●事件の関係者 「あー」 とか何か、隣で渡辺が覇気のない声を出した。 というか、渡辺は常に、いつでも何処でも何を見ても、大抵は覇気のない感じなので、これはこれでいつも通りというか、それはそれでどーでも良かったのだけれど、とにかく、その時ばかりは持田も、何か、「あー」としか言えない気分で、「あー」とか言って、忽然と消えた本屋さんの看板の辺りを見つめていた。 「これはまた、奇妙な物を盗んだもんだな」 暫くして、渡辺が言った。 「っていうかさ、どうやって盗んだんだろうね、あんな高い所にあるの。しかもわりとでかいのにさ」 「そりゃあ」 持田が思わず言うと、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだ渡辺が、のんびりと、答える。「梯子か何かで登って、外して、持ってったんじゃないの」 とか言ったその、端整な横顔を、何かちょっと、眺めた。 「うん、そういう事聞きたかったんじゃないんだけどさ」 「知ってる」 「だいたい、何のためにそんな苦労して本屋の看板なんか盗むのか、それがもう分かってないもん」 持田は、さほど通行量が多いとは言えない、それでも一応街道ではあるらしい道に面した場所に立つ、鉄製の棒を見つめる。 ここに、本の形を模した看板が掲げられていたらしい。 「それは俺にも分からないけどさ」 「あと、大きな声じゃ言えないけど、別に前の看板見つけてこなくても、新しいの作ればいいじゃないかと思うんだよね」 「んーでもそれ、思いっきり、そこに立ってる店長さんに聞こえてると思う」 でもまー、そこは別に聞かれてもいーと思って言った。 とか何か思いながら持田は、こっそりと背後を振り返る。すぐに、こっちをガン見していたらしい中年の小太りのオジサン店長さんと目が、合った。 「思い出のある品なんですよ」 藁にもすがるような思いを滲ませ、店主が、さっそく口を挟んできた。 こんな依頼は受けられない、と帰ってしまわれたら、困る、と思ったのかも知れない。けれど、残念な事に、その判断をするのは持田の仕事ではなく、探偵事務所の所長である渡辺の仕事だった。 全く残念だ。持田に決定権があれば、絶対こんな意味不明でお金にならなそーな依頼なんかは、断ったのに。 「でも、何ていうか。手掛かりとか、何もないんですよね?」 無くなった看板を見つけて取り戻して欲しい、という依頼の、不自然さ、及び、非常識さを非難する気持ちを込め、言った。 「はい。それはもう。目撃証言も、特になく。夜中とかに盗まれたんでしょうかねえ。閉店するまではあったのに、朝来たら、ぱったり無くなってた、というありさまでして」 店長さんは、これは看板を見つけるために必要な手続き、俗に言う、聞きこみという奴ではないか、という意気込みを、見せた。 つまり、持田の気持ちは全く伝わっていない。 がっかりした。 「音もなく、忽然と消えた看板、か」 隣では渡辺が、白い鉄の棒となってしまったそれを、ぼんやりと見つめている。 ●事件 「アザーバイドの送還及び、エリューション討伐の仕事を頼みたいんだけどね」 『駆ける黒猫』将門伸暁(nBNE000006)が、言った。 「時間帯は夜、場所は、公園」 そう言って彼は、ブリーフィングルームのモニター画面を操作する。 「この、何をどう間違ったか、この世界に迷い込んだアザーバイドを送還して欲しい。D・ホールは、このアザーバイドが出現する公園のベンチ傍にある、貼り紙とかがされた掲示板だ。で、このアザーバイド、見た目は普通の青年に見えるけど、怯えると肌の色が青くなって、嘔吐し出すみたいなんだ。この吐瀉物がまた酷い匂いでね。この世界の住人がその匂いを嗅ぐと軽く混乱状態になってしまうらしいので注意して。