●磔刑者の祈り 待っている。 彼は待っている。 彼の神の偉業が達成される時を待っている。 赤い月を仰ぎながら、ただ、待っている。 彼は『神』を信じている。 ●其は殉教に非ず 「さて皆さん、事情はお分かりでしょうか。分かりませんか。分からなくても分かっても今から説明しますのでお聞き下さい。少々長いですけどぼくにはいつもの事ですね。ええ」 ブリーフィングルームにて、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)が、常の如く薄く笑いながら告げる。 が、目は次の言葉を選ぶかの様に些か忙しなく動いていた。 「簡潔に。『塔の魔女』から情報が齎されたのに加え、先日皆さんが持ち帰った『賢者の石』の一部で強化された万華鏡がバロックナイツの目的である『儀式』の現場を感知しました」 近頃危惧されていた崩界の加速、それはこの公園に『特異点』が発生する前兆だったという。 万華鏡は、儀式当日に世界に大きな穴が開く様と、大規模崩界の日に現れるという血の月――バロックナイトを観測した。 アークとしては、リベリスタとしては、見過ごす訳にもいかない。 ギロチンが広げたのは、とある公園の地図。 拡大されたそれに、彼は赤ペンで丸を付けていく。 「今回の戦場は、神奈川県の三ツ池公園です。当然ながら、既にジャック側の戦力が配備されています。先手は不可能です。公園内にはシンヤの率いる精鋭フィクサード、バロックナイトに賛同するフィクサード、後は塔の魔女によるエリューション等が防衛線を張っている様子です」 次々と増えていく丸は、それらの居場所か。 邪魔をしようとすれば、手厚い歓迎は間違いない。 「正面突破はほぼ無理、という結論になりました。蝮原さん――ご存知ですよね、彼は裏社会で名が売れています。なので、セバスチャンさんらアーク戦力と合わせて南門から陽動に向かう予定です。ですから皆さんには、『北門』から侵入して頂く事になります」 ぎゅい、と一際力強く引かれた丸。 多目的広場や野球場など、比較的広い戦場にも敵を示す丸は点在している。 誰かが問う。妨害に向かったとして、ジャックを倒せるのか、と。 「……『塔の魔女』の情報を信じるならば。賢者の石の回収が予定通りにいかなかったジャックは、大規模儀式に集中する必要がある。その際に、一時的にですが弱体化するそうです。儀式が始まってしまえば、ジャック自身で中断する事は不可能。それを逃す手はないでしょう。信じるならね。そしてぼくらには今の所信じる以外にない」 とは言え、彼女は味方という訳ではない。 アシュレイはジャックの暗殺を持ちかけてはきたが、儀式自体を止める気は『ない』のだ。 だからジャックが死亡したとしても儀式が成立するようになるまで、彼女はジャックの側。 「ですが、ジャック撃破や魔女への対処は一旦意識の外において下さい。ぼくらとしては、園内の戦力を駆逐し、障害となるものを排除しておく必要があります。何が起こるにしても」 息を吐いたギロチンは、再びペンを握った。 彼が描いた矢印の先は、プールの管理棟。 「向かって頂くのはここ、『釘打ち』と呼ばれるフィクサードの所です。二度程、アークの戦力と交戦していますから、ご存知の方もいるでしょう。彼は今回、自らの自由をほぼ完全に奪う事でアーティファクト『咎打ちの釘』の能力を最大限に引き出しています」 モニターに映し出されたのは、壁に磔となった男の姿。 両目に釘を打った彼は、死んでいるかのようにじっとしている。 「見ての通り、回避能力はほぼありません。ですがその分、攻撃力に特化しました。『視界』も少しですが広がっています。背後からや遮蔽物を利用しての攻撃はまず無理です。彼単独でも厄介ですが、前回の残りである『ストルゲー』、そして『群集』のE・ゴーレムが存在します」 溢れる、顔のない人形。 