●Hallo,Hollow 最初に無くなったのは醤油さしの蓋だった。 冷蔵庫から取り出して中身を煮物の味付けに使い、さてしまおうと思った時にはもう消えていた。この間、約十秒。このうち俺が蓋から目を離したのはほんの二秒にもみたない。 俺のアパートは新しいがどうにも安普請でキッチンも狭い。足場と調理台を合わせて一畳あるかどうかというぐらいだ。ビー玉一粒ならともかく、手のひらに載るくらいの円柱形の蓋が転がりこむような隙間なんてない。そんな所でどうしたことか醤油さしの蓋は消えた。 この事件を皮切りに、俺の私物は続々と姿を消していった。 帽子、携帯電話、はさみ、ジーンズ、mp3プレーヤー、漫画、包丁、その他もろもろ。 たった三日でこれだ。いや、気が付いていないだけで、本当はもっと多いかもしれない。 まあ仕方が無い、そのうち出て来るだろうと碌に探しもせず、放っておいたことがあだになったか。 消えたmp3プレーヤーの中には、俺が中古書店を駆けずり回って必死に集めた古今東西の名曲たちがぎっしり詰まっていた。中でも、昨年解散したロックバンド『EAT THE CHICKEN』がインディーズ時代に自費製作していたアルバムは幻の一枚と言われている。探し出すのに苦労しただけに、プレーヤーに入れて大事に聴いていたというのに……。 ちなみに、その幻の一枚を含む大事な大事なCDコレクションも綺麗さっぱり消えた。 犯人はネズミか、空き巣か、はたまたストーカーか。 他のものは許せても、俺から音楽を奪うことだけは断じて許さん! 俺は、厚顔無恥なこそ泥への復讐を誓った――とかっこうつけては見たものの、警察に届け出た後で、やっぱり部屋の中にありました! てへぺろ! では恥ずかしい。というか流石に怒られるだろう。被害を確認するためにも、一度部屋の中を綺麗にさらってみるか。 ん? ……なんだ、この黒いの? 染みにしてはでかすぎるよな。 え、これ穴? あなっえってちょ、まっ―― ●アリス救出作戦 雑多に散らかった小部屋の中、ばたばた暴れる手足が黒い穴の中に引きずり込まれて消えていく。あとに残ったのは、静かに中空に浮かぶ“穴”だけだ。 ブリーフィングルームの大型モニターに映し出された予知映像からは、珍しく惨劇の気配はしない。一方で、そのシンプルかつ無機質な捕食活動からは得体のしれない不気味さが漂う。 それが、今回『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000018)が視た未来だった。 綺麗な真円を描く黒い丸は、直径1メートルはあるように見える。円の中はどこまでも黒く暗く、其処に何があるのかを伺い知ることはできない。 「皆さんにはレベル2のエリューション・フォースを討伐し、今夜犠牲になるはずの一般人一名を救出していただきます。 穴自体の能力は単純至極。自身の周囲にあるものを生物・無生物問わず、飲み込む。飲み込まれたものは死にいたることは無くても、いずれ覚醒してしまいます。 時間の都合上、救出対象を前もって部屋から遠ざけておくことはできません。彼を守りながら戦ってください」 言葉を区切って、ですが、と和泉は眉をくもらせる。 「ですが、敵の本体は“穴”そのものではありません。外側から攻撃を加えても効果は薄いでしょう。 本体は穴の中にいます。穴からおびき出す手立ての無い以上、皆さんには穴の中に飛び込んでいただくことになります。E・フォースを討伐すれば、取り込まれた物品ごと穴は消滅、リベリスタの皆さんは外にはじき出されて依頼完了です。逆にいえば、一度中に入ってしまえば、E・フォースを討伐するまで外に出て来ることはできません。 