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<黄泉ヶ辻>一夜目に焼き付けたなら


「――は、ぁ……!?」
 掛け布団を払いのけて、フォーチュナは起き上がった。
 荒い息と鼓動が悪夢の余韻を繋いでいる。
 同じ夢だった。悪い夢だった。酷い夢だった。頭が痛い。
 夢だ、けれどこれは現実の光景を映す夢だ。

 近頃、何度も繰り返し見る夢であった。
 夢の中で自分は『食われる』彼女であった。
 がりがりとざりざりと響く音。静かな食事の音。溶けかけたアイスを舌先で削るように、タニシが歯舌で水槽についた藻をこそげるように、表面からゆっくりと食われて行く。
 痛いけれど動けない、体が麻痺している、けれど気絶すら叶わない、失血量が少なく致命傷にも届かないから死すら遥か遠い。
 たすけてくれ、と彼女は叫んでいた。ころしてくれ、と彼女は叫んでいた。
 息を吸って、吐く。そろそろ、誰かに頼んで調査をして貰わねばなるまい。彼女はもしかしたら、死んでしまっているかも知れない。それでも原因程度は突き止めなければ浮かばれないだろう。

 考えて、視線を落とす。汗と敷布を握った腕が、視界に入り、目を見開いた。
「……!?」
 自分は何時の間に、こんな腕輪をつけていたのだろう。
 自分は何時の間に、夢の中の『彼女』と同じ腕輪をつけていたのだろう。
 自分は何時の間に、夢の中の『彼女』と同じ様に、全身を、巻貝の様なものに這われて――。

 違う。『彼女』は自分だ。

 逃げ出そうとしてベッドから転げ落ちた。
 気付けば部屋中にびっしりとあの巻貝がいる。
 ざりざりと音がする。あの音だ。この生き物が食事を始めた音だ。
 生き物か。生き物ですらないのか。神秘によって生み出された産物。故に叩いても叩いても後から後から湧いてくる。体の内から湧いてくる。死体に湧く蛆のように何処からともなく這い出てくる。
 それらが食事を始めるのだ。自分の体を食べるのだ。ざりざりざりとがりがりがりと。
 上がったのは悲鳴だった。うまく動けない体でも喉は震えた。震えたつもりだったが、それはか細い悲鳴でしかなかった。
 伸ばした手の甲を、巻貝が這う。薄い皮膚一枚をじりじりと食い破ってこそげている。いまはまだ痛みも薄いが、皮膚を貫き肉に達し骨に近付いても奴らはゆっくり食事を続ける。
 動けない。死ねない痛みは無間にも似た時間続く。知っている。『彼女』の夢で見た。
 そうか、これは腕輪ではない。浮かび上がった痣のような、引き攣れのような、中で何かが蠢いているような……。

 恐ろしい想像を破るように、かつん、と杖が床を叩く音がした。
 知っている誰かだろうか。いっそ知らない誰かでもいい。助けてくれ、どうにか助けてくれ――。
 願って上げた顔の向こうに、長い白髪を垂らした老人がいた。
「獏だよ。悪い夢を食べにきたよ」
 しわがれた男の声で、老人――獏はそう告げる。
 たすけてくれ、と叫んだ。
「獏だよ。悪い夢を食べにきたよ」
 しかし獏は同じ言葉を繰り返すだけ。
 これも悪夢の一つかと、ころしてくれ、と叫んだ。
「獏だよ。悪い夢を食べにきたよ」
 深く被った帽子に隠されて目は見えない。口ひげに隠された唇が笑みを描いた気がした。

