、まぁ、その心の傷に付け入られたんでしょうね。彼はアーティファクトを受取り、オトモダチを産み出した。 でも、オトモダチは直消えちゃう。血が足りない。そう気付いた彼を、エージェントは唆した」 他人の血を使えば良い。その示唆は少年の耳に甘く入り込み、納得させてしまった。 「別にこの子が道徳観念に欠けてるとかそう言う事は無いわよ。 ただ、自分の血を使う事の可笑しさよりも、人の血を得る、と言う事が、どう言う事なのか、と言う事よりも。 彼の中では、オトモダチを得られた喜びのほうが大きかったみたいね。……我に返れば異常さに気付くだろうけどまぁ、現状不可能。 ……あたしが見た未来でこの子は、オトモダチと一緒に大量の殺戮を行ってた」 今なら未だ惨劇を止める事は可能だ。そう告げて、フォーチュナは立ち上がる。 「どういう結果にしても構わない。剣道の子程、この子の心は強くないだろうから。 ……まぁ、後悔の無いように。全力を尽くしてきて頂戴。気をつけて」 ブリーフィングルームを去る彼女の表情は、険しかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月06日(金)22:41 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 唐突に差し込んだ、光。 けれど今の自分にとっては目を灼く様な強いそれに、御陵・一は頭痛を堪える様に目を細めた。 今は何時だろう。分からない。何故眩しいのか。誰かが此処に、来たからだ。 「ウッス少年。オレは焦燥院フツ。三高平の高校生だ」 ――お前さんの友達になりにきたぜ。 少年が誰何の声を挙げる前に。『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)は声をかけていた。 仲間が全員入り終えた事を確認してから扉を閉めて、これでゆっくり話が出来る、と笑った彼は、少年へと学生証を見せる。 「……友達、って。僕の事一つも知らなそうな人が? 何で?」 見ず知らずの他人じゃないか。目も合わせず呟く少年の意志に反応する様に、笑みを貼り付けたオトモダチが此方を向く。 戦う気は無い。それを示そうと言う様にフツに続いたのは、『悠々閑々』乃々木・白露(BNE003656)。 「一君も絵を描くんだね、僕も絵を描くのがとっても好きなんだよ」 名を名乗ってから。少年と共通の趣味である絵画の道具を見せた白露に、少年の瞳が微かに動く。 一度人を信じられなくなると、再び信じる事に抵抗を感じてしまう。その気持ちは、白露にも理解出来る。 けれど、出来るなら。彼にもう一度人を信じる事を取り戻して欲しい。そう願う白露の願い等知らぬ少年は、訝しげな瞳を此方へと向けていた。 「なんで、僕の事知ってるの? 何? 君達も僕の事、苛めに来たの?」 僕は何にもしてないって言うのに。声が、怯えと憎悪で震える。 少年の警戒が高まった。それを感じ取ったフツが、すぐさまフォローに入る様に口を開き直した。 「オレ達は実は、不思議な力がある。それで、お前さんのことを知ったんだ」 あくまで真摯に。告げられた言葉に、少年は少々納得が行かない表情を浮かべながらも、張り詰めた警戒心を緩める。 続きを。そう言いたげに投げられる、合わない視線。 「僕、共通の趣味を持った友だちが欲しかったんだ。一君さえよければ僕と友達になってくれないかな?」 勿論嘘じゃない。友達になりたいから、此処に来た。真摯で真直ぐな言葉。 趣味が同じ、と言う事も有るのだろうか。少年の瞳が漸く、リベリスタ達の足元へと向けられた。 「……話は、聞く。何?」 漸く、話を聞いてくれようとしている。それを見て取った『第14代目』涼羽・ライコウ(BNE002867)は、少し雑談をしよう、と微笑んだ。 「御陵さんは、絵を描く以外に好きなものはありますか?」 食べ物や動物、花や音楽。あとは風景など。問いかけて、陰陽師は緩やかに首を傾げる。 好きなもの。小さく復唱する声を耳にしながら、先ずは自分から、と言わんばかりに話を続けた。 シチューが好きだ。音楽はあまり馴染みがない。花だと、白百合だろうか。 並べられる言葉に、少年は少し、面食らったように瞬きして。けれど、漸く沈黙を破る様に、口を開いた。 「……朝焼けが好き。夕焼けは少し、寂しいけど好き。……シチューは、僕も好き」 今日はじめての、少年の意思の混じった言葉。それを嬉しそうに受け止めて。 言葉は、続く。 休みの日には散歩に行く。