● 彼はまだ帰ってこない。 電話でもしたいけれど、この部屋には彼が持って出て行った携帯以外に電話はない。 公衆電話を使うにしても、彼は部屋から出てはいけないと言った。 言いつけを破って電話なんかしようものなら、殴られてしまう。 多分言いつけを守っていても彼は殴るけれど、もっと沢山殴られるのは嫌だ。 仕方ない。彼も仕事が大変なんだ。 私が一人増えたから大変だって言ってた。 私も働くと言ったら俺が養えないと思ってんのかって殴られた。 殴って叩いて蹴って、気が治まると彼はまた優しくなる。 ごめんな、ごめんな、大事にしたいのにって言って泣く。 仕方ない。きっと彼も私と一緒で、うまく気持ちを表せないんだ。 私はちゃんと表せなかったから家族に嫌われたけど、同じ彼ならきっと一緒にいられる。 だから待ってる。 彼もきっと、私じゃないと無理なんだ。 私じゃないと。 大丈夫だよ、愛してるから。 だから、早く帰ってきてね。 ● 「さて皆さんこんにちは、皆さんのお口の恋人断頭台・ギロチンです。今日はよくある話をしましょう。ええ、よくある話です。ない方がいいんですけどね、現実として枚挙に遑がない」 珍しく開いていた新聞を閉じながら、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は目を細めた。 「被害者は一人の少女。加害者は一人の男。簡潔に言えばDV、ドメスティックバイオレンスというやつです。夫婦喧嘩は犬も食わない。そうですね。ええ。根底に信頼と愛があれば、また別なんでしょう。けれど、そうではない事例も数多くあるのはご存知の通りです」 そう、それこそ、死にでもしなければ、新聞の片隅にも載らない様な、有り触れた。 肩を落として、溜息。 「男は少々やりすぎた。殴られ放置された彼女は、そのまま死んでしまいました。……男が通報しなかった理由は簡単です、彼女が死んだ事が分からなかった。E・アンデッドになったからです。彼女につられて、窓辺に集っていたカラスも革醒して付き従っています」 赤ペンの蓋を、開けて閉める。 閉じたペン先で、押された端末のキー。 モニターに映し出されたのは、座り込む一人の少女。 「死んだ人間が生き返った、とは思いませんよね。普通は思いません。だから男も気付かなかった。気付かなかったけれど、幾ら殴っても平然としている少女を不気味だと思い始めた」 少女の体には痣が残っている。 火傷が残っている。 擦り傷が残っている。 けれどそれは全て、治り掛けのまま。 「追い出さない理由は簡単です。少女を疎んだ男の暴力はエスカレートした為、怪我の痕が生々しい彼女が下手に外を歩けば確実に人目に留まる。故に男は、少女に家に居ろと言い捨てて仕事に行き、夜は知人の家やネカフェを泊まり歩いています。怪我が目立たなくなったら追い出そう、という算段なんでしょうねえ」 社会的な保身のはずが、命まで守る事になったのは幸いか皮肉か。 ともかく男は家におらず、リベリスタがその対処を考える必要はない。 「近隣住民も多少はいるかも知れません、が……。……元から、この部屋は悲鳴や罵声がよく聞こえる部屋でしたから。気にしないでしょう。気にしたとして、即座に通報されるとは思いません。……ある意味残念な事ですけれど、ぼくらには有利です」 彼女は外に出ない。 男の言いつけを守って、部屋にいる。 俺以外の相手には出るな、と言われているのでチャイムにも反応しない。 寒い部屋で、一人きり、座っている。 もう一度、ギロチンは赤ペンの蓋を開いた。 「不要な補足ではありますが、彼女は家族との折り合いが悪く、耐え切れなくなって家を飛び出した所で件の男と出会った様子です。……弱ってる時に優しくされると効くんですよねえ、覿面に。『他に頼れる人がいない』状況だと余計に。ぼくも、人に頼って生きてきたので何となく分かります」 笑うフォーチュナは、言葉を続ける。 ――『その人しかいない』とか思い始めると危険なんですよ。大体は形を悪くして、寄りかかって依存になる。 手を伸べてくれたのが嬉しくて。 仮初でも優しくしてくれたのが嬉しくて。 喜びが苦痛と恐怖に変われば、それに縛られる。 時折泣いて謝る相手に、苦痛と恐怖を、依存にすり替える。すり替えられる。 「泥沼です。どちらも抜けられない。深みに嵌って行くだけ。それは愛なんかじゃない、とぼくは思います。