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<疾く暴く獣>
回転し始めた運命の歯車はその錆び色が嘘のように急斜面を転がり落ちていく。
時村沙織が――アークが期待した『バロックナイツ本隊内部のトラブル』は彼が全く予期しない形で現れた。幸か不幸か――彼等が黄泉ヶ辻京介による『パンデミック・テロ』に動きを奪われているその間に、三ツ池公園もまた、至上に重大な局面を迎えていたのである。
「ああ、何と――禍々しくも美しい」
荘厳なる蒼衣から生えた白銀の煌きが、禍き夜の赤い月光を跳ね返す。壊れた夜の一幕は、これまでの喧騒が嘘のように静やかに粛々と運命の歯車を動かしている。
「これはまるで卿の心を映しているかのよう。全く――良く、これだけの風穴を造ったものだ」
間近に佇む『審判の座』の目を細め男は――ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンは感嘆の声だけを漏らしていた。彼の声色から伝わってくるのは賞賛であり、憧憬であった。超然とした彼が見せた人間性は、この瞬間がどれだけ特別なものかを証明するに十分だろう。
「『塔の魔女』――偽りばかりを身に纏った哀れな運命の空繰人形よ。
卿は何を考えここまで来た。何を求めて――この極地まで歩んできたのだ」
朗々と紡がれるディーテリヒの言葉は韻を踏み、まるで謳っているかのようだった。足元にびろうどのように広がる赤い絨毯に目をやるでも無く、生命を持ち、呼吸をするように収縮を繰り返す『穴』だけをじっと見つめている。問い掛けこそアシュレイに向けられたものであったが、その実、彼は誰も見ていないかのようだ。
「初めは、果てない道への希望を。次に人並の絶望を――絶望の方はつい、五年前位に自覚したんですけどね」
「成る程」
ディーテリヒは瞑目し、口元に微笑を浮かべた。
「卿が絶望するのだ。人なる身には不可能なのだろうな、その望みは」
「ええ。全ての悪徳に手を染め、総ゆる手段を用いて尚、届かなかった。
その兆しもありませんでしたよ。毎朝起きる度に、頭がおかしくなりそうになるんです。何か手段を探す度に、期待を感じる度に。私の『時間』はとうに切れているのでしょう。例えば、あのグレゴリー様と同じように。
ディーテリヒ様の御時間は? その『ヴァルハラ』ならば、私の願いは叶いますか?」
「不可能だ」。ディーテリヒは短く述べた。
「我が乙女達は、至高の場所にエインヘリャルを選別する任を負う――とされる。
しかして、それは一方通行だ。行く道を導く事は出来ても、逆を辿る道は用意されまい。時間は不可逆なのだよ。運命も又然り。失われた肉体より出でし、多くの魂が何処を目指すかも――一介の魔術師如きには大いに難題だ」
「どの口で一介の……しかし、それは分かってました」
アシュレイは苦笑した。
「ですから、訂正します。『今の私の望みはそれではありません』。
ディーテリヒ様は、全て御存知なのでしょう?」
「自惚れる心算は無いがね。承知している」
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