● 山中を駆ける影がある。 宵闇に紛れ、黒い影が並走、或いは追走しながら幾つも駆ける。 「……こんなに厳重にする必要はあるのかね」 影の一つが囁いた。 「仕方ないだろう。そういう指示だ」 影の一つがそう返す。囁きは影と影の間に広がっていく。 彼らの中心に位置するのは、ケースを持った一人の男。 いや、ケース自体。『賢者の石』が収められたそのケースは、この場の誰の命より重い。 だがしかし、果たして『恐山』に喧嘩を売ってまで欲しがるものがいるものか――。 それは油断だったのかも知れない。 個々の能力が低いが故に、数を集められた事を忘れる様な人員だったからこそ存在した油断。 無音の刃が背を切ったのは、その瞬間。 「――がっ!?」 並走していた三人が倒れ込む。 一気に敵意と殺意が膨れ上がり、振り向き様に無数の刃と弾丸が倒れた三人の背後へと。 だが、そこには既に何もいない。 「何処だ!?」 「……おい、何にやられた!?」 倒れた三人も、然したる傷ではなかったのか立ち上がる。 影が、六つ、立ち上がり――。 「……な」 誰かが一歩、後ろに引いた。そこに居たのは、全く同じ姿かたちの二人。が、三組。 再び悲鳴。何かに切り付けられた悲鳴。 増えた。影がまた増えた。 何処からか、白い粉が漂ってくる。白い粉。吸い込んだ一人が、大きく噎せた。血を吐いた。毒だ。 「落ち着け! 全員攻撃を止めろ! 攻撃を止めねぇのが偽者だ!」 ケースを持った男が怒号を響かせる。 だが、既に銃声と悲鳴に満ちた状況では周囲の数人にしか通じない。 暗がりの中で、影が増えていく。 漂う毒に、誰かが膝を付く。 阿鼻叫喚。 その様子が窺える木陰、漆黒のウェディングドレスが舞い降りた。 垂らされたフェイスアップベールの下には、ベリーダンスで使うようなフェイスベール。 緩やかに波打つ栗毛さえもウィッグの可能性を思えば、見えているのは目元のみ。 手に持った大鎌が、酷く禍々しく光っていた。 「予想以上に、容易い」 無駄を全て削ぎ落としたような細身。低い声で、花嫁は呟く。 「まあなあ。だって今回の計画はあのバランス男関わってねぇんだろ。じゃなきゃそもそも察知出来ねえし。その『離魂鎌』、使うまでもなかったな」 頭上の枝で気軽に返したのは、純白のスーツ姿。新郎を気取った様なそれ。 アンダーリムの眼鏡を軽く押し上げて、低く笑った。 「何だよ、物足りねえのか『黒螳螂』よ。それともこの顔が気に食わねえ?」 「……『白毒蛾』、遊びは程々に」 「なあ、どれが良い? 好みはどんなだよ? 合わせてやるぜ、ハニー」 整ってはいるが特徴のない顔。白毒蛾の掌が、己の顎に触れた。 と、途端にその顔が骨格ごと形を変える。人好きのするような顔から、怜悧な顔へ。 黒螳螂が溜息を吐いた。 「……もうそれで良い」 「あ、何、ちょっと俺様系のが好みな訳?」 「如何でも良い。……合わせると言うなら、お前も此方を着たらどうだ」 「えー。だってウェディングドレス結婚前に着ると婚期遅れるんだろ?」 「……気にする性質か。意外だな。私は構わんのか」 「お前は俺が貰ってやるから問題ねぇ」 「……戯言を」 黒蟷螂が吐き捨てた言葉通り。 取るに足りない戯れの様な会話の向こうでは、多数の死体から伸びた影が、立っていた。 ● 「はいはい、こんにちは。皆さんのお口の恋人断頭台・ギロチンですよ。今回は少々面倒……状況が込み入っているのではなく、敵が面倒という意味で面倒な感じの依頼です」 机を赤ペンで叩き、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)はリベリスタを迎えた。 「先日の協定の結果、恐山派に『賢者の石』の何割かを譲渡したのはご存知ですね? その一つが、実験施設への輸送中に所属不明のフィクサード達に襲われる光景が見えました」 何でも、複数のダミーを用意し本命と共に放つ事で安全を図ったらしい。 が、このままではダミーも本命も全て纏めて襲われて、その手間も無駄骨となる。 石を運ぶのは恐山。