もっとも、それはあくまでフェイトを持たない一般人の話です。リベリスタの皆さんの場合、もし失敗したとしても運命を代償に差し出せば、帰還することくらいは可能でしょう。 また、先だって救出対象の私物が相当数、取り込まれています。これらはすでにE・ゴーレム化していることが予想されます」 不安げに語る和泉の背後、エリューション情報を映す隅で未だ予知映像を再生し続ける大型モニターの中で、白い影がのそりと動く。 漆黒の淵から、白い毛におおわれた長い耳がぴょこんと飛び出す。 「では、皆さんくれぐれもお気をつけて。頑張ってくださいね」 健気にも微笑む和泉。力強くうなずくリベリスタたち。 彼らはきづいていなかった。 モニターの向こう側から、紅い二つの瞳がこちらを見つめていることに。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:夜半 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月16日(木)22:50 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「う、うわあああ!」 悲鳴をあげる。助けてくれ、助けてくれと。 だが、一人暮らしのアパートに助けなど来るはずも無い。青年――有栖川文彦は中空に空いた黒い穴に引きずりこまれていく。 なんとか抗おうと床に両手の爪をかけた、その時。 穴の向こうから、聴き慣れた旋律が耳に届く。それは彼にとっては命にも等しい音色。 「え……」思わず穴の奥へ身を乗り出して。哀れアリスは暗闇の向こうへ落ちて行く。 リベリスタたちがその部屋へ飛び込んだのは、文彦が穴へ落ちた直後だった。 「うわ何ここ汚ーい!! どこ踏めばいいの!?」 『おじさま好きな少女』アリステア・ショーゼット(BNE000313)は踏み込んだ開口一番悲鳴をあげた。アパートの狭い一室の床は脱ぎ捨てられた衣服・雑誌・食べかけの菓子袋・カップ麺の残骸などなど、もので溢れ返っている。足の踏み場も無い。まさに汚部屋というに相応しい惨状だ。 少なくとも、うら若き女性を招いて良い状態では無い。 「覚醒さえしなければ、便利なゴミ箱でしょ? 全部この穴に放り込まれちゃえば、片付いていいのになぁ」 眉をひそめるアリステア。 彼女の隣では赤翅 明(BNE003483)がほっかむりにエプロンの掃除用戦闘態勢で気合を入れている。手に携えたヘビースピアとのミスマッチ具合が逆に微笑ましい。 雪白 音羽(BNE000194)は部屋に空いた穴を眺めていた。悪く言えば汚い、良く言えば生活感のある部屋の中央に、現実味のない巨大な穴。非常にシュールな光景である。 もっとも、下手にちいさな穴に引きこまれて身体が悲惨なことになるよりはマシかもしれないが。 「折角のコレクションが破壊される事になるんだ。そんな運の良さは、有栖川には意味が無い、か」 ひとりごちる音羽に、風音 桜(BNE003419)も重々しく頷く。 「タルト……ではなくお宝CDを盗む白うさぎ、許すまじ!」 大事なコレクションが目の前で奪われる。灰戸・晴天(BNE003474)にはその思いが嫌というほど分かった。晴天自身、アンティークのリボルバー収集を趣味としている。そのお宝の数々が失われたならばと思うと、一人の趣味人として涙を禁じ得ない。 持ち物を取り返してやることは出来ないが、犯人だけは決して逃がさない。 三者三様、ある者は呆れ、ある者は憤る。その中で、日無瀬 刻(BNE003435)は自嘲する。己が人助けをするなど、笑わせる、と。 