● 誰だって、調子の悪いときはあるのだ。そう思っている。 例えば特別ななにかがあったわけではない、ごく普通の日曜日。 自室の窓から隣の家の屋根ごしに見える空が、どんなに気持ちのいい快晴だったって、それは通り雨のようにどこかから突然とやってくる衝動。 (……しつこいなぁ) ――机の上に放り出したままの携帯電話がメールの着信を知らせるのは、もう何度目だっただろうか。 聞かなかったことにして、再びぽすん、と、枕に顔をうずめた。 だいたい、いつも大した用事もないくせに。 今何してる? とか。どうだっていい。返事ができるようなときは、大抵呼吸ぐらいしかしていない。そんなの、少し考えればわかることだろうにと思う。 他愛もないやりとりが嬉しいときもあれば、急にわずらわしくなる時だってあってもいい、だから。 いつもいつも身勝手に降り続ける、言葉という名前の雨をよけて、今日はほんの少しだけ雨宿りの日。 何かあったわけじゃない。 けれど、たまにはそういう時があったって、たぶん別におかしくはないと思う。 そう、おかしいことじゃない。傘の下でじっとうずくまったままの自分に、くり返し言い聞かせた。 枕でぎゅっと耳を塞いで、そのまま意識を泥濘の底へと沈めてゆく。 ああ、誰でも良いから、早く気だるい午睡の中へと連れて行ってしまってほしい。 行き先が天国だって地獄だって、別に構いやしない。 どこであろうと、そこにはきっと、冷たい通り雨は降っていないだろう。 ※ 日が落ちるのが早くなったとふいに感じてから、もうずいぶんと季節も巡ったものだ。 暦のうえの立春にはまだ遠い。真っ赤な太陽が西のビルの谷間へと沈み去ったあとの夜風は、わたしたちの間をびゅうと軽く吹き抜けて、冷たく頬を刺していった。 「……あ、昨日メール返せなくてごめんね」 「あーうん、別に。寝てた?」 「うん」 「そっか。部活忙しそうだったもんな。悪ィ」 尚志はそういってばつが悪そうに笑うと、少しだけ距離をつめて寒いな、と、わたしの手を握った。 ……何も悪くないのに。悪いのはわたしだ。冷たいわたし。 「あれ。お前の手、こんなに冷たかったっけ」 そのたった一言に、ひどくどきりとしたその瞬間。 ざく。と、ごとり。の間をとったような奇妙な音を響かせ、尚志の腕が地面に落ちた。 え? なにかの間違いだろうと思って、もう一度落ちているその腕を見て、それから尚志へと向き直った。 確かに肩の付け根の近くから、腕がごっそりとそげ落ちている、ようだった。傷口は凍っているように見える。 もしかして、これはわたしがやったのだろうか。だとしたら大変なことだ。 大変すぎてどうしたらいいのかわからない。ただ人間の腕の断面って案外冷凍マグロなんかと大差なくて、意外と落ち着いて見れるものなんだな、と場違いなことを思った。 ――あ。尚志が叫んでる。よかった、血もそんなに出てないし、一応生きてるみたいだ。 けれど。此処にはもういられないな、と思った。 どこへいこうか。あてもなく夜の街を走る。 まだ電車はあったはずだ。乗ろう。そして、できるだけ遠くへ行こう。 ……地獄かな。きっともう、天国はないだろう。 溢れた涙が頬を伝う間に、丸くて冷たくて透明なあの固形物に変わって落ちていく。あぁ、やっぱりもう人間じゃないんだ。なら、それしかできる事は思いつかなかった。 凍りついた涙を拭って、前へ前へと足を運ぶ。不思議と息が切れる事はなかった。駅前のネオン街が前から後ろへするりとスライドするように流れ、ひんやりした空気が身体をなぜては過ぎ去っていく。 どうやらわたしが何者かになってしまったらしくても、やっぱり夜風は冷たいようだ。 それはとても、残酷なことに思えた。 ● 「名前は宮前雪乃。17歳。ごく普通の高校2年生……『だった』、少女」 今はノーフェイスだけどね。『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はそう言って暫し瞑目すると、軽く肩をすくめた。 「なんというか、まぁ冷凍人間ね。現在のフェーズは2。戦士級のエリューションで、触れた者を凍らせてしまう氷の腕を持っているわ。その力は彼女の悩みや苦しみ、悲しみに同調して強くなるみたい。その力で恋人だった少年を重傷に陥らせ失踪、現在は……とある樹海の奥に閉じ籠っているようね。このまま放っておいたら、フェーズが進行して――後は、言わなくてもわかるでしょう?」 詳しい資料は、見たい人だけ見ればいいと思う。イヴは淡々と呟いて、集まったリベリスタ達の前にディスクと数枚の紙の束を並べて置いていった。 「お勧めはしない。見ればきっと辛くなるよ。彼女はね、まだニンゲンだから」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:日暮ひかり | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年01月18日(水)23:35 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●死の海 整備された遊歩道から一歩踏み出せば、その先に道標は無い。 右を見ても、左を見ても、同じ景色が広がるばかり。 無作法に広がった広葉樹の枝先に既に葉の姿は無くとも、蜘蛛の巣を思わせる乱雑さで絡み合ったそれらは、冬の太陽がもたらすわずかな暖かみすらも貪欲に奪い去ってゆく。 数日前に降ったのであろう雪の溶け残りが、まだしぶとく地面に居ついていた。なけなしの木漏れ日に照らし出されたその姿は、灰色の樹海には不似合いな白。 なんて冷たく、なんてみじめに見えるのだろう。 『下策士』門真 螢衣(BNE001036)が切れ長の瞳を細め、空から雪の残骸を見つめる。 (日常から滑り落ちてしまったんですね。そして、まだ必死でしがみついている……雪乃さんも) 幻想纏いが光った。翼の加護や種族能力を利用し、空から偵察を行っている他の仲間からの連絡だ。『虚実の車輪』シルフィア・イアリティッケ・カレード(BNE001082)が、それらしい地点の目星をつけたらしい。 「雪乃はもう助からない。さっさと止めを刺しに行くわよ」 シルフィアははっきりと言い切った。 その言葉だけが本心ではないけれど、見知らぬ少女の姿に自らの過去を重ねるなんてらしくないと首を振る。 しかし寒いわね。今日ぐらい着込んでくるんだったわ―― そう言って、ぶつりと通信を切った。 螢衣の式神が憑いた天使が先行し、死の樹海の奥へ奥へとリベリスタ達を導いてゆく。 時折指先を湿らせて風向きを確認すれば、雪待 辜月(BNE003382)と氷河・凛子(BNE003330)が顔を見合わせ、寒いですねと頷きあって苦笑した。 (思春期の女の子にありがちといえばありがちな、乙女心の揺れでしょうか) 医者らしく、また二十半ばを過ぎた女性らしく、凛子はそう結論づけていた。 不器用な少年少女たちの恋。それがもう、取り返しのつかない形で崩壊してしまっていたとしても。 (……それが助けない理由にはなりません) 「そういえば、俺さっき初めて空飛んでちょっと感動したよ」 それが自分に向けられた言葉とは気付かず、凛子は一拍遅れて声の主を見やる。 『1年3組26番』山科・圭介(BNE002774)が、リラックスしようぜーとゆるく笑う。 ――移動中、真剣な顔で事件の情報を調べていたのは何処のどなただったでしょうか。 