ならば襲うのは? ――主要七派の残りの六つか、若しくは新興勢力か。 襲撃者達は顔を隠し得手とする技も封印し、隠蔽の手段を重ねて賢者の石を奪う気だ。 だが、誰かが首を傾げる。 協定中は味方……少なくとも積極的な敵ではなかったにしろ、恐山も結局はフィクサード。 フィクサード同士が奪い合い潰し合ったとして、そこにアークが関与する必要はない、様に思えるのだが。 「ええ。別に潰し合ってくれても正直構わないですよね。ですけれど、似た光景を見た陽立さん曰く――『謎のフィクサード達が奪取してしまった賢者の石は、もう誰の物でも無いと思わないかね?』だそうで」 車椅子のフォーチュナの真似をして、ギロチンは笑う。 「そうですね。アークと恐山の協定は未だ続いています。今現在は停戦中なのはご存知の通り。が、失効も近い。再び拮抗状態に戻る前に、恩を売るなり脅威となりえる石を取り戻すなり、できれば素敵と思いません?」 無論、今は協定の期間内。期間内最後の『友軍』の『助力』として片付けられ、持ち帰ったとしても恐山に再譲渡の可能性は十分にある。 だが、有利になりえる状況をみすみす逃す事もあるまい――というのが、陽立を始め『視た』フォーチュナで一致した見解らしい。 「で。ですが、それも襲撃者を追い払った後で、の事になります。現状では取らぬ狸の何とやら。……万全の体制で挑んで下さい、と言いたい所ですが、先の様な状況なもので与えられる情報は少ないのです。申し訳ない」 薄い資料を配りながら、ギロチンは首を振った。 襲撃者に関しての情報は乏しく、アーティファクトの性能が辛うじて分かるのみ。 「脅威となるのは、『黒螳螂』と呼ばれるフィクサードが持つ大鎌でしょう。この鎌で切られれば、切られた者と『全く同じ姿』のE・フォースを生み出します。このE・フォース『ドッペルゲンガー』は、スキルを使用しないという事以外は能力も全く同等です」 おまけに、ドッペルゲンガーの能力はそれだけではない。 ドッペルゲンガーを生み出された者が死亡すれば、それは『本人』に成り代わり――スキルまでも使用するようになるのだ。 ただ真似るだけでも厄介であるのに、こうなってしまえば更に厄介。 「これから向かって頂きますが、状況としては既に恐山派はほぼ全滅状態です。ただ、ケースだけはリーダーである『四鳥』が確保しています」 鎌によって作り出されたドッペルゲンガーに囲まれて、彼らは撤退もままならず防戦を強いられている。 近付く者は敵と見なすであろうが、協定期間中である事からアークである事を名乗れば攻撃はしてこないだろう。 「襲撃者はある程度不利を悟れば逃走すると思われます。……今回は彼らの正体よりも石の確保が優先です」 お気を付けて、と、ギロチンは薄っすらとした笑みを浮かべてリベリスタを見送った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月23日(木)23:01 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 降ろされたのは山の麓。 来栖・小夜香(BNE000038)が照明の代わりに己の身を光へと変えた。 毒で満たされた空気、不明点の多い襲撃者、数の多い敵、不確定要素も絡む守る対象。 決して簡単とは言えない依頼ではあるが――癒し手としてのやりがいも感じる。 彼女は枝に引っ掛からないように注意しながら、爪先を宙に浮かせた。 「共食い、とは的を射ていますねぇ」 襲う彼らも襲われる彼らもフィクサード。蛇毒虫の潰し合い。 『群体筆頭』阿野 弐升(BNE001158)は首を振る。 例えばこれが『賢者の石』に関わるものでなければ、山中でのフィクサード同士の殺し合いなど放置しても構わない案件であっただろう。 面倒臭い、と白い息が吐き出された。 「奴らが恩を感じるかはともかく、賢者の石がばらまかれるのは面白くない」 首を一つ鳴らして、『鋼鉄の砦』ゲルト・フォン・ハルトマン(BNE001883)は闇に閉ざされた先を見やる。 