「獏だよ。悪い夢を食べにきたよ、イシシシシシ……」


「……あ。朝ですか。じゃない、時間ですか。ありがとうございます、皆さんのお口の恋人、断頭台・ギロチンです。要するに夢を見たんですよ。その夢が凄く嫌なものだったので」
 いつも通りに薄っぺらい視線の定まらない笑みでリベリスタを迎えた『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は数度瞬いてから、自分の頭を指で軽く叩く。
「まずは最初に。先日、とある小規模リベリスタの組織で所属フォーチュナが死亡しているのが発見されました。ある意味自殺で殺人です。――全身を何か食い荒らされた挙句、自分で自分の心臓を握り潰して絶命していたそうです。苦痛に耐えかねた様に、ね。……革醒者だからこそできた芸当ですねえ」
 口調は軽いが、嘲るのとは違う、少々の憂いの乗った言葉。
「で、このフォーチュナ……彼女は、どうやら『夢』という形で何らかの光景を視ていた様子です。それも複数回。『巻貝の様なモノに全身を削り食われる』という光景を」
 削り食われる夢。そして食い荒らされたという先の言葉。
 眉を寄せたリベリスタに、ギロチンは頷く。
「そうです。この案件には『獏』と名乗るフィクサードが関与していると思われます。彼は自身の能力かアーティファクトの能力かは分かりませんが、『夢』を媒介としてその夢を視た相手……つまりフォーチュナの元に辿り付く事ができる様子です。その後はお察しの通り。塔の魔女さんの様な特殊例を除き、ぼくらフォーチュナの戦闘能力は低い。貪り食われるか、先の彼女のように苦痛に耐えかね自害して終わりです」

 ギロチン曰く。
 並のフォーチュナでは、未来視で得られる情報は断片的なものに過ぎない。
 故に、一度この光景を視た程度ではフィクサードの存在も、己に及ぶ影響も分からない。
 だから、複数回夢を視て――その光景が『自分に』降りかかると悟った時にはもう遅い。
 夢を通して『獏』はE・フォースの『瞑』を伴い現れ、貪り食わせるのだという。
「……何が目的か、というのは分かりません。何しろこの獏、どうやら黄泉ヶ辻派に属するフィクサードの様子でして、……あそこは七派の中でも何をしているのか外から殆ど分からない組織なんですよ」
 頭が痛い、とでも言うように、赤ペンの端でフォーチュナは己の頭を叩いた。
「ただ、我らがアークの誇る『万華鏡』は並のフォーチュナでは届かない高精度。その結果、獏の関与を察知し、彼の居場所を突き止めることに成功しました。動機はともかくさて置いて、彼をどうにか止めないと次の犠牲が出ます」
 具体的には次は夢を視たぼくなんですけどね。とギロチンは地図を広げる。
 記された場所は、とある市の郊外。

「獏の能力は未知数な所が多いですので、無理だと思ったら遠慮なく撤退して下さい。彼だけではなく、瞑の数が異様に多いんです。個々の能力は皆さんと比べ物にならない程度の微々たるものですが、数は力です。おまけにほんの僅かではありますが、ダメージを此方に返す能力も持っています」
 撤退、の言葉に胡乱な顔をしたリベリスタに、ギロチンは肩を竦めた。
「大丈夫、獏は『夢』を複数回介さないと目的のフォーチュナに辿り着けない様子です。ぼくはまだ一回しか見ていない。ここから更に複数回寝るか意識を失うかしなければ、彼はぼくに辿り着けないでしょう」
 まだ与える影響は少なく、自動で発動する死のスイッチでもなければまだ対処方法は色々ある。
 だから危険な場合は一番に自分の身を案じろ、と告げてからギロチンはまた軽く笑った。
「ただ。……ぼく、あの夢怖いから叶うならもう見たくないんですよねえ。だから寝ないようにしておきます。早めに布団で寝たいので、良ければ皆さん頑張って下さいね。ギロチンが自分の首を落としたら面白くない笑い事ですから」
 いつも通りによく分からない戯言を口走って、フォーチュナは手を振る。
 上げた腕、手首の辺りに汚れにも似たシミが浮かび上がっていた。
 


■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:黒歌鳥  
■難易度:NORMAL ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ
■参加人数制限: 8人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2012年04月02日(月)22:56
 タニシとかカタツムリの食事って怖いですよね。黒歌鳥です。

●目標
『獏』の撃破。

●状況
 郊外に建つ小さい施設の再奥。
 大量に存在するE・フォースによって空間が歪められている様子で、
 唯一ある扉以外からの出入りが(非戦スキル等使用でも)不可能となっています。
 戦場は20m×20m程度の何もない部屋です。