「ま、面倒くさくなって殺さないように気を付けないと」 ゆるりと唇に笑みを浮かべて。エリューションとの”お楽しみ”に心を馳せた。 さあ、救出対象はすでに穴に飲み込まれている。 急がねばならない。 音羽は魔方陣を展開し、明は敵を幻惑する闇纏を発動する。 晴天と同じく『ジェットガール』鎹・枢(BNE003508)は実戦は初めての経験だ。しかし彼女の瞳に怯えは無い。翼を広げて穴に飛び込む。 「枢、飛びます!」 かくしてリベリスタたちは戦いの場へ赴いた。 漆黒の縁へ飛び込んだアリスを追って。 ● 暗い暗い、穴の底。 絵本、ぬいぐるみ、おもちゃのピアノ。見渡す限り、おもちゃの山、山、山。しかし、そのどれもこれもがどこかしら、無残に裂けて壊れている。それらが山を成す風景は、おもちゃ箱というよりもゴミ捨て場と言ったほうが正しいだろう。 穴の中に光は存在しない。が、不思議とものは見える。穴の中には影もまた存在しなかった。 ゴミ捨て場の中心、ゴミ山の上、指揮者のように両手を振る男の姿がある。黒の燕尾服に赤い蝶ネクタイをきりりと締めて、白い手袋をはめた手を、優雅に振るう。ぴかぴかに磨き上げられたエナメルの靴には汚れ一つない。 見事な紳士の様相である。 ただ一点、彼の頭部が真白いうさぎそのものである、ということを除けば。 手の動きに合わせて、宙を無数のCDが踊り狂う。鳴り響くはベートーヴェンの『交響曲第4番 変ロ長調』。 「なんだよ、これ」 立つこともままならない瓦礫の上。へ垂れこむ文彦の耳朶に響くのは、彼が情熱の全てを傾けて収集した音楽のその一曲。 ふと、白うさぎが空を見上げた。 黒く塗りつぶされた空。その果てから飛来する気配に、一本のステッキをすらりと構える。 「CDを盗んだのはお前かー!!!」 怒声一擲、落下と共に桜が暗黒を放つ。 己の生命力と引き換えに生じる漆黒の瘴気が、白うさぎのステッキとぶつかり合い、飲み込んだ。周囲に飛ぶCDも巻き添えを喰らい、ぱりんぱりんと小気味良い音を立てて割れてゆく。 「アリス殿とお見受けしたあ! このマッドハッター、風音 桜が助太刀いたす!」 アリスこと文彦を背に、桜は見得を切る。音もなく切られる濃口。飛ぶ殺気。 神秘の力を持つ来訪者の登場に、白うさぎも暗黒の瘴気から立ち上がる。ステッキをレイピアの如く掲げた、その視線の先には『LawfulChaticAge』黒乃・エンルーレ・紗理(BNE003329)の姿。 紗理に、白うさぎが迫る。が、紗理は動かない。そのまま斬撃を伴うステッキの一撃が彼女の身体に突き刺さり、紗理は力無く倒れ伏した。 翼に祈りを。戦士に加護を与えよ。 素早く詠唱するアリステアから、仲間たちに仮初の翼が与えられる。穴の底は散乱するガラクタで埋めつくされているが、これで足元の心配は無くなった。 パーティの中で、アリステアと共に高い力量を誇る音羽は、まず危険な私物の排除にかかる。 自身を狙って突っ込んでくるCDやはさみを軽く受け流し、その術を向けるのは、携帯電話。 「行動不能はお断りなんでね。燃え尽きろよ」 フレアバーストの紅蓮が、電子機器を消し炭に変える。今まさに光を放とうとしていた携帯電話は、その役目を果たすことなく姿を消した。炎は携帯電話のみならず、数枚のCDをも焼き、燃やし、散らす。 臨戦態勢を取るリベリスタとエリューション。そのどちらとも離れて膝をつく文彦は、目の前に広がる摩訶不思議な光景に完全に思考を放棄していた。 ただし、そんな状態の彼でも一つ、はっきりと認識できたことがある。 煌く細片を残して砕け散った、大事な大事なCDたち。彼から音楽を奪うものは誰であろうと敵。