熱も未だ遠く、彼の目には何も映らない。 「石がどれだけの力を持っているかはよく分かっているからねぃ」 頷きを返す『蜥蜴の嫁』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)。 賢者の石。アーティファクトでアザーバイド。崩界の夜を引き起こすトリガーとも成り得るもの。 協定の結果恐山派に数割の譲渡が決定したものの、それが何を引き起こすのか、危ぶむ声も少なくはない。とは言え、積極的に奪いに回る連中が更に良い使い方をするようにも思えず――『どちらがマシか』という消極的選択。 「さてはて、しかし物が賢者の石とはいえ取引の結果、さらにギリギリ休戦中ときたものデス。ならばしっかり返してあげるが人情デショウ」 唇の端に笑みを浮かべながら、何処とも知れぬ場所を見ながら、『飛常識』歪崎 行方(BNE001422)が発したのは至極真っ当な言葉。 「それにドッペルには興味があるデスシ。自分と合法的に斬って刻んで殺し愛が出来るとか、素晴らしいじゃないデスカ。アハ」 襲撃者である『黒螳螂』が鎌によって生み出すドッペルゲンガー。切り合い潰し合い殺し合い、それが自分相手とは、全く宜しき事ではないか。 「厄介なアーティファクトだからな。今の内に殺りたいが……止むを得ん」 『ENDSIEG(勝利終了)』ツヴァイフロント・V・シュリーフェン(BNE000883)は眉を寄せた。 今回は敵となる相手は自分達より弱い者を真似たものだが、例えば格上の相手のドッペルゲンガーを作られたら……スキルを使用しないという点では一歩劣るが、例えば防御に優れるものを真似れば厚い壁が一枚増える事になる。厄介。そうとしか言えない。 「でも、目の前で賢者の石、奪われるなんて……悔しいもの、ね。頑張りましょう……」 いつかのジャック勢と賢者の石を奪い合った時とはまた状況が違う。 それでも襲撃者が存在し、自分達が守る側に立った以上、むざむざと奪わせてなるものか。 車でうつらうつらとした時にずれた眼鏡の位置を直し、『微睡みの眠り姫』氷雨・那雪(BNE000463)はゆっくり、目を細めた。 「本物と偽物を戦わせている間に猛毒を撒くなんて随分と悪辣な相手。嵌らぬように気を付けて行きましょう」 手甲を嵌め直した『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273) が、涼やかな声で告げ、リベリスタ達は行動を開始した。 ● 喧騒は、すぐに近付いてきた。 小夜香によって照らし出された空間に、僅かに混じるのは埃か――いや。 『……そろそろ例の香炉の範囲内の様子です』 白い粉は毒蛾の粉。防ぐ手段はないけれど、それは即ち戦場への合図。 移動しながら周囲を窺っていた大和は、幻想纏いで皆へ通達する。 剣戟、銃撃、弾ける炎。 恐山派のフィクサードが四鳥を含めた数名、未だ成り代わっていないE・フォースの数から想定するに五人。既に『成り代わった』ドッペルゲンガーが三十体。更にどこにいるか分からぬ黒螳螂に白毒蛾、それにアークのリベリスタも加わり――決して視界が良いとは言えない夜間の山中に、五十人が犇めき合う。 光り輝く小夜香の姿は確かに周囲を照らし出したが、それは木々の影をより一層濃くさせる事ともなった。 「はふっ、アークが助太刀に来たよぅ!」 「協定に基づき助力に来た!」 「アーク?」 「助力……?」 真っ先に飛び込んだアナスタシアが真剣な目ながら笑みを浮かべれば、後方からゲルトが言葉を付け加える。 返って来たのは、複数のささやき。残る本体が疑問を浮かべたのか、ドッペルか。 人の群れに向かい、『プロパガンダ(無害)』を手にしたツヴァイフロントは声を上げる。 「バランス男に代わり死闘(バカンス)に来たアークの援軍だ。当方の要求は一つ、石を白黒に奪取されない事。手短に情報を送る」 「悪いが我々が血路を開くまで、貴殿達にも協力して貰えると助かるのだが……?」 目つきを鋭いものへと変えた那雪が声を送る間、影を注視しようとした弐升は瞬いた。 