そう告げて、自身の傍に居る『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)や、フツを示す。 杏樹の教会に行ったり、そこで会ったフツと話したり。 何となく出会い、何となく友達となったのだ。そう語るライコウの言葉に、少年の表情が理解し切れない、と言う色を浮かべる。 「友達になる事に理由は要らない。慕う事も愛する事もなくていい」 絵が好きなら、その好きなもので友人を作る事が出来るなら素敵なことだ。 そんな、友人関係を築けた事など無いのだろう。何それ、と言葉を漏らした少年の瞳が、ゆらゆらと揺れる。 「……私めは、御陵様の絵を見てみたいと思います」 其処に、言葉を重ねたのは『忠義の瞳』アルバート・ディーツェル(BNE003460)。 黄泉ヶ辻。気分の悪くなる事件を連発する彼の集団の尻尾を必ず掴む、と決意を固めながら。男は優しく、言葉を重ねる。 出来るならば、普通の筆で描いた、普通の絵を。 その言葉は、少年の微かな罪悪感を刺激したのだろう。ぴくり、と肩が震える。 「きっと、素敵だろうと思いますよ。絵が好きな方が描いた絵なのですから。……嗚呼、御陵様」 叶うならば自分も、友人になりたいと思っている。 だから。そう重ねられた言葉に、少年は少なからず心を惹かれ、揺らしている様に見えた。 「――本当に、」 アークにはお人好しばかりなのね。 仲間達より一歩下がった位置。己の執事を傍らに置いた『嗜虐の殺戮天使』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)は冷ややかな眼差しで状況を眺めて居た。 酷く、不愉快だった。何故だろう。あのアーティファクトが悪いのか。所有者が嫌なのか。 答えは出ない。どろどろとした感情を吐き捨てる様に、彼女は首を振る。 何はともあれ、友人が居なかったからといって、紛い物の存在に満足し分別を失うだなんて自分勝手もいいところだ。 説得を邪魔するつもりは無い。けれど、手を出す事もしないと決めた彼女は、苛立ちを隠せず柳眉を寄せた。 言いたい事を言い終えた執事――アルバートは、そんな主人を気遣う様に視線を投げる。 共に来たこの依頼。どうも、彼女は乗り気ではないらしい。 思う所があるのだろう。静かに半歩下がった位置に控えながら、アルバートは静かに、主人の見詰める先に視線を向け直す。 警戒心は、緩んできている。いいタイミングだろう。 そう判断したフツは、ゆっくりともう一つの本題を告げる為に口を開く。 「あのな少年、お前さんの持ってる筆、そいつはよくねえものだ。……悪いが、壊させてもらえねえかい」 一気に強張る少年の表情。そうなるのは予測していたのだろう。フツは慌てる事無く言葉を接ぐ。 その筆が、友達を生み出してくれているのはわかる。それを壊そうといえば、嫌がるのもわかる。 けれど。 「このままじゃ、お前がその筆に殺されちまうんだ。……オレに、お前の絵を見せてほしい」 だからどうか。言い募る、願うような言葉に少年の表情が微かに、緩む。 悪意を持っている訳ではない。自分の為に、こんな言葉を掛けてくれている。 リベリスタの言葉は、間違いなく届いている。けれど、少年は未だ、重ね塗りを止める事は出来なかった。 逆らう事のないオトモダチと、新しく手を伸ばす沢山の人。 どちらを、選ぶべきなのか。そう、思案しながら。 握った筆で腕の傷を抉る。べったり、付着した紅が再び、真白い画用紙へと塗り付けられた。 ● 傷ついた心と言うものは他のどんなものよりも、甘い言葉に弱い。 少年がフィクサードの言葉を容易く受け入れてしまった様に。リベリスタの優しさに満ちた言葉は、少なからず少年の心を揺らしていた。 けれど、それでも。今此処にいるオトモダチを失う事を良しとし切れない少年へと。 「血が足りぬからと、オトモダチに人殺しをさせたいのかぇ?」 投げ掛けられたのは、核心とも言うべき真実。 びくり、肩を震わせた少年に気付きながらも『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)は話を止めるつもりなどさらさら無かった。 軟弱者は好かない。文句も言えず、拳で語る事も出来ず。おどおどとしているからこそ、標的にされるのだから。 甘言ではなく、真の友人関係と言うものをきっちり教授してやる。 そんな瑠琵の言葉への答えを探していた少年はしかし、納得させられるであろう答えを見つける事が出来ない。 「っ……ち、違う、僕は友達にそんな事をさせたりしないよ!」 