●敵
 ・フィクサード『獏(ばく)』
 種族、ジョブ不明。
 長い白髪の老人です。杖をついていますが、特に体に不自由はありません。
 薄ら笑いを浮かべて部屋の中心にいます。『瞑』は彼を決して襲いません。
 ジョブスキルの他、下記の特殊スキルを使う様子です。
 ・EX『獏だよ。悪い夢を食べにきたよ』(神全/呪縛、混乱、致命、ダメージ0)

 ・E・フォース『瞑(つむり)』
 タニシに似た小さな深紅の巻貝。室内に軽く四桁の数がいます。
 幾重にも重なって室内に満ちている為、一度や二度の全体攻撃では殲滅不可能です。
 室内に入ると同時に彼らに纏わり付かれて毎ターンHPの1割のダメージを受ける事となります。天井からも降ってくるので、低空飛行等をしていてもこれは有効です。
 ・弱者の殻(P:攻撃を受けると一匹につきダメージ1の反射)

●備考
 獏は自身の部屋から出る者は追いません。
 が、一度戦場から離脱した場合、離脱したリベリスタは再度入室する事が叶わないのでご注意下さい。
参加NPC
 


■メイン参加者 8人■
プロアデプト
彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)
インヤンマスター
門真 螢衣(BNE001036)
ホーリーメイガス
ヘルガ・オルトリープ(BNE002365)
覇界闘士
李 腕鍛(BNE002775)
ナイトクリーク
椎名 影時(BNE003088)
ホーリーメイガス
三改木・朽葉(BNE003208)
スターサジタリー
ティセラ・イーリアス(BNE003564)
デュランダル
義桜 葛葉(BNE003637)

●獏は悪い夢を見る
 ずるいだろう。
 未来を見られるなんてずるいだろう。
 苦痛と悲鳴と血飛沫を其処に行かずとも見られるなんて!
 悪い夢を先に見られるなんて!
 無数の死に様を見られるなんて!
 妬ましいだろう。獏は妬ましい。
 妬ましいから食らってやろう。

 ほら、獏は悪い夢を食べに来たよ。
 苦痛と悲鳴と血飛沫の、悪い夢を食べさせておくれ。
 獏はちっとも、お腹一杯にならないんだ。
 獏が君らだったら、悪い夢を食べて腹を満たせただろうに!