……でも、残念ですね。死した彼女には何も伝えられない。皆さんが相手取るのは、彼女の記憶を朧に持つだけの、ただの動く死体です。だからもう一度殺して下さい」 愛を与えたって、もう、彼女は死んでいるから分かりません。 細く息を吐いたフォーチュナは、ぼんやりとリベリスタを見た。 「ね。彼女は一ヶ月前に死んでいたんです。生きて歩いて会話していた、というのは、殺した罪悪感から男が見ていた幻なんです。そういう事ですよ。そうしましょう。男が見た数日前まで生きていた、なんていうのは嘘なんです。嘘にして下さい。お願いします」 ぼくを嘘吐きにして下さい。 そう告げて、ギロチンは軽く頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年03月19日(月)00:12 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● そこは、何の変哲もない街の一角だった。 特別に治安が悪いわけではない。一本道を違えた場所には公園が見えた。 マンションに向かう途中、ベビーカーを押す女性と道ですれ違う。 平凡で平和な光景が流れる中、見過ごされた悲劇。 平凡で平和だったからこそ、誰もが『自分の日常』と切り離してしまったのかも知れない。 気付いたか気付かなかったかなど、今はもう関係ない。 リベリスタができる事は、一つだけ。 「……仕事をしましょう。敵性エリューションの、処理を」 「……ええ」 該当の部屋を見上げた『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の言葉に、『くるみ割りドラム缶』中村 夢乃(BNE001189)は頷いて、人の無意識に訴えかける見えない結界を張った。 愛を求めて彷徨ったのか。彷徨った結果がこれなのか。 ブリーフィングルームで話を聞いてから、ここに来るまでうさぎはずっと考えていた。 フォーチュナが死体に過ぎないと語った彼女に、何ができるのかと。 顔はいつも通りの無表情、けれどぱちりと瞬いた目に、親しい者は分かるであろう些かの憂いと諦念を過ぎらせてうさぎは顔を正面に戻す。 何もしてやれない、と。 「……できれば、殺される前にお会いしたかった」 そんなうさぎにちらりと視線を向けて、結界を張り終わった夢乃が細く息を吐いた。 死した少女は年頃も同じ。もしも出会えていたならば友人となって、こんな結末からは守れたかも知れない。 考えて、寂しげな笑み。 ありえない。そんなのはきっと都合の良い妄想。事前に知り合っていたとして、香織はきっと殺されて、『香織』を倒しに己は訪れたのだろう。 それもこれも、IFの世界。もう訪れないIFの世界。夢乃はそっと、目を閉じた。 彼女の背に、小さな翼が降りる。天使のように。 「ま、飛びはしなくとも動くのが楽にはなるだろ」 加護を授けた『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)が頷いた。 香織は死者だ。そして彼は仏法の徒。少女が何を信仰していたかは知らないが、それでも念仏の一つもあげなければ浮かばれまい。 僧の姿をしていても仏が救ってくれるとは思っていないが、慰めの一つにはなるだろう。 彼女だって、この世に生きていた人に変わりはないのだから。 「結局、その男のヒトにとって彼女は何だったんだろうねぃ……」 『蜥蜴の嫁』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)は目を細める。 愛しい人を受け止めたい。それ自体は分かる。彼に喜んで貰いたい。彼の望むようにしたい。 けれどそれは、相互の愛を前提としたもの。アナスタシアとて愛していると囁いてくれる彼だから受け止められるもの。 男はどうだったのだろうか。最初から愛などなく、都合の良いだけの相手だったのか。 聞けない。仕事はアンデッドを倒す事であれば、それ以外に関わる事もない。 でも、男にとって少女がなんだったのか――本人が、考えてくれれば良いとは、思う。 それに、少女だって。 「それは本当に、愛なのでしょうか?」 冷えた声で『宵歌い』ロマネ・エレギナ(BNE002717)が微かに首を傾げた。 顔を会わすは死者ばかり、若い体に齢を幾ら重ねても、男女の愛情は分かりかねる。 