物理的な細かい差異を見つける必要はない。E・フォースはフェイトを持っていない。そして、その隠蔽手段さえも、持っていなかった。落ち着いて、冷静に見分けようとすれば本体とドッペルゲンガーの区別は容易い。 「……なるほど。最初にパニックを引き起こしたら後は勝手に瓦解する程度の連中だったと」 四鳥らには聞こえないように呟いて、溜息。 スキルを使えないドッペルゲンガー自体が強かったのではない。 恐慌を引き起こしたのは、闇と――この人数。 万華鏡によって情報を齎されているリベリスタとは違い、数だけ集められた人員に過ぎないこの場の恐山派は想定外の出来事に咄嗟に対応できなかったのだ。 最初は慌てた誰かの誤射だったのかも知れない。それが結局、同士討ちを引き起こした。 気付いた者がいたとして、リーダーである四鳥の命令さえも通り切らないこの場所で何の意味を果たしただろう。 響いたのは、男の哄笑。 「ハッハハハ! それでも『謀略の恐山』かよ、助けに来たなんておめでたい話信じるなんてな!」 更にリベリスタの予想を裏切って、白毒蛾はドッペルゲンガーの群れから少し引いた位置に現れた。暗い山中で、余りにも目立つそれはいっそ罠のようにも思える。 薄笑いを浮かべた怜悧な男の顔は――面白げにリベリスタを眺めていた。 「確かに協定に助力の項はない。だからこれは恩を着せに来ただけだ」 「へえ? 命は助けてやった、さあ石を寄越せ、ってか?」 ゲルトの応えに楽しげに答える白毒蛾。だが、この顔も声も、本来のものではないのだろう。そして、それをいつでも変化させられるのをリベリスタは知っている。だから、紛れ込まれるのを警戒していた。 しかし、それがわざわざ目立つ場所に姿を現したとするならば。 闇夜に舞う黒い服。 その前に立ちはだかったのは、小柄な金髪の少女。 「アハハハハ、漁夫の利だの横取りだの品性下劣に程がある! さあ思う存分刻みあうデスヨ!」 「――」 振り下ろされる鎌、翳した包丁で庇いきれず攻撃を受けた少女の視線の先、影から立ち上がるようにもう一人が現れる。 黒螳螂の持つ鎌、白毒蛾が『離魂鎌』と呼んだアーティファクト。 その名が本当ならば、裏野部のフィクサードであった『刃金』の鍛えた武器であり、従ってこの二人も裏野部所属、もしくは類するフィクサード……そんな推論を導き出したゲルトは、目を細めて黒蟷螂に語りかけた。 「正体を隠すなら武器にも気をつけるべきだったな。そんな鎌を使っていれば正体を喧伝しているようなものだ」 「おや。他にも似た様な道具があるのか。それは偶然だな」 だが、それはあくまで事情を知るものの推察に過ぎず、だからこそゲルトの言葉にも黒螳螂の表情は一切動かない。平素からなのか棒読みなのか、先程から変わらぬ一定の淡々とした口調で返すのは『偶然』の言葉。 偶然のはずはない。しかし証拠もない。白々しくも、恐山とて確実な証拠がなければ別の六派相手にはそう簡単には動けない、と踏んでの事だろう。 「四鳥! 声を上げたまえ、私がそちらへ向かう! 黒蟷螂の阿呆!」 「――こっちだ! 黒蟷螂の馬鹿!」 「頼む!」 少しの間。背に腹は変えられないと踏んだのか、上がる声。 同じ声が二つ。けれど、彼女の指示した語尾を付けたのは一つだけ。どうやら、ドッペルゲンガーは声は出せてもその場の咄嗟の指示にまで従える程に融通は利かないらしい。 機械と化した耳で位置を聞き分け、ツヴァイフロントはそこへ向かうべく刃を抜いた。 再び、男の笑いが響く。 「ッハハハハハハハ! 何それ受ける! さっさと取れよ、黒蟷螂の愚図!」 「……お前は真似しなくていい」 まるで頭痛がするかのように、黒蟷螂は眉を寄せて――行方へと、再び視線を送った。 「はいはい、邪魔だからどいてねぃ?」 アナスタシアの健康的に色付いた足が、目にも留まらぬ速さで空を蹴る。それは真空の刃を作り出し、ドッペルゲンガーの一体を切り裂いた。 肉体の限界すらも忘れた行方は、不敵にもう一人の己に笑み掛ける。 