●夢という名の不思議
 緩慢な死。
 意図も分からず齎されるそれに、良い感情を抱く者はそういない。
「なーんか嫌な感じでござるなぁ」
 言葉通りの感情を込めて、『女好き』李 腕鍛(BNE002775)が天井を仰いだ。
 建物に入ったものの、人の気配は全くない。生活している気配がない。
 それなのにどこか見られている気がする。薄気味悪い。
「あ、うん、あれでござる、今カタツムリの成分を使った美容が……ごめん。忘れて欲しいでござる」
 気分転換の話題転換のつもりが、無意識が選び出した言葉は結局の連想。頭を掻いて、向き直る。普段は前向きな思考も、無数の巻貝とそれによる死に様を伝えられた上では少々下を向きがちだ。
「獏に食べられる『夢』とは何なのでしょうね」
 夢に形はあるのだろうか。それとも脳内の化学反応か。それとも精神だけが上位のチャンネルに移行しているとでも言うのか。『下策士』門真 螢衣(BNE001036)は思索する。
 分からない事が多いから、考えねばならない。推察せねばならない。
「しかし、黄泉ヶ辻の連中はいつも気味が悪いわね」
 ある意味同族であるはずのフィクサードからも厭われる事の多い一派。『鉄鎖』ティセラ・イーリアス(BNE003564)は眉を寄せる。剣林ならば武闘を。三尋木ならば実利を。恐山ならば謀略を。裏野部ならば暴力を。六道ならば探求を。組織である以上は当然例外も数多く存在するが、最大手という特徴を持つ逆凪以外で傾向が読めぬ閉鎖主義の黄泉ヶ辻。
 フォーチュナを意図的に狙っているのか。他派やリベリスタの戦力でも殺ぎたいのか。万華鏡によって増幅された未来視の力が一つの切り札であるアークにとっては、下手に力押しで来る相手よりも危険である。仮にフォーチュナが存在しなければ、今より数倍、数十倍の犠牲が出てもおかしくはない。
「フォーチュナを狙ったら楽しそうだからやった、みたいな感じですね」
 その点、『一葉』三改木・朽葉(BNE003208)の理解は間違っていなかっただろう。組織として読めない以上は、個人の嗜好の好き勝手と見る方が早い。神秘界隈によくいる手合いの愉快犯。
 となれば、それによって動くリベリスタの反応までも楽しみの範囲か。
 何にせよ、ギロチンまで黄泉に攫われては困る。要らん事を黄泉で喋られてはもっと困る。
「趣味が悪い、と言わざるを得ないわ」
 肩を竦めた『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の言葉は尤も。
 水槽の掃除をするだけの存在ならば害はないが、皮膚と肉を削いで殺すような害獣を放って置く訳にはいかない。獏は俗説では悪い夢を食べるという。悪夢避けのアクセサリーや小物に記される事もある。けれどそれを名乗るフィクサードが齎すのは悪夢だ。獏を自称するのは皮肉か狂気の本気か。
「でも、ギロチンさんの安眠のためにも頑張ります!」
 ぎゅっとナイフを握った『Lost Ray』椎名 影時(BNE003088)が力強く頷いた。本人の目の前で告げれば笑顔で礼の一つも言われように、ブリーフィングルームでも目さえ合ったかどうか。
 それはさて置き、暗闇を見通す目で彼女は周囲を見回す。薄暗くはあるが、人の影に反応する明かりがぽつぽつ灯る廊下は特に変哲もない。夢を食らう老人は、誘っているのか、夢以外に無頓着なのか。
「……思っている以上に厄介な相手かも知れんな」
 革醒者の数に対し、フォーチュナが占める数は少ない。能力の特殊さ故にか一部例外を除き戦闘能力はないに等しい彼らを狙ってくる輩。凶行と言うに相応しい所業を行う相手に、『閃拳』義桜 葛葉(BNE003637)はゆっくり眉を寄せた。
 これ以上は行わせない。何故なら。
「人の死を笑って見守る様な相手は――いけ好かん」
 顔を上げた彼を嘲笑う様に、一直線の廊下の果てに扉が佇んでいた。