ああ、それでも彼女が死者であるならば、死出の旅路へ送り出すのがロマネの役目。 帰ってこない男を待ち続け、迷い続ける様子は見るに耐えない。死者には安息を。眠りを。 生者の世界にいるのを嘘にしろというならば、冥府へ送り嘘へと変えよう。 「泥沼だな」 悲しき少女、と呟いて『黒太子』カイン・ブラッドストーン(BNE003445) が首を振る。 愛も依存も一緒くたに、はまり込んだぬかるみに足を取られてずるずると沈んでしまった。 助け出し、日の当たる所へと連れて行くことはもう叶わない。 だとしたら、せめてその身を引き上げて、泥を拭ってやらねばとカインは思う。 命は救えない。生かしておく事はできない。そもそも死んでいる。死んだまま生かしてはおけない。生き返らせることはできない。彼女を救えない。 我が非力を許せ、とカインは窓の向こうへいる少女へと呟いた。 「ですが、何も知らないまま幸せに逝く事と、真実を知るも苦しみながら逝く事、一体どちらが正しいのでしょうね……?」 時折吹く冷たい風に、黒いコートの襟を直しながら『不屈』神谷 要(BNE002861)がひとりごちる。 男は自分を愛しているのだと信じていた香織。死しても未だ信じて待ち続けている彼女。 要は思う。男は少女を愛してなどいなかったのだと。 それでも愛されていたという幻影を抱いたままが良いのか、苦しくとも真実を知らせた方が良いのか、要は考える。 が、要の隣で『肉混じりのメタルフィリア』ステイシー・スペイシー(BNE001776)が肩を揺らした。 「愛と優しさに溺れた生き様は、愚直で一途で愛らしいわぁん♪」 それも愛だとステイシーは笑う。全てを受け入れ鉄錆に恋う女は笑う。 アナスタシアとはまた違う。少女が愛だと信ずるならば、それも愛であるのだろう。 命を削る合間にも愛を見出すステイシーには、偽りで塗り固められた愛であろうが貫く姿こそが何よりも美しい。 だからこそ。 「その思い出を汚しちゃいけないわぁん」 残された思いだけで動く死体は、残しておけない。 ● 「……ふっ!」 うさぎが全力を込めてドアノブの横を叩けば、簡易な作りの鍵はあっさり中の金属をひしゃげ扉を内側に叩き付けた。 中の対象が逃亡するならば取らない乱暴な手段ではあるが、今回は逃げない相手。 おまけに多少の物音は気にするなとのフォーチュナのお墨付き、遠慮は要らない。 「土足で失礼致します」 ロマネの声を皮切りに、リベリスタは室内へとなだれ込む。 物音に立ち上がったばかりのような少女――香織は、そこにいた。 あの音でも、男が帰ってきたと思ったのだろうか。 あんな乱暴な音で、男だと思ったのだろうか。 それは香織の境遇を無言で物語るが、リベリスタを見て彼女は嬉しそうな笑みを消した。 だあれ、と問うた気がする。 けれど、うさぎにその声は聞こえない。彼女の声を防ぐ為に耳を塞いでいたから。 伸ばした指先が、首元に触れる。冷たい肌だ。うさぎは知っている。これは死んでいる物の温度だ。ずっと前に、死んでいる。 指先で描かれた死神のキスマークに、香織はうさぎと似たきょとんとした表情を返していた。 ごめんね、という謝罪は心の中に押し込めて、アナスタシアが前に出る。 彼女のJason&Freddyが、有刺鉄線で香織の肌を引っ掻きながら床へとその身を叩き付けた。 呻いたような気がする。アナスタシアにも聞こえない。 ただただ静かに早く眠ってくれと、それだけを祈る。 アンデッドとなってしまった彼女を倒す事自体に躊躇いがある訳ではないにしても、それでも。 羽ばたく音が聞こえた。 寒いと思ったら、窓が開け放たれていた。 窓辺には、置き去りにされたままのゴミ。これに群がってきたカラスを眺め、香織は待ち続けていたのか。 黒い嘴が、幾重にも重なってリベリスタを抉る。 「恨み言の一つでも、ないか」 フツが前に出た仲間へ、カラスへと走り出そうとする仲間へと守護を授けた。 彼もまた耳を塞いでいれば、現状では聞く事は叶わない。だから今は単なる独り言。 スカートから伸びる細い足に無数に付いた痣と傷、紫に染まった目元に息を吐く。 彼の愛しい人も傷を持ってはいるけれど、彼がつけたものでもなければ愛しい人に付けたいと思う訳もない。無邪気に慈しみ合う恋人達には分からぬ世界。 それでも愛だと、彼女は言うのだろうか。 『……ああ。あなたたちも、さびしいのね』 要は聞いた。