●『腐り落ちる』 冬の霧が乳白色の帳となって視界を閉ざしていた。 ざり、ざり、と。幾人もの人間が足を引きずる音だけが、奇妙に耳を打つ。 いや。 それだけではない。 うう、と呻く声が混じっている。いくつも。いくつも。 「お主、少々疲れたようじゃのぅ」 不意に。 しわがれた声が発せられた。 ヒッ、と小さな悲鳴。それから、痛いほどの沈黙。 「なんと、返事も出来ぬほど疲れ果てているとはのぅ。悪いことをした」 「ヒ、ヒイッ! め、めめめ滅相もございません!」 声色だけは心底優しげに、誰かを気遣う声がする。 遮るように発せられた、ただ恐怖だけに満ち満ちた哀願。 その時、風が吹いた。 霧が流れ、僅かに周囲の視界が戻る。 「……あ……あああぁ……」 その時、『彼ら』を『観た』者が居るならば。 誰もが言葉を無くすだろう。誰もが嘔吐感を堪えるのに努力を必要とするだろう。 そこには、鎖に繋がれた男女に担がれた、金属の輿。 左右に控える、屈強な大男――『鬼』――達。 輿の上に鎮座する、痩せぎすの、しかし異様に長い手足の老人。 そして、生きながらどろどろと『腐っていく』、鎖で輿に繋がれた男。 「ほれ、暇をとらせてやるぞ。よう働いてくれたのう」 いまや老人が掴んでいる男の肩は、ぶよぶよとした何かに成り果てていた。 鼻を突く臭気。 それでも、彼らにそれを感じる余裕は、無い。 「さ、先を急ぐぞ。お前達はまだ元気じゃろうしな」 老人と、二十五人の絶望とを乗せ、また輿が動き出す。 後には、臭いのきついぬかるみだけが残されていた。 ●『万華鏡』 最初に告げたのは、緊急、という一言。それだけで、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が抱く焦燥は、正しくリベリスタ達に共有された。 「突然、岡山近辺に現れた鬼のことは、もうみんな知っていると思う。禍鬼を筆頭にした彼らが、鬼の王・温羅を復活させようと目論んでいることも」 ジャック・ザ・リッパーによって三ツ池公園に開けられた大穴は、日本の崩界度をナイトメア・ダウン以降類を見ないレベルに押し上げた。鬼達を捕らえていた封印も、その影響で緩んでしまったのだろう、とイヴは続ける。 「でも、鬼の大部分は、封印状態から脱しきれていない。岡山に存在する霊場や神器が、まだ鬼達を封印の中に閉じ込める役目を担っているから」 だからこそ、彼女が『観た』光景は説明の必要もないだろう。禍鬼を先頭にした鬼たちが、封印を破るべく活動を開始することを。そして、リベリスタを知る禍鬼が、陽動とばかりに鬼どもを放ち、白昼堂々の惨劇を繰り広げることを。 封印を護り、そして人々を守り抜く。それは困難で、けれどリベリスタ達が成し遂げなければならない使命――。 「けれど、今回は犠牲が出てもいい」 表情だけは変えず、殊更淡々とイヴは言い切った。 「みんなに行ってもらう水島古戦場に現れる鬼は、そのつもりでないと戦えないから」 水島古戦場。 瀬戸内海に浮かぶ乙島と柏島にまたがる、平家の残党狩りが行われた場所。 その片方、柏島の海辺にある、武者達を祀る小さな神社に鬼が現れる。 「『悪樓』。伝説では巨大な魚の名前だけど、こっちは鬼。司るのは、死と腐敗」 全裸で痩せぎすの老人の姿をしたそれは、普段は鉄で拵えた輿に乗って移動する。悪樓が触れる、ありとあらゆる『腐る』ものは腐敗を免れないからだ。それは、大地とて例外ではない。 「鬼に捕まえられた人間に輿を担がせて、二匹の鬼と一緒にその神社に向かってる」 今から向かえば、神社で待ち受ける事が可能だ。接触するであろう時点で、生き残っている担ぎ手は二十五人。鎖で輿に繋がれ、てんでばらばらに逃げることすら適わない。 「助けたいけれど、単に輿から悪樓を引き離せばいいってわけじゃないの。