●瞑らない感情 年老いた女性は、生涯の伴侶を看取った。病院のベッドに横たわる彼を愛おしそうに見つめながら、数度、瞬きを。彼女の腕にあるのは、伴侶から贈られた赤い花束であった。プロポーズの時に受け取った花と、まるきり同じ花の並び。思い出さない訳がない。愛しあった日々のことを。笑いあった日々のことを。慈しみあった日々のことを。彼女にとってその日常全てが宝物であり、育んだ愛はかけがえのない財産であった。願わくは伴侶と共にまた、思い出話をしながらゆっくりと街を歩きたかったと彼女は目を細める。思わず出てしまう、短い溜息。 あとは家族の者がやってくれると言っていた。自分はそろそろ家へと戻ろう、と腰を上げた瞬間から。彼女の意識はふつりと途切れる。 ●花咲かる少女 「ひ……人探し?」 リベリスタ達は首を傾げた。病院から失踪した老婆を探して欲しいと、いの一番に告げられたからである。その様子を見つつも、『リンク・カレイド』真白イヴ(ID:nBNE000001)は淡々と続ける。 「そう。正確には聖ゆり(ひじり・-)の保護。加えてアーティファクト『ボッティチェリ』の回収、または破壊。咲き、枯れることを繰り返す、花束のアーティファクト。その老女が持っている……持っていた時は、老女、だった」 「だった、って」 「『ボッティチェリ』を直接手に持っていると、最も大切にしている感情を食べられる代わり、どんどん若返っていくの。今は……」 イヴは資料をめくっていき、あるページでその指を止めた。クリップで写真が挟んであり、資料ごと彼女はそれを見せる。写真には、長い黒髪の、うつろな目をした少女が映っていた。クリーム色の、サイズが合っていないワンピースに、手には赤い花束。およそ老婆だったとは考えられない容姿をしている。 「この写真の少女よりも、もっと若返っているかもしれない」 「……仮に持ち続けてしまって、……最終的には?」 「細胞レベルまで若返ることになる。だから、その前に止めて欲しいの」 その花束は余程大事なものらしく、たといその身が、感情が無くなろうとも離そうとしないらしい。自分が滅びの運命にあるのを知ってか、知らずか。イヴの話す言葉は、心なしか沈んでいくように聞えた。しかし彼女は目を上げる。 「大体の場所は予測できている。あとは『ボッティチェリ』の落とす花びらを追えば、大丈夫」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:カレンダー弁当 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月06日(金)22:36 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● からりと晴れた空に、コインが舞う。 弾いたのは『鏡花水月』晴峰 志乃(BNE003612)。きらきらとコインが回転するのを、小梅・結(BNE003686)がほうと見上げていた。花びらで道は示されど、右か左どちらへ行けば分からないというのは志乃の問いである。コイントスでと提案したのも、また彼女であった。 「裏なら右。表なら左にいたしましょう」 手の甲に乗ったコインは、リベリスタ達に表を向けていた。 「じゃあ、左だな」 アルジェント・スパーダ(BNE00314)がそれを覗きこむように確認して、軽く頷き歩き出す。それに連れ立って、彼らも歩を進める。花びらでできた細い道の先を興味深そうに、『枯れ木に花を咲かせましょう』花咲 冬芽(BNE000265)は見ていた。先を見て、そして後ろを振り返り。 「花びらを辿るなんて、なんだかメルヘンだね」 「ヘンゼルとグレーテルのようですね」 志乃は、そんな冬芽の踊るような声に少しだけ笑う。『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)がその様子を横目に、「確かに」と小さく同意した。その視線を前へ戻すと、彼はあることに気付き、立ち止まる。 「どうしたの」 『名無し』氏名 姓(BNE002967)の問いかけに、いや、とミカサは前置いた。 「このあたり、少し花びらが多いと思って」 「本当だねえ。ここで立ち止まったりしたんだろうかねえ」 言われてみればと辺りを見回す。人気の無い裏通り。太陽もあまり当たらない、影の中。『三高平の肝っ玉母さん』丸田 富子(BNE001946)は、古びた建物の壁へ手をやった。