その言葉を喉元で飲み込む。 ただ有難う、とだけ、一言彼に告げた。 ●氷の森 霜の降りはじめた土を踏みしめ、行進は続く。 氷点下10度に迫る温度計を一瞥し、『スターチスの鉤爪』蘭・羽音(BNE001477)が前方を指差した。 学校指定のものだろう。飾り気のない紺のコートのポケットに手をつっこみ、黒いタイツと皮靴をはいた少女が倒木に腰かけ座っている姿が、木々の合間から確認できた。 『剣を捨てし者』護堂 陽斗(BNE003398)が歩み寄っていくと、少女ははたと顔を上げる。 人間らしい感情が欠如した瞳で、まじまじ見つめ返してくる雪乃の表情に胸が痛んだ。 けれど、絶対に逃げない。そう決めてここに来た。 「雪乃さんですね。少し、お話をしませんか」 陽斗は精一杯穏やかな微笑みで、優しく雪乃に問いかける。うまく笑えただろうか。 「……誰」 「俺達、君を探してたんだ……そうだ」 ずっとこんな場所に居て腹が減っているだろうと、圭介が持ってきたシリアルバーを差し出す。 雪乃は左手をポケットから出し、それを無言で受け取った。しげしげと見つめ、開封しないまま静かに口を開く。 「わかった。尚志が死んだんですね。それで逮捕しに来た」 「いいや。君の彼氏は無事だよ」 だいぶぼかされてはいたが、圭介は今朝方新聞でそれらしい記事を見た。 某市内駅前商店街にて、少年一名が原因不明の重体。 同行していた少女一名が現在行方不明、詳しい事情を知っているものと見て警察が行方を追っている……と。 尚志が雪乃の事を警察に話したという確信は持てない。けれど、圭介はそれ以上は何も言わず口をつぐんだ。 (倒すしかない。でもそれまでのほんの僅かの間、ちょっとは良い事だってあっていいじゃねーの) 雪乃の心は死にかけてる、そして、体も殺す。 でも、だから。これは知らなくても良い事だ。 尚志の無事を知った雪乃はほんの少し安堵したように見えた。その顔を見て、李 腕鍛(BNE002775)もまた心を痛める。 (どう見ても普通の女の子でござる……やりにくいでござるなぁ。しかも傷心してる子でござるよ) 本来そんな女の子を放っておくのは、腕鍛にとって許されない事だ。もしも雪乃をこれ以上傷つけるようであれば、彼女の代わりに尚志を殴りたい思いですらあった。 しかし、既に運命の輪からはずれた雪乃自身に対しては今更何ができるというのだろう。 せめてもっと早く、違う形で出会っていれば――そう考えはすれど気が沈み、かける言葉も見つからない。 「なら、何しに来た誰ですか?」 雪乃が訝しげに問うと皆が黙り込んだ。そして、意を決したように羽音が切りだす。 「……あたしたちは」 貴女に、死んで貰う為に来た。 羽音は淡々と言葉を紡いだ 雪乃はもう普通の人ではなく、居るだけで世界を脅かす存在だということ。 そして、自分達はそういう存在を葬る組織の者だということ。 「そう、ですか。そう言ってもらえてすっきりしました」 雪乃はぽつりと漏らした。平坦な声音と表情からは、うまく感情が読み取れない。 「これはわたしたちの言い分です。雪乃さんには抵抗する権利があります。たとえ人間ではなくなったとしても」 式神使役を解除した螢衣が、幻想纏いを取り出し告げる。 次々に現れる見た事もない兵器を、雪乃はしばしぼんやりと見上げていた。 隙だらけと言っても過言ではないその姿に、攻撃を加える事も出来ただろう。 けれど、誰もそれをせず雪乃の返事を待った。 それを察したか否か。彼女は恐縮したように視線を落とし、口を開く。 「生きていたいのかは、正直わかりません。けれど、死ななきゃいけないって実感もわかないから」 ごめんなさい、抵抗させてください。 