人と同じ大きさをしたそれは、亡羊と突っ立っている。 一枚の絵。 風で動く葉や、揺れる遠くの水面さえなければ動画ではなく写真にすら思えた。 「この『群集』は自分に行われた攻撃に対する反撃を行う以外、基本的には単なる障害物に過ぎません。ですが、釘打ちの命令により敵に接近し、自爆する特性があります。動かない彼の手足代わりです。自動で目標を定め追尾する爆弾。一発で倒れる事はないでしょうが、数がいます。重ねて食らえば当然危険です」 釘打ちの視界範囲は先の通り、30m以内に広がっている。 故に、回復手が前衛に安全圏から癒しを届けようとしても、この群集を差し向けられる危険性が高いという。 「皆さんが仕留め損なった場合、釘打ちはジャックやシンヤの援護に向かうでしょう。その場合、そちらに向かった仲間が不利になる事は間違いない。ですが、今回は彼も不退転です。今までのように大人しくは退きません。例え追い詰められても、道連れのつもりで攻撃を仕掛けてくると推察されます」 死んでも倒せ、なんてぼくは言いません。言いたくもありません。 ですが、撃破しないと他の仲間が危険に晒される確率が上がります。 呟きながら、赤いペンが、指先と机の間で立てられた。 指先が離れれば、ペンは容易に倒れる。 「……困りましたね。ぼくに言えるのは皆さん生きて帰ってきて下さいという事だけです。誰も彼も。嫌ですよ、ここで顔見たのが最後とか。だから、信じていますので、帰って来て下さいね」 倒れたペンから視線を離した青年は、縋るような目でそう告げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年12月19日(月)23:40 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 赤い月だ。忌むべき月だ。 音が響いている。 銃声で剣戟で悲鳴で歓喜で狂気で狂喜で覚悟で爆発で絞首で苦痛で唸声で絶叫で満ちている。 散らばった戦場で幾つもの運命が削れ命が消える音が響いて消えて行く。 ――歪んだ夜を始めよう。 「よ! 釘打ち。俺等の事覚えてる?」 「リベンジ出来る日を心待ちにしておったぞ、覚悟するんじゃな!」 居並ぶ群集の奥で磔の男に『狡猾リコリス』霧島 俊介(BNE000082)と『エア肉食系』レイライン・エレアニック(BNE002137)が声を掛けた。 今度は揃って相対できる、故に負け等あるはずがない。 レイラインの肉体が、更なる速さを求めてその構成を書き換えていく。 「そろそろこのセリフをテメェに言うのも最後にするよ。ぶっ殺す」 踏んだ砂を鳴らす。『ザミエルの弾丸』坂本 瀬恋(BNE002749)は腕を振るった。 「因果応報、三世因果。テメェが犯した罪の分だけ苦しみやがれ!」 意志を秘めた言葉と瞳は逆転の切欠を惹きつける。 「やはり、群集が中々厄介ですね」 浅倉 貴志(BNE002656)の呟き通り、赤い月に照らされた『群集』の姿は、ひい、ふう、みい、よ、片手で足りない。両手で足りない。足の指まで動員しても数え切らない。 数は力。それを体現したかのような『壁』に青年の眉が寄る。 丈夫だと報告を受けた。爆発するとの報告も受けた。それらを無害化する対処法は思いつかない。 だが、元より痛む事は想定済み。数の壁を越えるのに必要なのは、覚悟だ。 鍛えられ硬質にも見える貴志の体が、どの構えにも対応できるように柔らかな筋肉のしなりをみせた。 「使い捨ての、人形、ですか……。ちょっと、私と……似てます、かね……?」 釘打ちよりも己に近い群集。 その一塊を見て、『剣華人形』リンシード・フラックス(BNE002684)はひとりごちた。 