どういう事をすると怯えるかは、だいたいこの世界の一般人と同じ程度だと思って対応すればいいと思うけど。詳しくは分からない。戦闘風景とか、敵エリューションの姿を見ても怯えるかもしれない。逃げ出しても、嘔吐されても面倒なんじゃないかと思うから、この辺りの対応は、宜しく頼むよ。あと、このアザーバイドの出現の影響からか、公園の野良犬がエリューション化してる。これも、討伐してきて欲しい。詳しい資料は、後で配るから」 そこで言葉を切った、伸暁は、「それからこれは、今回の依頼と関係あるかないか分からないんだけど」と付け加え、続けた。 「予知の映像の中に、このアザーバイドがどういうわけか、本屋の看板らしきものを持っている、という情報があったんだ。だからどうというわけでもないし、もしかしたら最悪、これで殴りつけてくる、とかいう事態はあるかも知れないくらいで……あとはまあ、基本的には今回の依頼には、関係なさそうではあるんだけどね。一応、危険があるといけないから、言っとく」 そして、手元にある資料に手を伸ばし、一同に向け、配り始めた。 「まあ、そんな感じで。今回も、宜しく頼むよ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:しもだ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年03月10日(土)21:52 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● アザーバイドは、予報されていた通り、公園のベンチに腰掛けていた。 「どうやらあの青年がアザーバイドのようですねえ」 ユーキ・R・ブランド(BNE003416)が、薄闇の中に目を凝らしながら、言う。 「迷えるアザーバイドを送り返すお仕事ですか」 隣に立つ『不屈』神谷 要(BNE002861) が、ぽつんと、言った。「殺し殺されの殺伐としたお仕事ばかりではなく、こういうお仕事ばかりだと嬉しいのですが」 「確かに」 ユーキは薄っすらと唇を歪める。「何かこう……鬼などを相手にした後に、あーゆーアザーバイドを見ると、とっても和みますよねぇ。まあ何事もメリハリが重要です。張り詰めたあとはちゃんと息を抜きませんと。いえもちろん油断しているわけではありませんが」 「でもあのアザーバイドは、いったいぜんたい、どんな世界から迷いこんで来てしまったのでしょうか」 『ナーサリィライムズ』アルトゥル・ティー・ルーヴェンドルフ(BNE003569) が、ミルクティ色の髪を、ふわふわと風に揺らしながら、もじもじ、っと、言った。 「きっときっと、迷子で心細いでしょうね。だから、アルは、アルトゥルは。かえしてみせます。ぜったい!」 そしてぐっと、拳を握る。 とかいう女子達の話をぼんやりと聞きながら、『彼岸の華』阿羅守 蓮(BNE003207) は、え、っていうか、何で、看板? とか何か、考えていた。 そしたら何か、隣に居た『子煩悩パパ』高木・京一(BNE003179) が、めっちゃ冷静な声で、「本屋の看板を持っているアザーバイドの保護、送還ですか」とか何か、普通に言ったので、え、とか、ちょっと驚いて、思わず、見た。 あのアザーバイドの持っている物が、看板だと気づいていない、であるとか、認識出来ていない、というわけではなく、思いっきり本屋の、しかも看板である、ということを認識しているにも関わらず、そこには一切触れずに「何持ってんですかねえ」くらいの感じで、「保護と送還」のくだりへマイルドにシフトしている辺りが、何か分かんないけど、凄い気がする。 「ちなみにさ」 と、蓮は、言う。 