神社こそがすなわち封印の霊場。悪樓の足が地に着いた瞬間に、破壊のカウントダウンが始まるから」 およそ二分。悪樓はただそれだけの時間で、境内を腐敗の海に沈め、封印を溶かしつくしてしまうのだ。 「付け入るとすれば、人間を――リベリスタを甘く見ていること。最初は手下をけしかけたりして、自分が攻撃されない限り、わざわざ降りて戦おうとしないから」 どの時点で『降ろす』のか、一つの分かれ目になるだろう。勝敗の面でも、輿に繋がれた人々の命運も。 「それと、悪樓は優秀な亡者使い……今風に言えば、ネクロマンサーでもあるの。古戦場にしがみつく武者の亡霊を現界させるなんて離れ業も繰り出してくるよ」 希望的な観測には意味が無い。最悪を考え、最悪の中の最悪を避けることに注力しなければ、それすらも覚束ない――。 「頑張って。そして、勝って、生きて帰ってきて」 勝って、生きて帰ってきて。 そのためには、人々に犠牲が出ても良いと――そう言わざるを得なかった少女の心を、この場で推し量れないものが居ただろうか。 「――任せろ」 頷いた『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)も、その例外ではなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年03月03日(土)00:44 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 潮の香りに満ちた白濁の霧が、境内を覆っていた。 「視界が悪いな」 『ピンポイント』廬原 碧衣(BNE002820)の声に、戦いへの緊張は感じられない。 「海が近い。沿岸霧というやつだろう」 傍らの『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)が応じた声に、そういえばあの時はいい天気だったな、と返す碧衣。それは驚くほどいつも通りの会話で。 「霧也も色々あったようだが──いや」 何でもない、と彼女はほろ苦く笑う。一方、そこまで平静を保つには、『緋月の幻影』瀬伊庭 玲(BNE000094)はまだ幼すぎた。 「ううむ、初めてとは言わんが、ここまで禍々しいとのぅ……」 懐中時計を弄る手を止められない玲。その彼女の頭にぽんと置かれたのは、手袋に包まれた華奢な掌で。 「怖くなった?」 サングラス越しに微笑む『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)に『本来の』姿を感じるのは、例えばこんな時だろう。 背伸びしてサングラスをかけた制服姿の女子高生。だが、撫でる掌の温かさは、確かに父親のそれを思い出させるのだ。例え、その口調すら少女の姿に引っ張られているのだとしても。 「こ、怖くなんてないのじゃ! 別に、妾が倒してしまえばいいのじゃろ?」 強気に装う玲にくすりと笑んで、それから彩歌は、再び霧の向こうに視線を投げる。 「でも、よく判らないわ。この手の輩の考える事は」 「最近は……鬼との戦いが……多いけれど」 今回の敵は最悪の部類、と応じたのはエリス・トワイニング(BNE002382)。電波に導かれて参戦した、と称する彼女だが、普段の飄々とした態度は影を潜めていた。 「ある意味……世界そのものを、浸食し……同化しようと……しているから」 世界そのものを侵食する。 エリスの比喩は確かに的を射ていた。全てを腐らせ、聖なる縛鎖すら解き放つ化け物。 その化け物が、やってくる。 輿に繋がれた哀れなる人々の、恐怖と苦痛の怨嗟を霧に溶かして。 「悪樓。確か、日本神話の悪神……」 一人ごちる『殲滅砲台』クリスティーナ・カルヴァリン(BNE002878)。