小柄な少女は、身の丈よりも大きく見える剣を携え月光を浴びる。 命令に従い身を投げ命を捨て果てるだけの存在。武器であり壁であり駒であり道具。 ならば己がこの身で止めてやろう。 少女の体は、重力の枷を少し外したかの如く身軽に跳ぶ。夜に幼い人形が舞う。 「久しぶりに……見たけれど……やっぱり……色々な意味で……酷い敵」 月光に浮く幼い少女の外見をしたエリス・トワイニング(BNE002382)が目を細めた。 磔刑。張り付けられた救世主。否。違う。彼は救世主ではありえない。 彼にとっての『神』がジャックであるならば、シンヤが救世主か。聖母はアシュレイか。 益体もない考え。エリスは欠片として目に見えぬ形で転がるこの世界の神秘を身に取り入れるために神経を集中させる。 「あまり……時間は……かけられない」 戦場はここだけではない。彼の『神』に届かねば。 釘打ち。話は聞いている。伝説の殺人鬼に絡む騒動に現れる名。 狂信と贖罪を軸に殺戮を振りまく異常者。理解の範疇を超えた相手。 それでも彼女は前を向いて睨み付ける。だから何だ。 「私もこの運命に、半端な覚悟で挑んでるわけじゃないのよ」 抜き放った運命蜃気楼。『さくらのゆめ』桜田 京子(BNE003066)は釘打ちの運命よりも自身らの運命の方が強いと信じる。 あちらが異常だというならば此方も異常だ。異常に立ち向かう異常。 釘打ちがジャックを『神』と呼ぶなら、京子は『神』に逆らった女の妹だ。 絶対に負けない。京子の感覚が研ぎ澄まされ、勝利への道筋を線で開き始めた。 ● 開幕。 合図の如く降って来たのは、釘ではない。 釘打ちの視界外、それも東西南北ではなく『上』から降って来たのは、『人間魚雷』神守 零六(BNE002500)。 唐突に視界に入った零六に、釘打ちが弾かれた様に上空を仰いだ。 それを見て薄く笑う。ただ、着地するその瞬間だけは、意識を重力を操る自身に向ける必要があった。 故に釘打ちの目前に晒されるのは、無防備な体一つ。 零六の体に降り注いだ釘は、容赦なく穴を増やした。それでも彼は笑う。獰猛に。 「ヒャハハハハァ! 会いたかったぜぇ……釘打ちィッ!」 運が良かった。辛うじて、紙一重で彼は己の身に絡む呪いを振り切った。 エリスの呼んだ風が彼の体を撫でて癒して行く。 「好きなだけ怪我しろ! 全部俺がなんとかする!」 重ねられたのは俊介の光。赤の中で神々しく光る白は、最前線を選んだ者への護り。 金の獣が群集を抜けた。 「貴様ごと切り裂いてくれるわ!」 爪――爪と称する鈍器。 微かなブレによる幻を携え、釘打たれた女の人形を叩きつける。 「さて、どう動くかっ……!」 京子の得物から一斉に弾丸が放たれる。群集の多くを巻き込める位置だが、彼女が狙ったのはその半数。 彼らの反撃が射撃に対して無反応であれば。その願いはあっさり潰えた。 それまで一切動きのなかった群集が、弾丸を受けたものだけ滑らかに動き出す。 「こっちだ」 様子を見て取った貴志の脚が鋭く空を蹴る。 真空の刃は京子に向かいつつあった群集の一体を引き裂き矛先を此方に向けさせはするが、倒すには至らない。 中心でリンシードが刃を煌かす。素早さ故に複数に見える少女の影が、刃を描いた。 「ここから先は通しません……爆発するならここでどうぞ」 仲間を巻き込まない位置でそう言い放ったリンシードに、切り裂かれた群集が一斉に向かってくる。 瀬恋が駆けた。 リンシードへ向かう群集の横を抜け、釘打ちの傍。ガントレットが赤い月に鈍く光る。 最悪の災厄の名を負ったそれが、周囲に無秩序に弾丸と破壊をばら撒いた。 振り回した腕が反動で軋むのを感じながら、それでも彼女は睨む。 ストルゲーに庇われ奥に潜む釘打ちを。 「いい加減終わりにしようや! テメェの望みどおりテメェをこの世界から退場させてやる!」 