ただ少し、絵の具を分けてもらう手伝いをお願いするだけだ。そう必死に言い募る言葉を軽々と一蹴して。 瑠琵は、言葉を続ける事を止めない。 大体、言う事を聞くだけの都合の良い相手を友とは言わない。だから。 「お主は、自分の為にオトモダチを利用しているだけに過ぎぬ」 突き付けられたのは、間違いなく事実。 歪な友情。歪んだ関係。頭のどこかではきっと、少年も理解している。けれどそれでも、彼の心はそれを受け入れる事を許さない。 許せない、という方が正しいのだろう。怯えてばかりの弱い心は、縋ったものを手放せない。 「聞きたくない、聞きたくない……僕は友達を大事にしてる、あいつらみたいに苛めたりしてない、大事にしてるんだ……!」 がたがた、震えた声が紡ぐのは、拒否。 そんな彼を眺めながら、杏樹は微かに眉を寄せた。 理由も、身の上も分かる。しかし、狂的だと、思った。もっとも、何が彼に其処までさせるのかは分からないが。 そこまで考えてから。杏樹は徐に、その指先を己の口許へと持っていく。 ぶつり。食い込む鋭利な歯。ぼたぼた。零れ落ちる鮮血と、走る鈍い痛みに、彼女はそっと吐息を漏らした。 「痛いな。こんな思いまでしても、友達が欲しかったのか?」 ナイフではない。けれど、少年の感じている『痛み』を少しでも感じ取れるとしたら、こんな物理的な方法しか思いつかなかった。 一人が寂しかったのか。孤独が怖かったのか。理由は定かではない。けれど。 こんな痛みを伴いながら、血を要求する間柄は歪だと、彼女は首を振った。 「痛くないよ、だって、これで僕、友達の力になれてるんだよ? 何でいけないの? こんなに大事にしてるじゃないか……っ」 貧血が悪化しているのだろうか。紙の様に白くなった顔で、少年は必死に首を振る。 真摯で優しさに満ちた言葉。少年を思うが故の、厳しい言葉。 その両方を携え説得に望んだリベリスタの言葉は、普通の少年相手であれば確りと届いたかもしれない。 けれど。一は、それを受け止め現実を見る事が出来るほど、強くは無かったのだ。 「……これに依存したまま真っ当に生きていけるわけなんて無いのに」 ぽつり、呟くのはティアリア。 彼女は分かっていた。甘い言葉だけでは、少年を救う事は出来ない。厳しさは必要な痛みだ。 ――それを少年が受け止められるかどうかは、別として。 「……僕はおかしくない、僕は悪くない……僕は……っ」 据わった瞳が、前を見据える。 鮮血に汚れた筆が再び、傷を抉る。叩きつける様に、それを画用紙へと塗り付けた少年は、深く息を吸って。 「もう聞きたくない。……絵の具を頂戴、僕にはもうそれだけで良いよ……!」 反論が出来なければ、実力行使。 短絡的になりすぎた少年の言葉に応じる様に。エリューションが静かに、動き出し始めた。 「クッ……この強情っぱりが!」 2回目の重ね塗り。これ以上は危険と判断したフツが仲間に合図を送りながら、聖なる福音を呼び寄せる。 対象は、仲間と一。与えられた癒しは、傷つきすぎた少年の傷をじわりと癒していく。 「皆あなたの命を心配しているのよ。……本当に、お人よしよね」 前に出て、エリューションを抑えながら。ティアリアが告げた言葉に、少年が微かに驚きの色を見せる。 何故傷が癒えたのか。理解出来ていないながらも、友人の危機を感じて彼は再び、癒えた傷を抉って何かを描き出した。 投げ付けるのは、滑稽な道化のカード。 破滅を告げるそれが命中するのを見届けてから『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273)はその優しげな面差しを曇らせる。 前回といい、今回といい、甘い毒を用いて破滅に導くとは随分と性質の悪い奴ら。 「……いったい、何が目的だと言うのでしょうか」 答えは未だ、分からない。 ● 戦いは、長引き、膠着しつつあった。 リベリスタを全て追い払いたい少年と、少年を救いたいリベリスタ。 実力は明らかに、リベリスタの方が上。しかし、癒しを受けても、少年は重ね塗りを止めない。ゴーレムを癒す事も止めない。 完全な鼬ごっこはしかし、徐々に少年の体力を削っていく。 「血で絵を描いていたら君がどうにかなっちゃうよ。そしたら君と友達になりたい僕はどうしたらいいの?」 仲間の傷を癒しながら。白露が投げ掛ける言葉はしかし、苛立つ少年には届かない。 意固地になっているのだろう。反論出来ない。己の弱さも間違いも受け入れる事が出来ない少年にとって、現状はただ苦しいだけだった。 「それは友達じゃない。お人形遊び。