「成り代わり、か……好んでその姿ではないだろう? ならば、偽りの生を終わらせてあげるとしよう」 那雪が呼び出した気糸は、ドッペルゲンガーを幾体も刺し貫いた。 叶うならば白毒蛾も――その手に持った白い香炉も狙いたかったのだが、後ろに立つ彼女では、後方で眺める白いスーツまで攻撃が届かない。 「代わります!」 後方で一旦己の影を呼び出していた大和が、遅れて戦列に合流し行方の隣に並んだ。 呼び出すのは不吉の月、石が導いた崩界の夜の擬似。 赤い月が、刹那の間戦場を照らし出した。 「危なくなる前に言ってね」 小夜香が己の周りに存在する力を集めるべく、神聖なる魔術を編む。 回復手はしばしば戦列を保つ為の要となるが、今回もそれは同じ。 黒蟷螂と相対する行方と大和に目を向けながら、小夜香はクロスを持つ手に力を込めた。 「なあ、アークさあ、ここで恐山助けてどうすんの? まさかマジでフィクサードが恩に着てなんかしてくれると思ってる訳?」 「そちらこそ。恐山と敵対してまで石を欲しがるとは、トップは阿呆か大物ですか?」 「分かってんだろ? ……秘密。あ、黒蟷螂のカマ野郎とか付け加えた方がいい?」 軽口は叩いているが何をする様子もない白毒蛾に、僅かに弐升は違和感を覚えるが、それが何かまでは分からずに迫り来るドッペルゲンガーの一撃を受け止める。 「裏切りだよ、可哀想な黒螳螂。あれを捨て、私のものにならないか」 そんな言葉に、ツヴァイフロントは高速で複数のドッペルゲンガーを切り裂きながら笑った。そう、先の毒蛾の言葉の通り、そして彼女の読み通り――細身ではあるが、黒蟷螂の体格や声は完全に男であった。真に受けるとは思っていない。挑発に過ぎないそれに返ったのは平坦な声。 「あれで裏切りならば、私は数百回裏切られているな」 「健気な事で」 小夜香の傍で彼女を守るゲルトの言葉に、もはや彼は答えない。 「さあさあ肉片の欠片になるまで殺り合うデスヨ!」 「血も肉も骨も命も混ぜ合って、最後の一つになって尚刻むのデス!」 「「アハハハハハハハ!」」 同種の笑み、同類の笑み、鏡写しの自分の笑み。 二人の『行方』の持った肉斬り包丁が、闇に煌いた。 ひゅう、と動いた後に息を吸い込んだ大和は、肺腑からの激痛に顔をしかめる。 毒蛾の持つ香炉から漏れ出した粉、戦場に満ちたそれはリベリスタの致命傷にはなりえなかったが、完全に防ぐ手段もなければ折々に身を蝕んだ。ドッペルゲンガーには効いていない様子なのが、また面倒臭い。 「これは中々厄介だな……」 那雪は居並ぶ敵方の『恐山』を見やる。回復手は少なかったが、それでも皆無という訳ではなかった。ダメージを与えても、幾分かの癒しが降り注ぐ。回復手の存在を見つけ出し狙い打つ作戦であれば、リベリスタの攻撃を重ねる事によって早い突破も可能だったかも知れない。けれど今、それを言っても仕方がない。 「福音よ、あれ」 敵方に降り注ぐ癒しに対抗するかのように、小夜香は癒しを歌い上げた。対抗と言っても、効果は圧倒的に小夜香の方が上。リベリスタを『敵』と認識したドッペルゲンガー達からの攻撃の傷跡を埋めていく。 「さあ、呻いて倒れて血ィ流せよテメェら! 黒蟷螂のノロマ!」 ウェディングドレス姿が吐いた溜息は、黒鎖が溢れ出す音に掻き消された。 葬操曲・黒。魔術師が操る不吉の濁流。 先程の軽口の間に、編み上げていたのか。弐升は舌打ちを抑えて衝撃に備える。 戦場の一部を、黒い鎖が覆い尽くした。 ● 黒蟷螂によって生み出された新たなドッペルゲンガーは二体。 即ち、最初に進路上に立った行方と、彼女と代わった大和。 行方は彼女自身も認める通り、決して防御や回避に格段に優れるという訳ではない。 だからこそ火力勝負の削り合いになるのだが、その状況においてスキルを使用し得る『本物』と、武器による攻撃を試みるしかない『影』ではダメージ量に決定的な差が生じてしまう。 「アハ、アハ、それでもボクですか。所詮は模造品、劣化コピーじゃ都市伝説を相手取るには役者不足デスネ!」 行方の渾身の一撃が、影の胸を断ち割った。 