魔弾を名乗る小柄な少女は、長い髪を靡かせて吼えた。 けれどやはり、人形は己に向かってきた。囲まれるのは免れないか。 舌打ちをして後ろへ下がろうとする彼女の前に人形が立ちはだかった。離脱したい。が、叶わない。 瀬恋だけではない。京子の黒髪が、リンシードの小さな体が、あっという間に見えなくなった。 各個の攻撃力は些細。囲まれた誰もが感じた通り、反撃自体は、致命傷となりえるものではない。 だが、反撃相手と定めた者を群集は『囲む』。それは即ち、移動や他の仲間の援護を受けられない事を意味した。回復は届く。それが唯一の幸いだが、逃がしてくれない。釘打ちは自爆を命じない。 自身の周りに存在する群集をその場で自爆させるのは、釘打ちにとっても悪手。 己の攻撃の手の届かない場所になれば爆弾として使うのも躊躇わないだろうが、今はただリベリスタを其処に捕らえる『檻』として群集を使っていた。 降り注ぐ釘。 己の身を傘として俊介が釘を受ければ、エリスが姿かたちも分からない高位の存在、優れた癒し手でなければ読み取ることも不可能な希薄を辿る。 唇から漏れた詠唱がそれを形に変え、数人の流れる血さえ止めていく。 けれど全てではない。 始まったばかりの戦は、既に血の匂いで満ちていた。 ● 打撃音。銃声。月光に光る刃。癒す声。 複数の爆発音が重なった。振り返る。京子の周囲の群集が爆発した。 唇を噛み締めて、爆風に微かな涙を湛えた桜色の瞳を強気に向けて、京子は切り札を消費する。 エリスの、俊介の癒しが彼女に集中し、瞬く間に傷を埋めていく。 間髪入れずに降り注いだ釘は二人を穿った。 止まらない血と重なって、エリスの意識が遠のきかけた。ブラックアウト。ブラッディアウト。 「……ここで……倒れているのは……かんたん」 引き戻す。楽を求めるならば倒れればいい。意識を失えば苦痛もその間はなくなる。 無理をするな、楽になろう。悪魔が笑う。それを一笑に付す。 「でも……立ち上がって……みんなを……助けたい」 傾きかけた体が、意志を持って立ち上がった。 己に向かってきた群集を叩き伏せ、貴志はレイラインと共に釘打ちに一撃を見舞う。 全身全霊。張り付けられた釘打ちを地に伏す事こそ叶わないが、壁に向けて叩き付けた。 「ふん、そう簡単にやられてはやらんぞ?」 レイラインは後退する。回復を求める合図のそれに、エリスと俊介は癒しを与える。 援護の届かぬ場所で一人立った、前回の苦い痛みは忘れていない。 鋭く空を切った釘は、癒しを与えられたレイラインを倒せない。 しかし、異様な鋭さを持ったそれは前で釘打ちとストルゲーに向かっていた二人の運命を強制徴収した。 「邪魔なんだよ木偶の坊がァ!」 運命の消費が如何ほどのものか。立ち上がった零六は崖際でこそ胆力を発揮する。 打ち付けられた一撃。釘打ちに愛を注ぎ続けた人形が、吹っ飛ばされて動かなくなる。 好機。狙っていた瞬間に俊介が周囲の状況を確認した。 池からは少々距離がある。ならばプール。駄目だ。腐り落ちた臭いがする事からして、安全とは思えない。だとすればなるべく仲間から離れた所で。 「おい! 釘打ち! よく聞け!」 俊介は高らかに声を上げた。少し震える拳は握って力に変えた。 「神サマなんか居ねえよ! 不確定な存在に頼るとかあほか!」 叫ぶ。釘打ちの信仰を否定し、怒りを向けさせる為に。 「悔しかったら。俺を攻撃して黙らせてみろよ!」 だが、彼は覚えているだろうか。 前回の案件でフォーチュナが釘打ちを『狂信的だが挑発に乗るタイプではない』と評したのを。 何より、釘打ちの信ずる『神』は俊介の思い描く『神』ではない。 不確定な存在などではなく、カリスマ性を持って目前に顕現する『ジャック・ザ・リッパー』という伝説。それこそが彼の『神』で唯一無二。 