●あかいへや
 赤い部屋だ。
 真っ赤な巻貝で満たされた部屋だ。
「こんなにいっぱい……!」
 胸元を掴み周囲を窺っていた『月色の娘』ヘルガ・オルトリープ(BNE002365)が感嘆とも嫌悪ともつかぬ声を上げた。漣のように蠢く赤い波、それがすべて瞑なのか。虫の異常発生の映像を思わせる情景。この世の光景とは思えない部屋。彼らによって作られた、ある意味の異世界。
「扉の場所が分からなくなっては困るでござる」
 ぴん、と防犯ブザーを引っ張った腕鍛が、閉じかける扉のノブにそれを引っ掛けた。
 警告音が、現実世界との狭間を告げる。
 朽葉の傍に立った彩歌は頭痛がするように眉を寄せた。床にも壁にも天井にも、巻貝が這い下が見えない。彩歌の視線にも獏は動かない。
 杖を突き、まるで信号待ちでもしているかの様な姿勢で笑みを浮かべている。
 何もせずにいれば二分と経たずに食い荒らされて終わりの部屋で、老人は笑っている。上げた指先に、瞑が這っている。が、それも彼が愛しげに軽く息を吹きかけるとぽとりと落ちて赤い海の一滴と化した。
「獏だよ。君らは何だい?」
「獏。貴方の夢食いは危険だ、止めさせて頂きます!」
 溢れる瞑には構わずに、影時が走る。振るわれた両手から現れた糸。
 それは老人の動きを止めた様に思えたが、彼はするりと糸を抜けた。
 用心深く、腕鍛がヘルガの前に立つ。
 朽葉によって突入前に与えられた翼。床のものはまだしも、落ちてくる瞑までは防げない。
「勝手に刺さるなら、わたしのせいではありませんよね」
 そう呟いて螢衣が無数の針を張り付けた傘を開くが、所詮それは武器ではない。瞑も常識からは外れた存在、幾ら耐久力が低くとも、針で刺された程度では消えやしない。蠢く壁に天井に押し出されるように降って来た瞑は、あっという間に螢衣の傘を覆い切った。
 ぱたぱたと音が止まない。それこそ雨の様に天井から降っては床を蠢き壁を這い、さながら雨が地に落ち蒸発し天に帰る様に、循環は止まない。
「……雨ほど素直ではないか」
 瞑が柄まで這って来たのを見て、葛葉はあっさり傘を捨て去った。
「庇いは……しないようね」
 彩歌が瞑の動きを観察する。部屋を這い回る瞑は、得物を探すように動くだけで獏に特に注意は向けていない様子だった。床や壁、天井と何ら代わりがないような扱いしかしていない。それが果たして、リベリスタが睨んだ通りに『杖』による効果なのか。彼女はヘルガの動きを待つ。
「獏は獏だよ。君らは何だい。悪い夢かい」
 だが、次の動いたのは獏本人であった。
 軽く腕を振って展開されたのは、結界。
「な!?」
 痛みは一切ないというのに、鉛の錘を体の各所に付けられたような怠さがリベリスタを襲う。パーティ内で最速である影時が、常時の二割も発揮できない。
 がくんと速度を落としたリベリスタだが、行動に支障はない。
「義桜葛葉、推して参る……!」
 己の意志を爪に込め、葛葉が獏に一撃を叩き込んだ。軽い体だ、見た通り、枯れ枝の様な老人だ。
 ざざっと瞑を掻き分けて後ろに下がった獏は、首を傾ぐ。
「くずは。くずはは悪い夢かい」
「我らは悪夢ではない。悪夢から目覚めさせる為に来た!」
「そうか。悪い夢ではないのか」
 どこかかみ合わない会話。
「視た夢を嘘にして欲しいと請う人の為、今度も覆してみせましょう」
 己の夢は嘘であると。己の視た光景は嘘であると。そう証明してくれといつも請うフォーチュナに心中笑って肩を竦め、朽葉は自身の指先の血管一本一本にまで魔力を巡らせるイメージを浮かべる。肩に乗る存在は、いつも彼女の傍らにいる黒猫ではなくおぞましい巻貝ではあるが――討ち果たしてみせよう。
「……っ!」
 同様に肩に瞑が這うのを見て、ヘルガが嫌悪に体を強張らせる。
 だが、叫んで喚いたりはしない。相手を打ち崩す気でここに来た。
 払い落としたい気持ちを抑えながら、正体不明の獏のベールを少しでも引き剥がすべく視線を向ける。
 敵を見抜くヘルガの目。
 断片、読み取る幾つかの情報。機械化した腕、命中と神秘に特化した陰陽術の優れた使い手。
 先の結界はその一つなのだろう。未だアークでは見ない技だが、構成自体は事前に螢衣によって与えられた守護の結界と良く似ている。そして、杖は、そうだ、アーティファクトだ。
 獏が両手の下に置いている何の変哲もない杖は、確かに神秘の力を得たものだ。
 だが、同時に気付く。――この『瞑』は、『獏』の思念より生まれ出でたものだと。
 彼らは獏を襲わない。ある意味で彼らと獏は同一だから。
 獏は瞑を操っている訳ではない。欲する所が同じであるが故の協力関係。
 と、なると、杖を奪った所で瞑が制御を失う、もしくは消える事は考え難い。
 杖は、ターゲットを選定し追い続ける為のものであろう。
「防御は?」
「あ、うん、直接殴られるのにはそんなに強くないみたい……!」
 どうするか考えていたヘルガに、ティセラから声が掛けられた。
 返答に頷いた金属の少女は、剣であり銃でもあるトゥリアを片手に駆ける。
 この戦場においては、遠近可能な射手である彼女も重要な前衛となり得た。
「早めに死んで貰いましょう」
 トゥリアを翻し打ち据えたティセラの言葉にも――獏はにんまり笑った。