自分よりも少し年上の香織が、そう笑うのを。 理解して貰えないから、暴力に走るのだと。暴力は伝えきれない気持ちなのだと。 両手を広げた黒髪の少女は、華奢な要と同じぐらいに細い腕を広げて笑う。 おいで。 だいじょうぶだよ。 ぜんぶうけとめてあげるから。 ぐるりと世界が反転した。 震えた手が握った剣が輝きを纏い、夢乃の盾に叩きつけられる。 「……っ、神谷さん!」 「――ふふ、そう。受け入れる愛もまた素敵よねぇん」 正気に戻すべく呼びかけた夢乃に答えたのは、ステイシー。 カラスへと向かうはずの彼女が、何故己の前に立っているのか。 音を遮っていたロマネが状況を悟った時には、ステイシーの燦飾鋳が眩く光り、薄っすら残る香と共に彼女の身を強かに打った。 一瞬息がつまり、奥底から込み上げて来るのは理不尽なまでの憎悪。 何故邪魔をするのか。死者を安らかに眠らせなければならないのに、何故邪魔をするのか。 理屈では分かっている。本来のステイシーの意図ではなく、歪められた結果だと理解していた。 なのに頭の冷静な部分を無視して、兄から渡された銃はステイシーの頭部へと弾丸を一発贈る。 耳栓では塞ぎ切れない感情を押さえ込もうと、ロマネは微かにだけ息を吐いた。 「我が暗黒の魔弾より逃れ得るとは思わぬことだ」 ロマネに一瞬気遣わしげな視線を向けたものの、カインもまた己の役目を果たすべく身から瘴気を立ち上らせる。削るのは生命、傷付き傷付ける不吉の暗闇。 黒いカラスが巻かれて同化し、数体が掠ったように翼に傷を作り出す。 悪くはない、が、もう少し。 "Pavane pour une infante defunte"――ピアノの旋律が、カインの耳元で奏でられた。 夢乃は盾を軽く打ち合わせ、混濁した味方の意識を引き戻すべく部屋を光で満たす。 彼女に香織の声は通じない。意識を蕩かすような声だとは思ったが、呪いの類は夢乃には効かない。真っ向から香織を見詰め、彼女は言った。 「あなたが羨ましい。――……命を奪われてまで、相手の気持ちを信じていられるあなたが」 親しげな恋人同士を羨み、運命の王子様を求め、赤い糸を追って恋に恋する乙女のポーズを取っては見ても、夢乃には分からない。恋も愛も、それが何を指すのか、どの感情を指すのか。愛しいと思っていたはずの人を手に掛けた時から、もう分からない。 それでも。 「あなたが死ぬ必要なんて、絶対になかった――!」 ● カラスの羽が舞う。 黒い羽を銃口で払い、カインが己の前に立つロマネに口を動かした。 「すまぬな、感謝しよう。礼として貴殿に勝利という美酒を」 「ご無事ならば、何より」 互いに声は通じていないが、顔と動きでなんとなくは分かる。ロマネも応じ、数を大幅に減らしたカラスの残りを殲滅すべく意識を高める。 ベールの奥の目を細め、横に視線。 「貴女はそれを愛と信じてお逝きなさいませ、眠っていればそのうち彼も帰って参りましょう」 告げた言葉に、香織が何を返したのか。 やはり、ロマネには聞こえなかった。 ただ、彼女は笑っていた。 一方、香織の方も倒れてはいないが、心を惑わす声も聖なる光で打ち払われて、重ねられる攻撃に息を切らしていた。 「……畜生め」 うさぎの口から漏れた罵りは、香織へ向けられたものではない。 香織の唇が紡ぐ声自体は聞こえなくとも、目で分かる、表情で分かる。 それが酷く優しいものであろう事が。 今回は愛ではなく依存だったとしても、きっと、彼女自身は誰かを愛する事ができたのだろう。 だとしたら、それは、愛されるべき事でも、あったのだろう。 ままならない。かくも世はままならない。無表情の域を出ず、ほんの少しだけ唇の端が引き攣った。 「ね、もう、ゆっくりおやすみ……」 アナスタシアが、何度目か香織を叩き付ける。 派手な音。壁に微かに凹みが見える。クローゼットの扉は立て付けが悪くなったのか半開き。 部屋の隅に纏められた小さなビニール袋は、割れた食器が入っているのか。 投げ散らかされた雑誌。生活している雰囲気はあるのに、その光景は寒々しい。 「何故」 振るわれた腕を凌いだ要が、微かに顔を歪めた。 「何故、貴女はそんなに優しい声をだせるのですか……?」 先程から幾度も聞いた声。受け入れると、大丈夫だと、寂しくないからおいでと、告げるその声は、男にも向けられていたのだろう。 優しい優しい、受容の声。 