そう断ずるや否や、残りのCDを守るべく、文彦は戦闘の渦中に駆け込んだ。 が、一般人の救出を役割とした刻と明の両者が文彦の身体を捕らえる方が早かった。 明は文彦を背に庇い、刻の華奢な手は文彦の腕をがっちりと掴む。驚いた文彦は振り解こうと暴れるが、リベリスタの腕力に一般人が敵う筈もない。 それでも文彦はもがく。早く行かなければ、大事なコレクションが失われてしまう。 「何なんだ、あんたら! 音楽は俺の”命”なんだよ! 放っておいてくれ!」 口角泡を飛ばして喚く文彦。明らかに正気ではない。 「本物の”命”が危ういというのに、まだ音楽音楽とはね。少し尊敬するわ」 刻は皮肉をこめて、言い捨てる。 だが、彼の執念とも言える根性に免じて、刻は哀れなアリスに救いの道を示してやる。 「死んでしまっては、二度と好きな音楽も聴けなくなるわよ? 貴方の音楽なら何とかしてあげるから、指示に従いなさい」 動きをとめた文彦に、明も声をかける。明には秘策があった。 「パソコンとデータメモリー持ってきたんだ。これでmp3プレイヤーから音楽を移せるよね?」 文彦の瞳から、狂気が消えた。 その頃、枢は一人で白うさぎを引きつけていた。 白うさぎの抑えにまわる三人のうち、明はまだ文彦の説得にあたっている。残り二人では、枢のスピードが飛び抜けているため、突出してしまったのだ。 だが、枢はすぐに戦おうとはしない。舞い踊るように飛び回り白うさぎに問いかける。 「ねえ、かわいいうさぎさん。ダンスの方の興味はいかが?」 音楽が好きだというのなら、うまくコミュニケーションを取れるかもしれない。 狙いは当たった。 ベートーヴェンの陽気な旋律に合わせて舞う枢を気に入ったらしい。白うさぎは彼女を抱き上げてくるくる回って見せさえした。 結果、晴天が駆けつける時間を稼ぐことができた。リズムに合わせて軽快なステップを踏み踏み、白うさぎへ急接近した晴天は、容赦なく無頼の拳を叩き込む。 「悪いな。人の物を取る、罪深ーいうさぎだけは、逃すわけにはいかねえや」 ダンスというにはいささか乱暴な拳に、白うさぎの赤い目が怪しく光る。 スペシャルギアが白うさぎの靭やかな手脚を、全身を強化し、能力を高めていく。 ● 再び白うさぎの手元に現れたステッキが、流麗な奇跡を描いて晴天に二条の剣撃を与える。ツインストライクの猛攻が容赦なく晴天の体力を削る。 ダメージは大きいが回復を受けるほどでは無い。晴天はその場に踏み留まった。実戦経験は乏しくとも、年長者である己が矢面に立たねばとの気合が晴天の両足に力を与えていた。 回復役として戦場を見渡すアリステアの足元には、まとわりつくジーンズ。足を通す筒を腕のように振り回してぺちぺちとアリステアを叩く。微妙に気が散る。 が、アリステアは構わず神気閃光を撃った。聖なる光は強烈な閃光として前衛を援護し、白うさぎに確かな傷を刻む。白うさぎを援護するように閃光の前へ躍り出たCDも、奮闘むなしく撃ち落される。ついでにジーンズも。 リベリスタたちの猛攻により、既にCDは八十枚未満へと数を減らしていた。 「運動会みたいな曲で、ちゃかちゃか戦闘終わらせるよー!」 アリステアの声に、戦場の片隅でmp3プレイヤーが応える。 流れる音楽は、ヘルマン・ネッケの『クシコス・ポスト』。駆ける郵便馬車をモチーフとした、せわしなくも心躍る楽曲だ。 音楽を切り替えると、mp3プレイヤーは戦場を漂って、文彦の手のひらに収まった。 mp3プレイヤーの無事を確認し明は集中をかける。前線の仲間へ加勢するために、静かに力を蓄えた。 後衛でE・ゴーレム破壊を請け負う音羽は、飛び回る二本の凶器を相手取っていた。 