ぽつり、姓が言う。 「少しだけ、調べてみるか」 何かあるのかも。その声に、ミカサとアルジェントが賛同した。 「俺もじゃあ同行しようかな」 そんな三人を我先にと追い越して、結は先頭へ立った。 「むっちゃんたちは先に行ってるのだ!」 「うん。なるべく早く追いつくようにする」 先行する仲間の背を見つつ、三人は建物の正面へと回る。裏手からだとただの古い建造物であるが、前から見れば、それは立派な教会であった。 ● 「さて、随分と古い教会だ」 扉は閉められ、鍵がかかっている。教会を一周しても、なんら気を引くようなものは見つからなかった。アルジェントはひとつ、息をつく。 「中に入った形跡は無い……か」 「本当に、ゆらゆらと歩いているだけなんだろうね。それがここで、ふと止まってしまった」 裏通りへ戻りながら、姓は返した。なにか強い思い入れがあるからこそ、止まってしまったのだろうと。 「どんな思い入れなのか、大体の想像はつくな……。……何してるんだ」 アルジェントがため息交じりで俯くと、その視線の先で手が伸びてきた。その手は一枚の花びらを拾い上げる。ミカサは拾い上げたその花びらの表裏を、なにか品定めするようにくるりと反す。部分部分枯れていることのほかに、別段花びらに異常は見られない。そしてもう一枚、花びらを拾った。 「いや。これとか、これとか綺麗だなあ、と思って」 ● 少し強めの風が吹く。足元の花びらが、ず、と動いた。しかし道が消えることはなく、それに彼らは安堵する。壁に囲まれた、裏通り。なぜここを選んで歩くのかは彼らには分からないが、そのお陰でこの赤い道は消えることがなく。『息をする記憶』ヘルマン・バルシュミーデ(BNE000166)は、写真に写る少女が持っていた花を思い浮かべる。 「思い出は消えないけれど、感情は消えていってしまうんですよね」 「ただの記録になってしまう場合もあるのだな」 「ただの記録」 復唱するヘルマンの肩を、ばしり。活を入れるように軽く叩いたのは富子だった。 「そんな悲しいことには、させたくないもんだよ」 「わたくしもそう思います。きっと感情が全てなくなるだなんてこと……」 富子の浮かべる笑みにつられながら、ヘルマンが返す。花びらを辿りながら冬芽は遠くに花屋があるのを見て、僅かに目を細めるのだった。花びらは路地を右に曲がる。またしても影の続く道であったが、その道には人がいた。写真で見たときよりも小さな背中。ベージュ色の、長いワンピース。 「ゆりさん」 冬芽の呟きと同時に、ゆりから花びらが舞い落ちる。 食んでいる。 今この瞬間にも。 止めなくては、と彼女が思った瞬間には、結が駆けだしていた。「ゆりちゃん!」呼び声に、ゆりは振り向かない。志乃が続いて近づこうとするのをそっと冬芽が止めて、ゆっくりと近づいていく。 「ゆりちゃんのお家の人に頼まれて探してたのだ。皆心配してるのだ」 刺激しないようにと配慮しつつ、結は水の入ったペットボトルと、ハンカチを取り出した。ゆりのゆっくりとした歩みが、ゆっくりと止まる。その目は結へ注がれていたが、それはただの、純粋な興味からであるように見て取れた。 「ゆりちゃんの花束、花びらがたくさん落ちてるのだ。切り花には水あげが必要なのだ。体温が移るのも良くないって、お母さんが言ってたのだ。間違いないのだ」 「ゆりさん、これを花束に。どうぞ」 濡れたハンカチを冬芽が受け取り、切り花の根へと巻く。そして彼女はさりげなく、ハンカチの上を持つようにゆりの手を移動させた。数度の瞬きをするゆりの瞳に、先ほどよりは幾ばくか光が戻ったようで。しかし反面、ゆりの花束を握る手に力が入る。それを見て、二人は距離をとった。仲間の方へ、あまり音を立てないよう戻る。ゆりはそれを目で追って、リベリスタ達と向き合った。 「きれいな花束ですね。どなたかにいただいたものなんですか」 二人が安全な距離まで戻るのを見計らって、ヘルマンが口を開く。それはとても優しげな、どこか諭すような声色で。ぼうっとしているゆりは霞のような息と共に、言う。手に抱く花は、花が今まさに開こうとしている時点で止まっていた。 「たぶん、とても親しい人に」 遠くから走ってくる音がする。志乃とアルジェントの目が合って、しぃ、と彼女は唇に指をやった。アルジェントと姓はゆりの姿を見ると軽く、口を結んだ。その内、ヘルマンの横へ並んだのはミカサである。 「それでその花束を持って、どこへ行くの」 そんなミカサの問いかけに、答えない。 「ねえ、君。