ようやくポケットから出された右手は白く凍りついていた。 手つかずのシリアルバーを懐にしまい込み、宮前雪乃だったなにかが、静かに腰を上げる。 ●雪解け 足元に広がっていた霜が集まって、寄り固まり人型を成す。 「行って、『尚志』。この人たちを追い返して」 尚志、と呼ばれたその氷人形には顔が無かった。ただ胴体に手足のような棒が生え、楕円形の頭がぽんと置かれただけの、木偶の坊と呼ぶほかない代物。 (でも、こいつは雪乃殿がつくりだした恋人への想いの塊でござろうな) そう考えると破壊するのも忍びないけれど、心を鬼にして腕鍛はその前に立ち塞がり、拳を突き出した。炎を纏った一撃を浴び、『尚志』の胴体の一部が水蒸気を上げて砕ける。 溶けた部分はすぐに凝固し、再生を始めた。やはり図太い。だが、腕鍛にとって冷気は恐るるに足らないもの。 「こいつの相手は任せるでござる! 早く雪乃殿を……」 聞き終わる前に圭介が動いていた。その動きに虚を突かれた雪乃の横から攻撃を加える。 槍に貫かれた雪乃が金切り声に近い奇声を発した。それはおそらく、彼女には生まれて初めて与えられるだろう、明確な殺意に基づいた痛みに対する反応。 思わず顔をしかめた圭介を、どこか焦点の定まらぬ瞳で雪乃は見やった。 「あなたたちもやっぱり、人間じゃないんですね」 「宮前さん……」 イヴが見なくてもいいと言った資料写真の中で、慎ましくも幸せそうに笑っていた少女。 (宮前さんの事を知れば知るほど辛くなる……分かってはいた、けれど) 厚い魔道書を抱く辜月の両腕にぐっと力が入る。 人を傷つける事は苦手だった。けれど前に立ち戦う仲間を支えたくて辜月はここにいる。 運命の加護を受けた意味も、まだはっきりとは見えないのに。それすら与えられなかった雪乃の言葉に、どんな意志と意味がこめられているのかを考えたら屈してしまう気がした。 「人間ですよ。宮前さんと同じ」 はっきりとは言えないけど、そう、だと思いたい。 俯く辜月の肩に誰かが手を置いた。陽斗だ。そういえば彼も資料に目を通していた。 「思い出して下さい。写真の中の貴女は色々な顔をしてた」 雪乃に呼びかける陽斗を、辜月は思わず頼るような視線で見上げる。大丈夫だとでも言うように、陽斗はしっかりと頷いた。 剣を用いずとも思いは届く。そう信じ、二人は雪乃に呼びかける。 「宮前さんは優しい人です。だから悲しみもこんなに強く、冷え切ってしまった」 言葉と共に零れ出る息の白さは、雪乃の深い痛みや悲しみ。人間である証。 それを肌で直に感じるのに、どうして彼女が人間でないなどと言えようか。 「貴女が人間であるうちに……命を終わらせる。貴女が人間である証を、刻み付けてほしい」 真摯な願いを込め、陽斗が言い切る。聞き終えた雪乃が今度は僅かに寂しげな笑みを浮かべた。 「ずるいなぁ、それって。そんな事言えるのは、貴方たちが選ばれたカイブツだからだ」 心なしか、その瞳が潤んでいるような気がする。 瞬間、雪乃を中心に荒れ狂う吹雪が一行を襲った。 横殴りの雪が次々と身体に叩きつけられ、体温が奪われてゆく。螢衣の張った守護結界に守られ幾らか被害は軽減できたが、それでも何名かは凍傷を負った。 「……十の鋭刃、我に集いて、陣を組め。横雲・虎一足・稲妻・浮雲・山颪・岩浪・鱗返・浪返・滝落・抜打……」 状況を確認しながら、螢衣は刀儀陣を展開した。浮上し回遊する剣の中央で、おもむろに彼女が口を開く。 「わたしはいくつもの命を、あなたと同じ『日常から滑り落ちてしまった人』だから、というだけで殺してきました」 へえ。抑揚のない声で雪乃が言った。 「すごいね。同い年ぐらいなのに、ヒーローだ。楽しい?」 「いいえ。