パーティの中でも高火力の技を持つ彼を危険と見たか、包丁とはさみは揃って音羽に狙いを定めている。しかしそれは此方も同じこと。むしろ音羽一人に狙いを定めているなら、味方を巻き添えにする心配なく焼き払うことが出来る。 「さあ、さっさと片付けてうさぎを何とかしねぇとな」 ガントレットを装備した両拳に魔力を集中させる。 そうはさせじと飛び込んで来た包丁を避け、魔力を解放しようとした。その時。時間差で襲いかかったはさみが音羽の腕を切り裂いた。当たり所が悪かったらしく、熱い出血が音羽の肌を伝う。 「っつう……! これで、どうだ!」 痛みを堪えて放たれたフレアバーストは、過たず包丁を、はさみを、CDたちを焼き尽くす。 これでE・ゴーレムに因る殺傷の危険は取り除かれた。 音羽は白うさぎを相手取る前衛に視線を向ける。 晴天は攻撃を、枢は注意の引きつけを。二人は役割を分担し、白うさぎに立ち向かっていた。 踊るように動きまわる白うさぎと共に、晴天と枢も動き続ける。くるくると、くるくると。 白うさぎが一度二度回る度に、振り切ったステッキが晴天と枢の身体を切り裂く。フライエンジェ二人、回避力は悪くはない。実際回避を重視している枢のダメージは大したことはない。だが、仲間を守るように前に出る晴天の身体には次第に深刻な傷が増えていった。 「うさぎさん、追いかけっこしようよ!」 枢は自身に気を引こうとナイフで白うさぎに斬りかかる。 幻影剣による斬撃は、晴天の拳を受けようとしていた白うさぎの背に届いた。 が、銀盤が枢目指して飛来する。一枚なら脅威ではない。しかし五枚ものそれが連続して枢の身体に体当たりを仕掛けた。跳ね飛ばされる枢。 白うさぎの前には、傷ついた晴天がひとりきり。 晴天と白うさぎの、茶と赤の瞳が交錯する。 「一騎討ちかい。こちとら初めての仕事なんだ……全力をもって当たらせてもらうぜ」 無頼の拳と幻影剣。フィンガーバレットをはめた拳と振り下ろされるステッキが、真っ向からぶつかり合う。 組み合った両者は一瞬拮抗し――しかし、晴天の拳は押し切られた。 彼の拳を抜けた一撃は、幻惑を伴って晴天に迫る。空を切る斬撃が風圧を運び、黒いカウボーイハットが宙に浮く。 そして―― そして、明の放つ渾身の暗黒が、白うさぎを飲み込んだ。 間一髪、前衛最後の一人が合流したのだ。 「うおっと、危ない危ない」 落ちかけたカウボーイハットを右手で抑え、晴天は嘆息する。 腹の底から轟く気合と共に、桜の暗黒が更にCDを減らす。 ぱこぱこと桜に付き纏っていた醤油差しの蓋にも、ぴしり、と一筋まっすぐ亀裂が走る。するり、その身を二つに分けて、プラスチックのE・ゴーレムは静かに散っていった。 この攻撃で、とうとう残りのE・ゴーレムはCDのみとなった。その枚数も、僅か五十を数える程度。最早、文彦を庇う必要も無い。 「ああ、やっと私も動けるわ」うっとりと息を吐き、刻が両手の刃を閃かせる。文彦のお守りを務めていたために、刻はまだ”お楽しみ”にありつけていなかった。 文彦にその場を動かないよう言いつけると、彼女もまた前線へ歩みを進める。 新人三人の粘りが実った。 今、リベリスタたちは総力を以って攻勢に転ずる。 傷ついた仲間をアリステアの天使の歌が優しく包む。 練り上げられた魔力が四色の魔光となって空を切る。魔陣展開に因る強化を受け威力を爆発的に増大させた魔光が、白うさぎの白い毛皮を赤く染めてゆく。 「巣穴を掘るなら、うさぎらしく原っぱにでも掘るんだな!」 音羽の台詞を皮切りに、仲間たちが次々と白うさぎと剣撃を交える。 己の体力を犠牲に暗黒を使用し続けていた桜も、チャンスとばかりペインキラーを白うさぎに向けた。心にたぎる義憤を一撃に載せて。 