● 「……ねえねえナツぅ、ほんとにそんな変なものあったの?」 「うん。間違いないって、あたしを信用しなさいよ!」 目を輝かせた少女についていくのは、同じ年頃の少年少女ら十人ほど。 半ば獣道と言っていい細い山道を、遠足の様に進んでいく。 「でもさー。俺らたまにここで遊ぶけどそんなすげぇもん見た事ないぜ」 口を尖らせる少年にも、少女は小ばかにしたような笑みを浮かべた。 「あったりまえでしょ。最近なんだから。じゃなかったらとっくに大騒ぎよ」 「んだよえらそうに。しょぼかったら許さねーかんな」 「あら、どう許さないって?」 少女――ナツは立ち止まる。 冗談のつもりであった言葉が、この勝気な少女の逆鱗に触れたのかと少年は一瞬怯むが、すぐにそれが過ちであった事を知る。 「大丈夫よ。許すも許さないもない。だいじょうぶ。くもさまがぜんぶぜんぶぜんぶいいことしてくれるからだいじょうぶくもさまくもさままいりましたナツがまいりましたう、うふふえへへ」 巨木。紺に色を変え始めている空の下で、そうとしか見えなかった。 が、違う。 この木には、妙な光沢がある。ぬめっているような、すべすべに乾いている様な。 「な……ナツ?」 突如顔を緩ませて涎を垂らさんばかりの狂喜の表情をした少女に、友人が問う。 が、それもナツの視線を追って途絶えた。 目だ。巨大な目、バスケットボールのサイズの目が、幾つもこちらを見ている。 「う、うわ、……!」 少年の悲鳴も、最後まで奏でられなかった。足が動かない。口が動かない。力が入らない。 誰かはへたり込むように、誰かは全身の力を抜いたが故に軽やかに、地に倒れる。 眼球だけを動かして見上げれば、そこには巨大な脚が迫っていた。 「くもさまくもさまあたしがんばりますがんばりますうえへ、あは。くもさまくもさま、もっともおおぉおおっとくもさまがたくさんふえるようにがんばりまへへへうぇふくもさま」 先程までの溌剌とした様子が、面影すらも消える。 少女は口を開きぼんやりとした眼で、蜘蛛に似たその生物を見上げ、常軌を逸した笑いを続けた。 ● ブリーフィングルームに響き続ける少女の、甲高く時に低くなる笑い声を『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は切った。 「……さて。ご覧の通りです。皆さんのお口の恋人断頭台・ギロチンがお呼びした理由は分かりましたね、そうですそうです、アザーバイドです。それも強力な」 日時は今日。場所はとある山中。 青年は地図を取り出し、該当する位置に赤ペンで丸をつける。 「子供たちは本日夕刻、この場所で判別名『セグメント』と遭遇します。いえ、遭遇させられる、と言った方が正しいですかね。先程の少女『ナツ』が彼らを誘導しセグメントの元にまで連れて行きます」 誰かが眉を寄せる。その少女がアザーバイドを呼んだのかと。 悪戯に、故意に、もしくは偶然でチャンネルを繋げた元凶なのかと。 しかしギロチンは首を振る。 「いえ。彼女も一般人です。革醒もしていないので、フィクサードどころか、ノーフェイスですらありません。精神を弄ばれ捻じ曲げられた被害者の一人です」 少年らとの些細な諍いの結果、山に一人で入った少女は運悪くアザーバイドと遭遇した。 それは本当に不運な偶然であった。 「セグメントは神経に影響する歪みの波動、と言いますか……ぼくらの次元では解明できない、そういうのを持っています。ぼくらエリューションでも長時間傍らにいれば精神に異常を来たすでしょう。そんなものに神秘耐性のない一般人が触れたら、どうなるか。お分かりですよね」 フォーチュナは、体の自由を奪われた少女をアザーバイドは殺さず、更なる獲物を呼び込む囮として使う事を考えたのだと言う。 