その名だけで、只者ではない相手という事は判っていた。 「力も相応なのでしょうね。仮にも神を名乗るのだから」 帽子のつばを、くい、と上げてみせる。現れたのは、どこか無機質で、しかし強い意志を湛えた紅玉の瞳。 「いいわ。油断はしないし侮らない」 二連装の砲身を霧の向こうに向ける。彼女には既に見えていた。左右に屈強なる衛士を従え、輿に胡坐をかく異形の老人が。 「ほっほっ、出迎えご苦労じゃのぅ」 しわがれた声。霧の中から姿を現した老人――悪樓が、面白げに彼らを見下ろしていた。 「……っ」 知らず、ぎり、と歯噛みする。『棘纏侍女』三島・五月(BNE002662)の心中に渦巻くものは、強大な敵を前に、更に勢いを増していく。 (助けてあげたいのに) 目標に明確な優先度をつけ、彼らはこの場に臨んでいた。人々の救出は、その中では最下位に近い。そうでもしなければ倒せない相手だった。 だが。 (余裕がないなんて、力不足の言い訳です) 見てしまった。 声を上げる事すら忘れ、ただただ助けを求めるだけの目を。 見殺しにすると決めた、その相手を。 「……ああ、苛々します――腐りかけの下衆め」 華奢な身体から漏れ出したハスキーな声。少女の姿をした少年は、自分への怒りを闘志へと換える。 「そこで高みから楽しんでいればいい。お前は絶対に許さない」 そして、少女と見紛うばかりの少年がもう一人。雪白 桐(BNE000185)、美しい銀髪をショートシャギーに纏めた彼は、トレードマークともなった大剣を構えた。 誰が見殺しにしたいと思うだろうか。 誰が無力を認めたいと思うだろうか。 だが、決めたのだ。桐は見つめる。食い入るように見つめ続ける。少なからぬ数が命を落とすだろう、哀れなる奴隷達を。 (――目を逸らすなんて、私には出来ない) そう、決めたのだ。 「ほほぅ、ならば何とする。我らを相手に、人間ごときが何とする」 「……外道が」 嘲笑すら込めた悪樓の声。『神速疾駆』司馬 鷲祐(BNE000288)は、多くを言い返そうとはしなかった。言葉に意味はない。眼鏡越しの殺意にさえ、意味はない。 ――思いを貫くならば、ただ自らの力にて。 「見せてやろう。貴様が嘲った人間の力を」 かのジャック・ザ・リッパーさえ、少なくとも一芸とは認めた神速。身体が無意識に課している『枷』を、意識して取り外す。 「見せてやろう。アーク最速の名が伊達ではない事を!」 ● 鷲祐に続き、彼らは搾り出すように自らの力を解放する。そんな中、真っ先に飛び出したのは、フリルドレスの少女――玲だった。 「すたいりっしゅな妾の一撃、とくとその目に焼き付けるのじゃ!」 繋がれた男女に向いてしまう目。だが、あえて少女は視線を逸らす。 ああ、それは実に正しい。――見れば、傷になる。 (今、この時だけ。この緋月の幻影は、助けたいという感情を忘れる……!) 黒髪とリボンを靡かせて、彼女は腰巻姿の屈強なる衛士へと軽やかに駆け寄った。 「がぁっはぁっはぁっ! お遊戯かぁ、童(わっぱ)?」 「ふんぞり返っているのも今のうちじゃ」 零距離で巨大なる銃を突きつける。だがそれは囮だ。本命は、左手に隠したオーラの爆弾。 「お主らの目的、妾が阻止させてもらおうぞ」 炸裂。その爆風は玲の肌をも焼くが、それ以上に鬼の肉を抉った。 「それでは、こちらも始めるとしましょうか」 もう片方の鬼に迫る五月。その装束は正しくメイド服であり、しかしメイド服と呼ぶには異質に過ぎた。全身から、殊に篭手から突き出す無数の棘ゆえに。 「しゃらくさい!」 炎を纏った鬼の拳が、『少女』の腹を抉る。ぐ、と息が詰まった。肉の焼ける痛みと、独特の臭気。だが、退きはしない。前衛志願は生半可の覚悟ではない。 「覇界闘士ですか――尚更、負けるわけにはいかないですね」 彼の拳を苛烈なる闘気が覆う。