刻もまた、暗黒騎士の力を用いて戦う。我が身を削って敵を討つその技は、攻撃を受ければ受けるほど、飛躍的にその鋭さを増す。 白い肌に、反動の赤い血を滲ませて。刻は自ら回復を拒み、ナイフを振るう。 「散々おあずけされたのだもの。たっぷり楽しませてもらうわ」 猛攻を受けてなお、白うさぎは踊る、踊る。 たたらを踏む足取りすらもステップのように。己へ肉薄する刻を見据え、ステッキを正眼に掲げる。 アル・シャンパーニュ。美麗にして鮮鋭なる刺突の襲撃。白うさぎの長い手足から放たれるそれは華やかな美しさを以って刻の身体を穿つ。 それは明らかな痛打。 しかし、刻はおのが脚でしっかりと立つ。文彦のために戦闘に参加できなかった刻には、アル・シャンパーニュを耐え切ってなおもナイフを構えるだけの体力が温存されていた。 蓄積された痛みについ先刻の強撃の痛み。痛みが高まり積み重なって、技を最大威力にまで押し高める。 「言ったでしょう。楽しませてもらうって」 呪詛を篭めたナイフの一閃。 白うさぎは、漸くその長身を地に横たえた。 ● 長い耳もぐったりと動かない白うさぎ。 彼が動きをとめるのと時を同じくして、”穴”もまた崩壊を始めた。リベリスタたちと、彼らに救出された一名の身体は”穴”の出口へ向けて押しやられる。 「あ、待って待って! もう少しだから!」 明の手にはノートパソコン。接続されているのは文彦のmp3プレイヤー。 空間が完全に閉じる寸前、ノートパソコンの画面に転送完了の表示が映る。パソコンから取り外されたmp3プレイヤーは、閉じる空間に静かに落ちていった。最期に流す音楽はモーリス・ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』。 緩やかで、優しい、一つの童話の終わりを告げる旋律の中。 暗い、暗い、穴の底で、真白いうさぎがひらりと手を振る。 ――Merci pour une visite aujourd'hui. Je vous attends pour venir encore. 「もう、ちゃんと掃除しないからこんな事になるんだよー! またうさぎさんが来ちゃうよ!」 帰還した部屋の中央。相変わらずの汚部屋の中で、文彦はアリステアに説教を受けていた。年下の少女に怠惰を責められ随分居心地が悪そうである。 明は彼に音楽データの入ったデータメモリーを手渡す。成功するかは賭けだったが、何とか無事データだけは救いだすことができた。文彦は明の頭を撫でて 「俺の宝物、取り返してくれてありがとうな」 と破顔するも、魂込めて収集したCDを全て失ったのだ。やはり悲しそうに肩を落とす。 と、しんみりした空気をぶち壊すように、 「マッドハッターのナゾナゾターイム! そなたが此度失って、得たものは何でござろう!?」 桜が陽気に文彦の肩を叩いた。 首を傾げる彼に、桜は凛とした声で告げる。 「答えはレコード! 失ったものはお宝レコードCD! 得たものは二度と体験できないであろうレコード、経験!」 神秘に触れ、世界の裏側の住人の存在を目の当たりにした。その経験は決して恐ろしいだけのものではない、と桜は信じている。 願わくば、今後の青年の人生を照らすものであるように。 「こうしてアリスの不思議な旅はおわったのです。めでたしめでたし」 枢も元気に文彦の背を叩く。 ハッピーエンドのその先へ、八人と一人は歩んでいくのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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