セグメントへの忠誠を植え込まれ、この世界でセグメントが増える為に同類を呼び込む事を至上とする存在。体は変容せずとも、既に精神はこの世のものに非ず。 「獲物を集める理由は簡単です。己の『卵』に当たるものを植え付けるためです。ぞっとしない話ですよねえ。しかもこの卵、植え付けられてから孵化までが早いときた」 ペン先が資料を叩いた。 「今回皆さんに行って頂くのはこのアザーバイドの送還です。討伐ではない。セグメントは己が危険となれば虫食いの穴に逃げ込みます。最初にホールを破壊しておけばそれは不可能になりますが、この個体は強力でリスクが少々高すぎるんですよ」 故に、ダメージを与えて撤退させるのが任務となる。 撤退させた後にホールを破壊しておくのも重要だ。 告げてから、思い出したようにギロチンは顔を上げた。 「ああ、ナツは討伐対象ではありません。精神が歪められたとはいえ、彼女は生きている普通の人です。ですから、保護して頂ければ、他の子供らと同じくアークの救護隊が連れて行きますので」 変容した精神が戻る可能性は限りなく低いですけど、と肩を竦め薄く笑う。 「それでは、お気を付けて。どうか未来ある子供たちが揃って蜘蛛の餌になる、なんてものは嘘にして下さいね。こわいこわいおとぎ話でいいんです。ぼくを嘘吐きにして下さいね。お願いします」 可愛らしくデフォルメされた蜘蛛のぬいぐるみの上にペーパーウエイトを乗せながら、彼は手を振った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月06日(月)23:44 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 風に葉が泣き喚く。ざらざらざわと泣き喚く。 不穏な気配と称されるであろうそれに、リベリスタは神経を尖らせる。 「クモに似た姿で下衆なことはしてほしくないよ、本当に」 溜息一つ。 得た因子は先程呟いた蜘蛛のもの。『鷹蜘蛛』座敷・よもぎ(BNE003020)は肩を竦めた。 囮を作り種の繁栄に役立てる手段は、この最下層の自然界でもなくはない。 けれど自身の同胞を、そうされるのは喜ばしくない。 例えあのアザーバイドにとっては日常の営みだとしても、こちらで好き勝手などさせてなるものか。 「蜘蛛は益虫とは言うけれど、こいつは違うみたいね」 悪賢いこと。そう言って来栖・小夜香(BNE000038)は大きな翼をいつもの通り幻視で隠す。 既に巨大な蜘蛛という神秘に触れてしまってはいるけれど、神秘の秘匿は大切である。 人間にとっての害虫を喰らうが故の益虫。 今回は、獲物が人間であるから益虫とはなりえない。 そのままでは死しか残らぬ運命の子供たちを、助けてあげなければ。 「子供達の未来、むざむざ蜘蛛の餌と散らせてなるものですか」 傍らに影を立たせ、『蛇巫の血統』三輪 大和(BNE002273)が前を見る。 生きていれば得るはずの未来。それが明るいものか暗いものかは分からなくとも、来ないよりはずっと良い。 一つたりとも取りこぼさずに、先に命を繋げる為に。 「ナツ様がいつか戻る時の為にも、誰一人、欠けさせはしません」 崩落した精神。壊れた日常。 『何者でもない』フィネ・ファインベル(BNE003302)は顔を引き締めた。 精神を変容させられた少女が戻る可能性は低い、とフォーチュナは言ったけれど、その一つさえもリベリスタは取り残すつもりはない。 可能性があるならば、潰えさせてなるものか。 「後味悪い結果にだけはしたくないもんな」 むざむざと目の前で奪われるような事はさせない。 澄んだ青色を細めて『リトルダストエンジェル』織村・絢音(BNE003377)が先を見た。 