おぉ、と低い呻き。突き入れた棘の拳を起点にして荒れ狂う闘気は、瞬間的にせよ、鬼の巨体の動きを止めていた。 「さあ、傲慢の代価を支払わせてあげます」 「ここは良いのぅ、恨みつらみに溢れておるわい」 けたけたと笑う老鬼。そぉれ、と指を回せば、ぞぶりと土が波打った。たちまち沼地のように溶けた地面から這い出てくる白骨の武者達。 「それ、あ奴らの肉も腐らせてしまうがよかろう」 「腐らせる、ですか。どこまでも性質の悪い」 武者へと斬りかかる桐と霧也。前に二、後ろに一。負担の大きい鬼相手の前衛に、この亡霊を近づけるわけにはいかない。 「どれだけ未練があっても、こんなモノに使われるのは惨めでしょう!」 ぶん、と振り切った。華奢な桐の身体に似合わぬ雷纏う一閃が生む、骨の砕ける音。ば踊る火花と共に崩れ落ちる武者は、所詮朽ちた亡骸に過ぎない。 「予想通りか……!」 一方、後方の武者を身をもって防いだ碧衣。錆びた刀の痛みは冴えた思考を翳ませるけれど、それでもやるべき事を見失うほどやわではない。 「まあ、たまには身体を張らないとな」 強がるように笑い、バックステップ。一瞬遅れてネクタイが跳ねる。同時に全身から放たれた気の糸が、周囲の敵ごと霧也が仕留め損ねた亡霊武者を貫いた。だが。 「――なんだと」 目の前の武者は、まだ立っている。碧衣の気糸を受け、なおも伽藍堂の眼窩を彼女に向けている。舌打ち。しかし次の瞬間、横殴りに吹き荒れた稲光が三体目の武者を飲み込んだ。 「意外とタフなのね。面倒だわ」 白い翼を広げ、傲然と立つクリスティーナ。彼女が喚んだ雷柱は、ただ悪樓と輿の担ぎ手だけを避けて戦場に降り注いだ。多少肌が焦げたとばかりに平然とする鬼どもを見やり、クリスティーナは忌々しげに呟く。 「ひ、い……っ」 その時、奴隷の裏返った悲鳴が彼女の思考を乱した。ふぅ、と息をつき、それから鋭い声一つ。 「動かない。声も上げない。狙いが逸れたらどうなるか判るでしょ?」 ぴしゃりと言い放ったクリスティーナ。自身の体躯にも匹敵する砲身を抱えふわりと浮き上がる彼女は、神秘に無縁の一般人には神々しくさえ映っていた。 だから彼らは口を閉ざす。その胸に溢れるほどの恐怖を溜め込んで。 「大丈夫……後ろは……気にしなくて……いい。……みんなは……全力で……攻めて」 片言ながらも力強く請け負って、エリスは途切れ途切れの旋律を口ずさむ。それもまた大いなるものへの賛美の詠唱。少なからぬ傷を受けていた玲や五月、碧衣の痛みが、柔らかく引いていく。 「まだ……、エリス達は……舐められた、まま……」 神秘の系譜に連なる書を胸に抱き、美しい金髪を靡かせた少女は呟いた。 戦いが始まってしばらく、悪樓はただ亡霊を招いてはけしかける事を繰り返している。だが、膠着に見えて実は危険な状況である事に、エリスは気が付いていた。 彼らは疲労する――おそらくは、鬼よりも早く。碧衣が攻撃を止め、バックアップに回る事態になったとき……均衡は崩れる。 「だから……今のうちに……早く」 「任せろ」 短く応えたのは鷲祐。桐達の働きにより、最高速に達した脚は未だ絶好のコンディションを保っていた。 大きく振り回した鬼の腕をひらりと避け、一足飛びに懐へ。刃が銀線を宙に描けば、縦に裂かれた傷口から体液が飛び散って。 だが、足りない。この鬼どもを倒すため、あと少し。 「聞いてくれ、お前達の力を貸してくれ!」 だから、彼は信じた。この場に居る九人目の『仲間』達を。 お前達は、この世界を救う鍵を握っている。 頼む、そいつを境内から引き離してくれ。 それだけで――お前達は世界を救うんだ! 沈黙。永遠とも思える一瞬。彼の言葉は二十五人に染み渡り――そして。 「ふ、ふざけんな、できるわけないだろ、助けてくれよ」 「嫌っ! 