しかし、リベリスタの多くがドッペルゲンガーに注意を向ける中、戦況は毒虫に傾く。 「身命を賭してでも自由になどしません!」 凛と睨み付けた大和は、黒蟷螂に向けて気糸を放つ。時間稼ぎに過ぎないが、その間に味方が止めてくれると信じて。 けれど、その糸はあっさりと振り払われた。 返礼の如く放たれた黒蟷螂の気糸。今まで鎌での攻撃を重ねてきた彼が、同種の技を使ってきた事に大和は軽く瞬く。それは、今大和が放ったのとよく似たもの。だが、糸の数と強度は彼の方が一段上。 「……っ!」 抜け出そうとする意思さえも削る呪いの糸はぎりぎりと彼女の体を締め付けた。 四鳥に最も接近していたツヴァイフロントも、白毒蛾の放った鎖によって動けない。 流れ出す血液が、思考も奪っていく。だが、彼女はまだ倒れなかった。それは幸いであり不幸。 運命の恩寵を削れば、この鎖すら振り払って黒蟷螂の前に飛び出せたかも知れない。 けれどそれは、叶わない。 「四鳥殿、ケースを離しちゃダメだからねぃ!」 真っ先に動いていたが故に、体勢を整えるのが間に合わなかったアナスタシアがそれでも声を張り上げた。 襲撃者にとって最も不都合な事、それは『賢者の石の入ったケース』をこの場から持ち去られる事。四鳥だけであればドッペルゲンガーを使い傍観を続けただろうが、『救援』と名乗る派閥が新たに現れたならば、遊びを続ける必要はない。 体の自由を奪われた大和の横を、黒蟷螂はすり抜ける。 庇える者が、動ける者が、四鳥の範囲にいない。そして実力は、鳥よりも蟷螂が上。 「があっ!?」 振り下ろされる鎌が、四鳥の腕ごとケースを地に落とした。 アークが賢者の石を奪取する時にも、よく使われた手段。最大火力での短期決戦。相手を全て倒す必要はなく、奪って逃げれば完了。 リベリスタの多くが、ドッペルゲンガーと戦っているならば、その間こそが好機。 ああ。そうだ。それは嘗て、那雪が立ち会った戦場で取ったのと同じ手段。違うのは、味方ではなく敵が行った事。 投げられたケースは跳んだ白毒蛾がキャッチし、そのまま白いスーツは踵を返した。 「よおアーク、次はちゃんと殺し合いしようぜ、血を吐いて地面のたうって、笑いながら殺し会おうぜ、そこの歪崎みたいにさあ!」 笑う声とそんな言葉だけ残し、目立つはずの白い影は急速に闇の中へと消えていく。 そしてまた、黒蟷螂も毒虫とは反対方向へと駆け出した。 リベリスタも後を追おうとするが、既に距離の開いてしまった毒蛾へと追い付くのは難しく――何らかの証拠として黒蟷螂を捕らえるにも、彼が逃げたのは反対方向。 優先すべきはケース。だが、それが不可能と思われるならば? 何らかの情報を得るべきか、無理を承知で石を追うか、守る事に全力を傾けていたリベリスタは『奪われた場合』の行動を咄嗟に天秤に掛けたが、その間に差は決定的となる。 「……く」 漏れたのは、誰の呻きか。 未だ残るドッペルゲンガーからの攻撃をかわしながら、リベリスタはその背を見送る事となった。 じわり、じわり、地面に滲む血が、土に吸い込まれて行く――。 ● 「貰ったこれ、ちゃんと反応してんじゃん。当たりだな」 「……雑魚連中に任せたのはダミーのつもりか?」 「まあアークは想定外だったけどな。かっわいそうに、バランス男にいい所取られてばっかの弱小幹部発案かね。首飛ぶぜ、この不手際。ま、浅知恵のザル計画じゃ仕方ねぇわな」 「面白味が無くて敵わん。この『石』がそれ程重要なものなのか」 「じゃねぇの。しっかし、このまま渡してやんのも勿体ねぇなあ」 「仕事だ」 「分かってるよ。報酬は結婚費用にでもするかハニー」 「いい加減にそのネタは止めろ」 「あ、照れた? 照れた?」 「下らない事を言ってないで、さっさと運ぶぞ。お前が自分で使いたいなら話は別だが」 「冗談。こんなモン使って遊ぶのはあいつらだけで十分だろ」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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