社会の安全のために必要だからこその殺戮ですし、それは狩る側の論理。狩られる側にも生存するために殺戮する権利がある。わたしはそう考えます」 だから対等だ、とはけして言えませんが。十の剣を携え螢衣が言う。 人間でなくなったとしても、と言った。けれど螢衣の導き出した解もまた、雪乃に残された人権と人間性を認めている。 自分が正義であるとは。これが正しい事だとは思っていない。 それでも必ず雪乃を狩らねばならないだけの理由が螢衣にはあった。 「……すごい、ね」 凛とした眼差しで、恥じるところなど無いと螢衣は真っ直ぐに雪乃を見る。二度目のすごいね、には僅かに感嘆がこめられているようだった。 「こまけぇこたぁいいんだよ!!」 そこに突如響いた怒声と共に繰り出された雷撃が、氷人形と雪乃を激しく打ちすえる。 「黙って見てりゃ、さっきっからお前は中途半端だ! アレコレ考えれるのは大事な事だ、だが本質を間違えるな! アレコレ考えれるのなら先ず感情をぶつけろ!」 シルフィアの声だった。普段は冷静な彼女の思わぬ一面に、仲間たちも目を見開く。 「感情はナマモノだ。だから新鮮な内に伝えろ! でなけりゃ今のように腐る! ぶつけた後、めいいっぱい考えろ。だが結局は感情があってこそだ。お前の感情は何だった? 凍った中にも感情はまだあるだろう!?」 5年前の自分の姿が再び頭をよぎった。さっさととどめを刺す、そう『表の』シルフィアは言った。 けれどやはり、見ていられない。 だって、こいつの心はまだ凍りついてなどいないじゃないか。 ただ自分の中に閉じこもって、扉を閉めちまってるだけだ。しかもその隙間からちらちらと外の様子を伺ってるような、そんなイラつく状態だ。 もう我慢の限界だとばかりにぶつけられる、シルフィアの内に秘めた激情。 雪乃の動きが止まった。驚いたのもあるだろう。 けれど、皆の魂の叫びは彼女の心に訴えかけるものがあったのだとその場にいた誰もが信じ、願っていた。 (頼む、届いてくれ……!) 凍りついた心の源であるその右腕に向けて、圭介の気糸が飛ぶ。 貫かれた氷の指が砕けた。痛みはない。そこに人の身体など初めからなかったかのように。 わたしは。 これでいいの? 此処で、しぬの? ど う し て? 「わたし……わたしは、わたしは! わたしだって、まだ生きてたいのに!!」 雪乃の怒りの叫びが樹海にこだました。 「そう、君はそれでいいんだ。ごめんね。恨んで良いよ……」 繰り出された氷の腕の平手打ちを短剣で受け、圭介が自嘲気味に笑った。その横から羽音が身の丈程の大剣を振るい抜く。 雪乃の左腕が、螢衣の作りだした不吉の影に呑まれ消えた。血はあまり出なかった。痛みに顔をしかめ、雪乃が呻く。 「殺したくないのに殺さなきゃいけない。殺されたくないのに死ななきゃならないって。わけわかんない。なんで戦ってるの? そんなのおかしい!」 「そう、だね。あたしもそう思う……けど」 それでも、貴女には死んで貰わなきゃならない。 自ら放った雷で焼け焦げた羽音の掌から血が滴り落ちる。その首元で、ルビーのネックレスが揺れた。 「なら、わたしも使わせてもらいます。『あなたたちを殺す権利』を!」 螢衣が憐れむように雪乃を見やる。言葉とは裏腹に、悲しみを源とするその力は既に尽きかけていた。 「殺されて……いや、殺させてたまるか! でござるっ!」 腕鍛の拳が『尚志』を完全に打ち砕き、身体の残骸は溶けて地面に吸い込まれていった。 「寒気を退け、暖気を与え賜え」 凛子が呼んだ癒しの息吹が傷ついた者達を癒し、辜月の放つ破邪の光が死の森を照らす。 「私も、戦う理由を……力を使う理由を見つけている途中、です。まだ護られてばかりだけど」 護られている立場。