見通せるはずのない先の先まで、彼女の目は通って全てを視覚する。 子供の数、いちにいさんしいごおろく……、数は十。 加えて傍らに、一人の子。これがナツだろう。脚の一本に縋りつくようにして立っている。 「今回は子供に子供を連れてこさせた程度だけれど、もし強力なエリューションを支配下において餌を集め始めたら手に負えないわ」 エリューションさえも惑わす存在に、『エーデルワイス』エルフリーデ・ヴォルフ(BNE002334)は憂う。 セグメントがエリューションと他の存在との差異を知っているかは不明だが、より強力な個体を己の駒とできるのならば、それを使う事に躊躇いは抱かないだろう。 より効率的な手段を求めるのは、多少なりとも知恵を持つ生物ならば当然の事だから。 だからこそ、今この場で狩ってしまいたい所ではあるのだが、彼の個体の強力さがそれを許してくれない。 「ひとまずは子供達の安全、で御座るな」 『無形の影刃』黒部 幸成(BNE002032)が細く息を吐いた。 それはこの場のリベリスタの共通認識。 アザーバイドを元の世界に追い返すのが目的ではあるが、失わずに済むものならば救ってみせよう。 彼が忍務と呼ぶ行為に置いて、必要以上の感傷は無用であったとして、必要以上の犠牲もまた無用。 「うむ、犠牲とか出すと寝覚めが悪いからのぅ」 外見だけで述べるならば『廃闇の主』災原・悪紋(BNE003481)は今回の子供らと大差ない。 それでも経た年月は比べ物にならない数であれば、近頃の子供の心は分からない、などと呟いたりもする。 「ともかく、皆のもの気合を入れて行くのじゃぞ……!」 それは虚勢か、単なる性格か。 幼い顔をきりりとしたものに変えて、悪紋は腕を組んで宣言した。 ● 「それでは皆さん、お気を付けて」 行動に移る直前、『子煩悩パパ』高木・京一(BNE003179) が仲間に降ろした翼。 空を飛ぶのが目的ではなく、より機動的に動く為に齎されたもの。 「微力ながら、お手伝いさせて頂きますね!」 指先で切った印は光り輝き守りとなる。『くろとり』天和 絹(BNE001680)が展開した結界は、味方の盾となり耐久力を上げた。 「誰も、あげません……!」 フィネが、真っ先に黒い翼をはばたかせ地を走る。 この場の最速であれ、セグメントの精神汚染に対抗し得る要である彼女は奥へと切り込まない。 自前の翼は風を切り、最も外側に倒れた二人の子供の傍へと舞い降りた。 小柄なフィネの体では一人が精一杯――という事もない。 リベリスタであれば子供の二人を抱き上げる事などは造作もない。それに専念していれば尚更に。 怯えた表情の子供らに、怖かっただろう、とフィネは少しだけ目を伏せた。 目前に存在する強大な蜘蛛は、神秘の力を得た自分とて恐ろしい。 「安全な所に、行きましょうね」 気弱そうな少女が精一杯の笑顔で告げた言葉は、子供らの安心に一役買っただろうか。 次いで走り出したのはエルフリーデ。 セグメントが何らかの反応を示すよりも早く、脚の向こうに滑り込んで子供を二人抱き上げた。 「ちょっと大人しくしてて……って、言う必要もないわね」 少年と少女は突如現れたエルフリーデに反応を示そうとした様子だが、身動きが不可能な状態では目を僅かに見開く事しか叶わない。 それでも彼らはまだ生きている。微かな安堵を胸に、彼女の次の行動は迅速なる離脱。 突入前に絢音によって告げられた場所、エルフリーデとは対極に向かったのは幸成だ。 「悪い夢ゆえ、少しばかり目を閉じていればすぐに覚めるで御座る」 彼が涙を滲ませた少女を肩に抱き上げ告げれば、緩やかな、それでも体の自由が利かない少女にとっては精一杯の速度で目蓋が閉じられた。 