「はい」と、相変わらず冷静に京一が頷いた。 「なんで看板持ってるか、気にならないの」 「え、はーまー別に」 「え、何で看板なのかって気にならないの」 「とにかくまー。何故持っているのかは分かりませんが、そんな事よりとりあえずは、三匹居る野良犬の方をまず排除しませんと」 「あ、うん」 「安心して送還する事も、話を聞く事も出来ませんよね」 「はい」 って気付いたら何か、あれ何これ若干ちょっと怒られた雰囲気? とかなってる蓮の後ろから、「でもあれって、やっぱり、看板に思い入れがあるとかなのかな!」とか何か、『愛に生きる乙女』御厨・忌避(BNE003590) が、懐中電灯の灯りを揺らしながら、言って、 「それは愛かな? やっぱり愛かな?!」 とか何か、誰に聞いてるか分からないけど、続けた。 そしたら隣に居た『кулак』仁義・宵子(BNE003094) が、 「っていうかさ、看板ってさ謂わば店の顔だよね。あの青年アザーバイドくんは、ビビりだけど目立ちたい願望でもあるんじゃないの」 とか何か、看板とか、アザーバイドとか、あんま興味なさそーな感じでマイルドに話を変えて、 「うんそう! やっぱり、愛だよね! 愛!」 とか何か、全然繋がってないけど忌避が答えて、 「で私は、とにかく喧嘩出来ればそれでいいんだけど! えへ!」 ってやっぱり全然繋がってないけど、とりあえず何かもー言いたいこといいましたーみたいに宵子が言って、わーこれどーなるんだろーっていうか、どー決着つくんだろーこの会話ーとか蓮が思ってたら、 「まあ、一先ずは」 と、それまで静かに佇んでいた『枢』マリア・ナイチンゲイル(BNE000536)が、やっと口を開いた。 「あのアザーバイドを保護すればよいのですね」 そして何かもー、強引かつマイルドに、バシッと纏めた。 その場に居た八人が、あ、そうですね、看板っていうより、アザーバイドでしたよね、と引き戻された感じで、前方を見据える。 そこへグルルルと、あーこれはもう野犬の鳴き声ですよね、みたいな声が聞こえてきて、薄闇に四つん這いの獣の姿が、薄っすらと浮かび上がった。 「前方。討伐対象エリューション化した野犬。ブラックラベル認定、排除対象とします」 マリアが、そっと両手を重ね合わせた後、びっと勢い良く前方へと腕を伸ばす。 大きな胸が動きに合わせ、ぷるん、と揺れた。 「術式、開始します」 ● E・ビースト化した野良犬は、予報通り、三匹現れた。 まずはマリアが、発光を発動する。伸ばした両手からじんわりと、淡い光が体中に広がり始めた。 「戦場の光源を確保します。聖母と言うにはおこがましき光ですが」 彼女の全身から放たれる光が、街灯から離れた場所にあったその場を、照らし出す。 「助かります。では、私はブロックの方に」 声と共に要が走り出した。銀色の髪をなびかせながら、黒いコートに包まれた左手を翳すと、クロスジハードを発動する。その場に居た七人の味方はもちろんのこと、看板らしきものを手に、戸惑った表情でベンチから立ち上がりかけているアザーバイドも、対象として、認識した。 効果があるかどうかは、分からない。 けれども彼にも、十字の加護を。そして、少しでも、意志の力を。 滑り込むようにして要は、一般人の青年のようにも見えるアザーバイドと、唾のようなものを滴らせ牙をむく、野良犬の前へと立ちはだかった。 敵が飛びかかってくる刹那、パーフェクトガードを使用する。 ぐっと全身のエネルギーを防御へと集中させ、飛びかかってくる犬の牙をラージシールドで、ガチン! と受け止めた。 「さあ、早く、彼を」 「了解です!」 駆けこんできたアルトゥルが、素早くアザーバイドの腕を引く。 わわわわ。 と、突然手を引かれたアザーバイドは、意味不明な声を発し、薄っすらとその顔を青く……。 