その二人のこと、幾つ知ってる?」 厳しいのは知っている。けれど、その温い関係から一歩踏み出す勇気がなければ、少年は何も変わらない。 このまま重ね塗りを続ければ確実に、少年は死ぬ。ひとりぼっちのまま死なせるなんて事は、出来ないから。 光弾をばら撒きながら。杏樹は真直ぐ、言葉を投げる。 「お主にとって2人は友だとして、2人にとってお主は何者じゃ?」 友? 違う。2人にとって一は、絶対に逆らう事の出来ない存在だ。 もし逆らうとしても描き続けられる。そう、口で言うのは容易い事だ。 けれど、瑠琵にはこの少年がそんな強さを持っている様には到底見えなかった。 「お主が虐められて何も言えぬように、何も言えんのじゃよ」 「私たちを倒したとして、見知った人も知らない人も手にかけて、それであなたは……誰と遊ぶんです?」 戦闘をしながら投げ掛けられる、幾つもの言葉。 それは、強い人間にとっては間違いなく、救いの手に見えただろう。 けれど、今の少年にとってそれは刃。怯えた心は受け入れない。 そろそろ、重ね塗りの時間だ。筆を傷口へと伸ばした少年はしかし、その筆に絵の具がつかない事に凍り付く。 早く。早く、色を重ねなくてはいけないのに。 傷つきすぎた腕は既に血を流してはくれない。筆を突っ込もうと、十分な絵の具は得られない。 「や、やだやだ、駄目、消えちゃ駄目だ……!」 重ね塗りが、間に合わない。 じわり、空気に滲む様に、リベリスタの目の前からエリューションが溶け消える。 絶望。がくり、と膝をついた少年に、近寄って。 大和は視線を合わせ様とその場に屈み込んだ。音も無く涙を排出し続ける、虚ろな瞳。 「……貴方のソレは現実でなく、虚構でしかありません」 再説得。それを待っていた彼女は、言葉を紡ぐ。 虚構だからこそ、こんなにも儚く消えてしまった。けれど、現実にある自分達は、消えたりしない。 「1度でいい……虚構から目を離し、貴方を見ている私達を見てはもらえませんか?」 差し伸べられる、優しい手。 しかし、虚ろな少年の瞳は最早、目の前の大和すら見ていなかった。 虚構。現実ではない。その言葉だけが、少年の頭を巡る。 「……違うよ、僕の友達なんだ、2人は友達なんだよ……ごめんね、いま」 たすけてあげるから。 そんな言葉と共に、携えていたのであろうナイフが凄まじい勢いで振り抜かれた。 ぱっ、と。 飛び散る鮮血が、大和の頬を濡らす。 続いてばしゃりと、溢れ出す紅が、少年の抱え持つスケッチブックへと降り注いだ。 しかし、オトモダチは戻らない。筆を介していないそれはただの、血液に過ぎない。 ぐらり、傾ぐ身体。切られたのは、少年自身の首。余りに唐突過ぎて、その手を止める事など誰にも、出来なかった。 「一君!」 駆け寄るのは、白露。素早く手を取り、癒しの微風を呼び寄せるも、最早致命傷であるそれを癒すには至らない。 虚ろな、死のいろを湛えた瞳が、ゆっくりと2人を見上げる。 「ああ、よかっ……た。ふたりとも、ぶじだったんだ……」 良く見えていないのだろう。リベリスタを己の生み出したオトモダチと誤認した少年は、幸福そうに微笑んで。 そのまま静かに、その瞳を伏せた。 酷く重い沈黙が、落ちる。 誰も言葉を発しない中で、アルバートは一人静かに、少年の傍らに落ちる筆の記憶を読み取らんと目を伏せていた。 研究。探求。読み取れる言葉は、前回と変わらない。 収穫は無いか、と瞳を開いた彼はふと、目についたスケッチブックへと手を伸ばした。 血濡れのそれの、途中。 ――一般人におけるアーティファクトの影響実験。 一言。そう綴られたメモを見つけた彼の表情が、微かに引き攣る。 偶然紛れ込んだ一枚なのだろう。それ以外に情報を得る事は出来なかったが、この言葉が事実なら。 「……狙いは、一般人と言う事なのでしょう」 ぽつり、漏れた言葉。前進した調査はしかし、今のリベリスタの心に僅かな喜びしか齎さない。 何故、こんな結末を迎えてしまったのか。 それは恐らく、弱い者にしか理解出来ない。歪んだ道を選ばず、常に道を切り開くリベリスタには、尚更。 誰とも無く、動き出す。本当なら全員で開ける筈だった扉の向こうは、既に朝日が昇り切っていた。 晴れやかな朝日に反して、気分は晴れない。 ただ。 少年が死に事件が終ったという事実だけが、其処には残っていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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