きょとんとした顔をしたのは、彼らを視界に捉えたナツだ。 「だ、ぁれ? くもさまの、くもさまがふえるの、うえへへへ、じゃましないでじゃましないで、あ、くもさまはこんでくれるのぉ? え? うんうんくもさまくもさまああは、くもさまがふえるのよ」 しかし、彼女の精神は既に『マトモ』に状況を判断する事が不可能な状態であれば妨害行動に移る事もない。 ナツにとって、リベリスタは『くもさま』に身を捧げるべく現れた者にも見えているのかも知れなかった。冷静に、この世界の常識で考えればありえない事であろうが――『くもさま』に精神を侵された彼女には、分からない。 だが、セグメント自身はそうではない。 折角の『獲物』を奪い去ろうとする相手を見逃すはずもない。 折り畳まれていた足が伸ばされた。 大型のクレーン車の様なそれ、太い太い脚が一本フィネへと振り降ろされる。 「っ……!」 打ち据えられる体。子供らの頭を抱え見せないようにしながらも、少女の体が衝撃で揺れた。 だが、衝撃は思っていたよりも小さい。 巨大な脚から想像するよりも遥かに少ないダメージに彼女が疑問を浮かべるより早く、背中に感じる違和感。 これが、『卵』か。ぞわりと鳥肌が立つ。 こちらで想像する『卵』とはまた違うのだろう。 脚が触れたその場所から、何かが根を張るような感覚がフィネに走る。 孵るまでの時間は僅か。けれど最優先は子供らの無事。気持ちの悪さを押し殺し、彼女は腕の中の子供らをぎゅっと抱き締めた。 続く仲間も些か思慮の様子は見せたが、産卵によるリスクはリベリスタよりも子供らの方が大きい。 だからよもぎは、眉を寄せながらも残る子供に走った。 外見はやはりフィネと同程度なよもぎも、その腕に抱えられる最大限を抱えて背後の茂みを目指す。 「この地が安全と踏んで子を産みにきたのかもしれませんが、そうは問屋が卸しませんよ!」 大和がセグメントの前に躍り出て、無数の気糸を周囲に張った。 強力な個体である。事前に告げられていた情報。 糸はセグメントの脚に引っ掻き傷に似た筋を付けるが、その身を捕らえるのは叶わない。 だとしても、注意が己に向けばしめたものだ。 バスケットボール大の目が、一斉に大和を見た、気がした。 例え取るに足らない程のダメージだとしても、己を傷付けるものに好感を持ちはしないだろう。 「全く、可愛らしくない」 フィネに目を向けたものの、注意すべきは産卵時よりも孵化時のダメージ。 癒しが必要となるならばそれから。 判断した小夜香は、効果的な回復を長く持たせる為に周囲に存在する魔力を己の糧とすべく術式を編み上げた。 そんなリベリスタを見ながら、ナツはくるくると脚の周りを回る。 「ああああああなにするのぉくもさまになにするのうでもくもさまはつよくてじょうぶだからへいきなのよ、うえへへへ、すぐにいいことしてもらえるからだいじょうぶなのにあせったらだめよお」 果たして、この光景は少女にはどう見えているのか。 溜息を吐きそうになりながら、京一はそちらへと踏み込んだ。 セグメントにより危害を与えられる危険性は、ナツに関しては低い。 先の子供らを置いたエルフリーデが取って返せば、彼女を確保して連れて行くだろう。 だがその前に、抵抗を殺げれば。 考えた彼は、ばぢりと音を立てたスタンガンをナツへと触れさせた。 エリューションであれば効かないだろうが、彼女は精神を変容させただけの一般人。 であれば、これで大人しくさせられる、はずであったのだが――。 確かにナツは倒れた。けれど、陸に打ち上げられた魚の如く不恰好な動きで蠢いている。 肉体は確かにダメージを受けて転がっているのに、変質した精神はそれさえも凌駕したのか。 