それを持っていると危険なんだ」 姓の問いかけにも、応えない。 「その花の花言葉」 冬芽の、花と言う単語にぴくりと肩を動かした。 「愛。美。君ありて幸福……とても素敵です。なにか思い出があるんですか?」 「思い出……ずっと一緒にいたひとに、貰ったものなのよ。夫、そう、夫に貰った花束」 プロポーズに一度。 別れに一度。 二度包まれた花の合わせ。 「けれど、どうして私にくれたのかしら」 風の音に紛れながら、ゆりは目を伏せた。 「それは、君を愛していたからだろう」 姓の言葉を、ゆりは繰り返す。 「愛していた……」 「そう」 「愛していた」 言葉の意味を、理解できないようだった。言葉には出せれども中身の無い、がらんどうの言葉を、彼女は口から出す。 「わからないけれど、この花とは離れたくない。……離したくない。離さない」 息をのむ。彼女はきっと、愛という感情をいの一番に失っていっている。愛という感情のもと贈られた花束を、その胸に抱きながら。ゆるゆると富子が首を振った。 「けれど離さないと、あんたはどんどん若返っていくんだ。消えてしまうかもしれない。花を見ることもできなくなってしまうんだよ」 「若返る? ……そんなことが」 「本当ですよ」 一歩、二歩と前へ出るのはヘルマンである。その手には手鏡。ゆりは目を大きく開いて、後ずさりした。遠目からでも見て分かる。その体の小ささが。髪の黒さが。自分の、あからさまな異常さが。彼が近付いてくるたびに、彼女には現実がありありと突き刺さっていった。 「本当なんです。その花束を持っていると、あなたの年齢が、二人で一緒にいた時間のあかしが、とられちゃうんです」 「花は、あなたの感情を糧に咲いている。きっとあなたの場合、愛という名の感情を」 「それが、……それで、」 追い打つような志乃の声が、ゆりの鼓膜に反響する。愛――とは。なんだったのだろうか、と。何かは分からない、けれども、失ってはいけないものであったのではないか……それでも、失ったものは戻らないのである。花は咲き、そして枯れ、愛のかけらは道となった。分からないのならばそれでいい。花束が大事であるということが分かっていれさえすれば―― 「あなたたちはこの花束を、手放せというの」 花束から、蔦がぞろりと伸びてくる。 ● 数十本の蔦が編み込まれ、やがて蛇のような、剣のような形になり。その切っ先を向けてきた。各々武器を構え、頭上にあるそれを注視する。しかし、あちらから攻撃は、来なかった。 「結局、……戦うことになるのかな」 自嘲混じりに言う姓が、大きく息を吸う。 「このような形になるのは不本意で御座いますが、振りかかる火の粉なら……」 惜しむように、悔恨の表情を浮かべながら、志乃はぎりりとその切っ先と向き合った。 「振り払わねばなりますまい」 武器を持つ彼らにより蔦は切り刻まれ、その類が地面へと落ちていく。それでもすぐに新しい蔦で修復され、きりがなかった。容易にゆりへは近付けない。蔦の動きに翻弄されている内、その蔦の剣は二本に増えた。二刀の鎌のように、それは禍々しい。 「アンタには思い出が! 何十年と愛しい伴侶と生きてきた日々が! 忘れたとは言わせないよっ、アタシが思い出させてあげるよっ!」 「思い出す……」 富子の叫びは、彼女の耳には届いている。届いているが、それまでのようだった。ゆら、と鎌は交差し、彼女らに狙いを定めているように見える。しかし、ゆりは攻撃を仕掛けない。先程から、頑なに守りに徹しているのみである。 「貴方の大切にしているものは、こんなものなのか……! こんな……」 邪魔な蔦を攻撃しながらも、アルジェントは気付く。先程から蔦は払っているものの、攻撃は誰も受けていない。こちらが攻撃するとそれに反応し、蔦も動く。もしやと、蔦ではなくゆりを見据えた。彼女……聖ゆりは、攻撃する気などないのではないかと。ただ守るだけに尽力しているのではないかと。彼は、攻撃の手を休める。 「君の姿を見たら、花束の贈り主は何て言うかな――その花びらのように簡単に散り去ってしまう程、夫への想いは淡々としたものだったのか」 そんなアルジェントを見て一度攻撃を収め、ミカサは語りかけた。 「――違うだろ」 ゆりが困惑の表情で花束を見下ろすのと同時に。 「教会に行ってきたんだ」 そう、静かに言うのは姓だった。 「あそこで式を挙げたのかは知らないが、そこでの思い出だってきっとあるんだろう。その思い出だって、心を失えば意味が無い」 「私はずっと花と一緒にいたい。