●血色部屋
「獏だよ、悪い夢を食べに来たよ」
 リベリスタの速度に枷をつける事で相対的に速度を増した獏は、その特性を最大限に使い更なる枷を嵌めてくる。
「趣味だけじゃなくて、性格も悪いようね」
 溜息と共に吐き出された彩歌の言葉。彼女の装着した論理演算機甲「オルガノン」から放たれる正確な糸の一撃は、杖を狙う事によって獏の注意を引く事には成功していたが、それによって呼ばれたのは氷の雨。リベリスタを容赦なく打ち据える冷たい雨は、瞑の数倍多く体力を奪い、凍結による更なる継続ダメージを与えてきた。
「……瞑の攻撃も、あくまで攻撃を与えた本人にのみ返る、という事ですか」
 杖が瞑を制御するものだと考えていた螢衣の作戦は覆ってしまった。おまけに、行動を阻害するつもりであった彼女自身が獏の技に囚われ動けない。本来ならば強くあるはずの意志さえも絡め取り、螢衣は敵味方さえも乱れて見える己の視界に目を閉じた。
「貴方はどうして夢を食べ続けるのですか!?」
 繰り返す獏に、影時が問う。ぎちり、と彼女の糸が獏を締め上げた。
 悪夢を食らう。それだけを聞けば良い事かも知れない。だが彼が食うのは夢を見る人間。
 悪夢ごと食らわれる悪夢。眠る事さえなくなれば、悪夢は確かに見ないだろう。
 だが、何故そんな事を。どうして人の小さな楽しみと、命を奪うのか。彼女の問いに、獏は首を傾げた。
「君は羨ましくないのかい。獏は羨ましい。悪い夢が羨ましい。だから食べるんだ」
「……? 悪い夢が羨ましい?」
「悪い夢を先に見られるなんて羨ましいだろう。獏も見たかった。もっともっと見たかった。自分でやるだけじゃ足りない。もっともっと沢山の苦痛と悲鳴と血飛沫の、悪い夢を見たい」
 疑問を浮かべる少女に、にんまりと笑う老人。
 言葉を組み立てて、朽葉が眉を寄せた。
「――要するに。フォーチュナの能力が羨ましい、という事ですか?」
「悪い夢は羨ましいよ。獏が起こせる悪い夢には限度がある。けれどあれならもっともっと沢山見られるんだ。妬ましいね。妬ましいよ。だから食べて、獏が悪い夢を見るんだよ」
 イシシシシ。
 部屋に満ちる獏の笑い。
 そこには、力量的に弱い情報の読み手を狙って崩すという意図すら感じられない。
 飽くなき欲に手を伸ばし、持ち得る者から奪い去る、童部の如き老人の悪意と歪んだ憧憬に満ち満ちた笑いがあるだけだ。
「そんな事の、為に……」
 渇望と嫉妬。奥底から湧いてくる狂おしいまでの情動から生み出された技を学び読み取るには、ヘルガの思いは汚れなく在りすぎた。唇を軽く噛んだ少女は、体の枷を解く光の鍵を放つ。
 刹那に過ぎないにしても、その刹那に獏へと一撃を叩きこむ仲間の為に。

 呪いによる癒しの拒絶。
 振り解いたと思っても、獏によって重ねられる束縛に次ぐ束縛。
 獏の技に耐性を持っていた腕鍛が、ヘルガを庇うという選択は実に理に適ったものであっただろう。だが、持久戦を得手としたのは、回復手を持ったリベリスタだけではなかった。
 長くなればその分、瞑によってリベリスタの体力は減って行く。
 その上で獏によって思い出した様に放たれる氷の雨は、一気にリベリスタの体力を奪い去った。
 螢衣が、影時が、癒し手二人の動きを待たずに崩れ落ちる。
「この様な場所で、倒れる心算はない!」
 運命を消費し瞑を振り払った葛葉に、朽葉の呼んだ風が絡む。
 獏とて幾度も張られる糸の全てから逃れられた訳ではない。
 けれど獏の動きが止まるのは大方彼が既に一手を終えた後であり、それによって動きを阻害された者の為に幾度もヘルガは聖なる光を降ろす羽目になっていた。 
「倒れたままは危険よ。退かせるわ」
 ティセラが二人を抱え、瞑を押しのけ扉を開く。
 その先だけは何も変わりない現実で――彼女は二人をそこに投げ出した。
 くるりと向き直った先は、未だ悪夢の中。
「夢は何時か覚める物だ、悪夢など我が拳で砕いてくれる!」
「悪い夢は獏が食べるよ」
 しししし。耳障りな笑い声。
 結果として更なる悪夢を撒くものであれば、と狙った彼の一撃は杖を打ち据えた。
 びし、と何かが軋む音が腕を伝って聞こえた気がする。
「……ちょっと厳しいかもね」
 全体を見据えた彩歌が振り返って呟いた。彼女もまた、獏のせいで回復が届かず体力を減じたままだ。この部屋に留まれば、あとどれくらい持つものか。
 朽葉の精神力には今だ余裕が残っていたが、それでも癒し自体が打ち消されれば届かない。
 殺すか。殺せるか。運命さえも削った者が多い。その上でまだこの悪意の渦に留まるか。
 結論として、リベリスタは退却を選ぶ。
 フォーチュナの夢は未だ夢のまま。だから彼も真っ先に自分の身を案じろ、と言ったのだ。
 難色を示した葛葉の手を、朽葉が軽く引く。
「駄目ですよ。貴方が帰らなかったらそれ自体が悪い夢になってしまう」
 年若い少女に尤もな事を言われてまで己を貫く程に、葛葉は強情ではない。
 二枚の葉も薄く隙間の空いた扉に滑り込んだ。