「いだいいだいいだああああああいぐもざま、ぐもさまがふえるの、あは、うあふああへへへくもざま、いっぱいいぃぃっぱいふえるのこれだけいたら、うへへへへええええええええへへへいだあああああああい」 びくんびくんとのたうちながら、それでも彼女は笑い続けている。 その光景に、今度こそ溜息が漏れた。 「よし。もう大丈夫だ」 上空から降って来た絢音が、最後の二人を担ぎ上げた。 空から確認した限り、他の仲間が抱えた数は八。彼女が今腕の中に抱く二人を加えて十。 となれば残るは、地面でのたうつナツ一人。 この全てが、脱出するまで気を引かねば。 「……それにしても、でけーのぅ……」 大和に続き前に出た悪紋が、防護となる剣を召喚し周囲に展開する。 巨大な相手に対し、余りにも脆弱に見えるそれ。 「……べ、べつに怖いとか思ってないのじゃぞ!」 仲間が離脱するまでの間、自分らがしっかり足止めをせねばならない。 怖いのか。いや、怖くなどない。怖いなどとは思っていない。 自分に言い聞かせて、胸を張る。 黒い瞳と揃いの服が、風に揺れた。 ● フィネが、幸成が、エルフリーデが、よもぎが、絢音が、子供を抱えて戦場から離脱する。 残されたのは五人。仲間が戻るまでの間を凌がねばならない。 しかし真っ先に動いたのは、巨大な蜘蛛もどき。 獲物を全て奪われたと気付いたセグメントは、丸太の如き脚を振り回して距離を置いていた小夜香以外を薙ぎ倒した。 「……この程度!」 メンバーの中では最も耐久力に優れた大和が、即座に立ち直り地を蹴って糸を脚に張り巡らす。 それは今度こそ、捕らえたかに思えた。が、返って来たのは千切れる感触。 「響け、福音の歌」 小夜香の呼んだ歌が、皆に降り注ぐ。 強力な一撃で体力の殆どを奪われた仲間もいたが、彼女の歌であれば十分賄える範囲内。 寧ろ、心配すべきはこの威力であれば一撃で沈められる者もいるであろう、という事。 回復力に優れた小夜香であろうと、体力の限界を超えた仲間までは癒せない。 身を持って知った威力に、悪紋の背を冷や汗が伝う。 数々の守りを重ねて尚、当たり所が悪ければ運命までも持っていかれるだろう。 だが、倒れている暇はない。 「ふ、ふん、かかって来ると良いのじゃ!」 構えた小太刀が、巨木の幹にも似た突き立った。 京一の呪印が、脚の一つに刻まれたのはその瞬間。 セグメントの大きさに対しては余りにも小さな印だが、それは全ての自由を奪う。 「こっちですよ!」 重ねて絹が、符を鴉へと変化させその目を狙った。 と、傍観していたナツが、未だ電撃の余韻で自由の利かない体を歪めた意思で突き動かし、ふらふらと躍り出る。 「うふふふふくもさまくもさますごぉいナツがナツはみんなをつれてまいりますねぇ、せっかくいいことしてもらえるのにぃ」 幼い足が向かうのは、リベリスタが子供らを連れて行った場所。 ナツであっても子供一人を抱えて戻ってくるのは可能であろう。 そうされれば厄介な事に間違いはない、のだが――茂みから飛び出してきたエルフリーデが、そんなナツの腕を捕らえた。 「いぃぃやぁぁあああああ! なにするのよぅ、いいことしてくれるのにいいいいぃ!」 子供が、こんな声を出せるものなのか。 老女の様なしわがれた金切り声。 耳元で上げられたそれにエルフリーデは僅か眉を寄せるが、しっかりとナツの体を腕で固定して走り出す。 抱えた彼女が向かった先では、己に注射針を突き立てたフィネの姿。 転がり落ちた小さな塊に、ナツが目を見開く。 「ああああくもさまのくもさまがふえるのになにするのおお、すごくずごくいいことなのにええふえ、なにするの゛おおお゛お゛お゛おおおお゛」 エルフリーデの腕の中でもがく彼女は、蜘蛛の巣に絡め取られた虫なのか。 