嫌あっ! 帰して、帰してよっ!」 悲鳴が、哀願が、罵声がリベリスタ達に叩きつけられた。無理もない。鬼という化物、クリスティーナの抑圧、そして死の恐怖。日々を事もなく過ごしてきた一般人に、どうして耐えられようか。 「ほっ、何を任せるというのか」 老鬼が薄く笑い、手近な者の頭を鷲掴みにする。声無き悲鳴を上げながら、あっという間に腐り落ちていく壮年の男性。掌が、赤く輝いて。 「ほれ、世界を救う鍵じゃよ」 オォォォ、と唸る『何か』が鷲祐へと投げつけられた。それは呪詛。それは怨念。理不尽に殺された者の慟哭が、避ける彼を追って喰らいつき、爆ぜる。 「ぐああああっ!」 全身を蝕まれ、鷲祐の足が止まった。追い討ちをかけんと動く衛士。 「リベリスタがどう動くか、それをあいつはきっと知っているのよね」 サングラスの視界から、彩歌は敢えて悪樓を外した。敵は目の前、論理の名を持つ手袋の指先から放たれた糸が鬼を穿つ。 「知っているからこういう行動に出たんだわ――許しがたい事に」 それは戦いを動かす奇跡の一手。彼女の苛立ちを乗せた気の糸は鬼の腰を貫通し、そのまま横に一閃、肉と骨を切り裂いた。動きを止めた鬼が、ずん、と倒れ伏し、そして。 「やるのぅ、お主ら」 実に平凡な賞賛の声。それは、恐るべきプレッシャーを伴ってリベリスタ達の耳朶を打つ。 「どうやら横着は出来んようじゃな」 輿から飛び降りる老鬼。地に着いた足から、ずるり、とぬめつくものが広がった。 ● 枯れ木のような腕が伸ばされる。一度は黒銀の手甲で弾いた五月だが、幸運は二度続かない。エプロンドレスを溶かした掌が、彼の肉を爛れさせていく。 「くっ、こんな奴に……」 遠のく意識を繋ぎとめ、鋭角の甲を力任せに突き入れた。篭手が赤熱し、轟、と炎を纏う。 「腐った身体には炎がお似合いですよ」 おお、と呻く老鬼。焼鉄の拳が骨の浮いた腹に叩き込まれ、めきと音を立てた。 「負けるわけにはいきません。絶対に――焼き尽くす」 「そうね、その通り」 応じるはクリスティーナ。十八听砲よりもなお巨大なる二連装の砲門が、急速にエネルギーを蓄え鳴動する。 「私は兵器。森羅万象の一切を焼き尽くすのみ、よ」 巨砲が吼える。吐き出された白き光線が十字を象り、悪樓を奔流の中に飲み込んだ。 「さあ、殲滅砲台の名を胸に刻みなさい。貴方を殺す告死天使の名前を!」 「……減らず口を叩くのう」 ぎらり、老鬼の落ち窪んだ目が光る。 「ふんばるのじゃ、皆の者!」 血と腐敗の輪舞は加速する。主賓を狙い二丁拳銃を向ける玲を、しかし武者姿の骸骨が阻む。 「邪魔をするでないわ、ドレッドノートの力で散るが良い!」 既にリボンは解き、眼帯は捨てていた。恐れ知らずの名のままに、玲は銀の弾丸を叩き込んだ。頭蓋に穿たれた弾痕。一瞬の後、空ろな穴から溢れ出す様に、亡霊を氷が覆っていく。 リベリスタ達の奮戦に疑いの余地は無い。だが、いくつかの誤算が彼らの力を減じていた。 矛先が定まらず、衛士の一匹を討つのに時間がかかったこと。 悪樓が前に出た今になってなお、もう一匹が健在なこと。 主導権を握れぬまま碧衣がチャージ役に回り、攻撃が手薄になったこと。 悪樓への攻撃に意識が向きすぎ、次々現れる亡霊を捌ききれなくなったこと。 僅かなボタンの掛け違い。だが、それらが螺旋を描いて絡み合えば――望まぬ方向に加速していくのは目に見えている。玲がその攻撃を阻まれたように、思うように悪樓を叩けない彼には焦りが生まれていた。 その間にも、何人もが倒れ、そして運命を盾に蘇る。 「……絶対に……、皆を……生きて、帰す……」 単なる回復役。そのエリスの言葉にどれほどの矜持が込められているか、それを理解出来ない者はリベリスタには居ない。 必ず、生きて帰す。 覚悟と共に、エリスは短く祈りを捧げた。