歩いていたい。思い出を辿って、辿って……」 「感情も、その記憶も辿れなくなっちゃうのは、……嫌に決まってるのだ!」 結の叫びと共に、舞い上がる花束が。 やけにスローモーション見えた。 ● 花束を空へ弾いたのは、姓である。その後花束を実質破壊したのはミカサだった。膨らみかけの花は傷つけず、茎だけを。重力に任せて、花束であったそれは、ゆりの目の前にぼたぼたと落ちていった。現実というものを見せつけるようにして。 その花と同じように崩れ落ちる、ゆりの体。 人は弱い。茫然とするゆりを見て、富子は思う。それはもう弱い。思い出が人生の糧なんていくらでもある。それを奪う権利など、誰も持っていない。持ってもいけない――このアーティファクトは、あってはいけないものだったのだ、と。 花束だった残骸を拾い集めようと両手を伸ばすゆりの腕を、ミカサがそっと掴む。その掌に、透明な袋を手渡した。 「これを」 「……これは」 「教会でね、拾ってきたんだ。綺麗な花びらを選んだつもり」 小袋には、道となっていた花びらが入っていた。見目美しいとは言い難いが、それでも、鮮やかな色は残している。その袋を握り締めようとはするが思いとどまり、彼女は大事そうに、両手でそれを包み込んだ。 「あ」 と、思いついた顔をするのは冬芽である。それにきょとんとするヘルマン。 「え、どうしたんですか」 「ちょっとまってて」 「あっ、えっ、わたくしも行きます置いていかないで!」 冬芽は思い出していた。来る途中に見つけたあの店のことを。そうして、自分なりの良案も。冬芽とヘルマンが消えていく店を見て、ああ俺も、と小走りで付いていくアルジェントやミカサに姓。ワンテンポ遅れて、ぱあ、と顔を明るくし、ついていく志乃。富子と結が小首を傾げていると、彼らはすぐに戻ってきた。冬芽はその手に、真新しい色とりどりの花束を持って。ゆりの傍にいた二人が顔を見合わせて、ふわりと笑った。 「代わりにはならないだろうが」 冬芽が花束を渡す際、そう添えるアルジェント。花束の後に、可愛らしげな包装がされた袋を、冬芽は手渡した。 「こっちは、花の種なの。花と一緒になくした感情をどうか、育んでほしいな」 花束を潰さないように、それでも精一杯、ゆりは抱き締める。花の良い香りがして、ゆりの瞳は心なしか潤んだ。胸の奥がぎゅうと締め付けられるこの感覚は、なんなのだろうと。ゆりのその瞳には完全に光が戻り、その目でリベリスタ達を順々に見渡した。 「どれだけ歩いたことでしょうね……家の者に心配をかけてしまった」 その言葉に、彼らは笑みで返す。 ゆりは花束をしげしげと見て、その花を撫でていった。雛罌粟。水仙。鈴蘭。ストック。クロッカス。そして、もう一種類。花屋に並ぶことのない花を見つけて、ゆりの手が止まった。ミカサが肘で、ヘルマンをつつく。 「そ、それはですね」 ヘルマンの様子。それはどこか、申し訳なさそうな風だった。 「お金がなくてその。お花屋さんの隣の庭でつんできて、えーと。かわいい花だなと。はい」 まあそうなの。ヘルマンをからかいもせず、当然、咎めもせずにゆりは小さなハルジオンに触れる。花束や、花びらや、種を落とさないよう、どうにか腕いっぱいに抱えて、ゆりは立ちあがった。それを支えるように結が手を添え、その格好ではアレだろうと姓が自らの上着を羽織らせる。志乃が促すようにゆりの背へ手をあてると、ゆりは呟いた。 「あなたたちがしきりに言っていた、愛しいという感情はなんだったかしら」 背にある暖かみや、手に抱える重み。 「もう言葉だけしか分からないわ、愛している、だなんて……」 それらが愛なのだろうかとゆりは思うが、それが正しいのであるかは分からない。きっとこれからも、分かる時はこないのだろう。少しだけ、彼女は粉々になった花束に目を落とす。あれは一番分かりやすい、愛の形だったのかもしれない。 「言葉だけなんてこたぁないよ」 どことなく遠い目をする彼女に、富子が優しく語りかけた。慈愛の籠ったその言葉に、ゆりは胸を落ちつかせる。 「そう……なのかしらねえ。愛してる、ってなんだかとても、切ない響きをする言葉ね……」 そっと歩く。 路地を走る突風で、花びらの道は今度こそ、道ではなくなった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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