劣等感ドライヴ。
おおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
と大声で叫んでしまいました。
何がって、アークのリベリスタ同士で強さを競い合う大会があったのですが(http://bne.chocolop.net/quest/replay/id/6084/p/1/)
そこでやっぱり勝てなかったのが嫌なんですよ。取っても嫌なんですよ。
勝てるように頑張れよと言う話で済めばいいんですがもっと話は個人的です。
わたしは世界で一番でなければならんのだ。
こんなことを言うと馬鹿みたいに思われるでしょうけど、青春時代に劣等感を拗らせたわたしは、自分が「中庸の位置にいる」というのが我慢できないのです。自分が認める最低か、最低であるこのわたしが全てを見下すか。どちらかでないと心が落ち着かないのです。
ありとあらゆる分野においてそうです。
わたしがある分野において最低なのは、わたしがそれに関わっていないから。
「自分はそれに興味がないから」で逃げることができます。
しかしそうやって逃げを打っていると、心の片方には、「やれば必ず天下を取れる」という気持ちがわだかまってしまうのです。
そう、そこそこやれるものに関しては、天下を取らなきゃ気が済まないのです。全てを見下さなければ心が落ち着かないのです。
そういう心持における敗北は、単なる敗北以上の意味を持ちます。
「わたしはやればできる」という前提を、価値観を、足場を打ち崩されることになるからです。
心が悲鳴を上げています。
今の自分ではどうやってもアーク最強にはなれず、その道筋すらみつからないという事実に。
我が師匠は、自分は「凡百の英雄」でよいと言いました。
数ある異能力者の1人である。そこにこそ異能力者の集団の一員たる価値があると。
そして自分個人にとっては最強であることなどさほど価値のないことだと。
それは正しいと思います。
師匠はアークよりはるかに巨大な組織の中で競い合ってきた経歴がございますれば、「数多の力のひとかけら」であるということを強く意識し、またそれに慣れることもできたのでありましょう。「自分がやらなくても誰かがやるとみんなが想えば、数の有利は崩壊する。だから『凡百な自分』こそがまずは行かなければならないのだ」と。
だけどそれじゃわたしは我慢ならないのです。
速さも精密さも射撃も格闘も回避も膂力も神秘さえ、誰にも負けたくないのです。
工夫して勝つんじゃだめなんだ。「わたしが既に最強」でなくては。
面倒な、ああ、なんて面倒な拗らせ方を。
|