涼やかな風が境内を駆け抜け、澱んだ瘴気を払う。 (例え……どんな事を……しても) 運命は未だエリスに寵愛を与えない。だが、パーティにとって彼女の献身はそれ以上の支えとなっていた。 「これで――倒れなさい」 彩歌が放つ何度目かの気糸が鬼に吸い込まれ、亡者ごとその身を貫き息の根を止める。それはアイリスの花言葉通りの『吉報』。ようやく悪樓に集中できる状況を作り出し、にも関わらず彼女の表情は硬い。 密集する担ぎ手の中に気糸を撃ち込み鎖だけを破壊するなど、いかな彼女でも不可能だったからだ。 「――すまん」 ぎり、と鷲祐が歯を鳴らす。ああ、真に彼が『見捨てる』意味を理解したのは、恐らくこの時であったに違いない。見捨てる事が出来るのは、常に見捨てられる側より強い者なのだという事を。 「だが……貴様の存在を許せば、比較出来ぬほどの命が散る」 恋と同様、戦いが平穏無事に進む事など無い。怨霊の束縛が幾度その脚を奪おうとも、何度でもギアを入れ直す。駆ける。駆ける。速さこそが、彼の武器なのだから。 「だから――神速の刃で、貴様の腕を落とすッ!」 無心に地を蹴った。神速斬断『竜鱗細工』。銀の輝きが腐敗の靄を超え、老鬼の腕へと突き立ち、その筋を断つ。 攻め立てるリベリスタ達。だが、悪神はまだ倒れない。まだ、届かない。 「よかろう。お主らは、この結界ごと腐り落ちよ」 次の瞬間。 ぐずぐずと爛れた地面がぼこりと泡立ち、彼らの下半身を一斉に飲み込んだ。 「な……にっ!」 一瞬にして、境内を埋め尽くす瘴気が死毒となって彼らを蝕んだ。奪われる体力、そして精神力。 離れていた担ぎ手は難を逃れたものの、限界まで力を振り絞っていたリベリスタ達はその影響をまともに受けている。霧也が、そして体力に劣る玲が倒れた。 「ここでお前こそが――」 異形の大剣を振りかざし、腐敗の沼を掻き分けて距離を詰める桐。 「――ここでお前こそが、腐り果て骸を晒すがいい」 忘れるものか。絶望だけに染められた視線を。 忘れるものか。弾丸に換えられた声無き悲鳴を。 全てを飲み込んで、彼は雷の如き闘気と共に得物を振り下ろす。確かな手応え。 死に蝕まれた全身が悲鳴を上げる。構うものか。手が腐ったら足で、足が潰れたら体当たりで――! 「根性なんて柄ではないが……まだ寝るには早いか」 膝をついた碧衣が、再び身を起こす。スカートはどす黒く汚れていたが、もうそんな事には頓着していなかった。桐の戦いぶりは、それほどに鮮烈で。 「未成年に見せ場を持っていかれたら、オトナの立場が無いだろう?」 正念場。一直線に伸びた彼女の意思が、老鬼の骸骨さながらの頭部を穿つ。 (――あと少し。十秒だけでいい) そして彩歌もまた、ここが勝負所と知っている。 気糸は全身から出せる。 瞳は硝子で出来ている。ならば。 「持ちこたえてよね、私の『機甲』」 泥を蹴立てて飛び込み、淡く輝く手袋越しに細い老鬼の足を抱え込んだ。全身を焼く痛み。それに耐え、彼女は叫ぶ。 「さあ、決着を――!」 出し惜しみのない攻撃。リベリスタに与えられた、最後のチャンス。 だが、それでも悪樓は立っていた。 「――退くぞ」 その脚を活かし、鷲祐が意識を失った桐と彩歌を後方へと運ぶ。これで戦闘不能は四人。彼らの撤退ラインも――四人。 「た、助けてくれ! 俺達を見捨てないでくれよォ――」 からからと笑う声と胸を刺す慟哭を背に受けて、リベリスタ達は逃走する。 老鬼が追わなかったのは、彼らに思い知らせるかのように、絶望の声を聞かせるため。 ただそれだけの事だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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