自分よりも少し年若い程度の少女が涎を垂らしながら暴れる姿に、絢音は嘆息しながらロープを掛けた。 「君にはくもさまよりもっと大切なものがあったはずだ」 がちがちと歯を鳴らし喚き立てるナツが舌を噛まない様、よもぎがハンカチを噛ませる。 極度の興奮でか瞳孔の開いた目は、その言葉すらも理解していないだろう。けれど。 「……いつか戻っておいで、みんな待っている」 変容した精神が戻る、僅かな可能性に祈り、そう語りかけた。 ● 折角得た獲物を奪われたセグメントは、呪縛を払い手当たり次第に己の『卵』を植え付けようと脚を振るう。 それは一度のみならず、二度、三度と対象を変えてリベリスタを襲った。 だが、みすみす孵して敵を増やす様な真似をリベリスタはしない。 時には己の、仲間の血で武器を染め、危険に敏感な卵を落としていた。 「この程度の傷で危険を排除できるならば、安いものに御座るよ」 凶鳥の嘴――刃の突き立つ痛みにも眉を動かさず、幸成はセグメントを冷徹に見やる。 確かに。その姿を見れば不安と相反する高揚、奇妙な感覚が内心に競り上がってくるのが分かった。 その感覚に囚われてしまえば、普段では考えられない行動に走る事もあるだろう。 けれど、この痛みが己を現実に引き戻してくれると信じ、幸成は再び糸を編むべく体勢を整える。 ともすれば囚われそうになる意識を引き戻すのに一役買ったのは、当然傷だけではない。 「元の世界に、還って……!」 フィネの放つ光は、完璧とは言わないまでも、刃を向ける先を間違えそうになった仲間の意識を引き戻していた。 「最大火力よ、持っていきなさい」 エルフリーデのライフルから、魔力の付与を受けた弾丸が吐き出される。 脚を貫いたそれに、セグメントが巨大な目を忙しく動かした。 「早々に帰ってもらおうか」 止まらぬ刃、よもぎの剣が常人では捉える事も叶わぬ速度で振るわれる。 重ねられたのは、絢音の弾丸。 「黒い凶弾をくれてやるよ」 脚も届かぬ範囲外から放たれたそれは、セグメントの目を一つ撃ち抜いた。 ――! ――! ――! 何か、を、叫んだのだろうか。 それは音にはならず、空気を震わす風のようにしてリベリスタに届いた。 ざかざかざかざかざかざか。 無数の脚の走る音。人によってはその音だけで恐怖になり得る虫の這う音。 それはセグメントの撤退を意味した。 幸成が距離を開き、その動向を油断なく見守る。 暗さを増した森の中、唐突に音が消えた。 頷きあい、一斉にリベリスタが駆ける。 残されていたのは、奇妙な歪み。鏡の向こうの蜃気楼。 そこだけ反転した様な光景に、小夜香と大和、絹が意識を集中させてブレイクゲートを放つ。 「怖いクモに蓋をする、ってね。……おや、少し違ったかな」 「うむ。しかしこれで一安心で御座るな」 軽く笑って見せるよもぎに、刃を下ろして頷く幸成。 「もう、流石にくたくたじゃ……」 仲間が戻ってからは後衛に徹していたとはいえ、前半の緊張と喰らった攻撃の余韻は体から消えてはいない。 ふうう、と息を吐く悪紋の視線の先では、大和がナツを含めた子供らの体を熱感知で探っていた。 卵を残したままではないか、体に異常を残したままではないか――。 異常は、少なくとも彼女の目には見当たらなかった。 ナツは目を見開き、ロープで拘束されたままがくがくと身を震わせている。 「……いつかは立ち直って欲しいものよね」 そんなナツの顔に付いた泥を払い、小夜香が首を振った。 『くもさま』は、もういない。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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