だから釘打ちは、頭すら上げなかった。 が。彼は、賢者の石を目前で掠め取った集団の中、味方を信じ歌うのだと、力強い鼓舞を叫び続けた俊介を知っている。 囮としての価値は、挑発がなくとも俊介自身が持っていた。 距離を置いた瞬間から、群集の数体が走り出す。 俊介が期待した程の数ではなく、逃してくれるほどの甘さではなく。 轟音に耳が遠くなった。抱き止めたのは柔らかい恋人の腕ではなく冷たい地面。 まだ倒れない、誰も死なせない、それは自分自身も例外ではない。 寵愛を失う。立ち上がったそこに、再び群集が走り来たのを彼は見た。 笑う。ああ。全部引き受けてやろうじゃないか。ここなら仲間は巻き込まない。 せめて後ろにいる仲間にだけでも届くようにと響かせた歌は、轟音で途絶えた。 ● 数十秒の撒き戻り。 「俊介!」 弾け飛んだ体が地に打ち据えられるのを見て、レイラインが叫ぶ。 迷わず走った。自慢の脚力を最大限に生かし。 過ごした歳月の差は祖母と孫ほど離れていようと、己の為に仇討ちに向かってくれた『友』と呼ぶ相手は、何物にも変えがたい。 群集の間を潜り抜けたレイラインに、俊介が呼んだ最後の癒しが舞い降りた。 軽くなった体と、倒れる友の姿に血液が沸騰する。 「――無駄にはせんからのぅ!!」 少なからず群集は減った。 報いるために、レイラインは、仲間は攻勢に出る。 群集を削り倒す事を前提とした作戦。 決して減っていない訳ではない。当初の数からするとこの場は閑散としている。 けれど京子の銃弾を持ってしても、決して容易く駆逐しきる相手ではなかったのが問題だった。 多くを巻き込む技は精神力の消耗が激しい。 敵の範囲を制限して使った上で、釘打ちまで持つか否か。 「まだ……みなさんが、釘打ちを倒すまでは……」 血で汚れた視界。眩む。混乱による同士討ちを狙ったリンシードの一撃は、釘打ちにとって目に余る動きだったらしい。 攻撃を重ね続けた人形が、何の前触れもなく爆発した。 同じように少女の傍に居た人形の数体が、爆発の余波で動かなくなる。 けれど難を逃れた一体が、リンシードを背後から抱擁した。背筋に冷たいものが走る。 振り解く間もなく弾けとんだそれの爆風が消えた後、膝を付くリンシードだけが残った。 エリスの歌が途絶える。彼女の呼ぶ歌は効果が高いが、消耗も激しい。 俊介が倒れた今、彼女の代わりを果たせる者は不在。 魔力を取り入れる術も永久に持つ訳ではない。掛け直すか、残る効果の間での決着を信じて攻撃に転ずるか。迷い。 回復が途絶えたその空白。貴志が落ちる。 流れが変わり始める。だが、まだ引き戻せる流れだ。 「運命よ、わらわを愛してくれ!」 「お願いします、みんなの運命を……この先の、『未来』を……繋ぎ止めてください……!」 赤い月よりも遥かに遠く近く、一枚隔てた何かを求めてレイラインが叫ぶ。リンシードが請う。 けれど、力を願う女性を、未来を願う少女を、気紛れな運命はあっさりと袖にする。 暴れ狂う銃弾と打撃で動きを止めた群集の中から、瀬恋が銃弾を放つ。重なる音。 早いが故に一発に聞こえたその音の主は、釘打ちの体を二度穿った。 揺れる天秤はまだどちらにも傾く可能性がある。 さあベットしろ。 運命が尽きたら己の命を賭けるがいい。天秤を携えた女神は意地悪く笑う。 釘打ちの傍は危険地帯で安全地帯。 追い詰められた現状で、己の傍にいるリベリスタが全てであれば、或いは群集に爆破を命じたかも知れない。けれど離れた場所には京子とエリスがいる。 彼女らを引き戻すのは運命だけではないのだ、強い意志と覚悟は足を留めさせるのを知っている釘打ちも、また迷う。 その隙に、立ち上がったレイラインの爪が釘打ちの胸元を深く切り裂いた。 痛覚を意図的に遮断している釘打ちには、体の発する警告が聞こえなかった。 