それは辜月にとって、少し引け目を感じてしまうことだ。 けれど、護る者も後ろに支えてくれる誰かが居なければ、いつか必ず倒れてしまう。 「宮前さん。貴女の本当に望んでいた事が何だったか。それを覚えていますか?」 長い黒髪をなびかせ、光を受けて佇む凛子の姿を雪乃は茫然と見上げる。 「貴女の心に降った雨が雪に変わる前に、ただそばにいて欲しかったんじゃないんですか?」 雪解けを待つ春野のような空気が、辺り一帯を満たし冷え切った頬を撫でる。 それは自分に向け与えられたものではないと、雪乃は知っていた。 壁一枚も通らないほどに肉薄されているというのに、境を越えて向こう側にはいけないのだ。 けれど。どうしてだろう。 暖かくて、満たされていて、もう傘など放り出してしまってもいいぐらいに。 雪乃はくずおれ、その場に膝をつきぼろぼろと泣いた。 「雪乃殿!?」 たまらず駆け寄った腕鍛が雪乃の砕けかけた右腕を掴む。 「あ……だ、大丈夫! ほら、もう触っても凍らないでござるよ」 腕鍛がひらひらと手を振ってみせる。自分にしか出来ない事をやっと見つけた。 「前はつめたく感じた言葉の雨も、今は違うはず。思い出して……くれた?」 その暖かさを。 どうしてだろう。なぜ、これから殺さなければいけない相手に、これほど優しくできるのだろう。 しゃがみこんで顔を覗きこむ羽音に向かって、雪乃は告げた。 殺してください。 まだ、泣けるうちに。 例え誰かを殺す権利を得ても、何も感じないようななにかにはなりたくないから。 そして、わたしの命があなたたちの隙間になにかを残すことができるなら。 これは傲慢でしょうかと雪乃が問う。 「わたしたちが雪乃さんの苦しみを止めた……というのも傲慢な考え方でしょうね。だからやはり、ここはお互い様ではないでしょうか」 螢衣がそう言って小首を傾ける。 「ありがとう、ございます。あと、そちらの眼鏡のお姉さんも」 「……私には、何のことだか分からないわね」 シルフィアも同じように首を傾げた。それは本気で言っているのかもしれないし、只とぼけているだけなのかもしれない。彼女にしか分からないことだ。 「ねえ。尚志に伝えたいこと、あるんじゃない……? 悪いと思うのなら、ちゃんと謝って……言いたいこと……きちんと、言っておくべきだよ」 羽音の言葉に雪乃は首を振った。 「実は、さ。真面目に好きだったのかどうか、わかんないの。酷いよね。たぶん尚志だってそうだよ」 ……でも、ごめんね。それからありがとう、って。 鼻を啜りながら言う彼女に、わかりました、と辜月が頷いた。 「ずっと寒かったでしょう」 けれどほら、暖かい雨が降りだした。 頬の涙を手袋で拭ってやり、凛子が雪乃をぎゅっと抱きしめる。 こそばゆそうに笑む彼女は、写真で見た宮前雪乃の顔に戻っていた。 お菓子、地獄で食べます。 ぽつりと呟く雪乃に天国だろ、と圭介が返す。 死の恐怖に震えながらも強がって懸命に笑う少女の顔は、此処に至るまでなに不自由なく歩んできた彼の瞳にどう映っただろう。 陽斗が銃の引金に指をかけ、雪乃の胸に照準を合わす。 けして人に向けないと決めていた筈のそれを使う事に躊躇いはない。 最期まで、雪乃の思いを受け止めると決めたから。 そこに彼女の命の重みを刻みつけ、道なき道を歩いてゆこう。 「覚えていて。感情を手放さない限り、貴女は人間なんだ」 森に銃声が響く。 少女の胸から溢れだした血は、まだ暖かかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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