「あの、あの、あの! アルは、アルトゥルは、アルトゥル・ティー・ルーヴェンドルフともうします」 ぎゅっと腕を掴みながら、アルトゥルは、マイナスイオンをぶわーっと放出した。 緊張や警戒心が解けるように、青年の顔が、へにゃん、と瞬間的に、緩む。 「こんにちは! 大丈夫、怖くないよ」 そこですかさず忌避が、反対の腕を取った。「あれはまあ何ていうか、気にしないで! さあこんな危険な場所は後にして、あっち行こう!」 そして自らと髪と同じ色の、眩しいくらいに白い傘を取り出し、戦場を気にする青年の目から、その光景を隠すかのように、バッと開いた。 「怖いなら、とりあえずあれだよ、見なきゃいいよ!」 「え、でも、えあの……」 「忌避は、御厨忌避だよ! よろしくね!」 「あ、はい」 「貴方にお話を聞きに来たの。もう忌避と貴方はお友だちだからね! ねえねえ、貴方の名前はなぁに?」 「もしかして、もしかして、迷子ですか?」 忌避の後にはアルトゥルが、戦場から気を引くように矢継ぎ早に問いかける。 「とにかく、あっちあっち! あっちだよー!」 にっこりと金色の瞳を細め、笑顔を浮かべながら忌避が言い、二人して多少強引にアザーバイドを連行して行く。 その頃、後方から戦闘を支援する京一は、マリアの隣に並び、翼の加護を発動していた。 瞬間、仲間達の背中に、小さな翼が生える。その飛行能力を活かし、戦場へ飛び込んで来た蓮は、遠ざかって行くアザーバイドと野良犬の前に、勢い良く着地する。 「やー、すまないね。俺は基本犬好きで通してるのだけど、流石に狂犬までは愛してあげられない様だよ」 口調こそ軽やかな感じで言いながら、彼は、流水の構えを発動した。 柔和だった瞳が鋭さを増し、流れる水のような柔軟な構えで、野良犬の攻撃を見定め、隙を狙う。 「守護結界を発動します」 今度は京一が背後から、防御結界を展開する印を結ぶ。その効果を受けた仲間達の自らを防御する力が、ぐんと、増した。 その前方では、 「おっしゃ! 出たなー犬ー……じゃなくて、え? 狼? いや、やっぱ、犬? ……かどーかは知らないけど、とにかく何かバーッカ!」 とか何か、破天荒な切れ方をして宵子が、無頼の拳を発動し、飛びかかって来た犬を拳で殴りつけていた。 「頼るのはこの拳、これひとつだけで突き進む!!」 ボコン! と一発目が命中したのを手始めに、赤い髪を振り乱しながら、とにかくガッツンガッツン、右手左手と、拳を繰りだして行く。 「ホントは人間相手に殴り合うのが大好きなんだ、け、ど! 今日はこれで我慢してやるよ!」 相手に立ち直る隙を与えず、拳で肉を打ち、骨を砕く。最終的に繰り出した、下から上へと突き上げる拳の打撃で野良犬がキャーンと空へと舞った。 するとすかさず背後から。 「さて、油断は出来ない息抜き開始……なんて息抜きも仕事なあたり私も救いようがありませんね!」 とか何か、こちらは八つ当たりな切れ方をしたユーキが、バスタードソードを鋭く振り抜き、自らの生命力を放出した。 仄暗い色をした黒い瘴気が辺りに漂い、野良犬達を覆う。不吉な暗黒は犬達の体外も、体内も、蝕む。 と。その瞬間。 暗闇の中に、朱色の炎が、ぶわっと鮮やかに、破裂した。 宵子が業炎撃を発動したのだ。 「これで終わりだよ! さっさと大人しくなりやがれ!」 そのまま暗黒の中を突っ走って行くと、先程まで自らが殴りつけ、更にはユーキの暗黒によって息も絶え絶えになっていた犬へ、燃え盛る炎を纏った拳の一撃を打ち込んだ。 宵子の手から野良犬へと燃え移った炎が、ぐわあああ、とその身を焼き尽くす。 その傍らでは今まさに、京一が式神の鴉を敵へと向かい、放たんとしているところだった。 