呼吸の変わりにその唇から零れたのは、赤い血。 レイラインの爪によって折られた骨が、肺に突き刺さった。 後一撃で、奪(と)れる。 「最後に言いたい事でもありゃ、聞くだけ聞いておいてやるぜ」 血に塗れながら振りかぶった零六の武器。刈り取る者の名を持つ。けれど。 ――人殺すの、初めてだからな。 微かに零れた彼の言葉に、釘打ちは顔を上げ――薄っすらと、笑った。 運命の消耗。リベリスタだけに赦されたものではない奇跡。 まだ釘打ちが天秤に乗せていなかったもの。 答えに到った瞬間、零六の全身に釘が突き立った。 彼が普段取りたがらないサングラスの柄にもヒビが入り、落ちる。 「……ならば『最初』に価値を見出す君に一つ」 掠れた低い声。唇から漏れるのは最早血ではない。 釘打ちの発する初めての『意味を成す音』を薄れ掛ける意識で零六は聞く。 「何れ君は其の価値を失う。恐れを愉悦に、躊躇を陶酔に、罪悪感を優越感に変える。勝利に価値を見出す性質なら尚更、自分が相手の生殺与奪を操るのを悦ぶようになるだろう」 それは呪い。紡がれるまじない。己の前に三度立ちはだかった男を、彼は覚えている。 同時に、そこにある勝利への渇望を『視て』いた。 「だが、どうせ今宵から世界は変わる。――残念だ。俺はそういう目が絶望に変わるのも好きなのに」 独白の如く呟く釘打ちの前に倒れ伏した零六に、京子が歯噛みする。 運命も消費させた。次はない。次に意識を失わせれば、リベリスタの勝利だ。 だが、余りにそれは、分の悪い賭け。 怪我人を連れての撤退は、決して楽なものではない。それが後手に回れば尚更に。 彼女は死なせたくない。仲間を。失いたくない。己をこの道に踏み込ませた願いを、叶える為にも。 京子の覚悟は、生きて帰る為の覚悟。『皆で』。 誰も失わない。失わせはしない。だってこんなに素敵な仲間だから。 「……退こう!」 血を吐く京子の叫びが響く中、掠れた釘打ちの声は零六にしか聞こえない。 「残念だ。彼の方の偉業が達成される此の刻でなければ、日が昇り落ちてまた昇るまで、ゆっくり君を殺してあげたのに」 彼は狂信者であり快楽殺人犯。 刺して抉って穿って嬲って死に至らしめる、血と苦痛と悲鳴を愛する殺人愛好家。 歪な信仰と己の快楽を組み合わせ、赤い月夜を齎す殺人鬼に傾倒する男は、逸脱した『贖罪』に覆われた本性を曝け出して、笑った。 殺したいな。 ああ、こんなに良い月の夜だから、こんな良い空気の夜だから、沢山殺したいなあ。 濃密な死の気配に酔う男が、恭順な狂順な盲信者の顔に快楽としての殺人鬼を滲ませるのを見て瀬恋も忌々しげに息を吐いた。 裏社会に身を置き、ネジが外れた人間も眺めてきた瀬恋には分かる。これは『クる』一歩手前だ。 逃げないだろう。だが、これ以上続ければ形振り構わず殺しに来るに違いない。 その際に狙われるのが立っている者ならばまだいいが、倒れた者ならば。 瀬恋が結論を脳内に言葉で描くより早く、目で合図しあったリベリスタは走る。仲間の元へ。 倒れた仲間を抱え零六を人形の輪から引き摺り出し、退却へと移るリベリスタを彼は追わない。 彼は己の『目』が、逃げる相手を追うのに向かないのを知っている。 まだ、その冷静さが残っていた事がリベリスタの幸いとなった。 殺したい。ああ。殺したい。けれど届かない。 せめても傷を作っていけ。忘れえぬ傷を作っていけ。彼の方の築く王国へ逝け。 無音の笑い。狂気の笑い。楽しげに楽しげに楽しげに。 迫る様なそれから逃げ、怪我人を庇い走るリベリスタに、無数の釘が降り注いだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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