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<『セフィロトの樹』>
ウィルモフ・ペリーシュの『聖杯』は究極的には願望機である。
それに備わった高度過ぎる殺戮能力は余禄に過ぎず――全ての価値はそれが『彼の望みを達成する手段』という目的にこそ集約される。
聖杯は他人の命を収奪し、魔術師の力を増幅する――アーティファクトだ。
かつて『塔の魔女』アシュレイが語った通り、力を得るならば他人より奪うのが最も手っ取り早いというのは魔術師間の常識なのだから、最も魔術師らしい男(ペリーシュ)がその手段を選んだのは必然だったと言えるだろう。
「十分だ。『セフィロトの樹』を創造するにも」
新潟の都市部に『塔』を建造したペリーシュは、その場所で自身の準備を終えていた。
薄笑いを浮かべた表情には余裕が漂い、この時間を楽しんでいるようですらある。
「それは何より。では、アークは――日本はもうお終いになりましょう」
合いの手を入れたディディエ・ドゥ・ディオンは能面のように表情を変えなかった。
「うむ」と頷いたペリーシュの機嫌がすこぶる良いのは、彼にとって僥倖だ。
……しかし、本当の所を言えばこうなるまでには大分の紆余曲折があったのは否めない。
『聖杯』に敗北は無いが、アークのリベリスタとの会敵でペリーシュは予想外の抵抗に遭っている。彼のその後の荒れ方は凄まじく、ディディエはそれを収めるのに相当の苦労を強いられたものだ。
(止むを得ないが……いい展開とは言えない)
ディディエは『聖杯』の示威で、アークが恐慌に落ちている間に決着をつけるべき、と考えていたのだが……残念ながら、彼の御主人様のプライドの高さはそう話を簡単にしてくれるものでは無かったのである。
ディディエは爪の先程も主人の能力の高さを疑っていない。彼に敵う人間等、三千世界に存在するものかと確信している。彼は無敵だ。素晴らしく強く、何者も寄せ付けない本物の天才であると心酔している。
しかし……『有り得ない事』が一度起きたならば、二度目が起きないとは言い切れない。
主人が荒れた理由――アークを仕留め損なった事を思えば、彼等の持ち合わせる奇跡の量は知れていた。もし、不遜にも。己が如き凡百が、神たる主人の欠点を一つだけ語る事が許されるとするならば敢えてディディエは指摘しよう。
(……主は、不測の事態を嫌い過ぎる)
その一点に尽きるのだ。
誰も寄せ付けない天才であるが故に己の計算外を許容出来ない。
長い人生に唯の一度の挫折すら味わった事が無いであろうが故に、その孤高の心は冬の海よりも荒れやすい。魔術師という商売が本来――心を平静に保ち、理知を以って遂行されるものなのだから、確かにこれは弱点である。
尤も、弱点を露呈した所で王は王だ。心配する必要は無いのかも知れないが……
「……では、これより行動を開始なさるのですね」
ディディエは己が不敬を恥じて、己が力を誇示したい主に彼の望む水を向けた。
ディディエは己が唯の一奉仕者に過ぎない事を理解していたが、同時にほんの少しだけ他の者よりも彼に気に入られていると考えている。その理由は自分が彼の意を絶妙に汲める事からだと自負していた。
「古来より、多くの画家が――作家が夢見た幻想の光景を御覧入れよう」
果たして、得意気に言ったペリーシュは聖杯を手にまさに壮大な『創造』を始めていた。
渦巻く魔力の量は息を呑むもの。呼吸がし難い程の『濃い空気』は聖杯より漏れている。
「光栄に思え、Dよ。『黒い太陽(かみ)』の創世をその目に焼き付けたまえ!」
『塔』自体に揺れが走る。浮遊感にも似た感覚のその後に――ディディエは窓の外の風景が変化している事に気が付いた。
――塔自体が浮かんでいる。否、塔の周囲の地面ごと、大地が空に浮いていた。
「何と言う……」
『感動的』とも言うべき光景――魔術の極致にディディエは言葉を失った。
「『マルクト』より登り――『ケテル』まで。小生は歩いて登るのは真っ平だがね」
ペリーシュの言葉には、彼には珍しい洒落っ気が含まれていた。
彼がこれを『セフィロトの樹』と呼んだのは冗句に過ぎないと、それでディディエは理解した。
ユダヤ教の神秘主義におけるセフィラは造物主が神から出でた神性が被造物より出でた『創造』の神性の十であるとされる。神より出でた神性が被造物として顕現するための道筋でもあるとされる事から、逆に神性へとアクセスする、即ち創造を、神性を不遜にも遡り神そのものへと近づくヒントであるとも見なされる事もある。
但し、ペリーシュはセフィラを正しく辿る心算は無い、と述べている。
つまる所、彼の言は神を超える自分とセフィラの思惑を重ねた下手な冗談という訳だ。
「さて、塵芥を消し飛ばしてくれようか」
ペリーシュの言葉に応じたように『セフィロトの樹』が動き出す。
空中庭園、天空城、呼び名は何でも良いが、半径二キロにも及ぶ要塞である。
遥か三高平市に向けて――そのゆっくりとした歩みは、まさに絶望と呼ぶ他は無い――
※ウィルモフ・ペリーシュが動き始めた結果、崩界度が2上昇(85→87)しました!
アークはこれを三高平市で迎撃する決戦体制に移行します!
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