符術で作り出された式神の鴉は、ピッ、と空を裂く彼の手の動きに合わせて、野良犬目掛け、突進していく。 ズシャッと素早い動きでそれを逃れた野良犬に、今度は、蓮の放ったかまいたちが、飛んでくる。 「実はこれでも割と反射神経には自信があってだね」 斬風脚の、恐るべき速度で放たれる、鋭い蹴撃から発生したかまいたちは、見事に野良犬の動きを捉え、ヒットした。 「逃がしはしないからね。このまま、ケリをつけよう」 言い終わらない内に蓮はもう、野良犬の前へと走り込んでいる。 魔氷拳を発動した。 凍て付く冷気を纏った拳が、かまいたちのダメージを受けた直後の野良犬へと、追い打ちをかける。 凍った体躯を、彼は容赦なく、打ち砕いた。 「やれやれ、ロートルをあんまり働かせる物じゃないよ。何て、ね」 早熟した22歳は、そんな事を言い、肩を竦める。 更にその少し前。 コンセントレーションを発動したマリアは、要の対峙する野良犬に向け、トラップネストを発動していた。 「戦況把握。縫合開始します」 彼女の手から放たれた気糸が、まるで蜘蛛の巣のように敵の周囲に罠を展開し、その身動きを封じる。 「残りは、一匹ですか」 バスタードソードを構えるユーキが、残った一匹に向かい走り込んでいた。 「もう少し付き合いたかった気も致しますが、仕事ですしね。終わらせないといけませんねえ」 呪刻剣を発動する。 バスタードソードが、禍々しい黒光を帯びる。振りかぶったそれで、その胴を切り裂いた。 けたたましい咆哮が、野良犬の口から、漏れる。 間髪いれず、背後から、要がリーガルブレードを発動し、飛び込んできた。 彼女の手にあるブロードソードが、鮮烈に鋭く、輝く。その刃が、強烈な破邪の力で、野良犬の首を斬り落とした。 ボト。 「ひっ」 と。アザーバイド青年の口から悲鳴が漏れた。 地面に落ちた野良犬の、べろんと舌を垂れた生首を、一瞬の油断の隙に、傘の間から目撃されてしまったらしい。 「あ、ねえねえ!」 と、忌避は慌てて話かけ、気を逸らそうとしたのだけれど、青年の顔は、みるみるうちにもう、何か、青くなっている。 「ええと、ええと。怖がらないで下さい。大丈夫ですよ、ええと、ええと」 アルトゥルも慌てて青年の気を逸らそうと何かとっかかりを見つけようとしたのだけれど、結局何も思い浮かばず、「ええっと、どうしましょう」と、最終的には、忌避を。 「だぁぁあ、吐くな吐くな! あんた男だろ! 意地見せろってのよ!」 そこへ駆けつけて来た宵子が、その場を目撃し、大声を張り上げる。 「そうです。我慢しなさい」 続けてマリアの冷たい声が、言った。「ワタシ達は貴方を救う為に戦っているのですよ。甘えるのも大概にしなさい。まして男性ならば」 「ウップ」 と、青い顔で青年は頷くけれど、もー絶対全然大丈夫には見えなくて、むしろこれは、相当危険な状態のような予感がした。 なので忌避は、ガッと、とりあえず青年の口を強引に押さえ、バンバン、と背中を叩き。 「どう? でそう? 出そうなの?! どうなの!」 「うっぷ……」 「最悪もーあれだったら、このアタッシューケスに吐き」 「いやいやいやいや、駄目だって! 絶対吐くな! いいか、キミ! 吐いたら、殴るよ!」 って宵子の台詞でまた青年の顔が青く……。 「なーんて嘘でーす! 殴らないから! ね? アルトゥルさん?」 「はい、そうですそうです、殴らないです。っていうか、アルは、あなたの帰り道、教えることができます! よ! だからだから……だからどーか吐かないでくださーい!」 ● 「落ち着きましたか」 抑揚の抜けた機械のような口調で、マリアが、言った。 「はい、あの何か……すいませんでした」 アザーバイドの青年が、途方に暮れたような表情で、項垂れる。 