「貴方は既に死んで──いや『殺されて』しまっているのですよ、この部屋の主である男に」 抑えられなかった言葉が要から漏れた。男は香織を放置したまま帰ってこない。 死んでいたのを知らなかったとしても、暴力を振るい傷付けた相手を置き去りにして帰ってこないのだ。 それは、果たして愛なのか。 伝えきれない気持ちを暴力と言う形にしてしまっただけなのか。違う。 「貴女は、生きている内に気付かなければなりませんでした。ただの感情の捌け口であり、愛されてなどいなかったという事に」 愛と言う呪縛に、愛の名を借りた依存に、せめて終止符を打つべく放たれた言葉。 けれどそんな要に、香織は笑った。 『だから、私が愛してあげなきゃいけないの』 ――他の人には、そう見えるから。 ――私だけは、理解してあげなきゃいけないの。 呪縛を掛けたのは、暴力を振るう男だったのか。 愛に焦がれた、少女だったのか。 「そうねぇん」 最後に残った一匹のカラスは、鉄の女に打ち落とされた。 「腐ろうとも燃やされようとも、正直に美しくあればいいのよぉん」 甘い声。香織とは違う受容。ただ生き様は美しくあれ、例えそれで散ろうとも。 舞う羽根を摘み、ステイシーは緩やかに香織の首に向けて線を引いた。 視線を動かした香織が見たのは、迫り来る盾。 「どうか、眠って」 二枚の盾が繋ぐ赤い糸。 夢乃が振り被ったそれに叩き潰され――香織だったものは動かなくなった。 かちゃかちゃと、部屋を片付ける音がする。 ステイシーが見つけ出したのは、ファンデーションとアイブロウ、マスカラにアイライン。 愛を求めた少女は、僅かに身を飾る品だけを手に家を出たのだろうか。 膝の上に香織の頭を乗せて、冷え切った肌に指を滑らせた。 「なあ、お前さん。何かオレ達に言いたいことはあるかい。オレ達はお前さんを殺しちまったんだから。お前さんには言う権利がある。恨み言でも構わねえ」 傍らでフツが呼びかける。確かにその声は届いているはずなのに、何も聞こえない。 語りたくないのか、耳を塞いでいるのか、状況を理解していなかったのか、分からない。 「……言いたくないなら、いいんだ。オレ達じゃなくて、……お前さんの彼氏に言いたい事でもいい」 実際に会うつもりはない。伝えるつもりもない。 けれど、それで少しでも思いが晴れるなら。 そう考えたフツは、一言だけの返答に、小さく溜息を吐いた。 「……『待ってるから』、か……」 言葉を聴いたロマネが、ステイシーの傍らに跪く。 「……では、愛する方を待って頂く事になるなら、必要な事でしょう?」 葬儀屋は紅筆でそっと、薄い赤を引いた。 彼女はまだ、待たねばならない。『愛しい人』である男の事を。 「嗚呼、愛情を貫いた貴方は美人よぉん♪」 愛する人を待つのなら、乙女が飾った所でなんの不自然があろう。 ステイシーが、微笑んだ。 「……あれ」 薄くチークを叩かれる香織を見て、無意識に自分の頬に手を寄せた夢乃は触れた水滴に気付く。 ぱたぱたとその手の甲に落ちたのは涙だ。どうして泣いているのだろう。 彼女の声にだって揺らがなかった。己の精神に介入される事はありえない強さだって持っていた。 けれど、知っている。それで遮れるのは、意図的な介入。不自然な精神の嘲弄。それだけ。 呪い言に惑わされなくとも、自然に動く自らの心だけは、優れたリベリスタだって操れない。 だから、どんなに強く、なったって――。 扉の脇に立ち、一人ひっそり泣く夢乃の横を、うさぎが通る。 部屋は不自然ではない程度に片付けた。カラスは己で埋葬できても、人の埋葬は分からない。 分からないから、仕事だから、仕事の範囲でしかできやしない。 彼女に何もできなかったと呟けば、仲間の誰かは否定したかも知れない、フォーチュナは首を横に振ったかも知れない。 けれどうさぎは黙ったまま、少しだけ何かに耐えるように唇を噛んで、自身が壊した扉を閉めた。 閉じる音は、開いた時とは打って変わって、優しく、静かに。 後日。 身元不明の少女の遺体を持った男が死体遺棄の容疑で捕まり、遺体の状況等から近く傷害致死か殺人容疑へと切り替えられる様子だと――小さい記事が、新聞の片隅に載った。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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