 ぱたん、と。
 扉が、閉じる。

●獏は悪い夢に成る
 荒い息を吐きながら、出てきた扉を睨み付けるリベリスタの体にしがみついて離れなかった錘が消えた。
 掻き消えた不利に瞬いたリベリスタの視線の先で、扉が開く。
 開いた。一度離れた者を拒絶するはずの扉が開いた。
 だが、壁を天井を床を覆っていた無数の赤い巻貝は、獏は、綺麗に消えていた。
 それこそまるで、夢の光景であった様に。

 しかし、引き換えに現れた光景に誰かが息を呑む。
「…………」
 部屋中に貼られた写真。無数の写真。
 床に壁に天井に窓に、隙間なく貼り付けられた写真。
 食い荒らされた写真。貪り食われる途中の写真。
 部屋が赤かったのは、間違いなく瞑のせいだろう。
 けれど、瞑が消えうせた後にも部屋を占めるのはピンクと赤。
 誰か知らない女性の目が、見開いたまま此方を見ていた。見開くしかなかった。彼女の目蓋はなかった。眼球を巻貝が這っていた。助けを請うように伸ばされた指先は、赤ペンで無茶苦茶線を引いたかのようだった。赤ペンのインクは何だ。血と皮膚だ。同時にそれはキャンパスだった。誰か知らない男性は必死で食い荒らされる自分の体を見る様に視線だけを下に向けていた。人体模型のように腹の内臓が覗いていた。
 フォーチュナが死に逝く様を、ただ冷然と観察した写真が、部屋中に満ちていた。
 腕鍛が掛けた防犯ブザーは、まだ今しがた開いた扉のノブで鳴っている。
 けれど、それ以外はどこが窓か扉かも分からない程に――。

 からん、と部屋の中心に何かが落ちる。
 折れた獏の杖。
 無数の写真とそれだけを残して、老人は消えてしまった。

●夢は覚めたら忘れてしまう
 立ち尽くすリベリスタの幻想纏いが、別所からの着信を伝える。フォーチュナからの伝令。腕に現れていた奇妙な痕が消えたとの連絡。リベリスタは顔を見合わせる。これでターゲットは外れたのか。ならば彼は『悪い夢』を探すのを諦めるか。誰かが溜息と苦笑を吐き出した。そんなはずもない。あの執着が消え去るとも思えない。
 だが、少なくとも杖を失った事で獏は狙っていた獲物――ギロチンを夢で追えなくなったはずだ。
「首尾は上々、とは行かなかったでござるが、多分安眠できると思うでござるよ」
「さっさと眠っておけ」
「ね、ギロチンさん。何か甘いものとかいる?」
『あ、それはありがとうございます。……あ』
「うん?」
『……貝殻の形してるお菓子は今は勘弁して下さいね』
 

■シナリオ結果■
失敗
■あとがき■
 アーティファクトなのは読み通りでしたが、その先に少し難がありました。
 分かり易く出てきたものが分かり易い効果とは限りません。
 推察と言うのも大事な部分ですが、明言されていない以上は色々な可能性があるのです。
 お疲れ様でした。