自らの吐瀉物に、どのような効果があるかは分かっていないのだろうけれど、どうやら吐く、という行為は、わりと良くない事である、というのは認識しているようには、見えた。 「臆したからと言って嘔吐する事は推奨できません。貴様の内臓を痛める事になりますよ」 「はい……何か、そうですね、すいませんでした」 そんなこんなで、何とかかんとか、青年の嘔吐を止める事が出来た一同は、戦闘を終え、D・ホールがあるという掲示板に向かい、歩いている。 「ところで青年君」 前方をたらたらと歩いていた蓮が、言った。 「ところで、その看板一体何処から持って来たのよ?」 「え」 「そうそう。しかも何故看板なのか、わりと気になってたんですよねえ」 ユーキがそれに便乗する。 「それ、本屋の、ですよね」 要が、分かっているとは思いますが、と言いたげに、言う。 「えーっと。何かぶら下がってたんですけど」 アザーバイド青年は、小首を傾げながら、答えた。 「その看板が、好きなの?」 忌避が、言う。「それとも、看板が、好きなの? 何だったら忌避も看板あるけど! まあ、無地の看板なんだけどね!」 「カンバン……」 「それです。今、貴方の持っているものが、看板、といいます」 京一が、青年の手元を指さす。 「ああ、そうなんですか。看板。良い響きですね」 「え、そうかあ?」 宵子が、薄気味悪い物を見るような目で、青年を、見た。 「いえ、すいません何かちょっと適当に言いました、すいません」 「というか、貴方は、それを持って帰ろうとしていますか」 「駄目ですかね」 と、逆に聞き返された京一は、「いえ、まあ」と顎を撫でた。 「穏便に帰ってもらえるなら、それくらいは見逃しても良いかもしれませんね。後の事はアークに処理して貰うとして」 そして、仲間達を、見やる。 「でも、それを大事に思っているひとがいるそうでして。出来れば返して頂けたら嬉しいな、とアルは思います。返して頂けます、か?」 くるんとしたブルーベリィのようなアルトゥルの双眸に見つめられ、困ったように青年は「えーっと……」と、呟いた。 「何か、なんとなく、手放したくないというか……なんて、そんな理由じゃ、駄目ですよね。わりと気に入ってるんですけど、これ」 「理由もないのに、ですか?」 要が、やっぱり奇妙な物を見るような目で、青年を、見る。 「えーっと理由は……あるというか、ないというか」 「分かった! つまりそれは、愛だね! 愛でしょ!」 忌避が、勢い込んで言う。 「まあ。そうですね、何か見ててたまらんかんじですね」 「分かった!」 そしてパン、と彼女は手を叩いた。「愛なら仕方ないよ! 忌避が代わりに看板の主に謝りに行っておいてあげる」 「え! 本当ですか!」 「そのかわりね」 そして彼女は、ちょっとだけ真面目な顔つきになった。 「素直に、元の世界へ帰ってくれるよね」 「元の、世界ですか」 「そう。ここは異世界」 「異世界?」 「そしてこの世界は脆いの。貴方のせいではないけど、貴方がもとの世界に行かないと此方は壊れてしまうんだよ。だからさ。どうするべきか、わかってくれるよね。出口は、すぐそこだから」 そして、目の前にある掲示板を指さした。 「ではでは、皆様これにて閉幕」 そこで蓮が、洒落た仕草で芝居ががった会釈をする。「どうぞ看板をお忘れ無き様……なんてね」 「ここに、入れば、帰れるからね」 忌避が、青年の背中を押すように、言う。 「送還終了。ブレイクゲートを発動します」 掲示板の中へと吸い込まれて行く青年の背中が消える頃、マリアが、また、冷静な声で、アナウンスをした。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|